tag:blogger.com,1999:blog-50888893369846051782024-03-12T22:31:24.075-04:00unrepresentative agentunrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.comBlogger273125tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-75246196252305879342021-01-09T14:36:00.000-05:002021-01-09T14:36:18.776-05:00On the Model of "420,000 deaths"<p> ホリデーシーズンで、かつ、ロックダウン真っ只中で、暇なので、自然とインターネットをみる時間が増えた。全然知らなかったんだけど、日本では、42万人が死ぬのという試算について、ずいぶん議論がなされていたようだ。ものすごく後れを取った話で、すでにいろいろな人が同じことを言っているような気もするけど、一応感想を書いてみる。</p><p>関連するツイートとかを見てみると、「予測」ではなくて「プロジェクション」だとかいった説明がなされている。とてもばからしい。こんなのだから、免疫学者は経済学者や非専門家につっこまれるのだろう。</p><p>説明を軽く読んでみると、コロナの終息までに日本で42万人の死者が出るというのは、再生産指数(コロナにかかった1人の人が何人にうつすかという数字)とコロナにかかって症状が悪化した人が死ぬ確率をもとに計算されているみたいだ。前者については、パンデミックの初期の推定値がずっと続くと仮定され、後者については、パンデミックの初期の中国の数字がずっと続くと仮定されているようだ。両方ともここで仮定された値より悪化することはないとすると、42万人というのは、「多少は根拠のあるパラーメーターの下での」最悪のシナリオを計算しているということになる。つまり、「政府がいろいろな対策を実施したり、コロナの治療方法が改善したり、人々の行動パターンが変化することを織り込んだうえでの(起こりうる)予測」ではなくて、「政府は何もしないし、人々も行動を変えないし、医療技術も進歩しないという極端な仮定の元での(非現実的な、ワーストケースの)予測」ということだ。そのように計算された数字であるので、実際の数字(厚生労働省によると今の時点で3,932人)が42万よりずっと少ないことは、モデルが間違っているとか、この計算をした人が無能だということを示すわけでは決してない。</p><p>そうはいってみたものの、この数字の出し方には問題があると思う。一番深刻なのは、このモデルがどのくらい間違っているかを確かめようがないという点だと思う。今の時点死者の数が4000人未満で済んでいるのを見て、人々はどう考えるだろうか?楽観的に考えるのであれば、「ああ、最悪の結果の死者42万人を避けることができてよかった。政府もみんなもいろいろな対策をしたおかげだろう。これからもいろいろ対策を続けていこう!」と皆考えてくれることであるが、おそらく、多くの人は、「なーんだ。42万人とか言っておいて、実際は4000人も死んでないじゃん。コロナって大したことないな。」と考えるのではないか。</p><p>言い方を変えると、モデルの検証のしようがないから、モデルの信頼性がどんどん損なわれていくのである。「42万人という数字は現実的なシナリオに基づく予測ではない」とだけいう代わりに、ある政策を実施した場合に42万人という数字がどのように変わるか、という(policy elasticity)のも計算し、現実的と思われるシナリオでは42万人ではなくてXX人です、というのを強調しなかったから(示していたのかもしれないが、全然広まらなかった)今のような状況になったのだろう。その一方、おそらくは、現実的なシナリオの仮定の下に死者数を予測していたら、大きく外れていた可能性が高いので、そうすると、予測をした人は信用されなくなり、みな彼のいうことを聞かなくなるだろうから、現実的なシナリオの下での死者数予測をしなかった、あるいは強調しなかった、ことは十分理解できる。</p><p>経済学的に書くなら、死者数が(一定の再生産指数、一定の死亡率)だけから計算される単純なモデルではなくて、(何もしなかった場合の再生産指数・死亡率、コロナに対処する医療技術、会社に行って仕事する人の割合、レストラン等の稼働率、大規模なイベントの人数の上限)のようないろいろなパラメーターに依存するモデルを作って、広めるべきだったと思う。そうすれば、政府がわけわかんない政策をいろいろ実施した時に、それがどのくらい感染者数や死亡者数を引き上げたかがわかるし、モデルの正しさがが検証可能になった。あるいは、モデルを敬座奥的にアップデートして改善することができた。経済学でよく言われている言葉だけれども、「間違っていることを検証できないモデルは、間違ってるモデルより役に立たない」、という話だ。</p><p>この話は、(ゼロ金利制約に引っかかっているときの)金融政策の効果の話と似ている。日本銀行が大規模な非伝統的金融政策を実施しなかったら、日本のGDPは20%下がっていた、みたいな話も(20%という数字は適当だけれども)、威勢はいいけどクリーンには検証のしようがない。</p><p>(現実には決して実現しない)シナリオの下での予測というのはとっても簡単で、間違っていることを証明しようもないから本人もリスクを負わずにセンセーショナルな数字を発表できるものであるから、あんまり信用するべきではないと思うし、信用されなくなくなっていくのはまっとうな方向性だと思う。大きな数字だったから人々を怖がらせて、コロナのダメージを小さくすることができたという議論もある。アメリカでもそういう議論がなされているのを聞いたことがあるが、そういうのは政府がすべきことであって、学者のすることではないと思う。</p><p>あと、なんだからわからないけど、この話に絡んで「ルーカス批判」に対する批判も目にした。「ルーカス批判」なんてコロナの文脈で経済学者の誰かが口にしたのであろうか。「ルーカス批判」について批判するのはかっこいいかもしれないけれども、ピントがずれていると思う。コロナについてある政策を実施したときに、家計や企業がその政策の効果を打ち消す方向で行う行動が、コロナの文脈で重要だろうか?個人的にはたいして重要ではないと思うし、そんなことを強調しているモデルも見覚えがない。</p>unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-57078974661931818792019-12-13T16:30:00.000-05:002019-12-13T16:30:44.058-05:00Neo-Fisher Effect or Standard Monetary Stimulus?日本等において、金融緩和を実施しても、インフレ率は上がらず、景気(GDP)も大きく改善しているようには見えないことから、ネオ・フィッシャー効果を考えるべきではないかと主張している人たちがいる。<br />
<br />
今回紹介するペーパーに倣ってちょっと整理をしてみる。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-v-TGOMxpCtM/Xe1-GNG7sUI/AAAAAAAABA0/4HIY5Ckg4j0gQeHNS95TuDcc_mqJokEXQCLcBGAsYHQ/s1600/figure.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="295" data-original-width="1364" height="138" src="https://1.bp.blogspot.com/-v-TGOMxpCtM/Xe1-GNG7sUI/AAAAAAAABA0/4HIY5Ckg4j0gQeHNS95TuDcc_mqJokEXQCLcBGAsYHQ/s640/figure.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
行からみると、1行目は一時的な(名目)政策金利引き上げの効果、2行目は永続的な政策金利引き上げの効果が示されている。列を見ると、1列目は、長期的なインフレ率・GDPへの効果、2列目は、短期的な効果を示している。<br />
<br />
青いマスから見てみよう。一時的に政策金利を引き上げても、一時的という性質上、政策金利は元に戻すという想定なので、長期的には何の効果もない。<br />
<br />
オレンジのマスは、いわゆるフィッシャー効果を表している。名目の政策金利を永続的に引き上げた場合、長期的には実体経済には影響はないと考えられるので、GDPや実質金利は影響を受けない。よって、長期的には名目金利は高いレベルに維持されるけれども、実質金利は前と同じなので、インフレ率は上昇しなければならない、というのが、フィッシャー方程式の意味するところなので、このような帰結はフィッシャー効果といわれる。<br />
<br />
フィッシャー効果が(大まかに言って)成立しているというエビデンスとしてよく見られるのが、以下のようなグラフである。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-Of5ypxmrVIc/Xe2An8VLnrI/AAAAAAAABBA/12kUgYkRquoto4sDwk9pn6w83lTnYLpSwCLcBGAsYHQ/s1600/fig2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="654" data-original-width="1600" height="260" src="https://1.bp.blogspot.com/-Of5ypxmrVIc/Xe2An8VLnrI/AAAAAAAABBA/12kUgYkRquoto4sDwk9pn6w83lTnYLpSwCLcBGAsYHQ/s640/fig2.jpg" width="640" /></a></div>
一つ一つの青い点が国である。左側のグラフはデータがあった99か国すべて、右側のグラフはOECD諸国(いわゆる先進国)26か国を示している。X軸は、1989年から2012年の平均インフレ率、Y軸は同じ期間の名目金利である。どちらのグラフにおいても、青い点は大まかには45度線(グラフの中の斜めの線)に近い。つまり、23年間の平均インフレ率が1%高い国はその期間も名目金利も1%高いということであり、フィッシャー効果と整合的である。<br />
<br />
黄色のマスが、いわゆる金融政策の普通の考え方である。一時的に政策金利を引き上げると、インフレ率はすぐには反応しないので(いわゆる価格の粘着性)、実質金利は上昇する。実質金利が上昇すると、企業が借り入れを行って投資するコストが高まるので企業は投資を控え、家計も実質金利が高まるので借り入れを減らしたり貯蓄を増やしたりする。それによって、今現在の消費は減ることになる。どっちの効果が大きいにしても、企業や家計の需要が減少するので、GDPもそれを反映して減少するというロジックだ。<br />
<br />
最後に、緑色のマスが、ネオ・フィッシャー効果と呼ばれるものである。これは、政策金利の引き上げが永続的であれば、フィッシャー効果(オレンジのマス)が短期にも有効だという考え方である。フィッシャー効果と同じく、名目の政策金利は永続的に引き上げられ、かつ、実質金利が名目金利ほど大きく反応しないとすると、その差であるインフレ率は短期的であれ上昇するというものである。ただ、GDPにどのような影響を与えるかはよくわからない。<br />
<br />
今日軽く紹介するペーパー("The Neo-Fisher Effect: Econometric Evidence from Empirical and Optimizing Models" by Martin Uribe)は、アメリカのデータを使って、ネオ・フィッシャー効果が存在するか、存在するとすればGDPへの影響はどのようなものか、を分析してみたものだ。著者は、VARとシンプルなニューケインジアン(NK)モデルの両方で、一時的な政策金利へのショックと永続な政策金利へのショックが存在するモデルをベイズ推定した。<br />
<br />
著者によると、どちらのモデルでも結果は一緒だったので、説明としては簡単なVARを使って説明してみる。子のペーパーで使われたVARのモデルは、GDPとインフレ率と名目金利の3つの変数がVARで決まり、GDPとインフレ率に永続的なショックと一時的なショックがあるというものである。著者が推定したVARモデルが、ショックにどのように反応するかを見てみよう。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-nVy5w0ZU4eI/Xe2DUjLdhLI/AAAAAAAABBM/2e72oCwCNMUwzkfUhtoJqDzVAK37sgDzACLcBGAsYHQ/s1600/fig3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1149" data-original-width="1485" height="494" src="https://1.bp.blogspot.com/-nVy5w0ZU4eI/Xe2DUjLdhLI/AAAAAAAABBM/2e72oCwCNMUwzkfUhtoJqDzVAK37sgDzACLcBGAsYHQ/s640/fig3.jpg" width="640" /></a></div>
左側が永続的な金利へのショック、右が短期的な金利へのショック、上は名目金利とインフレ率の反応、下はGDPの反応を示している。右側からみていこう。名目金利が一時的に1%引き上げたとき(赤の点線を見ればわかるとおり、金利の引き上げは半年で終わって元の金利のレベルに戻る)、インフレ率は低下し、GDPも低下する。これはスタンダードな短期的な金融引き締め効果と同じである。<br />
<br />
では、左側のグラフを見てみよう。名目金利ショックが永続的であった場合、名目金利は1%上がり、そのレベルで安定する(赤の点線)。ちょっと驚くべきことに、インフレ率もすぐに1%上のレベルに到達する。つまり、推定されたモデルによると、ネオ・フィッシャー効果が存在している(フィッシャー効果は短期的にも有効)ということになる。しかも、インフレ率の方が名目金利より強く反応している、つまり、実質金利はちょっと下がっているということだ。それと整合的に、名目金利は引き上げられたにもかかわらず、GDPは上がっている。つまり、政策金利を永続的に1%引き上げた場合、インフレ率もすぐに反応して約1%上昇し、GDPは短期的にではあるが0.5%上昇するのである(長期的にはもちろんGDPへの影響はない)。<br />
<br />
これまでの分析はアメリカのデータを使ってなされているけれども、ペーパーでは日本のデータの分析も行われている。日本のデータを使った結果を下に示しておく。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/--93JpI-KtDg/Xe2GW71CFUI/AAAAAAAABBc/fDVl2RoImwM2KTkfZ4ykaJPGMrjyIPwVQCLcBGAsYHQ/s1600/fig4.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1148" data-original-width="1469" height="500" src="https://1.bp.blogspot.com/--93JpI-KtDg/Xe2GW71CFUI/AAAAAAAABBc/fDVl2RoImwM2KTkfZ4ykaJPGMrjyIPwVQCLcBGAsYHQ/s640/fig4.jpg" width="640" /></a></div>
短期的な金利引き上げの効果は代替アメリカと同じで、名目利子率はすぐに上がるものの2.5年くらいで元に戻る。インフレ率も2.5年くらい低いレベルになる。GDPも2.5年くらいの間、0.5%程度低いレベルに落ちた後でだんだん元のレベルに戻っていく。<br />
<br />
名目金利が1%上昇するショックが永続的なものであった場合、名目金利は1年程度かけて1%上のレベルに到達し、そこにとどまる。インフレ率は2年くらいかけて1%高いレベルに到達する。つまり、ネオ・フィッシャー効果は1年程度で現れるということである。しかも、インフレ率の上昇は名目金利の上昇に比べて遅いので、GDPは大きく上昇する。推定されたモデルによると、GDPは1.5%くらい上昇し、その効果はかなり長く続く。<br />
<br />
著者の解釈に従うと、日本で起こっているのは、金融緩和が永続的に続けられることは、永続的な名目金利引き下げのショックであり、上のグラフと逆の効果(名目金利は低位安定、インフレ率も低位安定、GDPは長期的に停滞)が表れていると解釈できる。<br />
<br />
もちろん、これらの効果がどのようにidentifyされているかが重要(僕にはよくわからない)なので、モデルの結果はもちろん鵜呑みにはできないんだけれども、ネオ・フィッシャー効果は本当に短期的に表れうるのか、データから支持されるのかという重要な質問に対して、挑発的な答えを提示した論文として、個人的には好みである。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-59674562675606244532019-12-11T22:20:00.000-05:002019-12-11T22:27:03.351-05:00What Do You Need to Get a Job at U of Tokyo?仕事の都合上、経済に関する投稿ができないので軽いネタでまた書いてみる。<br />
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ある方が、日本で就職先がないから帰れない、というようなことをtwitterに書いていた。全然知らない人だけど、CVを見てみたら、すごい、うらやましい、という感じである。これだったら、日本の大学だったらどこでも帰れるんじゃないかなぁ、と思ったので、試しに、東大の経済学部のFullあるいはAssociateだったらどのくらいの業績があるのか(東大の経済学部にテニュア付きで就職するにはどのくらい必要なのか)、安田さんの<a href="https://sites.google.com/site/economistsjapan/list2">リスト</a>を使って調べてみた。</div>
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東大の経済学部で、専攻がミクロと計量以外で、1990年以降学部卒業(とリストに書いてある)人に限定してみた。ミクロと計量を除いたのは、これらは基準が異なるかもしれないと思ったからで、1990年以降学部卒業の人に限ったのは、時を経て基準が変わってきているかもしれないと思ったからである。それらの人について、安田さんのリストの星の数(5つそれなりのジャーナルにパブリッシュするごとに1つ付くはず)、およびトップ5にパブリッシュしたか(1はトップ5あり、0はなし)、そしてそれらのポイントの単純な合計を出してみた。元のデータは面倒くさくて見ていない。もちろん4つと5つで大きな差が出るのは問題だけど、トップ5がそれなりのジャーナル5本分というのは悪い換算レートではないような気がする。それに、大学院時代に書いたペーパーや、共著者の多いペーパーはディスカウントするという考えもあるし、ペーパーの影響力(≒引用数)も重要なのはもちろんだけれども、そんなことをやっている時間はないので許してほしい。以下がその結果のリストである。ポイントの高い順に並べてある。</div>
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<a href="https://1.bp.blogspot.com/-64g0b78Ibsg/XfGxvzETPnI/AAAAAAAABB8/gjLNE6chp3YIJ_evMi9ILNWxZX8aQhFEQCLcBGAsYHQ/s1600/Fig-01.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="531" data-original-width="745" height="456" src="https://1.bp.blogspot.com/-64g0b78Ibsg/XfGxvzETPnI/AAAAAAAABB8/gjLNE6chp3YIJ_evMi9ILNWxZX8aQhFEQCLcBGAsYHQ/s640/Fig-01.jpg" width="640" /></a></div>
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就職先がないと言っていた人は1ポイントなので、少なくとも、このポイントシステムだと半数以上の人と同等か上ということになる。おそらく、東大に就職できるのであれば、他のところもいろいろオプションはあるだろうから、アカデミアで就職先が見つからないということではないのだろう。</div>
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東大に就職したいならば、トップ5にパブリッシュし、それなりのジャーナルに5本載せれば、それなりに可能性は高いといえるのでは。</div>
unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-43457995516160276182019-12-08T21:29:00.002-05:002019-12-09T14:11:53.109-05:00On Referee Report今年の9月に、Econometric Society(ES)の3ジャーナル(ECMA, TE, QE)のエディター連名で、ESのジャーナルにパブリッシュされるペーパーが長くなりすぎているので、短くしていくという意向が表明された(リンクは<a href="https://www.econometricsociety.org/content/society-journal-editors-plan-address-increasing-paper-length">ここ</a>)。このメールによると、Econometricaの平均ページ数は1970年代には12ページだったのが、今はOnline Appendixを除いても36ページになり、50ページを超えるペーパーも多いらしい。確かに、長いペーパーが多くてげんなりすることが多い。ESのエディターとしては、ペーパーの長さを、現在の30-40ページから20-30ページにしたいということである。そのためにも、レフェリーも、あまり多くのことを要求しないでほしい、と書いている。ペーパーが(Appendixも含めて)長くなっている理由の一つは、レフェリーがいろいろな追加の分析、頑健性のチェックを要求する(こともあるし、それに対抗して、これでもかといろいろな分析を最初からペーパーに加えておく)からである。<br />
<br />
これと連動して、Econometricaのマクロのエディターから、レポートをこういう風に書いてほしいとの連絡がきた。そのメールには以下のようなことが書いてあった。<br />
<ul>
<li>レポートは必ず6週間以内に提出してほしい。そのかわりに、あなたがサブミットしたペーパーも素早く決定を下す。</li>
<li>レポートは (1) ペーパーの要旨、(2) 非常に重要なポイント(Essential Point)、(3) (その他の、ペーパーを改善するための)提案(Suggestion)、の3部構成としてほしい。</li>
<li>「要旨」は今までと同じように書いてほしい。</li>
<li>「非常に重要なポイント」は、この点が改善されればペーパーがトップジャーナルに載る価値があるものになるという点に絞って、3点まであげてほしい。4点以上ある場合は、そのペーパーはリジェクトされるべきだ。あなたの評価がリジェクトであれば、「非常に重要なポイント」はリジェクトを提案する理由が書かれるところとなる。</li>
<li>「提案」は、「非常に重要なポイント」以外の、ペーパーを改善するための提案である。現在のレフェリーレポートはここが80%を占めていると思う(つまり、現在のレポートには本当に重要ではないことがたくさん書かれている)。</li>
<li>Econometricaはしばしば「Econometricaらしい」ペーパーがパブリッシュされるところと考えられているが、最高のマクロのペーパーをパブリッシュしたいだけである。AERに載る価値があるとあなたが思うペーパーをEconometricaはパブリッシュしたい。</li>
</ul>
このメールで提案されているレフェリーレポートの書き方のバックグラウンドペーパーとして、"How to Write an Effective Referee Report and Improve the Scientific Review Process"(by Berk, Harvey, and Hirshleifer, JEP 2017)というペーパーが挙げられていたので、読んでみた。いくつか参考になったポイントを以下にメモしておく。このペーパーは、著者らが、過去のAER、JPE、QJE、ECMA、REStud、JFEのエディターに、経済学のレビュープロセスをどのように改善したらよいかヒアリングした内容をまとめることで構成されている。<br />
<ul>
<li>あるペーパーがパブリッシュに値するかは、(1) そのペーパーが重要な質問に答えているか、(2) そのペーパーが既に分かっている結果から大きく前進しているか、(3) その結果が正しいか、である。レフェリーは(3)に注力しすぎな印象を受ける</li>
