On the Model of "420,000 deaths"

 ホリデーシーズンで、かつ、ロックダウン真っ只中で、暇なので、自然とインターネットをみる時間が増えた。全然知らなかったんだけど、日本では、42万人が死ぬのという試算について、ずいぶん議論がなされていたようだ。ものすごく後れを取った話で、すでにいろいろな人が同じことを言っているような気もするけど、一応感想を書いてみる。

関連するツイートとかを見てみると、「予測」ではなくて「プロジェクション」だとかいった説明がなされている。とてもばからしい。こんなのだから、免疫学者は経済学者や非専門家につっこまれるのだろう。

説明を軽く読んでみると、コロナの終息までに日本で42万人の死者が出るというのは、再生産指数(コロナにかかった1人の人が何人にうつすかという数字)とコロナにかかって症状が悪化した人が死ぬ確率をもとに計算されているみたいだ。前者については、パンデミックの初期の推定値がずっと続くと仮定され、後者については、パンデミックの初期の中国の数字がずっと続くと仮定されているようだ。両方ともここで仮定された値より悪化することはないとすると、42万人というのは、「多少は根拠のあるパラーメーターの下での」最悪のシナリオを計算しているということになる。つまり、「政府がいろいろな対策を実施したり、コロナの治療方法が改善したり、人々の行動パターンが変化することを織り込んだうえでの(起こりうる)予測」ではなくて、「政府は何もしないし、人々も行動を変えないし、医療技術も進歩しないという極端な仮定の元での(非現実的な、ワーストケースの)予測」ということだ。そのように計算された数字であるので、実際の数字(厚生労働省によると今の時点で3,932人)が42万よりずっと少ないことは、モデルが間違っているとか、この計算をした人が無能だということを示すわけでは決してない。

そうはいってみたものの、この数字の出し方には問題があると思う。一番深刻なのは、このモデルがどのくらい間違っているかを確かめようがないという点だと思う。今の時点死者の数が4000人未満で済んでいるのを見て、人々はどう考えるだろうか?楽観的に考えるのであれば、「ああ、最悪の結果の死者42万人を避けることができてよかった。政府もみんなもいろいろな対策をしたおかげだろう。これからもいろいろ対策を続けていこう!」と皆考えてくれることであるが、おそらく、多くの人は、「なーんだ。42万人とか言っておいて、実際は4000人も死んでないじゃん。コロナって大したことないな。」と考えるのではないか。

言い方を変えると、モデルの検証のしようがないから、モデルの信頼性がどんどん損なわれていくのである。「42万人という数字は現実的なシナリオに基づく予測ではない」とだけいう代わりに、ある政策を実施した場合に42万人という数字がどのように変わるか、という(policy elasticity)のも計算し、現実的と思われるシナリオでは42万人ではなくてXX人です、というのを強調しなかったから(示していたのかもしれないが、全然広まらなかった)今のような状況になったのだろう。その一方、おそらくは、現実的なシナリオの仮定の下に死者数を予測していたら、大きく外れていた可能性が高いので、そうすると、予測をした人は信用されなくなり、みな彼のいうことを聞かなくなるだろうから、現実的なシナリオの下での死者数予測をしなかった、あるいは強調しなかった、ことは十分理解できる。

経済学的に書くなら、死者数が(一定の再生産指数、一定の死亡率)だけから計算される単純なモデルではなくて、(何もしなかった場合の再生産指数・死亡率、コロナに対処する医療技術、会社に行って仕事する人の割合、レストラン等の稼働率、大規模なイベントの人数の上限)のようないろいろなパラメーターに依存するモデルを作って、広めるべきだったと思う。そうすれば、政府がわけわかんない政策をいろいろ実施した時に、それがどのくらい感染者数や死亡者数を引き上げたかがわかるし、モデルの正しさがが検証可能になった。あるいは、モデルを敬座奥的にアップデートして改善することができた。経済学でよく言われている言葉だけれども、「間違っていることを検証できないモデルは、間違ってるモデルより役に立たない」、という話だ。

この話は、(ゼロ金利制約に引っかかっているときの)金融政策の効果の話と似ている。日本銀行が大規模な非伝統的金融政策を実施しなかったら、日本のGDPは20%下がっていた、みたいな話も(20%という数字は適当だけれども)、威勢はいいけどクリーンには検証のしようがない。

(現実には決して実現しない)シナリオの下での予測というのはとっても簡単で、間違っていることを証明しようもないから本人もリスクを負わずにセンセーショナルな数字を発表できるものであるから、あんまり信用するべきではないと思うし、信用されなくなくなっていくのはまっとうな方向性だと思う。大きな数字だったから人々を怖がらせて、コロナのダメージを小さくすることができたという議論もある。アメリカでもそういう議論がなされているのを聞いたことがあるが、そういうのは政府がすべきことであって、学者のすることではないと思う。

あと、なんだからわからないけど、この話に絡んで「ルーカス批判」に対する批判も目にした。「ルーカス批判」なんてコロナの文脈で経済学者の誰かが口にしたのであろうか。「ルーカス批判」について批判するのはかっこいいかもしれないけれども、ピントがずれていると思う。コロナについてある政策を実施したときに、家計や企業がその政策の効果を打ち消す方向で行う行動が、コロナの文脈で重要だろうか?個人的にはたいして重要ではないと思うし、そんなことを強調しているモデルも見覚えがない。

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