On Golf and Academia

あまり考えずに書いた、ちょっと軽い話を書く。
  1. 時々誰かがこういうことをTwitterでつぶやいているのを目にするけど、研究者というのはスポーツ選手と比べることもできる。スポーツといってもいろいろあるんだけれども、研究、特に経済学は、個人スポーツの色が濃く、国際化が進んでいるので、ゴルフやテニスとよく似ているなぁと思うことがある。
  2. ゴルフで考えてみると、どの国の出身でも世界のトップはアメリカやヨーロッパのツアーを一人で転戦している。まぁ、自分のチーム(研究者の場合家族)で回ることも多い。日本にもれっきとしたツアーが存在し、アジアのツアーやオーストラリアのツアーも存在する。どこを回って賞金を稼ぐかは自分しだいだ。アメリカのツアーに比べると日本のツアーの賞金は少ないけれども、日本の居心地の良さは捨てがたいというプロもいるのではないだろうか。家族のことを考えて海外ツアー転戦を止める人もいるだろう。
  3. 日本のツアーしか回っていなくても、日本でトップに立っていれば、アメリカのメジャーに出られたりする(少なくともゴルフではそうなんじゃなかったかな…)、これは、日本で活動していつつトップ5に載せることと似ている。時々アメリカや欧州に客員研究員として滞在するのは、アメリカや欧州のツアーにスポット参戦するのとほんのちょっと似ている。
  4. 優秀なプレーヤーは企業からお金をもらってプレイしたりする。帽子にロゴをつける代わりに、研究発表するときや論文が出版されたときに謝辞をつける。大学でChair Professorになったりするのも似た話だ。
  5. ゴルフと違うのは、一流のプレーヤーが腕を上げて人類の知識の境界を押し広げることが人類の役に立つと考えられており、政府(税金)で補助されていることである。たぶん、ノーベル賞をとるとまでは言わなくても、世界で最先端の研究をしている一流の研究者にお金を多く配分することで、ゴルフの腕の磨くインセンティブを高め、実際に一流のプレーヤーは有り余るお金を使ってその腕をさらに磨くことが望ましい。
  6. ツアーの賞金で生活できない人は、レッスンプロとなる。レッスンプロの需要も大きい。ツアーで上位にコンスタントに入れないような人は、たぶんレッスンプロとしてやっていくほうがお金は儲かるだろう。
  7. レッスンプロの比喩があっているなら、レッスンプロに補助金を支給してもあまりしょうがない。ツアーで食べていけない人であれば、レッスンで稼げばよいし、そういうレッスンプロに補助金を入れる必要はない。レッスンプロでも食っていけなければそもそもゴルフをしているほうが間違っているといえるだろう。
  8. ここで、また研究者(経済のことしか知らないので経済学に限るが)がゴルフのプロと異なるのは、研究者の場合、レッスンの意義もかなり高いと考えられていることである。アメリカや欧州のツアーを回っている一流のプロも(ツアーの合間に)レッスンをやっている。ゴルフと違って、いい弟子を育てることで、自分のゴルフの腕が上がったり、いい弟子はキャディになってもらうことで自分の成績を上げられたりする、と考えればよいだろうか。
  9. 但し、レッスンは、プレーヤー個人にとってメリットがあるというだけでなく、人類全体のゴルフの腕が上がることもいいことだという認識が共有されているのがゴルフとの大きな違いである。よって、それなりの質と数のレッスンプロが確保されていることも重要になってくるので、政府がゴルフスクールに対して補助金を投入することが一般的に支持されるようになる。
  10. さらに付け加えておくと、経済学の場合、一流のプロであっても、ちゃんとレッスンもしないといいプロと認められない(ので高い賞金が得られない)側面もある。
  11. このような比喩を元に考えてみると、重要な目標は、一流のゴルフプレーヤーの腕を上げてもらうことなので、特に政府の財政状況が切羽詰っている現状では、一流プレーヤーに傾斜的に大量の補助金を出すことは理にかなっている。特に、日本の場合、個々人の賞金(給料)の差が成績によってあまりつかないように見えるので、それを保管するという意味でも、傾斜の激しい配分が重要ではないかと思う。とはいえ、それなりの質のレッスンプロもある程度いないと困るので、レッスンプロやゴルフスクールには最低限の補助金を出さなければならないのも理にかなっているといえるであろう。
  12. あと2つゴルフとの違いをあげておこう。ひとつは、腕が落ちたシニアがなぜかツアーに居座り、補助金をもらっていたりすることであろう。一流のツアーで競争できないシニアはレッスンプロになってもらって、レッスンプロに見合った報酬にするのがいいのではと思われる。経済学ではシニアツアーの年齢でもバリバリ現役で活躍する人も多いが、補助金だけもらってツアーでぜんぜんいい成績を残していない人も多い。
  13. もうひとつは、ゴルフのレッスンの本を書いたり、レッスンあるいトーナメントの解説のためにテレビに出たりする人が、世界で活躍する(松山のような)プレーヤーより有名なんてことはゴルフではありえない(かなり有名なレッスンだけのプロもいるがそういう人はゴルフをやっている人(の一部)しか知らない)が、経済学では普通にあることである。一流のトーナメントで活躍する人たちが(彼らの時間を割かない形で)もっとマスコミなどにフィーチャーされるといいのだが。ノーベル賞をとったときだけ騒ぐのは、マスターズをとったときだけ騒ぐようなもので、なかなかある話ではない。

Heterogeneity and Aggregate Consumption Dynamics

Amromin, De Nardi, and Schulzeによる最新のNBERワーキングペーパーがよくまとまっていたので紹介する。内容からして、何かの招待論文だと思うんだけど、よくわからない。

