Research Economists and Policy Discussion

@JS_Ecoha さんが、日本の経済学者の政策論争への関わり方についての日経大機小機を載せてくれていた(リンク)。そこでは、例えば、クルーグマンのような世界的に有名な学者が「消費税増税を急がなくても日本の財政には問題がない」と言った時に、日本(人)の経済学者からの反応がないこと、その理由としては、今の日本の経済学部はアカデミックな業績が重視されており、反論したところでアカデミックな業績にはならないことが挙げられていた。そして、もっと積極的に政策論争に参加するインセンティブを与えるために、アカデミックな論文だけで業績が測られる現状を変更した方がよいのではという提言で結ばれていた。これについていくつか思うところを書いてみる。

アカデミックな業績のある経済学者があまり政策論争に積極的でないとしたらそこにはいくつか根本的な理由があると思う。いくつか挙げておこう。

1つ目は、ある政策に様々な効果があるとすると、その様々な効果は大体において別々の論文で分析される。そうしないと論文はシャープにならないからだ。いろいろな効果があってその効果がいろいろな論文で別々に分析されている場合、それらの別々の効果にどれくらいの重要性を置くかは個人の「感覚」によるところが多い。それに、ある論文で計られた効果は、何かの前提におそらくは大きく依存しており、その前提を(どの程度)受け入れるか否かは、読む人によって異なると思う。加えて、多くの論文はアメリカ経済を前提に書かれているので、アメリカの結果を日本の状況でどのように微調整するかということも考えなければならない。クルーグマンのような人は、そこまで考えているはずである。そこで、クルーグマンのような人が、ある効果がより重要だと考えてある結果にたどり着いた場合、例えば僕のような何でもない人が、彼が重視していない別の効果は実はとても重要だと言いたかったり、日本においてはある結果は当てはまらないと議論したい場合、かなりの研究が必要になる。そして、そんなことやっても大したペーパーにはならないし、頑張ってやったとしても、多分クリアカットな結論が出ない場合も多いので、その場合クルーグマンはあっちの方が重要だと言っているのを信じている人の心を変えるのは本当に難しい。そんなことやってられない。

2つ目は、結局は、どの政策が「正しい」かは、結局どのような社会全体の幸福度を仮定するかによることが多く、その場合は、経済学者が出る幕ではないというのが挙げられる。社会の個々の構成員の幸福度をどのようにウェイト付けするかは第一義的には政治の(政治家が決める)問題である。こういう状況である政策が「正しい」と言っている人がいる場合、それは単に個人(論文を書いた人や意見を表明している人)の嗜好の表明に過ぎないことがほとんどだ。そのような状況で、例えば僕の仮定する社会の幸福度とクルーグマンのものが異なるとしたら、勝ち目があるわけがない。それに、政府とすれば、こういう状況で政府がやりたい政策を「正しい」と言ってくれる学者を重用したくなるはずなので、自分の考えが政府が欲しい結論と異なる場合、時間の無駄である。そんなことやってられない。

3つ目は、そもそも、経済学者が何か言ったところで、それが実際の政策に影響を与えるかというと、たぶん日本政府はそういう感じではないので、結局、無駄骨になるように感じる。日本銀行の政策委員なり、政府の審議会の委員なりをみれば、まぁ、ちゃんとした議論の結果政策に影響を与えられるような状況ではないような感じがする。そんな状況で政策論争なんかに時間を割いてはいられない。

では、最初に引用した大機小機で言っているように、政策に関与することも業績としてカウントするというアイデアはどうか?個人的にはいいアイデアだとは思えない。この場合、それぞれのジャーナルの価値が国際的に確立されているアカデミックな業績と、政策関連の業績との為替レートを決めなければならないのだけれども、政策関連の業績の価格が高すぎて今のようにアカデミックな業績はいまいちだけど政策について何か書く人が優遇されてしまうリスクが高すぎると思う。特に、政策関連の業績の価格が調整されるマーケットがない場合、政府によってその価格が高めに設定されて、今のように、大した業績はないけど政策について「分析」している人が高めに評価されてしまうリスクを恐れるべきだと思う。

