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SED 2019: Day-Ahead Conference

(特にミネソタ系)マクロで最もレベルの高い学会の一つである、SED (Society of Economic Dynamics)の年次総会が、今年はセントルイスのワシントン大学のキャンパスで行われた。最近は、大きな学会があると、その前日にその町にあるFRBなどがDay-Aheadカンファレンスという学会を開催するのが流行りになっている。今回もやはり、SEDの年次総会の共同スポンサーでもあるセントルイス連銀が、SED開催の前日にDay-Ahead カンファレンスを実施したので、そこで発表されたペーパーについて簡単にメモしておく。

Michele Tertiltの"Regulation of Consumer Credit with Over-Optimistic Borrowers"(Florian Exler, Igor Livshits, James MacGeeとの共著)は、「行動経済学的な」仮定を入れた、ヘテロマクロモデルを使った分析である。消費者には所得が高い確率が高いタイプ(良いタイプ)と低いタイプ(悪いタイプ)の2つのタイプがいるが、どちらのタイプも自分が所得が高いタイプだと思って行動する。もちろん、長期間にわたって所得が低ければ、自分は所得が高い確率の低い(悪い)タイプだと学ぶのが普通であるが、消費者は皆「楽観的」(自分は「良いタイプ」だと考えて行動する)だというのがこのモデルの肝である。この仮定により、悪いタイプが、よいタイプに成りすますことのコストを考えて行動したり、これらの消費者にお金を貸す貸し手がどうやったら良いタイプにだけお金を貸すことができるかと考えるような、難しい問題を解く必要がなくなるからだ。これらの消費者は消費をスムーズにするためにクレジットカード会社からお金を借り、時によっては破産を選択する。クレジットカード会社の方は、お金を貸したときに、どの割合が良いタイプかを知っているが、良いタイプと悪いタイプは全く同じ行動パターンをとるので、2タイプを見分けることはできない。つまり、均衡では両タイプが同じ金利で借りることになる。このようなモデルの均衡では、自分の所得能力について楽観的な(悪い)タイプは、(自分のリスクにも相当した高い金利より)低い金利(低いリスクプレミアム)で借りることができる一方、良いタイプは悪いタイプと混ざっているので、高めの金利でしかお金を借りることができない。このような均衡では、政府が政策によって破産のコストを低くすることができると、実際に破産しがちな悪いタイプは得をするのだけれども、破産をあまりしない良いタイプは、破産が増えることによるリスクプレミアムの上昇で、損をしてしまう。

Maaten Meeuwisが発表した"Belief Disagreement and Portfolio Choice"(Jonathan Parker, Antoinette Schoar, Duncan Simesterとの共著)は、今流行りの、普通には手に入らないデータセットを使った分析である。詳細には立ち入ら(れ)ないが、彼らは、アメリカの数百万人がどのようにポートフォリオを組んでいるかというデータを入手し、彼らのポートフォリオが、2016年11月の大統領選(トランプが僅差でクリントンに勝った)の結果によってどのように変化したかを分析した。彼らのデータではそれぞれの投資家がどちらの政党を支持しているかはわからないが、どこに住んでいるかはわかるので、共和党支持者の多いエリアに住む人と、民主党支持者が多く住んでいるエリアに住んでいる人で、2016年11月の選挙の結果を受けたポートフォリオ組み替え方がどのように違っていたかを見ることができる。彼らのメインの結果は、大統領選での共和党の勝利の後で、共和党支持者の多いエリアに住む人は、民主党支持者が多いエリアに住む人に比べて、より株式への投資割合を増やしたというものである。著者らの解釈は、よく仮定される、全投資家が同じ(合理的)期待を持つという仮定よりも、皆が異なるモデル(に基づいて将来の資産のリターンを計算している)を持つという仮定が支持された、というものである。

S. Boragan Aruobaの"Pure Wealth Effect or Credit Constraints? Decomposing the Response of Consumption to House Prices"(Ronel Elul, Sebnem Kalemil-Ozcanとの共著)は、アメリカでGreat Recessionの時に住宅価格が下がったことで、消費が落ち込んだというMian-Sufiの有名な結果を、さらにいいデータを使ってより詳細に見てみたペーパーである。住宅価格が下がると消費が落ち込むというのは、理論的には十分あり得ることだが、その主なチャンネルは2つある。1つは「資産効果チャンネル」である。自分がもっている資産の価値が下がったことで、将来それを取り崩して実行できる消費額が下がるので、それに合わせて現在の消費を減らすというものである。もう1つは、「借入制約チャンネル」である。住宅価格が下がるとその価値を担保に借りれる金額が低くなるので、お金を借りて消費に回していた家計は消費を切り詰めざるを得なくなる。このペーパーでは、Great Recessionにおいてこの2つのチャンネルがそれぞれどのくらい強かったかを調べてみた。基本的なアイデアは、クレジットスコアの低い(高い)家計の住宅価格の下落に対する消費の反応は、借入制約チャンネル(資産効果チャンネル)によるものだろうと仮定することである。彼らの分析の結果は、Great Recession時における消費の下落のうち、資産効果によるものはほぼゼロ、借入制約チャンネルによるものが70%ほど、金融機関のバランスシートが痛んだことで貸し出しが制限された効果は20%ほど、残りの10%程度は一般均衡効果(消費の低迷に合わせて雇用が減少して所得がさらに減少することによる消費の減少)というもの。

Tim Landvoigtの"Financial Fragility with SAM?"(Daniel Greenwald, Stjin Van Nieuwerburghとの共著)では、SAM(Shared Application Mortgage)という新しいタイプのモーゲージ(住宅ローン)をマクロモデルの中で分析している。SAMというのは、住宅価格が下がった(上がった)ときには、モーゲージの支払額も下げる(上げる)という形態のモーゲージで、住宅価格が下落したときには自動的に支払額を引き下げることによって、(不況で失業するなどして所得が下がってモーゲージの支払いが困難になって)デフォルトに陥る人の数を減らそうというアイデアである。僕は全然知らなかったが、こういうモーゲージを提供しているフィンテック会社がすでにあるらしい。彼らのモデルはとても複雑なので、詳細には全然立ち入ら(れ)ないが、彼らは、モーゲージの支払額を国全体の住宅価格の動きに合わせて調整するSAMと、モーゲージを借りている人が住む地域の住宅価格に合わせてモーゲージの支払額を調整するタイプのSAMの効果を分析した。彼らのシミュレーションによると、経済全体に前者が導入された場合、基本的には景気変動のリスクをより金融機関に負担させることになるので、金融機関のバランスシートが景気の動きに対して敏感になりすぎてしまい、金融セクターの危機の頻度が増えてしまう。その一方、後者の場合、金融機関が各地域の住宅価格変動のリスクをシェアすることができていれば、住宅価格変動のリスクを別の地域に住んでモーゲージを持っている人々の間でシェアすることになるので、好ましいという結果になった。

Fabrizio Perriの"Unequal Growth"(Francesco Lippiとの共著)は、アメリカでは過去40年程度の間に、個々人の所得の不平等度が上昇し、同時に、経済全体の成長率が低下してきたが、これらの間の関係を、PSID(1967年から個々の家計の所得が見られるデータ)を使ってちょっと深く見てみたという論文。具体的には、次の関係に注目した:

  • ⓪経済全体の成長率=①個々の家計の所得の成長率の平均(個々の家計の所得のレベルでウェイト付けされていないもの)+②個々の家計の所得のレベルと所得の成長率の相関(×それぞれのばらつき具合)。

直感的に説明すると、個々の家計の所得の増加率が同じであれば、経済全体の成長率は①と等しくなる(②はゼロになる)。個々の家計の所得の成長率が異なる場合、もし、所得が高い家計の方が所得の伸びば大きければ、経済全体の成長率は①より大きくなる。経済全体の成長率を計算するにあたっては所得のレベルでウェイト付けするので、所得が高い家計の所得成長率が高ければ、経済全体の成長率は高くなるからだ。このような分解の方法はOI(Olley and Pakesなど)で頻繁に使われているらしい。彼らの分析によると、過去40年で、①は特に1990年以降上昇傾向にある。しかし、②は常にマイナス(所得のレベルが高い人の所得成長率は比較的低い)だが、そのマイナス度合いが特に1990年以降高まった。1990年以降②の低下のスピードが①の上昇のスピードを上回っていたことで、経済全体の成長率が低下したというのが彼らの発見である。②のマイナス具合がさらに低下したというのは、所得が高い人の所得成長率がさらに低下したことと、所得が低い人の所得成長率がさらに高まった、ことの両方によるもののようだ。彼らのペーパーでは、この後、モデルを使った分析もなされているが、メカニカルな分析で、では、なぜこのような変化が起きているのかはわからない。とはいえ、こういう分解による分析もできるんだなぁという感じ。

