Secular Stagnation?

1990年代以降の日本の停滞や、Great Recession(大不況)後のアメリカの低成長、債務危機以来続くヨーロッパの低成長から、低成長の原因は何か、というのはマクロ経済学者が直面し続ける大きな問題である。

但し、「普通の」(教科書的という意味での)経済学の考え方からすると、長期的に経済が停滞するのは技術革新のスピードが落ちて、生産性が伸びていないからだというのが普通の考え方である。いわゆるサプライサイドが原因の停滞である。というのは、普通の(推定された)モデルによると(経済がそのポテンシャルを使い切っていないという意味での)不況は一時的なショックに基づくものであり、時間が経てばそのショックは消え、経済は「通常の」状態へ戻るからである。日本の長期的な「停滞」(かぎカッコだらけで申し訳ない)が生産性の伸びの停滞によるものでないと主張する人達にはそのベースとなるモデルがないのが不満だった。モデルがなければ、どのようなデータを見てそのモデルが優れているか、あるいは間違っているか、議論のしようもないからである。

このような状況下、サマーズが、一連のスピーチなどで「長期的停滞」(Secular Stagnation)という概念を復活させつつある。この言葉自体は、Alvin Hansenが1938年のAEA(アメリカ経済学会)の会長スピーチで言及したことで有名になったという古いもので、且つ他の人も使っていたのだが、サマーズが使い出してから流行語のようになっている。この立場のポイントは、サプライサイドに問題はなくても、経済がポテンシャルを下回る状況に安定して留まりうると主張する点である。では、このような状況はどうして起こりうるか?サマーズによると、(人口成長率の停滞など)何らかの理由で実質均衡利子率がマイナスになると、インフレ率が低い状況では名目利子率はゼロ近辺に留まる(最近扱ったフィッシャー方程式を思い出して欲しい)。その場合、伝統的な金融政策で需要を刺激したくても、ゼロ金利制約(名目金利ゼロの貨幣が存在するので、名目金利をゼロより下に下げられないという金融政策を実施する上での制約)に引っかかって、それができないということになってしまう。但し、このようなチャンネルをDSGEモデルで再現するのは難しい。まずは、マイナスの実質金利を普通のDSGEモデルで生み出すのはとっても難しい。代表的個人しかいない場合、実質金利は借り手と貸し手の関係から決まってくる(これが自然だろう)というよりも、代表的個人がどの位将来に消費を後回しにしてもいいと思うかというレート(正確に書くとsubjective discount rate)によって決まり、そのレートが例えば年率4%であれば実質金利は長期的には4%に戻ってくるからである。

EggertssonとMehrotraによる話題の論文、"A Model of Secular Stagnation"はNew Keynesian DSGEモデルの枠内でサマーズによる議論をモデル化したものである。つまり、ケインジアン的な長期停滞を生み出すチャンネルを提示したことが話題となっている所以である。彼らのモデルの革新的な点は、OLG(世代交代)モデルを使うことで、マイナスの実質金利が発生しうるモデルにしたことと、ゼロ金利制約を明示的に取り込んだこと、そして、名目賃金の硬直性を取り入れることで失業率が自然失業率より高くなりうるモデルにしたことである。以下ではこのモデルを簡単に紹介する。

もちろん詳細には立ち入らないが、(ケインジアンモデルらしく!)このモデルは上のAS-ADグラフによって簡潔に表現できる。上のグラフでは、横軸にGDP(雇用と考えてもよい)、縦軸にインフレ率(1がゼロインフレ率。1以下の数字はデフレの状況、1以上の値はインフレの状況を表す)となっている。では、AS-AD曲線の直感的説明をしてみよう。AS曲線(上の赤線)はスタンダードなものだ。経済がポテンシャル目いっぱいで生産しているときはGDPが1になると仮定されている。インフレのときは経済はポテンシャル目いっぱいで生産している。そのときは失業率は自然失業率(望ましい失業率)と考えればよい。デフレの場合はどうなるか?デフレのときは失業率は自然失業率より高まり、よってGDPもポテンシャルより低いものになる。この背後にあるのは、名目賃金の硬直性である。名目賃金がそう簡単に引き下げられない場合、デフレが起こると実質賃金は高くなってしまう。雇用者は賃金を下げたくても、下げられないからだ。よって、デフレによって高くなってしまった実質賃金に合わせて、雇用が減少し、失業率は上昇する。これらを組み合わせることで、AS曲線はインフレのときはまっすぐ立っていて、デフレのときは左下がりになる。