<li>若い研究者は、レフェリーしているペーパーをぼろくそに(意訳)批判することで、自分がいかに優れているかを見せつけようとする傾向がある。これ、やるなぁ、と反省している。</li>
<li>レフェリーレポートは(ペーパーがアクセプトされるかリジェクトされるかを決める)「非常に重要なポイント」と(それ以外の)「提案」に明確に分けるべきである。(この提案がEconometricaのエディターの方針として採用されている)</li>
<li>「この証明は信じられない」とか「この結果は間違っているような気がする("smell")」とか「結果が直感と異なる」という理由でリジェクトを提案するレフェリーがいるが、レフェリーも説得力のある、論理的な理由をあげなければならない。</li>
<li>レフェリーがリバイズを提案するということは、(1) そのペーパーは(問題点が解決されれば)パブリッシュされる価値がある、(2) ただし、今の状態ではいくつか問題がある、(3) これらの問題は解決が可能である、という評価にコミットしたということである。第2ラウンドのレフェリーを行う場合は、そういうコミットをしたということを頭に入れて書かねばならない。例えば、第1ラウンドで指摘しなかった問題を指摘するのは契約違反である。</li>
<li>レフェリーが追加的に何かを行うように要請するときには、それを実施するコストを考慮しなければならない。</li>
<li>自分がレフェリーを依頼されたペーパーととても関連している研究をしていて、レフェリーレポートから自分が誰かわかってしまう恐れがあるときは、エディターに相談するべきだ。レフェリーをしないという選択肢もあるし、レフェリーにはならずとも、エディターに個人的にペーパーについての意見を伝えるということもできる。</li>
<li>ペーパーの著者と個人的な関係がある場合、自分が競合しているペーパーを書いている場合、もエディターに知らせなければならない。</li>
<li>もしペーパーが明らかにジャーナルが求める質よりかなり下のレベルにあるときには、1ページの短いレポートをすぐに返すと、皆の時間の節約になるかもしれない。</li>
<li>(エディターだけが見る)カバーレターは、レポートのCopy and Pasteでは意味がないが、レポートと整合的でなければならない。レポートでは素晴らしいペーパーとほめておいて、個人的にリジェクトを勧めるようなレフェリーもいるらしい。カバーレターは次の3点から構成されるのが望ましい。(1) ペーパーの貢献(エディターがペーパーの分野の専門家ではないかもしれないことを考慮すべき)、(2) 分析に説得力があるか?、(3) ペーパーはリジェクトされるべきか、リバイズを要請するか。後者であれば、1回リバイズすればアクセプトされるべきペーパーになるか。</li>
<li>(ペーパーが自分の専門とちょっとずれている等の理由で)自分の意見に確信がない場合、その点も明確にするとよい。</li>
<li>レポートは簡潔なほうがよい(例えば2-3ページ)。</li>
<li>レポートの中のコメントには、参照がしやすいように、すべて番号をつけるべきである。</li>
</ul>
unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-41687404921429978642019-12-07T15:38:00.002-05:002019-12-08T17:03:57.819-05:00Against Marxist Economicsまだリハビリモードなので、またしても、とりとめのない雑談を。<br />
<br />
最近、東大経済学部がマルクス経済学の教員を採用しないという決定をしたという記事が(発言者の意図が正確に伝わっていなかったようだけれども)流れていた。個人的なことを書くと、僕は、楽に卒業できるし、就職がいいだろうなと思ったからとりあえず東大の文IIに入学したんだけれども、必修のうち半分がマルクス経済学(およびマルクス経済学色の濃い経済史)だったこと、あと「近経」の最初の必修の授業であったミクロ経済学も、理論のみの教科書をそのまんま棒読みで進んでいくだけでむちゃくちゃつまんなかったことから、こんな学部で大学時代の貴重な時間を過ごすのは完全に時間の無駄だと思って転部した経験があるので、明示的な決定ではなくてもマルクス経済学の色が弱まっていく方向に向かっているのは好ましく思う。今はわからないけれども、少なくとも僕の分野でいえば、東大のような、アジアでもトップから遠くはなくて、世界的にもまぁまぁ悪くはない大学で、学生にこのような授業を強制するのはまったく理解できない。<br />
<br />
アメリカを見てみても、いわゆる世界で高評価を得ている学校で、マルクス経済学の教員が充実しているところなど、寡聞にして聞いたことがない。日本の大学の近い競争相手であるシンガポール、香港、とかの学校でもマルクス経済学が充実している学校なんてあるのかな(韓国の大学はセミナーとかで訪問行ったことがないので知らないけれども)。アメリカの場合は(ほかの国でもそうだろうとは思うのだけれども)いわゆるヘテロ経済学(マルクス経済学とか、世界システム論とかいったやつ。ヘテロマクロではない)を売りにした学校があるけれども、いわゆるトップスクールでヘテロ経済学を売りにしたところはないと思う。<br />
<br />
でも、何でマルクス経済学がトップスクールにあってはいけないのかというと、これは別にどの学問が正しいという話ではなくて、世界のトップの学校の大部分は、世界の最先端の経済学を使い、国際的に認められた学会にアクセプトされ、国際的に認められた(英語の)雑誌にパブリッシュしている人を採用しているので、それに従うと、マルクス経済学の人にはそういう人がいないからだということではないかと思う。いわゆる「ケインジアン」(NKではない)でも、ケインズの解釈学のような古めかしいスタイルで研究している人はトップの大学で採用されるべきではないのと同じ理由である。そもそも、マルクスがこう言っているとか、ケインズがこう言っているとかを重視する、属人的な学問(経済学史も含む)をする人や、いちおう「近経」のようなことをやっているとしても国際的な競争に参加せずに本しか書かない人も、同じ理由で、トップの経済学部にいるべきではない。その一方、「ケインジアン」という人でも、Roger Farmerのように、一流のジャーナルにパブリッシュし続けて、一目置かれている人もいる。経済史でも、なんだかなぁという人も多いが、理論をちゃんとわかっていて、一流のジャーナルにパブリッシュする人は話してて面白いが、そうではない人もたくさんいる。マルクス経済学でもケインジアンでも世界的な評価のスタンダードでみて優れた人があれば、色眼鏡で見ずに、何本どこにパブリッシュしたかで採用すればいいだけの話だと思う。マルクス経済学っぽいことをやっていても、トップ5にパブリッシュして、安田さんのリストで星がいくつかついているような人であれば採用すればいい。<br />
<br />
多分、学生へのサービスという観点からみても、(今現在)学生の将来に役に立つのは、物事をモデル(理論)を通してみることができるようになること、相関関係と因果関係の違いをちゃんと認識し、データをどのように処理し、解釈するかを学べること、(そのための)コンピューターの使い方を学べること、英語が使えるようになること、とかであろうから、そういう側面が重視される経済学を研究している教員を積極的に採用していると、自然とマルクス経済学の人は採用されません、ということになるんじゃないのかな。今時、学生でマルクス経済学の授業出て役に立ったなんて言う人がいるのだろうか?<br />
<br />
もちろん、世界のトップがこうしてますという理由が常に正しいとは限らない。後から考えてみたら、世界のみんなで間違った方向に進んでいて、将来はどのような分野・研究者がトップの大学に採用されるべきかという面で見直しがなされるかもしれない。ただ、それを理由として、世界のトップの大学で採用されている物差しでは採用に値しない人も「多様性」の観点から採用していこうというのは間違っていると思う。そんなことを言い出したら、誰でもいいということになってしまう。<br />
<br />
将来、世界のトップの大学が経済学者を見る基準が変われば、その時に、新しい方向に沿うようにシフトすればいい話である。今現在世界で何が評価されているかを評価基準とするのは危険がもちろんあるが、何か客観的な評価基準に従わないと、ろくなことにならない。いろいろなアプローチをバランスよく学べることは重要だと思うのだけれども、そんなことに気を使ってばかりいるとろくなことにならないと思う。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-8351467161673528152019-11-27T13:17:00.000-05:002019-11-27T18:35:47.230-05:00Nobel and Aiyagari超久しぶりになるが、ホリデーシーズンで雰囲気ものんびりしているし、リハビリも兼ねて、柔らかいネタで書いてみる。<br />
<br />
ノーベル賞が10月14日に発表されて以降、受賞者の業績等についていろいろ見聞きする機会があったが、その騒ぎも収まってきた。自分は特にいろいろな分野をよく知っているわけではないので、自分の分野外の人が受賞したときは、普通の人と同じように、へぇ、と言う感じで終わってしまう。とはいえ、今辺りに、次のノーベル賞は誰かな、という会話がなされることが多い。ちょうどこの時期に、来年の賞の候補者の推薦をお願いするメールが世界中の一流の経済学者に届くからだ。僕には関係のない話だけれども、この時期に一流の学者連中と飲みに行くと、来年は誰がいいかなぁという話になりやすい。<br />
<br />
今回は、皆でビールを飲みながら、マクロは次どのような分野かなという話になった。そこで、ヘテロマクロが取れるとしたら3人はどう選べばよいか、という話になった。あるとしてもまだまだ先の話だと思っていたけど、今年の受賞者を考えると、順序とかどうでもいいじゃん、という感じらしい。こういう話になると、残念だなぁと思うのは、アイヤガリが若くして亡くなってしまったことである。彼が入らないと、どのように3人選んでも何か物足りなくなってしまうように感じられる。<br />
<br />
といったら、そうでもないんじゃないかという人もいた。ちなみに、今や経済学では、アローやサミュエルソンのような(ルーカスも入るのかな)、いわゆる誰でも知っている巨人のような人は今やいないので(僕なんて今年の受賞者の論文なんて、KremerのQJEのGrowthのペーパーしか読んだことない)、経済学以外の分野のように、大きく発展した分野を選んで、その中で貢献度が大きかった3人を選ぶような感じになっていくのではないか(アイヤガリがいなくてもいける)と言っている人もいた。<br />
<br />
この話から続いて、アイヤガリがどのような人だったかというのをいろいろな人から聞いたんだけれども、彼のオフィスはモノが全然机の上に出ていなくてとてもきれいだったらしい。僕も、いつでも次の職に引っ越しできるように、パソコンに入らないモノは全然買わないしオフィスにはモノは残さないし、机の上には何も置かない性格なんだけれども、なんとなく、頭のいい人は机がごちゃごちゃしているといつも思っており、ごちゃごちゃしているのが嫌いな自分としてはちょっと残念に思っているので、自分があこがれる人の机がきれいだと嬉しくなる。ある人は、アイヤガリのオフィスを訪問したところ、机の上に彼の3つのペーパーだけが置いてあり、どのペーパーについて議論したいか選ばされたらしい。かっこいいな。<br />
<br />
ほかに聞いた話としては、アイヤガリは、1981年にPhDを取ってからしばらくしてミネアポリス連銀に戻ってきて、1994年の超有名なペーパーをはじめとして一連のペーパーを完成させて、亡くなる直前にロチェスターに移ったんだけれども、ミネアポリス連銀に戻ってくるまでの間、研究で結構苦しんでいたらしい。苦しんでいたといっても僕のような二流経済学者とはレベルが違うんだけれども、これくらいすごい人も苦しんでいたという話を聞くと、自分がいい論文全然かけなくて苦しんでいるのは当たり前だよな思わされる。がんばろう。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-2288435561895709492019-07-11T14:46:00.000-04:002019-07-11T14:46:27.383-04:00SED 2019: Day-Ahead Conference(特にミネソタ系)マクロで最もレベルの高い学会の一つである、SED (Society of Economic Dynamics)の年次総会が、今年はセントルイスのワシントン大学のキャンパスで行われた。最近は、大きな学会があると、その前日にその町にあるFRBなどがDay-Aheadカンファレンスという学会を開催するのが流行りになっている。今回もやはり、SEDの年次総会の共同スポンサーでもあるセントルイス連銀が、SED開催の前日にDay-Ahead カンファレンスを実施したので、そこで発表されたペーパーについて簡単にメモしておく。<br />
<br />
Michele Tertiltの"Regulation of Consumer Credit with Over-Optimistic Borrowers"(Florian Exler, Igor Livshits, James MacGeeとの共著)は、「行動経済学的な」仮定を入れた、ヘテロマクロモデルを使った分析である。消費者には所得が高い確率が高いタイプ(良いタイプ)と低いタイプ(悪いタイプ)の2つのタイプがいるが、どちらのタイプも自分が所得が高いタイプだと思って行動する。もちろん、長期間にわたって所得が低ければ、自分は所得が高い確率の低い(悪い)タイプだと学ぶのが普通であるが、消費者は皆「楽観的」(自分は「良いタイプ」だと考えて行動する)だというのがこのモデルの肝である。この仮定により、悪いタイプが、よいタイプに成りすますことのコストを考えて行動したり、これらの消費者にお金を貸す貸し手がどうやったら良いタイプにだけお金を貸すことができるかと考えるような、難しい問題を解く必要がなくなるからだ。これらの消費者は消費をスムーズにするためにクレジットカード会社からお金を借り、時によっては破産を選択する。クレジットカード会社の方は、お金を貸したときに、どの割合が良いタイプかを知っているが、良いタイプと悪いタイプは全く同じ行動パターンをとるので、2タイプを見分けることはできない。つまり、均衡では両タイプが同じ金利で借りることになる。このようなモデルの均衡では、自分の所得能力について楽観的な(悪い)タイプは、(自分のリスクにも相当した高い金利より)低い金利(低いリスクプレミアム)で借りることができる一方、良いタイプは悪いタイプと混ざっているので、高めの金利でしかお金を借りることができない。このような均衡では、政府が政策によって破産のコストを低くすることができると、実際に破産しがちな悪いタイプは得をするのだけれども、破産をあまりしない良いタイプは、破産が増えることによるリスクプレミアムの上昇で、損をしてしまう。<br />
<br />
Maaten Meeuwisが発表した"Belief Disagreement and Portfolio Choice"(Jonathan Parker, Antoinette Schoar, Duncan Simesterとの共著)は、今流行りの、普通には手に入らないデータセットを使った分析である。詳細には立ち入ら(れ)ないが、彼らは、アメリカの数百万人がどのようにポートフォリオを組んでいるかというデータを入手し、彼らのポートフォリオが、2016年11月の大統領選(トランプが僅差でクリントンに勝った)の結果によってどのように変化したかを分析した。彼らのデータではそれぞれの投資家がどちらの政党を支持しているかはわからないが、どこに住んでいるかはわかるので、共和党支持者の多いエリアに住む人と、民主党支持者が多く住んでいるエリアに住んでいる人で、2016年11月の選挙の結果を受けたポートフォリオ組み替え方がどのように違っていたかを見ることができる。彼らのメインの結果は、大統領選での共和党の勝利の後で、共和党支持者の多いエリアに住む人は、民主党支持者が多いエリアに住む人に比べて、より株式への投資割合を増やしたというものである。著者らの解釈は、よく仮定される、全投資家が同じ(合理的)期待を持つという仮定よりも、皆が異なるモデル(に基づいて将来の資産のリターンを計算している)を持つという仮定が支持された、というものである。<br />
<br />
S. Boragan Aruobaの"Pure Wealth Effect or Credit Constraints? Decomposing the Response of Consumption to House Prices"(Ronel Elul, Sebnem Kalemil-Ozcanとの共著)は、アメリカでGreat Recessionの時に住宅価格が下がったことで、消費が落ち込んだというMian-Sufiの有名な結果を、さらにいいデータを使ってより詳細に見てみたペーパーである。住宅価格が下がると消費が落ち込むというのは、理論的には十分あり得ることだが、その主なチャンネルは2つある。1つは「資産効果チャンネル」である。自分がもっている資産の価値が下がったことで、将来それを取り崩して実行できる消費額が下がるので、それに合わせて現在の消費を減らすというものである。もう1つは、「借入制約チャンネル」である。住宅価格が下がるとその価値を担保に借りれる金額が低くなるので、お金を借りて消費に回していた家計は消費を切り詰めざるを得なくなる。このペーパーでは、Great Recessionにおいてこの2つのチャンネルがそれぞれどのくらい強かったかを調べてみた。基本的なアイデアは、クレジットスコアの低い(高い)家計の住宅価格の下落に対する消費の反応は、借入制約チャンネル(資産効果チャンネル)によるものだろうと仮定することである。彼らの分析の結果は、Great Recession時における消費の下落のうち、資産効果によるものはほぼゼロ、借入制約チャンネルによるものが70%ほど、金融機関のバランスシートが痛んだことで貸し出しが制限された効果は20%ほど、残りの10%程度は一般均衡効果(消費の低迷に合わせて雇用が減少して所得がさらに減少することによる消費の減少)というもの。<br />
<br />
Tim Landvoigtの"Financial Fragility with SAM?"(Daniel Greenwald, Stjin Van Nieuwerburghとの共著)では、SAM(Shared Application Mortgage)という新しいタイプのモーゲージ(住宅ローン)をマクロモデルの中で分析している。SAMというのは、住宅価格が下がった(上がった)ときには、モーゲージの支払額も下げる(上げる)という形態のモーゲージで、住宅価格が下落したときには自動的に支払額を引き下げることによって、(不況で失業するなどして所得が下がってモーゲージの支払いが困難になって)デフォルトに陥る人の数を減らそうというアイデアである。僕は全然知らなかったが、こういうモーゲージを提供しているフィンテック会社がすでにあるらしい。彼らのモデルはとても複雑なので、詳細には全然立ち入ら(れ)ないが、彼らは、モーゲージの支払額を国全体の住宅価格の動きに合わせて調整するSAMと、モーゲージを借りている人が住む地域の住宅価格に合わせてモーゲージの支払額を調整するタイプのSAMの効果を分析した。彼らのシミュレーションによると、経済全体に前者が導入された場合、基本的には景気変動のリスクをより金融機関に負担させることになるので、金融機関のバランスシートが景気の動きに対して敏感になりすぎてしまい、金融セクターの危機の頻度が増えてしまう。その一方、後者の場合、金融機関が各地域の住宅価格変動のリスクをシェアすることができていれば、住宅価格変動のリスクを別の地域に住んでモーゲージを持っている人々の間でシェアすることになるので、好ましいという結果になった。<br />
<br />
Fabrizio Perriの"Unequal Growth"(Francesco Lippiとの共著)は、アメリカでは過去40年程度の間に、個々人の所得の不平等度が上昇し、同時に、経済全体の成長率が低下してきたが、これらの間の関係を、PSID(1967年から個々の家計の所得が見られるデータ)を使ってちょっと深く見てみたという論文。具体的には、次の関係に注目した:<br />
<br />
<ul>
<li>⓪経済全体の成長率=①個々の家計の所得の成長率の平均(個々の家計の所得のレベルでウェイト付けされていないもの)+②個々の家計の所得のレベルと所得の成長率の相関(×それぞれのばらつき具合)。</li>
</ul>
<br />
直感的に説明すると、個々の家計の所得の増加率が同じであれば、経済全体の成長率は①と等しくなる(②はゼロになる)。個々の家計の所得の成長率が異なる場合、もし、所得が高い家計の方が所得の伸びば大きければ、経済全体の成長率は①より大きくなる。経済全体の成長率を計算するにあたっては所得のレベルでウェイト付けするので、所得が高い家計の所得成長率が高ければ、経済全体の成長率は高くなるからだ。このような分解の方法はOI(Olley and Pakesなど)で頻繁に使われているらしい。彼らの分析によると、過去40年で、①は特に1990年以降上昇傾向にある。しかし、②は常にマイナス(所得のレベルが高い人の所得成長率は比較的低い)だが、そのマイナス度合いが特に1990年以降高まった。1990年以降②の低下のスピードが①の上昇のスピードを上回っていたことで、経済全体の成長率が低下したというのが彼らの発見である。②のマイナス具合がさらに低下したというのは、所得が高い人の所得成長率がさらに低下したことと、所得が低い人の所得成長率がさらに高まった、ことの両方によるもののようだ。彼らのペーパーでは、この後、モデルを使った分析もなされているが、メカニカルな分析で、では、なぜこのような変化が起きているのかはわからない。とはいえ、こういう分解による分析もできるんだなぁという感じ。<br />
<br />
最後に、Mariacristina De Nardiの"The Lost Ones: The Opportunities and Outcomes of Non-College Educated Americans Born in the 1960s"(Margherita BorellaとFang Yangとの共著)では1960年代に生まれた、大学に行っていない白人のアメリカ人は、1940年代に生まれた人たちに比べて、①平均寿命が短く、②医療費が高く、③(教育の度合いをコントロールした後の)平均的に賃金が低い(特に男性)。これらの要因によって、1960年代に生まれた白人アメリカ人は、1940年代に生まれた人たちに比べて、どのくらい「幸福度」が下がっているかを、上の①~③を外生的な変化とするライフサイクルモデルを用いて計算した。彼らのモデルによると、1960年代生まれで、大学に行っていない、白人のシングルの男性は1940年代に生まれた場合に比べて、生涯賃金の12.5%損をしていることがわかった。1960年代生まれのシングルの女性の場合はこの割合は7.2%、カップルの場合は8%だった。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-47033792879205098662018-09-13T01:12:00.002-04:002018-09-13T01:21:52.209-04:00Comparing Education Spending across OECD Countries舞田さんという人は、いろいろなデータを簡単にグラフにして示すことをしょっちゅうやっている人らしく、時々、誰かが彼のグラフをリツイートしてるのを見かける。自分の主張に合うものを意図的に選んでいるように思えることと、あまりデータの信用性等について注意を払っているようには見えないので、(人が加工したデータを見る時はいつもそうだけれども)大体のグラフはまずは本当かなぁと思いながら見るのがよいと思うけれども、これだけいろんなデータを見てコンスタントにグラフを作るだけでもすごいなぁと思う。<br />
<br />
今回は、教育関連の公的支出の対GDP比率をOECDの国で比較してみたというグラフが流れてきた。「教育に金を使わない国。ここ数年、ずっと最下位だ。」というコメントがついているので、多分、もっと金を使うべきだと思っているのだろう。おそらくは年金を除くと、大体において日本は政府のサイズが他国に比べて小さいのだけれども、いつも最下位というのは面白いので、そのデータの背景を知るべくほかのデータも見てみた。彼のデータソースはOECDのEducation at a Glanceというもので、教育関係の様々なデータを、OECD諸国間で比較したというものである。OECDのデータは使いやすい形で簡単にダウンロードできるので、とても有益である。とはいえ、データの作り方等、各国でいろいろな違いがあるので、あまり真剣に見てよいデータではないような気がするが、まぁ、比較の第一歩としては悪くないだろう。<br />
<br />
