More on Fiscal Multiplier

最近のEconomistでも書かれていたが、経済学者間の間で合意が形成されていない問題はいくつもある。その中でしばしば注目されるのは、財政政策の効果と、金融政策の効果であろう。にも(何度も)書いたけれども、アメリカにおいてGreat Recessionと呼ばれた大規模な経済停滞、イギリスで実施に移されつつある大規模な財政引締めを受けて、財政政策の効果についてはさまざまな議論がなされている。

財政政策の効果という問題は四重の意味で難しい。一つには、例えば財政支出を拡大したときにGDPがどのように反応するか(Fiscal Multiplier)の大きさについて、経済学者の間で意見が一致していない(Barroのようにゼロ(つまり財政政策にGDPを引き上げる効果はない)という人もいる一方、Christina Romerは1.6(つまり、1ドル財政支出を増やせばGDPは1.6ドル増加する)という高い数字を信じているようだ)。二つには、長期的なGDPの反応は短期的な反応と異なりうるということだ。動学的なモデルを使わないとこのような視点からの分析は困難である。また、Fiscal Multiplierが短期と長期で大きく異なる可能性についてはUhligのペーパーを紹介したときに論じた。三つ目は、GDPの上昇自体に意味があるわけではないということだ。最終的には、経済政策の効果はsocial welfare(社会全体の幸福度と言っておく)で測られなければならない。GDPが使われるのは、一般的に、GDPが増えれば平均的な幸福度も上昇しているだろうと暗黙に想定されていること、および、GDPの方がはるかに計測しやすいことが挙げられる。但し、welfareとGDPの正の関係が常に正しいわけではない。また、きちんとしたwelfareの分析のためには、DSGEモデルなどをはじめとする現代のマクロモデルを使わなければならない。四つ目には、財政政策(に限らずあらゆる政策)は異なる人々に異なる効果を持ちうることである。このような効果を分析するためには単純なDSGEモデルに留まっていてはだめで、異なる人々を明示的に考慮したモデルを使わなければならない。

今回簡単に紹介する論文(Ilzetzki, Mendoza, and Vegh, "How big (small?) are fiscal multipliers?," NBER WP2010)は(長期及び短期の)Fiscal Multiplierを、多くの国の四半期データを使って推定したというのが売りである。Fiscal Multiplierの推定には、大体の場合一カ国のデータのみが用いられているが、彼らは44カ国のデータを使うことによって、より大きなサンプルを使って財政政策の効果が推定できている。さらに、国ごとの特徴と推定されたFiscal Multiplierの大きさの関係を分析することによって、どのような特徴がFiscal Multiplierの大きさに影響を与えるか(どんな国でFiscal Multiplierが大きいか、あるいは小さいか)を論じることができる。

彼らの推定結果を紹介する前に、四半期データがなぜ重要かについて、良くできたまとめをしているので紹介しておこう。

Fiscal Multiplierの推定が難しいのは(一般的にReduced form modelを使ったどんな推定にも言えることだが)、(1)GDPが増えたから(あるいはGDPが増える要因となったショックによって)政府支出が増加した、というチャンネルと、(2)政府支出が増加したからGDPが増えたというチャンネル(これがFiscal Multiplierによって測りたいものである)の識別が難しいからである。この識別をするために主に次の2つの方法が用いられている。

  1. GDPの変化に対応して政府支出が変化した場合、政府支出は1期遅れて反応すると仮定する。これがVARを使って推定する場合の常套手段である。簡単に書けば、政府支出とGDPが同時に変化した場合は、(2)のチャンネルのみによる((1)のチャンネルは入ってこない)と仮定するのである。
  2. 政府支出がGDPと関係なく増加した例のみを取り上げる。しばしば使われるのは、戦争関連の支出である。このアプローチを使うと、政府支出の拡大はGDPの拡大によって誘発されたものではないのはおそらく異論の余地はないだろうが、アメリカの例で言えばデータがある期間における大幅な戦争関連の財政支出拡大は2回(WWIIとKorean war)しかないことから、このアプローチを使う限り、基本的には、この2つの(ある意味特殊な)財政拡大だけをもとにFiscal Multiplierを計算することになる。更に、戦争関連の財政拡大に基づいて計算されたFiscal Multiplierが経済停滞への対応として発動される財政拡大に使えるか、という疑問もある。

