今回は、Jonathan Parkerの"On Measuring the Effects of Fiscal Policy in Recessions," (NBER Working Paper No. 17240)を取り上げる。このペーペーは、これまでの財政乗数(Fiscal Policy Multiplier)の結果を整理した上で、財政乗数の計算がなぜ難しいのか、なぜ経済学者の間で大きく異なる値が主張されるのかを説明する。最後に、財政乗数をより正確に測定するための方法について提案を行って終わっている。最後の提案の部分は、彼自身の最近の研究に基づいている(というか彼の研究の宣伝ともいえる)が、面白い論点だと思う。
なぜ財政乗数の値が重要なのか?財政乗数は、政府による財政支出の拡大や減税がGDP(国民所得)にどのくらいの影響を与えるかを図る指標、言い換えれば政府による財政政策の「効果」をあらわしているからである。特に、アメリカ政府が大不況(Great Recession)への対応として大規模な財政支出拡大を実施したが、それがどのくらい有効だったのかをあらわす指標として財政乗数は重要なのだ。このペーパーでは、現在のような不況期における財政乗数の推定に焦点を当てる。
財政乗数は、具体的には、1ドル財政支出を増やすとGDPがどのくらい増えるかという形で普通は表現される。では、経済学者の間でどのくらい数字がばらついているかというと、Krugmanは1.5、C. Romerは1.6と言う数字を挙げている(乗数効果(政府が支出を増やすと誰かの所得となり、その誰かが消費するとさらにそのほかの人の所得となり・・・と続くことで当初の政府支出の増加分より総所得(GDP)の増加分の方が大きくなるという効果)を強調するケインジアンは普通1以上の値を信じている)一方、Barroは0.8という数字を挙げている。前に取り上げたUhligはせいぜい1、Perottiは0.7という数字を挙げていた。極端な例ではRicardian Equivalenceが成り立つ場合の乗数は0である。別に1より大きいか小さいかが決定的というわけではないが、一般的に1を大きく超えているか超えていないで(オールド)ケインジアンかそれ以外かに分類できると思う。
財政乗数を計算(あるいは推定)するにあたって、現在は2つの方法が用いられている。1つ目は、モデル、特にDSGEモデルを使う方法である。財政支出ショックの入ったモデルを構築し、データを使ってモデルを推定した上で、モデルに財政支出拡大のショック(たとえば1ドル)を入れてみて、モデルが生み出すGDPがそのショックによってどのくらい増えるかを測定するのである。この手法を用いると、もちろん、得られる財政乗数は使用したモデル次第ということになる。極端な言い方をすれば、財政乗数はモデルを使う学者の嗜好の関数になるのである。Parkerは以下の例を挙げている。摩擦のないNeoclassicalモデルを使うと、GDPの上昇は労働供給の増加によって引きこされる。現在の財政支出の増加は将来の増税であり、将来の増税によって生涯所得が減少することが見込まれる家計は労働供給を増やすからである。このようなモデルでは財政乗数の推定値は最大0.5、時にはマイナスにもなる。その一方、New Keynesianモデルでは、財政上数の値はNeoclassicalモデルから得られる値より大きくなることが示されているが、その推定値は普通1以下である。
もうひとつの方法はVAR(Vector Auto Regression)モデルを使う方法である。こっちの方法は、(簡単すぎるくらい)簡単に言えば、モデルは使わずに、過去のデータにおいて、財政支出が1ドル上がった際にGDPがどのくらい増えたかを計算しているだけである。モデルの選択における恣意性は排除できるけれども、この方法はこの方法でいろいろ問題点が指摘されている。とりあえずどのような財政乗数が得られているかだけ見てみると、Hallは0.5から1.0の間だと整理している。
Parkerはこれら両方の財政乗数推定方法に共通する問題点を2つ挙げている。一つ目は、どちらの方法も(一般的には)モデルの線形性を利用しているという点である。DSGEモデルでいえば、均衡を解く最も一般的な方法はモデルを定常状態の周辺で線形近似(あるいは対数をとった後で線形近似)するという方法である。この方法をつかえばモデルは普通簡単に解けるので、モデルに多くのショックやその他の要素を導入することが可能になる。その一方、線形近似をするということは、財政乗数は常に一定、という仮定をおいているということである。言い方を変えると、財政支出を8000億ドル増やしたときに経済に与える影響は1ドル増やしたときの効果を8000億倍したものであるということである。また、財政支出を1ドル増やしたときの効果は好況期の真っ只中においても不況期においても変わらないと仮定しているということである。
