Modeling Premium Friday, Part 2

前回のポストに引き続いて、プレミアムフライデーがマクロ経済に与える影響を、シンプルな新古典派成長モデルを使って分析してみる。

モデルは前回に紹介したものを引き続き使う。前回書いたとおり、プレミアムフライデーをどのようにとらえるか(どのようにモデル化するのが適切か)について、僕はまだはっきりとわかっていないけれども、まずは、2つの異なる考え方を基に分析してみることにした。前回紹介した考え方は、プレミアムフライデーは、強制的に月末の金曜日の午後に労働者を帰らせることで、オフィスで無駄に過ごしている時間を余暇(あるいは生産的な労働)に開放するというものである。言い方を変えると、プレミアムフライデーは、労働者が自由に利用できる時間(disposable time)を増やすという考え方だ。簡単に想像はつくと思うが、基本的には1日に使える時間が増えるということは、生産に使える投入要素が増えるということなので、前回見たとおり基本的には経済にポジティブな影響を与える。

総需要効果を考慮しない場合、GDP、消費、投資は長期的には約1%増加する。自由に使える時間が増えた時に全てを余暇には回さないので、1週間あたりの労働時間は1時間は減らないものの約0.6時間(36分)減少し、余暇に使われる時間は1週間当たり約0.4時間(24分)増加する。1時間当たりの賃金は長期的にはプレミアムフライデー実施前と同じ水準に戻るけれども、労働時間が長くなるので、所得は増加する(長期的には所得が増加しないと消費は増加できない)。総需要効果を考慮すると、プレミアムフライデーの効果はより大きいものとなる。GDPや消費は1.9%増加し、消費(総需要)の増加がGDPを更に引き上げるので、賃金も長期的には0.9%上昇する。

では、今回は、別の考え方をしてみよう。プレミアムフライデーというのは、月末の金曜日の午後には働くことを禁止することで、労働供給を強制的に削減するものととらえることもできる。もちろん、別の日により長く働くことによって、月末の金曜の午後に働けない代わりをすることができるが、その場合プレミアムフライデーの効果というものはゼロなので、今回は労働時間が強制的に削減され、別の日の残業とかパートタイムを増やすとかで穴埋めができないものと仮定する。具体的には、週当たりの最大労働時間が、プレミアムフライデー実施前は40時間だったものが、39時間に削減されたと仮定する。加えて、プレミアムフライデー実施前は、労働者は週40時間ちょうど働いていたと仮定する。つまり、労働時間の制限がなくても労働者は週40時間喜んで働いていたのだけれども、プレミアムフライデー実施によって39時間までしか働けないこととなったと考える。このような政策の効果は以下に示される。



前回のケースと異なり、プレミアムフライデーの効果は総じてネガティブである。一段目のGDP(左)と消費(右)から見ていこう。総需要効果を考慮しなければGDPや消費は約2.5%減少する。総需要効果を考慮すると、GDPや消費の落ち込みは長期的には4.6%と、非常に大きなものとなる。

2段目の左には投資の動きが示されている。長期的には投資の変化はGDPや消費と同じく、総需要効果を考慮すると2.5%のマイナス、総需要効果もあった場合は4.6%のマイナスである。右には1週間あたりの労働時間が示されている。2017年以降、プレミアムフライデーが実施されたことで、労働時間は上限きっかりの39時間となっている。39時間という労働供給のアドホックな制約に引っかかっている。

賃金は一時的に上昇する。これは、労働時間に制限が加わって急に引き下げられることで労働供給が資本に比べて過少になるからである。しかし、長期的には資本が蓄積されることで、総需要効果がない場合にはプレミアムフライデー実施前のレベルに戻っていく。総需要効果がある場合は、総需要(消費)の落ち込みにともなって、賃金も下降し、長期的には、2.2%低下することとなる。実質利子率は、同様に資本の過剰供給を反映して一時期低下するものの、長期的にはプレミアムフライデー実施前のレベル(あるいは総需要効果がある場合はその近く)に戻っていく。

基本的には、プレミアムフライデーを労働供給に制限を加えるものとしてとらえた場合、そのマクロ経済に与える効果は総じてマイナスであることが見て取れる。

では、前回見た「需要側」のモデルと今回見た「供給側」のモデルのどちらが現実的だろうか?何度かちょっと議論したけれども、無駄な時間(モデルでいえばラムダ)を強制的に減らす効果が、小さいとはいえ労働供給を制限するネガティブな効果よりは比較として大きいのではないかなという気がする。でも、効果はかなり小さいだろう。見えないくらいかもしれない。月末の金曜午後の労働時間が減る分は、他の日に長く働いてもらったりする可能性が高いと思われるからだ。それに、プレミアムフライデーの対象となる労働者はモデルの仮定(労働者全員)よりおそらくはかなり少ない。

モデルでは直接扱えない話だけれども、もしかすると、フルタイムの人の労働時間が少し減少することで、パートタイムの人の労働時間が増えたり、主にパートタイムの人の雇用が(ほんの少し)増えるというような効果もあるかもしれない。

あとは、プレミアムフライデーの趣旨の一つとして、月末の金曜日に早く退社できることで、週末の旅行を促進するというようなことが書いてあった。これによって特に恩恵を受ける業界の業績がどう変わるかなどを見るのは今後の楽しみである。

最後になるが、フランスでは、2000年に労働時間の上限を週39時間から35時間に削減したことが話題になった。このときにこの政策のマクロ経済や労働市場にに与える効果についていろいろな研究がなされたことを覚えている。プレミアムフライデーとはちょっと違うが、35時間労働が実施された後でフランスに何が起こったか、この効果だけを見るのは難しいだろうが、面白い研究を思い出したら触れようかと思う。