アカデミックな論文だけが業績にカウントされるシステムがだんだん根付いてきているのは素晴らしいと思う(もちろんそういう状況に身を置いているのでポジショントークととってもらってよい)。個人的には、今でも、ちゃんとした業績もないのにいい職を得ている経済学者が多すぎると思う。マスコミに出ている人とか、本ばかり書いている人とか、業績はいまいちだけど政府に重用される人とかがまだまだ多すぎると思う。方向性としてはアカデミックな業績を重視する方向にだんだん向かっているので、そういう人が少なくなっていくのは時間の問題だと思う。日本の政策の議論に関連する研究があまり評価されない結果、その量が過少になるかもしれないという問題はあるものの、きちんとしたアカデミックな業績のある人が評価されるべきだと思う。きちんと国際的に評価される業績があって、説得力を持ってクルーグマンのような人に反論できる人でないと政策関連の議論をしてもしょうがない。

個人的には、政策関連の議論を活発にするためには、回りくどいやり方かもしれないけれども、以下のようなことが重要だと思う。
  1. データの整備。いいデータがあれば自然と論文も出てくる。アメリカやヨーロッパはもとより、例えば、今では、ブラジルとかも日本よりいいデータが誰でも使えるように提供されており、それを使って論文を書いている一線級の学者がいる。政府は、データを使いやすくするとともに、(ちゃんとした)経済学者に、どのようなデータがあれば、政府が必要とするような研究がより活発になるかを聞くべきだと思う。
  2. アメリカのCEA(大統領諮問委員会)のように、いろいろなキャリアのステージの経済学者を2年とかいうタームで雇ってもよい。
  3. マスコミが、ちゃんとした研究に、もっと注意を払うべきだと思う。消費税なり社会保障なりの分野は、今でも新しい論文が書かれているが、そういう新しい論文に注目したような記事はあまり見ない。
  4. 日本の経済学ジャーナルも、あるトピックで特集をしたり、あるトピックの学会を開いてConference Volumeを出したりすれば、政策に貢献できるかもしれない。アメリカでいえばJMEのCarnegie-Rochester(JMEがあるトピックの論文を募集して、学会を開き、その学会で発表された論文とその論文へのコメントがJMEに載る)やBrookingsの出版物(Brookings Institutionによる似たようなシステム)である。JMEとまではいかなくても、論文にできるとなれば、日本の政策論争にちょっとだけでも貢献したいと思っている人もいるのではないかと思うんだけれども。

Declining Labor Share

NBER Reporter(NBERに所属する研究者が自分の最近の研究の内容をテクニカルになり過ぎないように説明している刊行物)でLoukas KarabarbounisとBrent Neimanが、労働分配率の低下について書いていた(リンク)のでメモしておく。

労働分配率というのはGDPのうちどの割合が労働者に(主に賃金として)分配されているかを示している。普通は2/3くらいと考えられている。この割合が安定しているというのは、マクロ経済における重要な事実のひとつと考えられてきた。モデルで言えば、代表的企業の生産関数にコブ・ダグラス型の生産関数を使う根拠となっている。

しかし、最近の研究では、この割合が低下してきていることが示されている。GDPにおける労働者の「取り分」が低下しているというのは、所得不平等の度合いが拡大しているという事実とも関連している。労働分配率が低下するということは、直接あるいは間接的に企業を保有している人(大体は高所得者)に分配されうる所得が増えることを意味するからである。

下のグラフは、アメリカにおいて1975年以降の労働分配率がどのように変化してきたかを示している。赤の点線は経済全体の労働分配率、黒の実線は、法人企業のみの労働分配率である。企業のみの労働部分配率を見ているのは、政府や非法人企業の収入を資本の取り分と労働者の取り分に分けるのが難しいからであるが、どちらも同じように動いている。
経済全体の労働配分率は65%程度の水準から60%近くまで落ち込んだことが見て取れるであろう。この傾向は、アメリカだけではない。次のグラフは、日本、中国、ドイツを示している。いずれも低下傾向にある。
次のグラフはもっと多くの国について、1975年から2012年の労働分配率の変化率をまとめて表示したものである。
労働分配率が上がった国もある(たとえば韓国、ブラジル)が大半の国、特に先進国においては労働分配率は低下した。彼らは一連の研究において、この低下の理由を分析してきた。以下はそのハイライトである。