もし、モデルを解くための方法(線形近似)が原因だというのであれば、モデルを非線形近似で解けばいいだけのことである。2次や3次の近似は既にDSGEモデルを解く際に一般的に用いられている。しかし、多くの場合(stochastic volatilityや後に述べるようなゼロ金利制約のような最近の事例を除く)、非線形近似で解いた場合の標準的なDSGEモデルの振る舞いは線形近似で解いた場合のモデルの振る舞いと近いことが知られている。つまり、線形性の原因はモデルを解く方法自体にあるのではなくて、モデル自体にあるといえる。
では、線形性は悪いことなのであろうか?Parkerの議論を元に、3つの論点を挙げておく。1つ目は、非線形な振る舞いを許すモデルを作ってデータにどちらがよいか判断させない限り非線形が悪いプロパティなのかはわからない。2つ目としては、好不況のサイクルは、非対称であることが知られている。一般的には、好況は長く、浅い一方、不況は短く、深い。こういうデータの特徴は、非線形な振る舞いをするモデルを求めているのかもしれない。3つ目は、Parkerが強調していることであるが、伝統的なケインジアンは、不況を何らかの理由で資源が効率的に使われていない状態とみなしていた。つまり、伝統的なケインジアンモデルは不況と好況の非対称性を念頭に置いた理論なのである。このようなモデルでは、おそらく、財政乗数は不況期には大きく、好況期には小さい。不況期には財政乗数が高いことを示唆する結果もある。Great Recessionへの対策を考えるにあたっては、このような非対称性も含んだ非線形性を体現するモデルが求められているのではないか。
Parkerは、非線形な振る舞いをするモデルが既に構築されつつあることを指摘している。たとえば、Zero Lower Bound(名目金利がマイナスにならないという仮定)をおいたモデルは、特に金利がゼロに近いところで非線形な振る舞いをする。このようなモデルでは、財政乗数が金利がゼロに近いかそうでないかで異なる(財政乗数が一定ではない)ことが示されている。モデルを解くにあたっても、通常の線形近似ではうまく解くことができない(だから、Perfect foresightのような仮定のもとに解くといったトリックも使われるが、これは王道の解き方ではない)。
話をVARに移すと、VARが線形モデルであることはいうまでもない。つまり、VARモデルを使って計算された財政乗数は経済状況にかかわらず一定である。VARの枠組みの中で線形性を乗り越える試みの例として、ParkerはAuerback and Gorodnichanko (2010)を挙げている。彼らは、経済を2つの異なるVAR の間をスムーズに行き来する過程として捕らえた。2つのVARはそれぞれ線形であるが、2つの異なるVARの間を動くことによって、財政支出がGDPに与える効果は経済状況に応じて変わりうる。彼らは、不況期と好況期においては、財政支出拡大に対してのGDPの反応は異なり、その結果、cumulative multiplier(長期にわたって財政支出拡大がGDPに与える影響を合計した乗数)は不況期では1-1.5である一方、好況期では0-0.5であることを示した。
Parkerが挙げている、Great Recessionにおける財政上数の推定にかかわる問題点の2つ目は、データが少ないということである。もし、財政乗数が不況期で異なるというのであれば、もっとも自然な方法は、不況期のデータだけを用いて財政支出がGDPに与える効果を推定すればよいだけである。その場合、データの数は少なくなる。さらに、深刻な不況のデータだけ使おうとすると、Great DepressionとGreat Recession(それに、1980年代初頭の不況も加えてもいいかもしれない)しかデータがないのである。DSGEモデルに何らかの非線形性を導入して推定する場合にはデータが少ないという問題がよりいっそう深刻になる。非線形性も含め、より複雑なモデルを推定するとなると、パラメーターの数が普通は増える。この場合、パラーメータのよりよい推定のためには、さらに多くのデータが必要とされるのである。
