Evidence-Based Policy against Loud Voice

今回は、最近話題になっている、「受動大声規制」について書いてみる。

  • まわりで大声で話されると気分が悪くなるというのは、皆知っていることであるが、最近、大声で話す人が近くにいると子供の健康を害するという確かなエビデンスが蓄積されてきた。これに基づいて、主に公共の場で大声で話すことを禁止する動き(「受動大声規制」)が高まっている。
  • 大声が健康に良くないというエビデンスは、複雑な計量経済学的手法に基づいて得られたものなので、ここでは説明はしないけれども、経済学者がエビデンスがあるといった場合には100%正しいので、信じて欲しい。
  • ちょっと専門的なことに興味のある人のために書いておくと、このエビデンスは、いくつもの最近の実証的な研究に関するメタスタディに基づいている。一個一個の研究では、統計的に有意な結果は得られていないけれども、メタスタディをすることで、有意な結果が得られた。まぁ、細かいところは気にしないで欲しい。
  • より細かいところが気になる人のためにちょっと書いておくと、そのうちの多くの実証研究は、4.5-6畳一間の家庭で、夫が常にものすごい大声で話している状態が20年以上続いた家では、妻がノイローゼになったりして体調を壊すケースが(統計的に有意ではないけれども)多いことに基づいている。これらのエビデンスを元にすると、レストランでおじさんた達が大声で話していると、子供も体調を壊すことは確実である。子供の健康を守るために、大声は禁止しなければならない。
  • 大声で話す人が近くにいると健康に悪影響を与えるというのは、国際的なエビデンスからもはっきりしている。例えば、アメリカ人は大声な人が多いが、アメリカ人は平均寿命が日本人に比べて短い。このエビデンスは、大声が健康に悪影響を与えることを示唆している。
  • ただ、大声で話す人は、年齢が高めの人が多い。政治家も声の大きい人は多い。よって、「受動大声規制」はなかなか、投票する有権者及び、政治家に支持されないことが問題である。レストラン等で大声を規制すれば大声でしゃべりたい彼らは損害をこうむることになるが、受動大声で健康を害する人のほうが重要なのは議論するまでもない。
  • しかも、大声の人が重要な顧客であるレストラン・居酒屋等も、受動大声規制をすると売り上げが落ちてしまうということから、レストラン・居酒屋業界が反対をしている。受動大声規制がレストランや居酒屋の売り上げに影響を与えるか否かというのは、決着がついていない問題である。例えば、レストランや居酒屋の経営者に、受動大声規制が実施されたら売り上げにどう影響を与えるかと聞いてきたところ、売り上げが落ちるという意見が大多数をしめていた。但し、こんなものは、強いエビデンスとは言わない。
  • 逆に、最近は、売り上げに負の影響を与えないという強いエビデンスが出てきている。25年前に富山県滑川市で受動大声規制を導入してみたところ、売り上げは落ちなかったという強いエビデンスが有名なものである。25年前に富山県滑川市で売り上げが落ちなかったというエビデンスがあるんだから、今、全国的に受動大声規制を実施しても100%大丈夫である。
  • ちなみに、大声が禁止されているレストランは既にたくさん存在しているし、インターネットで検索すれば簡単に見つかる。こういう状況で何で全てのレストランで受動大声規制を導入しなければならないかは、受動大声が子供などの健康に悪影響を与えることから明らかである。
  • 加えて、近年の行動経済学の知見によると、大声を出している人は出したくて出しているのではなく、自分をうまくコントロールできていないことがわかってきた。よって、大声が出しづらい環境にすることで、大声を出さなくて良くなった人の幸福度も高まることが期待される。極端な話、公共の場で大声を出した人には罰金を課すという政策も、意思に反して大声を出してしまう人を幸福にするという面で有効な政策であり、今後検討してゆきたい。
  • 今後は、このような、エビデンスに基づいた政策決定がよりいっそう広まって欲しいものである。

Learning Japanese Income Tax

今回は、日本の(個人)所得税についてちょっと見ていくことにする。きっかけとなったのは、twitterで見かけた、以下のグラフである。


出典を探すのに手間取ってしまったが、このグラフは「月刊誌『KOKKO』編集者・井上伸のブログ」というブログの著者が作ったものであるようだ。この手の、金持ちが優遇されている!みたいなキャッチーなメッセージのデータはしばしばtwitterで見かけるが、多くは信頼性にかけるので、あまり真剣に見ないのだけれども、日本の税制およびデータの基礎的なところについてちょっと学んでみるきっかけにしようと思い、ちょっとデータを見てみた。僕自身、ぜんぜん日本の税制なんて素人なので、間違えも多くあるかもしれない。間違えに気づいたら教えてくれるとうれしい。

このグラフは、所得が1億円を超えると、総税負担(所得税+社会保険料+住民税)が所得に占める割合(総税負担率)が低下するというのがメッセージである。平たい言葉で言うと、所得が1億円を超えるような大金持ちは低い税率で優遇されている、ということであろう。ちょっと調べる気になったきっかけは、本当かな、これ、と思ったことである。とりあえず、全てをカバーするのは大変なので、今回は所得税に的を絞る。上のグラフによると、所得税の支払額を所得で割った所得税負担率は所得5000万円~1億円で一番高くなり(28.7%)それ以上の所得の人の場合は所得税率が下がっていく。まぁ、所得が1億円以上のお金持ちは総税負担率が下がっていくという傾向は所得税率の低下から主に生み出されているので、とりあえず所得税に焦点を絞るのは悪くないだろう。

まずは、このデータがどこから来ているかというと、国税庁が出版している「申告所得税標本調査」というものである。今回は、上のグラフと同じ2014年(平成26年)のデータを使うことにした。2015年のデータも公開されているが、あまり変わらなかった。

まず、僕もぜんぜん知らなかったので、基本的なところに戻りたい。日本の税のデータは、源泉徴収された人(サラリーマンの多く)と確定申告をした人(自営業や、資産家、サラリーマンでもいろいろな資産を持つ人が主)で完全に分かれていることだ。タイトルからわかると思うが、上のグラフの元になっている「申告所得税標本調査」というのは、後者(確定申告した人)だけをカバーしている。ただ、日本で働く人の多くは、家を買ったり大金持ちでもない限り、多分、会社が勝手に納税(源泉徴収)してくれて、自分では何もやらない人が多いと思う。つまり前者だ。僕も日本で働いていたときには、若かったせいもあるけれども、税金払ってるなんて考えもしなかった。給料明細の手取り(税引き後の給与)だけしか見てなくて、額面(税引き前の給与)なんて気にもしなかった。こういう人たちの場合は、企業が申告した税のデータがまとめられ、「民間給与実態統計調査」として国税庁から出版されている。僕が簡単に調べた限り、両者を使いやすい形でまとめたデータは存在しないようだ。というわけで、今回のブログポストを書くに当たっては、両方を見てみた。