  1. 労働分配率の低下は大部分の国で起こっているので、ある国・地域特有の政策・現象では説明できない。労働組合が強い国(スカンジナビア諸国などの大陸ヨーロッパ)でも起こっている(労働組合の力の低下はどの国でも同時並行的に起こっていると思うのだけれども…)
  2. 労働分配率の低下の一部は、産業の構造変化(労働分配率が低い企業が高い企業に比べて拡大した)で説明できるが、労働分配率の低下は大部分の産業の内部で起こっているので、それだけではない。
  3. もちろん、産業の内部において、労働分配率が低い企業が拡大し労働分配率の高い企業が縮小したというストーリーは彼らのデータによって棄却されない。
  4. 彼らが重視しているチャンネルは、生産が労働を多く使うものから資本を多く使うものへシフトしたというものである。ちょうど、労働分配率の低下と時を同じくして、IT関連の資本の価格が低下した。もし、資本と労働の代替の弾力性が1を超えていれば、資本の価格が例えば1%低下したときには、資本を1%以上多く使う生産様式にシフトするので、収入のうち資本(労働)に支払われる部分が上昇(低下)し、労働分配率は低下することとなる。
  5. と言うわけで、重要なのは、資本と労働の代替の弾力性の大きさなのであるが、一国の中のデータを使うと弾力性の推定値は1を下回るものの、彼らがたくさんの国とたくさんのセクターのデータを使ってえた推定値は1.25であった。この弾力性の推定値を使うと、労働分配率の低下の半分は(ITなどの)資本の価格の低下によって説明できる。
  6. 残りの半分は何によって説明できるだろうか?企業のマークアップ率の上昇、それに伴う利益の増加、によるものではないか。
労働分配率の低下と関連している重要な結果として、企業の貯蓄が大きく増加したということが挙げられる。1980年ごろは家計の貯蓄が企業の投資に使われていたが、企業の利益が増加する一方、配当の伸びはそこまで大きくなかった結果、企業の内部留保は大きく拡大した。
上のグラフは、労働分配率が減少した一方、労働に分配される以外の部分がどこに行ったかを示している。資本への支払いや税支払いはあまり増加していない一方、企業の内部の貯蓄される金額は増加してきている。企業セクターが経済における借り手から貸し手に変わったことが経済全体にどのような影響を与えるかは今後の研究課題としている。

Raj Chetty in 14 Charts

ブルッキングス研究所が、Raj Chettyによる不平等についての一連の研究をあらわした14のグラフを特集していた(リンク)。それを載せておく。

1.アメリカでは所得で下位20%の親から生まれた子供が上位20%に到達する確率は7.5%であり、カナダの半分強しかない。

2.親の所得を0-100にランク付けし(X軸)と子供の所得も同じように0-100にランク付けすると(Y軸)、その関係は強く相関している。

3.所得で上位20%の子供の親がどの所得層(上位20%(紫)から下位20%(濃い青)まで分類)に位置するかを見てみると、その分布は1970年以来変わっていない。

4.それぞれの年に生まれた子供の所得が親の所得を超える確率は1940年生まれの90%から1980年生まれの50%まで低下した。

5.所得上昇の可能性は地域によって大きな違いがある。下のグラフは親の所得が下位25%の子供の所得がどのランク(薄い色はランクが高く濃い色はランクが低い)であるかを示している。南部と中西部では子供の所得のランクも平均的には低いが、それ以外の地域では所得上位に位置する子供も多い。

6.親が所得が変化しにくい地域から変化しやすい地域に移った場合、子供が若い時に移るほど、子供が結婚する確率も上がるし、所得や教育にも好影響がある。

7.ランダムに選ばれて住宅バウチャーを 受け取って「いい」地域に移った家の子供(濃い青)は、バウチャーを受け取らなかった家の子供(薄い青)より所得が高まった。

8.「よくない」地域で育った子供の所得に与える負の影響は男子のほうがずっと大きい。ボルチモアで育った男子の所得は平均より28%低くなる(女子は5%低下)。

9.貧困の中で育った場合の負の影響は男の方が大きい。X軸に親の所得のランク、Y軸に働いている人の割合(青は男性、赤は女性)をとると、青の線の方が傾きが大きい。

10.経験豊富な幼稚園の先生は将来の所得に大きな影響を与える。幼稚園で10年以上経験のある先生についた子の所得(濃い青)は経験が10年未満の先生についた子供の所得(薄い青)を上回る。

11.大学は親の所得にかかわらず子供の所得を大きく高めることができる。X軸は親の所得のランク、濃い青はエリート大学に行った子供の所得、青はその他の4年制大学に行った子供の所得、水色は2年制の大学に行った子供の所得である。どのケースにおいても、大学は所得の不平等を緩和する(所得の低い親の子でも大学に行けば所得が大きく上昇することが多い)役割がある。

