Exchange Rate, Inflation, and Net Exports

為替レートが変化すると、インフレ率や輸出、輸入にどういう影響を与えるだろう、という国際経済学における永遠のテーマの一つについて、最近読んだことをメモしておく。

標準的な考え方はこのようなものだ。例えば日本に比べてアメリカの金利が上がる(FRBは現在利上げを進めている一方、日銀が近々利上げをするとは考えにくい)と、ドルの方が円に比べて魅力的になるので、ドルの相対的な需要が高まって、ドルが円に対して強くなる。すると、日本がドル建てで買って輸入するものは円建てでは価格が高くなる(ドルが高いからである)ので、輸入品も含めて日本人が消費する物の平均的な値段が上昇する。いわゆる「輸入インフレ」というやつである。

その一方、 輸入するものがドル建てで価格が設定されているとすると、円建てでの値段が高くなるので、輸入するものの競争力が落ち、輸入数量が減少する。日本が輸出するものは、円建ての価格(原価)が変わらないとすると、ドル建てでの価格が低下するので(円が安いからである)、日本が作る輸出品の競争力が上がって輸出数量が増加する。合計すると、純輸出(輸出ー輸入)は増加することになる。

 但し、純輸出が増加する効果は、価格の調整に比べて遅いかもしれない。その場合、円で計算した輸入額は、輸入数量がすぐには変わらない一方円建ての輸入価格は上昇してしまうので、円建ての純輸出額(輸出額ー輸入額)はまずは低下してしまう。貿易収支が悪化するといっても良い。但し、時間がたって数量が調整されてくると価格の効果は打ち消されて数量の効果によって純輸出額が増加、あるいは貿易収支が改善することになる。このような動きはアルファベットのJの形をとってJカーブ効果といわれる。

このようなことが教科書的な話だけれども、これは本当だろうか?

まずは為替レートの変化とインフレ率の関係についての最近のNBERのペーパーから紹介しよう。最近のNBER Working Paper("The International Price System")でGita Gopinathは、44カ国の輸出と輸入がどの通貨建てで行われているかに注目した。ちなみにこのペーパーは2015年のJackson Hole Symposiumでの講演が元になっている。主要な発見は以下である。
  1. 世界の貿易の大部分は限られた数の通貨で行われており、その中でもドルのシェアが圧倒的に高い。
  2. 例えばドル建ての貿易を考えた場合、2年までのスパンで考えると、ドル建てでの価格は為替レートの変動にあまり反応しない。
これらからわかることは、為替レートの変化が国内のインフレ率にどのくらい反映されるか(パススルー率という)は、外国通貨建てで行われる輸入の比率によって決まってくるということである。例えば、アメリカは、輸入の93%をドル建てで行っているので、自国通貨建ての輸入の比率がとても高い。 よって、為替レートの変化は輸入品のドル建ての価格にもちろん影響を余り及ぼさない。よって、為替レートの変動に対するインフレ率の反応は小さい。

日本の場合、アメリカからの輸入は総輸入の13%にしか過ぎないが、日本の輸入の71%はドル建て(それに加えて5%はユーロなどそのほかの外国通貨建てで、円建ては24%である)なので、日本の場合、為替レートの変動が、輸入品の国内通貨建ての価格に強く影響する。

上のグラフは、アメリカ、日本、トルコ、において、為替レートが減価した場合(日本で言えば円安になった場合)、輸入品の国内通貨建ての価格にどの位パススルーされるかという比率をあらわしている。先に書いたとおり、アメリカにおいては、為替レートの変動によって輸入品価格はあまり影響を受けない。2年後のパススルー率は44%である。つまり、10%ドルが安くなった場合、2年後に輸入品の価格が4.4%高くなるということである。日本の場合、円が10%安くなった場合、輸入品の価格は2年後には9%も高くなる。つまりパススルー率90%である。トルコも日本と同じような感じである。
上のグラフは、彼女が分析した国における、アメリカからの輸入の比率(薄い色)とドル建ての輸入の比率(濃い色)を示している。アメリカからの輸入量に比してドル建ての輸入が多いというのは何も日本(上のグラフの左から2番目)に限ったことではないのがわかるだろう。

