Unemployment Fiscal Multiplier

前回は、Fiscal Multiplier(政府支出(税金)を1ドル増やした(減らした)時にGDPが何ドル増えるか)について書いたが、今回の景気後退においてGDPと同じくらい注目を浴びているのは高止まりしている失業率である。GDPが何%上がった下がったという話よりも、職が見つかったとか失業したという話の方が個々の労働者には重要といえるからである。今回紹介する論文(Monaceli, Perotti, and Trigari (JME2010), "Unemployment Fiscal Multiplier")は、失業率乗数と呼ぶものを定義して、データ、モデルの双方から失業率乗数を分析したものである。この論文はCarnegie-Rochesterシリーズなので、Merzがコメントを寄せている。

失業率乗数とは何か?簡単に言えば、政府支出(税金)をGDPの1%相当増やした(減らした)時に、失業率が何%下がるかという指標である。筆者達は、まずはこの失業率乗数をアメリカの過去(1954-2006年)のデータから推定した後で、失業が生じるRBCモデル、及びその拡張版であるNew Keynesianモデルを使って、どのようなモデルが、データから推定された失業率乗数を再現できるかについて考察している。

まずはデータから見てみよう。VARを使った推定によると、政府支出をGDPの1%相当額増やした場合、GDPはピーク時(約2.5年後)に1.6%増加する。民間消費は同じくピーク時に0.7%増加する。総労働時間は1.5%増加する。これは主に雇用者数の増加によるもので、労働者一人当たりの平均労働時間はあまり反応しない。失業率は同じくピーク時(政府支出増加から2.5年後)に0.6ポイント下落する。これが彼らが失業率乗数と呼ぶものである。賃金はピーク時に約2.5%引き上げられる。但し、前に書いたとおり、これらの推定値、特に政府支出拡大に対して消費がどう反応するかについては、正反対の結果があり、経済学者間で合意ができていないことに注意してほしい。

では、これらの乗数はRBCモデルで再現できるであろうか?筆者達はまずは失業の生じるシンプルなRBCモデルからスタートする(ちなみに「RBCモデルでは失業は存在しない」といったようなことを言う人がいまだにいるのは嘆かわしい)。失業の存在するRBCモデルはAndolfatto(AER1996)とMerz(JME1995)によって開発された。これらのモデルでは、労働者のある一定割合は会社がつぶれるなどして職を失う。失業者は職探しをするのだが、職が見つかるかどうかはその時に求人がどのくらいあるかによって決まる。求人が多いときには、職が見つかる確率が高く、求人が少ないときには職が見つかる確率は低い。企業がどのくらい求人を出すかは、企業が雇用を増やしたときに利潤がどのくらい増えるかによって決まる。労働者を増やしたときに増える利潤の幅が大きければ大きいほど企業は多くの求人を出すこととなる。企業が労働者を一人雇ったときの利潤はどのように決まるだろうか?シンプルなモデルでは、労働者の生産性と、労働者に支払わなければならない賃金の差である(そのほかのコストは捨象しておく)。つまり、労働者の生産性が高ければ求人が増えるし、労働者の賃金を低く抑えることができれば生産性は変わらなくても利潤は増えるので求人は増えるのである。ちなみに、このようなシンプルなモデルを使うと、最低賃金を引き上げたときには企業の利潤が減るので求人が減少し、平均的な失業率は上昇する。

筆者らは、このようなモデルを使って、政府支出拡大が、GDP、消費、失業率、賃金にどのような影響を与えるかをシミュレーションによって分析した。その結果は以下の通りである。シンプルなモデルでは、政府支出をGDPの1%相当額増加した場合、GDPはピーク時に約0.2%増加する。しかもピークは財政支出拡大の約3ヵ月後である。消費は約0.7%減少する。消費の反応のピークは財政支出拡大の直後である。失業率はピーク(約3ヵ月後)で0.2ポイント低下する。賃金はピーク(財政政策発動の直後)に約0.3%減少する。上で述べたデータと比べれば一目瞭然だが、一言でいうと「ぜんぜんだめ」である。

民間消費が財政支出拡大に反応して減少するのはRBCモデル共通の性質なので、特に改めて驚くことではないが、なぜ賃金が減少するのだろう。そのことを説明するために、このモデルにおいて財政支出拡大がどのようなメカニズムで経済に影響を与えるかを説明してみる。筆者らによると、財政支出拡大が経済に影響を与える主要なチャンネルは3つある。