このぺーパーで取り扱っているのは、アメリカの2008年の大不況以降の総消費の動きを説明するのに、家計(消費者)の異質性(Heterogeneity)を考えることは役に立つかという問題である。まずは、マクロのデータから。
上のグラフは、一人当たりの実質GDP(青)と消費(赤)が1985年以降どのように変化してきたかを示している。どちらも2007年を100と基準化されている。実線がデータ、点線は2007年までの線形トレンドを示している。GDPも総消費も、2007年以降、平行にシフトダウンしたように見える。平均に回帰するショックによって景気循環が起こる普通のDSGE/RBCモデルからすると、このような動きはとても不思議に見える。普通のRBCモデルであれば、GDPも消費も一時的に落ち込むことは十分ありえるけれども、落ち込んだああとは順調に回復するからである。1991年や2001年にも不況が起こっているがそれらの不況からの回復パターンが(不況からの回復に時間がかかっているという点はあるが)典型的なDSGE/RBCモデルの挙動である。GDPについて言えば、いわゆる大停滞(Great Stagnation、GDPの成長率が歴史的に見て低いレベルに止まり続けていること)の問題と考えることもできるだろう。

このようなGDPあるいは消費の動きを説明するのに、家計(消費者)の異質性を考えることは役に立つだろうか?このデータを見ると、消費の動きはGDPの動きをなぞっているので、どちらかというと重要な問題は、何でGDPが2007年までのトレンドに向けて回復しないかという方なのではないかと思うが、まぁ、この論文では、消費の動きの方に注目しているので、この論文に沿って、消費者たる家計の異質性が上のデータのような総消費の長期的な落ち込みを説明するのに役に立つかについて考えていく。

家計(あるいは一般的に何らかの経済主体)の異質性と景気循環の関係を考えるという場合、金字塔の論文はKrusell and Smith (1998, 以下KSと呼ぶ)である。この論文では、家計の異質性がマクロ変数の動きにどのような影響を与えるかをカリブレートされたモデルを用いて分析した。どちらかというと、この論文は、異質性があるモデルを数値的に計算できる手法を提案したという風に捕らえられているが、その理由を考えれば、異質性がマクロの消費の動きにどのように影響を与えうるかも考えることができる。まずは彼らのモデルのメカニズムを紹介しておこう。彼らのモデルでは、流動性制約に引っかかっていない家計は、貯蓄を使って、代表的家計のように消費と貯蓄を決定する。不況によってちょっとくらい所得が一時的に減少しても消費の動きをスムーズにするために一時的に貯蓄を切り崩して消費の下落を抑えるのである。その一方、資産がまったくなく流動性制約に引っかかっている家計は、その名のとおり、収入の全てを消費に回す。つまり、個人の家計の所得が不況で減少すると、流動性制約に引っかかっている家計は、貯蓄を切り崩して消費を支えることができないので、消費を大きく減らすのである。但し、流動性制約に引っかかっている家計は生産性も総じて低いし、貯蓄もそもそも少ないので、マクロの変数の動きには影響を及ぼさない。よって、経済全体の動きは、流動性制約に引っかかっていない家計の消費・貯蓄行動に大きく左右される。彼らが代表的個人のように振舞えば(基本的なモデルではそうなる)、家計の異質性があっても、マクロの変数は代表的個人のように動くので、家計の異質性があるモデルでもそのマクロ変数の動きは代表的個人モデルで近似できるのである。KSはこのような洞察を元に、異質性があるモデルを近似的に解く手法を開発したことで有名な論文である。

但し、この議論はいろいろ突っ込みどころがある。ここでは消費の動きについて考えてみよう。流動性制約に引っかかっている家計は資産保有や所得という面では経済において小さな役割しか占めていないものの、彼らは所得の全部を消費に回すので、マクロの消費の中に占める割合は高い。よって、マクロの総消費の動きには、流動性制約に引っかかっている家計の消費・貯蓄パターンは大きな影響を与えうる。しかも、流動性制約に引っかかっている家計の行動が重要ということは、モデルの中で流動性制約に引っかかっている、あるいはそれに近い状況にある家計がどのくらいいるか、がモデルにおける総消費の動きに大きな影響を与えうるということである。この点に注意を払ってKSのモデルをより「現実的に」カリブレートしたのがKrueger, Mitman, and Perri (2016, KMP)である。以下のグラフはKSとKMPのモデルの挙動を比較している。
左がKS、右がKMPである。青の棒グラフが資産の分布(左端が流動性制約に引っかかっている家計)を示している。KSでは流動性制約に引っかかっている家計はほとんどいないが、KMPでは引っかかっている家計、およびそれに近い家計がたくさんいることがわかるであろう。つまり、KMPのモデルでは、不況で個々の家計の収入が落ちたときに、貯蓄を使って消費をスムーズにできず、消費がダイレクトに落ち込む家計が多いのである。下のグラフは、同じ大きさの不況が経済を襲ったときに、マクロの総消費がどのくらい動くかをシミュレートしたものである。点線がKS、実線がKMPモデルである。
同じ大きさのショックに対して、KMPモデルの方が、総消費の落ち込みが大きいことがわかるであろう。但し、上で書いたとおり、一時的な不況であれば、消費はすぐもとに戻るので、最初に見たデータのような動きを再現することはできない。では、KMPのようなモデルに、何を加えれば、より大きく継続的な総消費の落ち込みを再現できるであろうか?このぺーパーでは、いろいろなチャンネルを提示するに止まっており、それらのチャンネルが有望であることを示唆するデータを示すに止まっているが、それらを見ていこう。
まずは、所得、消費、資産の分布を確認しておこう。データのソースは2006年のPSID(Panel Study of Income Dynamics、アメリカの家計のパネルデータの代表的なもの)である。最初の列は労働収入、2番目は税引き前の総収入(金利収入や失業保険などの政府からの移転を含む)、3番目の列は消費支出、最後は総資産である。ここで示すデータでは退職している家計は含まない。Q1というのはそれぞれの変数の最も低い20%(Quintile)が占めるシェアである。Q1+Q2はそれぞれの変数の最低の40%の家計がどのくらいのシェアを占めているかを示している。資産をみるとマイナス(-1.5+1.2=-0.3%)である。一方、総資産は、上位5%の家計が約半分の資産を保有している。総収入で見ると下位の40%は15.3%と占めている。もちろん低い(所得に不平等がなけれシェアは40%になる)が、資産のシェアほど低くはない。消費の下位40%のシェアは18.3%である。