Modeling Premium Friday, Part 1

前回のポストで、リバイズを進めるために新しい論文をほとんど読まないようにしているといってみたものの、ちょっと時間を食うことをやってしまった。

今回は、簡単なモデルで、プレミアムフライデーの効果を見てみたい。プレミアムフライデーというのは、毎月の最終金曜日に、皆がちょっと早く帰れる(例えば午後3時退社と書いてある)ように推奨することによって、余暇に使う時間を増やし、消費も刺激できるのではというアイデアである。

今回のポストを書くきっかけとなったのは、江口さんのこのようなtwitterでの発言である。

「プレミアムフライデーでGDPがどうなるかで、日本の低成長の原因が需要要因か供給要因かが分かるかも。供給要因なら労働時間減少でGDP下がるし、需要要因なら消費拡大(消費と余暇が補完的なら)してGDPが上がるはず。逆に言えば需要要因かつ消費と余暇が補完的でない限り景気拡大効果はない。」

とても面白い視点だと思ったんだけど、まずは、プレミアムフライデーのマクロ経済への効果をどういう風に考えたらいいのかな、と考え込んでしまったので、まずは、とても簡単なモデルからはじめてみようと思い立った。とりあえずは、「日本の低成長の原因が需要側なのか供給側なのか」という質問にどうリンクさせるかまでは思いつかなかったのだけれども、手始めとして、「需要側」を重視したメカニズムと「供給側」を重視したメカニズムで、どのようにプレミアムフライデーの効果が異なるかを考えて見たい。

では、どうやってプレミアムフライデーをモデルに取り込むかであるが、次のような入れ方を考えてみた。

  1. 「需要側」:これまでは、月末の金曜日の午後には皆オフィスにいつつも何も生み出していなかったと仮定する。もちろんこれはかなり単純化した非現実的な仮定なんだけれども、ちょっとくらい労働時間が減少しても(生産に役立つ)労働供給は変らないというアイデアを簡単に取り込むにはこういう仮定でいいのかなと思い立った。もし、これはおかしいとか、もっと良い入れ方があるという方がいたら、教えて欲しい。下のモデルでは、ラムダが無駄な時間を示す。このような状況では、プレミアムフライデーというのは、そもそも浪費されていた時間を余暇(あるいは労働)に開放すると考えられる。
  2. 「供給側」:プレミアムフライデーは、労働時間に関する制約と考える。これも、かなり単純化した仮定である。極端ではあるが、プレミアムフライデーは労働者が働く時間を強制的に減らすものと考える。

「供給側」についてちょっとコメントしておくと、もし労働者が月末の金曜日の午後に長く働けない分他の日により長く働くことができれば、プレミアムフライデーの効果は単に、働く時間が月末金曜の午後から他の日にシフトするだけである。残業代がかかるから雇用する企業にとってはコストが高まると考える人もいるだろうが、それは、単に、(残業時でない)平時の給料を下げることで対応できる。つまり、この考え方をとると、月ごとの総労働時間は変らず、平時の給料は下がる(が賃金収入の合計は変らない)と考えられる。マクロ経済(GDP、消費、投資等)への効果はない。これではあまり面白くないので、「供給側」チャンネルはもっと強いものとしてモデル化してみることにした。

基本モデルは成長のトレンドを除去した新古典派成長モデル(Neoclassical Growth Model)である。このモデルでは、定常状態であれば、GDP、消費、投資、資本は、一定のレベルで変らない。この状態は、これらのマクロ変数が一定の成長率(例えば年率2%)で成長していることを意味する(けどモデルでは定率の経済成長を単純化のために除去している)ので勘違いしないで欲しい。新古典派成長モデルという名前は、内生的成長モデルと対応しており、定常状態での成長率が外生的に決まってくるモデルをさす。

では、モデルを構成する式を挙げておく。並べただけで、あまり厳密にモデルを書いていない(例えば、代表的個人に関する変数とマクロの変数を区別していない)が、許して欲しい。
式(1)は、効用関数である。消費と余暇から効用が得られ、log-logの形式をとっているので、余暇が増えれば消費も増える。Lは最大労働時間、ラムダは上で書いた、「オフィスで過ごす無駄な時間」である。「供給側」のモデルの場合、ラムダはゼロにする(このチャンネルは使わない)。

式(2)は労働時間に関する制約である。「供給側」モデルでは、プレミアムフライデーはこの上限値が引き下げられると仮定する。

式(3)は消費者の予算制約である。消費者は労働時間あたりwの賃金を受け取る。貯蓄に対しては年率rの利子が得られる。

式(4)は資本の蓄積がどのように起こるかを示している。資本は年率デルタの割合で磨耗し、投資iをすることで増やすことができる。

式(5)は生産が消費あるいは投資に使われるという、マクロレベルの資源制約を示している。

最後に、式(6)は、生産関数である。上に書いたとおり、簡略化のため生産性(z = TFP)は一定としておくが、一定の率で成長すると仮定してもモデルの挙動は基本的には変らない。生産には資本(k)と労働(l)が用いられる。また、これも通常の仮定であるが、コブ・ダグラス型の一次同次の生産関数である。