最後に、Mariacristina De Nardiの"The Lost Ones: The Opportunities and Outcomes of Non-College Educated Americans Born in the 1960s"(Margherita BorellaとFang Yangとの共著)では1960年代に生まれた、大学に行っていない白人のアメリカ人は、1940年代に生まれた人たちに比べて、①平均寿命が短く、②医療費が高く、③(教育の度合いをコントロールした後の)平均的に賃金が低い(特に男性)。これらの要因によって、1960年代に生まれた白人アメリカ人は、1940年代に生まれた人たちに比べて、どのくらい「幸福度」が下がっているかを、上の①~③を外生的な変化とするライフサイクルモデルを用いて計算した。彼らのモデルによると、1960年代生まれで、大学に行っていない、白人のシングルの男性は1940年代に生まれた場合に比べて、生涯賃金の12.5%損をしていることがわかった。1960年代生まれのシングルの女性の場合はこの割合は7.2%、カップルの場合は8%だった。

Papers at AEA, Part 1

フィラデルフィアのAEAに参加してきた。あまり多くのセッションには出なかったが、SED(Society of Economic Dynamics)のセッションには出てみたので、まずはBehavioral Macroeconomicsというセッションでプレゼンされたペーパーを軽く紹介しておく。発表者がWoodford, Gabaixという超一流なのに、朝一だったからか、結構すいていて雰囲気も結構ダルそうな感じがAEAっぽい感じであった。

"Macroeconomic Policy Analysis When Planning Horizons are Finite"
Michael Woodford
モチベーションとなっているのは、以下の3つである。

  1. 合理的期待モデルにおいては、フォワードガイダンスを実施するにあたって、先の未来のことを約束すればするほど現在の効果が大きくなるが(前にも触れたフォワードガイダンスパズルである)、実際はそのようなことが起こっていない。
  2. これもフォワードガイダンスであるが、合理的期待モデルにおいては、先の将来のことについて政策変更をするだけで、現在のマクロ経済にすぐ影響を与えるはずであるが、そういうことは起こっていない。
  3. 合理的期待モデルにおいては、Neo-Fisherianが主張するように、低金利低いインフレ率が共存する均衡が存在し、普通の均衡とその均衡の間のジャンプが起こりうる。
このような問題を解決するために、家計は貯蓄などを決定するにあたってT期先までのマクロ経済状況のみを考え、それ以降は、マクロ経済状況が定常状態であるかのように考えて意思決定をするというモデルを提案した。家計などの経済主体が将来のことを考えなければ上のような効果が起こらないのは当たり前だと思うんだけれども、その当たり前のことが結果である。極端な話、経済主体が将来のことを考えない昔のケインズモデルにもどれがすべて解決するので、テクニカルな側面は別としてあまり面白くはない気がするんだけれども、ウッドフォードのような人がやると流行るのであろうか?下はウッドフォードのスライド。

"A Behavioral New Keynesian Model"
 Xavier Gabaix
これモチベーションは似ていて、合理的期待の入ったニューケインジアンモデルでは、将来の政策の変更が現在の景気にあまりに大きな影響を与えてしまうので、例えば、次の期の低い金利を約束したとしても、その85%だけしか経済主体は考慮しないという仮定を置く。各期の政策変更が15%割り引かれるので、先の政策について約束すればするほどその(認識される)効果は小さなものなっていく。よって、うえで言及したフォワードガイダンスパズルも生じない。彼は財政政策の効果も分析しているが、例えば、家計はリカーディアンではなくなるので(減税がされても将来の税率の引き上げは15%割り引かれて認識される)、財政政策の効果は大きくなる。

"Consumer Spending During Unemployment: Positive and Normative Implications"
Peter Ganong, Pascal Noel
JPモルガンチェース銀行に口座を持つ人の2014年から2016年の取引のデータを使って(どうやったらそんなデータがとれるんだろう...)、失業者がどのように支出を行うかを観察し、どのようなモデルであれば観察された行動が再現できるか分析した論文。失業保険を銀行振り込みで受け取る失業者がどのように失業保険を使うかをリアルタイムで観察できる。
上のスライドは、失業した人の消費パターンがどのように変わるかを示している。赤っぽい点線がデータである。最初に落ち込むのが失業したとき。縦の点線の入っているタイミングが6ヶ月後(アメリカでは失業保険は6ヶ月しか出ない)である。失業時には支出は軽く落ち込み、失業保険を受け取っている間は支出額は安定的に推移し、失業保険が切れるとまた消費は落ち込む。上のグラフの実線が、標準的なモデルにおける失業者の消費パターンである。失業している間、失業者は支出をスムーズに減らしていく。モデルの挙動をデータに近づけるには、失業者をhand-to-mouth(毎期毎期収入を使ってしまう)にするか、失業保険がいつ切れるかとかどのくらいの確率で職が見つけられるかについてあまり注意を払わないという仮定を置けばよいという、まぁ、そりゃそうだという議論が行われる。

"Strategic Inattention, Inflation Dynamics and the Non-neutrality of Money"
Hassan Afrouzi
ニュージーランドの企業に、競争相手は何社くらいいるか、経済全体のインフレ率はどのくらいか、自分の産業のインフレ率はどのくらいか、を聞いたという面白いデータセットをもとに書かれた面白い論文。競争相手が少ない企業は、経済全体のインフレ率はあまりよく認識していないものの、自分の産業のインフレ率は正確に認識している。一方、競争相手の多い企業には逆の傾向がみられる。このような結果は、Rational Inattentionと整合的である。競争相手が少なくて競争相手の行動を正確に認識していなければ競争に勝てない企業は自分の産業の動向により注意を払い、マクロ経済全体の動向には比較的注意を払わない。競争相手が多い企業であれば(極端な例として完全競争を考えればよい)、自分の業界の競争相手の動向よりも、比較的マクロ経済状況に注意を払うのが合理的となる。

Facebook and House Prices

いつもの調子にもどって、面白いペーパーを見たので、その紹介をする。Bailey, Cao, Kuchler, Stroebelの新しいペーパー("Social Networks and Housing Markets")である。最近は面白い(けど著者だけがアクセスできることが多い)マイクロデータを使った研究が増えているが、このペーパーもそのようなものの典型例である。

まずは、ビッグピクチャーから話してみよう。同じような人が住んでいる経済で、皆が住宅価格の先行きについて同じような予想を持っていたら、取引は発生しない。皆が住宅価格が上がると思えば皆買い手になるので取引が生じようがないし(売り手がいない)、逆に、皆が住宅価格の先行きに悲観的であれば、皆今のうちに売り抜けようとするので、同じように取引が発生しない。もちろん、現実的には、若い人は結婚や子供の誕生をきっかけに、買うことが多いし、年をとれば、大きな家が要らなくなって、小さい家に引っ越したりする。これらのライフサイクルに基づく行動は、住宅価格の将来の期待に多少は左右されるかもしれないが、住宅価格についての予想が皆同じようであっても、住宅市場において取引を可能にするであろう。

でも、実際は、皆が同じような情報を入手できるにもかかわらず、住宅価格の先行きに関する予想は異なっている。彼らのペーパーから、住宅価格の先行きについての質問した答えの分布を紹介しよう。
同じ郵便番号(zipcode)のエリアに住む人たちに、住宅に投資することはどのくらい良い(悪い)投資かを聞いた質問に対する答えだが、「かなり悪い」という人もいれば「かなり良い」という人もいる。(ちなみに、これらの違いは、各回答者の目に見える特徴をコントロールしても存在する)同じ郵便番号のところに住んでて、普段は多分同じ上方に接することができるにもかかわらずなぜこのように違いが生じるのであろうか?

