Essay on Macro Empirics, Part 1

前回のちゃんとしたポストからすっかりあいてしまった。まぁ、定期的な更新を期待して待っている読者がいるような人気ブログというわけではないのだけれども、やっぱり間が空くと申し訳なくなる。夏は学会や休暇やも多く、かつ、おそらく切りのいい夏前にジャーナルに論文を出す人が多いせいか、夏前に手持ちの論文をレフェリーに送りつけるエディターが多いせいか、夏前にたくさん来るレフェリー依頼をさばいていると、なかなか新しい論文を読んだり、新しいネタを探す時間がなくなってしまう。

というわけで、今回は、(特にマクロ)経済学において、データをどのように使うのかについて簡単なエッセイを書いてみる。あまり考えずにつらつらと書くので後で加筆・修正する可能性も大なことをお許し願いたい。まぁ、自分自身、データに強いわけではまったくない(では何に強いかといわれると困ってしまう)ので、間違っているところとかを指摘してもらえるとそれもうれしい。エッセイのようなものなので、つらつら、構成も考えずに書いていく。

個人的に経済学がほかの社会科学より圧倒的に優れていると思うのは、個人(あるいはその他の意識決定主体)がどのように決定を行うか、そのような個人が集まっている経済(あるいは社会)にどのようにその決定が反映されるかを緻密に分析できる理論体系があるということと、その理論を検証するためにデータを注意深く見るという、両輪だと思う。マクロ経済学についてもそのような経済学の強みは生かされていると思う。では、どのように理論とデータが関連しているかを、例を使ってできるだけわかりやすく書いてみたい。何を例に使うかをちょっと考えてみたのだけれども、ここでは、政府支出乗数(政府支出を1円増やした時にGDPが何円上がるか)の推定を例に使ってみる。

なぜ、政府支出乗数が重要なのか?政府が支出を行う際には、税金や国債の発行(=将来の増税)で原資を調達した後で、何かへの支出を行うので、その支出が本当に経済(=お金を出す人々の)の役に立っているかを測りたい。その指標の一つとして使われるのが、政府支出乗数である。いわゆる、投資のリターンのようなものだと考えればよい。リターンが大きければ実施すればよいわけだし、リターンが小さければ、何でこんなことをするのか考える必要があるだろう。

「政府支出を1円増やした時にGDPが何円上がるか」というのは簡単にデータから計算できるように感じられるかもしれない。毎年、政府がいくら支出して、GDPがどれだけ上がったか、の相関を計算すればいいじゃないか、と考えるのが第一歩である。まずはこの第一歩を行うことは重要なんだけれども(ちょっと前に聞いたPodcastにJoshua Angristが出てたんだけれども、彼も、洗練された識別を行う前にOLSを行うことが第一歩だといっていた)、これじゃあぜんぜんダメと一般的に考えられている。ちなみに、本当にこのように政府支出乗数とかを計算して大丈夫と思っている人もいる。困ったもんだ。では、なぜまずいのか?いろいろあるんだけれども、「いろいろ」というのを以下ランダムに見ていく。

まず、「完璧な実験」は何かということから考えてみよう。2016年1月1日の日本をスタート地点として、政府支出を1円上げなかった時のGDPと、政府支出を1円上げた時のGDPを比較できれば完璧なのである。実際は、2016年には1円上げなかったとしよう。この場合、前者のデータは存在している(これが歴史なので)が、後者のデータは存在していない。後者のような状況(実際の歴史と異なる)をcounterfactual(反実仮想)という。この2つのデータがもしあれば、両者でGDPがいくら違うか計算すればこれで終わりである。但し、実際には、反実仮想のデータは存在しないので、どうやってそれに近い状況を作るかというのが経済学者が玉を悩ませるところなのである。それに近い状況を作るのにいくつもの方法はあるが、どれも完璧ではないので、いろんな方法の長所・欠点を比較検討したり、いろいろな方法で計算された結果を比較することで、完璧ではないにしても完璧な状況で得られるであろう数字に近づける努力を僕らは延々と行っているといえるかもしれない。

じゃ、不完全な方法としてどのようなものが考えられるか?例えば、2015年より2016年のほうが政府支出が1円多かったとしよう。じゃあ、2015年のGDPと2016年のGDPを比較すればいいじゃん、と考えるかもしれない。最初にあげた方法(毎年、政府がいくら支出して、GDPがどれだけ上がったか、の相関を計算する)はまさにこれである。では何でダメなのか?2015年と2016年はおそらくいろいろな面でぜんぜん違うからである。2016年はオリンピックがあって盛り上がったので、GDPが多かったかもしれない。それを考慮に入れなければ、政府支出乗数は大きく出てしまう。もちろんそれ以外にも2015年と2016年を単純に比較できない理由は山ほどある。