但し、両者を単純に合体させればよいというものでもなさそうだ。まず第一に、源泉徴収をされていても、確定申告をしている人はたくさんいる。2014年でいうと、確定申告した人は612万人だったが、そのうち源泉徴収されていた人が352万人いた。つまり確定申告した人(「申告所得税標本調査」に含まれる人)の約半分は会社から所得税を天引きされている人(「民間給与実態統計調査」に含まれている人)のようだ。「民間給与実態統計調査」に含まれる労働者は2014年で4756万人いるが、352万人を引くと残りは、4405万人である。つまり、所得のあった人で、確定申告した人(つまり上のグラフでカバーされている人)は612/(612+4405)=12%だけなのである。このことは、上のグラフは、所得があった人のうちたったの12%、しかも特殊な人だけをカバーしているということになる。これは問題だろう。

それ以外で気になったのは、おそらくは、「民間給与実態統計調査」は各企業からの報告を基にしているので、2つ以上の会社から給料をもらっている人はダブルカウンティングされているだろうということである。まぁ、そういう人はおそらく少ないだろうと仮定して、以下の議論を進めていく。

下のグラフは、僕が2014年の「申告所得税標本調査」を使って、各所得レベルの人の(平均)所得税率を再現してみたものである。


全所得階級で、最初に示したグラフの税負担率と同じなので、「申告所得税標本調査」を使って計算されているという僕の推測は多分正しいと思う。最初のグラフと同じく、所得5000万円から1億円で税負担率がピークとなり、それ以上の所得の場合は、所得税負担率は低下している。

これは何でだろう?日本の所得税率は累進的、つまり。所得が高い人ほど税負担率が高くなるようになっている。これは、高所得者の人に、より高い税率を負担してもらおうということである。具体的には、2014年の所得税の税率は以下のようになっている。


(年間)所得195万円までは所得税率は5%だけれども、それを超えた分の所得はだんだん高い税率が課され、1800万円を超える所得には40%の税率がかけられている。2015年からは4000万円以上の所得に対して45%の最高税率が課されることになったので、累進性はより強化されている。もちろん、いろいろな控除があるので、所得に対してそのまま上の表の税率が課されるわけではない(後でこのことについてまた触れる)が、所得税負担率(平均税率)が低下するというのは奇妙である。これは、「申告分離課税」という制度によるもののようだ。申告分離課税というのは、ある種の収入については、通常の所得と分けて、上の表に基づく税率でなく、ある一定の税率を別途課す制度である。対象となるもので、多分わかりやすいものは、株式を売り渡したときの収入、および、家(やゴルフ会員権)を売ったときの収入である。株式を譲渡した際の税率は一律15%(+住民税5%と今は復興特別所得税0.315%が課される)であり、家を売ったときの収入には、所有期間が5年を超える場合は15%(+住民税5%と今は復興特別所得税0.315%)、5年未満の場合は30%(+住民税9%と今は復興特別所得税0.315%)が課される。なぜこれらの資産移転に関する税率が低いかというと、これらの資産の買うためにはまず所得が必要であり、その所得に既に所得税が課されているから、もう一度高率の所得税を課すのを避けるのが目的であろう。

というわけで、最初のグラフで、なぜ所得が1億円を超える人の所得税率が低いかというと、こういう人たちは、主に、家や株式を売ったことで一時的に所得が高かったからだ。実際、2014年に所得が100億円を超えていた人は税率が17%だったが、申告所得税標本調査によると、これらの人の主な収入は株式の譲渡による収入と資産(おそらく家)を長期保有したあとに譲渡したことによる収入であった。通常の税率が課される配当収入と給与収入もあったが、あまり大きな割合ではなかった。つまり、最初に示したグラフで、高所得者の税率が低いのは、過去に既におそらくは高い税率で税金を払った人の資産の移転に伴う税率が低いことによるものであり、金持ち優遇ではない可能性が高い。

最初にあげたグラフのもうひとつ大きな問題点だと思うのは、「高所得者」が誇張されていることである。まずは、既に述べたとおり、最初にあげたグラフは確定申告をした11%の人だけのデータであり、とても少数の人たちのデータである。それに加えて、あのグラフで「高所得者」のカテゴリーに入る人の割合はとても低い。


上のグラフは、各収入カテゴリーに含まれる人の割合を示したものである。1億円を超える人の割合は非常に低い。所得が1億円を超える人たちの総合計はたったの0.25%である。つまり、税負担率が下がっていると指摘されている人の割合は確定申告をした11%の人たちのうちのたったの0.25%なのだ。最初に示したグラフでは低い税率を享受していると強調されている、一番上の所得カテゴリーである100億円以上の所得の人はたったの11人!しかいない。もちろん、少ないから問題ではないっていうことではないが、これらの人にかける税率をちょっと上げたところで、全体の税収に与える影響がかなり小さいと思う(今度ちょっとした計算をしてみる)。しかも、上で議論したように、これらの人は既に一回高率の所得税を払っている可能性が高いので、もう一度高率の所得税をかけるのはアンフェアではないかという議論もできる。同じくらい重要なこととして、これらの人の所得に高率の所得税をかけると、貯蓄のインセンティブを阻害したり、彼らが国外に出てしまったりする可能性もある。

ちなみに、「民間給与実態統計調査」に含まれる、「普通のサラリーマン」の税率は所得とともにどのように変化しているであろうか?以下のグラフがそれを示している。


所得ともに、平均所得税率は上がり続けている。2500万円以上のカテゴリーの中の内訳がないので「申告所得税標本調査」から得られたこぶ型の形と比べることはできないが、「申告分離課税」をしていない人たちに限定すれば、給料の水準とともに税率はきれいに40%まで上がっているのではと推測する。

ちなみに、二つの調査から得られる平均所得税率、および、(控除とかを無視した場合の)法律で定められている税率を比べたのが以下のグラフである。


一番上のオレンジの線が限界税率(上の表で示した税率)である。もちろん、累進性があるので、平均税率(薄青)は限界税率より低い。確定申告した人たちの平均税率は青緑である。彼らの平均税率は源泉徴収の平均税率(赤)より高い。他の資産からの収入の申告分離課税の税率の方が高いからだろう。2000万円を超える収入カテゴリーで平均税率が25%程度でほぼ同じなのは、申告分離課税による税率と普通の所得税率が同じくらいになるからだろう。確定申告した人の平均所得税率(青緑)も源泉徴収の平均所得税率(赤)も、法律上の平均税率(薄青)より低い。これは、さっき書いたが、様々な控除があって、実際の課税対象所得はもともとの(額面)所得よりずっと低いからである。

つらつらと学んだことを書いていったので、とりとめがない書き方になってしまったが、日本の所得税の基礎について学ぶことができて、個人的には満足している。多分いろいろ見落としていたり、間違っているところもあると思うので、教えてくれるとてもうれしい。

How to Think about Optimal Policy in Macro?

