Rant on "Inter-Generational Inequality"

すっかりご無沙汰になってしまったが、holiday seasonなので最近読んだ論文なり注目しているテーマについて書くのは一休みして、ちょっと別のことについて書いてみたい。最近よく見る、「世代間格差」というテーマについてである。僕がこれから書くことが必ずしも正しいとはいえないが、少なくとも、「世代間格差」の問題は、簡単なものではないような気がする。

最近よく見る論調として次のようなものがある。非常に大雑把に書くので注意してほしい。団塊の世代(1940年代終わりごろに生まれた世代。今は60-65歳あたりで、最近退職したり、もうすぐ退職しようとしている人たちである)は、年金制度において若い世代よりずっといい目を見ることになる。団塊の世代の人たちは死ぬまで(おそらくは大幅な減額なしに)年金を受け取れるけれども、今の若い世代が退職するころには年金制度が維持できるかわからない。おそらくは年金受給額は少なくなり、年金を受け取りはじめることのできる年齢も上がるであろう。これは不公平ではないか、というものである。この論調は本当に正しいか。正しいかもしれないが、そうではないかもしれない。

では、年金制度とはどういうものかを考えてみよう。年金制度というのは、ある意味、子供が親を経済的に支援するということを国が肩代わりしているというようなものである。子供が親に直接お金をあげる代わりに、政府が子供から税金を取って、親に与えているのである。じゃ、政府がやらなくてもいいじゃんということもできるが、子供が多かったり、子供ができなかったりする人がいると不公平になるし、子供が高収入になるか低収入になるかによっても不公平が生じるので、国が平準化(smoothing)してあげているのである。このことの自然な帰結として、この制度は子供がどんどん生まれてくれないと困るということができる。

では、団塊の世代と今の若い世代を比べると、よく言われているとおり、子供の数は今のほうが圧倒的に少ない。これはどこの先進国にも多かれ少なかれ当てはまる。つまり、団塊の世代はちゃんと年金制度を維持するために子供を作ったけれども、それより若い世代は年金制度を維持するために必要な行動をしていないのである。こういう状況で、団塊の世代が年金制度の恩恵をより多く受けることが「不公平」であろうか?子供を作るというのはある意味将来への貯蓄の代わりをしているともいえるので、貯蓄をしないで人の貯蓄に頼っているようなものである。

別の言い方をしてみよう。もし、子供を育てることにより、自分の自由に使える時間が少なくなり、幸福度(utility)が下がるとしてみよう(もちろん子供が幸福度を高めるという仮定も十分真実味がある)。子供の世話に忙しいとハワイに行ったりできないのである。あるいは、自分のために使える時間が多いから、より長く働くこともできるので、収入も多くなり、幸福度も増す。子供を学校や塾に通わせるのに必要なお金を払うと、プラダのバッグとかが買えないのである。こういう要素まで加味するとしたら、年金制度を維持するのに必要な数の子供を育てることによって幸福度を犠牲にした団塊の世代の人たちに、より年金を振り向けることこそ、公平なのではないだろうか。つまり、古いケインズ経済学からそうなのだが、お金(年金の金額)だけ見て公平、不公平、を語るのは、おおむね正しいこともあるが、しばしば浅い議論なのだ。

もうひとつ別の側面を見てみよう。団塊の世代の人たちまでは年金を受け取れるひとつの理由として、経済成長率が高かったことがあげられるだろう。経済成長率が高ければ子供の世代の収入は親の収入よりずっと大きいということなので、親を養うために子供から比較的大きな金額を取っても大丈夫なので、年金制度を維持しやすい。年金制度が維持しづらくなってきた理由のひとつはいわゆる高度経済成長期に比べて経済成長率が停滞したことともいえる。このことを見て、高い経済成長率の時代を生きたラッキーな団塊の世代が年金を「とり逃げ」するのは不公平だといえるだろうか?そうかもしれないし、そうではないともいえる。たとえば、団塊の世代は、今の世代よりずっと長く働いたかもしれない。土曜日も出社し、残業も多かったかもしれない。不満があっても、ひとつの会社で勤め上げた人も多かった。そういう世代は、ひとつの会社にとどまり、長く働いたことで、各社に固有の人的資本をきちんと積み上げたので、結果として経済成長率が高かったという議論もできるかもしれない。今の世代は、昔より好きなことをやっている分幸福度は高いかもしれないが、経済成長への貢献度が低いのかもしれない。こういう状況を考えると、団塊の世代により年金を配分すべきだという議論は正当化できる。

さらに、経済成長という側面もある。異論はあるかもしれないが、一人当たりGDPで幸福度を比べた場合、今の若い世代の幸福度の方が団塊の世代の幸福度より高いはずである。そういう状況下であれば、年金の配分を考える場合に各世代の幸福度を平準化しようとするならば、団塊の世代により手厚くすべきという結果になるはずである。

もう少しメカニカルな言い方でまとめると、年金制度の維持のために重要な指標である、n(人口成長率)やg(一人当たりGDP成長率)を外生変数(誰も変えられない変数)として行われる議論や、c(一人当たり消費)のみを幸福度(utility)の尺度として使っている議論、は危ういところがあるということが言いたかった。政治的要素を加味した実現可能性を無視して書くが(個人的にはIRA(個人年金口座)に早く移行してほしいと思っている)、年金の受給額はその世代の子供の数とその世代が働いていたときの経済成長率と強く連動させるのはどうであろうか?

3 comments:

KitaAlps said...

参考です。・・・「経済を良くするって」

http://blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/6346ca1949860b61d4ff2ce33e6e5e45

unrep.agent said...

コメントありがとうございます。ぜんぜん聞いたことのない人ですが同じようなことを先に書いている人がいたのですね。

KitaAlps said...

期せずして同じような観点のご発言が掲載されたのを見まして、このような観点がもっと年金の議論に影響を与えるようになるべきと思いました。(なお、このコメントは掲載されなくてもかまいません)

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