まずは、舞田さんが作ったグラフを再現してみたのが以下のものである。教育関連の公的支出をGDPで割った比率(パーセンテージ)を、高い国から順に並べてある。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-0_-C3vs38yY/W5nn27iCHII/AAAAAAAAA9c/gD-5KPixPUQmfp5JNHTH21DcYvCuVu02gCLcBGAs/s1600/Figure-1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="659" data-original-width="769" height="548" src="https://4.bp.blogspot.com/-0_-C3vs38yY/W5nn27iCHII/AAAAAAAAA9c/gD-5KPixPUQmfp5JNHTH21DcYvCuVu02gCLcBGAs/s640/Figure-1.jpg" width="640" /></a></div>
トップのノルウェーは6.3%、OECD平均は4.2%、日本は断トツで最下位の2.9%である。確かに低い。<br />
<br />
まず考えたのは、これは、日本は教育関連の私的支出が多いのかなということである。というわけで、私的支出も含めた、教育関連支出の総額のGDP比のグラフを作ってみた。わかりやすいように、国の順番は最初のグラフと同じにしておく。日本は常に一番下、ノルウェーがいつも一番上である。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-6Z9WdIEai6A/W5nou059vxI/AAAAAAAAA9o/6uzu2y5XbyUM2RjlgSuqnHIXuDGbPvKbgCLcBGAs/s1600/Figure-2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="578" data-original-width="669" height="552" src="https://4.bp.blogspot.com/-6Z9WdIEai6A/W5nou059vxI/AAAAAAAAA9o/6uzu2y5XbyUM2RjlgSuqnHIXuDGbPvKbgCLcBGAs/s640/Figure-2.jpg" width="640" /></a></div>
まぁ、やっぱり、公的支出のGDP比が高い国の比率が高い傾向にあるが、日本は断トツで最下位というわけではない。依然トップはノルウェーで6.4%。ノルウェーは教育関連はほぼすべて税金で賄っているということである。OECD平均は5%、日本は4.1%である。まだまだ低いが、例えば、イタリア(3.9%)より高く、ドイツ(4.2%)並みである。つまり、日本は、他国に比べて私的教育支出の割合が高いようだ。<br />
<br />
これは、必ずしも悪いことではない。ある分野に政府が出すお金が少ないというのは、子育てとか、貧困とか、自分が重要だと思う分野に金をもっと出せとばかり主張する人からよく聞かれる文句だけれども、そのことは、税率が低いことの裏返しである。もちろん、税に累進性が高ければ、収入は少ないけれども大学に行きたい人に補助金を回すことと同じになるので、再配分、あるいは能力はあるけどお金がないから大学に行けない人を支援するという意味では恩恵があるけれども、それは、必ずしも、総額のGDP比の高低と一対一で対応しているわけではない。自分でお金を出すことで、インセンティブにはよい効果が生じているという面もある。<br />
<br />
というわけで、税の総額を比較してみよう。下のグラフは、税収入をGDPで割ったものである。税収入には年金の貢献額も含まれているが、とりあえず取り除かなかった。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-msJNAWa48y8/W5nqfidHiQI/AAAAAAAAA98/J-1TmgD982U32OHQY4wuiZabkpVY8wBpACLcBGAs/s1600/Figure-3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="577" data-original-width="671" height="550" src="https://1.bp.blogspot.com/-msJNAWa48y8/W5nqfidHiQI/AAAAAAAAA98/J-1TmgD982U32OHQY4wuiZabkpVY8wBpACLcBGAs/s640/Figure-3.jpg" width="640" /></a></div>
年金などの社会保障制度が弱い中所得国(例えばメキシコ)では低い傾向にあるが、日本はOECD平均(34%)よりちょっと低い31%である。例えば、消費税率を5パーセントくらい上げる(今の8%から13%にする)と、OECD平均に達する(消費はGDPの2/3くらいなので)。また、ノルウェーの公的教育関連支出がGDPの6.3%、日本は2.9%なので、差は3.4%。よって、消費税率を5パーセント上げると、だいたい、OECD最高の公的教育関連支出のGDP比率を達成することができる。10%まではいずれ上がることになっているので、もうちょっと上げて15%にするだけだ。日本の政府の教育支出があまりに少ないという人は消費税率15%を提案してみてはいかがだろうか。<br />
<br />
あと、考えたことは、教育のコストってのは、大体どの国でも同じようなものだとすると、(一人当たり)GDPが高い日本のような国は公的教育関連支出のGDP比率は低めに出るんじゃないかということである。経済学の大学教員なんてのは世界のどこでも仕事は見つかるので、クオリティを一定とすると給料はどこで働こうが同じようなものになりうる。それに、日本の教育関連支出の総額が少ないのは子どもが少ないからではないか、とも思った。というわけで、学生一人当たりの支出額を見てみたのが以下のグラフである。もし、今書いた仮説が正しいなら、この数字は日本と他のOECD諸国で大体同じようなものなるはずだけれども...OECDのデータでは小学校から高校まで(primary and secondary education)と大学(tertiary education)で分かれているので、大学のデータだけ示す。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-2CX3nwoF7FE/W5ntaM9PBCI/AAAAAAAAA-Q/73isVHH-U5sr07ck7lxyCt8i1dUeg-NnwCLcBGAs/s1600/Figure-4.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="574" data-original-width="670" height="548" src="https://2.bp.blogspot.com/-2CX3nwoF7FE/W5ntaM9PBCI/AAAAAAAAA-Q/73isVHH-U5sr07ck7lxyCt8i1dUeg-NnwCLcBGAs/s640/Figure-4.jpg" width="640" /></a></div>
日本は少ない方であった。ルクセンブルグが何でこうなっているのかはよくわからない。舞田さんが示唆しているように、日本の大学は、学生一人当たりにかけているお金が少ないようだ。<br />
<br />
では、教師の給料はどうだろうか?OECDのデータには、中学校(lower secondary education)の先生の最初の賃金のデータが含まれていたので、それを表したのが以下のグラフである。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-IvhkyRSjo80/W5nuTNZvxtI/AAAAAAAAA-c/l77W6Vao8es_V1Kc6gqZKZ8dRNsVF1yQACLcBGAs/s1600/Figure-5.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="574" data-original-width="667" height="550" src="https://1.bp.blogspot.com/-IvhkyRSjo80/W5nuTNZvxtI/AAAAAAAAA-c/l77W6Vao8es_V1Kc6gqZKZ8dRNsVF1yQACLcBGAs/s640/Figure-5.jpg" width="640" /></a></div>
日本の中学校の新任の先生の給料は年間30631ドル(340万円)ということだが、この数字がどのくらいあてになるのは感覚がないのでよくわからない。OECD平均は33260ドルなので、OECD平均より10%くらい低い感じであるが、極端に高いスイスやルクセンブルグのような国がある影響もあるので、OECDの多くの国に比べて極端に低いわけではない。日本の数字は、イタリア、韓国、フランス、と同程度である。<br />
<br />
結局何が言いたいというわけではなのだけれども、いくつか個人的に重要だと思うポイントを挙げると:<br />
<ol>
<li>日本は教育関連支出の公的支出のGDP比は低いが、高めの私的支出が補っている。</li>
<li>私的支出と公的支出を合計しても、教育関連支出のGDP比はOECD平均より低い。</li>
<li>消費税率をあと5%(10%→15%)上げれば、OECDトップの公的な教育関連支出水準に追いつく。</li>
</ol>
unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-67714054935343602002018-08-29T17:04:00.003-04:002018-08-29T17:04:42.304-04:00Alan Krueger at Jackson Hole毎年8月の最終週に、FRBの幹部連中(および世界中の中銀のトップ)がジャクソンホールという、ワイオミングの小さな町に集まる。ここは、普通は、登山・ハイキングや(西部スタイルの)乗馬やスキーが楽しいところで、交通の便もとても悪い(多くの都市から直行便がない)ところなんだけれども、夏の終わりにFRBのトップがジャクソンホールに集まって金融政策について、いろいろなスピーカーを呼んで、オープンに議論をするというのが習慣となっている。主催するのはカンサスシティ連銀で、カンサスシティ連銀は毎年ジャクソンホールの前は準備で大変みたいだ。<br />
<br />
今年のテーマは、企業の独占の度合いが高まっていることが最近話題になっているが、そのようにマーケットストラクチャーが変化している中で、金融政策はどのように適応していくべきかというものだった。今年の全体のアジェンダは<a href="https://www.kansascityfed.org/publications/research/escp/symposiums/escp-2018">ここ</a>にある。この中で、アラン・クルーガーのスピーチが良くまとまっていたので簡単に紹介しておきたい。日本も同じ問題に直面しているが、日本の状況について考える際にもとても参考になると思う。<br />
<br />
クルーガーは、まず、経済学者はマーケットが競争的である(賃金は生産性と一致するところで決まる)と考えがちだけど、多くのマーケットは実際には競争的ではないと議論する。面白い例として、彼が財務省で働いていたときに、世界のトップのファイナンスの学者達が、LIBORや為替市場に対して誰かが大きな影響力を持ちうることについて懐疑的だったという話を挙げている。その一方、アダム・スミスは国富論において、雇用者は常に賃金を生産性を下回る水準に引きとめようとするものであり、そのことを否定する人は世の中について全然わかっていないと書いていたことを引用している。<br />
<br />
経済学において、賃金が競争的に決まらない代表的なフレームワークとしては、(1) ジョーン・ロビンソンに始まる、需要独占(あるいは寡占)のフレームワークと、(2) バーデット・モーテンセン・ピサリデス・ダイアモンドが発展させたサーチモデルのフレームワークがあり、彼のスピーチの背景にあるのはこのようなフレームワークであると述べた上で、近年、失業率はとても低い水準にあるのに、賃金上昇率(インフレ率)は加速しない理由として、以下の6つをあげている。<br />
<br />
1.労働市場がタイトになってきた場合、賃金が低いレベルにある労働者の賃金から上がり始めるが普通であるが、同時に、賃金の不平等が拡大しつつあり、低賃金労働者の労働市場が悪化しつつ(後で述べる)ある中では、賃金の上昇プレッシャーが打ち消されている。Katz-Kruegerの研究によると、これらのを考慮に入れた自然失業率は1970年の6.8%から1990年代には5.4%に低下し、2000年代には更に低下したという研究もある。<br />
<br />
2.現在の賃金上昇率は賃金フィリップスカーブから得られる賃金上昇率よりも1-1.5pp(パーセンテージポイント)低い。高齢化の進展が0.2-0.3pp引き下げているであろう。生産性の停滞が1pp程度説明できる可能性はあるが、昨年は生産性は回復していた。データではうまく計測されていない労働市場のスラック(緩み)もそのギャップの一部を説明できるかもしれないが、労働者の退職率は不況前の水準まで回復しており、スラックがうまく計測されていないとは考えにくい。<br />
<br />
3.各セクターにおいて主要な企業の市場占有率が高まって、それらのトップ企業の重要独占の度合いが高まっているというエビデンスが蓄積されてきている。更に、市場の独占が進んでいるセクターでは賃金上昇率も低めであるり、その相関関係は高まりつつあるというという結果もある。有名なのは各地域の看護師の賃金上昇率と病院の市場独占度合いの相関についての研究である。また、労働強供給の弾力性と賃金の上昇率の相関も発見されている。<br />
<br />
4.大きな企業による労働市場の需要独占というのは常に存在していたと思われるが、それに対抗する制度が最近弱まってきている。2つ例を挙げると、(1) 労働組合の組織率・交渉力の低下、(2) 最低賃金の(実質)レベルの低下があげられる。<br />
<br />
5.近年アメリカにおいては、企業の需要独占力を高める制度が広まっている。その例を5つ挙げると:(1) 短期(非正規)雇用制度の充実で労働者の交渉力が弱まっている、(2) non-compete制約(競合する企業に移れない契約)の広まり(サンドウィッチ屋の従業員にもnon-compete制約は存在する)、(3) 多くの職種で政府によるライセンスが必要になってきていること、(4) Ashenfelter-Kruegerの研究によると、58%のフランチャイズ制の企業において、他のフランチャイズからの従業員の引き抜きの禁止(no-poaching)規定がある。この数字は1996年には36%だったが上昇しつつある。この問題は特にファーストフードで多い。(5) フランチャイズでなくても、競合企業が談合して、お互いに従業員の引き抜きを避けるような慣習がある。最近までは、毎年、AEAにおいて、トップの大学は新任の助教授の給料やコースロード(何コマ教えるか)について合意をしていた!<br />
<br />
これらの制度は、企業の独占力が高まっていると実施しやすいこと、明示的でなくても実施することができること、大不況時に失業を経験して従業員が失業を恐れている時には、労働組合も強気の交渉がしづらいこと、を指摘しておく。その一方、このような制度は、労働市場がタイトになると、維持しづらくなってくる。最近このような制度が問題になってきているのは、労働市場がタイトになってきていることと無関係ではないかもしれない。<br />
<br />
6.企業の需要独占力が高まって、賃金の上昇率が抑えられても、雇用者数に大きな影響を与えるとは限らない。つまり、労働供給の弾力性は低く見えるかもしれない<br />
<br />
では、労働市場におけるこのような展開に対して、金融政策はどのように対応すればよいだろうか?企業の需要独占力の行使に対する有効な政策は、反トラスト法の行使であり、政府の仕事である。金融政策当局にできることとしては次のことを考慮に入れることかもしれない:(1) このような需要独占力の行使を外生的なショックととらえられる(具体的には自然失業率の低下のショック)、(2) 労働供給の弾力性は低いかもしれない、(3) 労働市場がタイトになることによって、ここで挙げたような需要独占力の行使が有効でなくなってくるかもしれない。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-39415202227480275192018-08-26T18:29:00.000-04:002018-08-26T18:29:12.575-04:00NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (4)引き続き、NBER Summer InstituteのMicro Data and Macro Modelsで発表されたペーパーのメモ。最後は最終日のペーパー。ほかのセッションも出たが、今回で、NBER Summer Instituteのペーパーについて書くのは終わりになるような気がする。そして余力があれば通常営業に戻る予定である。<br />
<br />
Corbae and Glover, "Employer Credit Checks: Poverty Traps versus Matching Efficiency"<br />
アメリカでは、雇用しようか考えている人のクレジットヒストリー(破産したかとか、債務をきちんと返済しているかとかがわかる)をチェックすることが普通に行われている。彼らのペーパーによると、ある人事部の人へのインタビューによると60%の会社でクレジットヒストリーをチェックして採用するか否かを決める材料に使っていた。もし、patientな(将来のことを重視する)労働者とpatientでない労働者がいるとすると、前者の方がクレジットヒストリーはよく、彼らの方が長い目で自分への投資などを行うので、好ましい人材となりうる。ただ、この場合、patientでない労働者は職が見つかりづらくなり、その結果、借金の返済に困ったりして、クレジットヒストリーが下がって、さらに職が見つかりにくくなるという負のスパイラルに陥る状況を生み出してしまう。このような状況を避けるには雇用の決定をする際にクレジットヒストリーを参照するのを禁止すればよいということもできるが、この場合、企業は欲しい人材が採用できなくなるし、クレジットヒストリーが悪くても雇用に影響がないということで期限通りに借金の返済などをするインセンティブが損なわれてしまう。このような複雑な状況を一般均衡モデルで分析した論文である。<br />
<br />
Braxton, Herkenhoff, and Phillips, "Can the Unemployed Borrow? Implications for Public Insurance"<br />
行政データ(administrative data)から得られる所得のデータとクレジット関連のデータを組み合わせることで、職を失った人がどのようにクレジットカードなどのクレジットを使っているかをみてみた。すると、職を失った人はクレジットカードでお金を借りることができるし、実際借りていること、および、借り入れしすぎている人は破産することで借金の返済に苦しまずに済んでいることが分かった。(注:理論的には、失業したら破産の可能性が高まるので、クレジットカード会社は借入をできないようにしたくなるはずだけれども、アメリカの場合、クレジットカード保有者の所得のデータは頻繁には得られない(特に失業した人が自発的に所得を報告したりはしない)ので、失業した人もそれ以前に取得したクレジットカードを使い続けることができるということだろう)つまり、クレジットカードは、失業保険のように使えるということである。このことは、クレジットカードが盛んに使われている状況では、最適な失業保険のレベルは低い(クレジットカードが代替してくれるから)ことを示唆している。著者らは、クレジットカードと失業のリスクのあるモデルを構築して、最適な失業保険の金額を計算し、現在のアメリカの水準(彼らによると45%)より低い35%であることがわかった。<br />
<br />
どちらのペーパーも個人の異質性のあるマクロモデルの最先端のモデルである。<br />
<br />
Argente, Lee, and Moreira, "How Do Firms Grow? The Life-Cycle of Products Matters"<br />
最初に書いておくと、このペーパー、無茶苦茶面白かった。全然知らない分野なんだけど、聞いているだけでわくわくした。ペーパーにはモデルもあった気がするが、モデルはどうでもよくて、データが面白かったので、いくつかデータについて書いておく。<br />
<br />
彼らのデータは、2006-2015年の間、全米40,000の小売店で、それぞれの商品のバーコードを使って、何がいくつ売れたかを詳細に記録したものである。さらに、それぞれの商品がどの企業に属しているかもわかる(商品と企業をマッチしている)ので、それぞれの企業がどのような商品に頼っているか、商品の売れ行きは時間とともにどのように変わっていくか、企業は商品をどのように入れ替えていくか、などがわかるというものである。<br />
<br />
彼らによると、彼らのサンプルに含まれる企業の売り上げは毎年6%づつ伸びているが、売り上げの増加は新製品によるもの(毎年11%の伸び)である。新製品は、導入された年に売り上げを伸ばすが、その後は、売り上げは普通はコンスタントに落ちていく(既存の製品の売り上げの年平均下落率は6%)からである。<br />
<br />
彼らの推定によると、製品の平均的なライフサイクルは以下のようなものである。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-qSDu5STtbv4/W4Mj4lfh8SI/AAAAAAAAA8s/pRdO89yRFl4eFxLd_jAYRv5-f-KoErPeQCLcBGAs/s1600/Fig-1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="378" data-original-width="487" height="496" src="https://2.bp.blogspot.com/-qSDu5STtbv4/W4Mj4lfh8SI/AAAAAAAAA8s/pRdO89yRFl4eFxLd_jAYRv5-f-KoErPeQCLcBGAs/s640/Fig-1.jpg" width="640" /></a></div>
売り上げは最初の4年間くらいは増加し、そのあとでは落ちてゆく。但し、このグラフは、売り上げが小さかった商品は早く消えてゆくので、その分ライフサイクルが押し上げられるという影響(composition bias)が入っている。それをコントロールするために、何年売られていたかわかっている商品だけ見て、それぞれの商品を別々に見てみたのが以下のグラフである。<a href="https://3.bp.blogspot.com/-ck7dgoSBLRQ/W4MjBd-M66I/AAAAAAAAA8g/KC6H-SdicxURqBa_q-GCDUtNz_QfvaHaACLcBGAs/s1600/Fig-2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="362" data-original-width="503" height="460" src="https://3.bp.blogspot.com/-ck7dgoSBLRQ/W4MjBd-M66I/AAAAAAAAA8g/KC6H-SdicxURqBa_q-GCDUtNz_QfvaHaACLcBGAs/s640/Fig-2.jpg" width="640" /></a><br />
それぞれの線は、その製品が何年売られてたかを示している。どの製品も新製品として導入された後は、売り上げは落ちてゆく。もちろん、息が長かった製品(彼らのデータでは最長は16年)は当初から売り上げが大きい。最初のグラフの当初4年間の上昇は数年しか売られなかった商品がなくなって売り上げの平均が押し上げられたからだとわかる。<br />
<br />
では、売り上げを、価格と数量に分解してみると、以下のようになる。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-RqmQZPq9gdY/W4MlQkoAT_I/AAAAAAAAA9A/H2zyyOV9PD4Rkpttrdzl_I4eDk4X2kW6gCLcBGAs/s1600/Fig-3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="329" data-original-width="450" height="466" src="https://4.bp.blogspot.com/-RqmQZPq9gdY/W4MlQkoAT_I/AAAAAAAAA9A/H2zyyOV9PD4Rkpttrdzl_I4eDk4X2kW6gCLcBGAs/s640/Fig-3.jpg" width="640" /></a></div>
製品のライフサイクルとしては、価格はあまり動かない一方、数量が大きく変わっていく。もちろん、上で上げたようなバイアスが含まれていることは注意してほしい。<br />
<br />
次のグラフは、企業が売る商品の数が、企業の年齢とともにどのように変化してゆくかを示している。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-foIHdOik7tw/W4Ml1OvmdVI/AAAAAAAAA9I/0Hl8S4yUp90X2eZ5gvHGypFDjl3nr8WpQCLcBGAs/s1600/Fig-4.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="329" data-original-width="491" height="428" src="https://1.bp.blogspot.com/-foIHdOik7tw/W4Ml1OvmdVI/AAAAAAAAA9I/0Hl8S4yUp90X2eZ5gvHGypFDjl3nr8WpQCLcBGAs/s640/Fig-4.jpg" width="640" /></a></div>