上の表では、それぞれの変数について個別にソートして分布を見てみたが、今度は資産の保有額のみでグループわけしてシェアを見てみよう。それが下の表である。
全体に対するシェアをあらわしている表の左側に注目してほしい。全ての列で資産でソートしているので、資産の分布は前の表と同じである。資産保有でみた下位40%の保有資産はマイナスで0.3%ある。つまり、これらの家計が、流動性制約に引っかかっている家計のようなものだと考えればよい。総収入のシェアは25.5%と、前より高い。この数字も資産保有高でソートしているので、前の表の数字より高くても驚くべきことではない。消費のシェアは約30%である。これらの流動性制約に引っかかっている家計は資産保有はゼロ(というかマイナス)で所得のシェアもそんなに大きくないが、消費のシェアはとても大きいので、彼らの消費行動がマクロの総消費の動きに少なからぬ影響を与えうることは容易に見て取れる。
次の表は、大不況前(2004-2006年)と大不況後(2006-2010年)の間で、資産、収入、消費、消費率(消費/所得)の年平均変化率がどのくらい変化したかを示している。最初の行が全家計の合計で、Q1-Q5は2004年の資産保有額でソートしてグループ分けしている。2004年以降は、同じ家計を追っかけている。これはパネルデータだからできることである。全家計では、2004-2006年の間は、資産は年率14%増加し、所得は2.6%上がり、消費は5.5%増加していたが、どの変化率も2006-2010年は2004-2006年に比べて低下している。資産の増加率は年率で17.6%も下がり、収入の増加率は1.8%下がり、消費の増加率も6.4%下がった。2010年は大不況の底なので、この数字がとても大きいことは驚くべきことではない。最近の数字も入れればこの数字は小さくなるはずである。

面白いのは、各資産保有グループの変化率の分布である。特に、消費の変化率の分布を見ると、流動性制約に直接引っかかっており、失業のリスクも高いであろう下位20%の減少率が高い(-5.5%)のはわかるとしても、それ以外の家計の消費の増加率も大きく落ち込んでいる。このことは、マクロの総消費の落ち込みは、不況と流動性制約が合わさった効果だけでは説明できないことを示唆している。では、どのようなチャンネルが考えられるか?著者らは次の4つ(+1つ)のチャンネルを挙げている。

(1) 資産価格の変化。大不況のときには、資産価格、特に住宅価格が大幅に下落した。上の表を見ればわかるとおり、総資産の増加率の落ち込み幅は資産を持っていないQ1(下位20%)を除いて、とても大きい。資産価格が落ち込めば、負の資産効果で消費の減少、特に多く資産を持つ家計の消費の減少が説明できる。但し、個人的には、この効果は一時的なので、消費の長期的な低迷の説明には使えないと思う。

(2) 資産構成の影響。Kaplan and Violante (2014)は、その影響力のある論文で、多くの家計は流動性が小さい資産(家や退職後にしか引き出せない資産)を多く保有しており、総資産は大きくても、その資産の多くが流動性のない資産であれば、その家計の消費パターンは、流動性制約に引っかかっている資産ゼロの家計と似ている(「裕福な流動性制約家計」)と議論した。このようなモデルを組めば、基本的には、流動性制約に引っかかっている家計がデータから直接観察できる数よりずっと多いし、総資産保有からみると裕福な家計も実質的には流動性制約に引っかかっていることとなるので、消費は資産保有高にかかわらず不況の際に大きく落ち込む可能性があり、総消費は総所得(GDP)の動きに大きく反応することとなる。

(3) 貸し出しの引き締め。大不況のときには、金融機関が住宅ローンやクレジットカードによる新規融資を行う際の貸付基準をきつくしたことがいろいろなペーパーによって示されている。つまり、実質的に流動性制約に引っかかっている家計の数は大不況の時には増加しただろうと考えられる。
上のグラフは、流動性制約に引っかかっている家計が大不況のときに増えたであろうといういろいろな状況証拠を示している。左上のグラフは、資産がゼロの家計(オレンジ)と15000ドル(約150万円、緑)以下の家計の割合を示している。どちらも、大不況の時期(2008年)以降上昇し、高いレベルに止まっている。右上のグラフは総資産額の労働収入(赤)あるいは総収入(青)に対する割合が2以下の家計の割合を示している。同じように、2008年以降高いレベルで推移している。下のグラフは、クレジットスコア(これが低いとクレジットカードに応募しても拒否されたり、住宅ローンも借りれなかったり高い金利でしか借りれなかったりする)が低い家計の割合を示している。これも2008年以降高いレベルにある。これらがもし2012年以降も高いレベルに維持され続けているのであれば、総消費が長期間低迷している理由となるかもしれない。

(4) 労働収入リスクの変化。これまでは、不況でも好景気でも、労働所得のリスクは変わらないと仮定して議論を進めてきた。しかし、Guvenen Ozkan, and Song (2014)によるとても影響力の強い最近の研究によると、不況期には職を失うことなどによって所得が大きく減少するリスクが高まる。もし、大不況によって、総所得(GDP)はあまり大きく変わっていないように見えても個々の労働者の労働所得がどのように変化するかが大きく変化したのであれば、総消費が回復しない説明になるかもしれない。

(5) 消費者の自信の欠如?最近のPistaferri (2016)の研究によると、総消費の回復が遅いことは、家計がレベレッジのかかった借り入れをしている(多分、多くの住宅ローンを借りて家を買っていることを指す)ので、資産価格の変化が消費に与える影響が大きいこと、および、消費者の景気動向および個々人の将来の所得に対する自信(Consumer confidence)が失われたことによって説明できるそうだ。大恐慌を経験した家計がその後ずっとリスクを避けるようになった(日本のバブル崩壊後の家計の行動もこの影響が強いのではという気がする)ことと同じように、大不況を経験した家計は将来の景気に自信が持てなくなり、消費を控えがちになっているのではというストーリーのようだ。今度機会があったら紹介したい。

Should Day Care be Subsidized?

