A Critical Review: Economics of Education

しばらく日本に帰っていた。いくつかマクロ関係のイベントに顔を出させてもらったが、マクロの若手(なんてえらそうなことをいえる立場でもないのだけれども)の層がだんだん厚くなってきているように見えて、うれしい限りである。ただ、皆論文執筆に忙しいので、目に付くところにはこういう人たちは現れず、そもそもちゃんとした経済学のトレーニングを積んでいない人か、マクロ専門でない人が、マクロについて語っているのは残念だけれどもしょうがない。

日本に帰ると、面白そうな経済学の本を買って帰るのだけれども、 今回は中室牧子さんの「「学力」の経済学」という本を買って帰った。帯によると、アマゾンのビジネス・経済ランキングにおいて3週連続1位らしい。このようなちゃんとした本が売れているのは、多くの人が関心のあるトピックであるせいか、著者が有名であるせいか、よくわからないけれども、いいことだと思う。

この本の基本的なメッセージは、「「エビデンスベース」で教育について考えましょう」ということだ。「エビデンスベース」というのは、データを使って、因果関係の識別に注意をはらって、分析を行なった上で、教育について語りましょう、ということである。最近では、ランダム化比較実験(ある人たちの中でランダムに違う政策を割り当てる人を選び、その違う政策が割り当てられた人のグループと政策が割り当てられなかった人のグループの間でどのような違いが生じるかを分析する手法)が流行っているので、それに力点が置かれている。著者によると、日本の場合、そのような実験が行いにくいこと、実験が行えない場合の次善の策として、データの特徴から識別を考えることになるが、それを行うための基礎的なデータすら入手が困難らしい(まぁ、日本だからそうだろう)。このような本を出すことで、データがより使いやすくなるようになって欲しいという著者の期待もこめられている。ぜひ著者のような人がよりよい実験を行えたり、よりよいデータにアクセスできる環境が整って欲しいものである。この本の中では、データを丁寧に使った上で導かれた、教育に関する様々な最近の研究結果がわかりやすく示されている。たとえば、「ゲームは子供に悪影響か」、「少人数制学級の効果はどのくらいか」、「教師の質を高めるにはどうしたらよいか」といった、特に親であれば興味があると思われる重要な質問について、最新の研究結果を元に、議論がなされている。

と、ここまでポジティブに書いてみたが、読んでいて、結構不満のたまる本であった。経済学の知識があれば多分2時間もあれば読み終えることができる、薄い本であるが、1/3くらい読んだところで、読み続けるか、それとも、レフェリーレポートを書くのに時間を使うか、迷ったほどである。いちおう経済学で飯を食っているので、僕の不満というのは、一般的な読者には当てはまらない、いちゃもんとも呼べるものかも知れないが、いちおう書いておく。