今回は、現代のマクロ経済学者が、最適な政策・採るべき政策を考える時にどのような手法を使うのかを紹介してみようと思う。「マクロ」経済学者と書いたのは、おそらくは、このような考え方を受け入れられない、経済学者もいるはずだからだ(後で少し触れる)。ちゃんとした(マクロ)経済学者が、政府が取るべき政策について議論するときにどのように考えているのか、あるいは、ちゃんとしてない人は何がまずい(と少なくとも僕が思っているのか)がわかってもらえれば幸いである。今回はちょっと抽象的に議論して、気が向いたら、次回は、ちょっとしたモデルを組んで具体的な例を示すことをやるかもしれない(こういうことを書いても大体やらずに終わるんだけれども…)。



マクロ経済学者が望ましい政策について考えるときには、モデルをもとに、上のようなグラフを頭に描いている。x軸(Policy variable=政策変数)は政府が選べる政策である。具体的には、消費税率、あるいは最低賃金の水準を頭に思い描いてもらえばよい。今は最低賃金としておこう。y軸(Social welfare)は、大まかに言って「社会全体の幸福度」を示している。具体例で考えてみよう。上のグラフは最低賃金をいろいろな水準に変えたときに、社会全体の幸福度がどのように変化するかを示している。幸福度の変化はは山なりの曲線であらわされ、最低賃金がw1のときに社会全体の幸福度が最大化されている。あるいは、もし現在の最低賃金がw1より低ければ、(w1を超えない程度に)最低賃金を引き上げると社会全体の幸福度が高まるので、この場合は、モデルをもとに、最低賃金を(w1を超えない程度に)引き上げるべきだとマクロ経済学者は主張する。

もちろん、上のような考え方は、様々な仮定の元に成り立っている。まずは「Policy variable=政策変数」についていくつかコメントしておこう。

  1. 上の例は政策変数が一つの場合だが、もちろん政策変数が一つである必要はない。消費税の例で言えば、消費税率と軽減税率(軽減税率=消費税率のケースは軽減税率がないケースと考えられる)の二つが政策変数となってもよい。一般的に、何を政策変数とすべきかについて、いい答えはない。なるべく一般的な議論をするために、政策変数として何でも含める(なんでも政策変数というモデルにおいて最適な政策を考える)という考え方をする人は多いが、この場合、分析が複雑になるし、望ましい政策がとっても複雑で事実上実現不可能かもしれないので、必ずしも一般的であればよいというわけではない。
  2. その一方、まずは消費税率だけ考えて、軽減税率のことは忘れようという考え方もできる。その場合、望ましい消費税率を求めたとしても、その結果はロバスト(頑健)でないことが往々にありうる。消費税の例を使うと、消費税率だけ考えて望ましい消費税率を算出したとしても、軽減税率を導入すると望ましい消費税率は大きく変化するかもしれない。実際に軽減税率は政策変数として使われる(消費税を導入している国の僕が知る限り全てで軽減税率が導入されている)ので、消費税率だけ考えて望ましい政策を考えても事実上役に立たないともいえる。
  3. もっと根本的な話をすると、望ましい政策はモデルの選択に依存する。どんなモデルを元に議論をしているのかを明らかにするのが望ましい。そうすることによって、その経済学者が望ましい政策を考えるに当たって、どういう要素を重視しているか、あるいはどういう要素が考えられていないか、が明らかになるからである。そういう手続きを経ずに、「こういう政策が望ましい」とか「こういう政策が実施されるべきだ」とか言われても信用できない。
  4. 関連した話になるが、ある経済学者がある論文において最適な政策はこれこれだと主張しているとしても、多くの場合、それは、あるモデルの中で最適な政策を分析しているだけであって、通常の場合経済学者自身の価値判断は含まれていない。経済学者でも、あるアジェンダがあってそれに沿う論文ばかり書いている人もいて、その場合は、その論文の結果がその経済学者の主張と一致することが多いが、それは論文の外の情報(その経済学者の評判)からわかることであり、論文自体は、様々な要素が入ったモデルが正しいとすると、モデルの中ではある政策が望ましい、といっているだけである。論文の結果と経済学者の意見をごっちゃにしてはいけないと思う。論文の評価もそれを書いた経済学者の個人的な価値判断とは関係ない。
  5. それと、しばしば、新しいモデルを構築した場合、そのモデルの中で最適な政策を分析することは、実際にそのモデルを使って政策提言する気がなくても面白い分析となる。たとえば、金融政策が入ったモデルで、フリードマンルール(実質金利と同じ率のデフレを起こしつづける経済政策)が最適かどうかを知ることは、そのモデルにおいて貨幣がどのような役割を果たしているかを学ぶのに役立つ。そういった動機で最適政策を分析しているケースも多々あるので、そういう論文を書いている学者がいても、その論文での最適な政策をその経済学者が望ましいと思っていると思わないように注意すべきである。
  6. 上のようなことを書いたのは、結局、各論文は複雑な現実の一部分を切り取ってあるチャンネルを中心に分析したものであり、最終的には、ある国がおかれた経済状況や、その経済状況において重要と思われる様々なチャンネルを比較した結果として、望ましい政策が提案されるはずだからだ。
では、次に、「社会全体の幸福度=Social welfare」についてコメントしておこう。まず、「社会全体の幸福度」というのは何だろう?日本に国民がN人いるとして、わかりやすい例としては、以下のようなものが考えられる。