今回は、Domeij and Kleinによる2013年のREStudペーパー、"Should Day Care be Subsidized?"について簡単に書いておく。

僕は、各国の保育所(Day Careの訳語として使う)の状況がどのように異なるか知らないのだけれども、彼らのペーパーによると、ドイツは、少なくとも2000年代の初めにおいては、保育所の整備という面では他のEU諸国に遅れをとっていたらしい。2006年ごろのOECDのレポートによると、OECD平均では23%の0-3歳児が保育所に入っていたが、ドイツではその数字は9%だった。4-6歳児においては、ドイツの数字は他のEU諸国に大きく劣っていたわけではなかったものの、ドイツの保育所はお昼ご飯なしの半日のものが大半だったらしい。彼らのペーパーによると、16%の子供にしか、全日の保育所の枠がなかったらしい。このような状況下、ドイツでは、保育所の整備が行われてきているようだ。このペーパーが書かれて以来どのように実施されているのかを調べる時間はなかったが、2008年には、全ての1歳以上の子供に保育所の枠があるようにしなければならないという法律が制定されたようだ。それに、今回のペーパーにかかわってくるが、保育所の費用の税控除という政策も議論されている。

なぜ、保育所にかかる費用を国が補助しなければならないか?いろいろな考え方があると思うが、とりあえず、すぐに思いつくのは以下のようなものである。
  • 保育所に子供を入れる費用、あるいは子供の世話を見るために労働時間を減らさなければならないことは、子供ののいる家庭に対する追加的な税金のようなものであり、特に独身の母親の労働供給を妨げる要因となっている。
  • 子供が増えることで、人口構成をバランスのとれたものにすることができ、年金や公的健康保険の運用をしやすくする。
  • 子供が増え、国のサイズを維持することで、大きな経済規模を維持することができ、かつ一般的に国力も維持できる。
ただし、2番目の議論は、一時的に高齢化が進み、人口構成が変化しているときにのみ成り立つ議論であり、人口構成が安定的な状態に落ち着いたあとでは、問題とならない(人口構成が安定すれば、皆働いているときに自分が払った分と同じ金額を(平均的に)受け取れば財政は長期的に安定する)。3番目の議論はちょっと話が大きすぎて、議論が難しい。そもそも、国が大きいことによるメリットはあまり明らかでない。というわけで、このペーパーでは、数字を議論しやすい1番目の議論に焦点を絞って、保育所に関する補助金政策の分析を行っている。またこのペーパーでは、子供を持つことによる幸福度の向上という難しい議論も避けている。

モデルの概要は次のようなものである。経済には、カップルと、独身の男性、独身の女性の家計が存在する。このタイプは生まれたときに決まり一生変わらない。カップルと独身の女性は、小さい子供を0-3人持っている。このタイプも外生的に与えられている。つまり、カップルとなるか、子供を持つか否か、あるいは何人持つかといった決定はモデルの外にあり、モデルの中の家計には外生的に与えられる。言い換えると、このモデルではカップルの割合や人口について議論することはできない。それぞれのタイプの家計の割合はドイツのデータと整合的に決定されている。それぞれの家計は、65歳まで生きる(退職後はモデルの外である)。各期各期、それぞれの家計は、いくら消費して、何時間働くかを決める。借り入れ制約は存在しない。それぞれの家計は1時間働いたときの賃金がデータと整合的なレベルで外生的に与えられている。

(子供のいない)独身の家計(男性の独身の家計は子供はいない)の問題はとても単純な、労働供給が内生化された(しかも、退職後のことを考えなくてよい)ライフサイクルモデルである。子供がいる独身の女性の問題は少し複雑である。小さい子供がいる場合、働いている各時間あたり、保育所に支払いをしなければならない。保育所の金額は、一定(=d)である。子供が複数いる場合には、各子供あたりdを支払うことになる。働いていない場合には、自分で小さい子供の面倒を見るので保育所のコストを支払う必要はない。

子供のいるカップルの家計の問題も似たようなものである。独身の家計との違いは、カップルのうち一人が家に残って子供の世話をすれば、保育所にお金を払う必要がないという点である。二人とも働いている時間は、各子供について、1時間当たりdを支払わなければならない(午前中は、片方が働いて、午後はもう一方が働くというようなことはできないことになっている)。

わかりやすく言うと、このモデルでは、小さな子供の存在というのは、労働時間に対する課税のようなものである。子供がいるメリットはモデル化されていなくて、ある家計は子供がいるのは前提とされている。子供がいると、面倒を見るために労働供給をあきらめるか、労働するため保育所のコストを払わなければならない。このようなモデルの中で、最適な政策を考えてみようというのがこのペーパーのやっていることである。

ちなみに、ちょっとデータを見ておくと、以下のグラフは、各年齢で、子供がいるかいないかで年間の労働時間がどのように異なるかを示している。週休2日で一日8時間働くと2000時間(30代以降のカップルの男性(右上のグラフ)が働いている時間に相当する)
カップルの女性(左上)も独身の女性(左下)も、小さい子供がいる場合(点線)は小さい子供がいない場合(実線)に比べて、労働時間が半分くらいである。独身の男性(右下)で子供がいるケースはとても少ないので無視されている。カップルの男性(右上)は、子供がいてもいなくても労働時間にあまり違いはない。なんとなくドイツというと、そうではないのではないかという印象があったが、日本のような感じだ。