ちょっと特別な仮定は、生産関数にcが入っていることである。通常のモデルであればこれはない(オメガ=0)。この仮定は、総消費が増加すると生産活動が刺激されるという、需要側のチャンネルを簡単に(ニューケインジアンモデルのように名目価格の硬直性を入れずに)入れるためのトリックで、最近のDirk KruegerのHandbook Chapterで使われていた。但し、この仮定はあまり標準的ではないので、以下では、オメガがゼロのケースも示す。オメガがゼロでないケースをオメガがゼロのケースと比べると、総需要チャンネルも考慮するとプレミアムフライデーの効果がどのように変ってくるかを見ることができる。

以下の表に、パラメーターの値を示す。1期間は1年で、全てのパラメーターはとても標準的なものである。
ベータの値は最初の定常状態で実質金利が年率4%になるように選んだ。資本の減耗率は年率8%、生産における資本の重要度は0.36、この辺はスタンダードな値である。オメガは、上に書いたとおり、総需要効果を考慮しないケースではゼロ、考慮したケースではKrudgerが使った数字(0.3)にしてみた。労働、あるいは余暇に使える時間の合計は1週間に98時間とした。1日あたり14時間である。ミューは、週当たりの労働時間が、プレミアムフライデー実施前に40時間(一日8時間)となるようにセットした。異なるモデルに同じターゲットを適用しているので、2つのモデルではミューの値が多少ではあるが異なっている。

「需要側」のモデルでは、プレミアムフライデー実施前(2016年まで)はラムダが1(1週間当たり1時間は無駄になっている)であるのが、プレミアムフライデー実施(2017年以降)によってゼロになると仮定する。週当たり1時間というのは、1ヶ月で4時間、つまり、月末の金曜日は午後に完全に休めるという仮定である。実際の時間(午後3時帰宅)よりはちょっと大きいが、金曜に残業している人とかを考えれば、それほど悪くない数字かと思う。もちろん、現実は全ての人がプレミアムフライデーの対象になるわけではないので、その意味では、このモデルでは、プレミアムフライデーの効果がかなり大きめ目に設定されている。

「供給側」のモデルでは、プレミアムフライデー実施前の週当たりの労働時間の上限は40時間であったものが、プレミアムフライデー実施によって39時間に引き下げられると仮定する。そもそもプレミアムフライデー実施前は、労働者は最適に40時間働いていると仮定しているので、この制約には引っかかっていない。そういう意味でも、プレミアムフライデーの影響が過大にモデル化されていると考えて欲しい。

では、今回は需要側のモデルの結果を示す。2016年まではプレミアムフライデーはなくて、経済は定常状態にあったものの、2017年に、急にプレミアムフライデーが実施され、プレミアムフライデーは永久に続くとする。期待は(2017年のプレミアムフライデー実施以外は)完全予見とする。ちょっとナーディーなコメントだが、モデルは、シューティング・アルゴリズムでもポリシー・イテレイションでも、価値関数イレテーションでも解けるが、労働が内生化されていて、消費が生産性に影響を与えるので、シューティング・アルゴリズムはちょっと難しかった。

上段のグラフはGDPと総消費、中断のグラフは総投資と週当たりの労働時間、下段のグラフは時間当たりの賃金と実質利子率を示している。2016年までは定常状態で、2017年以降は、プレミアムフライデーのある経済の定常状態にゆっくり収束していく。青い実線が、総需要チャンネルのないモデル、緑の点線が、総需要チャンネルのあるモデルである。GDP、総消費、総投資、賃金は、効果の大きさを見やすくするために最初の定常状態を1をしている。

「需要側」のモデルでは、プレミアムフライデーの効果は、余暇(あるいは労働)に使える時間が週当たり1時間増えた考えられる。それを反映して、労働時間は2017年に急に減少するが、39時間までは低下しない。それは、経済が刺激されて、生産を増やすために、労働時間も(39時間から)増えるからである。一つの解釈としては、オフィスの人の余暇が1時間増えた分、より多くの人がレストランに行くので、レストランは人を増やさなければならないというものだ(もちろんモデルは代表的個人を仮定しているので実際にはそういうことは起こっていない)。

GDPや総消費は順調に増加し、新しい定常状態では、総需要効果を考慮しなければ1%、総需要効果も考慮すると1.9%増加する。総需要効果がなければ2017年に経済成長率が押し上げられた後はほぼ経済成長へのの効果はないんだけれども、総需要効果を加味すると、成長率の押し上げは(低減していくけれども)30年程度続く。このパラメーター設定では総需要効果はかなり大きいことがわかる。新しい生産量を維持するために投資も同じ割合で増加する。

プレミアムフライデー実施当初は、労働供給に対して相対的に資本が不足するので、金利が0.1%程度上昇するが、新しい定常状態ではまた4%に戻る。賃金は、総需要チャンネルのないスタンダードなモデルであれば、資本の不足を反映して最初は下がるものの、定常状態では元のレベルに戻る。面白いのは総需要チャンネルがあるモデルの場合で、新しい定常状態では消費のレベルが高いので、賃金は前のモデルと同じく当初は一旦低下した後で、高い水準に収束していく。最終的には賃金は0.9%高いレベルに収束することとなる。

というわけで、「需要側」を重視したモデルでは、賃金は一時的に低下するものの、プレミアムフライデーの効果は総じて景気刺激的である。次回は、「供給側」を重視したモデルではどうなるか、を見ていくことにする。

Random Thoughts on "Evidence"