彼らの仮説は、それぞれの人は友人の経験を聞くによって、自分の住んでいる地域の住宅価格の先行きについての予想が影響を受けるというものである。同じところに住んでいる人でも、友人は違うところに住んでいるので、友人の多くが住宅ブームにあたって住んでいる住宅の価値が上がってそのうれしい話をたくさん聞かされれば、自然と自分の住んでいるエリアの住宅価格に対する予想も楽観的になり、逆に、友人の多くが住宅価格の下落によって損をすれば、その話を聞かされることによって、自分の見通しも悲観的になる、というのが彼らの仮説である。実際、人は友人と住宅について話すようだ。下のグラフは、どのくらい友人と住宅価格について話すかについてのアンケート結果である。「しばしば(often)」という人と「ときどき(sometimes)」という人を合わせると半分以上だ。

ここで、Facebookのデータが役に立ってくる。彼らの共著者の一人はFacebookの研究部門で働いているので、Facebookのデータにアクセスできる。それに加えて、上で挙げたような質問をFacebook上で実施することができる。著者らがどのようにFacebookを使ったかというと、Facebookのユーザーの友人が住んでいるところ(郵便番号)はFacebookで(だいたい)把握できる。そのデータと、各郵便番号のエリアの住宅価格の推移(これについてはオンライン上の住宅売買サイトのデータを使っている)をリンクすると、あるユーザーの友人が住むエリアの住宅価格の変化の平均を出すことができる。下のグラフは、ある郵便番号エリアにおける、そのような「友人の住宅価格の2年間の変化の平均の分布」を示している。結構ばらけていることがわかる。例えば、LAの同じエリアに住んでいる人でも、友人の多くがシリコンバレーにいれば彼らの話を聞かされることで自分の住んでいるエリアの住宅価格の見通しについて楽観的になる一方、デトロイト出身とかで、そのエリアに友人がいっぱいいる人は、LAの同じエリアに住んでいても、住宅価格が大きく下落した知人の話しをたくさん聞かされるせいで、自分の住んでいるエリアの住宅価格の見通しについても悲観的になってしまうのである。
彼らの主要な実験は、この各ユーザーの友人の住宅価格の変化が、本人の住宅売買行動に相関しているかなどを調べたものである。Facebookのデータを住宅取引に関する登記のデータベースと連結することで、Facebookのユーザーの住宅売買行動も把握できるのである。主要な結果は、以下の通りである。

(1) 人は住宅価格について友人とよく話し、友人の住宅価格の変化は自分のエリアの住宅価格の予測に対して有意な影響を与える。これについては上で既に説明した。この結果はFacebook上でアンケートを容易に実施できることで簡単に得ることができる。

(2) あるユーザーのSocial Networkに入っている友人が住むエリアの住宅価格が過去2年間で5pp上がった場合、そのユーザーが賃貸から持ち家になる確率は3.1pp高まり、平均で1.7%大きい家を買い、家を購入する際に3.3%多く支出をすることがわかった。

(3) 友人の住宅価格が上がった人の多いエリアではそのエリアの住宅価格もより上昇した。また、友人の住宅価格の変化の平均がよりばらけているエリアでは、より住宅が取引され、住宅価格の上昇率も大きかった。二つ目の結果は、マーケットに参加している人の予想が大きく異なれば異なるほど取引も発生しやすいという考えと整合的である。

モデルとかは別になくても、面白いデータを使って、重要な質問について、シンプルな分析を行うという、いかにも今流行のど真ん中のペーパーという感じだ。こういうプロジェクトをやってみたいものである。

Pragmatic Approach to Behavioral Economics

今年のAEA(アメリカ経済学会の年次総会)ではRaj ChettyがRichard Ely Lecture(アメリカ経済学会主催のとても権威のある講演)を行った。その内容は前回もその中のペーパーを紹介したAER P&Pに収録されている。そのメッセージは、「行動経済学を、新古典派経済学と対立するもののように捉えるのではなく、より実践的なものとして捉えましょう」というものだった。Chettyは、行動経済学をより実践的なものとして捉える例として、彼が関与した3つのプロジェクトについて話している。

1つ目は、行動経済学に基づいて、ある目的を達成するための政策をより効果的なものにできるという例である。具体例として挙げられているのは、退職後の生活を支えるための貯蓄が不足している人が多いと考えられる状況下、退職後のための貯蓄を増やさせるためにはどうしたらよいかという問題である。新古典派的な考え方からすると、貯蓄を増やしたければ、貯蓄することの利益を増やせばよい。具体的には退職後のための貯蓄に対して補助金を付けるというのが一般的な政策である。401(k)というのは、そのための目的で実施されている。401(k)というのは、退職後にしか基本的には使えない口座にお金を積み立てる人には、その積立額には所得税をかけないというものである。もちろん引き出すときには所得税が掛かるのだけれども、そのときの限界税率は低い(そのときの年収は働いていたときの年収より低いのが普通なので)のが普通なので、401(k)口座に積み立てをすることで税支払いを少なくすることができる。但し、Chettyらがデンマークにおいて401(k)のような退職用の貯蓄口座について制度変更が行われた時に人々はどのような反応を示したかを調べたペーパーによると、新古典派経済学が想定するような反応を示した人は全体の19%だけであり、残り81%の人は貯蓄行動をぜんぜん変えなかった。

では、行動経済学的にはどのような政策を実施すると退職用の貯蓄口座に積み立てる金額を増やすことができるか?有名な例は「デフォルトの変更」(Madrian and Shea)である。 例えばある会社の社員は自動的に給料の5%が退職用貯蓄口座に振り込まれるというデフォルトを設定したとする。もし、ある人がこの会社に転職してこのデフォルトが実施される前に(新古典派的な意味で)最適な貯蓄計画を立てているとしたら、この人は他の口座において5%に当たる金額だけ貯蓄を減らして、全体の貯蓄額は変化しないようにするはずである。しかし、Chettyも関与した最近のペーパーによると、こういうデフォルトのある会社に転職した人の多くは、特に他の口座に貯蓄する金額を減らしたりはしなかった。つまり、デフォルトで5%の貯蓄を設定するだけで貯蓄率が5%上げられるのである。このような政策は新古典派的なフレームワークからは出てこない。しかし、行動経済的な考え方から、より効果的にある目標を達成できるといういい例である。

2つ目の例は、行動経済学的な考え方を取り入れることで、ある政策を実施したときの政策の効果をより正確に予測できるというものだ。その例として、EITC(Earned Income Tax Credit、日本語では勤労所得税額控除というらしい)についての研究について語られている。EITCというのは簡単に言うと、低所得者の労働を促すために、低所得者には給料の金額が上がれば上がるほど、補助金を多くあげるという制度である。ただ、低所得者のみを対象としているので、所得がある金額を超えると、補助金はなくなり、更に所得が増えると、補助金は少なくなってゆく(もちょろんそれでも補助金込みの収入はだんだん増えてゆくように設定してあるが)。

新古典派経済学的な考え方からすると、補助金がなくなる所得レベルに達した時点で、 それ以上働くのをやめることが予想できる。実際に、補助金がなくなる所得レベルにたくさんの人があつまっている(bunchingという)のがデータでは観察できる。

では、新古典派経済学であまり重視されない考え方というのは、EITCについて知っている人と知らない人がいるだろうということである(個人的にはこれを行動経済学と呼んでいいのか疑問だ…)。EITCを利用している人が周りに多ければ、自然とEITCについて学ぶので、よりEITCの制度に応じた収入を目指すだろう。つまり、bunchingも顕著になることが予想される。実際に、Chettyの最近の研究によると、EITCを利用している人の多い地域のほうが、顕著なbunchingが見られた。更に面白いのは、EITC利用者が多い地域に引っ越した人はよりEITCを使うようになるが、EITC利用者が少ない地域に引っ越した場合はEITC利用率は下がらないということである。解釈としては、一旦EITCについて学んだら、EITCを使う人が周りに少なかろうが自分は使いかたをもう知っているので、周囲の影響を受けないということである。つまり、周囲にEITCを使っている人が多いか少ないかが、どのくらいEITCを使えるかに大きく影響するということをこの研究は示している。