では、モデルに戻る。政府は3つの政策を変更することができる。
  1. 保育所の費用のうち税控除できる割合。
  2. 保育所のコストに対する補助金。
  3. 資本所得に対する税率。
彼らは、簡単なモデルから分析を始める。もし政府が、各タイプの家計に対して、それぞれの政策変数を年齢に応じて変更することができれば、全ての政策を使わずに最適な状態を達成できる。各家計は2つの行動(消費、労働)を毎期決めるので、下記のタイプがNあるとして、各家計がT期生きるとすると、子供の存在によって各家計の行動にゆがみが生じていたとしても、経済の合計で2TNのゆがみが生じていることになる。その一方、動かせる政策変数は3TNあると仮定されているので、保育所の税控除か保育所もコストへの直接の補助金のどちらかを資本所得税と組み合わせれば、2NTの政策変数を使って2NTの意思決定決定に(好きなように)影響を及ぼすことができるので最適な状態が達成できるのである。

こういう話は、ぜんぜん面白くないので、もっと現実的なセットアップで最適な政策を論じているのがこのペーパーの売りのところである。まずは、所得に対する税金は、現在のドイツ経済のものを取り込み、変えられないとする。残りの政策は、保育所の費用の税控除、あるいは、保育所のコストに対する補助金である。政府はどちらか片方のみを実施するとする。税控除の場合は、全額控除とし、追加的な財政支出は、全家計の労働所得への定率課税でまかなうものとする。保育所のコストに対する補助金は、0-100%のどの水準も選べるが、全ての(小さい子供のいる)家計において同じ水準が適用されるものとする。前の例と同じように、追加的な財政支出は、全家計の労働所得への定率課税でまかなわれるものとする。

以下のグラフが保育所に関するそれぞれの政策の幸福度(welfare)への効果を示している。実線は、各家計の幸福度に均等ウェイトをつけて足し合わせた社会全体の幸福度(Utilitarian social welfare)である。点線のほうは、消費(幸福度)が低い家計に大きなウェイトを与えて計算した(具体的にはmarginal utility)社会全体の幸福度を示している。以下では実線の方を見ていく。
まず、左上のグラフは、保育所のコストのどのくらいの割合に補助金を与えるかによって、社会全体の幸福がどのように変化するかを表している。社会全体の幸福度は保育所のコストの50%を補填したときに最大化されることとなっている。50%までは幸福度は安定的に上昇するものの、50%を超えると社会全体の幸福度は減少していく。右上のグラフは、カップルの幸福度の変化である。左下のグラフは独身女性の幸福どの変化である。どちらも、保育所のコストの50%補助までは安定的に幸福度が上昇している。右下は、独身男性の幸福度の変化である。他の例と違って、彼らの幸福度は補助金の割合が上昇しても上昇しない。なぜなら、彼らは子供はいないので、保育所コストへの補助金の増額によってまったく恩恵をこうむらないからである。彼らは、保育所のコストの補填のために必要な労働収入への課税の増額によって、損をすることになる。でも、彼らの損は、保育所のコストの補填が50%を上回るまではぜんぜん大きくない。なぜなら、それまでは、保育所のコストの補助によって、女性の労働供給が上昇(し、課税ベースが拡大)するので、税率を引き上げる必要がないからである。保育所のコストの補助率が50%を超えると、労働供給増加の効果が小さくなるので、追加的な財政支出のコストを補填するために税率を大きく引き上げる必要性が生じ、全てのタイプの家計の幸福度は減少してしまう。つまり、保育所のコストへの補助金はある程度(50%)までは、小さい子供がいる家計の労働供給を引き上げることで社会全体の幸福度を引き上げる効果があるが、ある一定レベルを超えるとその効果は失われてしまう。もちろん、この結果は、(特に子供のいる家計の)労働供給の弾力性に大きく依存するので、たとえば日本にそのまま当てはめることはできない。

次に、保育所のコストを税控除できるようにした場合の幸福度への影響を考えてみよう。その効果は、上のグラフの、Y軸上のダイアモンド型の点で示されている。保育所のコストの税控除は、保育所のコストへの補助金の効果と同じく、子供のいない独身男性家計を除く家計の幸福度を高める効果があるが、その効果は保育所のコストの50%を補助した場合より小さいことがわかる。

日本の労働供給の弾力性や、家計の異質性(学歴の異なる家計)、日本の労働市場の特殊性(フルタイムとパートタイムの違い)、すでに退職した世代(彼らは独身男性家計と同じく、恩恵はこうむらないが、追加的な税制負担を労働収入への課税にすれば負の影響も少なくできる一方、所得全体に課税したり消費税を用いたりすると、彼らの負担も大きくなる)への影響、などを組み込めば(簡単だけれども)面白い分析になると思う。

On Creating Market for Food Banks (from NPR)

ついでに、NPR(National Public Radio)のポッドキャストで最近聞いて面白かった話題について書いておく。このリンクがそのポッドキャストの関連情報である。フードバンクは、企業あるいは個人から食料の寄付を受け付けて、それらを食べるのに困っている人に配布している慈善団体である。食料の寄付を受け付けて配布するというのは教会もやっているが、教会と違って全国で展開しているので、あるフードバンクで余った食料を別のフードバンクに送るようなこともできる。

ここで問題となるのは、どのフードバンクが何を必要としているかについてのローカルの情報が全国で共有されていないので、どこに送っていいかよくわからなかったり、必要ないものを送ってしまうということが頻繁に起こることであった。NPRでは、生鮮食料品がほしいアラスカにピクルスが大量に送られてきて困ったという話や、(ジャガイモの有名な産地である)アイダホにジャガイモが送られてきたという話が紹介されていた。