では、為替レートと輸出入の関係はどうか?最近Economistの記事があったのでちょっと紹介しておく。Economist誌はマクドナルドのBig Macの値段だけから、為替レートの動きを計算している(Big Mac Indexと呼ばれる)。最近の記事によると、日本のBig Macは2013年にはアメリカより20%安かったが、2016年1月にはアメリカより37%も安いことがわかった。Big Macによると、日本円は2013年以降ドルに比べて20%以上安くなっているといううことである。単純な理論によると、円が安くなれば日本の輸出は増え、輸入は減るはずである。但し、円は安くなったにもかかわらず、日本の輸出量はぜんぜん増えていないようだ。それを示しているのが下のグラフである。
IMFが1980年から2014年にかけての60カ国のデータを使って行った分析によると、為替レートが10%下がった場合には、純輸出の(大幅な)増加によって長期的にGDPが1.5%増加する、しかもその効果の大部分は最初の1年で現れるはずなのだが、このグラフはそのような研究結果と反している。IMFによると、円の為替レートの動きから考えると、輸出量は過去の動きから想定される量より20%低いそうだ。詳細な分析はなされていないものの、Economistはこの理由の候補として2つの説が挙げている。
  1. この時期、世界的に成長が鈍化しており、貿易量もそれと同時に停滞している。
  2. (日本も含めて)多くの国はグローバルサプライチェーンの一部になっているので、輸出や輸入の動向が為替レートの変化にあまり敏感ではなくなっているのではないか。
輸入がどうなっているのかとか、純輸出がどうなっているのかとかを見たかったのだが、上のグラフが再現できなかったのでEconomistの記事の紹介にとどめておく。

Consumption Inequality

確か安田さんが言っていたと思うけど、Journal of Economic Perspective (JEP)は無料で、一流の学者が専門家でもない人でも読めるように書いているものが多いので、お勧めである。興味のあるトピックの特集があった場合、専門の研究者でなくても(あるいは自分の専門でなくても)楽しめる。それでも、理論系の場合多少のバックグラウンドがないとわからないものが多い(例えば前に扱った最適課税理論についてのJEP論文は普通の人には敷居が高いと思う)けれども、最近の経済学は面白いデータを扱うものが多いので、読みやすいものが以前より増えてきたと思う。

幸い、最新のJEPは「不平等」特集であった。 特に、不平等というと所得の不平等に焦点が当たりがちであるが、不平等について所得以外の面から見てみた論文を集めており、とても面白かった。今回は、その中でも、Attanasio and Pistaferriによる消費の不平等についての巻頭論文("Consumption Inequality”)についてメモしておく。

そもそも論からはじめよう。なぜ、消費の不平等が重要なのか?一般的に不平等が重要なのは、最終的には、できることなら、皆が等しく幸福な社会(幸福度の不平等が小さい社会)を実現したいからだ。そして、所得の不平等が重視されるのは、所得が幸福度に重要な影響を与えると考えるのが自然だからだ。例えば、小指の長さの不平等も不平等ではあるが、そんなものは(おそらく)幸福度とは関係ないので小指の長さの不平等が拡大していたとしてもあまり問題はないはずだ。

但し、(短期的な)所得の不平等は必ずしも直接、幸福度の不平等につながるとは限らない。所得の変動が短期的(transitory)で、恒久的(permanent)な所得の違いがなくて、金融市場でお金の貸し借りができれば、所得が低いときにはお金を借りて所得より多くの消費を行い、所得が高いときには貯蓄をして消費を所得より少なくし、将来所得が低い時に備えることができるからだ。このような行動が完璧に実現できれば、所得の変動はあっても消費はまったく変動しなくて済むので、消費の不平等はゼロになる。所得の不平等は存在するけれども、消費の不平等は存在しない。そして、どちらが幸福度の不平等と直接的に結びついているかといえば、消費のほうである。

では、なぜ、所得の不平等が注目を浴びるのか?一般的に、所得のデータの方が充実しているからである。以下で述べるように、アメリカですら、個々人の消費のデータにはいろいろな問題がある。但し、そのことは、消費のデータを忘れていいということではなくて、仕方なく所得のデータを使って不平等を議論しているとしても、最終的に需要なのは消費の不平等であること、消費のデータを改善することに力を注がなければならないことを忘れてはならないだろう。

ところで、(マクロ)経済学では、しばしば、消費と余暇(時間の消費)が幸福度を決める重要な要素と考えられているので、この論文では最後に余暇の不平等についても述べられている。この論文の最後でちょっと余暇についても触れられている。