「社会全体の幸福度」=国民1の幸福度+国民2の幸福度....+国民Nの幸福度

この考え方は広く使われていると思うが、いろいろ問題点があり、リーズナブルではないと思う人も多い。上のような「社会全体の幸福度」の考え方についていくつか注釈を加えておこう。
  1. 最初に言っておかなければならないのは、「社会全体の幸福度」をどう設定するかというのは、経済学の「外」の問題ということである。経済学が得意とするのは、「社会全体の幸福度」が与えられたときに、いろいろな政策を使って、それをどう高めるかを考えることであって、「社会全体の幸福度」をどう選ぶかは、経済学の問題ではないと考える人が多い。極端な話、「正社員として働く人だけの幸福度の合計」と定義しても良いし、「東北地方の農家の幸福度の合計」と定義しても良い。もちろん、こういう定義がリーズナブルだろうという考えはあるけれども(このポストの議論は、一般的にこれがリーズナブルだろうと考えられている手儀に従って進めている)、どの定義を使うべきかというのは狭義の経済学の問題ではない。
  2. では、上の定義に戻ろう。最も大きな問題は国民一人ひとりの幸福度を足し合わせられるのかということである。国民一人ひとりの幸福度を直接比較できないのであれば、足し合わせることはできない。足し合わせる(あるいは幸福度を比較する)ことは不可能だという立場をとるとしたら、上の議論は成り立たない。では、その場合でも、とるべき政策について主張できるのはどのような場合か?全ての国民の幸福度が上昇(あるいは少なくとも同じ)場合である。誰でも、何もせずにお金をもらえれば幸福度がアップすると考えよう(この仮定はそんなにむちゃでないだろう)。その場合、ある政策を実施して、全ての国民が何もせずにお金をもらえる場合、国民1人ひとりの幸福度の直接の比較ができなくても、その政策は望ましいものとなる。これが、大雑把に言うと、「パレート効率性」あるいは「パレート改善」というものである。
  3. 国民一人ひとりの幸福度が比較できたり、足したりできるというのはある意味とても強い仮定なので、それなしに望ましい政策について語れるというのは大きな利点である。しかし、そのような状況でしか政策を語らないということであれば、推薦できる政策はとても限られてくるであろう。例えば、二人しかいない国で、ある政策を実施したときに国民1は100万円得して、国民2は10万円損をするのであれば、うまく国民1から10万円以上とって国民2に上げることができれば、両方とも幸福度が上がる(あるいは最低限幸福度は変らない)政策なので望ましいといえるが、そんな簡単にある国民から別の国民にお金を動かすことはできないかもしれない。そういうことが容易にできるモデルではそのような政策は望ましいものであるが、実際の経済ではお金を容易に移すことができないという制約があれば、そのような政策も実施できない。結局、望ましいとして薦めることのできる政策は、全ての国民が、お金の移転なしに得をする政策でなければならない。これはとてもハードルが高い。こういう政策だけを認めるということにすると、結局、政策について何もいえない状況になることが容易に考えられる。かなりきびしい条件の下で望ましい政策だけ語り、ほとんどのケースにおいて望ましい政策について語ることができないことを選ぶか、もっとルースな条件で望ましい政策を語るけれども、多くのケースにおいて望ましい政策について語ることを選ぶかというのは、とても悩ましい選択だ。ここでは後者の立場をとっている。
  4. それに、もし、本当に、全ての国民が幸せになる政策であれば、なぜそれが実現していないか?という問題も存在する。とても経済学者的な考え方だけれども、誰もが喜ぶような政策であれば、既に実施されているはずだろう、もし、あるモデルに基づいて、全ての国民の幸福度が上昇する政策が存在し、それが実施されていなかったら、そのモデルが間違っているか、そういう政策が実施できない何らかの制約が存在する可能性が高いという考え方もできる。

というわけで、以降は、国民一人ひとりの幸福度は足し合わせられると考えていこう。では、一人ひとりの幸福度はどのような特徴を持っているだろう。おそらくは、(特徴①)持っているお金が多ければより幸福度が高まるというのは、受け入れられるであろう。また、(特徴②)全然お金を持っていない人にとっての1万円は大金持ちにとっての1万円より幸福度を高めるというのも、おそらくは受け入れられる特徴であろう。僕が一万円拾えばとてもうれしいけれども、多分ザッカーバーグはあんまりうれしくないだろう。

この特徴②はとても重要である。特徴②を受け入れる場合、たくさんのお金を持っている人からあまりお金を持っていない人にお金が動く政策は社会全体の幸福度を高める効果がある。ザッカーバーグから1万円余計に徴税し、僕には1万円減税する政策は、僕とザッカーバーグの幸福度の和を大きくするのである。つまり、経済を「公平」に近づける政策は社会全体の幸福度にとって望ましいといえる。

その一方、経済の「効率」を高める政策は、一般的に、平均的に国民の収入を高める効果を持つ。特徴①を受け入れるとすると、経済の効率を高める政策は社会全体の幸福度を高めることとなる。これは良くあることなんだけれども、もし、経済の「効率」を高めようとすると「公平」の面で悪化する場合、どちらかを追求するとその方面から社会全体の幸福度は増加するものの、もう一方の方から社会全体の幸福度が低下することが十分ありうる。この場合、社会全体の幸福度を最大化する政策というのは、「効率」と「公平」のバランスをうまくとる政策ということになる。これが、いわゆる「効率」と「公平」のトレードオフというものである。



上のグラフは、「Efficiency=効率」だけ考えた場合、あるいは「Equality=公平」だけ考えた場合、「社会全体の幸福度」がどのように政策変数とともに変化するかを示している。イメージを沸きやすくするために、政策変数を消費税率と考えてみよう。政府はある一定金額を国民から徴税せねばならず、徴税方法として消費税と累進所得税があるとする。消費税率を上げると、消費税から得られる税収が増えるので、所得税率を下げることができる。この場合、累進性の度合いは維持されると仮定する。上のグラフは、「効率」だけ考えると、消費税率を上げればあげるほど社会全体の幸福度は上がることを示している。消費税はモノの税込価格を一律に引き上げるので、モノの相対価格を変えない。よって、消費者は(モノの相対)価格が何も変らなかったように行動する。言い方を変えると、消費税というのは価格のゆがみをもたらさないのである。一方、消費税率を高めると所得税率を下げることができ、所得税引き後の所得を高めるので、労働の意欲を高めることが期待される。つまり、消費税率を上げると、消費税は価格のゆがみをもたらさず、一方所得税率を下げることで賃金のゆがみを是正することができるので、経済の「効率」は改善するのである。

その一方、消費税率を高めると「公平」という面だけ考えると、「社会全体の幸福度」は下がってしまう。よく言われていることであるが、定率の消費税は低所得者、つまり「1万円から得られる幸福度が高い」人の税負担が大きくなり、「1万円から得られる幸福度低い」人の税負担が小さくなるので、「公平」の面だけ考えると望ましくないのである。そういう意味では、軽減税率というのは、このような消費税率の問題点を和らげる政策と考えることもできる(もちろん他の政策、たとえば所得税の累進性の引き上げ、で代替することも十分可能である。何を政策変数とするかによって望ましい政策が変わってくるいい例である)。

最初に示したグラフは、上の二つのグラフ(「効率」だけのものと「公平」だけのもの)を足し合わせた結果、山なりになっているのである。但し、このような山なりの形がいつも得られるわけではない。極端な例として、代表的個人のモデルを考えてみよう。国民が1人しかいない(全員が同じ所得等を持つと)経済では、仮定から既に「公平」は達成されているので、「公平」を改善するとという効果はないのである。言い方を変えると、代表的個人のモデルで考えると、上のグラフで言う「効率」だけ考慮したケースがそのままモデルに当てはまる。つまり、消費税は上げられるだけ上げた方がいいのである。


