まずはMankiwの議論を簡単に整理したあとで、同じくJPEに掲載されたSolowによる批判とMankiwによる返答、および、Mankiwが今日NYTに発表した記事を整理する。
まずはMankiwのJEPの論文のポイントは以下のとおりである。
- 国の全員が同じ所得を得、税はlump-sum tax(国民の全員が何をしようと同じ金額を払う税制)で徴収される状況を考えてみよう。このような状況は効率性という意味からも、公平性という意味からも望ましい状況である。このような状況下、Steve JobsやJ K RowlingやSteven Spielbergが現れたとしよう。彼らは彼らにしか作ることができないものを社会に供給することによって多くの収入を得はじめたとしよう。彼らのような人に大量に課税して社会の公平性を回復すべきか?上位1%の課税問題というのはこのような問題である。
- 上位所得者の課税を強化する政策で、上位1%を含むすべての人の所得が上昇する(経済学の言葉で言えばパレート改善)ような実施可能な政策はひとつも提案されていない。
- Stiglitzなどが主張するのは、上位所得者の所得が高いのは、彼らの生産性が高いからではなく、彼らがrent-seeking(競争を制限することで独占的な利益を得ている)に長けているからである。rent-seekingが横行しているのであれば、もちろんどの経済学者もそのような状況を改善すべきと考えるが、Stiglitzが挙げている証拠は例の羅列で、信用できる客観的なデータではないので、説得力に欠ける。
- 個人的には、GoldinとKatzが提唱する理論、つまり過去40年ほどの技術革新はスキルの高い労働者の生産性をより高めるようなものであったので所得格差が上昇したという理論(Skill-biased technological change)のほうが説得力があると思う。この理論に基づけば、上位1%の職が上昇したのは、彼らの生産性が高まっただけであり、彼らへの課税を高める根拠は弱い。
- それに、rent-seekingが問題であれば、その解決方法は所得上位者への課税の強化ではなくて、rent-seekingを生み出している制度の是正であるべきだ。
- そのほかに、上位所得者への課税強化の理由としてよく挙げられるのが、「機会の平等」という概念である。もし、裕福な親の下に生まれた子供の所得は裕福でない親の下に生まれた子供の所得より常に高いのであれば、不平等は生まれながらのものであり、課税強化などによって是正すべきだという考え方である。但し、所得格差のどの程度が生まれつきのものであるかの推定は難しい。Sacerdoteによると、所得格差のうち、33%は遺伝的な要因で説明でき、11%は育った家庭状況、残りの56%は家庭に関係のない環境的な要素だということである。つまり上位1%は生まれながらに決定されていると考える根拠は弱い。それに、このような問題は1%の上位所得者よりは下位所得者の問題だと思う。
- 経済学では、伝統的に、このような問題は、「効率性」と「公平性」のトレードオフとして考えられる。政府が国民全員の幸福度の合計という意味での社会的な幸福度を最大化したい場合、生産性の高い高所得者から課税して生産性の低い低所得者に所得を移転すれば社会全体としての幸福度は高まる(公平性の改善)が、生産性の高い高所得者は課税によって働くインセンティブをそがれるので、生産性の高い労働者の労働時間が短くなり、社会全体の生産量が減少してしまう(効率性の低下)。このような理論の元では、所得格差が高まった場合、高所得者に対する課税を強化するのが社会的には望ましいという結論も得られる。ここで問題にしたいのは、「社会的な幸福度を最大化」する(このような考え方をUtilitarianismと呼ぶ)というのが本当に政府の目的のモデル化の手段として正しいものであるか、ということである。
- Utilitarianismの1つ目の問題点は、個々人の幸福度は比較できないというものである。
- Utilitarianismの2つ目の問題点は、なぜ「国民」の幸福度だけ合計するのかというものである。なぜデトロイトの低所得者の幸福度は気にする一方、サブサハラアフリカの低所得者の幸福度は気にしないのか?こう考えると、Utilitarianismというのは、第一印象ほどは一般的なものではないといえる。
- Utilitarianismの3つ目の問題点は、Utilitarianismから直接的に導ける好ましい政策の多くが実施されていないというものである。最適課税問題を考える場合、標準的なセットアップにおいては、生産性は目で見えないが所得(生産性 x 労働時間)は観察できると仮定されている。本来は高生産性の労働者への課税を強化して、低生産性の労働者に所得移転をしたいのだけれども、生産性は見えないから、高所得者に課税して低所得者に所得移転せざるを得ないのである。この場合、高生産性の労働者は労働時間を減らすことで所得を下げて、低所得者のように課税を逃れることができてしまう。このような状況下では、生産性と関連している特長(タグと呼ばれる)に応じて課税することが望ましいということになる。例えば、Weinzierlと書いたペーパーでは、背の高さ、人種、性別によって生産性は異なるので、これらのタグが異なる労働者には異なる税を適用するのがUtilitarianismの観点からは望ましいという結果が得られた。しかし、このような政策は支持されないと思う。それはなぜか?Utilitarianismという出発点がおかしいからではないだろうか。
- 最近はオバマ大統領による高所得者への課税強化の方針、Occupy Wall Street運動、不平等に関する数多くの書籍から見るに、政治的には左派の方に風が吹いていると感じられる。では、これらに見られる、1%上位所得者への課税強化の理由はなんだろうか。大まかに言って3つの議論が見られる。1つ目は、アメリカの税制が逆進的(regressive)になっているというものである。有名な話は、Warren Buffettに適用された税率(17.7%)が彼の秘書のに適用された税率(30%)より低かったというものである。この話は疑わしい。まずは、Buffettの所得の多くが配当とキャピタルゲインによるものであれば彼の企業が利益を出した時に既に法人所得税で課税されているので、Buffettの税率という場合には法人所得税も加味しなければ正確ではない。それに、彼のケースはかなり特殊だとも言える。CBOによると、所得の下位20%は1%しか(連邦)所得税を払っていなかった。中央の20%の所得税率は11.1%、上位20%の所得税率は23.2%、上位1%の所得税率は28.9%であった。これはかなり累進的である。
- 2つ目の議論は、上位所得者の所得は高い生産性を反映しているのではなく、rent-seekingの結果だというものである。この2つを識別するのはとても難しいが、大まかには上位所得者の所得は彼らの生産性を反映しているように見える。
- 3つ目の議論は、上位所得者は政府が供給する様々なインフラからより多くの恩恵を得ているので、それに応じてより多く納税すべきだという議論である。オバマ大統領も、例えば、インターネット関連に企業で大もうけした人の場合は、政府が作り上げたインターネットから多くの恩恵を得ていると述べている。上位20%所得者は23%の連邦所得税、州税・地方税も加えると所得の1/3くらいの税金を払っている。これでも足りないというのであろうか?