3つ目の例としては、行動経済学を使うと、厚生の分析についても役に立つということである。 一例として、多くの低所得家庭が、なぜ、よい学校のある近くの地域に引っ越さないかという問題を使っている。今住んでいる地域の近くで、学校の質は良いから子供の将来の所得は平均的に高くなるものの、住宅に掛かる費用は今の(質の悪い学校の地域の)家と変わらない地域があるにも関わらず、引っ越さない低所得家庭が多いらしい。新古典派的に説明は、引越しに(目に見えないかもしれない)コストが掛かることである。一方、行動経済学的にはいくつかの説明が考えられる。
  1. Present-Bias。Laibsonの双曲割引モデルのように、将来の利益を大きく割り引いて判断しがちであれば、(高い所得という)子供の将来の利益をうまく考えられていないのかもしれない。
  2. 情報の不足。低所得家庭の親は、近くに同じくらい生活費で、教育の質がいい地域があるということを知らないのかもしれない。
  3. 予測バイアス。子供の将来の所得をバイアス無く予測できないのかもしれない。特に、悲観的過ぎる予測をしてしまうのかもしれない。
  4. 貧困に苦しんでいる家庭は、目の前の利益に目がくらんでしまうのかもしれない。
では、このようないろいろな仮説があって、それらがどれも親が引っ越さないという同じ予測を生み出す(observationally equivalent)時には、どうすればよいであろうか?経済学者のやり方というのは、それぞれの仮説に基づいたモデルを作って、どのモデルが一番データとうまく合致するかを調べて決着を付けるというものである。とはいえ、どのようにデータを使えばよいのか。Chettyは3つのアプローチを挙げている。
  1. 主観的な幸福度を使う。但し、主観的な幸福度をutilityを測る変数として使うことには様々な問題がある。
  2. Sufficient Statisticsを使う。現在の文脈では、行動経済学的な要素が入り込まない状況を見つけ出して、その状況を使って、モデルの重要な一部分だけを推定するというやり方である。
  3. Structural Model全体を推定する。モデル全体の推定は難しいし、モデルのセットアップの仕方によって結果が変わってくるという結果の頑健性という問題もある。
Chettyは最終的にはどのアプローチがいいかはわからないと結論付けているものの、どのモデルが正しいかについて決着を出さなくても、ある目的を達成する政策を実施することはできると述べている。いわゆるHansen and Sargentがマクロの文脈で使ったRobust Control Approachである。これは、正しいモデルがどれかわからない状況下でも、どのモデルでも最適となるような政策を実施しましょうという考え方で、ここでも応用できるとChettyは述べている。彼が挙げた例を使うと、近くにいい学校のある地域がある別の地域に住んでいる低所得者家庭の親に、情報提供するなどして、「Nudge」するというのは、Robust Policyと考えられる。もし、引っ越さない理由が引越しコストなのであれば、Nudgeされても引っ越さないだけだし、そういう機会があることを知らなかった親に対しては、低コストで引越しを促すことができるからである。逆に、新古典派的な政策(引越しに対する補助金)を行うと、本来は引っ越したくない人にも引越しのインセンティブを与えてしまうという点で、Robust Policyではない可能性がある。

かなり詳細をはしょった訳をしてしまった。行動経済学vs新古典派のような争いをせずに、協力して政策を寄りよいものにしましょうというメッセージはいいものだとおもう(さすがナイスガイのChettyだ)が、難しいかなと思う。特に3番目の例においては、厚生分析が絡んでくると「実践的なアプローチ」というものにこだわり続けるのは難しいかなという気がする。最後になるが、何で「行動経済学」の人は何でもかんでも行動経済学にしたがるのか、謎である。

Why Don't Present-Biased Agents Make Commitments?

今年のAERのPP(Papers and Proceedings)にTwenty Years of Present Biasというセッションがあった。LaibsonのペーパーとO'Donoghue and Rabinのペーパーが並ぶという豪華なセッションだ。20年というのが何を意味するのかはっきりとはわからないが、おそらくはLaibsonが有名なQuasi-Hyperbolic Discountingに関する一連のペーパーを書いたのが1990年代半ばなので、それを祝ってという趣旨であろうか...

Laibsonがそこで発表したペーパー("Why Don't Present-Biased Agents Make Commitments?")を簡単に紹介する。Present-Biasというのは、意思決定をするときに、今の利益を将来の利益に比べて過大評価してしまうということである。本来は今勉強しておけば将来役に立つことはわかっているのに勉強することによる今の苦痛を勉強から得られる将来の利益に比べて過大評価することで、結局勉強しないような例がわかりやすいか。あるいは、これも良く使われる例だが、今ポテトチップスを食べ過ぎると太ってしまい、健康を害することはわかっているのに、今ポテトチップスを食べることによる喜びを、今節制することで将来得られる利益に比べて過大評価してしまうので、結局食べ過ぎてしまい、太ってしまうということとらえても良い。

このような話は1990年代からモデル化していることで、2010年代の研究対象ではない。今関心がもたれているのは、こういう状況で、もし個人が将来の利益を過小評価しているなというのを意識しているのであれば(こういう人をSophisticated agent(洗練された個人)と呼ぶ)、自分が長期的に見て最適な行動を取れるように、自分に制約を課す(コミットメントと呼ぶ)のが最適な行動となるのに、なぜ人はそういうことをあまりしないのかということである。Laibsonによると、実験においても、現実世界でコミットメントが容易な状況でも、コミットメントはあまり見られない。

それはなぜだろう。もしかしたら、Present-Biasという仮定が間違っているのかもしれないが、それ以外の別の解釈の仕方はある。 このペーパーでは、コミットメントがあまり使われていないことを正当化する理論をいくつか提示している。

次のような設定を考えてみよう。詳細は実際のモデルと異なるがまぁ、そんなに悪い単純化ではないと思う。夏休みの宿題は終わらせなければならない。遅くすれば遅くするほど大変になる(先送りのコストは毎日「L」かかる)が、宿題をやるとすると苦痛である(宿題をするときの苦しみの度合いは「C」)。夏休みが始まる前に、親に話して(親にこれを頼むコストはとても小さいとする)、宿題をすぐにしなければ夏の間は大好物の冷やし中華が食べられないことにすることができるとする(これがコミットメントを実現するための仕掛け)。このとき、どういう状況で、コミットメント(冷やし中華なしの夏休み)が使われるか、を示しているのが下のグラフである。


Y軸は宿題を先送りすつコスト「L」、X軸は宿題をやる苦痛「C」をあらわしている。宿題を先送りするコストが大きい(Y軸に示された「L」が大きい)ときには、先送りせずに、すぐにやる(「Immediate Action」と示された領域)ことが最適となる。逆に、宿題を実施する苦痛が大きい(X軸に示された「C」が大きい)ときには、先送り(「Procrastination」)することが最適となる。そのどちらのケースでもない中間のケースでは「コミットメント」を使う(親が冷やし中華を作ってくれない事態を避けるためにすぐに宿題をやる)ことが最適な行動となる。

では、コミットメントが使われにくいケースとして、自分にPresent-Biasがあることをあまり強く認識していない(ナイーブな個人という)場合はどうなるであろうか?その場合、コミットメントが必要な場合でも、その必要性自体が認識できないので、コミットメントを使う領域が小さくなる。下の図がそのような状況を表している。
更に、親に、コミットメントを頼む(夏休み中すぐに宿題をやらなければに冷やし中華を作らないように頼む)際にコストがかかる場合(夏休みに入る前に親の肩を1週間毎日もまなければならない)はどうなるか?コミットメントを実現するためのコストが大きければコミットメントはもちろん使われなくなる。グラフとしては、下のような形になる。
コミットメントが使われるケースがとても小さくなることがわかるであろう。Laibsonは、比較的小さいコストでも、コミットメントが使われる領域がかなり小さくなることを示した。これはなぜか?コミットメントを実現するためのコストは前倒しで払う(夏休みの前に行う)のに比べて、宿題を先送りするコストや宿題をやる苦痛は将来の話なので、(将来のコストや苦痛を割引する限り)、コミットメントのコストに比べて(現時点での評価が)小さいからである。言い換えれば、コミットメントのコストが低ければコミットメントは使われる可能性はあるのだけれども、小さいコストがあると、Present-Biasがあっても、コミットメントが使われない可能性は十分にある。

多分、次のステップは、Present-Biasの観点から実際にコミットメントが有効だと思われる状況で、コストがどの位大きいのか、そのコストはここで挙げたモデルと整合的(コミットメントを使わせないくらいコストが大きい)か、と検証することだと思う。

Consumer Credit: Too much or Too Little?