12.しかし、高校卒業後すぐに大学に行くか否か(Y軸は18-21歳で大学に行っている子の割合)は親の所得(X軸がそのランク)に大きく相関している。

13.発明家(30歳までに特許を取った人とする)になる確率(Y軸)は親の収入(X軸がそのランク)に大きく依存している。

14.所得の違いは寿命の違いに強く相関している。青い線は男性の平均寿命、赤い線は女性のもの。X軸は所得のランク。所得上位の男性と下位の男性では平均寿命が10歳も違う。



Papers at AEA, Part 3

もう一回だけ、フィラデルフィアのAEAで見たペーパーについてのメモ。今回は、Valerie Rameyがオーガナイズした「伝統的・非伝統的政策の財政乗数」セッションのペーパーを紹介。

"The Effects of Tax Changes at the Zero Lower Bound: Evidence from Japan"
Wataru Miyamoto, Thuy Lan Nguyen, Dmitriy Sergeyev
日本の財政政策の変更がGDPに与える影響をナラティブ・アプローチ(新聞や官報などに書かれた情報を元に、財政政策の変化を識別するアプローチ。景気の変化と関係ない財政政策の変更を書かれた情報を元に識別することで、(景気の変化に反応したわけではないという意味で)外生的な財政政策の変化だけを見ることができる)を使って分析。特にゼロ金利以前と以後のデータを比較して、ゼロ金利の元では財政政策の効果が強くなるというゼロ金利のモデルの特徴がデータで支持されるかに注目。財政政策の変化がGDPに与える影響はゼロ金利以前と以後の期間で有意に変わらなかった。討論者も指摘していたけど、全部で3回しか引き上げしてないのに消費税引き上げの効果をゼロ金利実施前と実施後で比較とかしちゃあまずいのでは。

"Unconventional Fiscal Policy"
Francesco D'Acunto, Daniel Hoang, Michael Weber
ドイツで2005年にVAT(消費税と思えばよい)の税率が2007年に3パーセンテージポイント引き上げられることが急に公表された。著者らはこれを「非伝統的な財政政策」と呼んで、その効果を分析した。このアナウンスメントの結果、ドイツでは(VAT税率引き上げが実施されなかった他のEU諸国(=コントロールグループ)と比べて)2006年に翌年の期待インフレ率が上がり、実際に2007年のインフレ率も上がった。アナウンスメントの後では(コントロールグループである他のEU諸国に比べて)今は耐久消費財を買うのによい時期だと答えた家計の割合が34%増加した。日本の消費税の引き上げのときもそうだけど、実際にVATの税率が引き上げられた後で耐久消費税の購入が落ち込んだらあまり意味はないのでは。

"What Do We Know About the Effects of Austerity?"
Alberto Alesina, Carlo Favero, Francesco Giavazzi
16のOECD加盟国で過去30年に実施された170の緊縮財政(Austerity)エピソードが、支出の引き下げが中心か増税が中心かによって、GDP等への影響がどのように異なるかを分析したペーパー。緊縮財政が実施されるときにはいろいろな政策がパッケージとして一緒に実施されることにも注意を払っている。支出の切り下げがメインの場合は、軽度の増税も同時に行われることが多いが、GDPへの負の影響はとても小さく(GDP比1%の支出切り下げパッケージはGDPを0.5%下げる)、そして短い(影響は2年程度だけしか続かない)。その上、緊縮財政が不況でない時に行われた場合は、GDPへの負の効果はゼロである。一方、増税がメインとなる緊縮財政パッケージの場合は、支出の切り下げは同時に実施されないことが多いものの、GDPへの負の影響はとても大きい(GDP比1%の増税メインの緊縮財政パッケージはGDPを2%引き下げる)上に、負の影響は長く続く。

Papers at AEA, Part 2

前回に引き続き、SED(Society of Economic Dynamics)がAEAで開催したもうひとつのセッションのペーパーについてとても簡単であまり正確ではないと思うが書いておく。このセッションは"New Approaches in Measuring Uncertainty"というセッションだ。土曜日の昼間という、参加しやすい時間で、スターがそろっていたので、かなり盛況だった。とはいえ、始まるときにNick Bloomがいなかった一方、発表される予定のペーパーと別のペーパーの共著者はいたので、NickがこなかったらNickの別のペーパーを彼に発表してもらおうという話になるなど、AEAっぽいゆるい雰囲気もあった。