解決策としては2つ考えられる。1つ目は、全国のフードバンクで必要としている食料のリストを中央で管理して、中央が配分を決めることである。1つ目は、これが経済学者の普通の反応だろうが、寄付された食料のマーケットを作ることである。フードバンクはマーケットを作る解決策を選び、なかなかうまくいっているようだ。フードバンクがマーケットを作るにあたっては、シカゴ大学ビジネススクールのCanice Prendergastらが協力したといっていた。

具体的には、各フードバンクは架空の通貨を渡され、その架空の通貨をeBayのようなオークションサイトで使うことができる。その架空の通貨の量は、それぞれのフードバンクがどのくらい食料が必要かに応じて配分される。フードバンクだけが参加するそのeBayのようなサイトにほしい食料が出品されていたら、その食料に対して架空の通貨でいくら払う気があるかを入力する。入札が締め切られると、その翌日に、誰が競り落としたかがわかる仕組みになっているようだ。このシステムの導入によって、アラスカでほしい生鮮食料品が手に入るようになったと紹介されていた。

詳細はポッドキャストではわからなかったが、こういう話を聞くと、フードバンクのマーケットの中でさやとり(arbitrage)をするフードバンクが出てきたりとか、フードバンクの外のマーケットとの間でさやとり(予想通り、フードバンクのマーケットでは賞味期間が短い生鮮食料品は価格が低く、シリアルなど長持ちするものは価格が高くなりがちのようだ)をするフードバンクが現れるのではなどと考えてしまうが、ポッドキャストを聞いた感じではそういう活動は起こっていないようだ。そもそも、転売がされていないように聞こえた(要確認)。ポッドキャストによると、そもそも、フードバンクに携わっている人たちは、とても利他的なので、多く買いすぎてしまったら近くのフードバンクにあげたり、あるいは架空通貨が足りなくて困っているフードバンクがあったら、何か寄付してあげたりしているようだ。参加者が少なくて皆が皆を知っていて、この通貨による全ての取引が記録されて(誰でも見られるようになっている)マーケットだと、こういうアレンジメントがかなりいい結果をもたらすという理論的な結果があるのかとかぜんぜんわからないけれども、こういう、経済学者が考える解決策にありがちな殺伐とした感じがなくて、うまく言っているという例を聞くととても気分がいい。

On Netflix (from NPR)

Netflixの人事政策について話題になっていたので、ぜんぜん専門外の話だけど、ちょっとメモしておく。最近NPR(National Public Radio)でNetflixについて聞いたからだ。これがそのポッドキャストに関連した記事である。たぶんIT業界や人事業界の人はずっと前に聞いた話だと思う。まぁ、久しくポストしてないからお遊びのようなポストである。

NetflixのPatty McCordという人は、Netflix創業間もないころからの従業員で人事のスペシャリストのようだ。彼女がNetflixの人事政策を説明したプレゼン資料は、たぶんNetflixが急成長してたからだろうが、そのころのシリコンバレーで知らなきゃモグリのようなものだったらしい。たぶんこのリンク先にあるのがそのスライドである。有名になったフレーズをいくつか拾い上げてみると、

  • われわれはファミリーではなくてプロスポーツチーム(子供のお遊びチームではない)である。有能な人材を雇用し、育て、(必要なくなったら)解雇することで、すべてのポジションにスターを維持できる。
  • 一生懸命働くことだけでは雇用は保証されない。
  • とても優秀な人だけを残すことで、職場がすばらしいところであり続けられる。組織が大きくなって複雑化したりすることでダイナミズムが失われたりするのを避けることができる。

こんな感じである。Netflixは結果ですべて決まるという方針を徹底しているので、休暇の取得に制限はなく、出張のために許可を求める必要もないらしい。NPRではもう少し具体的なエピソードをいくつかあげていた。たとえば、ITバブルがはじけて業績が落ち込み、120人いたスタッフの1/3を解雇しなければならなかったときには、機械的に会社への貢献度が高い人から順に解雇して、創業以来がんばってきた社員も容赦なく切ったとか、オンラインストリーミングへのシフトを進めていた頃、自前のサーバを使うのをやめて、アマゾンのサーバを借りることにした際、オンライン化を進めてきたスタッフが、サーバを内部で持たないことで過剰になってしまったので、躊躇せず首を切ったとかいう話である。

このPatty McCordという女性は、その首切りをがんがん進めた人で、Queen of the Good Goodbye (よい別れ(解雇)の女王)といわれていたみたいだ。首を切るときには、あなたは優秀だから、会社はより効率的になってあなたが要らなくなったのよ、と言ったりしていたらしい。

この話にはオチがあって、彼女も、最終的には、クビになったのである。Netflixは2011年までは、月会費8ドルを払えばDVDのレンタルもオンラインでの視聴もできたのであるが、会社を二つに分けて、それぞれが8ドルの会費を取るという形態に移行することを決めたところ、大量の(80万人)解約が起こって(僕も解約したのを覚えている)、撤回させられたのである。彼女もその失敗の中心的人物であったらしく、この失敗のしばらく後で、Netflixを離れることになったとNPRでは言っていた。

僕は、どちらかというと(日本で訓練された)長時間労働で低い生産性を補う仕事のスタイルで、かつ仕事が遅いので、こういうところではすぐクビになると思うので、こういうところには雇われないだろうし、働きたくはない。それに、ちょっと位業績が少なくても、話してて勉強になって、ナイスな人の方を、業績は優れてるけどいまいちナイスではない人よりは採用したいなぁと思う。このポッドキャストを聞いていて、シリコンバレーというか、アメリカでやっていけるタイプではないんだろうなぁと思ったのを覚えている。