アメリカでは消費者向けローンの残高が1980年ごろから急速に上昇した。消費者向けローンの中で大きな割合を占めるものは、住宅ローン、クレジットカードローン、カレッジローン、などがあるが、どれも過去30年くらいで急拡大した。最近の景気後退の原因のひとつとして、住宅価格に関する過度に楽観的な期待に基づく住宅ローンの借りすぎがあげられていることから、現在見られる住宅ローンの市場の大きさは大きすぎるのか、あるいは小さすぎるのか、というのは重要な質問である。

Jonathen Zinmanの"Consumer Credit: Too Much or Too Little (or Just Right)?"はこの質問に答えようとするペーパーを概観している。最終的には、消費者ローンの市場規模が大きすぎるか小さすぎるかについて確信を持って答えるためのデータ(あるいはデータを解釈する理論)は存在していないと結論付けている。ただ、その答えに至る過程で、消費者ローンの市場規模が大きすぎるあるいは小さすぎると考える根拠となる8つの理論についてふれているので、それらを列挙してみる。

1.金融機関による市場の独占(Market power)。これが起こると、消費者ローンの市場規模は最適な規模より小さくなると考えられる。

2.規制の失敗。例として、クレジットカードローン(金利は年率10-30%程度)とペイデイローン(短期の小口ローン、金利は年率で100%を超えることが多い)の間の市場が存在していないことを上げている。これも、消費者ローンの市場規模を最適なものより小さくしてしまうと考えられる。

3.情報の非対称性。これも、消費者ローンの市場規模を最適なものより小さくすると考えられる。もっとも有名な理論としてStiglitz and Weissの信用割当の理論がある。

4.情報の非対称性は、消費者ローンの市場規模を最適規模より大きくする可能性もある。ひとつの理論はAdvantageous Selection (日本語はわからない)である。例えば、将来所得が大きく増加すると期待する人は、多少条件が悪くても、借りるかもしれないという話のようだ。

5.もし、景気が後で悪化した時に担保として取っている資産の投売りが起こって担保価値が大きく下がってしまうような場合、景気が悪化する前には貸しすぎていると考えることもできる。最近の景気後退における住宅価格の大きな下落を考えてみるとよい。

6.Deleveraging(レバレッジ解消)が起こる時に、消費が停滞することで景気が悪化する、あるいは景気の悪化が長引くのであれば、レバレッジ解消の前に、消費者ローンを貸しすぎていると考えることもできるかもしれない。

7.システミックリスク。 同様に、消費者に貸しすぎていることでシステミックリスクを引き起こす確率が高まるのであれば、消費者ローンの市場規模は大きすぎるといえるかもしれない。

8.行動経済学的説明。有名なのはDavid Laibsonの双曲割引である。消費者は本当はあまり借りたくないのに、借りることができれば借りずに入られない場合、消費者ローンを貸し出す金融機関は、消費者が本当に借りたい金額より多くの金額を貸し付けることができる。

筆者が述べている通り、これら一つ一つの理論をデータで検証することの難しさもさることながら、これらのチャンネルが同時に起こっている場合、別々のチャンネルのどれが強いかがわからないと、総合的に、消費者ローンの市場規模が大きすぎるか小さすぎるかいえないというのが難しいところである。僕がこれといって役に立つ意見を持っているわけではないが、重要でかつ難しい質問に関する有益なまとめだと思う。

Neoclassical Models are (a Lot) More Versatile than You Think

これで2014年は最後のエントリだ。年が明けたらまた、面白かった論文の紹介という通常営業に戻ろうと思うが、その前にひとつ。

どうも、現代のマクロ経済学で使われるモデルについて様々な誤解があるように思う。タイトルではキャッチーにするため新古典派モデルとしたが、「新古典派」なんて言葉は、AKモデルではないという意味で「新古典派成長モデル」(Ramsey-Cass-Koopmansモデル)という言葉が使われる以外は、研究者の間ではほとんど使われないと思う。そういうわけで、これ以降は「現代のマクロ経済モデル」という言葉を使う。今回は、いろいろな誤解をとく手助けになるように、現在のマクロ経済モデルは、しばしば勘違いされているように幅の狭いモデルではないことを示したいと思う。これは、僕の個人的な認識なのだけれども、ちゃんとしたマクロ経済学の研究者では、大まかには同じような考えが共有されていると思う(願っている)。

1. 現在のマクロ経済学の基本モデル
モデルの基本要素は以下の3つだと思う。
(1) 無限期間(つまり動的=Dynamic)。
(2) 経済主体(消費者と企業)は目的関数の最大化を行う。目的関数は、消費者の場合は厚生(生涯にわたる効用の(discountされた)和)であり、企業の場合は企業価値(将来にわたる利益の和)。
(3) 経済は「均衡」上にある。

Dynamicsが必要とされるのは、今日消費を増やせば投資にまわせる額が減り、将来の消費が小さくなるというトレードオフが重要とみなされているからである。言い方を変えれば、マクロ経済の重要な要素である投資が意味を持つにはDynamicなモデルが必要だからだ。それに、債務がある場合、その債務を将来は返済したり借り替え続けたりしないといけないという考慮も自動的に発生する。70年代までのモデルにありがちだが、こういう要素が抜け落ちると、現在のGDPや消費を最大化したり、借りれるだけ借りるのが常に最適なモデルとなってしまう。

モデルにおける期間の長さは無限である必要はないが、無限だと数学的にちょっと簡単になるので無限期間がデフォルトで使われている。学部生に教える時には、無限期間で簡単にするための数学が使えないので3期間とかで教えていた。

目的関数の最大化が重要なのは、いわゆる「ルーカス批判」に対応するためである。例えば、所得税率が上がれば時間当たりの手取りの給料が落ちるので労働時間が下がるというような反応は、消費は常に所得の一定割合といったような70年代までのモデルでは考えることができなかった。それにDynamicsがあって、消費者が将来にわたる効用の和を最大化する場合、消費税増税の前に駆け込み消費が起こり、消費税増税後は消費が大幅に落ちる、更に、それにあわせて消費税が引き上げられる前後でGDPも大きく上下するといったことも、モデルで比較的容易に再現できる。70年代までのモデルではこういう動きは容易には再現できなかった。

ここで、一言書いておく。しばしば、現代のマクロ経済モデルでは、消費者がお金のことばかり考えている(それは現実とそぐわない)という批判が見られるが、消費者の効用は、(お金で直接的に買える)消費のみによって定義することもできるし、他人との比較(external habit)や、高いものに慣れたら安いものに容易に戻れないというような生活習慣(internal habit)というようなものも含んだモデルも用いられている。ステータスが効用を高めるという消費者のモデルを使っている人もいる。この点についてはまた後で述べる。

 経済が「均衡」にあるという要素も、しばしば誤解される。狭義では、何の摩擦もなく、すべての市場で需要と供給が一致するという状態を指すかもしれない。このような意味でしか理解しない人が、「現在のマクロ経済学では失業がない」といった間違った考え方を持ってしまっているのだと思う。現実はそうではなく、現在はもっと柔軟な「均衡」が用いられている。この点についても下で振り返る。

もうひとつ言っておきたいのは、 ここで描写したモデルというのは、ミクロ経済学のいわゆる一般均衡モデルというものだ。よく、いまや一般均衡モデルはマクロ経済学者にしか使われていない、といわれるが、まさにそのとおりだと思う。実際、コアコースの一般均衡理論はマクロ経済学者が教えているというケースもよくある。更に付け加えると、現在のマクロモデルというのは、基本的には、一般均衡モデルにいろいろ加えて、実際のマクロ経済に似ている形にしたもの、ということができる。何を加えるかは、何を分析したいかによるのだが、元のモデル(シンプルな動的な一般均衡モデル)が皆で共有されているので、あるものを加えたらどういうことが起こるかというのがわかりやすいという面があると思う。

2. RBC(Real Business Cycle)モデル
おそらくは、いわゆる「新古典派マクロ経済モデル」が誤解されている理由は、RBCしか知らない人が多いからであろう。RBCモデルが何であるかは詳しく立ち入らないが、基本的には、 現在のマクロ経済学の基本モデルで、次のような特徴を持ったモデルである。
(1) 代表的個人(representative agent)
(2) 完備市場
(3) 摩擦がない
(4) 景気循環はTFP(Total Factor Productivity、大まかに言うと生産性)のランダムな変動によって引き起こされる

このようなモデルでは、もちろん、銀行なんて存在しない(必要がない)し、貨幣の役割もないし、経済は最適な状況にあるので政府がやることはない。ただ、このモデルは、景気変動のうちどのくらいが生産性の変動によるものかを計測するために作られた特別な(シンプルな)もので、別に現在のマクロ経済モデルが皆このようなモデルであるわけではない。そもそもこのモデルが開発されたのは1980年ごろだ。このころは、このモデルが解けただけでもすごいことであった。ある経済学者がこのようなモデルをベンチマークとして使っていても、そのこと自体が、その経済学者はすべての財政・金融政策は無駄と考えていることを必ずしも意味しないと思う。