では、ちょっと違う例を見てみよう。例としてまた最低賃金を使う。上のグラフで言う、Case 1は一番最初のグラフで示した例である。では、Case 2の場合はどうか?Case 2も山なりであり、最低賃金がw2のときに社会全体の幸福度は最大化されるので、マクロ経済学者はCase 1と同じように、最低賃金の引き上げを主張すると考えるかもしれない。しかし、Case 1 との大きな違いは、最低賃金を変えたことによる社会全体の幸福度の上昇幅が小さいことだ。この場合、分析に使われたモデルで捨象された他の要素も考慮した場合、最も望ましい最低賃金のレベルが変る可能性が大いに存在する。このような場合には、マクロ経済学者はあまり強く政策の変更を主張しないであろう。どんなモデルも捨象されたいろいろな要素が存在するし、上のようなグラフを描くために使用したパラメーターにも不確実性がある(あまり自信がない)ケースが多いので、捨象された要素を加えたり、ちょっとパラメーターを変えたら、採るべき政策が大きく変ってくるのであれば、無責任にある政策(w2)を推奨はできない。Case 3は上でもちょっと触れた特殊なケースで、最低賃金が低ければ低いほど、社会全体の幸福度が高まるケースである。言い換えると、このモデルが正しければ、経済学者は最低賃金は廃止すべきだ(廃止したときに社会全体の幸福度が最高となる)と主張することになる。

最後にいくつかコメントを。
  1. 繰り返しになるが、ちゃんとした経済学者であれば、頭の中にモデルがあって、そのモデルの下で、上のグラフのような分析をした上で、望ましい経済政策について議論しているということである。しばしばインターネット上で見かけるが、何のモデル、トレードオフも念頭になく、こういう政策を採るべきだと議論している人がいるが、多くの場合、そんなのは別に望ましい政策を議論していると言うより、個人の嗜好を表明しているに過ぎない。
  2. わかりやすい例としては、ある業界に利益のある人が、少なくともその業界の人は得をする政策を望ましいと議論したところで、それ以外の人たちがどのような影響を受けるか、もしそれ以外の人が負の影響を受けるのであれば、負の影響が、その業界の人が得る恩恵に比べたら小さい、という議論をしないと、(少なくとも僕には)説得力はない。大金持ちではない人が大金持ちに対する課税を強化して、それ以外の人に対しては減税をすべきだと主張するのも似たような話である。もちろん後者の場合、「公平」を改善する効果があるから「社会全体の幸福度」が高まる可能性はあるが、大金持ちの人たちが、投資を控えたり、シンガポールや香港に資産を移したりすることで起こりうる負の効果も冷静に考えた上での議論でなければ、自分が得するからうれしい政策に対する支持を表明しているだけで、あまり説得力はないであろう。
  3. モデルがあった上で議論をしていても、望ましい政策は、結局はどのようなモデルを使っているか、どのようなパラメーターを考えているかに依存することが多い。全てのモデルにおいて成り立つ望ましい政策なんてほぼ存在しないので、望ましい政策を議論する際には、どのようなモデルを考えているか・どのようなチャンネルを考慮しているのかなどを明示した上で議論が行われると建設的な議論になると思う。
かなり、大雑把な議論をしている箇所もあるし、あまり推敲せずに書いたので、おかしいところとかは指摘してもらえるとうれしい。

Modeling Premium Friday, Part 2

前回のポストに引き続いて、プレミアムフライデーがマクロ経済に与える影響を、シンプルな新古典派成長モデルを使って分析してみる。

モデルは前回に紹介したものを引き続き使う。前回書いたとおり、プレミアムフライデーをどのようにとらえるか(どのようにモデル化するのが適切か)について、僕はまだはっきりとわかっていないけれども、まずは、2つの異なる考え方を基に分析してみることにした。前回紹介した考え方は、プレミアムフライデーは、強制的に月末の金曜日の午後に労働者を帰らせることで、オフィスで無駄に過ごしている時間を余暇(あるいは生産的な労働)に開放するというものである。言い方を変えると、プレミアムフライデーは、労働者が自由に利用できる時間(disposable time)を増やすという考え方だ。簡単に想像はつくと思うが、基本的には1日に使える時間が増えるということは、生産に使える投入要素が増えるということなので、前回見たとおり基本的には経済にポジティブな影響を与える。

総需要効果を考慮しない場合、GDP、消費、投資は長期的には約1%増加する。自由に使える時間が増えた時に全てを余暇には回さないので、1週間あたりの労働時間は1時間は減らないものの約0.6時間(36分)減少し、余暇に使われる時間は1週間当たり約0.4時間(24分)増加する。1時間当たりの賃金は長期的にはプレミアムフライデー実施前と同じ水準に戻るけれども、労働時間が長くなるので、所得は増加する(長期的には所得が増加しないと消費は増加できない)。総需要効果を考慮すると、プレミアムフライデーの効果はより大きいものとなる。GDPや消費は1.9%増加し、消費(総需要)の増加がGDPを更に引き上げるので、賃金も長期的には0.9%上昇する。

では、今回は、別の考え方をしてみよう。プレミアムフライデーというのは、月末の金曜日の午後には働くことを禁止することで、労働供給を強制的に削減するものととらえることもできる。もちろん、別の日により長く働くことによって、月末の金曜の午後に働けない代わりをすることができるが、その場合プレミアムフライデーの効果というものはゼロなので、今回は労働時間が強制的に削減され、別の日の残業とかパートタイムを増やすとかで穴埋めができないものと仮定する。具体的には、週当たりの最大労働時間が、プレミアムフライデー実施前は40時間だったものが、39時間に削減されたと仮定する。加えて、プレミアムフライデー実施前は、労働者は週40時間ちょうど働いていたと仮定する。つまり、労働時間の制限がなくても労働者は週40時間喜んで働いていたのだけれども、プレミアムフライデー実施によって39時間までしか働けないこととなったと考える。このような政策の効果は以下に示される。



前回のケースと異なり、プレミアムフライデーの効果は総じてネガティブである。一段目のGDP(左)と消費(右)から見ていこう。総需要効果を考慮しなければGDPや消費は約2.5%減少する。総需要効果を考慮すると、GDPや消費の落ち込みは長期的には4.6%と、非常に大きなものとなる。

2段目の左には投資の動きが示されている。長期的には投資の変化はGDPや消費と同じく、総需要効果を考慮すると2.5%のマイナス、総需要効果もあった場合は4.6%のマイナスである。右には1週間あたりの労働時間が示されている。2017年以降、プレミアムフライデーが実施されたことで、労働時間は上限きっかりの39時間となっている。39時間という労働供給のアドホックな制約に引っかかっている。