では、以下に、彼らの主要な議論を要約していく。

1. アメリカでもっともよく使われる家計レベルの消費のデータはConsumer Expenditure Survey (CE)である。CEは1980年から始まっており、CPI(消費者物価指数)のバスケット(平均的な消費者が買うもののリスト)を作るのに使われている。CEにはインタビューサーベイ(3ヶ月ごとに年4回、家計の消費行動についてインタビューを行って家計レベルの消費データを作成する)と、日記(Diary)サーベイ(2週間の間、購入したものについて記録をとり続けることで、家計レベルの消費データを作成する)の2種類があるが、一般的には、インタビューサーベイがよく使われているが、最近、CEは実際の消費の実態をうまく把握できていないのではないかという疑問が生じている。CE(インタビューサーベイ)の総消費とGDPの総消費(Personal Consumption Expenditure, PCE)を比べると、1992年まではCEはPCEの70%を把握していたが、その割合は2010年には58%まで急降下した。但し、この問題の主要な原因は、CEとPCEで把握しているものが異なっていることであると考えられている。その証拠に、CEとPCEが同じようなものを把握している非耐久消費支出(食料に対する支出など)の場合、CEはPCEの93%を把握できている。CEとPCEの差が大きくなってきているのは例えば耐久消費財(自動車、家電など)である。

2. また、CEは所得が高い人が少ない(所得が高い人はそもそも少ない上に、おそらくサーベイへの返答率も低い)こと、所得が高い人の所得や消費は過少申告されていることも、不平等を考える上で問題となっている。このようなバイアスの下では、消費の不平等度が低く計算されがちだからである。さらに、この問題が近年悪化しているのであれば、消費の不平等度の上昇度合いが低く見積もられることになる。下で触れる最近の研究では、このような問題点を克服するために、CEを他のデータセットで補完するという方法がとられている。

3. では、CEで消費の不平等を見ていこう。最も重要な質問は、消費の不平等は1980年以降高まったか、である。1980年以降、所得の不平等が高まったことはよく知られている。消費の不平等も同じように上昇したのか、あるいは消費の不平等は所得の不平等と一緒に上昇しなかったのか。前者であれば、所得の不平等をみることで幸福度の不平等の代理変数とすることにあまり問題はないが、後者の場合は、所得の不平等を見ているだけではダメだということになる。驚くべきことに、この質問に対する答えは最近10年程度で大きく変化した。少し前までは、消費の不平等は所得の不平等ほど上昇していないというのがコンセンサスとなっていた。例えば、Krueger and Perri (2006)によると、1980年から2003年の間、所得の対数の分散(不平等の度合いを示すものとしてよく使われる統計量である)は0.35から0.57まで、22ポイント上昇したが、CEによると、消費の対数の分散は0.18から0.24まで、6ポイントしか上昇しなかった。つまり、消費の不平等も上昇はしたが、その上昇幅は所得の不平等の上昇幅に比べるとずっと小さいと考えられてきたのである。このことと平行して、2000年代初めには、所得の不平等が大きく上昇したのに消費の不平等が何であまり上昇しないのかということを理論的に考える動きが盛んであった。

4. 1980年代以降、消費の不平等が所得の不平等ほど大きく上がらなかったコンセンサスは、所得側のデータとも整合的であった。恒常所得仮説によると、恒久的な(permanent)所得の不平等は消費の不平等に直結するが、一時的な(transitory)所得の不平等は消費の不平等にはあまり影響を与えない。そして、例えばGottschalk and Moffitt (1994)は、1980年ごろ以来の所得の不平等の上昇分のうち1/2から1/3くらいは、一時的な所得の不平等の上昇によるものだと主張した。つまり、所得の不平等は上昇したけれども、消費の不平等に直結する恒久的な所得の不平等の上昇はそのうちは1/2-2/3程度だということであった。

