- 1885年にマーシャルが教授に就任する前のケンブリッジ経済学部では、経済学は、心理学、論理学、道徳学と同じく、「道徳科学(moral sciences)」の一部であった。「経済学」というものは独立した学問としての地位を確立していなかったといってよい。「政治経済学が倫理学から学ぶものの方が多いか、その逆か」といった問いかけがなされていた。
- マーシャルは1903年に経済学部を独立した学部として確立すると、公平でありつつ実際の社会経済問題に関与する、技術的にすぐれた政策のアドバイザー、としての経済学者の育成に注力するようになる。1927年の財政学の試験では、大英帝国の政府支出の大きさと主要な項目の存在理由が問われた。その他にも、金(金本位制かな)の将来、株主の権利と義務、民主主義に代わる意思決定システム、といった大きな質問について3時間かけてエッセイを書くような試験が行われた。
- マーシャルがどのような経済学者であったかは、ケインズがマーシャルのについてのエッセイの中でよい経済学者について書いた以下の文章が有名である(この文章の訳はこのサイトにあった、ケインズの「人物評伝」の抜粋を使わせてもらった)
- 「経済学の研究は、非常に高度な専門的資質を必要とするものではない。それは、知的見地からいって、哲学や純粋科学などのもっと高度の部門と比較すると、むしろ容易な問題だ、と言えるのではなかろうか。にもかかわらず、すぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類いまれな存在である。やさしいにもかかわらず、これに抜きんでた人のきわめて乏しい学科!このバラドックスの説明は、おそらく、経済学の巨匠はもろもろの才能のまれにみる結合をもたなければならない、ということのうちに見いだされるであろう。経済学者は、ある程度まで、数学者であり、歴史家であり、哲学者でなければならない。彼は記号を理解し、しかも言葉で語り、特殊なものを一般的な形で考え、その思考の過程で、具体的なものにも抽象的なものにも触れなければならない。彼は未来の目的のために、過去に照らして現在を探求しなければならない。人間性や制度のどのような部分も、彼の関心外にあってはならない。彼は、その気質において、目的意識に富むと同時に、公平無私でなければならず、芸術家のように高く飛翔しうるとともに、しかもときには、政治家のように大地に接近していなければならない。」
- マーシャルが進めた、経済学の精緻化は、マーシャルを引き継いで経済学部長になったピグーによって更に推し進められた。例えば、ピグーは、政府の介入が、あるグループから別のグループへの所得移転という役割とは独立に、効率性の観点から正当化できるケースを考え出した。
- ケインズも、総需要の不足を補うという方面から、政府の介入を正当化する理論を開発した。ピグーとケインズはライバルであったが、どちらも、技術的な、公平な観点に基づき、政治とは距離を置きつつも、政府の介入を正当化したという点で共通点があった。
- ケインズは、経済学者が「歯医者のように控えめで有能な人々」となることを主張した。実際、このころのケンブリッジの学生はケインズの一般理論を読破しちゃんと理解したうえで、ケインズが関与している論争についてもきちんと理解していなければならなかった(論争について自分の意見を述べよとテストに出題されたりした)。それに比べ、一昔前は、マーシャルの経済学原論を1年かけて読んで、朝食を食べながらThe Timesを読んで、その後は何をしててもよいという感じだった。
- ピグー・ケインズが活躍した1920-1940年にはケンブリッジ経済学部は経済学の世界の中心であったが、1940年代以降は、アメリカにその地位を奪われた。ケインズ主義への批判が高まったこともその背景にある。その後、再び経済学の主要な考え方は収斂していくが、収斂が起こった時に中心にあるのはケンブリッジでも、アメリカのケンブリッジであった。
- 現在は、大きな考えかたについては意見の収斂が起こっていることから、経済学は大きなアイデアを追求するというよりは、細分化されたフィールドにおいて、データを駆使して、既存のモデルを微調整して、政策についての答えを導き出すというスタイルとなっている。そういう意味では、「歯医者のように控えめで有能な人々」に近づいていっているのかもしれない。
- その一方、細分化された細かい問題に注力することで、大きな問題を忘れているというような批判もある。経済学において政治(プロセス)との相互作用の分析があまり行われていないことが一例として挙げられる。伝統的な立場は、経済学は、政治(プロセス)とは独立したアドバイスを与えることができるというものであるが、政治(プロセス)と経済政策が相互に影響しあう時にもこのような立場でいいのか。また、アメリカおよびイギリスにおいては不平等の度合いが拡大しているが、そのことは、政治的な話であり、(一時的な近似としては)経済学の外側にあるといってしまっていいのか。
- ケインズは歯医者の例を用いたが、どこまで本人がそれを信じていたかは良くわからない。ケインズがマーシャルについて語った文章は、経済学者に歯医者以上の、大きなアイデアを生み出す役割を期待しているようにも見える。
History of Cambridge Economics Department, and Economics Itself
Economist誌の年末合併号(クリスマスと年末の2週間分を1冊でカバーする号)では、ニュースだけでなくさまざまな分野の一般的な話についての長めの記事が掲載される。もちろん、経済学についてのコラムのような記事もいくつか掲載されることが多く、楽しめる。今年は、ケンブリッジ経済学部の変遷と経済学自体の変遷をパラレルに捉えた記事(記事へのリンクはここ)があり、楽しめた。ここでは、その記事で面白かったところだけ、箇条書きで意訳していく。
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