- もし、累進的な課税の根拠が、運よく高所得に生まれた人は運悪く低所得に生まれた人を助けるという保険的な役割なのであれば、腎臓についても同じことが言えないか?生まれつき2つの健康な腎臓を持っている人もいれば、そうでない人もいる。累進的な課税と同じ議論を適用すれば、政府は2つの健康な腎臓を持っている人に「課税」して腎臓を1つ取り上げることも望ましいはずである。ではこのような政策は支持されるか?個人的には、「人は自分の臓器に対する権利を保有する」という考え方の方が受け入れられているであろう。個人的には、Utilitarianismではなく、Just Taxation(公平課税かな)という原則の元で課税問題を考える方がよいのではと感じている。
- 上位1%の典型的な例はMankiwの挙げたSteve Jobsのような企業家ではなくて、金融機関に勤めている。
- 金融機関の圧力がDodd-Frank Wall Street Reformを弱めたように、所得格差の深刻な問題点は、上位所得者が自分たちに都合のよいように政治的な圧力を使うことである。
- Mankiwのrentsの定義(monopoly rents)は狭すぎる。 背が高い人は生産性が高い人が多いのではなく、背が高いことでrentを享受できるからである(ということはSolowは背の高い人には高い税率が適用されるべきだと思っているのであろうか?)。
- 親が高所得(低所得)の場合には子供も高所得(低所得)になる確率は高まっている。
- 人間が、身近に感じる人(物)の幸福を重視するのは自然なことだ。このことがUtilitarianismの問題と何の関連があるのか?腎臓が「課税」されないのも、肉体に課税するのは収入に課税することより好ましく思われていないだけである。
- justと言い出したら、何を持ってjustとするかの問題に直面する。
- Kaplan and Rauhの研究によると、上位所得者の収入の増加は幅広いものであり、データは上位収入者に有利な技術革新が起こったという仮説と整合的ということだ。金融セクターの上位収入者を過小評価しているという批判は正しいが、金融セクターの上位収入者の収入がrentsによるものだという決定的な証拠はない。
- Solowは上位所得者の政治的圧力を懸念しているが、上位所得者にはKoch兄弟のように右よりの人もいればGeorge Sorosのように左よりの人もいる。2008年と2012年には左よりの大統領が選出された。
- 個人的にはrent-seekingは懸念しているがその他のrentsについては懸念していない。
- Solowは社会が実力主義的でなくなってきていることを懸念しているが、社会はSolowは心配するよりも実力主義的だ。それに、才能が遺伝によって親から子に受け継がれ、かつ才能に対する報酬が高まった場合、自動的に、所得の不平等が拡大し、かつ親と子の所得の相関も高まる。
- Solowは結局Utilitarianismを支持しているか、どのような基準で政策が評価されるべきかについての基準を明確にしていないように見える。
- justが何である(べき)かは難しい問題だということには同意する。僕のペーパーを読んで経済学者が少しでもjustに興味を持ってもらえれば望外だ。
- Robert Downey Jr.はThe Avengersに主演することで50 million(約50億円)を手にした。これはThe Avengerの売り上げのたった3%である。LeBron Jamesは2013年に56 millionの収入を得た。S&P500にカウントされる企業のCEOの平均(median)は10 millionである。彼らはその高い収入にふさわしい生産性を持っている。
- 金融部門についても、Bernard Madoffのような残念な例はあるが、一般的には、貯蓄をしかるべき投資先に振り向けるという経済にとって非常に重要な役割を果たしている。
- しかも上位1%の所得者は所得のうち34%を連邦所得税として払っている。この税率は 所得の中位20%の税率(12%)よりかなり高い。
- 所得上位1%に属する人たちは、公共の福祉への貢献をモチベーションとしているわけではないが、結果的にそのような役割を果たしている。
2 comments:
まとめお疲れ様です。私もソローvsマンキューはまとめたりしていましたが(http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20140208/solow_vs_mankiw_on_one_percent)、マンキューの元の論文と直近のNYT論説は読み込んでいなかったので、参考になりました。
一点。「Koch兄弟のように左よりの」は「ソロスのように左よりの」かと思います。Koch兄弟は右の代表例としてマンキューも挙げていますので。
ご指摘ありがとうございます。早速直しました。MankiwとSolowのやり取りについてはhimaginaryさんが既に丁寧に訳されていたので、やめようかと思ったのですが(himaginaryさんが先にかかれたのでお蔵入りになったエントリはいくつかあります)、Mankiwのoriginal JEP articleについて書き始めていたので重複する点もあるものの公開することにしました。
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