5. しかし、最新の研究は、そのような結果が正確ではないのではないかという疑問を投げかけている。これまで正しいと考えられてきたことは、特に最近消費の実態をうまく把握できていないというCEの問題によるものではないかと考えられるようになったのである。最新のペーパーでは、CEの問題点を考慮し、CEのインタビューサーベイの結果に他のデータの結果を組み合わせることでデータの精度を向上させている。最新の結果を比較したのが以下のグラフである。
オレンジの線(Heathcote, Perri, and Violante)は、伝統的な手法(CEをそのまま使う)で計算された、消費の対数の分散の変化を示している。2000年以降ちょっと上昇しているが、それ以外の期間はあまり上がっていない。つまり、オレンジの線はこれまでのコンセンサスを示している。それ以外の線は、新しい方法で計算された消費の対数の分散の変化を示している。赤茶色の線(Attanasio, Battistin, and Ichimura)は、CEのインタビューサーベイデータをメインとしつつも、インタビューサーベイデータがうまく把握できていないところについては日記データで補完をしている。緑の線(Attanasio and Pistaferri)は、1999年以降は、PSID(Panel Study of Income Dynamics、CEと並んで消費のデータが充実しているデータセット、1999年以降は消費のデータが大幅に拡充された)を用いている。青い線(Aguiar and Bils)は、消費を、貯蓄額の変化と収入から逆算して求めている。どれについても言えることは、新しい手法を使うと、伝統的な手法で求められた消費の不平等の上昇より、大きな消費の不平の上昇が見られるということである。Aguiar and Bilsによると、消費の対数の分散は20ポイント以上上昇しており、所得の不平等の上昇幅(22ポイント)とほぼ同じである。

6. この、消費の不平等の上昇に関する新しい結果は、所得の不平等の上昇に関する新しい研究結果と整合的である。所得をより正確に把握できるデータに基づく最新の研究によると、所得の不平等の上昇の大きな部分は恒久的な要素が占めており、消費の不平等に直接的に影響を与えるはずである。逆に、最新の研究によると、一時的な所得の不平等の上昇は限られている。

7. ところで、これまでは「消費」を「消費額」で把握してきたが、その背後にあるのは、全ての人が同じ価格を払っている(ので、価格は不平等には影響を与えない)という仮定であった。消費額をPCと表した場合(P=価格、C=消費の数量)、Pが皆同じであれば、PCの不平等を見ることで(本当に関心のある)Cの不平等を見ることと同じなわけだ。しかし、最新の研究では、このような仮定は必ずしも正しくないことが示されてきている。Aguiar and Hurst (2007)は、退職した人は、よりは長い時間買い物に費やし、同じものを安く買っていることを示した。Griffith, Leicester, and Nevo (2008)は、イギリスのデータを使って、所得が低い人はものを大量に同時に買うことおよび安いブランドのものを買うことで節約していること、および、セールやクーポンの利用度は所得が高い人と低い人が中間的な所得の人に比べて積極的に行っていることを示した。Nevo and Wong (2015)は、大不況に直面して、所得が減少した人ほど、セールやクーポンを利用し、まとめ買いを行い、安いブランドに切り替えることで、支出を抑えようとしたという、間接的な証拠を示した。Kaplan and Menzio (2016)は同じ物の値段がどうして異なるかについて、スキャンデータを使って分析を進めている。もし、低所得者のほうが安くものを買っているのであれば、消費(=C)の不平等は消費「額」(=PC)の不平等より小さくなるはずであるが、この分野の研究はまだ発展途上である。

8. 食料については総消費よりよいデータがあるので、食料への支出の不平等を見てみよう。下のグラフは食料への支出額の不平等の変化を表している。
赤い線が、食料への支出の不平等の変化を表している。今度は、上位10%と下位10%の食料支出額の対数の差として示されている(これも、不平等の度合いを測るためによく用いられる統計量である)。不平等が1980年代以降、最近に至るまで確実に上昇していったことがわかるであろう。青い線は、フードスタンプ(低所得者が受け取ることができる、食料購入用のバウチャー、とはいえ最近はクレジットカードのようなカードに入った補助金を使うという形態が普通である)を加えて不平等を再計算したものである。フードスタンプの金額は狭義の「消費支出」ではないので赤い線には含まれていないものの、消費の一部である。青い線は、赤い線より常に下に位置している。つまり、低所得者に与えられるフードスタンプは、食糧消費の不平等の改善に役立っているということが示されている。更に、緑色の線は、様々な人が異なる価格を支払っていることを考慮したものである。具体的には、高所得者は比較的外食が多く、低所得者は比較的家で食べる頻度が高いので、外食の値段に比べて食材の値段があまり上がっていなければ、価格の違いを考慮に入れた場合の「食料消費」の不平等は「食糧消費額」の不平等より小さくなるはずである。実際、緑の線は、わずかではあるが、青い戦より下に位置している、つまり、低所得者の支払う価格はちょっと低いのである。特に青い線と緑の線の差が最近大きくなっていることは、先ほど言及したNevo and Wong (2015)の研究結果と整合的である。