(1) 財政支出拡大は将来の増税を伴うので、負の資産効果(負の所得効果)によって民間消費が減少する。消費が減少するということは消費が稀少になるということなので、失業者はより多くの余暇を楽しみ、余暇の価値は消費の変動によって影響を受けないという設定の下では、(消費に比べた)余暇の相対的な重要性が減少する。余暇の相対的な重要性が下がると、企業との賃金交渉において労働者は不利になる。なぜかというと、交渉が決裂して労働者が失業した際に楽しめる余暇の価値が低いので、労働者は交渉において強気に出られなくなるからである。企業の交渉力が上がると、賃金が下がる。労働者の生産性が下がらないとすると賃金の減少によって企業の利潤は上がり、このような状況を見越した企業は求人を増やすので失業率も下がることになる。

(2) 政府支出の増加によって民間消費と民間投資がクラウドアウトされる。投資の減少によって資本が減少し、金利が上昇する。金利が上がると、将来の利潤の割引率が上昇し、将来の利潤の現在価値が低下するので、企業は求人を減らす。

(3) 資本の減少によって労働者の生産性が下がるので、企業の利潤も減少し、求人が減少する。

政府支出の増加に反応して失業率が下がるということから(1)の効果が(2)と(3)を上回っているとがわかる。これまでの分析でシンプルなモデルでは、データから計算した乗数が再現できないことがわかった。では、シンプルなモデルをどのように拡張すれば状況が改善するだろうか?筆者らは以下の拡張を試してみた。

1. 失業者への失業保険:失業保険の導入はモデルの失業率乗数を「下げる」こととなってしまう。上の(1)を見ればわかるが、財政支出拡大に反応して失業率が下がるためには、失業者が余分に楽しむことができる余暇の相対的な価値が下がることが重要であるが、失業保険ではこのチャンネルがきかなくなってしまうからである。

2. 賃金の硬直性:賃金の硬直性の導入もモデルの失業率乗数を「下げる」結果となる。賃金が下がることが大きな失業乗数のために重要なのだけれども、賃金の硬直性はそのチャンネルを弱めてしまうからである。

3. 賃金への課税:最初に扱ったシンプルなモデルでは、労働者も失業者も一律に定額税(lump-sum tax)を払うと仮定しているが、課税方法を労働者の賃金への課税とするとどうなるであろうか?この場合、政府支出の増加に対応して現在及び将来の税率が引き上げられると、労働者にとって失業していることが(相対的に)魅力的となるので、賃金交渉における労働者の相対的な交渉力が高まり、企業の利潤は下がることとなる。つまり、失業率乗数は弱められることとなる。

4. これまで扱ったシンプルなモデルに名目価格硬直性やcounter-cyclical mark-upを導入したNew Keynesianモデルにした場合、財政乗数や失業率乗数を引き上げることができるが、アドホックな仮定が多すぎてよくわからない(それにあまり面白くない)ので深く立ち入らない。

ここまで機械的な説明が多すぎて恥ずかしいのだが、最後に、多少、このペーパーを離れたコメントをしておく。2009年以降、アメリカではARRA (American Recovery and Reinvestment Act)のもとで非常に大きな財政支出拡大を行ってきているが、2009年の半ば以降失業率は10%を少し下回るあたりをうろつき続けている。非常に単純に考えると、例えば、財政支出拡大がGDPの3%、失業率乗数が0.6だとすると、財政支出拡大によって失業率は1.8%引き下げられるはずである。一方、失業率は2009年以降高いレベルで安定している。これはなぜか?3つの考え方を挙げておこう。
(a) ARRAがなければ失業率は現在のレベルより高いものとなっていた。
(b) 失業率乗数はこのペーパーで計算された値ほど高くはない。
(c) 現在実施されている失業保険の拡張(普段は半年まで失業保険を受け取れるのだが、現在は最高2年まで失業保険を受け取ることができるようになっている)によって、職を探すインセンティブが減少していることが、失業率の高止まり(あるいは財政支出拡大が失業率に与える影響の帳消し)の背景にあるのではないか。

失業率乗数をめぐる議論は、データ、理論の両面において一層の発展が望まれる。

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