この問題を乗り越える方法はあるだろうか?1つは、各不況期のデータをさまざまな角度から細かく見ることである。モデルを使った分析においては、ここ数年大量に生産されているGreat Recessionがなぜおきたかという点に焦点を当てた論文がこの方法に分類される。これらのペーパーにおいては、Great Recessionの際のさまざまなデータ(金融市場のデータなど)を見ることで、モデルのテスト・推定を行っている。
データが少ないという問題点を乗り越えるためのもうひとつの方法は、多くの国のデータを見ることである。前に紹介したIlzetzki, Mendoza, and Vegh (2010)やPerottiの研究は多くの国を同時に見ることでデータが少ないという問題点を乗り越えようとしている。但し、多くの国を同時に見るときには、各国の財政・金融政策の違い、金曜市場や労働市場の違い、税制の違い、をコントロールすることが難しいという問題点が常に存在する。
ここまでの議論を整理すると、財政乗数が好況期と不況期で異なり、しかも、不況期においても不況の程度に応じても異なる、というモデルを推定したいのだが、そうしようとすると、データの数が少なすぎるというのが問題点であった。Parkerは、この問題を乗り越えるためのひとつの提案をしている。それは、消費者や生産者といったマイクロレベルのデータを使った研究の結果を、推定の際の追加的なデータとして用いるという方法である。これらの研究が不況期を扱ったものであれば、モデルの中でも不況期のデータとして使うことができる。例を挙げると、Johnson, Parker, and Souleles (2006)やParker, Souleles, Johnson, and McClelland (2010)は、不況対策として実施されたtax rebate (既に収めた税の部分的な払い戻し政策)が家計の消費支出行動にどのような影響を与えたかを分析した。彼らによると、tax rebatesの金額の1/3から1/4が消費財・サービス(nondurable goods and services)の消費に使われた。例えばDSGEモデルにおいても、この推定結果に相当する数字を計算することはできるので、この数字を推定のための追加的なデータとして使うことができる。この効果は短期的なものなので、部分均衡の(=価格の調整を無視した)DSGEモデルでの実験の結果とつき合わせるのが妥当であろう。
さらに、彼らの研究によると、低所得、低資産の家計のほうが、消費支出の反応が大きかった。Heterogeneous Agent Modelを使えば、このような情報もモデルの推定のためのデータとして使うことができる。代表的個人の仮定を置いている標準的なDSGEモデルではこのようなデータを直接利用することはできないが、流動性制約に直面する家計を入れたDSGEモデル(個人的には好きではないが)であれば、何らかの形でこのようなデータも利用することはできるかもしれない。
マクロモデルの推定に使えるマイクロデータのもうひとつの例としては、Nakamura and Steinsson (2011)が挙げられる。彼らは、各州における軍事関連の政府支出の違いに注目して、政府支出がGDPに与える影響を推定した。彼らの推定値も、マクロモデルの推定用のデータとして使えるであろう。しかも、彼らは、軍事関連支出がGDPに与える影響は、失業率が平均(median)以上であれば、それ以外のケースに比べて2倍となっていることも発見した。このことも、一定でない財政乗数の重要性を示唆しているであろう。
Parkerが提案する方法は、いわゆるカリブレーションにおいては、一般的に行われている。例えば、Intertemporal Elasticity of Substitutionをあらわすパラメーター(あるいはよく使われる関数形においてはRisk Aversionをあらわすパラメーターでもよい)はマクロのデータとは無関係に、マイクロレベルでの研究結果と整合的になるように通常は決定される。そういう意味では、特に目新しくはないのであるが、マイクロレベルの研究結果をより積極的にマクロモデルのためのデータとして使うというのは、通常はマクロデータしか使わないDSGEにおいては、面白い提案に思える。
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