9. では、最初にちょっと議論したが、余暇の不平等はどのように変わってきているだろうか?もしかしたら、消費の不平等との拡大とともに、余暇の不平等も逆の意味(低消費者の余暇がより増えるという意味で)で拡大しており、消費の不平等の拡大の効果を多少和らげているかもしれない。余暇の時間の不平等がどのように変わってきたかを示しているのが下のグラフである。
青い線は、所得の低い(高校を卒業していない)人の余暇の時間の推移、赤い線は所得が高い人(大学に行った人)の余暇の時間の推移を示している。左が男性、右が女性である。どの線も上昇基調にある。つまり、どのグループの人々も、余暇の時間は1960年代から現在に至るまで、増えてきている。それと同時に、特に男性において顕著であるが、低所得者の余暇の時間の増加がより大きい。もしかしたら、最初に述べたように、低所得者の余暇の時間が高所得者よりさらに増加することで、幸福度という意味では、余暇が消費の不平等の拡大の効果を和らげているのかもしれない。但し、余暇がどのように幸福度に影響を与えるか、というのは、とても難しい問題であり、将来更に研究が進められるべき分野である。

10. 最後に、親と子の所得および消費にはどのくらい強い相関があるかを見てみる。いわゆるintergenerational mobilityという概念なんだけれども、日本語でなんと言うのかわからない。相関が弱いということは、親の収入に関わらずこの収入が(運や努力次第で)上がりも下がりもするという、いわゆるフレキシブルな社会であることを示している。しばしば見られるのは親と子の所得の相関であるが、このペーパーではでは消費についても見ている。上で紹介したPSIDというデータセットでは、サンプルに入っている家計の子供が独立するとその子供もサンプルに入れて子供の収入や消費も追いかけるので、消費の親と子の相関を調べることができる。下のグラフが所得(右)と消費(左)の親と子の相関を示している。
住んでいる場所による所得の違いをコントロールするため、住んでいるところにおいて、所得および消費のランキングがどのくらいか(100%が最高(住んでいるエリアで最も収入が高い)で0%が最低)を示している。この線が平らであれば、親の所得および消費は子の所得および消費に影響しないということであり、45度線であれば、親の所得や消費が子のそれを決める社会ということになる。所得の消費も、もちろん正の相関があるが、消費の方が相関が弱いように見える。

Inequality and Aggregate Demand

AuclertとRognileの、最近MITから生み出されたマクロのスターが、不平等の拡大が経済停滞を生み出すメカニズムについて分析している("Inequality and Aggregate Demand"、論文自体は公表されていない)。このメカニズムはいろいろな人が言っている(例えば、この記事(日刊ゲンダイなんて引用したくないんだけど)によるとスティグリッツは「格差が拡大していることにより、持てるものは消費を拡大せず、持たないものは消費を控えることにより、『需要』が冷えていることが問題である」と言っているそうである)。

メカニズムは単純である。収入や貯蓄が低い人の消費性向は高く、収入や貯蓄が高い人の消費性向は低いことは知られている。このような状況下で、収入が高い人の収入が更に増え、収入が低い人の収入が更に減ったとしよう。もちろん、この場合、所得の不平等は拡大することになる。総消費はどうなるか?収入が高い人は、そもそも消費性向が低いので消費はあまり増やさない。収入が低い人は、収入が減ると消費は直接減少することとなる。彼らは、貯蓄があまりないので、一時的に収入が減少したとしても、貯蓄を切り崩して一時的に消費を支えることができないからである。結局、総消費は減少することとなる。

このペーパーは、このようはメカニズムが標準的なマクロモデル(労働収入について個人レベルのショックがある不完備市場のマクロモデルに賃金の下方硬直性を加えたもの)においてうまく機能するかを調べたものである。