How to Analyze the Current Policy Options in Japan, Part 2

第1回に続いて、政府が提案している経済政策の変更(消費税率を2%上げる際に全部を公的年金に使うのをやめて、1%を幼児教育無償化等に使う)を、簡単なモデルを使って分析するために、一歩一歩進んでいく。

前回は、どのような効果を取り入れたいかを考えてみた。今回は、モデルの構築に入ろうかと思ったが、その前に、データについてちょっと書いてみる。モデルをつかって意味のあるシミュレーションをするためには、モデルが大まかではあっても日本経済の特徴を表現していなければならない。ただ、現実は複雑なので、モデルが表現できる現実の側面は限られている。そこで、まずは、日本経済のデータをちょっと見てみて、どのようにモデルに取り込むかについて考えてみた。主に、政府の活動に関するデータについて書くつもりである。恥ずかしながら、日本政府の活動の大きさについて、あまり知らなかった。まだ、いろいろ間違いがあるかもしれないが、勉強の経過の記録として読んでもらえればうれしい。

今は2017年の途中であるが、2016年のデータはまだああまりきちんと整備されていないようなので、2015年のデータを見ていく。時々、過去はどうであったかについても触れる。

まずはGDP(国内総生産)から。2015年の名目GDPは530兆円であった。数字があまりに大きすぎて、直感的にわかりづらいので、これ以降は対GDP比で示していく。そうすると後でモデルにも対応させやすい。GDPの支出面での内訳を見ると、民間消費(C)は56.6%、政府の消費(G、政府による投資も含む)は19.9%、民間投資(I、在庫調整も含むが小さい)は23.9%、純輸出(NX)は-0%である。閉鎖経済モデルを使う時には、NXをどうするかという問題がいつもあるが、都合のいいことに、2015年は純輸出がほぼゼロなので、調整の必要がない。ラッキーである。もちろん、定義上、これらを合計すると支出面から見たGDP(100%)になる。

時々、日本政府の大きさは経済規模(GDP)の20%という表現を見かけるが、それはこの19.9%から来ているのではと思う。GがGDPに占める比率は年々大きくなってきている。1995年には15.4%、2005年は18.1%であった。ちょっと前のペーパーを見ると、GがGDPの15%としてカリブレートされているケースを見かけるが、ここから来ているのではと推測する。

ただ、GDPのデータをよく見てみると、「修正版」のCとGも記載されている。2015年でいえば、修正されたCはGDPの68.6%、修正されたGは7.8%である。最初にあげた数字とずいぶん違うが、これはなぜか?これは何を政府の消費(G)に含めるかという問題と関連している。修正していないG(GDPの19.9%)には、国防とかインフラ投資といった、まぁ、Gと考えるのがどう考えても適当だろうと思われるものから、教育への支出、医療への支出、社会保障関連費(失業保険、年金、障がい保険等)のように、最終的には個々の消費者が消費するものだから民間消費に入れるのが適切ではと思われるものも含まれているのである。特に、公的年金については、一般予算から公的年金に補填された金額がGに加えられているみたいだ。これらを政府の消費(G)と考えるか、民間の消費(C)と考えるかは、クリアな話ではなくて、何を分析したいかによるのではないかと思う。上で言及した「修正版」では、教育、医療、社会保障関連費をすべて民間の消費に移しかえたものなので、Cがかなり大きくなって、Gがかなり小さくなっているのである。

とりあえず、今回の分析で注目しているのは年金なので、モデルと付き合わせるときには、広義のG(GDPの19.9%)から公的年金に関連する部分だけをCに移そうと思う。Gのうち年金関連はGDPの1.9%なので、この調整後は政府の消費(G)は17.9%となり、民間の消費(C)は58.5%となる。しばしば、民間消費はGDPの60%というが、この数字と整合的だ。

では、一般政府(中央政府と地方政府の和)の支出と収入についてちょっと見ておこう。政府の支出はカレンダーイヤー(1月から12月)ではなくて、4月から3月であるがしょうがない。2015年(度)の予算規模は96.3兆円で、GDPの18.2%である。上で触れたGの数字とちょっと違うが、まぁ、予算だというのと、年度であるのと、いろいろ細かい調整がされているのであろう。財政収入を見ると、消費税からの収入は17.1兆円、財政規模の約18%、GDP比では3.2%である。その他の税収など(個人所得税、法人所得税、酒税など)はGDPの8.0%である。残りのGDP比で7.0%は新規の国債の発行に頼っているようだ。支出面で目に付くのは、既に存在する債務に関する支払いで、23.5兆円、予算規模の約1/4、GDP比では4.4%を占めている。ちなみに、既存の財務の支払いがGDPに占める大きさは2005年は3.5%であり、年々経済規模に比して大きくなっている。

ここまで「政府」としてきたものには、一般予算からの補填分を除いて、厚生年金や国民年金などの公的年金の活動が含まれていない。モデルでは、公的年金が重要な要素なので、公的年金が経済においてどのくらい大きいかを確認しておこう。いろいろな公的年金の年金受給額を合計すると、2015年は51兆円であった。GDPの約9.6%である。ちなみにこの数字は2005年には9.1%であり、高齢化が進み、退職世代の数が増えるにつれ、年金受給額の総額が経済規模に占める割合は大きくなってきている。2008年に世界同時不況が起こった際には、この数字が初めてGDPの10%を超えたことがニュースになったが、それ以降は、年金を受け取る世代の割合は着実に増えているが、再び10%以下のレベルに落ち着いている。

このGDP比9.6%はどのようにファイナンスされているか?働いている世代が払う拠出金の合計は2015年は33.8兆円であり、公的年金総受給額の約2/3、GDP比は6.4%である。年金は、働いている世代が払った拠出金を退職した世代に渡すというシンプルな構造が一番簡単だが、それでは、現在の日本の場合、働いている世代からあと50%多く取るか、あるいは、退職した世代の受け取る受給額を1/3カットしなければ成り立たないので、一般財政(消費税などの普通の税金)から差額が補填されている。まぁ、お金に色はないので、どこから出してもあまり気にすることはない。消費税がこの補填に役立っているが、労働に不のインセンティブを与える労働所得税を消費税に置き換えるのは悪いアイデアではない。