3. DSGE (Dynamics Stochastic General Equilibrium)モデル
1980年以降、RBCモデルのような、現代のマクロ経済学の基本モデルのうち最小限のモデルがいろいろな方向に発展させられて、いろいろなことが議論できるようになったのだが、それらのモデルを総称して(広義の)DSGEモデルと呼ぶ。一般的はRBCモデルに以下のような要素が加わる。
 (1) 様々な摩擦(→データとモデルを整合的にするのに役立つ)
 (2) 特に、名目的な摩擦(Nominal Friction)。入れ方としてはCalvo(企業はある確率でしか名目価格を変えることができない)とMenu Cost(名目価格を変えるには(メニューを書き換える)コストがかかり、そのコストは価格を大きく変えれば変えるほど大きくなる)。これらの摩擦が入ったモデルはNK (New-Keynesian) DSGEモデルと呼ばれる。このモデルの利点は、金融政策が実物経済に影響を持つようになるので、金融政策を議論することができるという点である。
(3) 景気循環は様々なショックによって引き起こされる。どのようなショックが景気変動を引き起こしているかは様々なモデルが入ったモデルを推定することで、データに語らせるのが普通である。

以下では、現在のマクロ経済学モデルに加えられてきたそのほかの要素について言及する。

4. Financial Frictions(金融市場の摩擦)
お金の貸し借りに摩擦がある場合、銀行の役割が生じてくる。特に、金融危機以降、マクロモデルに銀行やその他金融機関を入れたモデルが活発に開発されている。

それに、何らかの理由で企業に借り入れ制約があり、借りたい分だけ借りられないという要素が入ったマクロ経済モデルも多数存在する。このようなモデルでは、何らかの理由(例えば企業が保有する不動産などの資産の価値が下落したので、不動産の価値を担保にした借り入れがしにくくなる)で企業の借り入れが難しくなると、生産量が縮小し、景気に深刻な影響を及ぼしうる。前FRB議長のBernankeや清滝さんが有名なのは、この分野で金融危機が起こるずっと前から貢献してきたからだ。

5. Labor Market Frictions(労働市場の摩擦)
労働者が自分に合った職を探すのに時間がかかるので、職を探している間は失業者となっているという要素の入ったマクロ経済モデルも、1990年台以降活発に開発されてきている。基本となっているのは2010年にノーベル賞をとったDiamond, Mortensen, Pissaridesの3者が開発した労働市場の摩擦モデルであるが、1990年代以降、RBCモデル(あるいはDSGEモデル)に加えられ、今ではマクロ経済モデルで失業を議論する際に普通に使われている。

ここで一言付け加えておくと、労働市場に摩擦があって、働きたいけど働けない労働者が存在するような「均衡」も普通に使われているということだ。ある意味「均衡」という言葉の濫用と考える人もいるかもしれない。

それ以外にも、最近のエントリで扱ったが、賃金に下方硬直性があるので、賃金を下げれば完全雇用が達成できても、均衡では失業が生じるというモデルも使われる。

6. Behavioral Assumptions(行動経済学的な仮定)
現代のマクロ経済学は行動経済学的な要素を簡単に取り入れることができる、柔軟なフレームワークである。例えば、よく使われるPresent Bias(現在の消費を魅力的に感じすぎてしまい、消費しすぎる)といった仮定も、基本モデルにおける消費者の目的関数を変更するだけで取り入れることができる。最近は、投資家が強気すぎる予想の元に投資決定をしたり、住宅価格が過去と同じペースで上がり続けると錯覚したりすることも、現在のマクロ経済モデルの中で分析されている。こういう意味で、「新古典派経済学か行動経済学か」といった二元論は間違っていると思う。

7. Heterogeneous Agents(異質性)
一般的なDSGEモデルで使われる代表的個人の仮定の下では、所得の不平等や、所得再分配政策、年金政策、世代間再分配をモデルの枠内で議論することができない。このような問題を超えるために、年齢や所得といった面で異なるたくさんの消費者が存在するモデルも1990年台より活発に開発されてきている。消費者の側の異質性だけでなく、企業の側の異質性を導入したモデルも最近発達してきている。

現在のマクロ経済学の面白いところは、「ゲームのルール」が共有されており、その中で競争が行われていることだと思う。基本モデルは共有されている。そのメリットは、大体において、ある拡張を行った場合、モデルの挙動がどのように変わるかはある程度感覚的にわかることが多いことである(もちろん驚くべき変化が生じればすばらしい)。基本的なモデルが拡張された場合、モデルの成功はデータとの整合性(の改善)によって測られる。同じような改善を示すモデルが複数ある場合、モデルによってインプリケーションが異なる他のデータを見てモデルの優劣が決められる。モデルがある程度データと整合的で「使える」と判断されれば、モデルの政策的インプリケーションが分析される。「最適な政策」は、通常、消費者の目的関数を最大化するものと考える。政策的なインプリケーションは、モデルをちょっと変えたとき、あるいはパラメータの値が変わった時も同じものが得られるか(頑健か)がチェックされる。

前回のエントリで、モデルの重要性を叫びすぎだと受け取られたかもしれないが、このようなルールに則ってもらわないと、皆で協力して日本経済についての理解を深め、政策をよりよいものにしていくというプロセスに貢献しないと思ったからだ。

いつにも増して推敲に時間を割いていないので、後でちょっとづつ書き直すことになると思うがお許し願いたい。では、よいお年を。どこまで続くかわからないが、来年もとりあえず続けてみようと思う。

Self-Control Problem and Poverty Trap

詳細はぜんぜん理解できていないのだけれども、面白いペーパーだったので簡単にメモしておく。Bernheim, Ray, and Yeltekinによる"Poverty and Self-Control"という論文である。

貧困に苦しむ人は自己抑制(Self-Controlの訳語を知らないのでこうしておく。一般的に使われているものがあったら教えて欲しい。)にも欠けるという相関は広く知られている。しかし、これは相関であって、因果(何が何を引き起こしているのか)については教えてくれない。考えられる因果関係としては以下のようなものが考えられてきた。
  • 貧困に苦しんでいると、 自己抑制能力が失われてしまう(貧困→自己抑制の欠如)。
  • 世の中には自己抑制が得意な人と得意でない人がいて、得意でない人が結局貧困に陥ってしまう(自己抑制の欠如→貧困、self selection)。
どちらのケースでも、貧困に苦しむ人を助けるために、たとえば資産を与えるとしても、彼らは自己抑制能力がないのですぐ使ってしまって、 結局貧困解決には役に立たないかもしれない。このペーパーでは、別の理論を提供する。それは以下のようなものである。
  • 人々はそもそも自己抑制能力の欠如に苦しんでいるが、資産が多い人は比較的容易に自己抑制を自分にかけることができる。一方、資産の少ない人は自己抑制を自分にかけることができない。よって、前者は資産をより増やして貧困を脱出し、後者は貧困を脱出できないことになる。
つまり、ある量の資産がない人は自己に抑制をかけられないことから浪費してしまい、poverty trap(貧困のわな)に陥ってしまうというものである。このような理論を信じるのであれば、貧困のわなに陥っている人に資産を与えることでわなを脱出する手助けができるかもしれない。

このペーパーではこのような理論を構築する。キーとなるのは、消費者は自己抑制の問題を持っているということと、(アドホックな)借り入れ制約である。ちょっとテクニカルな点に言及すると、自己抑制の問題(temptation and self-control)を持っている消費者の動的最適化問題を解く際には、しばしばマルコフ均衡に限定して解くことが多い(それでも難しい)が、著者らはsubgame-perfect均衡を解くことで、上に挙げたような効果を得られると主張している。Laibsonや彼の弟子がコンピューターを使って解いているときは基本的にマルコフ均衡にのみ注目しているが、マルコフだと、ここで挙げたようなチャンネルが出てこないというのが面白い。

では、どうしてpoverty trapのようなことが起こるのか?単純なストーリーは以下のようなものだ。著者らはこのような単純なストーリーだけではなくて、もっと深いものがあるといっているが、何回か聞いてみたもののわかりやすく直感的に説明できる気がしないので単純なストーリーだけ紹介する。

消費者が自己抑制をできないということは、資産を多く持っていても浪費してその資産を使い切ってしまうということである。この場合、当初資産を多く持っている人のほうが豪遊してしまったときのダメージが大きい。そもそも10万円しか貯金がなければそれを使い切ったところでそんなにダメージはないかもしれないが、もともと10億円持っていた人が全部使い切ってしまうのは将来へのダメージが大きいというのはなんとなくわかるであろう。だから、もともと資産を多く持っている人のほうが、それを使い切ったときのダメージが大きいので(誘惑に負けたときの罰を強くできるので)、自己を律しやすいのである。