予想通り、新しい企業は売っている商品の数も少ないが、企業が年を取るにつれて、打つ商品の数は増えていく。<br />
<br />
とりあえずこれくらいにしておくが、とにかく色々なグラフを見ているだけで色々なことを自然と考えてしまう楽しいプレゼンだった。<br />
<br />
Krueger and Uhlig, "Neoclassical Growth with Long-Term One-Sided Commitment Contracts"<br />
最後は打って変わって理論系の論文である。いわゆるAiyagariモデルなどは、消費者が締結できる契約を(著しく)制限しているというのが、昔は大きく問題にされてきた。モデルの中の消費者は、所得が高い人が低い人に所得を移転する保険契約(アロー証券でもいい)を取引したいはずなのに、Aiyagariモデルの中では、個々人の直面するショックの結果に依存しない、一定の利子率の債券しか取引できないからである。1990年代には、このようなAiyagariモデルの仮定にミクロ的基礎(micro foundation)を与える研究が流行していたが、最近は、あまり見られなくなった。このペーパーは、最近見られなくなった、そのような流れの論文である。彼らのモデルでは、保険会社が個々の消費者の所得のショックに応じて支払い額が変わる(所得が低かった消費者は高い金額を受け取って所得が高かった消費者は低い金額を受け取る)保険契約を売るんだけれども、消費者の方は後で保険契約から抜けることができる(つまり保険会社の側しか契約にコミットできない)モデルを構築した。この状況では、保険会社も、所得が高かった消費者が保険から抜けてしまうことも考慮して、完全に所得の変動を抑える(保険金支払額の変化で相殺する)契約を売ることができないので、完備契約とはならない(消費は個人のショックに応じて変動する)。つまり、Aiyagariモデルと同じような特徴が導き出せる。このようなモデルは大体複雑になって、いろいろな要素を加えることができないんだけれども、ある仮定の下では、モデルの解が解析的に得られるのが売りである。ただ、このような不完全な保険契約なんて実際に売ってないじゃないか、という質問が出て、皆同意しているように見えたのは感慨深かった。1990年代だったら、逆に、Aiyagariモデルを使うと、外生的にどのような資産が取引されるか仮定してよいのか、という質問がしょっちゅう出たからである。時代の変化を感じさせた。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-6962757420576189482018-08-17T15:52:00.001-04:002018-08-17T15:52:46.915-04:00NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (3)引き続き、NBER Summer InstituteのMicro Data and Macro Modelsで発表されたペーパーのメモ。今回は3日目。<br />
<br />
Boerma and Karabarbounis, "Inferring Inequality with Home Production"<br />
所得の不平等が注目を集めているが、不平等を考えるに当たっては所得だけ見ればいいというものではない。(著者らの例ではないが)、2人いる経済で、1人は会社で働いて給料をもらって、もう1人は農業を営んで自給自足の生活をしているとすると、(データで把握される)「所得」だけ考えると後者は所得ゼロなので、不平等が大きい用に見えるが、消費(あるいは幸福度)は前者も後者も同じかもしれない。著者らは、所得で把握されない、家計内生産(home production)も考慮すると不平等の度合いどのように異なってくるかを計算した。使ったデータは、CEX(家計レベルの消費を細かく記録したマイクロデータセット)とATUS(American Time Use Survey、家計レベルでどのように時間を使っているかを詳細に追ったマイクロデータセット)の組み合わせ。著者らの分析によると、所得の高い家計のほうがより多くの時間を家計内生産に費やして消費しているので、不平等の度合いは更に大きくなるとのこと。予想される結果は、所得が低ければその分家計内生産生産でカバーしてるように考えるのが自然なので、家計内生産も含むと不平等の度合いは小さくなるのではと考えられるがその逆の結果となっている。但し、細かくは見ていないけれども、何を家計内生産に含めるかに大きく寄るようだ、というのが議論を聞いたうえでの印象。所得が高くて、より多くの時間を子供に割くことができれば、子供との時間は家計内生産に含まれるので、家計内生産の不平等は大きく出るというのが強く出ているようだ。<br />
<br />
Eisfeldt, Falato, and Zhang, "The Rise of Human Capitalists"<br />
著者らは労働の対価として賃金ではなくて、会社の株やストックオプションを受け取る労働者を「人的資本家」と定義して、人的資本家がアメリカの経済に占める割合が近年高まってきていることを指摘。所得面のGDPの内訳を見たときに、労働者が受け取る賃金のシェア、および、資本が受け取るレンタル料のシェアが低下してきていることは最近注目を浴びている(例えば最近<a href="http://unrepresentativeagent.blogspot.com/2018/08/nber-summer-institute-efg-meeting.html">このポスト</a>や<a href="http://unrepresentativeagent.blogspot.com/2018/03/are-us-mark-ups-really-increasing.html">このポスト</a>でも触れた)が、その少なくとも一部は、(主にスキルの高い)労働者が賃金という形ではなくて会社の株やストックオプションという形で報酬を受け取る傾向が高まっているからだと主張している。<br />
<br />
Caucutt, Gunner, and Rauh, "Is Marriage for White People? Incarceration, Unemployment, and the Racial Marriage Divide"<br />
25-54歳の白人女性で結婚したことのある(あるいは同棲している)人の割合は1970年には94%であったのが2013年には79%まで低下した一方、黒人女性で結婚した異なるひとの割合は89%から51%まで大幅に下落した。この違いは(何らかの理由で、黒人女性は黒人男性を好み、白人女性は白人男性を好むという仮定が重要だが)、黒人男性で刑務所に入っている人の割合が高まったこと、および職がない人の割合が高いことで説明できることを示した。<br />
<br />
Bloom, Guvenen, Pistaferri, Salgado,-Ibanez, Sabelhaus, Song, "The Great Micro Moderation"<br />
マクロ経済学の最近のビッグデータの流行を牽引するオールスターによる論文。アメリカ(及び他の国)における過去数十年の労働者間の賃金の不平等の拡大が、例えば院卒・大卒の平均給料の伸び率が高卒(あるいは高卒以下)の平均給料の伸び率を大幅に上回っていたことによる(あるいは他の、労働者間の目に見える違いで説明できる)ものなのか、あるいはここの労働者が直面するリスク(所得の不安定性)が拡大したからなのかについては、おそらくは両方とも拡大したというのが一般的に受け止められている結論だと思う。但し、これまでの分析は、誰でも利用できるが、把握されている労働者の数は比較的小さいデータセットを用いてなされてきた。この論文では、社会保障局(Social Security Administration)が持っている詳細な所得データを用いて、同じ分析を行ってみた。主要な発見は以下の4つである。(1) 性別・生まれ年・年齢が同じ労働者の間の賃金の成長率の分散(賃金の不安定性と解釈できる)は1980年から2013年の間、大きく低下した。(2) この低下は、企業間の、雇用変化率及び平均賃金上昇率の分散の低下と同時に起きている。(3) 労働者の賃金の成長率の分散の低下は、転職する労働者の割合の低下で説明できる(彼らのデータセットは個々の労働者が毎年どこで働いていたかを追うことができるすごいものなのだ)。その一方、転職した労働者、あるいは、転職しなかった労働者の賃金上昇率の分散はあまり変化していない。(4) 労働者の賃金の上昇率の分散の低下は、企業の雇用変化率の分散の低下で「説明」できる。またしても、既存の結果に対して、違うように見える結果を突きつけた論文である。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-85762651361694674362018-08-13T17:45:00.001-04:002018-08-13T17:45:29.717-04:00NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (2)前回に引き続いて、NBER Summer InstituteのMicro Data and Macro Modelsで発表されたペーパーのついてのメモ。今回は2日目。<br />
<br />
Fagereng, Holm, Moll, and Natvik, "Saving Behavior across the Wealth Distribution: Evidence from Norway"<br />
ペーパーやスライドが公開されていないので詳細は覚えていないのだけれども、ノルウェーの1993-2015年の個人の資産と所得のパネルデータを使って、資産の異なる人の貯蓄パターンがどのように異なるかを見てみた論文。横軸に総資産、縦軸に貯蓄率をとると、スゥッシュ型(ナイキのロゴの形)をしているらしい。つまり、資産が最低レベルから増えていくと、貯蓄率は少し低下するが、資産がプラスになるあたりからは貯蓄率は増えている。でも、これは、資産(主に住宅)の価値が上がっているからそう見えるだけであって、資産価格をコントロールすると、資産がゼロより上の人の貯蓄率はフラットで、シンプルなモデルと整合的。多分、ノルウェーのデータの価値で押しまくるペーパーなのだろう。<br />
<br />
Bach, Calvet, and Sodini, "From Saving Comes Having? Disentangling the Impact of Saving on Wealth Inequality"<br />
こちらは、スウェーデンの個人の所得と資産のパネルデータのお披露目のような論文だった。同じように、貯蓄率が資産に応じてどのように異なっているかを見ており、確か、上のペーパーと同じように、ある資産レベルを超えるとフラットな貯蓄率(なので理論と整合的)だという結果だったと思う。<br />
<br />
上の2つのペーパーで印象的なのは、良質なマイクロデータを提供できる国であれば、その国のデータを使った研究がさかんになるということである。北欧諸国の消費や資産(個人・家計レベルの詳細なパネルデータがある)あるいは労働市場(企業と労働者がマッチされたデータがある)に関する研究が盛り上がっているように見えるのはこのおかげだろう。日本も良質のデータを提供できればよかったのに。良質のマイクロデータがあることで研究が進むという流れからは出遅れた感がある。<br />
<br />
Guren, McKay, Nakamura, and Steinsson, "Housing Wealth Effects: The Long View"<br />
アメリカの1975-2017年の都市レベル(380の都市)の住宅価格およびリテール産業の雇用者数のデータを使って、住宅価格の資産効果が最近と過去で異なっていたか、そして、資産効果は住宅価格が上がったときと下がったときで異なっているか(非対称性)を検証した論文。背景としては、アメリカの大不況期において、消費が大きく停滞したのは、住宅価格の下落による負の資産効果が大きかったからだといわれていること、および、住宅を担保にした借り入れが2000年以降特に増加したから大不況期における負の資産効果が大きかったのではないかといわれていることが挙げられる。この大きな負の資産効果は大不況期の住宅価格の大きな下落だけに当てはまるものか、それとももっと一般的なものかを調べてみたといえる。結果としては、資産効果の度合いは2000年より前と後で特に異なってはいない、それに、資産効果の非対称性はみられない、というものであった。彼らによると、住宅価格が1ドル上がったときに消費の増加は3.3セント。<br />
<br />
Fuster, Kaplan, and Zafar, "What Would You Do with $500? Spending Responses to Gains, Losses, News, and Loans"<br />
NY連銀は、2013年以降、消費者期待調査(Survey of Consumer Expectations)という調査を実施している。全米を代表する1300の家計に、毎月、今後1年のインフレ率、賃金上昇率、所得上昇率を質問している。このペーパーでは、この調査に特別な質問を加えてもらい、架空のシナリオで500ドル(500ドルがベンチマークだけどあるいはそれより大きな金額についても聞いている)を急に得たり失ったりしたときに、消費者がどのように消費・貯蓄パターンを変えるかを調べた。結果は以下の通り。(1) 500ドルを急に得たときの消費の反応は人によって大きく異なる、(2) 500ドルを急に失ったときの反応も人によって大きく異なるが、500ドルを得たときの反応より大きい。(3) 将来500ドルをもらえると聞いたときの反応は小さい。(4) 1年間無利子のローンを与えられても反応は小さい。(5) その一方、将来500ドルを失うと聞いたときは消費を切り下げる(つまり、将来のことを何も考えていない=myopiaわけではない)。<br />
<br />
最後のペーパーが象徴的なんだけれども、良質のマイクロデータにアクセスできる人、データを作れるコネやリソースのある人に大きなアドバンテージがあるのだなぁという感じである。<br />
<br />unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-54367445947522964732018-08-12T21:56:00.000-04:002018-08-12T21:56:20.798-04:00NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (1)前回に引き続いて、NBER Summer Instituteで見たペーパーのメモ。今回は、Hurst, Kaplan, Violanteによる新しいグループ"Micro Data and Macro Models"の初日のペーパーについてのメモ。<br />
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Ottonello and Winberry, "Financial Heterogeneity and the Investment Channel of Monetary Policy"<br />
最近は、金融政策の効果を、どのような家計にどのような影響があるかをデータで見て、それをもとに異質性の入ったモデルをつくることが行われてきているが、その企業バージョン。自然に思いつく次のステップといえる。アメリカの公開企業のデータ(Compustat)を使って、どのような企業が金融政策に反応して投資を増やしたり減らしたりするかを見てみたところ、借り入れ額が小さくて(レベレッジが効いていなくて)、格付けが高い企業の投資の反応の方が大きかった。借り入れが大きくて格付けが低い企業の方が、金融政策の効果で借り入れ制約が引き締まったりゆるんだりして投資額を大きく変化させると考えることもできるので、ある意味驚くべき結果といえる。この結果をもとに、企業の異質性のあるNK-DSGEモデルを作って、彼らのデータと整合的になる(カリブレーションの仕方によるのかな)ことを示した。金融政策の効果は、企業の格付けや借入度合いの分布によって異なってくるというインプリケーションは面白い。<br />
<br />
Bahaj, Foulis, Pinter, and Surico, "The Employment Effects of Monetary Policy: Macro-Evidence from Firm-Level Data"<br />
発表は見逃してしまったので、1月のAEAのスライドを見てみた。上のペーパーと同じように、金融政策の影響が異なる企業に対してどのように異なっているかを、イギリスのデータを見て分析している。また、投資ではなく、それぞれの企業の雇用がどのように金融政策によって影響を受けるかを見ている。金利の引き上げに対して、総雇用者数は当然マイナスに反応するが、若い企業(設立から10年以内)、小さい企業(雇用者数1000人未満)、格付けの低い企業の方がマイナスの影響は大きく、そういう企業の方が金利引き上げで借入制約がよりタイトになって舞いますの影響が大きくなるというチャンネルと整合的上のペーパーと反対に見える結論なので面白かったと皆が言っていた。アメリカとイギリスの違い、Compustatのカバレッジの狭さ、投資と雇用の違い、分析手法の違い、など、いろいろ結果が異なる理由となりうるものはあるが、今後の展開に期待である。<br />
<br />
Dupor, Karabarbounis, Kudlyak, and Mehkari, "Regional Consumption Responses and the Aggregate Fiscal Multiplier"<br />
アメリカの大不況の時に実施された大規模な財政拡張政策であるアメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act)のもとで配分された金額が各州で異なることを利用して、州レベルで財政支出を1ドル増やしたときに民間支出がどの程度増えるか(財政乗数の消費バージョンである)を計算したところ$0.18であった。この結果を国全体の乗数に変換するため、州の違いを取り入れたDSGEモデルを作って国レベルの財政消費乗数を計算したところ$0.4であった。つまり、州レベルの(消費)乗数よりも国レベルの乗数は大きかった。これは、州の間の貿易が活発化するからである。<br />
<br />
Auclert, Rognile, and Straub, "The Intertemporal Keynesian Cross"<br />
ケインジアンモデルの乗数効果のようなものを、一般的なDSGEモデルの中で再解釈しているといえばいいのかな。よくわからなかった。誰か教えてほしい。例えば金融政策の効果は、静学的なモデルで考えれば、MPC(限界消費性向)が高ければ高いほど大きいと考えられるが、動学的なモデルを考えると、金融政策の「総」効果は、毎期毎期の消費の反応の合計(intertemporal MPC)で測ることができる。これが大きければ大きいほど、昔のケインズ経済学の乗数効果のように、静学的なMPCは一定でも、金融政策の効果は大きくなると言える。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-88346714586710136472018-08-06T18:42:00.000-04:002018-08-06T18:42:36.769-04:00NBER Summer Institute: EFG Meeting今回は、NBER Summer Instituteのマクロの目玉であるEFG (Economic Fluctuations and Growth)グループで発表された6つのペーパーについて簡単にメモしておく。<br />
<br />
Fogli and Guerrieri, "The End of the American Dream? Inequality and Segregation in U.S. Cities"<br />
アメリカでは、過去40年間、所得の不平等の度合いが高まるとともに、所得による隔離(segregation, 所得の高い人・あるいは低い人が同じところに住む)の度合いが高まっていることを示した後、この両方の現象を、ピア効果(能力の高い子供がまわりにいると自分の能力も高くなる)でどの位説明できるかを調べた。大卒による所得のプレミアムが何らかの理由で高まると、それで所得の増えた親が他の能力の高い子供が住むエリアに引っ越してピア効果で自分の子供の能力も高めようとする。そのような親が集まるエリアは地価が高騰し、所得の比較的低い親は締め出されることとなる。その子供たちが親になると、その効果は雪だるま式に強まっていく。<br />
<br />
Gopinath and Stein, "Banking, Trade, and the Making of a Dominant Currency"<br />
米ドルは、国際貿易の決済において最も使われる貨幣であり、金融機関も大量のドルを保有している。例えば、輸出国も輸入国もドルを使っているわけでもない(からドルを保有すると為替リスクを負う)のに決済通貨としてドルが使われているケースは多く存在する。これはなぜかを説明しようとするペーパー。筆者らが提案するチャンネルは次のようなものである。ドル資産の金利が下がったとすると、借り入れを行って生産を行い、輸出している企業は、ドル建てで輸出を行うことで代金を受け取るまでの金利コストを抑えることができる。輸出企業がドルでの決済を好む状況になると、輸出企業に貸し出しする銀行も(負債と資産の貨幣をマッチさせるべく)ドルの安全資産を持つインセンティブが高まる。そのような銀行の行動がドル資産の金利を引き下げ、ループが完結することになる。<br />
<br />
Perriが討論者だったのだけれども、本当に重要な要素だけを残した彼らのモデルのシンプルなバージョンを作り、彼らの結果がどのように生じているのかをきれいに示していた。清滝さんもこういう討論をするのを何度か見たことがあるけど、こういう、頭のよさそうな討論をしたいものだ。<br />
<br />
Deboutoli and Gali, "Monetary Policy with Heterogeneous Agents: Insights from TANK Models"<br />
最近、たくさんの異質な家計(HA = Heterogeneous Agent)をニューケインジアン(NK)マクロモデルに導入して、代表的個人(RA = Representative Agent)のNKモデル(RANKモデルと最近呼ばれる)では説明できない現象を説明しようとするHANKモデルが開発されてきているが、2タイプの家計(TA = Two Agent)だけが存在するNKモデル(TANKモデル)でも、HANKモデルの挙動がうまく近似できると主張。但し、討論者のViolanteが、彼らのHANKモデルと、それを近似しようとするTANKモデルを比べたら、挙動が違っていると主張していたので、シンプルなモデルでしか当てはまらないことなのかもしれない。<br />
<br />
Bhandari and McGrattan, "Sweat Equity in U.S. Private Business"<br />
1986年のレーガン税制改革以来、非公開企業(private business)の比重が高まっている。著者らによると、歳入庁(IRS)に報告される企業所得の半分は非公開企業となっている。しかし、著者らによると、非公開企業の資産の大きな部分は、いわゆるスウェットエクイティ(Sweat Equity)と呼ばれる、企業家が労働によって獲得する、顧客リストや評判のような、直接的に計量するのが難しい資産である。筆者らは、モデルを使ってこのSweat Equityを計測する方法を提案する。彼らによると、Sweat EquityはGDPの約2/3で、機械などの目に見える資産の価値と同じくらいである。最に、著者らは、彼らのモデルを使って、非公開企業の行動に影響を与える税制改革の効果をモデルを使って分析する。<br />
<br />
Karahan, Pugsley, and Sahin, "Demographic Origins of the Startup Deficit"<br />
アメリカでは、1980年以来、新しい企業が創出・参入されるスピード・および企業が退出するスピードが低下しているといわれている。その他にも、一般的に経済のダイナミズムが失われつつあるということを示唆するデータはあるが、このペーパーでは新しい企業が創出されるスピードに焦点が当てられる。著者らは、まず、1980年以来新規企業の創出ペースが低下したのは、労働力人口の成長率が低下し始めたタイミングと一致していると主張する。その上で、彼らは、労働力人口の成長率が低下し始めると、賃金が将来的に上昇することが期待され、新規に企業を創出するコストが上昇(もちろん、既存企業の生産コストも上昇するので、どちらの効果が強いかというのが問題になる)し、かつ、企業家になるより賃金労働者になって上昇する賃金を享受するインセンティブも強まる。<br />