もともと時々しか書いていないブログなんだけれども、最近特に書くペースが遅くなってしまった。これまでは、新しいペーパーを書いたり、帰ってきたペーパーのリバイズをしたりしながら、いろんな分野の新しいペーパーについて流し読みするというスタイルできたのだけれども、1-2年くらい他のペーパーを基本的に読まずに、自分のペーパーのリバイズだけするということを試しているからである。そうしないと、放っておくとどんどんたまっていくリバイズが永遠に終わらない感じがしたからだ。リバイズのペースが上がっているような気がするので、しばらくはこの方向でやっていこうと思う。

というわけで、またも、新しい論文のレビューとかではなく、ツイッターとかでみた記事に対する感想文のようなものである。今回は、ダイヤモンド社の記事となっていた「受動喫煙に関するエビデンス」について、あまり考えず思ったことを書くだけにしておく。おそらくは、本にはもっとちゃんと書いてあるんだろうけれども、「学力」の経済学でもううおなかいっぱいで、この本を読む予定はないので、あくまでオンラインの記事だけを読んだ感想である。

  1. ちょっと最近、「エビデンス」という言葉が、正直言って(言葉は悪いが)うざくなってきている。趣旨には100%賛同するんだけれども、基本的に誠実な研究者は常にやってきたことなので、何か「エビデンス」という横文字で押し捲られると、誰でも知っていることをコンサルの人が横文字で主張してくるときと同じような違和感がある。
  2. ダイヤモンド社の記事によると、「日本人については「受動喫煙が健康に悪影響を与える」という確たるエビデンスがなかった」らしい。ところが、9つの、統計的に有意でなかった研究をまとめてメタアナリシスにすると、それが強力なエビデンスになるように書かれている。僕は統計とか計量とかよく知らないんだけれども、そういうもんなの?これで通用するなら、僕も今度、10個くらい統計的に有意でない研究を探してこようという気になる。喫煙者ではないし、そりゃ受動喫煙がいい影響があるわけはなくて、あるとしても大きい悪い影響か小さい悪い影響なので、禁止するコストが小さいなら禁止すべきであり、喫煙とかもっとしにくくなるといいなぁと日本で煙もくもくの小さいバーで酒を飲むたびに思うのだけれども、議論としては、JTの人に肩入れしたくなる。
  3. 次に、飲食店での全面禁煙が飲食店の売り上げに(負に)影響するかという議論がなされているが、それが重要なトレードオフなの?疑問である。一番重要な問題は、喫煙者が幸せになって非喫煙者が害をこうむるという外部性の問題、そして喫煙者の上司が店を選んだら断れないような話なんじゃないかと思うんだけど。
  4. この質問について日本のエビデンスはないけど、海外については、飲食店の全面禁煙は飲食店の売り上げに影響を及ぼさなかったというエビデンスがあるので、日本でもこのことは当てはまるのと考えるのが妥当であろう、といっているが、なんとなく、自分の議論に都合のいい部分についてだけ外部適用性の評価が甘いのではと考えてしまう。
  5. どちらかというと、「受動喫煙が健康に悪影響を与える」か否かの方が、国(人種)によって結果に違いはないだろうから、他の国の研究結果を日本に外部適用するのはあまり無茶じゃない気がするんだけれども、「飲食店の売り上げへの影響」というのは、各国の文化に影響を受ける面が大きい気がするので、海外の結果をそのまま日本に持ってくるのには慎重にならなければいけない気がする。特に「エビデンス」という言葉を振りかざしているのであればなおさらではないのか。
  6. あと、記事を見てて、「公共施設の全面禁煙」と「飲食店の全面禁煙」という言葉が混ざっているのに違和感を覚えた。もしかしたら議論の元になっている研究のいくつかは、「公共施設」を対象としていたり「飲食店」を対象としていたりするのかな。こういうところもっと正確にして欲しい。
(Disclosure) JTからお金をもらったりしてません。

Teach Me! BOJ


金融政策は、伝統的には、短期金利を操作し、それが長期金利にも波及することを通じて、実体経済に影響を及ぼしてきました。短期金利を操作していたのは、短期金利が一番確実にコントロールできるからです。以前に「教えて!にちぎん」に書いていた通り、長期金利は、通常、実体経済の状況や民間の経済主体がどのように将来の景気について考えるかで決まってくるものであり、日本銀行が直接コントロールすることは難しく、かつ、すべきではないという立場でした。 

ところが、リーマン・ショック以降、まず米・英などの中央銀行が長期金利に働きかける政策を実施しました。短期の政策金利がゼロ%に達し、いわゆる「ゼロ制約」に直面していたので、これ以上長期金利を引き下げることが不可能な状況下、更なる金融緩和効果を実現するために、長期国債等の買入れを通じて、長期金利を引き下げる政策を始めたわけです。日本銀行も2010年10月に「包括的な金融緩和政策」を導入し、やや長めの金利に働きかけました。また、2013年(平成25年)4月に導入した「量的・質的金融緩和」では、イールドカーブ全体の金利低下を促す観点から、大規模な国債の買入れを開始しました。長期国債等の買い入れや将来の金融政策についてコミットする、いわゆるフォワード・ガイダンスによって、長期国債の利回り等、名目の長期金利に影響を与えることができることはわかっていますが、それが実体経済にどのような影響を与えるかはわかっていません。アメリカの中央銀行である連邦準備銀行は、既に、長期国債等の買い入れを段階的に終了し、リーマン・ショック以前の金融政策に戻す方向に動き始めています。 