"Firm Expectations: Measuring Subjective Uncertainty"
Nicholas Bloom, Steven Davis, Lucia Foster, Brian Lucking, Scott Ohlmacher
Censusの協力の下で、35000の製造業の企業に、売り上げ、雇用、投資、などの予測について、5つのビン(それぞれのビンの確率と数字は自分で記入できる)を使って分布を表現してもらうというサーベイを実施。90%以上の企業はおかしくない(足し合わせて100%になる等)分布を記入した。おかしな回答をした企業は生産性が低かったり成長率が低かった。売り上げ、雇用、投資の平均、分散、歪度、はそれぞれの過去の水準と整合的であり、予測はリーズナブルである。各企業の不確実性についての予測は、それぞれの企業あるいはその企業が属する産業の成長の振れの大きさと相関していた。

"Firms’ Uncertainty and Ambiguity"
Ruediger Bachmann, Kai Carstensen, Martin Schneider
上のペーパーと同じようなサーベイをドイツの製造業に対して行った。来期の売り上げが今期からどのように変わるかの予想、ベストケースとワーストケースにおける売り上げの変化率(この差で不確実性の大きさが測れる)、来期の売り上げが今期と同じくらいの確率、今期より増える確率、今期より下がる確率、を聞いている。それぞれの質問には"I don't know"(わからない)という選択肢があり、ナイトの不確実性(分布自体がわからない)の程度がこれで測れるかもしれない。結果配下の通り。(1) 企業は成長が高い時も低い時も不確実性が高かった。(2) 成長が低い時の方が不確実性に与える影響は大きかった(非対称性)。(3) 企業がレポートした不確実性は、客観的に測れる不確実性より小さかった。つまり企業は外部から観察する経済学者よりよく知っている、等。

"Technological Innovation and the Distribution of Labor Income Growth"
Leonid Kogan, Dimitris Papanikolaou, Lawrence Schmidt, Jae Song
企業の特許申請のデータと、それぞれの企業に働く労働者のデータをリンク(すごい)させ、自分の企業あるいは競争相手の企業で新しい技術革新(特許で把握する)が起こった際に、企業で働くさまざまなレベルの労働者の賃金にどのような影響があるかを測った論文。

"Uncertainty Shocks as Second-moment News Shocks"
David William Berger, Ian Dew-Becker, Stefano Giglio
現時点での株式市場の変動の大きさと将来の株式市場の変動の大きさに関するニュースのどちらが景気に影響を与えるかをVARを使って分析したペーパー。現時点での株式市場の変動の大きさの上昇は景気停滞に先行するが、将来の株式市場の変動の大きさに関するニュースは景気と関連していないことがわかった。

Papers at AEA, Part 1

フィラデルフィアのAEAに参加してきた。あまり多くのセッションには出なかったが、SED(Society of Economic Dynamics)のセッションには出てみたので、まずはBehavioral Macroeconomicsというセッションでプレゼンされたペーパーを軽く紹介しておく。発表者がWoodford, Gabaixという超一流なのに、朝一だったからか、結構すいていて雰囲気も結構ダルそうな感じがAEAっぽい感じであった。

"Macroeconomic Policy Analysis When Planning Horizons are Finite"
Michael Woodford
モチベーションとなっているのは、以下の3つである。

  1. 合理的期待モデルにおいては、フォワードガイダンスを実施するにあたって、先の未来のことを約束すればするほど現在の効果が大きくなるが(前にも触れたフォワードガイダンスパズルである)、実際はそのようなことが起こっていない。
  2. これもフォワードガイダンスであるが、合理的期待モデルにおいては、先の将来のことについて政策変更をするだけで、現在のマクロ経済にすぐ影響を与えるはずであるが、そういうことは起こっていない。
  3. 合理的期待モデルにおいては、Neo-Fisherianが主張するように、低金利低いインフレ率が共存する均衡が存在し、普通の均衡とその均衡の間のジャンプが起こりうる。
このような問題を解決するために、家計は貯蓄などを決定するにあたってT期先までのマクロ経済状況のみを考え、それ以降は、マクロ経済状況が定常状態であるかのように考えて意思決定をするというモデルを提案した。家計などの経済主体が将来のことを考えなければ上のような効果が起こらないのは当たり前だと思うんだけれども、その当たり前のことが結果である。極端な話、経済主体が将来のことを考えない昔のケインズモデルにもどれがすべて解決するので、テクニカルな側面は別としてあまり面白くはない気がするんだけれども、ウッドフォードのような人がやると流行るのであろうか?下はウッドフォードのスライド。

