第1章
- 経済学は公平性と効率性を同時に扱うことができるという面で他の社会科学より優れている。その一方、残念なことに、他の学問では注目されない効率性を議論するばかりに、人間性の欠ける学問として批判されやすい。
- 但し経済学が「公平性」を議論するのは難しい。主観的な基準に基づかざるを得ないからである。
- そのこととパラレルであるが、経済学ではしばしば社会的幸福度の最大化を行うにはどうすればよいかを考えるが、「社会的幸福度」の定義の仕方にはいろいろなものがあり、どれが正しいというものはない。「社会に属する全員の幸福度の和」として社会的幸福度を定義することもできるし、「社会に属する人の最低の幸福度」として定義することもできる。後者の意味での社会的幸福度を最大化するということは「公平性」のみ考えるということと同じである。
- 通常、経済学では、人々がリスクを嫌うという仮定によって、公平をモデルに取り入れる。まだ生まれていない赤ちゃんを考えてみよう。赤ちゃんの所得は生まれてから高いか低いかランダムに決定されるとする。その場合、リスク回避的な赤ちゃんはなるべく生まれたときに決定される所得の触れ幅が小さいことを望むのである。(所得がリスクの大きさによって影響を受けないとすると)生まれてからの所得のリスクを最小化することが人間が生まれる前の期待幸福度を最大化することにつながるのである。
- 但し、公平性と効率性の間にはしばしばトレードオフが存在する。公平性を高めるために所得税の累進性を高めると、生産性の高い人がよりがんばるインセンティブを阻害してしまい、経済全体の生産性が低下してしまう、というのが一例である。
第2章
- 最近の実験経済学は、人間は上で述べたようなリスク回避行動だけで説明できない理由で格差を嫌うことが示されている。言い換えれば、人間は(自分と直接関係がなくても)格差が小さければそれだけで幸福度が高まる可能性示されている。
- その一方、最近の神経経済学の結果によると、その反対に、人間はねたみも感じることが示されている。
- アンケート結果によると、所得格差について人間がどの程度肯定的に考えるかは、現在の所得、最近の所得の変化率、将来の所得変化への期待によって影響を受ける。
第3章
- 日本は近年所得格差が広がったと一般的に思われている。そのことは正しいが、物事はもう少し複雑である。
- 所得格差の度合いを示す所得ジニ係数(0だと格差がまったくない、1だと格差が最も大きい(一人以外はすべて所得ゼロ))は1992年は0.37であったが、2007年は0.45に上がった。一般的に考えられている格差の拡大と整合的である。
- 但し、税金を引いて、年金や生活補助などの補助金を加えた後の、可処分所得で見ると、ジニ係数は19972は0.31、2007年は0.32で、あまり変わっていない。
- このことは、日本の所得再配分政策がうまく機能していることを示しているのであろうか?そうではない。所得ジニ係数と可処分所得ジニ係数の差は1997年は0.06であるが、そのうち、0.04は年金で生み出されており、0.02は税等で生み出されている。一方、2007年においては、ジニ係数の差は0.13であるが、年金によって0.12、税等によって0.02が埋められている。年金制度を老後に向けた貯蓄制度、税等を狭義の所得再配分と考えると、狭義の所得再配分はあまり機能していないのである。言い換えると、可処分所得ジニ係数があまり変わっていないのは、主に、年金を受け取っている引退世代が増えているからなのだ。
- 他のOECD諸国と比べると、日本の所得ジニ係数は33か国中17位(順位が高いほうが格差が大きい)であるが、可処分所得ジニ係数は11位であり、日本においては退職世代以外の低所得者への所得再配分があまり働いていないように見える。
- 更に、退職世代間の格差も日本は大きいように見える。OECD諸国において、引退世代のジニ係数が労働世代のジニ係数より高い国は9カ国しかなく、日本はそのうちの一つである。
- 最後に、子供の貧困問題も日本は深刻である。子供がいる世帯の貧困世帯割合は日本は12.5%で、OECD平均の10.6%より少し高いだけである。しかし、親が一人である世帯に限定して計算すると日本の貧困世帯比率は59%、でOECD諸国平均31%よりずっと高い。
第4章
- 教育の格差が所得格差にどのように影響を与えているかの研究が重要であるものの、日本においては、その分析に必要なデータが限られている。
- 限られたデータから言えることとしては、まず、学校選択性は教育の格差を拡大しがちである。
- 高校卒業時の成績を説明する最も重要な要素は、中学入学時点(この時点のデータしか使っていない)での成績である。つまり、成績のよい生徒を「生み出す」学校は、入学の段階で成績のよい学生を取っているのである。
