著者らは、まずはFRBの最初の100年を次の3つの期間(あるいは4つ)に分類した。
- 1913年の設立から1930年代まで:FRBが設立された背景は金融危機の頻発があり、FRB設立当初の主要な目的は「金融セクターの安定のために必要に応じて流動性を供給する」ことであった。 FRB設立法(Federal Reserve Act)の中では価格の安定、インフレーションあるいは雇用といったことはまったく言及されていなかった。このころのFRBは名目金利の操作だけでなく、預金準備率の調整等も通常のツールとして持っていた。
- 1930年代(特に第2次世界大戦の始まり)から1979年まで:FRBは戦費調達のための財政ファイナンスの支援を行っていた。金利の規制などは資源の非効率的な配分をもたらしたと考えられる一方、1930年代まで頻発していた金融危機は起こらなかった。拡張的な金融政策の継続によって、慢性的なインフレが問題になり、1970年代にはオイルショックをきっかけにして経済はスタグフレーションに陥った。
- 1979年から2007年まで:1980年代初めにインフレを止めた後は、FRBは独立性を維持し、物価の安定と完全雇用の達成という2つの目的を追求してきた。このころは、先進国の経済は金融危機を防ぐ方法をマスターしたという(誤った)考えが支持され、FRBは政策金利の微調整のみを通じて2つの目的をバランスよく達成することに注力していった。
- 2007年以降:2007年以降FRBは再び金融危機への対応に追われたが、この期間がGreat Moderationの時代と異なる新しい期間の幕開けになるかはまだわからない。
- もしFRBが物価(およびマクロ経済)の安定という目的と、金融システムの安定という2つの大きな目的を同時に達成しなければならないとしたら、政策金利の調整という1つのツールではツールが足りないかもしれない。今では「時代遅れ」のように考えられている預金準備率やmargin requirementの調整といったツールに再び目を向けてもいいのではないか。
- 消費者への貸し出し額の伸び率が大きくマイナスになったのはFRBの設立以降4回(1930-33年、1938年、1942-43年、2009年)しかない。信用の収縮に対応するためには、上で挙げたようなツールがより有効となるかもしれない。
- Great Moderationのころは、金融システムは危機とかとは無縁で円滑に機能するという仮定の下にモデルが作られてきたが、今後は、金融危機で明らかになった金融セクターのさまざまな摩擦、および金融危機の結果実施されることになったさまざまな規制を明示的に取り込んだモデルが必要とされるだろう。
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