Rant: Irrelevance of the Domar's Thorem

最適債務レベルについてのペーパーをレビューしようとしてふと思いついたことを書いてみる。債務の話をする際によく目にするのはドーマー条件というものである。名目GDP成長率が名目金利を上回る限り債務は発散しない(よって債務は維持可能)であるというように使われることが多いようだ。ところが、これは現代のマクロ経済の研究をしている人は使わない言葉の一つだと思う。一時話題になった「非自発的失業」よりも更に時代遅れな言葉だとも言える。では、なぜ、この条件は意味がないのか?理由を考えてみた(あまり考えないで列挙したのでそれぞれダブっている)。
  1. 長期的に一定な金利や成長率という仮定自体がばかげている。
  2. おそらくは、この条件を満たしている政府がデフォルトした例はいくつもあるはず。例えば、この条件をある一定期間満たしていても、経済をあるショックが襲えば、その政府はデフォルトに追い込まれることは十分考えられる。
  3. 「債務が発散」することは実際にはありえず、政府はいつかの時点でデフォルトする。そのような可能性を排除したモデルに意味があるのか?
  4.  成長率も金利も非常に内生的な(もちろん、有名な言葉を借りれば「すべての変数は内生変数」なのだが…)ものであり、それらについての条件が満たされているとか満たされていないとかいったものにどれだけの意味があるのか?
  5.  「発散しない」という条件はあまり重要ではない。より重要なのは、どのような債務レベルが社会的な厚生を最大化するかである。
日本についても、現在の債務水準が維持可能かといった低レベルな議論よりも、 どのような債務のレベル、および債務のダイナミクスが国民にとって望ましいかといった議論をしてもらいたいものだ。

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