What Happened to Income and Consumption Inequality?

今回は、簡単に、Aguiar and Bilsによる2015年のAERのペーパー("Has Consumption Inequality Mirrored Income Inequality?")について触れてみる。まずは背景から。アメリカを始めとして、多くの先進国で、所得の不平等が1970年以来高まっていることはよく知られている。2010年には、REDが、主要な先進国で所得の不平等がどのように変化したかという研究を集めた特集号を出版した。

但し、最終的に重要なのは厚生(幸福度)の不平等であって、所得の不平等が厚生の不平等に直結しているとは限らない。まずは、「所得」といった場合に、「税や補助金等を考慮する前の所得」を指すと考えよう。このような所得を「税引き前所得」と呼び、税や補助金を考慮した後の所得を「税引き後所得」と呼ぶ。この場合、税引き前所得が不平等であったとしても、政府が所得の高い人に高い税を課し、所得の低い人には低い税と多くの補助金を与えれば、税引き後所得の不平等はあまり大きくない可能性もある。但し、アメリカを始め多くの国で、税引き後所得も高い水準にあり、1970年以来更に高まっていることがわかっている。

加えて、重要なのは消費の不平等の度合いである。極端な話、全ての人がリスクを嫌い、生まれる前は同じ所得の可能性を持っており、市場の失敗がなければ、生まれる前から所得が高くなった人から所得が低くなった人へ所得を移転する契約を結ぶことができ、このような所得移転の結果、所得の不平等は存在しても、消費の不平等はまったく存在しないということが理論的には考えられる。ここまで極端ではなくても、人々が貯蓄を持っていて、短期的な所得の変動を貯蓄で補う(所得が高いときには貯蓄を増やして、所得が低いときには貯蓄を切り崩す)ことができれば、消費額の不平等は(税引き後の)所得の不平等に比べて小さいことが期待される。消費の不平等の度合いは厚生の不平等の度合いに直結するので、本当に重要なのは消費の不平等がどのくらい大きいか、あるいは上昇してきたか、ということなのだが、消費のデータは所得のデータに比べてよくはない。

もちろん、こういった背景を元に、所得の不平等に関する研究は理論・実証の両面で行われてきている。有名なペーパーとして、Krueger and Perriによる、2006年のREStud論文がある。この論文で、彼らは、1980年から2004年の間に、所得の不平等の度合い(不平等の度合いを測る指標として上位10%の所得と下位10%の所得の比を使うが、他の指標でもメッセージはあまり変わらない)は36%上昇したが、消費の不平等の度合いは16%しか上昇しなかったと計算した。つまり所得の不平等の上昇は、本当に重要な消費、あるいは厚生の不平等よりずっと大きく、所得の不平等の上昇をもとに厚生の不平等も大きく上昇したと自動的に考えるのは間違っているということである。

上のグラフは、Aguiar and Bilsがアメリカについて計算したものである。グラフでは、労働所得(サラリーとボーナスだけ、金利収入とかは含まれない)、税引き前の所得、税引き後の所得、および消費の不平等の度合いが、1980年から2010年の間にどのように変化したかを示している。所得に関する不平等の度合いは軒並み上昇する一方、消費の不平等の度合いはあまり上がっていないことがわかるであろう。

このことは、ちょっと不自然に感じられるかもしれない。Krueger and Perriの論文が流行った理由のひとつは、重要なデータの動きが直感と異なっていたからだと思う。普通に考えれば、所得の不平等の度合いが上昇すれば、消費(および厚生)の不平等の度合いも上昇するのが自然であろう。だから、所得の不平等の度合いが、厚生の不平等の度合いを測るのに使われているのである。

Krueger and Perriは、なぜ消費の不平等が所得の不平等ほど上昇しないということが起こりうるかというメカニズムも提示した。所得の不平等が高まるということは、高い所得になるチャンスも高まるが、低い所得になるリスクも高まるということである。リスク回避的な人々であれば、このような状況に直面して、これまでよりいっそう、所得の変動に対する保険を入手したくなるということになる。もし、人々が、低い所得を非常に避けたければ、所得の変動に対する保険をより手厚くするようになり、結果として、所得の不平等が上昇して、所得の変動リスクが上昇しても、保険が手厚くなった結果、消費の変動は小さくなることがありうるというのが、彼らの提示したメカニズムである。もちろん、この議論は、抽象化されたものであり、実際に人々が直接的に所得変動に対する保険を増やしたというデータはないような気がするが、所得の変動に対して(間接的な方法で)保険をかける方法はいろいろあり、このペーパーではどのような方法が用いられたかまでは踏み込んでいないが、別の方法で所得の変動に対する保険をかけていたとしても、彼らのメカニズムは当てはまる。 

