最適課税理論(Optimal Taxation Theory)に関するMankiw, Weinzierl, and Yagan (JEP2009)によるサーベイのまとめ。最適課税理論に関するサーベイはいろいろあるけれども、最適課税理論から得られる教訓を整理するだけではく、それらが実際に採用されているかという点にも焦点を当てているのが他と異なりすばらしい。Mankiwらしく理論と実践のバランスの取れたサーベイである。
最適課税理論というのは常にポピュラーな分野だと思う。あるモデルを作って、そのモデルにおける均衡がある基準から評価すると最適ではないときに、課税方法を変更することによって最適な状態に近づけることができるかを考えることは自然なことだと思う。なぜ課税理論であって、一般的な財政政策や金融政策でないかというと、財政政策や金融政策の効果はモデルの組み方によって大きく異なりうる、つまり普遍性の高い議論がしにくい(特に、どうして貨幣を保有するかについて経済学者の間でも意見が一致していない金融政策においてそれは顕著である)一方、課税方法がインセンティブにどのような影響を与え、それを通じて経済全体の効率性や公平性にどのような影響を与えるかについては、経済学者の間で意見の相違があまりないことが大きいと思う。その他の財政政策(特に教育支出や失業保険に関する政策)の最適理論については、最近研究が蓄積されているが、これからもっと発展していくのではないかと思う。
本題に戻ろう。このサーベイは、最適課税理論から得られた教訓8個を並べ、それらが現実にどの程度採用されているかをひとつずつ見ていくという形式をとっている。以下では同じ形式に則る。
1.最適な限界税率曲線(収入レベルに応じた限界税率をあらわす)は「能力」の分布度合いによって異なる。課税理論において最も重要なトレードオフは、他の多くの経済問題と同じく、「効率」と「公平」である。労働収入に対する課税を考えてみよう。一般的に、税率を高くすればするほど、働く意欲や能力を向上して収入を上げる意欲を削ぐことで効率が損なわれる。一方、税収を増やせばそれだけ低収入の人に補助金を支給することができ、公平の面で改善することができる。能力(生産性と考えても差し支えない)が異なる人が存在している場合、異なる能力の人の税率をあげたときの効率と公平への影響は異なる。但し、この教訓は一般的過ぎるので、現実に適用されているか評価するのは難しいと筆者らは述べている。
2.高収入の人に対する最適限界税率は下がる可能性がある。この教訓は一見おかしいように見えるかもしれない。高収入の人に対する税率は上げていくほうが公平性を改善できるからだ。なぜこのような結果が得られるのか。収入が最高に高い人を見てみよう。その人より収入が高い人はいないので、最高の収入における限界税率を上げたところで税収は増えない。その一方、最高収入の人は限界税率が上がることで働く意欲をそがれるだろう。つまり、この教訓は、最高収入の人唯一人にのみ当てはまる、頭の体操のようなものなのだ。実際、この教訓は、モデルにおける仮定に強く依存することが知られている。では、この教訓は実践されているだろうか。驚くべきことに、ほとんどのOECD諸国において最高限界税率は下がってきている。OECD 諸国の平均最高限界税率は1984年には80%程度だったのが、2007年には60%程度まで低下した。
3.一律税率(でいいのだろうか、Flat taxのことである)と一律補助金(Lump-sum Transfer)の組み合わせが最適課税に近い可能性がある。一律補助金は置いておくとして、OECD諸国において税率はフラットに近づいてきている。言い方を変えれば、累進性(progressivity)の度合いが下がってきている。過去25年の間に、OECDの中の14カ国のうち9カ国で累進性が低下した。つまり、高所得の人の限界税率と低所得の人の限界税率が近づいてきている。OECD14カ国の平均では、平均所得の2.5倍稼いでいる人の限界税率と平均所得の2/3稼いでいる人の限界税率の差は1981年から2006年の間に4.5%低下した。
4.最適な再配分の度合いは賃金格差とともに拡大する。賃金格差が拡大すれば同じレベルの税引き後所得格差を維持するためには税の再配分機能を高める必要があるので、この教訓は自然である。OECD諸国のデータによると、11か国中9カ国で、収入格差が上昇したときには税の再配分機能が強まった。