"A Behavioral New Keynesian Model"
 Xavier Gabaix
これモチベーションは似ていて、合理的期待の入ったニューケインジアンモデルでは、将来の政策の変更が現在の景気にあまりに大きな影響を与えてしまうので、例えば、次の期の低い金利を約束したとしても、その85%だけしか経済主体は考慮しないという仮定を置く。各期の政策変更が15%割り引かれるので、先の政策について約束すればするほどその(認識される)効果は小さなものなっていく。よって、うえで言及したフォワードガイダンスパズルも生じない。彼は財政政策の効果も分析しているが、例えば、家計はリカーディアンではなくなるので(減税がされても将来の税率の引き上げは15%割り引かれて認識される)、財政政策の効果は大きくなる。

"Consumer Spending During Unemployment: Positive and Normative Implications"
Peter Ganong, Pascal Noel
JPモルガンチェース銀行に口座を持つ人の2014年から2016年の取引のデータを使って(どうやったらそんなデータがとれるんだろう...)、失業者がどのように支出を行うかを観察し、どのようなモデルであれば観察された行動が再現できるか分析した論文。失業保険を銀行振り込みで受け取る失業者がどのように失業保険を使うかをリアルタイムで観察できる。
上のスライドは、失業した人の消費パターンがどのように変わるかを示している。赤っぽい点線がデータである。最初に落ち込むのが失業したとき。縦の点線の入っているタイミングが6ヶ月後(アメリカでは失業保険は6ヶ月しか出ない)である。失業時には支出は軽く落ち込み、失業保険を受け取っている間は支出額は安定的に推移し、失業保険が切れるとまた消費は落ち込む。上のグラフの実線が、標準的なモデルにおける失業者の消費パターンである。失業している間、失業者は支出をスムーズに減らしていく。モデルの挙動をデータに近づけるには、失業者をhand-to-mouth(毎期毎期収入を使ってしまう)にするか、失業保険がいつ切れるかとかどのくらいの確率で職が見つけられるかについてあまり注意を払わないという仮定を置けばよいという、まぁ、そりゃそうだという議論が行われる。

"Strategic Inattention, Inflation Dynamics and the Non-neutrality of Money"
Hassan Afrouzi
ニュージーランドの企業に、競争相手は何社くらいいるか、経済全体のインフレ率はどのくらいか、自分の産業のインフレ率はどのくらいか、を聞いたという面白いデータセットをもとに書かれた面白い論文。競争相手が少ない企業は、経済全体のインフレ率はあまりよく認識していないものの、自分の産業のインフレ率は正確に認識している。一方、競争相手の多い企業には逆の傾向がみられる。このような結果は、Rational Inattentionと整合的である。競争相手が少なくて競争相手の行動を正確に認識していなければ競争に勝てない企業は自分の産業の動向により注意を払い、マクロ経済全体の動向には比較的注意を払わない。競争相手が多い企業であれば(極端な例として完全競争を考えればよい)、自分の業界の競争相手の動向よりも、比較的マクロ経済状況に注意を払うのが合理的となる。

Some Papers by Stars in the Upcoming Market

このシーズンになると、ジョブマーケットに出るPhDキャンディデートの論文を見る機会が増えてくる。たぶんいいところに就職するであろう人たちのペーパーをいくつか見たので軽くメモしておく。よくわかってないものも多いが許してほしい。以下でも2つ挙げているが、最近は(自然)実験のデータをもとに構造モデルを作って、実験では見られない効果あるいは実験で得られた効果の背後にあるチャンネルの分析を行うような論文をよく見かける。

