Nobel and Aiyagari

超久しぶりになるが、ホリデーシーズンで雰囲気ものんびりしているし、リハビリも兼ねて、柔らかいネタで書いてみる。

ノーベル賞が10月14日に発表されて以降、受賞者の業績等についていろいろ見聞きする機会があったが、その騒ぎも収まってきた。自分は特にいろいろな分野をよく知っているわけではないので、自分の分野外の人が受賞したときは、普通の人と同じように、へぇ、と言う感じで終わってしまう。とはいえ、今辺りに、次のノーベル賞は誰かな、という会話がなされることが多い。ちょうどこの時期に、来年の賞の候補者の推薦をお願いするメールが世界中の一流の経済学者に届くからだ。僕には関係のない話だけれども、この時期に一流の学者連中と飲みに行くと、来年は誰がいいかなぁという話になりやすい。

今回は、皆でビールを飲みながら、マクロは次どのような分野かなという話になった。そこで、ヘテロマクロが取れるとしたら3人はどう選べばよいか、という話になった。あるとしてもまだまだ先の話だと思っていたけど、今年の受賞者を考えると、順序とかどうでもいいじゃん、という感じらしい。こういう話になると、残念だなぁと思うのは、アイヤガリが若くして亡くなってしまったことである。彼が入らないと、どのように3人選んでも何か物足りなくなってしまうように感じられる。

といったら、そうでもないんじゃないかという人もいた。ちなみに、今や経済学では、アローやサミュエルソンのような(ルーカスも入るのかな)、いわゆる誰でも知っている巨人のような人は今やいないので(僕なんて今年の受賞者の論文なんて、KremerのQJEのGrowthのペーパーしか読んだことない)、経済学以外の分野のように、大きく発展した分野を選んで、その中で貢献度が大きかった3人を選ぶような感じになっていくのではないか(アイヤガリがいなくてもいける)と言っている人もいた。

この話から続いて、アイヤガリがどのような人だったかというのをいろいろな人から聞いたんだけれども、彼のオフィスはモノが全然机の上に出ていなくてとてもきれいだったらしい。僕も、いつでも次の職に引っ越しできるように、パソコンに入らないモノは全然買わないしオフィスにはモノは残さないし、机の上には何も置かない性格なんだけれども、なんとなく、頭のいい人は机がごちゃごちゃしているといつも思っており、ごちゃごちゃしているのが嫌いな自分としてはちょっと残念に思っているので、自分があこがれる人の机がきれいだと嬉しくなる。ある人は、アイヤガリのオフィスを訪問したところ、机の上に彼の3つのペーパーだけが置いてあり、どのペーパーについて議論したいか選ばされたらしい。かっこいいな。

ほかに聞いた話としては、アイヤガリは、1981年にPhDを取ってからしばらくしてミネアポリス連銀に戻ってきて、1994年の超有名なペーパーをはじめとして一連のペーパーを完成させて、亡くなる直前にロチェスターに移ったんだけれども、ミネアポリス連銀に戻ってくるまでの間、研究で結構苦しんでいたらしい。苦しんでいたといっても僕のような二流経済学者とはレベルが違うんだけれども、これくらいすごい人も苦しんでいたという話を聞くと、自分がいい論文全然かけなくて苦しんでいるのは当たり前だよな思わされる。がんばろう。

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