Inflation and Redistribution

この調子では週に1-2個のエントリという目標を達成するのは難しそうだ。1月の後半にかけてスピードを上げないと。

今回は、既に少し古い論文なんだけれども、最近関連する論文の発表を聞く機会があったので、Doepke and Schneider(JPE2006)と関連する論文をまとめてみる。この論文は、一言で言うと、予想されなかったインフレによって得する人と損する人をデータから整理して、突然インフレ率がこの先10年5%上がった際、得する人と損する人が実際どのくらい得あるいは損するのか計算してみた論文である。インフレが異なる主体にどのように異なる影響を与えるか、というのは、閉鎖経済でのrepresentative agentとして国をモデル化する場合完全に無視されている要素であるが、その危険性を指摘した論文とも言えよう。

予想していなかったインフレが突然起こったとしよう。誰が得するのであろうか?いわゆる名目の債務を持っている人である。一番多いのは住宅ローンをはじめとする債務である。アメリカでいえば住宅ローンはドル建てなので、インフレが起こってドルの価値が下がれば債務の価値も下がる(よって得をする)ことになる。ドル建ての国債(インフレによって価値が調整されないものに限定する)を発行している政府も国債による債務の価値が下がるのでインフレによって得をする。企業は考えない。企業の資産と負債は間接的に家計や政府によって保有されていると考える。

一方、誰が損をするのか。名目資産を保有している人である。退職に備えて年金に入っている人たちは、年金基金が国債などのドル建ての名目資産に投資していれば、間接的に名目の債権を保有していることになる。外国(「外国」の中身はここでは考えない)も国債などを保有しているので、国債の価値が下がることで損をするであろう。

一般的にインフレは債権者から債務者への所得移転だといわれている話の精緻化である。

では、インフレによって影響を受けない資産(実質資産)とは何であろうか?最もわかりやすい例は家である。家は実質資産なので、予想されなかったインフレが起きればそれにあわせてドル建ての価格が調整されるであろう。

Doepke and Schneiderは、注意深くそれぞれの主体がどれだけの名目資産・負債と実質資産を持っているか、を計算した。彼らの計算によると、1989年において、政府はGDP比で約40%の名目負債を持っている。家計全体では30%程度の名目資産を持っている。諸外国は10%程度の名目資産を持っている。

さらに、家計の内訳を見てみよう。よいデータのある年の一つである1989年を見てみると、名目負債を多く持つ家計は若い家計と総資産の多くない家計である。どちらのグループも住宅ローンをはじめとする名目債務を多く主有しているからである。逆に、名目資産を多く所有するのはどのような家計か?高齢の家計と比較的資産の多い家計である。これらの家計は年金を通じて多くの名目資産に投資している。

ここまで書けば、彼らの実験によって何が得られるかは明らかであろう。前に書いたように、突然インフレ率がこの先10年5%上がったとする。ルーズに書くが、各主体がすぐにインフレに対応する準備ができていればこのインフレの効果は非常に小さくなるのは当然なので、ぜんぜん準備ができていないところにこのショックが起こったと仮定する(Doepke and SchneiderのいうところのFull Surprise scenarioである)。別の言い方をすれば、予想されなかったインフレによる効果の上限(upperbound)を計算していると考えればよい。このショックによって政府はGDP比で13%も得をする。逆に外国は5%損をする。家計全体では7%損をする。但し、前に述べたように、家計の中に勝ち組と負け組みが存在する。勝ち組は合計で8%も得をする。負け組みは合計で15%も損をする。もう少し具体的に書くと、大きく勝つのは35歳以下の中流家庭である。これらの家計がもっとも大きな名目債務を持っているからである。資産の少ない家計は大きな債務すらもてない(家を持っていない家計が多い)ので、あまり恩恵に蒙れないのは面白いところである。大きく負けるのは66-75歳の家計および、資産を大量に保有する家計である。

Doepke and Schneiderはもう一つ面白い実験を行っている。2001年のデータでは、インフレーションの再配分効果は1989年とどのように異なるであろうか?2001年には、政府の名目債務はGDP比で30%程度まで減り、家計合計では名目資産が10%程度に減っている。逆に、外国が保有する名目資産は20%近くまで増えている。この変化はインフレの所得再配分効果にどのような影響を与えるであろうか?政府は債務が小さくなったのでインフレによる得の幅が小さくなり(GDP比で13%から11%に減る)、家計の損は小さく(GDP比で7%から1%)なる。一方、インフレによる外国の損は大きくなる(5%から8%に上がる)。2001年以降のように、外国が資産を多く持っている状況では、インフレによって外国から大きな所得移転が見込めるのである。

この論文は当初から非常に反響が大きかった論文で、当然のようにトップジャーナルのJPEに行ったのだけれども、その後、関連する論文がたくさん書かれたかというとそうでもない気がする。なぜだろう。今すぐ思いつく理由を3つあげる。一つはまだ日が浅いというのが理由だろう。二つ目は、予想されなかった10年続く5%のインフレというのはアメリカを含む多くの先進国においては非常に大きなものである。もう少し現実的な(例えば1年間1%)インフレでは、効果は微々たるものでしかないであろう。トルコや南米諸国の研究にはいいけれども。もう一つの理由としては、マクロでインフレーションの効果を研究する研究者たちは、representative agentのフレームワークしか扱わない人が多いので、このような効果を研究するのは難しいことがあげられると思う。

とはいえ、いくつか、面白いフォローアップがある。Doepke and Schneider(WP2006)は、JPEの論文のフォローアップを書いている。この論文では、カリブレートされたOLGモデルを使って予想されなかったインフレショックがどのようなマクロ的影響を持つかを分析している。インフレショックが起こった場合の、主要な反応は以下の4つである。
1.インフレの所得再配分効果は大きい。
2.総労働投入量は下がる。インフレからもっとも恩恵を蒙る若い家計が、所得効果で、労働時間を減らすからだ。インフレによって負の所得効果を受ける高齢の家計は既にretireしている家計が多いので、若い家計が労働時間を減らす効果を打ち消すことはない。
3.資本(capital stock)は増加する。若い家計はインフレによって増えた資産の多くを将来に回すため(将来の消費も増やすため)貯蓄を増やすからだ。
4.2と3の結果としてGDPは減少するが、1の効果の方が強いため、total welfare effectは正となる。

Meh, Rios-Rull, and Terajima(WP2008)は、インフレの所得再配分効果の強さは金融政策のレジームによって大きく異なることを示した。Inflation targeting (IT)のもとで、10%のインフレが突然起こった場合、そのインフレが価格のレベルに与える効果は恒久的である。その一方、Price level targeting (PT)のもとでは、10%のインフレが突然起こった場合、それによって上がった価格レベルをターゲットに戻すために、価格レベルの上昇は一時的なものでしかない。この2つのレジームを比較すると、ITのもとでの方が予想されなかったインフレの所得再配分効果が高いのは明らかであろう。

最後に、Doepke and Schneiderの主張する効果は本当に存在するのか、という疑問がある。この質問に答えるべく、予想されなかったインフレとさまざまな家計の消費(所得再配分効果で得をした家計は消費が増えるので、消費は所得再配分効果のproxyとして使える)の相関を見てみたところ、どの家計も予測されなかったインフレが起こったときには消費が増えている(つまり、Doepke and Schneiderの主張する所得再配分効果の違いは消費のデータからは見られない)という結果を示した論文でjob marketに出ている学生がいるが、それについては、また後日詳細を書くかもしれない。

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