それらをコントロールする方法として、「たくさんの年のデータ」を使うことが出来る。オリンピックは何回もあったので、オリンピックの時にはどのくらいGDPが上がるかが長い歴史のデータから計算できれば、2015年と2016年のGDPの違いから「オリンピック好景気」分を引いた分が政府支出乗数といえるかもしれない。ちょっとかっこつけた言い方をすれば(計量経済学にはかっこつけた言い方が多くて門外漢には困る…)オリンピックダミーを入れて回帰を行うのがこれである。但し、日本のデータは限られているので、何もかもコントロールすることはできない。例えば、2016年はSMAPが解散したけど、その効果はどうやってコントロールするんだ、とか(まぁ、過去のジャニーズグループの解散を使ってもいいけど、セミナーでは、「SMAPは国民的アイドルだから違う」という人が出てくると思う)。

では、日本のデータは限られた年の分しかないという制約をどうやって乗り越えるか?ひとつの方法が、たくさんの国のデータを使うという方法である。日本で50年分しかデータがなくても、100カ国あれば5000のデータポイントがあることになる。但し、たくさんの大きく異なる国を一緒くたにしていいのかという問題が起こる。そういう問題を不完全ながら回避するためにOECD諸国(いわゆる先進国)のデータだけ使うとかもできるけれども、日本とスウェーデンを一緒くたにしていいの?という疑問は残る。データポイントは多くなったけれども、日本とスウェーデンがいろいろな面で異なるということを考慮しすぎると、日本とスウェーデンで別個の回帰分析を行っているだけで、「多くの国を使うことによるデータの大きさ」が生かせなくなるからだ。

これと関連した方法は、国のデータでなく、例えば県別のデータを使うという方法もある。例えば、神奈川県だけ2016年に他の県より1円多く支出したとしよう。この場合、オリンピックやSMAP解散の効果は考える必要がない(実際は、おそらくセミナーでは、SMAPのファンの数が各県で違うからSMAP効果すら各県で異なるのではと聞かれるだろう)。全ての県で2016年にそれらは起こっているのである。このような状況は、各州が経済政策においてかなりの自由度を持っているアメリカで結構見られる。ある州が他の州とかなり異なる経済政策を実施する(最近の例で言えば、オバマケアの一部の導入を拒否したり)と、経済学者は色めき立つのである。このアプローチの問題点は何か?もし各県がかなり似ているのであれば、最初にあげた「完璧な実験」に近いのではないか、と思うかもしれない。但し、残念ながら、おそらく神奈川県が他県と似ていると考えるのは難しいであろう。それに加え、このようなアプローチにはもっと根本的な問題点がある。もし神奈川県の政府支出が大きかったことによって、神奈川県でビジネスが他県よりしやすくなったのであれば、もしかしたら企業が活動を東京都や千葉県から神奈川県にシフトしたかもしれない。この場合、神奈川県のGDPはより増え、東京都や千葉県のGDPはより下がることになる。但し、これは、ビジネスが移動しただけであり、国レベルで図りたい政府支出の経済効果とは異なった値(神奈川県のGDPの伸びのほうが大きく出てしまう)が求められてしまう。また、国全体でGDPが1円上がった時に日本全体の経済がどのように影響を受けるかというのは、おそらく神奈川県にのみ政府支出が増加した状況と大きく異なる可能性もある。いわゆる、外的妥当性(ある状況で得られた推定結果を他のもの(より広い文脈)に使っていいか)という議論である。

この例と関連した話を挙げておくと、例えば、ある小さい市(熱海市としよう)において政府支出を1円増やすというようなことは「実験」として可能かもしれない。但し、この場合も、熱海市において行われた「実験」から得られた政府支出乗数を日本全体の「完璧な実験」の結果と近いと考えてよいかというと、ここには巨大なギャップがあることがわかるであろう。ここで得られた実験の結果は、熱海であること、と熱海であることに関して目をつぶっても、仮想現実になっていないという問題点を乗り越えなければならない。特に、実験ができるような規模では、日本全体で政府支出が増加したときのマクロ的な効果がいろいろ出てこないことが容易に推測できるので、外的妥当性に大きく問題があると思う。

長くなってきたが、ここまで挙げた話は比較的簡単な話である。もっと重要な話は、これからなのだが、長くなってきたので、導入だけ書いて終わりにする。また、日本のデータに戻る。オリンピックやSMAPの解散が無かったとしても日本のデータをそのまま使うのに問題があるのは、次の理由にもよる。そもそも政府支出が増えるのは不況期である。不況は普通数年で終わる一方、政府支出の実施には時間がかかる。よって、政府支出が実施されるころには、経済が改善しつつあるかもしれない。この場合、政府支出によってGDPが改善されたのではなくても、そのままデータを見ると政府支出が増えたおかげでGDPが上昇したというストーリーと整合的なデータとなってしまう。このような問題を回避するにはどうすればいいのだろうか?とりあえず今日はここまでにしておく。

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