<br />
Eggertsson, Robbins, and Wold, "Kaldor and Piketty's Facts: The Rise of Monopoly Power in the United States"<br />
<a href="http://unrepresentativeagent.blogspot.com/2010/01/new-kaldor-facts.html">以前のポスト</a>で書いたがいわゆる「カルドア事実(Kaldor Facts)」というのは、新古典派成長モデル及びそのモデルにショックを加えたものであるRBCモデルがスタンダードモデルとなるのに大きな影響を与えた。新古典派成長モデル・RBCモデルはカルドア事実と整合的だったからだ。このペーパーは、ピケティ事実なるものを提案して、同じようなことを実現しようという、野心的なものである。彼らがピケティ事実と呼ぶのは次の5つである。<br />
(1) 資本/GDP比率は歴史的に2.5程度で安定している(これはカルドア事実)が、資産価値/GDP比率は1970年以来大幅(2.5から4.0まで)に上昇した。<br />
(2) 同様に、トービンのQ(企業の市場価値を企業がもつ資本のコストで割ったもの)も1から2に倍増した。<br />
(3) 資本のリターンは安定的な一方、実質利子率は5%から0%まで低下した。<br />
(4) GDPにおける労働収入の割合は65%から57%に低下した一方、資本の比率も20%から15%に低下した。つまり、GDPに占める企業の利潤の割合が上昇した。<br />
(5) 投資/GDP比率も低下した。<br />
著者らは、この「ピケティ事実」の全てが企業のど独占力が高まったことと整合的であることを、シンプルなモデルで示した。具体的には、何らかの理由で、企業は生産コストに<br />
マークアップを上乗せして生産できるとする。このマークアップが0%から20%に上昇すると、「ピケティ事実」の全てを生み出せる。討論者はLoukas Karabarbounisだったが、(企業の独占力が高まり)企業の利益・マークアップが上昇したという「事実」は、データの選択・解釈によっており、著者らが言うほどロバストではないということを示していた。<br />
<br />unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-44686342018860881122018-07-27T00:17:00.002-04:002018-07-27T00:17:51.569-04:00(No) Exchange Rate Effect of Unconventional Monetary PolicyNBERで見たたくさんのペーパーについて書く前に、ちょっと前に書いておいたものを。あまりに頻度が下がってきているので、ちょっと目についたペーパーを、ちゃんと読んでなくても、短めで簡単に紹介するようなものを混ぜてみようかななどと考えている。<br />
<br />
今回簡単に触れるのは、Andrew Roseによる、最新のNBER Working Paper "Currency Wars? Unconventional Monetary Policy Does Not Stimulate Exports"である。少なくとも日本では、どのようなチャンネルを期待して非伝統的金融政策を行うのか、そのチャンネルが働いていることはどうやって確かめられるのか、実際のそのチャンネルが働いている証拠はあったのか、といった議論が全然見られないような気がしている(まぁ、そんなものを期待してもしょうがないと皆思っているんだろうが)。個人的には、口には出せなくても、為替レートが減価することによって、輸出が増えて、輸入が減るというような効果をひそかに期待しているのではないか、と考えていたのだが、このペーパーでは、非伝統的金融政策を実施した国で輸出が増えた証拠はないということを示している。<br />
<br />
著者も認める通り、行われたのは簡単な回帰分析である。簡単に書くと各国の輸出と輸入を「説明する」回帰式に、「非伝統的金融政策ダミー」(非伝統的金融政策を実施している時には1、実施していないときには0)を入れただけである。データはIMFの、国別の輸出入データを使っている。「非伝統的金融政策」には量的緩和(QE)と負の政策金利が含まれており、当然日本の場合長期にわたってダミー変数は1になっている。下の表が、今回の回帰分析に含まれる「非伝統的金融政策」の一覧である。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-6pXoA9QBHDI/W1qc0xxlV1I/AAAAAAAAA8M/a-IurPmLrDMCI1zEx3Pi2EyDNDemqHM0ACLcBGAs/s1600/Table1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="400" data-original-width="558" height="458" src="https://1.bp.blogspot.com/-6pXoA9QBHDI/W1qc0xxlV1I/AAAAAAAAA8M/a-IurPmLrDMCI1zEx3Pi2EyDNDemqHM0ACLcBGAs/s640/Table1.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
タイトルからもわかるとおり、著者の回帰分析によると、非伝統的金融政策を実施した国は輸出が10%減少し、輸入は7%減少し、為替レートは0.6%減価した、というのが主要な結論である。つまり、為替レートは為替レートチャンネルが想定するように減価しているが、輸出が増えるという効果は全く見られなかった。もしかしたら、現代の輸出入の多くは企業が中間財をある場所から別の場所に移すという形式で行われているので、為替レートが与える影響は小さい、という話なのかもしれない。但し、輸入は7%減少している。もしかしたら、為替レートチャンネルは輸入に効くといういう理論があるのかもしれない。</div>
<br />
基本的には回帰分析なので、著者もかなり控えめにインプリケーションを導き出している。著者の一つの解釈は、非伝統的金融政策を行っているのは、にっちもさっちもいかない国だから、経済状況の悪化が輸出入を減少させ、為替を減価させているだけではないかというものである。まぁもっともらしい。このような解釈の妥当性を評価するためにも、今後は内生性をもっときちんとコントロールする試みが必要だろうが、とりあえずのとっかかりの分析としては面白い。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-71089994875334972222018-07-23T21:34:00.001-04:002018-07-23T22:23:54.900-04:00On NBER Summer Institute今年もNBER Summer Instituteに行ってきた。NBER(全米経済研究所)がだいたい7月いっぱいボストン(というかケンブリッジのRoyal Sonesta Hotel)で開催する学会で、個人的には少なくともマクロでは世界最高の学会だと思っている。発表されるペーパーの数は例えばSEDやCEFやAEAなどに比べて全然少ないが、ペーパーが厳選されており(発表するのもとっても難しい。そのうち発表したいものだ)、それぞれのペーパーに45分から1時間かけるので、その年の重要なペーパーについてじっくり学ぶことができる。また、参加者もおそらくはトップジャーナルに送ればエディターやレフェリーになりうる人がそろっているので、発表者のプレッシャーも大きく、もちろんそうした人たちのコメントもとても勉強になる。<br />
<br />
ペーパーについては、印象に残ったものについておいおい書きたいと思う。日本語でもう一度メモを書くと覚える助けになると思うから。でもまずその前に、ペーパーというより、セッションの環境について書いておく。<br />
<br />
今回、初めて、EFG(Economic Fluctuations and Growth)グループを見てきた(発表なんてとてもできない)。例年に比べてミネソタの人が多くかかわっており、知り合いが結構多いので楽しいかなと思ったからだ。EFGというのは、マクロのグループの最高峰で、7月第2週の土曜日に毎年開催される。マクロの別のグループはこのEFGの分科会的な位置づけとなっており、それぞれのグループの最高のペーパーがここに選ばれるような感じだと思う。EFGで面白いのは、それぞれのペーパーに1時間割り振られているものの、発表者は15分しか時間がなく、その後討論者が20分使って議論し、後の25分はフロアの誰でもコメントできるという構成である。それに、大体、討論者は、その分野のシニアでトップジャーナルに送るとエディターあるいはレフェリーに絶対なりそうな人が担当する。発表する人は、15分しかないので、細かいところには立ち入れないが、イントロだけしか話せないというのは避けたいので、EFG用の練習をみんなしているといっていた。今年でいえば、討論者は、Rogerson, Perri, Violante, Hall, Haltiwanger, Loukas Karabarbounisだった。例年に比べてバトルが少なかったといっている人はいたが、かなり激しく叩かれたペーパーもあって、見物人としては楽しかった。例えば、日本のマクロの学会とか作れるんだったら、こういうフォーマット面白いかななどと思っていた。<br />
<br />
あと、面白かったのは、今年から始まったMicro Data and Macro Modelsグループ(EFGの分科会である)のセットアップである。Micro Data and Macro ModelsグループはEFGの翌週(7月第3週)の月曜日から木曜日までである。去年まで25年間はAttanasio, Carroll, Rios-Rullのグループだったのだが、今年からKaplan, Hurst, Violanteに変わった。初めての年なので、3人とも気合が入っていたように思う。初日の朝に来てみたら、机といすの配置をどう変えるかを一生懸命考えていた。例年縦長の部屋を使うのだけれども、これまでは、どのグループも、長い辺の一方の端にスクリーンをおいて、その前で発表するので、後ろに座っていると遠くて見えずらいし、議論もあまり聞こえないという問題点があった。彼らもそれを認識していたらしく、長い辺の真ん中にスクリーンをおいて、その前に左右にV字状に机といすを並べて、どこに座っても比較的スクリーンおよび発表者から近い感じになるようにしていた。これはヒットだったと思う。個人的には、大きな部屋のセミナーだと人がばらけるせいか、あまり議論が活発にならないような気がしているので、それなりに大きな部屋の場合、全部の椅子からスクリーンまでの距離の和を小さくできる方がいいと思っている。このV字型セットアップはまさにそれを実現していたと思う。<br />
<br />
基本的にマイクロデータを使ったマクロの研究というのは流行りなので、このセッションは大盛況だった。オーガナイザーの交代に際して参加者を絞る方向にしたらしく、招待状の数も絞り気味と聞いていたが、毎日ほぼすべての椅子が埋まっていて、質疑応答も活発だった。<br />
<br />
Micro Data and Macro Modelsのもう一つの工夫は、各発表45分なのだけれども、最初の5分と最後の2分は質問禁止にしたことである。最初の5分は、ミネソタ系のセミナーでよくありがちなのだが、イントロで質問責めにあって、全然進めないという事態を避けようという配慮。最後の2分は、まぁ、最後まで到達できないことがほとんどだろうけれども、最後位は結論を話させてあげようという配慮である。これも、結構、効果的だなと思った。<br />
<br />
というわけで、これから少しづつ面白かったペーパについてちょっと触れていきたい。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-55191380455452969722018-05-28T18:36:00.001-04:002018-05-28T18:54:34.340-04:00Are We in a Liquidity Trap?マクロ経済学では、モデルを作るときに、均衡が1つしかないようにすることが重要である。モデルの挙動をデータと近づけるためには、モデルの均衡が常に1つで、その均衡を、パラメータを調整(推定してもカリブレーションしてもよい)することによって、データに近づけることが重要だからだ。データとモデルの挙動を近づけることで、モデルが現実の経済の分析に適していることが確保される。<br />
<br />
その一方、<a href="http://unrepresentativeagent.blogspot.com/2013/12/peril-of-taylor-rules.html">このポスト</a>などで触れてきたが、ゼロ金利制約(金融政策で誘導できる名目金利はゼロより(大きくは)下がれないという制約)のもとでは、金融政策の分析に使われる現代の代表的なモデルであるニューケインジアンDSGEモデルには少なくとも2つの均衡があることが知られている。この二つの均衡を「通常」の均衡および「流動性のわな」の均衡と呼ぼう。<br />
<br />
なぜ、「流動性のわな」か。流動性のわな(Liquidity Trap)という言葉は、日本の状況を表現する際によく使われる。Wikipediaによると、ケインズがこのような可能性に言及している。どういう状況か、わかりやすく書いてみよう。金利が下がってしまうと、人々は金利を生む金融資産(債券など)よりも(金利を生まないが取引に使えるなど、そのほかの利点がある)貨幣が好むようになってしまう。このような状況下では、中央銀行がいくら貨幣の供給量(マネーサプライ)を増やそうとも、人々は追加的に供給された貨幣を喜んで保有するので、金利に影響を与えないのである(金利が動くまでもなく通貨の供給の多い均衡に経済が到達する)。つまり、中央銀行は金利に影響を与えられないので、金融政策は使い物にならなくなる。金利が低いときに起きる可能性が高いのは、金利が高ければ、誰かしら、金利を生まない貨幣より金利を生む金融資産を好む人がいるはずだからである。<br />
<br />
このような定義を、もう少し別の(現代的な)言い方をすると、こうなる。短期の名目金利がゼロに下がると、短期の安全な金融資産(国債と考えればよい)と貨幣(短期で、名目金利ゼロで、インフレ率が安定している限り安全な金融資産と考えられる)はかなり近い代替物(どちらも、国が価値を保障する安全な、かつ金利ゼロの資産)になるので、中央銀行が国債と貨幣を交換することでマネーサプライを増やしても、民間の経済主体にとっては何の影響もない、ということになる。中央銀行が金利を下げて、経済活動を刺激することで景気を刺激したくても、短期の名目金利はゼロ以下に(大きくは)下げられないので、(標準的な)金融政策は無力となってしまうのである。「流動性のわな」の均衡はこのような状況をあらわしていると考えられる。<br />
<br />
では、実際の経済はどちらの均衡にあるのだろうか?簡単に考えれば、「流動性のわな」の均衡はゼロ金利制約に引っかかっている(中央銀行がターゲットにする短期名目金利がゼロ)か否かで簡単にわかるはずと考えられるが、経済にさまざまな短期的なショックがある場合、物事はちょっと複雑である。経済は「通常」の均衡にあったとしても、経済に何らかのショックが加わった結果、「流動性のわな」の均衡にはなくても、一時的にゼロ金利制約に引っかかっている可能性も理論的にはありうるからだ。逆のケースもありうる。経済が「流動性のわな」の均衡にあったとしても、一時的に何らかのショックで、ゼロ金利制約から離れているということもありうるかもしれない。<br />
<br />
サンフランシスコ連銀の総裁で、時期ニューヨーク連銀の総裁になることが決まっているJohn Williamsはサンフランシスコ連銀のThomas Mertensと書いた最新の論文("What to Expect from the Lower Bound on Interest Rates: Evidence from Derivatives Prices"、<a href="https://www.frbsf.org/economic-research/publications/working-papers/2018/03/">ここ</a>からダウンロードできる)において、この質問に答えることに挑戦した。<br />
<br />
細かいところには立ち入らないが、大まかなロジックはこういうものである。Williamsは2000年以降、自然利子率(経済の平均的な状態で達成される実質金利、r*(アールスター)と呼ばれる)が低下しているという研究を続けている。では、r*がどんどん低下していっている場合、経済が「通常」の均衡にあると、名目金利やインフレ率はどのように変化するだろうか?経済が「通常」の均衡にあって、中央銀行がターゲットのインフレ率(年率2%)を達成できている場合、r*が下がって行っても、名目金利はr*+2%で一緒に下がってゆく。インフレ率は2%で動かないはずである。但し、経済にショックがある場合、時々、r*+2%がゼロ金利制約に引っかかって、下がりきれないことがあるかもしれない。その場合、名目金利はr*+2%よりちょっと上にとどまることになる。更に、金利を下げきれないので、経済が停滞し、インフレ率も2%より低下する可能性がある。r*がどんどん下がっていくと、そのような状況に直面する確率が高まっていくことになるので、将来の名目金利の予測値は、r*が下がっていくと一緒に下がっていきつつも、その差は小さくなることが予想され、予想インフレ率は2%から下がっていくことが予想される。<br />
<br />
では経済が「流動性のわな」の均衡にあって、r*が下がっていった場合、名目金利やインフレ率はどのように変化していくことが予想されるだろうか?「流動性のわな」に直面している場合、名目金利は基本的にゼロで動かない。では、均衡において常に成り立っている、以下のフィッシャー均衡式(Fisher Equation)からインフレ率を考えてみよう。<br />
<br />
名目金利 = 実質金利 + 期待インフレ率<br />
<br />
実質金利r*が下がっていって、名目金利がゼロのままだと、上の式から、期待インフレ率は上がっていくことになる。<br />
<br />
つまり、r*が下がっていったときに、名目金利やインフレ率がどのように変化していったかを見ることで、経済が「通常」の均衡にあったのか、「流動性のわな」の均衡になったのかをテストすることができるのである。Williamsは2000年以降のデータは、経済が「通常」の均衡にあったという解釈と整合的であることを発見した。<br />
<br />
彼のモデルでは、経済が2つの均衡を行ったり来たりするようなケースを排除している等、改善の余地はあると思うんだけれども、金融政策にとって重要な結果をきれいに導いたペーパーだと思う。<br />
<br />
彼の発表を聞いていて考えたのは、FRBと日本銀行の違いである。FRBでは金融政策を決める会合の主要メンバーがこのような論文を書いて経済学会とコミュニケーションを図ることができ、Williams、Evans、Bullard、Mester(それに近々Claridaもなのかな)といった一線級の経済学者がこのようなレベルの考察を元に金融政策の方向性について議論し、金融政策が決められる。一方、日本銀行の金融政策決定会合では、このような論文が書けるメンバーがそもそもいないし、このレベルの議論なんて多分なされない。マクロ経済学者としてはとても残念な状況である。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-4442592271320521382018-05-28T00:32:00.000-04:002018-05-28T00:48:40.607-04:00Rise of Administrative Data in Economics経済学の問題点を指摘したシリーズ(典型的な、あまり深みのない経済学批判なので取り上げもしなかった)に代表されるように、最近は質が落ちてきているという話が聞かれるEconomist誌が、経済学関連のめずらしくタイムリーな記事を載せていたので言及しておく。<br />
<br />
経済学におけるサーベイデータ(Survey Data)から行政的データ(Administrative Data)へのシフトについてである。記事は二つになっており、<a href="https://econ.st/2xgMlyk">これ</a>と<a href="https://econ.st/2IQ3QLB">これ</a>である。これまでは、経済学者は、主に、政府(あるいは民間が主体のこともある)が定期的に実施するインタビューに基づいてつくられたデータ(サーベイデータ)を主に使ってきた。但し、最近は、サーベイデータの質の低下が認識されてきている。その背景にある大きな要因は、返答率の低下である。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-Gaw4ueLHMLQ/Wwt-mUVuIpI/AAAAAAAAA7Q/Y5q9kvX6bVkyv8HGwZpTZsgs3cD_EzbUwCLcBGAs/s1600/economist-figure.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="697" data-original-width="640" height="640" src="https://2.bp.blogspot.com/-Gaw4ueLHMLQ/Wwt-mUVuIpI/AAAAAAAAA7Q/Y5q9kvX6bVkyv8HGwZpTZsgs3cD_EzbUwCLcBGAs/s640/economist-figure.png" width="586" /></a></div>
上のグラフはEconomist誌から引用させてさせてもらったものだが、アメリカ、カナダ、UKの代表的なサーベイデータの返答率(インタビューしたら答えてくれた人の割合)の変化を示している。どのサーベイデータの返答率も低下傾向にある。たとえば、アメリカの家計の消費動向を1980年代から追っている貴重なデータであるConsumer Expenditure Surveyの場合、返答率は2001年の80%をちょっと下回るレベルから2016年は63%くらいまで低下している。これがなぜ問題かというと、答えてくれる人が少なかったり、答えてくれる項目の数が減った場合、その減少を補うために、専門家が、入手できなかったデータを推定しているのであるが、推定しなければならないデータの数が増えれば増えるほど、まぁ、そのデータセット自体が当てにならない度合いが高まるのは想像がつくであろう。実際に、記事では、サーベイデータと他のデータとの整合性が以前より低下してきていると指摘している。さらに問題なのは、返答をしてくれない人の特徴が、返答をしてくれる人の特徴と異なる場合、返答してくれた人のデータに基づいて返答してくれなかった人のデータを推定しようとすると、間違ってしまうということである。<br />
<br />
このような問題を受けて、経済学では、行政データ(政府が何らかの目的のために集めたデータ)を使う頻度が高まってきている。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-AUnTMMkMjbI/WwuAp72Gz7I/AAAAAAAAA7o/-UVq7-HuFIYyDyPv1GeWU5ZAX7O5jvbkwCLcBGAs/s1600/20180526_IRC515_1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="658" data-original-width="640" height="640" src="https://2.bp.blogspot.com/-AUnTMMkMjbI/WwuAp72Gz7I/AAAAAAAAA7o/-UVq7-HuFIYyDyPv1GeWU5ZAX7O5jvbkwCLcBGAs/s640/20180526_IRC515_1.png" width="622" /></a></div>
上のグラフは、NBER(全米経済研究所、アメリカの有名な経済学者が多く所属してワーキングペーパーを出している、もっとも有力な経済のシンクタンク)のワーキングペーパーの要旨において、「行政データ」という言葉が使われた頻度を追ったものである。2000年ごろまではほぼゼロだったが、2017年には30近いワーキングペーパーで使われるようになっている(例えば、2017年のワーキングペーパーの数は1163なのでワーキングペーパー全体に占める割合はまだ小さい(2.4%)が、とても速いスピードで増加しているのは見て取れる)。<br />
<br />
行政データは、サーベイデータのように、返答率の低下や返答の質の低下で悩まされることはないが、別の問題点がいろいろある。1つ目は、行政データはある目的のために集められたものなので、経済学者が、例えば全国民からランダムにサンプリングされたデータが欲しいと思っても、必ずしもそういうものが手に入るわけではないということである。例えば、代表的な行政データは税の申告のデータである。これを使うと、税を申告した人の所得が正確に把握できる。しかし、国民全員が税を申告する必要がなければ、経済学者が欲しいデータとは異なることになる。それに、税を申告する際には、年齢や性別や家族構成という情報を提供しないので、そういう情報も組み合わせたい場合には簡単には対応できないということになる。ただし、アメリカの場合、社会保障番号(マイナンバーってよく知らないがそのようなものだと思う)を使って、税のデータと別のデータと組み合わせることで、税を申告した人の所得、家族構成などが把握できるという方法が開発されている。<br />