公的年金のサイズ(GDP比で9.6%)を政府の消費(17.9%)に加えると、合計の政府の活動のサイズはGDP比で27.5%となる。更に、モデルと比較するために既存の債務の支払いの分(4.4%)も加えると政府の活動のサイズは32.0%となる。

更に、公的年金と並んで既に大きく、今後高齢化で更に大きくなっていくのは公的医療保険である。今回行おうと思っている分析では医療費・医療保険は捨象するが、簡単にサイズだけ確認しておこう。2015年の医療費の合計は42.4兆円、GDP比で8.0%である。このうち患者の自己負担分は約88%のようだ。この分も加えると、広義の政府の大きさはGDP比で39%となる。時々、日本の政府の財政規模はGDPの約40%という数字を見かけるが、この数字は、このように、公的年金、公的医療保険、その他(失業保険等)も含めたものかと思う。

次回は、モデルを紹介する。モデルのパラメータを設定する際に、ここで見てみた数字とできる限り整合的になるようにするので、ここで見た数字がまた出てくることになる。

How to Analyze the Current Policy Options in Japan, Part 1

日本では衆議院が解散され、総選挙がおこなわれるようだ。今度の選挙の重要な争点のひとつとして挙がっているのは、消費税が2019年10月に現行の8%から10%に引き上げられる際、その使い道として、これまでは社会保障の安定化(政府の借金の返済と読み替えているところも多いがそれでよいのかな)だったものを、その一部を幼児教育無償化などに振り替えることらしい。そもそも消費税率が引き上げられた際の新たな収入の使い道について、国民から了承を得ていたとは考えづらいのだけれども、そういうことらしい。そもそも、僕は日本の細かい政策オプションに通じているわけではないので、間違いも多いと思うので、細かいことなど、いろいろ指摘してもらえるとうれしい。

というわけで、簡単なマクロ経済学のモデルを使って、このような政策変更の効果を分析できないかと考えてみた。とはいえ、今回は、その取っ掛かりの部分を紹介するだけである。まだ、どうすればよいかというのは見えてきていないので、うまく行かないかもしれないけれども、数回にわたって試行錯誤してみる。いつものように途中で投げ出してしまうかもしれない。

まず、どのような政策を分析しようとしているのかについて考えてみよう。国の借金返済というのは、言い換えれば、将来の年金受給の原資として使うともいえるのだろうか。今のままでは大幅に債務の額を増やさずに今計画されている年金受給額を維持できないのであれば、消費税の増税によって将来の年金受給額を(あまり)減らさずに済むようにできるかもしれない。但し、将来のどの時点の年金受給額の補填に使うかははっきりしていない。もしかしたらそういう計画も示されているのかもしれないが、僕はまだ見ていない。もしすぐ近くの将来の年金受給額の補填に使うというのであれば、いわゆる、現在年金に貢献している比較的若い世代からもう退職した世代への所得移転と捉えることができるかもしれないが、もし、かなり先の将来の年金受給額の補填に使うというのであれば、もしかしたら、現在年金に貢献している比較的若い世代も恩恵をこうむるのかもしれない。但し、将来の年金関連政策は、不確実性の高い将来の経済状況に左右されるだろうし、将来誰が政権についているかによって変わりうる物なので、現在の政権が信用できるレベルでコミットできるようなものではないことから、きちんと政策をモデルに取り込むのは難しいなと感じている。

では、幼児教育無償化の方はどうか。こちらの方は、単純化すれば、幼児を持っていて、かつ私立などに入れる予定ではない(慶応の幼稚園とかに子供を通わせる費用が補助されるとは思えない)、おそらくは比較的低所得で中年の家計への補助金と考えればよいであろう。

但し、原資は消費税率の2%引き上げである。消費税は、(累進性の高い)所得税とは違って、誰にでも比較的同じような税率でかかるものなので、多くの家計に比較的「平等に」負担が生じる。結局、増税と、その使い道を同時に考えてみると、以下のように分類できるのではないだろうか。

1. 現在および近い将来退職する世代にとっては、政策変更前は、消費税増税の負の効果と、年金受給額への補填の正の効果のどちらが大きいかというのが問題であった。彼らは幼児を抱えていないとすると、今回の政策変更で、年金受給額への補填が小さくなるので、彼らはおそらく損をすることとなる。

2. 現在幼児を持っていて、比較的低所得の家計にとっては、政策変更前の消費税増税の効果は、消費税増税の負の効果と、将来の年金受給額への補填を通じた正の効果の比較であった。政策変更後は、将来の年金受給額への補填がおそらくは減る一方、幼児教育無償化を通じた補助金が増えることになる。おそらくは後者の効果の方が大きい、つまりプラスであろう。

3. 幼児がいるものの、高所得の家計への効果は、政策変更前は、消費税増税の負の効果と将来の年金受給額への補填を通じた正の効果の比較であった。政策変更に伴って、後者の正の効果が弱まるので、これらの家計は損をすることになる。

4. この政策が続くと仮定すると、現在幼児がいなくても、将来幼児を持つ可能性のある家計についても上の議論が当てはまる。但し、若い家計であれば、年金受給額への補填効果は弱いだろう。

5. まだ退職してなくて、将来にわたって幼児を持たない家計にとっての政策の効果は、退職者のグループと同じである。但し、幼児教育への補助金を通じた正の効果はない一方、若い家計であれば年金受給額補填の効果も弱いと考えられるので、政策変更の効果はあまりないと考えられる。

予想外に長くなってきたので、今日はここでやめておく。次回は分析に使えるかもしれないモデルを組んでみようと思う。