その一方、日本銀行は、2016年(平成28年)1月以降、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を実施し、理論的にも実証的にも効果が確認されていない政策を次々と実施しています。効果が確認されていないものの、なにかやらないと、最近数年の日本銀行の金融政策フレームワークが批判されるおそれがあるので、次々と新しい政策を目くらましのように実施して、あまり過去の政策に注意が向かないようになるというよい効果も期待されています。但し、効果がまったく確認されていないと認めてしまうと批判が強まるリスクがあるので、日本銀行は、マイナス金利と大規模な国債買入れの組み合わせが、長短金利全体に影響を与えるうえで、有効であるという研究結果をあわせて発表します。(詳しくは『量的・質的金融緩和』導入以降の経済・物価動向と政策効果についての総括的な検証」をご覧ください)。ここでは、非常に古くて今では経済学者には使われていないモデルに基づく理論的分析、および、識別問題について突っ込みどころ満載の実証的分析によって、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」が非常に効果的であることを示しています。これは素人の方がぱっと見ればこれはよくわからない、すごいと思われるでしょうが、それが狙いです。日本の経済学者の方々は、今や日本銀行が発表することについてまじめに批判・検証することは諦めているので、彼らにも突っ込まれない、しかも、このペーパーは日本語なので外国の経済学者にも突っ込まれない、という好ましい状況になっております。というわけで、事情を察して大人の対応をお願いします。 

こうした研究結果も踏まえ、2016年(平成28年)9月に日本銀行は、「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)」を導入しました。具体的には、日本銀行当座預金の「政策金利残高」に適用する金利を短期の政策金利とするとともに、長期金利については、10年物国債金利の操作目標を示して、これを実現するように国債の買入れオペを実施しています(詳しくは、「金融緩和強化のための新しい枠組み:『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』」をご覧ください)。最初に述べましたとおり、実質長期金利をコントロールすることは、まず不可能、かつ、望ましいかもわからないものですが、ここで参照しましたペーパーでは、がんばって正当化のように見えることを書いてみました。但し、理論的にも実証的にもきちんとした分析はありません。再びですが、事情を察して、大人の対応をお願いします。 

(注1) オリジナルはここ
(注2) インスピレーションは@JS_Ecohaさんのツイートだったと記憶しております。

No, Aging Did Not Cause the Secular Stagnation.

今回は、AcemogluとRestrepoによる最新のNBER Working Paper("Secular Stagnation? The Effect of Aging on Economic Growth in the Age of Automation")に触れる。とても短い論文だし、2017年のAEA年次総会で発表したと書いてあるので、おそらくはAER PPに載る論文なんだろう。

まずは、簡単にバックグラウンドから紹介しよう。普通の景気循環であれば、不況期にはGDP(生産活動)の成長率が急に落ち込むものの、その後の回復期にはGDPの成長率が急激に回復するのが常である。しかし、ほぼ全部の先進国では、2000年代後半の不況期以降、GDP成長率の急速な回復が見られない。下のグラフは、Summersが2016年2月に書いた記事と同じように、先進諸国の実質GDPの年間成長率の10年間の平均値の推移を示している(ソースはOECD。2016年以降はOECDの予測値)。
どの国も、1970年代以降、成長率が少しずつ低下し、2000年代初めのドットコムブームの後は、軒並み年率2%を下回っている。OECDの平均成長率も濃い青で示しているが、グラフにあるその他の国の動きと同じようなものである。このような成長率の停滞はSecular Stagnation(長期停滞)と呼ばれている。重要な事実は、この停滞はほぼ全ての先進国で起こっているという点である。よって、ある国に特有の理由によって説明してはならず、各国に同時に起こりうる説明でなければならない。例えば、日本において、生産性の低い企業が淘汰されていないから経済成長率が停滞したと言う議論は、日本の経済成長率が他のOECD諸国に比べて更に低いことの説明にはなるかもしれないけれども、大きな流れの説明にはならない。

このような長期停滞の裏にあるのは何であろうか?いくつもの仮説が提示されている。
  1. Summersは投資の需要の低さを強調している。ひとつ考えられるのは、コンピューター・オンラインサービスなどの重要性が増してくると、昔のように大型の機械に巨額の投資をする事が少なくなり、それが長期的な投資需要の停滞を生み出している。投資需要の停滞が総需要の停滞につながり、成長率を引き下げている。
  2. KrugmanはLiquidity Trap(流動性トラップ)の重要性を強調している。ゼロ金利制約に引っかかっている状況では、金融政策(政策金利の引き下げ)によって消費、投資などの総需要を刺激することが困難なため、総需要が停滞し、成長率の回復を妨げているのではないかというのである。但し、アメリカ・欧州・日本で行われてきている非伝統的金融政策はなんで効いてないのか?もし原因が通常の景気循環に対して金融政策で対処できないということであるならば、日本のように10年以上にわたってそのような不況が続くことが何でありうるのか?といった質問に答えられなければならない。後者の質問に対しては、いい均衡とゼロ金利に引っかかり続ける悪い均衡の二つがあり、悪い均衡にはまってしまうと脱出が難しいというような理論が提示されているが、このようなモデルは、急激な変化(1980年代の急激な地価上昇とその後の急激な低下のような)でも見られない限り、データによる正当化が難しいのではというのが個人的な印象である。
  3. Gordonなどは、そもそも技術革新のスピードが鈍った(インターネット以降、生産技術や生活を劇的に変えるような技術革新が起きていない)ことが長期的な停滞を引き起こしているのではないかという仮説を立てている。この仮説もデータから確かめることは非常に難しい。また、このような悲観論に対しては、1990年代初めにも同じことを言う人が言う人がいたけど、その後何が起こったか知ってるよな、という答えがよく返ってくる。
  4. BernankeはGlobal Saving Glut(世界的な貯蓄過剰)の重要性を強調している。中国やその他の途上国では貯蓄が大幅に増加しており、資源国では近年までは資源価格の上昇によって貯蓄が大幅に増えていた。そのような貯蓄の増加が世界の金利を引き下げ、またそのような貯蓄がドル資産などに向かうことで先進国の貿易赤字に結びつき、先進国のGDPの成長率を鈍化させた、という説である。
  5. 最後の仮説は、社会の高齢化をベースとしている。人口の高齢化に伴って、老後に備えるための貯蓄が増えて消費需要が停滞していること、そして、高齢化すると経済のダイナミズムが失われて技術革新が遅くなることを重視する立場である。
今回のペーパーでは、最後の仮説、つまり高齢化が進むと経済成長率が低下するという仮説をクロスカントリーデータで検証してみた結果、そのような仮説はデータでは支持されなかったということを示している。では、彼らのデータを見てみよう。まずは、高齢化に関するデータを示しているのが以下のグラフである。
緑色の線はOECD諸国における、50歳以上の人の人数の20-49歳の人の人数に対する比率である。しばしば、「依存人口比率」(dependency ratio)と呼ばれている。この数字が高いということは労働世代一人ひとりが養わなければならない高齢世代の人数が多いということである。今のOECD平均は0.9程度であるが、2050年には1.3を超えると予測されている。黒い線は全世界平均で、もちろんOECD平均より低い。日本はもっと高くなっている。