  1. イントロで、大学の期末試験の日におばあちゃんが死んだ(からテストは追試にさせて欲しい)という生徒が多いという話が語られるが、これは何なのか?自分のクラスのデータを取ったと述べているが、こんなものが「データを真剣に見る」ということの例として使われるようだと、大丈夫なの、この人?、と思わざるを得ない。まぁ、読者の気を引くためのものだろうが、もうすこし関連性のある小話は無いものか?それに、このネタはアメリカではもうずっといわれてきた話であり、この話をすごい話のように持ち出されても興ざめだ。加えて、この話は、もっと奥が深い。おばあちゃんを殺さなくても、もっともっともらしい話が使われるようになっていると思う。(証明の難しい)病気だとかである。証明となる書類を強制しても、大学のHealth Centerはいちいちチェックをしたくないので、学生におなかが痛いといわれれば、この生徒は体調が悪いという書類を容易に出してしまう。Independentな機関に行けというと、コストも高いし、コストが出せなくて、本当に体調が悪い学生に余計なコストを強いることになる。この問題は、アメリカの障害保険(Disability Insurance)にも共通する、解決の難しい問題だと思う。
  2. 相関関係と因果関係の区別にいちおう注意を払っているが、もうすこし丁寧に議論したほうがいいのでは?直接の因果関係が無いのに相関が生じる場合の説明が、時々雑な気がする。直接の因果関係なしに相関が生じる場合を例えば3つにケース分けして、「これは第1のケース」みたいに言ってくれたほうが、すっきりすると思う。
  3. 専門の論文を参照する時に、その概要を「ボックス」で紹介しているが、紹介の仕方がとても雑だと思う。まぁ、普通の人は読まないのかもしれないが、ボックスの中できちんと文章で説明したほうが親切なのでは?そうでないと、細かいところは多分わからないと思う。例えば、Fryer, Levitt, List and Sadoff (2012)の場合、「仮説:成果主義は教員の質を高める」とあるが、このペーパーの肝は、ボーナスを先に受け取って一定の成果が達成されなかったときにボーナスを失うケースと、成果が達成されて始めてボーナスを受け取るケースで差が生じるか(実際生じた)というケースの比較なので、この「仮説」はかなり雑な「仮説」だと思う。
  4. 親が言わないと子供が勉強しない理由として、「双曲割引」が使われているが、本当にプレゼント・バイアスなのか?もしかしたら単に子供は教育の効果を知らないだけなのかもしれない。実際、後で、教育の効果を説明されると勉強するようになるというような例が挙げられているが、このことは、子供が勉強しない理由はプレゼント・バイアスではなくて、情報の問題であることを示唆しているのでは?先のことを考えていないような行動は何も考えず双曲割引で説明する(ように見える)のはなんだかなぁという感じである。
  5. 著者も、たびたび注意書きをしているが、日本の母親が「子供の努力をお金で引き出していいのか?」と聞いたり、「学力を向上させる、費用対効果の高い政策は何か」を知りたい時に、アメリカ(前者))や、マダガスカルやケニア(後者)の研究を元に言い切っていいのか?僕が親だったら、この本に書いてあるアドバイスはそのままは信じないし、友人にも、この本に書いてあることを鵜呑みにするなとアドバイスすると思う。子供がどう反応するかなんて、国民性、生活環境、性格、によってぜんぜん違うものなのでは。それに、アメリカと日本ではお金に対する態度が異なるという研究結果もある。もちろん歯切れがよいと売りやすいんだろうが、教育のような重要な問題で、一般の人にも読まれるのだから、もう少し慎重な書き方が必要では?
  6. このポイントとも関係するが、もう少しいろいろな研究を網羅できなかったか?僕は教育なんてぜんぜん専門ではないけれども、(著者も多く貢献している日本に関する研究を除いて)この本で触れられた研究の多くは聞いたことくらいはあった。もっと、他の国でなされた追試実験などについていろいろカバーしたほうがよかったのでは。
  7. 上で書いたこととかぶるし、著者も述べているが、おそらくは、学校の改善等、政策で何とかなるのは学力のうちほんの一部である。それに、それぞれの子供がどう反応するかは大きく異なると思う。平均的に、「子供の学習時間を増やすのは重要だが、そのためには親だけでなくほかの人の力も借りて問題は無い」といわれたところで、多分、このステートメントがどのくらい正しいかは子供の特性や家庭環境に大きく左右されるであろうから、このことを、一般向けの書で、絶対的な真実のように書いてもいいのか。
  8. 日本の公的教育支出が過去20年くらいの間に20%以上減少したと書かれているが、子供数が減っているので、その分を割り引かないとフェアではない。それに、もしかしたら日本の場合、私的教育支出の割合が高いのかもしれない。その場合親の経済力で教育にかけられるお金が大きく左右される可能性があるので公平性という意味では問題があるかもしれないが、教育を民間セクターに委ねた方が効果的かもしれないなので、教育支出が公的なものから私的なものへシフトすることは必ずしも悪いことではないのでは。この場合、「こども手当て」のような直接的な移転で所得が低い家庭を支援すればよいのだ。
  9. この本では「こども手当て」のような直接的な移転はあまり効果的でないと議論されているが、このことも、教育システム、などに依存する(ので分析には注意が必要である)ことの例であると思う。
  10. 勉強からは直接得られない非認知能力が将来の所得に大きく影響することが研究からわかっているので「目の前の定期試験のために、部活や生徒会をやめさせることには慎重であるべき」と述べているが、いかにも、勉強では非認知能力が鍛えられない二分法のようなステートメントである。著者が重要と述べる非認知能力のひとつである「やりぬく力」なんてものは、試験のための勉強からも鍛えられる気がするが?
  11. 世代内の平等と世代間の平等のトレードオフの例として、「ゆとり世代」が前後の世代との競争でハンディを背負わされていることがあげられているが、これはわけがわからない。(「ゆとり教育」が失敗だったと仮定すると)このことは、単に、「ゆとり世代」に実施された改革が失敗しただけであり、世代内の平等を優先したがたために世代間の平等が損なわれたというような例ではぜんぜんない。面白い視点だろ思うが、例は完全にずれていると思う。
とりあえず覚えているのはこのくらいだ。これだけ書いて言うのもなんだけれども、エビデンスベースの議論の重要性、およびデータ整備の重要性が、多くの人に知られるように、売れて欲しい本だ。

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