筆者らは、このペーパーではVARを使うのだが、1年1期間のデータを使うのは好ましくないと主張する。例えば、今回のアメリカのrecessionを考えれば、金融セクターの問題が顕在化して以来1年間の間、政府は政府支出を変えなかったという仮定は現実的でないからである。もちろん同じ批判は四半期を1期間としても当てはまるのだが、罪は小さいといえる。

サンプルに含まれる国は44カ国(20の先進国と24の途上国)であるが、これらの国は、四半期ベースでGDPと政府支出のデータが得られる国だ。日本が含まれていないのだが、日本は四半期ベースのデータがないのであろうか。あるいはデータのアクセスが容易でないのであろうか。経済学の発展は理論を常にデータでテストすることに基づいているので、データの整備は経済学の発展にとって欠かせないものである。もし、四半期ベースのデータが存在していないのなら、ぜひ整備して欲しいものである。このような研究に日本のデータが使われないのはとても悲しいことである。

では、彼らの結果を要約していこう。以下では、政府支出が増加したその四半期のGDPの増減を測るFiscal MultiplierをImpact Multiplierと呼び、長期的に合計どれだけの財政支出が増えて、その結果GDPが長期的に合計どれだけ増加したかを測るMultiplierをLong-run Cumulative Multiplierと呼ぶ。

1. 途上国においては、Impact Multiplierはマイナスである(つまり、政府支出が増加したその四半期にはGDPは減少してしまう)。具体的にはImpact Multiplierは-0.21、Long-run Cumulative Multiplierは0.18である。先進国においては、Impact Multiplierは0.37、つまり正であるがとても小さく、Long-run Cumulative Multiplierは0.80である。

2. 変動相場制(Flexible exchange rate)を採用する国と、固定相場制(Fixed exchange rate)を採用する国で別々にFiscal Multiplierを推定した場合、変動相場制を採用する国のMultiplierは基本的にゼロである。固定相場制の国では、Impact Multiplierは小さい(0.09)もののLong-run Cumulative Multiplierは1を超える(1.5)。この結果は単純なマンデル・フレミングモデルと整合的である。

3. 経済の開放度(Openness to Trade)もMultiplierの大きさに影響を与える。開放度が高い国のMultiplierは短期的(Impact Multiplier = -0.28)にも長期的にも(-0.7)マイナスである一方、開放度が低い国のMultiplierは短期的にはゼロだが長期的には1を超える(1.29)。

4. 政府債務の多い(例えば政府債務の対GDP比60%を超える国と超えない国を比べている)国のMultiplierは短期的にはゼロ、長期的にはマイナス(-2.3)である。債務が大きい国ほど、政府支出が増加した場合に、将来の財政引き締めによる債務の削減が強く意識されるので、いわゆるRicardian Equivalenceが成り立つ状態に近くなる、というストーリーが考えられる。

5. これらの結果は政府支出の中でも消費(Government Consumption)に着目しているが、政府の投資(Government Investment)に関するMultiplierもGovernment Consumpitonに関するMultiplierと大まかに言って同じような特徴を示している。

これらの結果を元に、筆者らは、今後経済の開放化がさらに進み、少子化、高齢化の影響で政府債務がさらに拡大していくことが予想される場合、財政支出がGDPに与える効果は今後どんどん小さくなっていくのではという見通しを述べている。

上で書いたとおり日本はこの分析に含まれていないが、2, 3, 4のどの点を考えても、日本のFiscal Multiplierが短期的にも長期的にも大きいとは考えにくいのではないか。政府支出を増やせばGDPは(ほぼ自動的に)増えるというような昔ながらのケインジアン的な考え方はすぐに捨てるべきだと断定するのは時期尚早だとしても、懐疑的な目で見る必要があると思う。

(11/2 加筆+間違い等を修正)

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