では、この依存人口比率が1990年から2015年の間に高まった国は経済成長率(一人当たりの実質GDP成長率)も低下するはずだという相関関係が、高齢化が長期停滞を引き起こしている場合に成り立っていなければならない。では、この二つをプロットしてみたのが以下のグラフである。
オレンジの点がOECD諸国、水色の点がそれ以外の国である。OECD諸国だけを見ても、全部の国を見ても、強い相関は見られない。それどころか、単純に線形回帰してみると、仮説が正しいときの場合とは逆に、正の相関がある。つまり、1990年から2015年の間に高齢化が進んだ国は経済成長率が低下するという仮説は彼らのデータからは支持されていない。逆に、経済成長率はわずかながら高まっている。

では、どうしてこのようなことが起こりうるか?彼らの仮説は、高齢化が進んだ国は、ロボットなど、労働力を使わない技術にシフトすることにより、生産性の低下を防ぐことができた、あるいは生産性が更に向上できたからだ、というものである。その仮設と整合的なデータとして以下のグラフが示されている。
X軸は前のグラフと同じく、高齢化の進み具合である。Y軸は、ロボットの使われる度合いが1993年から2015年の間にどの程度変化したかを示している。この数字が大きいということは、ロボットがより使われるようになったことを示している。日本がないように見えるのが残念だが、相関は正であり、彼らの仮説と整合的である。個人的には本当かなぁ、とにわかには信じがたい仮説なんだけど、まぁ、ちゃんと読んでいないので、批判のしようがない。簡単なデータ分析で大きなテーマについて直感的でない答えを出している、とてもprovocative(挑発的)な論文である。

Does When and How to do Fiscal Adjustments Matter?

Alesina, Azzalini, Favero, Giavazziによる最新のNBER Working Paper ("Is it the "How" or the "When" That Matters in Fiscal Adjustments?" No. 22863)を簡単に紹介する。

多くの先進国で、政府債務が膨らんでおり、財政再建が大きな課題の一つとなっている。ユーロ圏ではギリシャの政府債務返済への懸念が生じたことがきっかけとなって経済危機が生じ、それがその他の政府債務が大きい国(ポルトガル、スペイン、イタリア)にも飛び火したことで、ユーロ圏経済に深刻な影響を与えたことは記憶に新しい。日本においても、消費税率引き上げの背景にあるのは財政再建への取り組みである。

では、財政再建を行うに当たって、どの方法(税率引き上げか支出削減か)あるいはいつ行うか(好況の時か不況のときか、あるいはゼロ金利制約に引っかかっているときか)によって財政再建の効果は異なってくるか、という問題は常に重要であり続けている。長期的には財政再建をしたいとしても、財政再建は緊縮的政策であり、一時的には経済活動(GDP)が低下することとなる。そうであれば、できるだけ経済活動への悪影響が小さい手段、時期を選びたいからだ。

今回簡単に紹介する彼らのペーパーは、クロスカントリーデータ(たくさんの国の時系列データ)を用いて、財政再建がGDPに与える効果をVARを使って分析したものである。具体的には、彼らは、16のOECD諸国(オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、日本、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、UK、US)の1981-2014年のデータを使って、財政再建のGDPに与える効果を、手段別(増税か支出削減か)および時期別(不況期か好況期か)に推定した。また、ゼロ金利制約の時期でその推定値が異なるかも検討してみた。また、ちょっとテクニカルになるが、彼らは、政府による政策の発表を持って「財政再建」が行われたとした。その結果は以下のグラフにまとめられる。