賃金は一時的に上昇する。これは、労働時間に制限が加わって急に引き下げられることで労働供給が資本に比べて過少になるからである。しかし、長期的には資本が蓄積されることで、総需要効果がない場合にはプレミアムフライデー実施前のレベルに戻っていく。総需要効果がある場合は、総需要(消費)の落ち込みにともなって、賃金も下降し、長期的には、2.2%低下することとなる。実質利子率は、同様に資本の過剰供給を反映して一時期低下するものの、長期的にはプレミアムフライデー実施前のレベル(あるいは総需要効果がある場合はその近く)に戻っていく。

基本的には、プレミアムフライデーを労働供給に制限を加えるものとしてとらえた場合、そのマクロ経済に与える効果は総じてマイナスであることが見て取れる。

では、前回見た「需要側」のモデルと今回見た「供給側」のモデルのどちらが現実的だろうか?何度かちょっと議論したけれども、無駄な時間(モデルでいえばラムダ)を強制的に減らす効果が、小さいとはいえ労働供給を制限するネガティブな効果よりは比較として大きいのではないかなという気がする。でも、効果はかなり小さいだろう。見えないくらいかもしれない。月末の金曜午後の労働時間が減る分は、他の日に長く働いてもらったりする可能性が高いと思われるからだ。それに、プレミアムフライデーの対象となる労働者はモデルの仮定(労働者全員)よりおそらくはかなり少ない。

モデルでは直接扱えない話だけれども、もしかすると、フルタイムの人の労働時間が少し減少することで、パートタイムの人の労働時間が増えたり、主にパートタイムの人の雇用が(ほんの少し)増えるというような効果もあるかもしれない。

あとは、プレミアムフライデーの趣旨の一つとして、月末の金曜日に早く退社できることで、週末の旅行を促進するというようなことが書いてあった。これによって特に恩恵を受ける業界の業績がどう変わるかなどを見るのは今後の楽しみである。

最後になるが、フランスでは、2000年に労働時間の上限を週39時間から35時間に削減したことが話題になった。このときにこの政策のマクロ経済や労働市場にに与える効果についていろいろな研究がなされたことを覚えている。プレミアムフライデーとはちょっと違うが、35時間労働が実施された後でフランスに何が起こったか、この効果だけを見るのは難しいだろうが、面白い研究を思い出したら触れようかと思う。

Modeling Premium Friday, Part 1

前回のポストで、リバイズを進めるために新しい論文をほとんど読まないようにしているといってみたものの、ちょっと時間を食うことをやってしまった。

今回は、簡単なモデルで、プレミアムフライデーの効果を見てみたい。プレミアムフライデーというのは、毎月の最終金曜日に、皆がちょっと早く帰れる(例えば午後3時退社と書いてある)ように推奨することによって、余暇に使う時間を増やし、消費も刺激できるのではというアイデアである。

今回のポストを書くきっかけとなったのは、江口さんのこのようなtwitterでの発言である。

「プレミアムフライデーでGDPがどうなるかで、日本の低成長の原因が需要要因か供給要因かが分かるかも。供給要因なら労働時間減少でGDP下がるし、需要要因なら消費拡大(消費と余暇が補完的なら)してGDPが上がるはず。逆に言えば需要要因かつ消費と余暇が補完的でない限り景気拡大効果はない。」

とても面白い視点だと思ったんだけど、まずは、プレミアムフライデーのマクロ経済への効果をどういう風に考えたらいいのかな、と考え込んでしまったので、まずは、とても簡単なモデルからはじめてみようと思い立った。とりあえずは、「日本の低成長の原因が需要側なのか供給側なのか」という質問にどうリンクさせるかまでは思いつかなかったのだけれども、手始めとして、「需要側」を重視したメカニズムと「供給側」を重視したメカニズムで、どのようにプレミアムフライデーの効果が異なるかを考えて見たい。

では、どうやってプレミアムフライデーをモデルに取り込むかであるが、次のような入れ方を考えてみた。

  1. 「需要側」:これまでは、月末の金曜日の午後には皆オフィスにいつつも何も生み出していなかったと仮定する。もちろんこれはかなり単純化した非現実的な仮定なんだけれども、ちょっとくらい労働時間が減少しても(生産に役立つ)労働供給は変らないというアイデアを簡単に取り込むにはこういう仮定でいいのかなと思い立った。もし、これはおかしいとか、もっと良い入れ方があるという方がいたら、教えて欲しい。下のモデルでは、ラムダが無駄な時間を示す。このような状況では、プレミアムフライデーというのは、そもそも浪費されていた時間を余暇(あるいは労働)に開放すると考えられる。
  2. 「供給側」:プレミアムフライデーは、労働時間に関する制約と考える。これも、かなり単純化した仮定である。極端ではあるが、プレミアムフライデーは労働者が働く時間を強制的に減らすものと考える。

「供給側」についてちょっとコメントしておくと、もし労働者が月末の金曜日の午後に長く働けない分他の日により長く働くことができれば、プレミアムフライデーの効果は単に、働く時間が月末金曜の午後から他の日にシフトするだけである。残業代がかかるから雇用する企業にとってはコストが高まると考える人もいるだろうが、それは、単に、(残業時でない)平時の給料を下げることで対応できる。つまり、この考え方をとると、月ごとの総労働時間は変らず、平時の給料は下がる(が賃金収入の合計は変らない)と考えられる。マクロ経済(GDP、消費、投資等)への効果はない。これではあまり面白くないので、「供給側」チャンネルはもっと強いものとしてモデル化してみることにした。

基本モデルは成長のトレンドを除去した新古典派成長モデル(Neoclassical Growth Model)である。このモデルでは、定常状態であれば、GDP、消費、投資、資本は、一定のレベルで変らない。この状態は、これらのマクロ変数が一定の成長率(例えば年率2%)で成長していることを意味する(けどモデルでは定率の経済成長を単純化のために除去している)ので勘違いしないで欲しい。新古典派成長モデルという名前は、内生的成長モデルと対応しており、定常状態での成長率が外生的に決まってくるモデルをさす。

では、モデルを構成する式を挙げておく。並べただけで、あまり厳密にモデルを書いていない(例えば、代表的個人に関する変数とマクロの変数を区別していない)が、許して欲しい。
式(1)は、効用関数である。消費と余暇から効用が得られ、log-logの形式をとっているので、余暇が増えれば消費も増える。Lは最大労働時間、ラムダは上で書いた、「オフィスで過ごす無駄な時間」である。「供給側」のモデルの場合、ラムダはゼロにする(このチャンネルは使わない)。

式(2)は労働時間に関する制約である。「供給側」モデルでは、プレミアムフライデーはこの上限値が引き下げられると仮定する。

式(3)は消費者の予算制約である。消費者は労働時間あたりwの賃金を受け取る。貯蓄に対しては年率rの利子が得られる。

式(4)は資本の蓄積がどのように起こるかを示している。資本は年率デルタの割合で磨耗し、投資iをすることで増やすことができる。

式(5)は生産が消費あるいは投資に使われるという、マクロレベルの資源制約を示している。

最後に、式(6)は、生産関数である。上に書いたとおり、簡略化のため生産性(z = TFP)は一定としておくが、一定の率で成長すると仮定してもモデルの挙動は基本的には変らない。生産には資本(k)と労働(l)が用いられる。また、これも通常の仮定であるが、コブ・ダグラス型の一次同次の生産関数である。