先ほど、アドホックな借り入れ制約が重要だと書いたが、アドホックな借り入れ制約がなければ、もともと10万円しか資産がない人でも、借りれえるだけ借りてしまうと、将来の消費がゼロになってしまう、効果的に自分にダメージを与えることができてしまう。つまり、アドホックな借り入れ制約がないときには、最初に10万円の試算があっても10億円の資産があっても、資産を使い切ったときのダメージが負の無限大となってしまい、両者ともに同じように効果的な自己規律ができてしまうのである(つまりpoverty trapが存在しなくなる)。

著者らはこのようなモデルから以下のような政策含意が得られると述べている。
  1. 貧困の解決のためには資産が少ない人に、 わなを抜け出すのに必要な資産を与えるという政策が効果的である。資産がそもそも多い人にはあげる必要がない。
  2. 借り入れをしやすくすることは、貧困のわな解消のために効果的だ。上で述べたように、借り入れがしやすいほど、借りれるだけ借りて豪遊したときのダメージが大きくなるので、自己規律が働かせやすくなるからである。
  3. 自己規律を助けるためのcommitment deviceを与えることは、消費者が自分自身で使っている commitment deviceを弱めることになるかもしれない。commitment deviceのクラウディングアウトのようなものである。言い方を変えると、消費者が自己抑制の問題に直面していると考えた際に問題となるのは、ではなぜ自己抑制を強めることのできるcomitment deviceを人々はもっと積極的に使っていないのか、という疑問である。彼らの理論によると、そもそも多くの人は自分自身でcommitmentをかけることができているので外部のcommitment deviceを必要としていないのだという解釈を与える。
  4. 貯蓄を促進するために退職貯蓄口座を消費者に与えることは有益かもしれない。その際には、ある一定額(貧困のわなを抜けるのに必要な貯蓄額)以上に貯蓄がたまるまでは貯蓄にタッチできないようにロックされることが望ましい。このような貯蓄口座の提供は実際に発展途上国で試験的に実施されている。
  5. このペーパーで構築された理論では、限界消費性向が消費者の資産額によって異なることになる。この理論は、データにおいて消費が過度に収入に反応する(excess sensitivity puzzle)ことに説明になるかもしれない。
最近のEconometrica (このペーパーはまだR&Rだけれども)の理論のペーパーはなんの役に立つのかよくわからないなぁと思うものが多いが、このペーパーは、理論的にとても難しいものの面白い結果を導き出していると思う。

How to Improve Econ Journals?

最新号のJEP (Journal of Economic Perspective, AEA(American Economic Association、アメリカ経済学会)が出している、比較的一般向けに噛み砕いた記事を載せる雑誌。インターネット上で無料で公開されている。)で経済学の雑誌についての面白い記事が2本載っていた。

 Card and DellaVignaは、このペーパーで、経済学の雑誌が、投稿するペーパーに対してページ制限を課すことで、どのような影響があるかについて分析した。彼らが用いたnetural experimentは以下のものである。AER(American Economic Review。AEA経済学のNo. 1の雑誌)とJEEA(Journal of European Economic Association、EEA(European Economic Association)が発行している雑誌。ヨーロッパで発行される最も影響力のある雑誌のひとつ)が、それぞれ2008年と2009年に、これらの雑誌に掲載するために投稿されるペーパーの長さに上限を設定した。AERの場合、ダブルスペースで50ページ以内、1.5倍スペースで40ページ以内というのが制限である。彼らがペーパーで書いているように、経済学のトップの雑誌に掲載されるペーパーの長さは1970年には15ページくらいだったのが、今は50ページに達している。もしそれぞれの雑誌のページ数に制限がある場合、それぞれのペーパーが長くなるということは、掲載されるペーパーの数が減ることを意味する。長さに制限を課すことで掲載されるペーパーの数を増やすことができる。それに、短いペーパーのほうが読みやすい(ので影響力が上がるかもしれない)し、レフェリーもしやすい(ので、レフェリーにかかる時間が短縮できるかもしれない)。その一方、ページ制限を課すことによって、本来本文で議論されるべきことがApeendixにまわってしまったり削除されてしまうことで、ペーパーの質が下がる懸念もある。

彼らは、2008あるいは2009年のページ数制限以降、AERとJEEAに投稿・掲載されるペーパーの質がどう変わったか、を分析した。彼らは以下のことを発見した。
  1. ページ数に制限を課して以降、AERに投稿されるペーパーで長いものの割合が急に低下した。それと同時に、40ページちょうどの長さのペーパの投稿数が大幅に増加した。その一方、AERに投稿されるペーパーの数には変化は見られなかった。ページ数制限を嫌ってAERからほかの雑誌に投稿先を変えるという行動は見られなかった。AERが最高の雑誌であることを考えると当然だろう。AERに送れるペーパが書けたのであれば、ページ数なんていわれたとおりに削るのである。
  2. では、ペーパーの内容にどのような変化が生じたか?平均的には、AERに投稿されるペーパーのページ数は4ページ低下した。2ページはフォーマットの変更によって達成され、1.5ページはAppendixを削ることで達成され、残りの0.5ページは表やグラフを削ることで達成された。最終的には、一方、本文の長さにはまったく影響は及ぼさなかった。このことは、それぞれの雑誌の長さのトレンドを比較した以下の表で、AERに2008年に何の変化も見られないことからも確認される。  
  3. ではJEEAには何が起こったか?投稿されるペーパーの長さの分布は変わらなかったけれども、40ページを超えるペーパーは他の雑誌にいってしまうことになった。JEEAは数ヵ月後にページ制限を撤廃したが、このことが原因だろう。AERのようなトップの雑誌と違って、JEEAレベルであれば、代替する雑誌が存在するということだろう。
  4. では、短いペーパーの方が優れているのであろうか?著者らは、過去の研究において、トップの雑誌においては、長いペーパーの方がR&R(Revise and Resubmit、論文を修正の上再投稿する権利が与えられること)が得られる確率が高いことを示したが、このことは、長いペーパーの方が引用数が多いことと整合的である。JEEAにおいても、最終的に投稿された論文が採用されても棄却されても、引用数は長いペーパーの方が多かった。
  5. 結論としては、競争相手が多いJEEAのような雑誌においては、ページ数の制限は反生産的な効果を生むことがわかった。AERにおいて、ページ数制限が望ましいかについての結論はこの研究からは得られない。ページ数制限でまずはじめに期待された利点、すなわち掲載されるペーパーが短くなること(そして掲載されるペーパーの数が増えること)、は実現しなかった。

Chetty, Saez, and Sandorはこのペーパーにおいて、Journal of Public Economics(公共経済学におけるトップの雑誌)で、2010年から2011の間に、レフェリーに与える締め切りまでの日数および締め切りを守った場合に与える報酬をランダムに変化させることで、レフェリーの行動がどのように変わったかを分析した。彼らが得た結果は以下の4つに纏められる。以下のグラフがレフェリーレポートが提出される数を示したグラフである。
  1. レフェリーに与えられる締め切りまでの日数を6週間(45日)から4週間(28日)に短縮することで、レフェリーが仕事を終えるまでの日数の中央値(median)が48日から36日に短縮された。締め切りを守らないことによる直接的な罰がないことを考えると、この結果は締め切りが「nudge」の役割を果たしていると考えられる。
  2. 4週間以内にレフェリーレポートを終えた場合に100ドルの報酬を与えた場合、レフェリーが仕事を終えるまでの日数の中央値は28日まで短縮された。上のグラフで、4週間のデッドライン直前に仕事を終える人の割合が急上昇することが見て取れるだろう。経済学者はきちんと金銭的なインセンティブに反応するのである。
  3.  レフェリーがレポートを提出するまでにかけた時間を公開するとレフェリーに伝えた場合、レフェリーが仕事を終えるまでの日数の中央値は46日に、2日間だけ短縮された。この、「社会的インセンティブ」の効果は、テニュアのある学者の方が強かったが、一方彼らは金銭的インセンティブや4週間のデッドラインに対する反応は弱かった。
  4.  では、レフェリーレポート自体に影響はあったか?短いデッドラインは、レポートの質(レポートの長さ、およびエディターがレフェリーの評価にどれくらい従うかで計測した)に影響を及ぼさなかった。金銭的および社会的インセンティブはレポートを少しだけ短くする効果があったが、エディターがレフェリーの評価に従う確率は影響を受けなかった。また、レフェリーが仕事を受け入れる確率、および他のElsevierが発行する雑誌においてレフェリーがレビューにかける日数には影響がなかった。
 最近は様々な雑誌において、長さに関する制限が導入されたり、レビュー完了までのデッドラインが短くなったり、キャッシュアワードや、優秀なレフェリーの表彰、等が導入されたりしている。このような研究がなされた上で雑誌の長さに関する規則や、レフェリーのシステムが改良されていくのは面白い。FacebookやOKCupudにおいてユーザーを使った実験を行うことが批判されているが、経済学者はこのような実験に比較的寛容なのではないかと思う。