  1. GDPの1%に相当する財政再建を行った場合、増税によって行うか、支出削減によって行うかによって、GDPへの影響は大きく異なる。支出の切り下げで財政再建を行った場合のGDPへの影響は小さい(青い線、0.5%以下)一方、増税によって財政再建を行うとGDPへの影響は大きい(黒い線、1%以上)。
  2. 財政再建をいつ行うかは財政再建がGDPに与える影響に大きく影響しない。上のグラフでは、濃い線が好況期に財政再建を行った場合、薄い戦が不況期に財政再建を行った場合であるが、両者は近い。
  3. ちょっと驚くべきことかもしれないが、不況期に財政再建を行った方が、GDPに対する負の影響は小さい。但し、この点に関して、著者らは、GDPへの影響と厚生(幸福度)への影響をごっちゃにしないようにと言っている。GDPへの影響は小さくても、経済厚生をみると、不況期の財政再建のほうが負の影響が大きいことは十分に考えられる。
  4. ゼロ金利制約が財政再建のGDPへの効果に影響を与えるかについては、ゼロ金利の期間が短いので、綿密な分析はできないが、上の分析において、ゼロ金利制約に引っかかっていた国・期間をはずして推定を行っても、結果は大きく変らない。このことは、ゼロ金利であるか否かは、財政再建のGDPへの効果に大きな影響を与えないことを示唆している。
一つ注意書きを書いておくと、これをみて、やっぱり消費税増税による財政再建は間違っているんだ、と短絡的に考えないようにして欲しい(そう考える人は多い)。日本の場合、そもそも、支出削減による財政再建をしようとしても削るところがないかもしれないからだ。最近は特に、社会保障制度(生活保護等)をより充実させるべきとか、子供に関する政府の支出(保育所、学校等)を拡大するべきとかいう考えが広まっているようなので、支出を減らそうと言う方向にはないようにみえる。そういう中で財政再建も行っていこうとすると、GDPへの影響は比較的大きいかもしれないが、増税に頼るしかないともいえる。著者らの議論とも重なるが、GDPへの影響と経済厚生への影響はまったく異なっている。必要なのは、直近のGDPへの影響だけ見て騒ぐことではなく、長期的に支出と課税をどのようなバランスで、長期的に実行可能なプランで行うかという大枠の議論だと思う。

Why the Median Professor at Tokyo University is not Publishing?

河野議員は、最近、日本のグラントのおかしな申請フォーム、あるいはグラントの使用におけるおかしな習慣について意見をTwitterで募り、いろいろ改善策を実施してくれたようで、日本の研究者の間で彼の仕事が賞賛され、話題になっていた。その一方、グラントの使いやすさを改善するなんてことをするんだから、グラントを受ける研究者側のパフォーマンスも注目するだろうなと思っていたら、やっぱりそういうことになりそうだ。

以前のポストで触れた阪大社研DP(ディスカッションペーパー)についてTwitterで意見を求めている。注目しているのは、日本のトップの国立大学の経済学部において、所属する教員の2005-2015年の10年間にトップ200のジャーナルにパブリッシュされた論文数の中間値をとるとゼロである、つまり半分以上の教員は過去10年にトップ200のジャーナルにひとつもパブリッシュできていないという事実である。ブログ記事でも触れたが、半分以上の人が過去10年に1本はパブリッシュしている機関は大阪大学の社会経済研究所(このDPを書いたところ)と京都大学の経済研究所だけである。トップ200のほとんどはかなり細分化された分野のジャーナルを含むのであまり知識が広くない僕なんて多分聞いたことないジャーナルがほとんどだと思う。

この理由については、いくつか考えられる。いくつかを挙げてみよう。

  1. 昔は英文のジャーナルへのパブリケーションが求められていなかったので、昔の人はあまりそういう業績を出そうとしてこなかった。
  2. アジアも含む海外の方が研究環境が圧倒的によいので、欧米のトップスクールでPh.D.をとった場合、若くて生産的な時期は海外で過ごして、生産性が衰えてきたころに日本に戻るパターンが多い。
  3. 従来の日本では、(国際)ジャーナルにパブリッシュせず、政策に直結する仕事をする人が出世してきた。
  4. 日本の研究環境が劣悪なので、海外であればパブリッシュできる生産的な人も日本ではパブリッシュできていない。
  5. 経済学部にはマルクス経済学(あるいは経済史)の人が多く在籍しており、そういう人たちは英語のジャーナルに載せる文化ではない。
  6. 経済学部に在籍する経営学(マーケティング、会計等も含む)の人も(日本では)国際ジャーナルにパブリッシュする文化ではない。

経済学部(あるいは他の学部)を改革するか、そしてどのように改革するかを考える際には、パブリッシュされていない理由は何か、そして、実際パブリケーションを重視する方向に移行するのか、などを考えなければならないが、これ自体も難しい問題である。

日本の経済学部で何が起こっているかを知るひとつの材料として、東京大学の経済学部がどのような構成になっているかを見てみた。何で東大を選んだかというと、日本のトップの大学であること、そして、日本の大学の特徴を考える上で典型的な学部かなと思ったからである。それに、分析というほどのことはしていないにしても、HPに載ってる人をひとりづつ見ていくのは東大だけでも大変であった。社研DPの作成に携わった人々の労力に敬意を表したい。

まずは、誰を含むかだけれども、そもそものモチベーションが社研DPなので社研DPにあわせることにした。社研DPでは、研究に特化できる環境にあるかもしれない助教ははずしているので、ここでもはずすことにした。経済学部がメインの所属ではない(と思われる)人も社研DPにあわせてはずしてある。社研DPでは、専任講師以上を含むとあるが、東京大学のHPでは「講師」と「特任講師」がある。この二つの役職が何を意味しているのか僕にはよくわかんないのだけれども、「講師」は含めて、「特任講師」は外すことにしてみた。その結果、経済学部の人数は64人であった。社研DPでは60人となっているので、もしかしたら講師とかをどうするかの判断が間違っているのかもしれない。もしそうだったら誰か教えて欲しい。