<br />
2つ目は、このデータは使うためには、そのデータを使わせてくれる人を知っていなければならなかったり、バックグラウンドチェックなどいろいろな手続きを経なければならないので、既に地位が確立されていて、リソースやコネがある人が有利になるということがある。ちょっと前のエントリで触れたが、Raj Chettyはすごい行政データを使った研究を進めているが、これは、彼だから使えるという側面が多分にある。いい悪いは別として、経済学者間で富むものがさらに富むようになるという現象を生み出している。<br />
<br />
3つ目は、上の点に関連するが、行政データを使ってある論文を書いて、例えば、その論文をジャーナルに送ったとして、エディターあるいはレフェリーには、結果を検証する方法がない。論文が出た後で、誰かが追試しようとしても、元になった行政データにアクセスできない限りどうしようもないのである。行政データを使っている人がいい加減なことをしているといいたいわけではないが、あるデータのクリーニング方法、その他手続き、あるいはモデルの仮定をちょっと変えたら結果が大きく変わるなんてことはよくある話なので、あとで追試できないというのはとても大きな問題点である。<br />
<br />
もちろん、学会というのは、今後の経済学の方向性を変える可能性のある、起業家精神に富んだ行動に対して大きなインセンティブを付けるものなので、これまで使えなかったデータを使えるようにした人に報酬(パブリケーション)で報いるべきなのは当然なんだけれども、経済学会が上で挙げたようなイシューにどのように対応していくかは、興味深い。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-56763990596698777032018-04-14T17:49:00.003-04:002018-04-14T20:19:42.546-04:00Automatic Stabilizers in DSGE Model自動安定化装置(オートマティック・スタビライザー)という言葉は聞いたことがあるだろうか?ある経済政策が、景気の変動に伴ってその効果が上下することにより、景気(あるいは税収)を安定させる効果がある場合、その政策は自動安定化装置として機能しているといわれる。<br />
<br />
代表的な例は累進所得税である。景気が悪くなると人々の所得は平均的に低下する。累進的な所得税率は所得が高ければ高いほど税率も高く、所得が低ければ低いほど税率も低いので、景気が悪くなって所得が低下すると、所得に適用される税率も平均的に低くなり、税引き後の可処分所得は税引き前の所得ほどは低下しないこととなる。消費は可処分所得に依存する(可処分所得が多ければ多いいほど消費も多い)のが一般的なので、個々人の可処分所得の減少幅が小さければ、個々人の消費の減少幅も小さくなり、総消費額の低下の幅も小さくなるのである。<br />
<br />
さらに、消費需要は総需要の一部であり、総需要がGDP・景気に影響を与えるという(ケインジアン的な)立場をとるなら、総消費及び総需要の低下幅を抑えることで、累進所得課税は自動的に景気を安定化させる(不況期にGDPの下落幅を小さくする)効果があるのである。<br />
<br />
1980年くらいまでの経済学ではこのような効果がとても重要視されてきたし、現在の経済政策の議論においても、このような需要サイドからの効果は重要視されているが、1980年代以降の経済学では、総需要効果のない(価格の名目硬直性のない)モデルが発展してきたので、このような効果は分析されることが少なくなってきた。<br />
<br />
その一方、公共経済学では、累進所得税は、所得が低い人の税率を下げて、所得が高い人の税率を高めることで、税支払い後の所得の再配分を行うことができるが、所得が高い(=生産性が高い)人の労働への意欲をそぐという労働インセンティブへの負の効果があり、再配分(公平)とインセンティブへの悪影響(効率)のトレードオフの文脈で活発に分析されてきた。1980年代以降のマクロモデルでは、このような(総需要を通じた効果と関係ないという意味で)供給側の効果はきちんと取り入れられており、自然に分析できるので、1980年代以降のマクロ経済学では、累進所得税はこのようなトレードオフの文脈で主に分析されてきた。<br />
<br />
自動安定化政策のもう一つの代表的な例は公的失業保険である。失業したときに失業手当てを受け取ることができれば、彼らはそこから支出することができる。景気が悪化した際には失業率が上昇するので、景気が悪化したときは、自動的に失業者全体に配分される失業手当ての金額が上昇し、彼らがその手当てを消費することで、(失業手当がなく失業者は借金をして消費を維持することができない時に比べて)総消費の低下を抑えることができる。累進所得税のときと同じく、総需要が景気に影響を与えると考えれば、失業者による消費需要の低下を抑えることで、失業保険は、総需要の低下に自動的に歯止めをかける効果があるのだ。<br />
<br />
但し、累進所得税のケースと同じく、このような効果は1980年代以降のマクロ経済学では総需要を通じた効果はあまり活発に分析されてなかった。一方、公共経済学あるいは労働経済学では、公的失業保険は労働者に民間ではあまり提供されていない保険を提供する一方、失業者が職を探すインセンティブに負の影響を与えるというトレードオフの文脈でしばしば分析されてきた。上と同様に、マクロ経済学でも、このような供給側の効果が主に分析されてきた。<br />
<br />
前置きが長くなってしまったが、今回簡単に紹介するMcKay and Reisによるワーキングペーパー"Optimal Automatic Stabilizers"は上で挙げた自動安定化装置の効果を総需要効果のあるニューケインジアンDSGEモデルで分析している。彼らは、アメリカの様々な政策がどのくらい自動安定化に役立っているかを分析したペーパーをEconometricaに既に出しているが、今回のペーパーでは、そこから一歩進んで、自動安定化を考慮した際に最適な政策はどのようなものになるかを分析している。<br />
<br />
これは簡単なことではない。累進所得税や公的失業保険の自動安定化効果を分析するためには以下のような要素が必須になるからである。<br />
<ol>
<li>景気循環のあるDSGEモデルをベースとしなければならない。</li>
<li>総需要が景気に影響を与えるように、名目価格の硬直性を導入しなければならない。つまり、ニューケインジアンDSGEモデルを使わなければならない。</li>
<li>失業保険の供給側の効果を分析するためには、失業者が存在しなければならない、つまり異質性が必要である。しかも失業者はどのくらい一生懸命職を探すか決めなければならない。しかも、そのような決定は、失業保険がどのくらい手厚いかによって影響を受けなければならない(失業保険が手厚ければあまり一生懸命仕事を探さなくなる)。</li>
<li>しかも、失業率自体が政策によって影響を受けるモデルを作らなければならない。つまり、サーチモデルをDSGEモデルに組み込まなければならない。</li>
<li>累進所得税の効果を分析するためには、所得が高い労働者と低い労働者が存在しなければならない。新たな異質性の導入である。しかも、それらの労働者はどのくらい働くか決め、その決定は所得税率に影響を受けなければならない。</li>
<li>景気循環が幸福度に影響を与える必要がある(そうでないと自動安定化政策の意味がない)ので、モデルは線形近似できない。線形近似をすると、好景気と不景気の時の効果が平均すると完璧に相殺されるので、景気循環の分析が面白くなくなる。</li>
</ol>
著者らはまさにこれらの要素を組み込んだモデルを作った。そして、消費者の幸福度(厚生)を最大化する失業保険の手厚さ(=b=失業保険が失業前の所得の何%をカバーするかという率)と累進所得税の累進性の度合い(=t)の組み合わせを計算した。上で述べたようなモデルを解くだけでなく、そのモデルの消費者の幸福度を最大化する政策のペア(bとt)を探すためにこのモデルを何度も解けるようにしなければならず、大変なことである。そのために、著者らは、いくつか重要な仮定を置いて、モデルが比較的簡単に解けるようにしているが、それでも大変なことである。彼らが置いた重要な仮定には以下のものがある。このような単純化のための仮定は最近よく使われている。<br />
<ol>
<li>労働者は失業した場合借入制約に引っかかり、働いている場合には(将来失業した時に備えて)貯蓄しようにも貯蓄の借り手がいない(借りたい人は借入制約に引っかかっている)ので、結局労働者全員が何の貯蓄も負債も持たない(ので、資産分布を無視できる)。</li>
<li>政府も負債を発行しない。</li>
<li>資本のようなその他の貯蓄手段も存在しない。</li>
<li>失業のリスクはみな同じである。現在失業している労働者も現在働いている労働者も、来期の失業する確率は同じである</li>
</ol>
では、いくつか彼らの結果を見ていこう。彼らがアメリカの経済に合わせてカリブレートしたモデルによると、消費者の幸福度を最大化する(b,t)の組み合わせはb=0.85、t=0.26であった。bの方は失業者が働いていた時の収入の85%をもらえるという、かなり手厚い失業保険の額である。tの方は簡単な解釈の仕方はないが、アメリカの現在の累進所得税の累進度合いを表すtがt=0.15で、tは0だと累進性がなく(所得にかかわらず税率は同じ)、大きければ累進性が高いので、現在のアメリカより累進性が高い所得税が最適ということになる。<br />
<br />
この結果だけだと、この二つの政策の自動安定化効果がどのくらい重要なのかわからないので、他のケースと比較してみよう。まずは、名目価格の硬直性がないモデルで同じ実験をしてみよう。名目価格が伸縮的というのは、いわゆる総需要から景気に与える効果がないケース(RBCモデルといってもよい)である。つまり、このケースでは、失業保険や累進所得税は自動安定化装置としての効果がないケースということになる。このモデルでは、消費者の幸福度を最大化する政策の組み合わせはb=0.77、t=0.27であった。自動安定化装置として役に立たない場合、失業保険は前のケースほど手厚くなくてもよい(失業前の収入の85%でなくて77%)が、望ましい所得税の累進性はあまり変わらないということだ。<br />
<br />
では、景気循環が全くない場合はどうか?この場合の最適な政策の組み合わせは、b=0.77、t=0.27であった。つまり、伸縮的な価格のケースと同じである。また、中央銀行が景気循環を抑えるために強力に反応する(例えば失業率が高まりつつある際には金利を大きく切り下げる)ケースでも、最適な政策の組み合わせははb=0.80、t=27で景気循環がないケースと近かった。<br />
<br />
これらの結果を理解するために、以下のグラフを見ていこう。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-abK40G_aVic/WtJxHAFzRBI/AAAAAAAAA6k/NUL0uGAd6Sw67SnLM1VI4_Rb16G-iyZ-QCLcBGAs/s1600/Figure-1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="272" data-original-width="645" height="268" src="https://3.bp.blogspot.com/-abK40G_aVic/WtJxHAFzRBI/AAAAAAAAA6k/NUL0uGAd6Sw67SnLM1VI4_Rb16G-iyZ-QCLcBGAs/s640/Figure-1.jpg" width="640" /></a></div>
最初にちょっと述べたが、bを高めた際の幸福度への効果としては以下のものがある。<br />
(b-1) 失業しても所得があまり下がらず消費も維持できる。(+)<br />
(b-2) 職を探す努力が低下し失業率が上がる。(ー)<br />
(b-3) 不況時も総需要の低下幅が小さくなる(GDPがあまり下落しない)ので景気循環の幅が小さくなる。(+)<br />
<br />
上のグラフの左側は、(b-2)の効果をプロットしたものである。失業保険が手厚くなると(bが上がると)平均的な失業率が上昇し、経済にとってはマイナスの影響となる。景気循環を無視した場合、あるいは価格が伸縮的なので(b-3)の効果がない場合は、(b-1)と(b-2)がバランスするレベルでbが決定される。しかし、(b-3)を考慮に入れるとなると、bを変えることで景気循環の大きさがどのくらい影響を受けるかを見なければならない。それが上のグラフの右側である。具体的には、bを変えたときに、GDPの振れ幅がどのくらい下がるかを示している。このグラフが示しているのは、このモデルにおいては、bを高めることで、マクロ経済の景気の幅を大きく小さくすることができるので、この効果を生かすために、経済全体で最適なbのレベルが高まるのである。<br />
<br />
では、tはどうだろうか?<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-9VBvA4Jr-OM/WtJyoU4EZYI/AAAAAAAAA6w/a570x71UrnAstJCFcNHmBx185F6V4pR-ACLcBGAs/s1600/Figure-2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="280" data-original-width="637" height="280" src="https://2.bp.blogspot.com/-9VBvA4Jr-OM/WtJyoU4EZYI/AAAAAAAAA6w/a570x71UrnAstJCFcNHmBx185F6V4pR-ACLcBGAs/s640/Figure-2.jpg" width="640" /></a></div>
tを高めた際の効果は次のものがある。<br />
(t-1) 所得の不平等を累進所得税で圧縮できる。(+)<br />
(t-2) 生産性の高い人の労働の意欲がそがれてGDPが下がる。(ー)<br />
(t-3) 不況時は税率が下がり、総需要の低下幅が小さくなるので景気循環の幅が小さくなる。(+)<br />
上の左側のグラフは、累進性を高めると平均的なGDPが低下するという(t-2)の効果を示している。bの場合と同じく、景気循環がなかったり、総需要効果が無視できる場合は、基本的に(t-1)と(t-2)のトレードオフから最適なtが決定される。一方、累進税率が不況期には下がって可処分所得の低下を抑えることで景気安定化に資する効果を示したのが上の右のグラフである。このグラフが示しているのは、tが上がっても、景気循環の振れ幅はあまり変わらない、つまり、tを通じた自動安定化効果は小さい、ということである。どうしてか?おしらくは以下のような点が重要なのではと思われる。<br />
<ol>
<li>このモデルでは(おそらくデータでも)景気は主に失業率の変化を通じて所得に影響を与えるので、失業保険を通じた可処分所得安定化(そして自動安定化効果)は大きいが、所得の格差全体はあんまり景気を通じて変化しない。</li>
<li>所得税率の累進性を通じて、不況時に所得税率が下がる効果は、所得が高い人にも低い人にも影響を与える。ところで前者は可処分所得が多少上がったところで消費はあまり影響を受けない。このペーパーでは示されていないと思うんだけれども、もしかしたら、累進性を通じた安定化効果は高所得の人の方が強いかもしれない。</li>
</ol>
結論としては、景気の自動安定化装置というチャンネルを考慮すると、失業保険の手厚さは他のモデルから得られる最適なレベルよりも高いものにするべきである一方、所得税の最適な累進性を考える際には、自動安定化装置というチャンネルはあまり考慮に入れなくてもよいということになる。<br />
<br />
こういう、名目価格に硬直性がある(ので総需要を通じた効果や金融政策を分析できる)モデルで、消費者や企業などに異質性があるものは、最先端の分野の一つである。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-9046048969648440572018-03-12T23:33:00.000-04:002018-03-12T23:50:25.514-04:00PSID and Income VolatilityPSID (Panel Study of Income Dynamics)というのはアメリカの家計のパネルデータで、もっとも有名なもののひとつである。1968年(前年の所得等についてインタビューをするので1967年のデータ)から始まって、1997年までは毎年データがあり、その後は隔年のデータとなっている。1968年から毎年、同じ家計に、所得、労働時間、学歴、から始まって本当にいろいろな事項について質問をし、ひとつの家計から子供が独立したりすると、その子供も新しい家計としてサンプルに加えられて毎年追跡調査される。聞き取りをする家計の数が少ない(とはいえ5000の家計に所属する18000人)のがどうしようもない弱点なのだけれどもすばらしいデータセットであり、僕もサンプルに入りたかったなぁと思う。ミシガン大学が整備を続けており、誰でもウェブサイトから無料でダウンロードできる。<br />
<br />
昔はばらばらのテキストファイルをダウンロードして、自分がほしい変数がどこにあるかをCodebookで調べて(年によって変わる…)、Stataとかに必要な変数を読み込み、自分で家計をや個人をつなげる作業が必要だったんだけれども、最近はすばらしいウェブインターフェイスから必要なものだけ簡単にダウンロードできるようになった。日本のマイクロデータを管理している人は是非見習ってほしいし、整備にお金が必要なら、日本政府はぜひお金を惜しまず出してほしい。<br />
<br />
今年はPSIDが始まって50周年(!)なので、50周年を祝うさまざまなイベントが行われている。例えば、この前のAEA年次総会でも、PSID50周年記念セッションがあった。多分それらのイベントの関連だと思うんだけれども、MoffittとZhangによる、PSIDから計算できる所得の変動率(Volatility)についてのサーベイ的な論文がNBER Working Paperにあがっていたので、ちょっと見てみた。<br />
<br />
彼らは、PSIDの強みとして、以下の4点を挙げている。<br />
(1) とても長い(1967年~)サンプル期間。<br />
(2) 最初に含まれていた家計(それ自体もアメリカの家計を代表するように選ばれている)とそこから派生してできた家計を追跡することにより、移民による変化を除けば、いつまでもアメリカの家計を代表するようにできていること。<br />
(3) (最近使われる行政データが含んでいない)多岐にわたる質問をしていること。<br />
(4) (家計が住んでいる)地域を特定するデータがあること。<br />
<br />
PSIDを使って数多くのペーパーが書かれてきたが、重要なイシューは、個人の労働所得の変動率がどのくらいか、労働所得の変動を一時的な変動(一時的な労働所得の上下動)と恒久的な変動(ずっと変わらない個々の労働所得の差)に分解したときに、それぞれの大きさはどれくらいか、総変動率と、その一時的変動率、恒久的変動率は、時間とともにどのように変わっていっているか、であった。最後のポイントは、最近のトレンドとなっている、所得の不平等の度合いの変化と深く関連している。<br />
<br />
著者らはいくつかPSIDをもとにしたデータを示しているのでそれを載せておく。使ったデータは1970年から2014年までの、男性の家計主で、30歳から59歳までの、労働所得である。年齢による所得の増加や、経済成長に伴う平均所得の増加をコントロールするため、まずは対数とをった労働所得のうち、年齢ダミー(30代、40代、50代)と毎年のダミーで説明できる部分を取り除いたあとの、労働所得の対数の変動率が、下に示されている。また、極端な値の影響を小さくするため、上下1%は取り除いている。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-7DtjYp5UZJ0/WqdDPwaxKgI/AAAAAAAAA5s/el5L1gieO5QjvnrQkFFg19N2xzrD-YaMACLcBGAs/s1600/figure-1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="480" data-original-width="875" height="350" src="https://1.bp.blogspot.com/-7DtjYp5UZJ0/WqdDPwaxKgI/AAAAAAAAA5s/el5L1gieO5QjvnrQkFFg19N2xzrD-YaMACLcBGAs/s640/figure-1.jpg" width="640" /></a></div>
よく知られていることであるが、労働者個人の労働所得の変動率は1970年代から1980年代中盤までは上昇し、1980年代半ばから2000年ごろまでは安定し、その後再び上昇に転じている。これらのトレンドは、PSIDほど長い期間を見ることのできない(ので上のグラフの一部としか比較できないが)他のマイクロデータによって計算された変動率のトレンドと整合的であると著者らは述べている。<br />
<br />
では、このようなトレンドを、一時的な変動率と恒久的な変動率にわけて、それぞれの変化を見てみたものが以下のグラフである。もちろん、2つの要素に分けるためには、あるモデルを仮定しなければならないが、著者らは、恒久的な変動としてはランダムウォーク、一時的な変動としては、深くは立ち入らないが、ARMAのようなプロセスを仮定している。どちらの変動率も、1970年のレベルを1に基準化している。アルファが恒久的な所得変動の変化率(1970=1)、ベータが一時的な所得変動の変化率(1970=1)を示している。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-dOLBq9Enkr0/WqdEbIucEuI/AAAAAAAAA54/3CDiiQenwq4kRL_FJUCWJzAc6B0pv25mACLcBGAs/s1600/figure-2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="628" data-original-width="1113" height="360" src="https://1.bp.blogspot.com/-dOLBq9Enkr0/WqdEbIucEuI/AAAAAAAAA54/3CDiiQenwq4kRL_FJUCWJzAc6B0pv25mACLcBGAs/s640/figure-2.jpg" width="640" /></a></div>
このグラフから見て取れるのは、恒久的な変動率も、一時的な変動率も、総変動率と同じような動きを示していることだ。つまり、1970-1980年代には上昇し、2000年ごろまでは停滞し、それ以降再び上昇に転じている。では、それぞれの変動率の実際のレベルを見てみたのが以下のグラフである。詳しくは、40代の男性の世帯主の労働所得の変動率の変化を示している。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-8FRkfWEuzFs/WqdFOg6b9wI/AAAAAAAAA6M/aMNsN9WSzY8Fmtfccp0KBYeDrEn1JDaqwCLcBGAs/s1600/figure-3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="597" data-original-width="1322" height="288" src="https://4.bp.blogspot.com/-8FRkfWEuzFs/WqdFOg6b9wI/AAAAAAAAA6M/aMNsN9WSzY8Fmtfccp0KBYeDrEn1JDaqwCLcBGAs/s640/figure-3.jpg" width="640" /></a></div>
1つ前のグラフでは両方の変動率を1970年のレベルで基準化したので、それぞれの大きさがわからなかったが、このグラフでは、一時的な変動率が総変動率の約3/2、恒久的な変動率が総変動率の約1/3を占めていることがわかる。両方とも同じようなペースで変化しているので、その比率は最近も大きくは変わらない。<br />
<br />
