Pragmatic Approach to Behavioral Economics

今年のAEA(アメリカ経済学会の年次総会)ではRaj ChettyがRichard Ely Lecture(アメリカ経済学会主催のとても権威のある講演)を行った。その内容は前回もその中のペーパーを紹介したAER P&Pに収録されている。そのメッセージは、「行動経済学を、新古典派経済学と対立するもののように捉えるのではなく、より実践的なものとして捉えましょう」というものだった。Chettyは、行動経済学をより実践的なものとして捉える例として、彼が関与した3つのプロジェクトについて話している。

1つ目は、行動経済学に基づいて、ある目的を達成するための政策をより効果的なものにできるという例である。具体例として挙げられているのは、退職後の生活を支えるための貯蓄が不足している人が多いと考えられる状況下、退職後のための貯蓄を増やさせるためにはどうしたらよいかという問題である。新古典派的な考え方からすると、貯蓄を増やしたければ、貯蓄することの利益を増やせばよい。具体的には退職後のための貯蓄に対して補助金を付けるというのが一般的な政策である。401(k)というのは、そのための目的で実施されている。401(k)というのは、退職後にしか基本的には使えない口座にお金を積み立てる人には、その積立額には所得税をかけないというものである。もちろん引き出すときには所得税が掛かるのだけれども、そのときの限界税率は低い(そのときの年収は働いていたときの年収より低いのが普通なので)のが普通なので、401(k)口座に積み立てをすることで税支払いを少なくすることができる。但し、Chettyらがデンマークにおいて401(k)のような退職用の貯蓄口座について制度変更が行われた時に人々はどのような反応を示したかを調べたペーパーによると、新古典派経済学が想定するような反応を示した人は全体の19%だけであり、残り81%の人は貯蓄行動をぜんぜん変えなかった。

では、行動経済学的にはどのような政策を実施すると退職用の貯蓄口座に積み立てる金額を増やすことができるか?有名な例は「デフォルトの変更」(Madrian and Shea)である。 例えばある会社の社員は自動的に給料の5%が退職用貯蓄口座に振り込まれるというデフォルトを設定したとする。もし、ある人がこの会社に転職してこのデフォルトが実施される前に(新古典派的な意味で)最適な貯蓄計画を立てているとしたら、この人は他の口座において5%に当たる金額だけ貯蓄を減らして、全体の貯蓄額は変化しないようにするはずである。しかし、Chettyも関与した最近のペーパーによると、こういうデフォルトのある会社に転職した人の多くは、特に他の口座に貯蓄する金額を減らしたりはしなかった。つまり、デフォルトで5%の貯蓄を設定するだけで貯蓄率が5%上げられるのである。このような政策は新古典派的なフレームワークからは出てこない。しかし、行動経済的な考え方から、より効果的にある目標を達成できるといういい例である。

2つ目の例は、行動経済学的な考え方を取り入れることで、ある政策を実施したときの政策の効果をより正確に予測できるというものだ。その例として、EITC(Earned Income Tax Credit、日本語では勤労所得税額控除というらしい)についての研究について語られている。EITCというのは簡単に言うと、低所得者の労働を促すために、低所得者には給料の金額が上がれば上がるほど、補助金を多くあげるという制度である。ただ、低所得者のみを対象としているので、所得がある金額を超えると、補助金はなくなり、更に所得が増えると、補助金は少なくなってゆく(もちょろんそれでも補助金込みの収入はだんだん増えてゆくように設定してあるが)。

新古典派経済学的な考え方からすると、補助金がなくなる所得レベルに達した時点で、 それ以上働くのをやめることが予想できる。実際に、補助金がなくなる所得レベルにたくさんの人があつまっている(bunchingという)のがデータでは観察できる。