このペーパーはとても評判を呼んだペーパーだが、それ以降、本当に消費の不平等は上がらなかったのか?ということは常々疑問が投げかけられてきた。その背景としては、以下の点が挙げられる。
  1. 消費の不平等を計算するには、様々な品目について家計ごとの消費額を毎年記録しているデータセットであるConsumer Expenditure Survey(CE)が使われる。特に、Krueger and Perriをはじめとして多くの研究では、各家計にインタビューを実施することによっていろいろな品目への消費額を記録した結果が使われてきた。インタビューは過去の消費額について聞くので、ちゃんと思い出しているかという問題が常に存在する。
  2. 特に、近年、CEのインタビューの結果を集計して計算された総消費額と、GDPの一部として計算される総消費額に大きな乖離が生じていることが問題視されている。1980-82年には、CEから計算された総消費額はGDPの一部の総消費額の86%と、まずまずの比率であったが、この数字は、2008-2010年には66%まで低下してた。CEのインタビューで記録される総消費額は(GDPの方が正しいとして)実際の総消費額のたった2/3しか把握していないのである。
  3. CEには、少数の家計に、何を買ったかを頻繁に記録してもらうことで各家計の消費行動を把握する日記方式のデータもあるが、日記方式のデータによると、消費の不平等はインタビュー形式のデータから計算されたものより、上昇度が高かった。
  4. 各家計の消費額を含むデータセットとしてはPanel Study of Income Dynamics (PSID)もあるが、1990年代までは食料への支出しか記録していないので、(食料だけでなく総)消費の不平等の研究にはあまり使われてこなかった。このような問題点に対して、最近のペーパーで、Attanasio, Hurst, and Pistaferriは、PSIDにおいて、各家計の食料だけでない総消費を推計し、その不平等の度合いの変化を計算すると、所得の不平等の上昇と同じようなスピードで上昇していることがわかった。
このような背景を元に、このペーパーでAguiar and Bilsがやったことは、所得の異なる家計の消費パターンの違いを使って、インタビュー形式のデータが補足し損ねているであろう消費を補完することで、CEのインタビュー形式のデータの改善版を作成し、このデータをもとに、消費の不平等がどのように変化したかを計算しなおしたというものである。彼らによると、消費の不平等は所得の不平等と同じくらい上昇した。具体的には、1980年から2010年の間に、彼らの作成したデータに基づく消費の不平等は30%程度上昇した。この数字は、CEのインタビュー形式の元データに基づく不平等の上昇の度合い(16%)よりかなり大きく、所得の不平等の上昇度合い(36%)ととても近い。ある意味、リーズナブルな結果であると言える。

最後に、Aguiar and Bilsがどのようにインタビュー形式のデータを補完したかについて簡単に述べておこう。彼らが使ったのは、所得が高い人と低い人の、消費パターンの違いである。ちょっと専門的な用語を使えば、エンゲル曲線を使ったとも言える。エンゲル係数はもしかしたら聞いたことがあるかもしれないので、エンゲル係数を使って説明してみよう。エンゲル係数というのは、所得の何割を食費に当てるかという数字である。この割合は、所得が上がれば上がるほど低くなることが知られている。所得が上がれば、食料以外のものをいろいろ買うようになるからだ。この係数は人々のそのほかのいろいろな特長によって変わってくる。では、ある人についてエンゲル係数がわかったとしよう。そうすると、その人の食料への支出額もわかれば、総支出額が逆算できる。食料への支出額をエンゲル係数で割ればよい。このようなプロセスを様々な消費カテゴリーについて行うことで、より信用できる総支出額が計算できるというわけだ。

もちろん、消費の不平等がとても重要なことは背景にあるのだけれども、このようなある意味データだけのペーパーがトップジャーナルであるAERに載るのは、最近のデータ重視の流れとも合致しており、望ましいことだと思う。REDの特集号では、多くの国について消費の不平等の上昇が所得の不平等の上昇より小さいことが報告されているが、他の国に対する同じような研究が今後出てきて、REDで報告された各国の結果が覆されていく可能性もあるかもしれない。

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