一般的には、一時的な所得の変動は貯蓄や政府による所得再配分で対応でしやすいと考えられており、消費に与える影響は小さいと考えられている。とすると、消費に影響を与えるという意味で本質的に重要な恒久的な変動率は、特に最近のデータでは、総変動率に比べて低い水準にとどまっていることがわかる。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-62494290635616796142018-03-04T18:10:00.002-05:002018-03-04T18:10:49.211-05:00Are U.S. Mark-ups Really Increasing?ちょっと前に、De LoeckerとEeckhoutによる話題のペーパーを<a href="http://unrepresentativeagent.blogspot.com/2017/08/rising-big-firms-and-declining-labor.html">紹介</a>した。基本的な問題意識としては、アメリカ(や他の国)において、経済の「ダイナミズム」が失われつつあるのではないかというものである。例えば、企業の新規参入のペースは以下のグラフで見られるように、下がってきている(出典は<a href="https://www.brookings.edu/research/declining-business-dynamism-in-the-united-states-a-look-at-states-and-metros/">ここ</a>)。新しい企業が経済成長をけん引するという考え方に基づくと、スタートアップの減少は、経済の「ダイナミズム」を失わせる要因になっているのではないかと考えることもできる。その他にも、別の企業に移る労働者の割合も減少傾向にある。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-bGSEQRRs3l8/WpxxGnNeoEI/AAAAAAAAA4g/qQSlni0I3-sHLgIPif1eC3eJDR4HjWUsgCLcBGAs/s1600/declining_business_dynamism_figure1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="499" data-original-width="682" height="468" src="https://3.bp.blogspot.com/-bGSEQRRs3l8/WpxxGnNeoEI/AAAAAAAAA4g/qQSlni0I3-sHLgIPif1eC3eJDR4HjWUsgCLcBGAs/s640/declining_business_dynamism_figure1.png" width="640" /></a></div>
<br />
De LoeckerとEeckhoutは、上場企業のマークアップ率が1980年代ごろまでは18%程度だったのだけれども、2010年以降は60%を超えるレベルに上昇し、67%まで達したというデータを示した。マークアップ率というのは、簡単に言うと、(あるモノの価格)を(そのモノ1単位を追加的に生産するためのコスト)で割ったものである。もしマークアップ率が18%ならば、生産にかかるコストに18%上乗せした価格で商品が売れるということである。単純な経済モデルを考えれば、ある企業が何らかの理由で大きな市場支配力をもっていれば、その企業は生産コストを大幅に上回る価格を付けても競合他社に顧客を奪われる心配はない。よって、高いマークアップ率というのは市場支配力を反映したものだと考えることができる。彼らのペーパーは、アメリカにおいて大企業の市場支配力が高まっていることで、経済の「ダイナミズム」が損なわれているのではないかという議論を巻き起こしている。下のグラフが、De LoeckerとEeckhoutのメインの結果である。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-E_dzivUKl_A/Wpx2dIrFwUI/AAAAAAAAA48/RqtjxdhqutcZCR24rRsMf_ANH8FXUwLSACLcBGAs/s1600/atlas_HysieeftZ%25402x.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="720" data-original-width="1280" height="360" src="https://1.bp.blogspot.com/-E_dzivUKl_A/Wpx2dIrFwUI/AAAAAAAAA48/RqtjxdhqutcZCR24rRsMf_ANH8FXUwLSACLcBGAs/s640/atlas_HysieeftZ%25402x.png" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
前のポストで紹介したとおり、労働分配率の低下(GDPのうちの労働者の取り分)が低下傾向にあるのも、企業の価格支配力の上昇によって引き起こされているという理論は簡単に構築できる。<br />
<br />
ただ、このペーパーに対して、彼らのマークアップ率の計算方法はおかしいんじゃないかという人が結構出てきている。このような主張をしているシカゴのビジネススクールのTrainaによる最新のワーキングペーパーの内容がわかりやすい<a href="https://promarket.org/are-markups-increasing/">ブログ記事</a>に出ていたのでこれについてメモしておく。彼も、De LoeckerとEeckhoutと同じように、アメリカの上場企業のうち、金融とユーティリティ(電気・水道・通信等)セクターを除いた企業のマークアップ率を計算してみた。大きな違いは、De LoeckerとEeckhoutはモノの生産コストとしてCost of Goods Sold (COGS)というデータを使ったのに対し、TrainaはOperating Expenses (OPEX)というデータを使ったという点である。COGSはモノの生産に直接関連する材料費や労働のコストだけを含んでいる。その一方、OPEXはCOGSに加えて、SGA(Selling, General and Administrative Expenses)も含んでいる。SGAは、英語からわかるように、モノの生産に間接的に必要なマーケティングコストや事務のコストを含んでいる。下のグラフは、De LoeckerとEeckhoutが計算したマークアップ率(赤、生産コストとしてCOGSを使っている)とTrainaが計算したマークアップ率(青、生産コストとしてOPEXを使っている)を比べたものである。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-oKIJe1GiEOo/Wpx2VVacbJI/AAAAAAAAA44/BKBh_Ie-T08fpJMjetiYFbypNJaiqlEKQCLcBGAs/s1600/figure1traina.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="686" data-original-width="918" height="478" src="https://3.bp.blogspot.com/-oKIJe1GiEOo/Wpx2VVacbJI/AAAAAAAAA44/BKBh_Ie-T08fpJMjetiYFbypNJaiqlEKQCLcBGAs/s640/figure1traina.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
Trianaによると、生産コストとして、より包括的なデータであるOPEXを使うと、マークアップ率は1980年代以降緩やかな上昇傾向にあるものの、最新の水準は1950年代ごろの水準(15%)と変わらないことがわかる。つまり、マークアップ率は過去25年間上昇傾向にあるものの、その上昇の度合いは歴史的に見たことがないレベルでは全くないということである。<br />
<br />
では、なぜこのような違いが生み出されているのか?それは、生産のコストにおける、SGA(マーケティングや事務のコスト)の割合がどんどん高まっているからである。上のグラフの緑の線は、OPEX(Trianaがマークアップ率を計算するのに使ったコストデータ)におけるCOGS(De LoeckerとEeckhoutが使ったコストデータ)の割合の変化を示している。1950年には狭義の生産コストであるCOGSは広義のコストであるOPEXの89%程度を占めていたが、その割合はどんどん低下し最新のデータでは78%程度しか占めていない。つまり、広義の生産コストで計算したマークアップ率はあまり大きく変わっていないんだけれども、狭義の生産コストを使うと、その重要性は時とともに低下し続けているので、マークアップ率は大きく上昇したように見えるのである。アップルのような企業を考えると、マーケティングのコストが重要になってきているのは、感覚的にわかりやすいであろう。<br />
<br />
では、どちらのコストデータを使うのが正しいのであろうか?マークアップ率の計算に使うのは、固定コストを除いた、追加的な生産に必要なコストなのだけれども、SGAは固定コストも含んでいる可能性が高い。Trianaは固定コストが幾分SGAに含まれていることは問題ではないという証拠を示しているが、ちょっと細かい議論なので省略する。<br />
<br />
関連したデータで、もう一つ紹介しておくと、<a href="https://niskanencenter.org/blog/markups-market-power/">Karl Smith</a>はDe LoeckerとEeckhoutの計算を、マークアップ率の平均を取るときに、企業の大きさでウェイト付けをせずに計算してみた。つまり、彼の平均では、小さい企業のマークアップ率がより大きく平均に反映されているのである。下のグラフがその結果である。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-ZMQZrYcPoZk/Wpx60424zVI/AAAAAAAAA5U/ZWHIvopIDFEEG16nDRkPjf_jufhd6kraQCLcBGAs/s1600/markup-2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="196" data-original-width="306" height="409" src="https://4.bp.blogspot.com/-ZMQZrYcPoZk/Wpx60424zVI/AAAAAAAAA5U/ZWHIvopIDFEEG16nDRkPjf_jufhd6kraQCLcBGAs/s640/markup-2.png" width="640" /></a></div>
赤の線がDe LoeckerとEeckhoutの結果に対応しており、黒の線が、企業のサイズでウェイト付けしない場合のマークアップ率である。面白いことに黒の方が上である。つまり、一般的な考え方に反して、小さい企業の方がマークアップ率が高いのではないか、と彼は主張している。彼の考えるストーリーは、ウォルマートのような大きな企業は価格を切り下げるのでマークアップ率は小さいけれども、小さい企業はある小さい市場に特化(例えば、クラフトービールのような感じかな)して、高いマークアップを維持できるようになったのではないか、というものである。彼の分析はCOGSによるものなので、COGSとOPEXの違いを考えると解釈も変わってくるかもしれないが、面白いので言及しておく。<br />
<br />
今後は、別のやり方で計算したマークアップ率がでてきたり、どちらのコストデータを使うべきなのかについての議論が緻密化されたり、していくのだろう。そして、もし、マークアップ率があまり変わってないという結論に達したならば、なぜそれでも企業の利益が増加しつつあるのかという残された疑問に答える必要性が出てくるのだろう。<br />
<br />
De LoeckerとEeckhoutのペーパーはそれでもトップジャーナルに行く可能性が高いらしい。データはちょっと怪しいかもしれないけれども、企業の市場支配力という視点をマクロの分析に持ち込むきっかけを作ったということが大きく評価されるのだろう。実際に、このペーパーはとてもstimulatingだと思う。このことを考えると、「何であれ君の得た結果は将来覆される可能性が高いのだから、正しいペーパーを書こうとするな。間違っているかもしれなくても、おもしろい新しい視点を導入し、その視点をできる限りサポートする方法を考えろ。」とある人に言われたのを思い出した。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-91217720136285380472018-01-22T00:46:00.000-05:002018-01-25T21:28:22.164-05:00Research Economists and Policy Discussion@JS_Ecoha さんが、日本の経済学者の政策論争への関わり方についての日経大機小機を載せてくれていた(<a href="https://twitter.com/JS_Ecoha/status/954568109049888768">リンク</a>)。そこでは、例えば、クルーグマンのような世界的に有名な学者が「消費税増税を急がなくても日本の財政には問題がない」と言った時に、日本(人)の経済学者からの反応がないこと、その理由としては、今の日本の経済学部はアカデミックな業績が重視されており、反論したところでアカデミックな業績にはならないことが挙げられていた。そして、もっと積極的に政策論争に参加するインセンティブを与えるために、アカデミックな論文だけで業績が測られる現状を変更した方がよいのではという提言で結ばれていた。これについていくつか思うところを書いてみる。<br />
<br />
アカデミックな業績のある経済学者があまり政策論争に積極的でないとしたらそこにはいくつか根本的な理由があると思う。いくつか挙げておこう。<br />
<br />
1つ目は、ある政策に様々な効果があるとすると、その様々な効果は大体において別々の論文で分析される。そうしないと論文はシャープにならないからだ。いろいろな効果があってその効果がいろいろな論文で別々に分析されている場合、それらの別々の効果にどれくらいの重要性を置くかは個人の「感覚」によるところが多い。それに、ある論文で計られた効果は、何かの前提におそらくは大きく依存しており、その前提を(どの程度)受け入れるか否かは、読む人によって異なると思う。加えて、多くの論文はアメリカ経済を前提に書かれているので、アメリカの結果を日本の状況でどのように微調整するかということも考えなければならない。クルーグマンのような人は、そこまで考えているはずである。そこで、クルーグマンのような人が、ある効果がより重要だと考えてある結果にたどり着いた場合、例えば僕のような何でもない人が、彼が重視していない別の効果は実はとても重要だと言いたかったり、日本においてはある結果は当てはまらないと議論したい場合、かなりの研究が必要になる。そして、そんなことやっても大したペーパーにはならないし、頑張ってやったとしても、多分クリアカットな結論が出ない場合も多いので、その場合クルーグマンはあっちの方が重要だと言っているのを信じている人の心を変えるのは本当に難しい。そんなことやってられない。<br />
<br />
2つ目は、結局は、どの政策が「正しい」かは、結局どのような社会全体の幸福度を仮定するかによることが多く、その場合は、経済学者が出る幕ではないというのが挙げられる。社会の個々の構成員の幸福度をどのようにウェイト付けするかは第一義的には政治の(政治家が決める)問題である。こういう状況である政策が「正しい」と言っている人がいる場合、それは単に個人(論文を書いた人や意見を表明している人)の嗜好の表明に過ぎないことがほとんどだ。そのような状況で、例えば僕の仮定する社会の幸福度とクルーグマンのものが異なるとしたら、勝ち目があるわけがない。それに、政府とすれば、こういう状況で政府がやりたい政策を「正しい」と言ってくれる学者を重用したくなるはずなので、自分の考えが政府が欲しい結論と異なる場合、時間の無駄である。そんなことやってられない。<br />
<br />
3つ目は、そもそも、経済学者が何か言ったところで、それが実際の政策に影響を与えるかというと、たぶん日本政府はそういう感じではないので、結局、無駄骨になるように感じる。日本銀行の政策委員なり、政府の審議会の委員なりをみれば、まぁ、ちゃんとした議論の結果政策に影響を与えられるような状況ではないような感じがする。そんな状況で政策論争なんかに時間を割いてはいられない。<br />
<br />
では、最初に引用した大機小機で言っているように、政策に関与することも業績としてカウントするというアイデアはどうか?個人的にはいいアイデアだとは思えない。この場合、それぞれのジャーナルの価値が国際的に確立されているアカデミックな業績と、政策関連の業績との為替レートを決めなければならないのだけれども、政策関連の業績の価格が高すぎて今のようにアカデミックな業績はいまいちだけど政策について何か書く人が優遇されてしまうリスクが高すぎると思う。特に、政策関連の業績の価格が調整されるマーケットがない場合、政府によってその価格が高めに設定されて、今のように、大した業績はないけど政策について「分析」している人が高めに評価されてしまうリスクを恐れるべきだと思う。<br />
<br />
アカデミックな論文だけが業績にカウントされるシステムがだんだん根付いてきているのは素晴らしいと思う(もちろんそういう状況に身を置いているのでポジショントークととってもらってよい)。個人的には、今でも、ちゃんとした業績もないのにいい職を得ている経済学者が多すぎると思う。マスコミに出ている人とか、本ばかり書いている人とか、業績はいまいちだけど政府に重用される人とかがまだまだ多すぎると思う。方向性としてはアカデミックな業績を重視する方向にだんだん向かっているので、そういう人が少なくなっていくのは時間の問題だと思う。日本の政策の議論に関連する研究があまり評価されない結果、その量が過少になるかもしれないという問題はあるものの、きちんとしたアカデミックな業績のある人が評価されるべきだと思う。きちんと国際的に評価される業績があって、説得力を持ってクルーグマンのような人に反論できる人でないと政策関連の議論をしてもしょうがない。<br />
<br />
個人的には、政策関連の議論を活発にするためには、回りくどいやり方かもしれないけれども、以下のようなことが重要だと思う。<br />
<ol>
<li>データの整備。いいデータがあれば自然と論文も出てくる。アメリカやヨーロッパはもとより、例えば、今では、ブラジルとかも日本よりいいデータが誰でも使えるように提供されており、それを使って論文を書いている一線級の学者がいる。政府は、データを使いやすくするとともに、(ちゃんとした)経済学者に、どのようなデータがあれば、政府が必要とするような研究がより活発になるかを聞くべきだと思う。</li>
<li>アメリカのCEA(大統領諮問委員会)のように、いろいろなキャリアのステージの経済学者を2年とかいうタームで雇ってもよい。</li>
<li>マスコミが、ちゃんとした研究に、もっと注意を払うべきだと思う。消費税なり社会保障なりの分野は、今でも新しい論文が書かれているが、そういう新しい論文に注目したような記事はあまり見ない。</li>
<li>日本の経済学ジャーナルも、あるトピックで特集をしたり、あるトピックの学会を開いてConference Volumeを出したりすれば、政策に貢献できるかもしれない。アメリカでいえばJMEのCarnegie-Rochester(JMEがあるトピックの論文を募集して、学会を開き、その学会で発表された論文とその論文へのコメントがJMEに載る)やBrookingsの出版物(Brookings Institutionによる似たようなシステム)である。JMEとまではいかなくても、論文にできるとなれば、日本の政策論争にちょっとだけでも貢献したいと思っている人もいるのではないかと思うんだけれども。</li>
</ol>
unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-62312698122504159382018-01-17T16:29:00.000-05:002018-01-17T16:34:24.355-05:00Declining Labor ShareNBER Reporter(NBERに所属する研究者が自分の最近の研究の内容をテクニカルになり過ぎないように説明している刊行物)でLoukas KarabarbounisとBrent Neimanが、労働分配率の低下について書いていた(<a href="http://www.nber.org/reporter/2017number4/karabarbounis.html">リンク</a>)のでメモしておく。<br />
<br />
労働分配率というのはGDPのうちどの割合が労働者に(主に賃金として)分配されているかを示している。普通は2/3くらいと考えられている。この割合が安定しているというのは、マクロ経済における重要な事実のひとつと考えられてきた。モデルで言えば、代表的企業の生産関数にコブ・ダグラス型の生産関数を使う根拠となっている。<br />
<br />
しかし、最近の研究では、この割合が低下してきていることが示されている。GDPにおける労働者の「取り分」が低下しているというのは、所得不平等の度合いが拡大しているという事実とも関連している。労働分配率が低下するということは、直接あるいは間接的に企業を保有している人(大体は高所得者)に分配されうる所得が増えることを意味するからである。<br />
<br />
下のグラフは、アメリカにおいて1975年以降の労働分配率がどのように変化してきたかを示している。赤の点線は経済全体の労働分配率、黒の実線は、法人企業のみの労働分配率である。企業のみの労働部分配率を見ているのは、政府や非法人企業の収入を資本の取り分と労働者の取り分に分けるのが難しいからであるが、どちらも同じように動いている。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-AXgGb0aKy5o/Wl-55nohJqI/AAAAAAAAA30/MHWh0C_eUr4MrEz3E-ezOEeEoSavGl-WgCLcBGAs/s1600/Fig-1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1237" data-original-width="1600" height="308" src="https://2.bp.blogspot.com/-AXgGb0aKy5o/Wl-55nohJqI/AAAAAAAAA30/MHWh0C_eUr4MrEz3E-ezOEeEoSavGl-WgCLcBGAs/s400/Fig-1.jpg" width="400" /></a></div>
経済全体の労働配分率は65%程度の水準から60%近くまで落ち込んだことが見て取れるであろう。この傾向は、アメリカだけではない。次のグラフは、日本、中国、ドイツを示している。いずれも低下傾向にある。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-RLh3zf7unEs/Wl-6Qh0bQPI/AAAAAAAAA34/mkMFncdb95crkMFjHWXuFNfKwl0TH3IKQCLcBGAs/s1600/Fig-2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1237" data-original-width="1600" height="308" src="https://4.bp.blogspot.com/-RLh3zf7unEs/Wl-6Qh0bQPI/AAAAAAAAA34/mkMFncdb95crkMFjHWXuFNfKwl0TH3IKQCLcBGAs/s400/Fig-2.jpg" width="400" /></a></div>
次のグラフはもっと多くの国について、1975年から2012年の労働分配率の変化率をまとめて表示したものである。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-gjVFWHj3AZ4/Wl-6j7Cz_SI/AAAAAAAAA38/xvIBM36rTaMcmoWb96XTqCFsXuVRcrdzwCLcBGAs/s1600/karabarbounis1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="600" data-original-width="840" height="285" src="https://2.bp.blogspot.com/-gjVFWHj3AZ4/Wl-6j7Cz_SI/AAAAAAAAA38/xvIBM36rTaMcmoWb96XTqCFsXuVRcrdzwCLcBGAs/s400/karabarbounis1.jpg" width="400" /></a></div>
労働分配率が上がった国もある(たとえば韓国、ブラジル)が大半の国、特に先進国においては労働分配率は低下した。彼らは一連の研究において、この低下の理由を分析してきた。以下はそのハイライトである。<br />
<br />
<ol>
<li>労働分配率の低下は大部分の国で起こっているので、ある国・地域特有の政策・現象では説明できない。労働組合が強い国(スカンジナビア諸国などの大陸ヨーロッパ)でも起こっている(労働組合の力の低下はどの国でも同時並行的に起こっていると思うのだけれども…)</li>
<li>労働分配率の低下の一部は、産業の構造変化(労働分配率が低い企業が高い企業に比べて拡大した)で説明できるが、労働分配率の低下は大部分の産業の内部で起こっているので、それだけではない。</li>
<li>もちろん、産業の内部において、労働分配率が低い企業が拡大し労働分配率の高い企業が縮小したというストーリーは彼らのデータによって棄却されない。</li>
<li>彼らが重視しているチャンネルは、生産が労働を多く使うものから資本を多く使うものへシフトしたというものである。ちょうど、労働分配率の低下と時を同じくして、IT関連の資本の価格が低下した。もし、資本と労働の代替の弾力性が1を超えていれば、資本の価格が例えば1%低下したときには、資本を1%以上多く使う生産様式にシフトするので、収入のうち資本(労働)に支払われる部分が上昇(低下)し、労働分配率は低下することとなる。</li>