更に、社研DPではトップ200のジャーナルに過去10年にいくつパブリッシュしたかをみているが、そんなの見るのは時間がないので、とりあえずは、国際ジャーナルに載せているかは安田さんのリストに載っているかで判断した。

では、ちょっと数字を見ていこう。まずは64人の分野および役職による内訳。分野は教員一覧に記載されていればそれを、そうでない場合はgoogleで検索して出てきたページを元に決めた。その上で、分野は「近経」、「経営」、「歴史」、の3つに分類した。「経営」は、経営学、ファイナンス、会計学を含む。アメリカであればいわゆるビジネススクールに所属する分野である。「歴史」は分野の名前に歴史が含まれるもの、およびマルクス経済学はここに入れた。「近経」はそれ以外である。財政学(僕の印象では、自分の分野を「財政学」と呼ぶ人は、アカデミックなジャーナルにパブリッシュするよりも政策に直結した研究を行っている人が多いように思われる)はここに含まれる。ちなみに、教員のリストはこのポストの最後に載せてある。名前は書いていないけれども、基本的に教員一覧と同じあいうえお順なので、その気になればすぐに誰が誰かわかるようにしてある。間違い等があったら教えてくれるとうれしい。
64人のうち、近経は38人、経営系は15人、歴史系は11人である。役職別に見ると、教授は41人、准教授は11人、講師は12人である。パーセンテージでみると以下のようになっている。

では、上の表のそれぞれのセルにおいて、国際ジャーナルにそれなりにパブリッシュしている人の割合はどのくらいかを見たのが以下の表である。上で書いたとおり、国際ジャーナルにパブリッシュしているかどうかの判断は安田さんのリストに全面的に依存した。以前のポストで触れたが、安田さんのリストに載る規準は彼の判断した「一流誌」35誌に2本以上載せていることである。彼の「一流誌」35誌は、社研DPのトップ20の25誌とは異なるが、オーバーラップも多い。また、河野議員が注目した論文の出版数の中間値では、トップ200のジャーナルにパブリッシュした本数であるが、東大のようなトップの学校の研究者であれば、基本的に安田さんの「一流誌」35誌位にしか載せないのではないかと思う。更に、安田さんのリストは過去10年ではなく、キャリアを通した数字なので、過去に多くパブリッシュしても過去10年にはパブリッシュしてないケースはここでは把握できない。もちろん、キャリアの浅い若手についてはあまり違いは生み出されない。この3つが安田さんのリストと社研DPのリストとの主な違いである。
全体では、64人中、安田さんのリストに載った人(安田さんの「一流誌」に過去2本以上乗せた人)は26人、つまり、全体でみると、キャリアを通じて「一流誌」に2本以上載せた人はトップの東京大学でも半分もいないということである。この数字がキャリアを通じたものであることを考えると、河野議員が注目した事実(過去10年にトップ200誌に載せた本数の中央値はゼロ)も驚くべきことではない。上で書いたように、東大クラスの研究者であれば、主に「一流誌」に載せるので、論文の範囲をトップ35誌からトップ200誌に変えたところで結果はそんなに変わらないのではないかと推測される。

では、内訳を見てみると、教授では41人中21人が安田さんのリストに載っている。つまり、約半分の人が国際ジャーナルに2本以上載せている。更に、国際ジャーナルにパブリッシュことが(最近は)重要である「近経」に限ると、その割合は26人中20人(77%)まで上がる。逆に経営系では8人の教授で安田さんのリストに載っている人はゼロ、歴史系では7人中1人である。安田さんのリストは経済学のジャーナルに基づいているので、経営系については驚くべきことではないだろう(とはいえJournal of FinanceとJournal of Financial Economicsは含まれている)。准教授では、全体で11人中4人が安田さんのリストに載っている。教授の割合(約半分)よりちょっと低めである。分野別に見ても「近経」が6人中4人、その他の分野はゼロ人である。講師で見ると、12人中リストに載っているのは1人だけ。これは、講師の人たちはまだキャリアの序盤なので論文がたまっていないことが主要な理由であると考えられるだろう。特に、経済学の論文はレビューに時間がかかることが指摘されているので、(最初からパブリッシュしまくるスーパースターを除けば)論文が最初たまってくるまでにちょっと時間がかかることも影響しているかもしれない。

ちなみに、安田さんのリストでは、2本以上載せた人、5本以上載せた人、10本以上載せた人が区別できる。その区別をしたのが以下の表である。
「0」はリストに載っていないこと、「1」は2-4本パブリッシュしたこと、「2」は5-9本パブリッシュしたこと、「3」は10本以上パブリッシュしたことを示している。教授では、41人中、20人はリスト外、12人が2-4本、9人がそれ以上である。准教授では、11人中、7人がリスト外、2人が2-4本、2人がそれ以上パブリッシュしている。講師では12人中11人はリスト外であり、1人が2-4本パブリッシュしている。

以下が元データ(名前は載せていない)である。参考まで。
(追記1:2017年1月16日)@D_A_worksさんから数字が少し間違っていることを指摘され、修正。ありがとうございます!それに幾分加筆した。とはいえ、全体的なメッセージには影響はない。
(追記2:2017年1月16日)@nii_tsukuさんより、リストの20の方は既に東大から移動しているとの指摘を受けた。ありがとうございます!但し、一人ひとりチェックするのは大変なので、東大経済学部がホームページに記載している教員一覧に基づくこととており、おそらくはそのリストがアップデートされていなかったことによると思われる。