最初に断っておくと、僕は理論に詳しいわけではないので、今回のエントリは理解が不十分なところがあるので、間違っていたら教えてもらえるとうれしい。
では、いってみる。先進国の多くがゼロ金利制約に引っかかって以来、様々な非伝統的金融政策が試されてているが、次の言葉を初めて聞いた時に面白いと思ったことを覚えている。
「QE(Quantitative Easing)は理論上効かないはずなのに、現実では効果がある。Forward Guidance(以下FGと書く)は理論上とても効果的なはずなのに、現実では効果がないみたいだ。」
理論上~、現実では~、というのは経済学者がよく使うフレーズなんだけれども、このコントラストは面白い思ったことを覚えている。前半のQEのくだりはバーナンキが使ったことで有名になったフレーズであり、後半のFGは、最初に誰が言ったか知らないけれども最近ではセントルイス連銀のブラード総裁が使っていた。
QEについては、QEが始まったころは、短期の国債を新たなマネーで買うという形だったので、金利がゼロ(ゼロ金利制約下だと)だと、金利ゼロで安全な資産を、金利ゼロで安全な資産を使って購入するという、同じものの交換になってしまっており、そんな交換は理論上効果があるはずはないという話であった。もちろん、理論的なモデルを改善して、現実的にQEに効果があるように見える状況に合わせる試みは行われてきており、基本的には、マーケットに参加できない人がいることでマネーの市場と国債の市場の裁定が完全に行われないようなモデルが使われているように思われる。
今回フォーカスするのは、FGの方である。FGは理論上、もっと詳しく言えばニューケインジアンモデル(以下、NKモデルと書く)の中では、とても強い効果があるはずである。これは、簡単にいうと、昔のマクロモデルと違って、NKモデルにおいては、金利やインフレ率などに関する将来の予測に基づいて現在の経済主体の行動が決まるので、将来金利が長期的に低いと知っていれば、現在の行動に大きな影響を与えられるからである。でも、現実においては、FGを実施しても、急に経済主体の行動が変わって、景気に強い影響を与えられているようには見えない。このことは、Forward Guidance Puzzle(FGに関するパズル)と呼ばれてきている。
FGパズルについては、いくつもの解決法が提示されてきている。
1. Del Negro, Giannoni, Patterson("Forward Guidance Puzzle")のNY連銀グループは、NKモデルに、ライフサイクルモデルのような要素を入れると、FGの効果が弱まると主張している。まぁ、当然だけれども、経済内の消費者が、ある確率で死ぬと仮定すると、その分将来のことを気にしなくなるので、FGの効果が弱まるのである。ある意味、NKモデルを期待の役割がない昔のマクロモデルに戻すようなものである。極端に、今日死ぬ確率を100%にすると、期待の果たす役割もなくなって、昔ながらのモデルに逆戻りする(そしてFGの役割もゼロになる)。
2. McKay, Nakamura, Steinsson("The Power of Forward Guidance Revisited")は、普通のNKモデルのように代表的個人を仮定せずに、不完備市場を仮定することで、借り入れ制約に引っかかっているような消費者が存在するモデルを使うと、借り入れ制約に引っかかっている消費者は、FGの結果消費を増やしたいと思っても借り入れ制約のせいで増やせないので、FGの効果は弱くなることを示した。とても面白い(からAERに行くのだろう)アイデアだと思う。
これらの解決方法に共通なのは、中央銀行が将来の制約について約束(コミット)できると仮定していることである。とはいえ、アメリカのFRBは年に8回FOMCを開くので、過去に何か約束したとしても、未来のFOMCでやっぱやめたといって別の政策を選べば終わりである。日本銀行においても、金融政策決定会合は年に8回ある。
ちょっと脱線するが、インフレ率を2年間で2%まで引き上げるとかいう実現できない約束を「コミット」したり、市場を驚かすようなサプライズをちょくちょく実施したりすると、将来の政策に「コミット」したところで、信用されないのが普通のような気がする。
理論上(NKモデルにおいて)FGの効果が強いのは、コミットメント能力がとても強いからだともいえるので、例えば、中央銀行がある政策にコミットしても時々政策を変更できるようなモデルを作れば、FGの効果は弱まる、というような研究もあるようだ。
ここまでが前置きなんだけれども、最近見た、シカゴ連銀のMarco Bassettoの論文"Forward Guidance: Communication, Commitment, or Both?"という論文は、そもそも中央銀行のコミットメント能力を仮定しない時に、FGは効果的となりうるか、というより根本的な質問について分析したものである。彼の分析では、そもそもコミットメントが仮定されず、FGは中央銀行が民間経済主体に対して行うチープトーク(コストなしで民間主体にメッセージを伝達すること)としてモデル化される。FG自体は、実体経済に何の影響も与えない。このような状況下だと、FGの効果は以下のようになる。
(a) 中央銀行と民間経済主体の間に情報の非対称性がない場合は、FGは効果がない。
(b) 情報に非対称性がある場合(現実的には、中央銀行が、実体経済について、民間経済主体が知らない何らかの情報を知っているケース)でも、中央銀行と民間経済主体の選好が同じであれば(いわゆる民間経済主体の厚生を最大化する中央銀行の場合)、中央銀行は、自分が知っている情報を公開すれば、民間経済主体はそれを信用するので、それで終わりである。これは狭い意味でのFG(将来の政策についてメッセージを発する)ではない。
(c) とはいえ、例えば、良い均衡と悪い均衡があって、FGに期待のコーディネーションの役割があれば、FGが経済を良い均衡にとどめるようなモデルもできる。この場合、FGがあることで、均衡の集合が変わるわけではないので、FGの役割は本質的(essential)ではないといえる。コーディネーションを行うために特に将来の政策についてのアナウンスが必要なわけではない。太陽の黒点でもよい。
(d) 彼によると「面白い」ケースは、中央銀行と民間経済主体の選好が異なり(例えば、中央銀行は完全雇用の達成のためにちょっと位インフレ率が高くなって、民間主体が被害をこうむってもよいと考えているようなケースが考えられると思う)、中央銀行のそのような選好について情報の非対称性がある(民間経済主体が中央銀行のそのような選好についてわかっていない)ケースである。この場合、中央銀行は、将来の政策をアナウンスすることで、民間経済主体に、自分の選好に関する情報を伝えることができ、民間経済主体が(将来の金融政策についてよりよい情報を持っているので)よりよい決定を下すのに有効になる。民間経済主体と中央銀行は、経済の状況について同じ情報を持っているので、ある将来の政策がアナウンスされた場合、民間経済主体は、中央銀行の選好について正しく推測することができるのだ。
個人的には、中央銀行が民間経済主体の厚生を最大化していないという仮定がどのくらい妥当なものなのか良くわからないのだけれども、FGについてはそもそも皆良くわかっていないという状況なので、こういう基本的な理解を深めてくれる論文に価値があるのだろう。
また日本に戻ると、日本銀行の場合、傍目には行き当たりばったりにいろいろ(サプライズで)試しているという感じなので、FGのような枠組みできちんと分析するのは難しいのではないかという感じがする。
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