Tragedy of International Economics

ポスト数稼ぎのため、いつもと趣向を変えて、エッセー風に書いてみる。

ちょくちょく読ませていただいている(というか日本語では唯一読ませていただいている)himaginaryさんがなぜ国際マクロ経済学者はよりケインジアンになるのかと書いていた。このことについて100%個人的な見解を書いてみたい。この見解は国際経済学をやってる友人からインスパイアされたものである。

普通のマクロ経済学と国際(マクロ)経済学の一番大きな違いは、「価格」を無視できる幸運に恵まれたかということにあると思う。

(国際でない)マクロ経済学において最も重要な変数は何かと聞かれれば多くの人は「(一人当たり)GDP」と答えるであろう。これは、「数量」変数である。他に重要な変数として挙げられるものとして、消費、労働供給、雇用、などがあると思うが、これらは皆数量である。つまり、マクロ経済学において重要なのは「数量」なのである。

一方、1980年代以降のマクロ経済学の発展(発展と認めない人も多いみたいだけれども)に大きく寄与したRBCモデルの重要な要素として、「価格」を捨てて「数量」に特化したということがいえると思う。現在の標準的なマクロモデルの礎となったRBCモデルは(非常に大雑把に言って)財を1つにすることによって、「価格」を脇役にする(財が1つだと価格もへったくれもない)ことで成功を収めという面があると思う。なぜか価格を脇役にするとうまくいくのか。それは、「数量」の動きは「価格」の動きに比べてモデルで再現しやすいからである。

ところで、マクロ経済学において重要な変数として物価(貨幣の価格)も挙げられる。しかし、特殊な財である貨幣をどのように導入するすべきかについては、現時点でも経済学者の間で合意を見ていない。RBCのうまかったところは、貨幣のような、経済学者間で合意の得られていない要素を捨象したこともあると思う。貨幣を捨象すれば、物価も無視できるので、一石二鳥である。RBCが発展した1980年代以降は物価が安定して、物価をモデルの中心にすえなくてもよかったことも幸運だったと思う。付け加えておくと、RBCモデルでは貨幣を導入することをまったく受け付けなかったわけではないと思う。RBCモデルを使った有名な結論として、「景気循環の2/3はTFPショックで説明できる」というものがあるが、このことは、裏を返せば、シンプルなモデルでは捨象された名目的(貨幣的)要素が残り1/3を説明できるかもしれないともいえるのである。

もっとも、Prescottなどは、もちろん、モデルがさまざまな「価格」をうまく捕らえられないことは認識していないはずがない。Equity Premium Puzzleは、RBCモデルの発展のコインの裏側ともいえると思う。

一方、国際(マクロ)経済学で最も重要な変数は何かと聞かれれば、少なくない人が「為替レート」と答えるのではないか。これは「価格」変数である。しかも、国際経済学においてはどのように為替レート(特に短期)の動きを説明するかという質問に対する答えはまだ最終的には出ていない(と思われる)。つまり、国際経済学というのは、最も重要な変数(不幸にも価格である)を説明する標準的理論が弱い学問なのである。

このような状況下、国際マクロのモデルを作るとしよう。モデルにおいて最も重要な変数である為替レートがうまく現実の為替レートの動きと整合的であるためには、何らかのアドホックな仮定が必要になる。現実との整合性を確保するという現実的(practical)な目的のため、ルーカス批判とかにまったく耐えられない、あまり深くない仮定をおいて突き進むのはまさにケインジアンの特徴である。つまり、言いたいのは、モデルの為替レートを現実とそうかけ離れたものでないようにするために、国際(マクロ)経済学ではケインジアン的なアプローチの採用がやむをえない一方、マクロ経済学はそういう必要性がないという幸運に恵まれてきたのである。

但し、今回のアメリカの景気後退において、住宅価格の動きが重要な要素であったのは皆が認めるところであろう。マクロ経済学は、いまや価格を無視し続けることができない状況にいる。住宅をはじめとする資産価格の動きをうまく説明できるようにモデルを発展させることが現代マクロ経済学の課題のひとつとなっている。

取り止めがない書き方になってしまった。ちょくちょく手直しするかもしれない。

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