では、新古典派経済学であまり重視されない考え方というのは、EITCについて知っている人と知らない人がいるだろうということである(個人的にはこれを行動経済学と呼んでいいのか疑問だ…)。EITCを利用している人が周りに多ければ、自然とEITCについて学ぶので、よりEITCの制度に応じた収入を目指すだろう。つまり、bunchingも顕著になることが予想される。実際に、Chettyの最近の研究によると、EITCを利用している人の多い地域のほうが、顕著なbunchingが見られた。更に面白いのは、EITC利用者が多い地域に引っ越した人はよりEITCを使うようになるが、EITC利用者が少ない地域に引っ越した場合はEITC利用率は下がらないということである。解釈としては、一旦EITCについて学んだら、EITCを使う人が周りに少なかろうが自分は使いかたをもう知っているので、周囲の影響を受けないということである。つまり、周囲にEITCを使っている人が多いか少ないかが、どのくらいEITCを使えるかに大きく影響するということをこの研究は示している。

3つ目の例としては、行動経済学を使うと、厚生の分析についても役に立つということである。 一例として、多くの低所得家庭が、なぜ、よい学校のある近くの地域に引っ越さないかという問題を使っている。今住んでいる地域の近くで、学校の質は良いから子供の将来の所得は平均的に高くなるものの、住宅に掛かる費用は今の(質の悪い学校の地域の)家と変わらない地域があるにも関わらず、引っ越さない低所得家庭が多いらしい。新古典派的に説明は、引越しに(目に見えないかもしれない)コストが掛かることである。一方、行動経済学的にはいくつかの説明が考えられる。
  1. Present-Bias。Laibsonの双曲割引モデルのように、将来の利益を大きく割り引いて判断しがちであれば、(高い所得という)子供の将来の利益をうまく考えられていないのかもしれない。
  2. 情報の不足。低所得家庭の親は、近くに同じくらい生活費で、教育の質がいい地域があるということを知らないのかもしれない。
  3. 予測バイアス。子供の将来の所得をバイアス無く予測できないのかもしれない。特に、悲観的過ぎる予測をしてしまうのかもしれない。
  4. 貧困に苦しんでいる家庭は、目の前の利益に目がくらんでしまうのかもしれない。
では、このようないろいろな仮説があって、それらがどれも親が引っ越さないという同じ予測を生み出す(observationally equivalent)時には、どうすればよいであろうか?経済学者のやり方というのは、それぞれの仮説に基づいたモデルを作って、どのモデルが一番データとうまく合致するかを調べて決着を付けるというものである。とはいえ、どのようにデータを使えばよいのか。Chettyは3つのアプローチを挙げている。
  1. 主観的な幸福度を使う。但し、主観的な幸福度をutilityを測る変数として使うことには様々な問題がある。
  2. Sufficient Statisticsを使う。現在の文脈では、行動経済学的な要素が入り込まない状況を見つけ出して、その状況を使って、モデルの重要な一部分だけを推定するというやり方である。
  3. Structural Model全体を推定する。モデル全体の推定は難しいし、モデルのセットアップの仕方によって結果が変わってくるという結果の頑健性という問題もある。
Chettyは最終的にはどのアプローチがいいかはわからないと結論付けているものの、どのモデルが正しいかについて決着を出さなくても、ある目的を達成する政策を実施することはできると述べている。いわゆるHansen and Sargentがマクロの文脈で使ったRobust Control Approachである。これは、正しいモデルがどれかわからない状況下でも、どのモデルでも最適となるような政策を実施しましょうという考え方で、ここでも応用できるとChettyは述べている。彼が挙げた例を使うと、近くにいい学校のある地域がある別の地域に住んでいる低所得者家庭の親に、情報提供するなどして、「Nudge」するというのは、Robust Policyと考えられる。もし、引っ越さない理由が引越しコストなのであれば、Nudgeされても引っ越さないだけだし、そういう機会があることを知らなかった親に対しては、低コストで引越しを促すことができるからである。逆に、新古典派的な政策(引越しに対する補助金)を行うと、本来は引っ越したくない人にも引越しのインセンティブを与えてしまうという点で、Robust Policyではない可能性がある。

かなり詳細をはしょった訳をしてしまった。行動経済学vs新古典派のような争いをせずに、協力して政策を寄りよいものにしましょうというメッセージはいいものだとおもう(さすがナイスガイのChettyだ)が、難しいかなと思う。特に3番目の例においては、厚生分析が絡んでくると「実践的なアプローチ」というものにこだわり続けるのは難しいかなという気がする。最後になるが、何で「行動経済学」の人は何でもかんでも行動経済学にしたがるのか、謎である。

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