(Pleasantly) Lost in Finance Conference, Part II

柄でもなくFinanceの学会に出て聞いたペーパーの続き。既に忘れてしまったので単なるAbstractの日本語訳のようになってしまったがが、まぁ備忘録なので。

The Costs and Benefits of Financial Advice, by Foerster, Linnainmaa, Melzer, and Previteroは、カナダのデータを使って、Financial Advisor(FA)を雇うことにメリットはあるのかという質問に答えた。主要な結果は以下のとおり。
  1. FAに支払う料金を考慮に入れると、FAを雇っている投資家のリターンは、passive benchmark(S&P500に投資したまま放っておくようなものと考えて欲しい)に比べて2.5%低かった。つまり、FAはリターンを高めるという目的には、役に立たない。
  2. FAに払う料金は投資家の投資に関する知識とは相関していない。つまり、金融に関する知識に乏しい投資家が、知識を補完するためにより高い料金を払っているわけではない。
  3. FAを雇っている投資家は、貯蓄、ポートフォリオ、売買の頻度等の面で、FAを雇っていない投資家と異なっていた。このことは、投資家は投資のリターンを高めるという目的以外のためにFAを雇っていることを示唆している。
このペーパーに対してコメンテーターが、「FAが役に立たないってのは皆知ってるよな。俺なんて親戚に投資に関するアドバイスを求められたらまずはFAを首にしてインデックスファンドを買っておけという。」といい、皆が爆笑していた。

What Drives Financial Complexity? A Look into the Retail Market for Structured Products, by Celerier, and Valleeは、最近個人投資家で買う人が増えているStructured Productが何の役に立っているのかを分析した。彼らは、ヨーロッパに流通する55,000のStructured Productsの複雑さ(complexity)を、それらの商品の説明が何単語で行われているか(それに、言葉の難しさでウェイト付けした)によって数値化し、どのような金融機関がどの位複雑なStructured Productsを取り扱っているかを分析した。彼らの主要な結果は以下のとおり。
  1. 流通する商品の複雑さは2002年以降年々上昇している。
  2. 金融知識に乏しい顧客が多い金融機関ほど複雑な商品を取り扱いがち。
  3. Structured productsのマークアップは複雑さが高いほど高い傾向にある。
  4. 金融機関同士の競争が激化すると複雑さは上昇しがちである。
つまり、金融機関は、複雑な金融商品が理解できない顧客に特に役に立たない複雑な金融商品を売って利益を得ているというのがメッセージのようだ。

Household Portfolio Choice and Retirement, by Jawad Addoumは、アメリカの家計が退職に伴い投資のポートフォリオをどのように変えるかを分析した。主要な結果は以下のとおり。
  1. カップルの株式に投資される割合は退職にともなって低下するが、シングルの場合、株式に投資される割合は退職時に変化しない。
  2. 妻のリスク回避度が夫に比べ大きい家計ほど、退職の際に株式への投資割合が低下する幅が大きい。
  3. 夫の退職の際には株式に投資される割合は下がるが、妻の退職の際には株式へ投資される割合は上昇する傾向がある。
  4. これらの結果は、カップルの投資決定は、異なるリスク回避度を持ったパートナーの間で決定され、特にまだ働いているパートナーの選好が大きく反映されるモデルを支持している。

Corporate Scandals and Household Stock Market Participation, by Giannetti, and Wangは、ある企業の不正の発覚が株式市場にどのような影響を与えるかを分析した。彼らの主要な結果は以下のとおり。
  1. 不正が発覚した企業の本社が存在する州では、株式を保有する家計(extensive margin)、株式の保有量(intensive margin)の両方が減少する。
  2. 不正が発覚した州においては、その不正に関連する企業の株を保有していない家計も株式の保有を減少させる。つまり、不正は株式市場への全般的な「不信」を生み出すことになる。
  3. その結果、不正に関わっていなくても、不正が発覚した企業と同じ州に本社がある企業の株価および株式保有者の数は減少してしまう。

どのペーパーも、「Behavioral」な雰囲気が漂っているなぁという印象を受けた。

(Pleasantly) Lost in Finance Conference, Part I

またしてもあけてしまったが、まぁ、気を取り直して。仕事柄たくさんの学会に出るのだけれども、主にマクロかなんでもあり(その場合マクロのセッ ションをうろつくことになる)の学会に出ることが多い。だけれども、最近、ファイナンスの学会に呼ばれて発表してきた。僕のペーパー以外は、いわゆる 「experimental」あるいは「behavioral」な要素が感じられる、いかにも最近のファイナンスという感じで新鮮だったので、ちょっとメ モしておく。今日は最も面白かったペーパーひとつについて書いて、明日、残りのペーパーに言及する予定。

一番面白く て、かつ皆がこのペーパーは影響力の大きいものになるといってたのがUnderstanding Mechanisms Underlying Peer Effects: Evidence from a Field Experiment on Financial Decisions, by Bursztyn, Edeer, Ferman, and Yuchtmanである。このペーパーのmotivationはこのようなものだ。ある人がある金融商品を持っていると、その人の知り合いも同じ金融商品 を持っている可能性が高い。このことはpeer effectと呼ばれる。それはなぜだろう?2つの可能性がある。1つは、人は自分の友人が持っているという事実からなんらかの情報を引き出して、それを 元に自分も購入を決定するというものである(learning)。もう1つの可能性は、友人がある金融商品を持っていると、それと同じものを持つことで、 友人と同じ地位にいると感じられるなどといった幸福を感じるというものである(keeping up with the Jonesesあるいはexternalityと解釈できる)。この二つは識別が難しいけれども、どのように金融商品を売るか、あるいはどのように規制す べきか、という質問の答えは、どちらがpeer effectを生み出しているかによってぜんぜん異なってくるかもしれないので、どちらがpeer effectを生み出しているかを知ることは重要であろう。

この識別問題を解決するために、著者らは、ブラジルの金 融機関と協力して、大規模な実験を行った。このメインの実験は以下のように行われた。まずは、その金融機関の顧客リストの中から、個人的に交友関係がある ペアをたくさん抽出する。そして、ペアのうち一人(Aさんと呼ぶ)に電話して、ある金融商品を紹介し、その商品を買いたいか聞く。その商品は1000ドル 程度の投資を必要とする。但し、Aさんが欲しいといっても、Aさんはある一定の確率でしか買うことはできない。Aさんの答えを受け、実際にAさんがその商 品を買えるか否かが決まったら、ペアのもう片方(Bさん)にすぐ電話する(すぐに電話しないとAさんから話が行ってしまう可能性があるので)。Bさんに対 しては、以下の3つのうちのどれかひとつの対応をする。

(1) Aさんの答えそしてAさんが実際にその商品を購入できたかを知らせず、同じ金融商品の説明をして、Bさんが買いたいかを聞く。
(2) Aさんは購入したかったけれどもくじ引きの結果購入できなかったことを知らせた上で、同じ金融商品に興味があるかをBさんに聞く。
(3) Aさんが購入の意思を示し、実際に購入したことを知らせた上で 、同じ金融商品に興味があるかをBさんに聞く。

 こ の結果、Bさんのうち購入の意思を示した人の割合は、(1)のケースでは42%、(2)のケースでは71%、(3)のケースでは93%だった。(1)と (2)の差は、情報(learning)の効果、(2)と(3)の差は、友人の同じものを持ちたいという要求(keeping up with the Joneses)の結果と解釈できる。つまり、著者らの実験によると、peer effectはlearningとkeeping up with the Jonesesの両方が影響しているということがわかった。

 こんな大規模な実験をできてしまうのはすごい と素直に驚いた。実験というと、せいぜい10ドルくらいのペイオフでボランティアの学生相手とかにやったものをよく聞くが、あんなものからシリアスな状況 における意思決定について学ぶものは少ないといつも思っていた。1000ドルの(これもたいした額ではないけれども)投資とか、実際の金融機関と連携とか 聞くと、真剣に聞く気になってくる。実験もこういうものが増えてきているのであろうか。