- どのような教育方法が学力向上に役立つかについてはあまりはっきりしたことはデータからわからない。一つ有効なのは、授業時間の長さである。クラスを小さくしたときに学力が上がるかははっきりしたことはいえないが、授業時間を長くすれば学力は上がるようだ。
- また、中学2年次における理数系の科目の学力は、どういった家庭に育っているかで多くの部分が決定されるようだ。
第5章
- 「世代間格差」という問題が最近日本で注目されている。
- どの世代が政府による所得移転(年金、税、生活補助、等を幅広く含む)によってどのくらい得あるいは損をしてるかを計算することができる。これを世代会計と呼ぶ。これによると(結果は計算の背後にあるさまざまな仮定にある程度依存するものの)、(1)退職した世代は政府に支払った金額よりも政府から受け取った金額がずっと多い、(2)現在働いている世代は、政府に支払った金額が政府から受け取る金額と同じくらいかちょっと上回る程度、(3)将来世代は政府に支払わなければならない金額のほうがずっと多い、ことがわかる。
- つまり、現在においては、退職世代は政府へ支払った額より多くをもらっているものの、その負担は今働いている世代多めに支払うことで返済されているわけではなく、将来の世代に先送りされているのである。
- 「世代間格差」問題があまり活発に語論されない理由は、(今のスキームが維持できる限り)今存在する世代はだれも大損をしないからかもしれない。
- このような状況が改善されるとは考えづらい。生まれてきていない、あるいは、まだ政治に参加できない世代の声は政治に反映されないからである。
- 但し、将来ある時点で、若年層が「反乱」を起こすことは考えられる。
こんなに書いてしまうと、筆者に怒られるかもしれない(そのときは削除する)。見てのとおり、内容は多岐に渡っているので、感想も取り留めのないものしかかけないが、以下にいくつか箇条書きしてみる。
- 公平と効率にかかわるさまざまなトピックを一般の人がわかるように平易に説明していてすばらしい。数時間で読めてしまった。
- 筆者は、最初に書いたとおり、経済学が効率性しか考えないようなレッテルを貼られがちなことを憂いているが、それにしても、(第2章以降)本全体が公平性に偏りすぎに思える。全体のトーンとして、「公平性と効率性のトレードオフを体系的に分析できる」という経済学のすばらしい点を押し出さずに、「経済学者は公平性も考えてるんですよ」といういいわけが過ぎるように思える。これでは逆に経済学の美しい点が台無しに思えてしまう。現在の日本(だけではなく世界)が直面する状況は公平性だけを前面に押し出して解決できるような簡単なものではないように思うのだけれど。
- 神経経済学のようなトピックは流行りだし、非専門家に売り込みやすいのかもしれないが、第2章の内容は中途半端だと思う。第2章は、それ以降、公平性だけ主に見ていくための理屈付けに使われているように見える。「ねたみ」が分析したければ、external habitを入れればいいわけだ。external habitのものでの政策効果をシリアスに分析した論文もあるはずであるが、habitには触れられていない。第2章で紹介されているアンケート結果が、なぜリスク回避的な消費者と整合的でないのかについても僕は説得されなかった。
- 僕は、年金制度は所得再配分機能のついた強制貯蓄制度のようなものと考えているので、所得格差を議論するときに、働いている世代だけでなく引退している世代も入れてジニを計算していることにそもそもビックリした。ちゃんとしたパネルデータがあるのなら、年齢別のジニ係数を計算するべきでは。それに、最終的に重要なのは生涯にわたる幸福度であり、生涯消費であり、生涯可処分所得であるにもかかわらず、見ているデータがあまりに限定的に思える。
- 子供の貧困問題も、もっと詳細なデータがほしい。例えば、日本では、親が一人の世帯が他の国より少なくないのか?親が一人の世帯は一般的に所得が低いのであれば、そういう家計が少なければ自動的にそれらの家計の貧困率は上がる。そういう点を見せずに、大雑把なデータだけ見せられても説得力がない。
- 世代間格差については、個人的には、現在の「先送り」スキームが(かなり早い)ある段階で維持できなくなり、年金制度(というか国家財政)が危機に陥れば、筆者が論じていたような「危機における助け合いの精神」が発揮されるのではないかと期待している。このことが実際起こるか、起こるとすればいつごろかを予測するのは僕には不可能だけれども、それによって年金制度等が持続可能なものに改革されるというのがありうるシナリオだと思っている。
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