Daruich (NYU)
RCTなどにより、幼児教育への政府による財政補助の効果は大きいといわれているが、これまでの結果は、政策を大規模に実施したときに必要な税率の引き上げに伴う不の効果、および、政府の財政支出の増加によって子供の教育・所得水準が上がり、その子供が親になってさらにその次の世代の子供の教育水準を更に引き上げるという長期的効果を考慮できていない。このペーパーでは、親が子供に投資して子供の教育・生産性に影響を与え、更にその子供が親になってモデルが続いていくという一般均衡モデルをつくり、それらの効果を分析する。モデルの中で、税を引き上げる必要のない小規模なRCTを行うと、短期的な効果は実際のRCTの結果と整合的である。このモデルによると、税率の引き上げの不の効果は比較的小さく、子の教育・所得水準が上がって、その子が親になると更に次の子供の世代の教育・所得水準を引き上げるという長期的な効果はとても大きい。所得の不平等が政策によってどのように変化するかも分析される。

Cho (BU)
NKモデルの問題点のひとつとして、TFPショック以外のショックだと、消費と投資が反対方向に動いてしまうというものがある(いわゆるCo-movement puzzle)。このペーパーでは、失業のリスクが内生化されたモデルを使うと、予備的貯蓄動機が変化することで、co-movement puzzleを解決することができることを示す。通常のモデルでは、投資の生産性に対する負のショックがあると投資が減少するが、一方で生産自体が減少しないと消費は増えてしまう。但し、企業が投資を控えると同時に、生産を縮小するために求人も減らすというチャンネルを導入すると、失業者がすぐに職を見つけられる可能性が低くなり、労働者はそのような長期的な失業という状況に備えるために消費を切り詰め、貯蓄を増やそうとする。このようなモデルでは、投資の生産性が下がったときに、消費も減少し、co-movement puzzleが発生しない。

Engbom (Princeton)
ここ30年くらい、アメリカ(およびその他の先進国)で、労働市場のダイナミズム(新しい起業の数、別の企業に移る労働者の数等)が失われているといわれており、同時に、経済成長率も低下している(Secular Stagnation)。この現象を、高齢化→起業の減少→労働者が同じ企業にとどまりがち→その企業に特殊の技能を身につけて賃金が上がるので、起業したり別の会社に移ったりするインセンティブが下がる→起業の減少、というチャンネルで説明する。モデルは、労働者が次々と新しい企業に移るモデル(Moscarini and Postel-Vinay)にライフサイクルと起業のオプションを組み込んだもの。アメリカの州による高齢化のスピードの違いを使って、高齢化が経済成長に与える影響をデータでも分析。

Li (Chicago)
アメリカの2000年代の始めに、MBS(Mortgage Backed Secuirty)などのABS(Asset Backed Security)のトランシェ(資産を切り分けてリスクの高いものやリスクの低いものを作り出すこと)が盛んに行われたが、これは、逆選択(資産の価値がわからない買い手がリスクの高い資産を低い値段で買わされること)を緩和し、資産の流動性を高めるのに役立つので、均衡で起こりうることを示した。

Agostinelli (ASU)
Chetty and Hendren (2016)による有名なペーパー(子供の所得の高い地域に引っ越した家族の子供は将来所得が高くなりがちである)を元に、子供が別の学校に移ってこれまでと違うグループの友達と付き合うようになると、親が子供にかける時間がどのように変化し、そしてそれが子供の成績にどのように影響するか、を構造モデルを使って分析した論文。

Tsivanidis (Chicago Booth)
コロンビアの首都ボゴタで、2000年に高速バスネットワーク(道路にバス専用レーンを作ったりしてバスによる通勤を大幅に速くした)が導入された効果を、構造モデルを使って分析した論文。ボゴタの2800の区域の人々がこの高速バスネットワークの導入によって、どのように通勤パターン(車を使うかあるいはバスを使うか)あるいは働く場所を変えたか、企業がオフィスを設置する場所はどう変わったか、それぞれの区域の地価はどう変わったか、を見ることができ、いろいろな区域に住んでいる人がこのネットワークによってどのくらい得あるいは損をしたかを分析できる。

Fanelli (MIT)
近年は各国が、さまざまな通貨建ての巨額の資産・負債を保有しているので、たとえば金融政策によって為替レートが変化すると、対外資産・負債の価値が変わることで巨額の移転が発生することから、金融政策を考えるにあたっては保有資産・負債の価値への影響を分析する必要がある。この論文は、名目価格の硬直性があると同時に、資産・負債の通貨構成も変えられる状況で、最適な金融政策を理論的に分析している。鍵となるのは、通常の需要管理的な金融政策の効果と、為替レートの変化を通じた所得移転を使った保険の効果のバランスをどうとるかということだ。