ではAD曲線(上の図の青線)はどのように決定されるのか?ゼロ金利制約が効いていない場合はNKモデルのスタンダードなものである。インフレ率が上がると、中央銀行はテイラールールに従って名目金利をインフレ率の上昇分より引き上げる。よって、実質金利も上昇することになる。実質金利が上昇すると、消費の需要(よって経済全体の総需要)が減少する。結果として、インフレ率とGDP(総需要)は負の関係になる。では、ゼロ金利制約が効いている場合はどのようなチャンネルが働くか?ゼロ金利制約が効いているときにはEggertsson-KrugmanのLiquidity Trapのモデルを考えればよい。インフレ率が下がってもゼロ金利制約のせいで名目金利は下げられない。よって、実質金利が下がることになる。実質金利が減少すると、お金を貸したいと思う人が減ってしまう。このモデルでは、収入の低い若い家計は貯蓄をしている中年の家計からお金を借りて消費をすることになっているが、実質金利が下がって貯蓄をしたい中年の家計が減ることで、若い家計は借りられる金額が小さくなり、よって消費も減少してしまう。借り入れ制約が効いている若い家計の消費(需要)のみが減少するので、経済の総需要は減少し、GDPは右に上がることになる。

これらのロジックを組み合わせると、ゼロ金利制約が効いていないときのAD曲線は右下がり、ゼロ金利制約が効いているときのAD曲線は右上がりになる。上の図では、長期的な実質金利が例えば2%とすると、ゼロ金利制約が効いてくるインフレ率は-2%(2%のデフレ、上のグラフでは0.98のところ)の点となっている。長期的な均衡はAS-AD曲線の交点で決まってくる。

では、最初のグラフの均衡から始めて、急に若い世代の借り入れ制約がタイトになったとしよう。若い世代は借り入れ制約いっぱいまで借りて消費すると仮定されているので、借り入れ制約がタイトになれば若い世代の消費が減少し、総需要が減少する。グラフ上は、AD曲線の左へのシフトとなって表すことができる。AD曲線が曲がる点も上がっていることにも注目。借り入れ制約がタイトになって借り入れの需要が減ると借り入れ需要をまかなうために必要な均衡の貯蓄も減少する少ない貯蓄を均衡で達成するためには実質金利が下がらなければならない。実質金利が一般的に下がると、フィッシャー方程式(名目金利=実質金利+期待インフレ率)から、ゼロ名目金利を満たすインフレ率も上がらなければならない。よってゼロ金利となるインフレ率(AD曲線が曲がる点)が上昇するのである。

ここで面白いのは、この経済の均衡(AD-ASの交点)がインフレに対応する点からデフレに対応する点に移るということだ。デフレを実現する均衡はAD曲線が曲がってなければありえない(よって普通の(教科書的な)モデルでは発生しない)がここでは、AD曲線が曲がっていることによって、AD曲線のシフトがインフレ均衡からデフレ均衡へのジャンプを生み出すのが新しい。しかも、この均衡は長期均衡なので、デフレの均衡に経済はとどまり、失業率は自然失業率より高く安定することが可能となる。このような状況がサマーズの言う「長期的停滞」に当てはまるというわけだ。実際、ゼロ金利制約によって伝統的な金融政策は効かないし、デフレになっている。

では、このような均衡に経済が陥った場合、どのような政策によって経済を失業率が自然失業率を上回るデフレ均衡から自然失業率を伴うインフレ均衡に戻すことができるのか?手っ取り早いのは、若い家計の借り入れ制約を緩めて若い家計の消費を増やし、AD曲線を再び右にシフトさせることである。あるいはターゲットとするインフレ率を高めることでAD曲線が曲がる点を右に引き上げることができる。下の図が、インフレ率のターゲットを引き上げたときの効果を示している。この場合、デフレ均衡は残り、複数均衡が発生する。前に取り上げたPerol of Taylor Ruleと同じような状況となる。

あるいは、財政支出を増やしたらどうなるか?財政支出の増加は古典的なAD曲線のシフトなので、下の図のように示すことができるこの場合、デフレ均衡は消滅し、インフレと自然失業率を伴う均衡に経済を戻すことができる。
まとめると、彼らのモデルでは、借り入れ制約が急にタイトになったりすると経済がデフレと高い失業率を伴う均衡に陥る可能性がある。ここで重要なのは、このような均衡のシフトは生産性の変化などを伴わないということである。サプライサイドの問題であれば、典型的な処方箋は、生産性を高めるための規制緩和、労働市場の改革なのだが、このペーパーのストーリーに従えば、デフレ均衡を脱するには、財政支出の拡大、あるいはインフレ率のターゲットを高めるといった、ニューケインジアン的な政策が処方されることになる。

このペーパーは注目を浴びていて、いろいろな学会でいろいろな批判が寄せられているようだが、 それらについてカバーするのはやめておく。問題はあるとしても、面白い試みだと思う。日本でも、例えば10年位前にこのようなモデルが作られていればなぁ、と思う(もしかしたらあったけど気がつかなかっただけなのかもしれない)。もう一つコメントすると、こういうモデルを前提に議論するのであれば、経済が完全雇用に近づくにつれ、実質賃金は下がらなければならない。雇用水準が完全雇用より低いのは、名目賃金の硬直性のせいで、実質賃金が高止まりしているからである。よって、失業率が改善している(あるいはフルタイムの雇用が増えている)のであれば、名目あるいは実質賃金が上がらないことについて、文句は言えない。このモデルによるといいことだからだ。

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