ちょっと特別な仮定は、生産関数にcが入っていることである。通常のモデルであればこれはない(オメガ=0)。この仮定は、総消費が増加すると生産活動が刺激されるという、需要側のチャンネルを簡単に(ニューケインジアンモデルのように名目価格の硬直性を入れずに)入れるためのトリックで、最近のDirk KruegerのHandbook Chapterで使われていた。但し、この仮定はあまり標準的ではないので、以下では、オメガがゼロのケースも示す。オメガがゼロでないケースをオメガがゼロのケースと比べると、総需要チャンネルも考慮するとプレミアムフライデーの効果がどのように変ってくるかを見ることができる。

以下の表に、パラメーターの値を示す。1期間は1年で、全てのパラメーターはとても標準的なものである。
ベータの値は最初の定常状態で実質金利が年率4%になるように選んだ。資本の減耗率は年率8%、生産における資本の重要度は0.36、この辺はスタンダードな値である。オメガは、上に書いたとおり、総需要効果を考慮しないケースではゼロ、考慮したケースではKrudgerが使った数字(0.3)にしてみた。労働、あるいは余暇に使える時間の合計は1週間に98時間とした。1日あたり14時間である。ミューは、週当たりの労働時間が、プレミアムフライデー実施前に40時間(一日8時間)となるようにセットした。異なるモデルに同じターゲットを適用しているので、2つのモデルではミューの値が多少ではあるが異なっている。

「需要側」のモデルでは、プレミアムフライデー実施前(2016年まで)はラムダが1(1週間当たり1時間は無駄になっている)であるのが、プレミアムフライデー実施(2017年以降)によってゼロになると仮定する。週当たり1時間というのは、1ヶ月で4時間、つまり、月末の金曜日は午後に完全に休めるという仮定である。実際の時間(午後3時帰宅)よりはちょっと大きいが、金曜に残業している人とかを考えれば、それほど悪くない数字かと思う。もちろん、現実は全ての人がプレミアムフライデーの対象になるわけではないので、その意味では、このモデルでは、プレミアムフライデーの効果がかなり大きめ目に設定されている。

「供給側」のモデルでは、プレミアムフライデー実施前の週当たりの労働時間の上限は40時間であったものが、プレミアムフライデー実施によって39時間に引き下げられると仮定する。そもそもプレミアムフライデー実施前は、労働者は最適に40時間働いていると仮定しているので、この制約には引っかかっていない。そういう意味でも、プレミアムフライデーの影響が過大にモデル化されていると考えて欲しい。

では、今回は需要側のモデルの結果を示す。2016年まではプレミアムフライデーはなくて、経済は定常状態にあったものの、2017年に、急にプレミアムフライデーが実施され、プレミアムフライデーは永久に続くとする。期待は(2017年のプレミアムフライデー実施以外は)完全予見とする。ちょっとナーディーなコメントだが、モデルは、シューティング・アルゴリズムでもポリシー・イテレイションでも、価値関数イレテーションでも解けるが、労働が内生化されていて、消費が生産性に影響を与えるので、シューティング・アルゴリズムはちょっと難しかった。

上段のグラフはGDPと総消費、中断のグラフは総投資と週当たりの労働時間、下段のグラフは時間当たりの賃金と実質利子率を示している。2016年までは定常状態で、2017年以降は、プレミアムフライデーのある経済の定常状態にゆっくり収束していく。青い実線が、総需要チャンネルのないモデル、緑の点線が、総需要チャンネルのあるモデルである。GDP、総消費、総投資、賃金は、効果の大きさを見やすくするために最初の定常状態を1をしている。

「需要側」のモデルでは、プレミアムフライデーの効果は、余暇(あるいは労働)に使える時間が週当たり1時間増えた考えられる。それを反映して、労働時間は2017年に急に減少するが、39時間までは低下しない。それは、経済が刺激されて、生産を増やすために、労働時間も(39時間から)増えるからである。一つの解釈としては、オフィスの人の余暇が1時間増えた分、より多くの人がレストランに行くので、レストランは人を増やさなければならないというものだ(もちろんモデルは代表的個人を仮定しているので実際にはそういうことは起こっていない)。

GDPや総消費は順調に増加し、新しい定常状態では、総需要効果を考慮しなければ1%、総需要効果も考慮すると1.9%増加する。総需要効果がなければ2017年に経済成長率が押し上げられた後はほぼ経済成長へのの効果はないんだけれども、総需要効果を加味すると、成長率の押し上げは(低減していくけれども)30年程度続く。このパラメーター設定では総需要効果はかなり大きいことがわかる。新しい生産量を維持するために投資も同じ割合で増加する。

プレミアムフライデー実施当初は、労働供給に対して相対的に資本が不足するので、金利が0.1%程度上昇するが、新しい定常状態ではまた4%に戻る。賃金は、総需要チャンネルのないスタンダードなモデルであれば、資本の不足を反映して最初は下がるものの、定常状態では元のレベルに戻る。面白いのは総需要チャンネルがあるモデルの場合で、新しい定常状態では消費のレベルが高いので、賃金は前のモデルと同じく当初は一旦低下した後で、高い水準に収束していく。最終的には賃金は0.9%高いレベルに収束することとなる。

というわけで、「需要側」を重視したモデルでは、賃金は一時的に低下するものの、プレミアムフライデーの効果は総じて景気刺激的である。次回は、「供給側」を重視したモデルではどうなるか、を見ていくことにする。

Random Thoughts on "Evidence"

もともと時々しか書いていないブログなんだけれども、最近特に書くペースが遅くなってしまった。これまでは、新しいペーパーを書いたり、帰ってきたペーパーのリバイズをしたりしながら、いろんな分野の新しいペーパーについて流し読みするというスタイルできたのだけれども、1-2年くらい他のペーパーを基本的に読まずに、自分のペーパーのリバイズだけするということを試しているからである。そうしないと、放っておくとどんどんたまっていくリバイズが永遠に終わらない感じがしたからだ。リバイズのペースが上がっているような気がするので、しばらくはこの方向でやっていこうと思う。

というわけで、またも、新しい論文のレビューとかではなく、ツイッターとかでみた記事に対する感想文のようなものである。今回は、ダイヤモンド社の記事となっていた「受動喫煙に関するエビデンス」について、あまり考えず思ったことを書くだけにしておく。おそらくは、本にはもっとちゃんと書いてあるんだろうけれども、「学力」の経済学でもううおなかいっぱいで、この本を読む予定はないので、あくまでオンラインの記事だけを読んだ感想である。