5.税率は収入だけではなくて個々人の特徴(学歴、IQ、年齢、性別、背の高さ、肌の色、人種、等)に依存するのが最適である。これには二つの理由を挙げることができる。一つは、税率は収入ではなくて能力に依存させるのが望ましいが、収入は能力に関する不完全なシグナルだということである。よって、能力と相関の高い他の特徴(学歴や背の高さ!)にも税率を依存させることで、税率と能力のリンクをより強めることができる。もう一つは、人によって、税引き後の賃金が下がった際の労働時間の反応(elasticity)が異なる場合である。税率にかかわらず同じ時間働く人(low labor supply elasticity)は税率を上げても労働時間があまり減少しないので労働投入量をあまり変えずに税収を増やすことができる一方、労働時間が税率に敏感に反応する人(high labor supply elasticity)の税率は上げない方が望ましい。現実にはどうであろうか。ある程度は、個々人の特長によって税率は異なっている。ほとんどの国で子供のいる人や障害のある人の実質税率は低くなるように設定されている。但し、最適課税理論が推奨するレベルまで個々人の特徴に応じて税率が調整されているとは言いがたい。一般的に、生まれたときからのもので個々人がコントロールできない特徴(性別や肌の色、人種(ある程度はコントロールできるが))に応じて税率を変えるということは社会的に受け入れられにくいようだ。一つ面白い例は、年齢だ。シンガポール、オーストラリア、U.S.では高齢者の税率は低くなっている。しかし、最適課税理論から導き出されるほどの微調整は行われていない。
6.最終消費財のみ課税されるべきである。そして、税率は一律であるべきだ。前者はDiamond and Mirrlees (1971)の有名な結論、後者はAtkinson and Stiglitzの有名な結論である。VAT (Value Added Tax)はこの教訓に基づいている課税方式である。OECDの3カ国において、1976年には12カ国だけがVATを採用していたが、2004年にはU.S.を除く29カ国においてVATは主要な地位を占めている。しかも、VATを採用し続けている国においてVATの重要性は上がってきている。1976年には平均して税収の16%がVATからきていたが、その割合は2004年には20%まで上昇している。多くの国において食料のような生活必需品はVATが免除になっているケースが多い一方、ある特定の商品にかけられる物品税(タバコ税や酒税のようなもの)の相対的な重要性は低下してきている。後者は、一律税率の原則に沿う動きである。
7.資本所得(capital income)に課税してはいけない。これは、有名なChamley-Juddの教訓(Zero Optimal Capital Income Taxation)である。この結果は次の三つの方法で解釈することができる。(1)資本所得への課税は、貯蓄への課税と同じである。つまり、資本収入に課税することは資本蓄積を阻害し、将来にわたる生産力を減退させる。(2)貯蓄は将来の消費に使われるので、貯蓄への課税は将来の消費に対する課税を同じである。現在の消費に課税せずに将来の消費に課税するのは一律課税原則に反する。しかも、先の将来に行けば行くほど雪達磨式に課税額が増えていくので、一律課税原則に2重の意味で反している。(3)資本は生産のための中間財としても捕らえられるので、資本収入への課税は中間財への課税と同じことであり、最終消費財のみ課税すべきという原則に反する。現実にはどうだろう。OECD諸国の法人所得税率をみると、1980年代には50%程度だったものが、2007年には30%以下まで下がってきている。その一方、税率だけではなくて、全体でいくら資本所得が課税されているかというデータを見ると、資本所得課税は強化されているという結果もあり、なんともいえない。一つ言えるのは、最適課税理論で最適とされる税率(0%!)と現実は大きく異なるというものである。
8.長期的な課税方法を考えた場合、最適課税は、過去の収入の歴史や現在の資産レベルに依存し、それらが労働収入と資本収入に対する課税方法に与える影響は単純ではない。この教訓は、現在最先端の動的最適課税理論(Dynamic Optimal Taxation Theory)に関連している。上であげた7つの教訓の内の多くは、Mirrleesの静的モデルに基づいているが、動的最適課税理論はそのフレームワークを文字通り動的なものに拡張したものであり、現在のマクロ経済学の最先端の分野の一つである。一方まだこの分野は日が浅いので、理論から得られる教訓も多くはあいまいで、現実との整合性を考えられるステージに達していない。一つ例を挙げると、この理論から、障害保険(Disability Insurance)は資産がある一定レベルに達している人にのみ与えるべきだという教訓が導き出される。この教訓はOECDの10カ国のうち3カ国でしか実施されていない。
最初にも書いたが、理論と実践のバランスが取れているという意味で、このサーベイはとても優れていると思う。JEPのお手本のような論文である。最新の動的最適課税理論の部分が弱かったのが残念だが、このことは、この理論がまだ若いことの裏返しだろう。今流行りの分野の一つではあるがこの分野の評価が固まるのはまだまだ先のようだ。
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