<li>と言うわけで、重要なのは、資本と労働の代替の弾力性の大きさなのであるが、一国の中のデータを使うと弾力性の推定値は1を下回るものの、彼らがたくさんの国とたくさんのセクターのデータを使ってえた推定値は1.25であった。この弾力性の推定値を使うと、労働分配率の低下の半分は(ITなどの)資本の価格の低下によって説明できる。</li>
<li>残りの半分は何によって説明できるだろうか?企業のマークアップ率の上昇、それに伴う利益の増加、によるものではないか。</li>
</ol>
労働分配率の低下と関連している重要な結果として、企業の貯蓄が大きく増加したということが挙げられる。1980年ごろは家計の貯蓄が企業の投資に使われていたが、企業の利益が増加する一方、配当の伸びはそこまで大きくなかった結果、企業の内部留保は大きく拡大した。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-bz8-Q2Arkc4/Wl-_QSpDv3I/AAAAAAAAA4I/fSKdhFBIYbo5TqEUvh7v4-TfCU3lTdGuACLcBGAs/s1600/karabarbounis3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="659" data-original-width="408" height="400" src="https://4.bp.blogspot.com/-bz8-Q2Arkc4/Wl-_QSpDv3I/AAAAAAAAA4I/fSKdhFBIYbo5TqEUvh7v4-TfCU3lTdGuACLcBGAs/s400/karabarbounis3.jpg" width="247" /></a></div>
上のグラフは、労働分配率が減少した一方、労働に分配される以外の部分がどこに行ったかを示している。資本への支払いや税支払いはあまり増加していない一方、企業の内部の貯蓄される金額は増加してきている。企業セクターが経済における借り手から貸し手に変わったことが経済全体にどのような影響を与えるかは今後の研究課題としている。unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-5315584554112335652018-01-15T00:53:00.001-05:002018-01-15T20:11:33.218-05:00Raj Chetty in 14 Chartsブルッキングス研究所が、Raj Chettyによる不平等についての一連の研究をあらわした14のグラフを特集していた(<a href="https://www.brookings.edu/blog/social-mobility-memos/2018/01/11/raj-chetty-in-14-charts-big-findings-on-opportunity-and-mobility-we-should-know/">リンク</a>)。それを載せておく。<br />
<br />
1.アメリカでは所得で下位20%の親から生まれた子供が上位20%に到達する確率は7.5%であり、カナダの半分強しかない。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-Yx9Zgy6vrPQ/Wlw6YRAvdCI/AAAAAAAAA2s/wOr5mIXU78c2MejthfZCU5iBvyyTceaLwCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="452" data-original-width="603" height="476" src="https://2.bp.blogspot.com/-Yx9Zgy6vrPQ/Wlw6YRAvdCI/AAAAAAAAA2s/wOr5mIXU78c2MejthfZCU5iBvyyTceaLwCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty1.png" width="640" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
2.親の所得を0-100にランク付けし(X軸)と子供の所得も同じように0-100にランク付けすると(Y軸)、その関係は強く相関している。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-5nu6Qyo3eDY/Wlw6aHfnFnI/AAAAAAAAA3A/RPxJ6duH9Ng9tobpTY3uDWCrd_mlDZNYwCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty2.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="367" data-original-width="578" height="406" src="https://1.bp.blogspot.com/-5nu6Qyo3eDY/Wlw6aHfnFnI/AAAAAAAAA3A/RPxJ6duH9Ng9tobpTY3uDWCrd_mlDZNYwCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty2.png" width="640" /></a></div>
<br />
3.所得で上位20%の子供の親がどの所得層(上位20%(紫)から下位20%(濃い青)まで分類)に位置するかを見てみると、その分布は1970年以来変わっていない。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-n2UBsOefNmc/Wlw6apmdEUI/AAAAAAAAA3E/UJ7_-bi0mwI3erUCa_3j5GMOib4paPTfQCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="511" data-original-width="768" height="424" src="https://3.bp.blogspot.com/-n2UBsOefNmc/Wlw6apmdEUI/AAAAAAAAA3E/UJ7_-bi0mwI3erUCa_3j5GMOib4paPTfQCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty3.png" width="640" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
4.それぞれの年に生まれた子供の所得が親の所得を超える確率は1940年生まれの90%から1980年生まれの50%まで低下した。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-BentiZVt6zg/Wlw6bHGEhFI/AAAAAAAAA3I/p4I-NVOrjMw7xF-o4hjNnxf7xVO8BdNUACLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty4.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="409" data-original-width="596" height="438" src="https://1.bp.blogspot.com/-BentiZVt6zg/Wlw6bHGEhFI/AAAAAAAAA3I/p4I-NVOrjMw7xF-o4hjNnxf7xVO8BdNUACLcBGAs/s640/es_20180110_chetty4.png" width="640" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
5.所得上昇の可能性は地域によって大きな違いがある。下のグラフは親の所得が下位25%の子供の所得がどのランク(薄い色はランクが高く濃い色はランクが低い)であるかを示している。南部と中西部では子供の所得のランクも平均的には低いが、それ以外の地域では所得上位に位置する子供も多い。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://4.bp.blogspot.com/--aT2XVYB2Mw/Wlw6duPpSUI/AAAAAAAAA3c/IPNJbWL09LAJnHvB1nqWT09lkAujSBlvwCLcBGAs/s1600/es_20180110_chettymap1.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="389" data-original-width="518" height="480" src="https://4.bp.blogspot.com/--aT2XVYB2Mw/Wlw6duPpSUI/AAAAAAAAA3c/IPNJbWL09LAJnHvB1nqWT09lkAujSBlvwCLcBGAs/s640/es_20180110_chettymap1.png" width="640" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
6.親が所得が変化しにくい地域から変化しやすい地域に移った場合、子供が若い時に移るほど、子供が結婚する確率も上がるし、所得や教育にも好影響がある。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-oBrQPU2AdlI/Wlw6bjow-LI/AAAAAAAAA3M/AEadTfVPvxo2hck5jP9Bn6RCBwrW5v3-gCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty6.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="368" data-original-width="567" height="414" src="https://3.bp.blogspot.com/-oBrQPU2AdlI/Wlw6bjow-LI/AAAAAAAAA3M/AEadTfVPvxo2hck5jP9Bn6RCBwrW5v3-gCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty6.png" width="640" /></a></div>
<br />
7.ランダムに選ばれて住宅バウチャーを 受け取って「いい」地域に移った家の子供(濃い青)は、バウチャーを受け取らなかった家の子供(薄い青)より所得が高まった。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-OYaWQ2tUsDc/Wlw6cHCb4aI/AAAAAAAAA3Q/vTc1EPPG9u8cVqm1BQl9Voti-2fJHOlNACLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty7.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="449" data-original-width="662" height="434" src="https://1.bp.blogspot.com/-OYaWQ2tUsDc/Wlw6cHCb4aI/AAAAAAAAA3Q/vTc1EPPG9u8cVqm1BQl9Voti-2fJHOlNACLcBGAs/s640/es_20180110_chetty7.png" width="640" /></a></div>
<br />
8.「よくない」地域で育った子供の所得に与える負の影響は男子のほうがずっと大きい。ボルチモアで育った男子の所得は平均より28%低くなる(女子は5%低下)。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/--DJgYWOBYx4/Wlw6clFng4I/AAAAAAAAA3U/bbIX491YdVgYrGhc3lwsO0uipGcj9YI-QCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty8.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="374" data-original-width="517" height="462" src="https://3.bp.blogspot.com/--DJgYWOBYx4/Wlw6clFng4I/AAAAAAAAA3U/bbIX491YdVgYrGhc3lwsO0uipGcj9YI-QCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty8.png" width="640" /></a></div>
<br />
9.貧困の中で育った場合の負の影響は男の方が大きい。X軸に親の所得のランク、Y軸に働いている人の割合(青は男性、赤は女性)をとると、青の線の方が傾きが大きい。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-f1hdtxSkIJc/Wlw6dLkPJrI/AAAAAAAAA3Y/MDjHc0FuFqkSg3UYCWxG11CEg3E8lsb2wCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty9.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="452" data-original-width="667" height="432" src="https://1.bp.blogspot.com/-f1hdtxSkIJc/Wlw6dLkPJrI/AAAAAAAAA3Y/MDjHc0FuFqkSg3UYCWxG11CEg3E8lsb2wCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty9.png" width="640" /></a></div>
<br />
10.経験豊富な幼稚園の先生は将来の所得に大きな影響を与える。幼稚園で10年以上経験のある先生についた子の所得(濃い青)は経験が10年未満の先生についた子供の所得(薄い青)を上回る。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-v5QdVHQ7TLA/Wlw6YaUBVPI/AAAAAAAAA2o/yMUdfXCVO0oLsV_82fORpwXVGr9LP7YEQCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty10.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="375" data-original-width="581" height="412" src="https://2.bp.blogspot.com/-v5QdVHQ7TLA/Wlw6YaUBVPI/AAAAAAAAA2o/yMUdfXCVO0oLsV_82fORpwXVGr9LP7YEQCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty10.png" width="640" /></a></div>
<br />
11.大学は親の所得にかかわらず子供の所得を大きく高めることができる。X軸は親の所得のランク、濃い青はエリート大学に行った子供の所得、青はその他の4年制大学に行った子供の所得、水色は2年制の大学に行った子供の所得である。どのケースにおいても、大学は所得の不平等を緩和する(所得の低い親の子でも大学に行けば所得が大きく上昇することが多い)役割がある。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-8dvmY_gEzxY/Wlw6YokdN0I/AAAAAAAAA2w/8Babz9ysC0I7iuxHxCMJuwWQjaV-EH5ewCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty11.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="418" data-original-width="658" height="406" src="https://3.bp.blogspot.com/-8dvmY_gEzxY/Wlw6YokdN0I/AAAAAAAAA2w/8Babz9ysC0I7iuxHxCMJuwWQjaV-EH5ewCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty11.png" width="640" /></a></div>
<br />
12.しかし、高校卒業後すぐに大学に行くか否か(Y軸は18-21歳で大学に行っている子の割合)は親の所得(X軸がそのランク)に大きく相関している。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-nYIBe4Gb5PY/Wlw6Y_JbNhI/AAAAAAAAA20/Qca0sOGJRkw2sbNpHsidl292K3E1ObpnACLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty12.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="435" data-original-width="589" height="472" src="https://1.bp.blogspot.com/-nYIBe4Gb5PY/Wlw6Y_JbNhI/AAAAAAAAA20/Qca0sOGJRkw2sbNpHsidl292K3E1ObpnACLcBGAs/s640/es_20180110_chetty12.png" width="640" /></a></div>
<br />
13.発明家(30歳までに特許を取った人とする)になる確率(Y軸)は親の収入(X軸がそのランク)に大きく依存している。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-NV3bDrTbI-I/Wlw6ZLD3ZlI/AAAAAAAAA24/hi68Mxuhk9cgiSJQaeTSTzsshDO1UB90gCLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty13.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="433" data-original-width="552" height="500" src="https://3.bp.blogspot.com/-NV3bDrTbI-I/Wlw6ZLD3ZlI/AAAAAAAAA24/hi68Mxuhk9cgiSJQaeTSTzsshDO1UB90gCLcBGAs/s640/es_20180110_chetty13.png" width="640" /></a></div>
<br />
14.所得の違いは寿命の違いに強く相関している。青い線は男性の平均寿命、赤い線は女性のもの。X軸は所得のランク。所得上位の男性と下位の男性では平均寿命が10歳も違う。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-DQ2B4D3u0ms/Wlw6ZhUWpgI/AAAAAAAAA28/25tu4CUS2s83hOHLV-goJl9neIFo6w-DACLcBGAs/s1600/es_20180110_chetty14.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="426" data-original-width="639" height="426" src="https://3.bp.blogspot.com/-DQ2B4D3u0ms/Wlw6ZhUWpgI/AAAAAAAAA28/25tu4CUS2s83hOHLV-goJl9neIFo6w-DACLcBGAs/s640/es_20180110_chetty14.png" width="640" /></a></div>
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<br />unrep.agenthttp://www.blogger.com/profile/04072742264645029631noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5088889336984605178.post-37617265183165879432018-01-11T23:45:00.001-05:002018-01-11T23:45:18.475-05:00Papers at AEA, Part 3もう一回だけ、フィラデルフィアのAEAで見たペーパーについてのメモ。今回は、Valerie Rameyがオーガナイズした「伝統的・非伝統的政策の財政乗数」セッションのペーパーを紹介。<br />
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"The Effects of Tax Changes at the Zero Lower Bound: Evidence from Japan"<br />
Wataru Miyamoto, Thuy Lan Nguyen, Dmitriy Sergeyev<br />
日本の財政政策の変更がGDPに与える影響をナラティブ・アプローチ(新聞や官報などに書かれた情報を元に、財政政策の変化を識別するアプローチ。景気の変化と関係ない財政政策の変更を書かれた情報を元に識別することで、(景気の変化に反応したわけではないという意味で)外生的な財政政策の変化だけを見ることができる)を使って分析。特にゼロ金利以前と以後のデータを比較して、ゼロ金利の元では財政政策の効果が強くなるというゼロ金利のモデルの特徴がデータで支持されるかに注目。財政政策の変化がGDPに与える影響はゼロ金利以前と以後の期間で有意に変わらなかった。討論者も指摘していたけど、全部で3回しか引き上げしてないのに消費税引き上げの効果をゼロ金利実施前と実施後で比較とかしちゃあまずいのでは。<br />
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"Unconventional Fiscal Policy"<br />
Francesco D'Acunto, Daniel Hoang, Michael Weber<br />
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ドイツで2005年にVAT(消費税と思えばよい)の税率が2007年に3パーセンテージポイント引き上げられることが急に公表された。著者らはこれを「非伝統的な財政政策」と呼んで、その効果を分析した。このアナウンスメントの結果、ドイツでは(VAT税率引き上げが実施されなかった他のEU諸国(=コントロールグループ)と比べて)2006年に翌年の期待インフレ率が上がり、実際に2007年のインフレ率も上がった。アナウンスメントの後では(コントロールグループである他のEU諸国に比べて)今は耐久消費財を買うのによい時期だと答えた家計の割合が34%増加した。日本の消費税の引き上げのときもそうだけど、実際にVATの税率が引き上げられた後で耐久消費税の購入が落ち込んだらあまり意味はないのでは。</div>
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"What Do We Know About the Effects of Austerity?"</div>
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Alberto Alesina, Carlo Favero, Francesco Giavazzi</div>
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16のOECD加盟国で過去30年に実施された170の緊縮財政(Austerity)エピソードが、支出の引き下げが中心か増税が中心かによって、GDP等への影響がどのように異なるかを分析したペーパー。緊縮財政が実施されるときにはいろいろな政策がパッケージとして一緒に実施されることにも注意を払っている。支出の切り下げがメインの場合は、軽度の増税も同時に行われることが多いが、GDPへの負の影響はとても小さく(GDP比1%の支出切り下げパッケージはGDPを0.5%下げる)、そして短い(影響は2年程度だけしか続かない)。その上、緊縮財政が不況でない時に行われた場合は、GDPへの負の効果はゼロである。一方、増税がメインとなる緊縮財政パッケージの場合は、支出の切り下げは同時に実施されないことが多いものの、GDPへの負の影響はとても大きい(GDP比1%の増税メインの緊縮財政パッケージはGDPを2%引き下げる)上に、負の影響は長く続く。</div>
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