  1. ちょっと最近、「エビデンス」という言葉が、正直言って(言葉は悪いが)うざくなってきている。趣旨には100%賛同するんだけれども、基本的に誠実な研究者は常にやってきたことなので、何か「エビデンス」という横文字で押し捲られると、誰でも知っていることをコンサルの人が横文字で主張してくるときと同じような違和感がある。
  2. ダイヤモンド社の記事によると、「日本人については「受動喫煙が健康に悪影響を与える」という確たるエビデンスがなかった」らしい。ところが、9つの、統計的に有意でなかった研究をまとめてメタアナリシスにすると、それが強力なエビデンスになるように書かれている。僕は統計とか計量とかよく知らないんだけれども、そういうもんなの?これで通用するなら、僕も今度、10個くらい統計的に有意でない研究を探してこようという気になる。喫煙者ではないし、そりゃ受動喫煙がいい影響があるわけはなくて、あるとしても大きい悪い影響か小さい悪い影響なので、禁止するコストが小さいなら禁止すべきであり、喫煙とかもっとしにくくなるといいなぁと日本で煙もくもくの小さいバーで酒を飲むたびに思うのだけれども、議論としては、JTの人に肩入れしたくなる。
  3. 次に、飲食店での全面禁煙が飲食店の売り上げに(負に)影響するかという議論がなされているが、それが重要なトレードオフなの?疑問である。一番重要な問題は、喫煙者が幸せになって非喫煙者が害をこうむるという外部性の問題、そして喫煙者の上司が店を選んだら断れないような話なんじゃないかと思うんだけど。
  4. この質問について日本のエビデンスはないけど、海外については、飲食店の全面禁煙は飲食店の売り上げに影響を及ぼさなかったというエビデンスがあるので、日本でもこのことは当てはまるのと考えるのが妥当であろう、といっているが、なんとなく、自分の議論に都合のいい部分についてだけ外部適用性の評価が甘いのではと考えてしまう。
  5. どちらかというと、「受動喫煙が健康に悪影響を与える」か否かの方が、国(人種)によって結果に違いはないだろうから、他の国の研究結果を日本に外部適用するのはあまり無茶じゃない気がするんだけれども、「飲食店の売り上げへの影響」というのは、各国の文化に影響を受ける面が大きい気がするので、海外の結果をそのまま日本に持ってくるのには慎重にならなければいけない気がする。特に「エビデンス」という言葉を振りかざしているのであればなおさらではないのか。
  6. あと、記事を見てて、「公共施設の全面禁煙」と「飲食店の全面禁煙」という言葉が混ざっているのに違和感を覚えた。もしかしたら議論の元になっている研究のいくつかは、「公共施設」を対象としていたり「飲食店」を対象としていたりするのかな。こういうところもっと正確にして欲しい。
(Disclosure) JTからお金をもらったりしてません。

Teach Me! BOJ


金融政策は、伝統的には、短期金利を操作し、それが長期金利にも波及することを通じて、実体経済に影響を及ぼしてきました。短期金利を操作していたのは、短期金利が一番確実にコントロールできるからです。以前に「教えて!にちぎん」に書いていた通り、長期金利は、通常、実体経済の状況や民間の経済主体がどのように将来の景気について考えるかで決まってくるものであり、日本銀行が直接コントロールすることは難しく、かつ、すべきではないという立場でした。 

ところが、リーマン・ショック以降、まず米・英などの中央銀行が長期金利に働きかける政策を実施しました。短期の政策金利がゼロ%に達し、いわゆる「ゼロ制約」に直面していたので、これ以上長期金利を引き下げることが不可能な状況下、更なる金融緩和効果を実現するために、長期国債等の買入れを通じて、長期金利を引き下げる政策を始めたわけです。日本銀行も2010年10月に「包括的な金融緩和政策」を導入し、やや長めの金利に働きかけました。また、2013年(平成25年)4月に導入した「量的・質的金融緩和」では、イールドカーブ全体の金利低下を促す観点から、大規模な国債の買入れを開始しました。長期国債等の買い入れや将来の金融政策についてコミットする、いわゆるフォワード・ガイダンスによって、長期国債の利回り等、名目の長期金利に影響を与えることができることはわかっていますが、それが実体経済にどのような影響を与えるかはわかっていません。アメリカの中央銀行である連邦準備銀行は、既に、長期国債等の買い入れを段階的に終了し、リーマン・ショック以前の金融政策に戻す方向に動き始めています。 

その一方、日本銀行は、2016年(平成28年)1月以降、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を実施し、理論的にも実証的にも効果が確認されていない政策を次々と実施しています。効果が確認されていないものの、なにかやらないと、最近数年の日本銀行の金融政策フレームワークが批判されるおそれがあるので、次々と新しい政策を目くらましのように実施して、あまり過去の政策に注意が向かないようになるというよい効果も期待されています。但し、効果がまったく確認されていないと認めてしまうと批判が強まるリスクがあるので、日本銀行は、マイナス金利と大規模な国債買入れの組み合わせが、長短金利全体に影響を与えるうえで、有効であるという研究結果をあわせて発表します。(詳しくは『量的・質的金融緩和』導入以降の経済・物価動向と政策効果についての総括的な検証」をご覧ください)。ここでは、非常に古くて今では経済学者には使われていないモデルに基づく理論的分析、および、識別問題について突っ込みどころ満載の実証的分析によって、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」が非常に効果的であることを示しています。これは素人の方がぱっと見ればこれはよくわからない、すごいと思われるでしょうが、それが狙いです。日本の経済学者の方々は、今や日本銀行が発表することについてまじめに批判・検証することは諦めているので、彼らにも突っ込まれない、しかも、このペーパーは日本語なので外国の経済学者にも突っ込まれない、という好ましい状況になっております。というわけで、事情を察して大人の対応をお願いします。 

こうした研究結果も踏まえ、2016年(平成28年)9月に日本銀行は、「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)」を導入しました。具体的には、日本銀行当座預金の「政策金利残高」に適用する金利を短期の政策金利とするとともに、長期金利については、10年物国債金利の操作目標を示して、これを実現するように国債の買入れオペを実施しています(詳しくは、「金融緩和強化のための新しい枠組み:『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』」をご覧ください)。最初に述べましたとおり、実質長期金利をコントロールすることは、まず不可能、かつ、望ましいかもわからないものですが、ここで参照しましたペーパーでは、がんばって正当化のように見えることを書いてみました。但し、理論的にも実証的にもきちんとした分析はありません。再びですが、事情を察して、大人の対応をお願いします。 

(注1) オリジナルはここ
(注2) インスピレーションは@JS_Ecohaさんのツイートだったと記憶しております。