まずは、彼らは、賃金の下方硬直性がないモデル、つまり、名目摩擦がないモデルから分析を始める。これは、いわゆるAiyagariモデルである。このモデルで、上で書いたような不平等の拡大というショックが起こったとしよう。ショックが起こった時点の貯蓄や、生産性は変わらないので、労働者が同じ時間働く限り、GDPは変わらない。GDPが変わらず消費が減少するとしたら貯蓄=投資が増えることとなる。そして、投資が増えるので将来のGDPは増加する。つまり、短期的には消費が減少するものの、GDPは減少しない、つまり、不況は生み出されない、更に、将来のGDPは増えてしまうのである。このことは、「不平等が不況を生み出す」というような状況とはぜんぜんかけ離れている。

では、Aiyagariモデルに賃金の下方硬直性が入ったモデルを考えてみる。このモデルは、いわゆる「ケインズ的な」挙動を示す。総需要が減少した場合、賃金を切り下げたくても切り下げられないので、失業が生まれるのである。このモデルで、上で説明したような不平等の拡大が起こったと想定してみよう。消費の需要が減少するので総需要が減る。今説明したように、企業は賃金を下げて雇用を減らし、生産を減らしたいんだけれども、賃金は下げられない。よって、レイオフを行うこととなる。GDPは消費と一緒に減少し、上のモデルで起こったような投資の増加は起こらない。逆に、将来にわたって消費需要(そして総需要)が低くなることが予想されるため、投資も抑制され、GDPは長期的に減少することとなる。つまり、よく言われているような「不平等が不況を生み出す」ことが実現されるのである。

このペーパーでは、ここで述べたようなメカニズムの大きさを比較的容易に図ることができるような方法(ケンブリッジ界隈で大流行のsufficient statistics approachだ)を提示したり、それを使って、不平等乗数のようなものを提示したりしていて、いろいろ面白いのだが、その辺は捨象する。

Forward Guidance Puzzle

最初に断っておくと、僕は理論に詳しいわけではないので、今回のエントリは理解が不十分なところがあるので、間違っていたら教えてもらえるとうれしい。

では、いってみる。先進国の多くがゼロ金利制約に引っかかって以来、様々な非伝統的金融政策が試されてているが、次の言葉を初めて聞いた時に面白いと思ったことを覚えている。

「QE(Quantitative Easing)は理論上効かないはずなのに、現実では効果がある。Forward Guidance(以下FGと書く)は理論上とても効果的なはずなのに、現実では効果がないみたいだ。」

理論上~、現実では~、というのは経済学者がよく使うフレーズなんだけれども、このコントラストは面白い思ったことを覚えている。前半のQEのくだりはバーナンキが使ったことで有名になったフレーズであり、後半のFGは、最初に誰が言ったか知らないけれども最近ではセントルイス連銀のブラード総裁が使っていた。

QEについては、QEが始まったころは、短期の国債を新たなマネーで買うという形だったので、金利がゼロ(ゼロ金利制約下だと)だと、金利ゼロで安全な資産を、金利ゼロで安全な資産を使って購入するという、同じものの交換になってしまっており、そんな交換は理論上効果があるはずはないという話であった。もちろん、理論的なモデルを改善して、現実的にQEに効果があるように見える状況に合わせる試みは行われてきており、基本的には、マーケットに参加できない人がいることでマネーの市場と国債の市場の裁定が完全に行われないようなモデルが使われているように思われる。

今回フォーカスするのは、FGの方である。FGは理論上、もっと詳しく言えばニューケインジアンモデル(以下、NKモデルと書く)の中では、とても強い効果があるはずである。これは、簡単にいうと、昔のマクロモデルと違って、NKモデルにおいては、金利やインフレ率などに関する将来の予測に基づいて現在の経済主体の行動が決まるので、将来金利が長期的に低いと知っていれば、現在の行動に大きな影響を与えられるからである。でも、現実においては、FGを実施しても、急に経済主体の行動が変わって、景気に強い影響を与えられているようには見えない。このことは、Forward Guidance Puzzle(FGに関するパズル)と呼ばれてきている。

FGパズルについては、いくつもの解決法が提示されてきている。

1. Del Negro, Giannoni, Patterson("Forward Guidance Puzzle")のNY連銀グループは、NKモデルに、ライフサイクルモデルのような要素を入れると、FGの効果が弱まると主張している。まぁ、当然だけれども、経済内の消費者が、ある確率で死ぬと仮定すると、その分将来のことを気にしなくなるので、FGの効果が弱まるのである。ある意味、NKモデルを期待の役割がない昔のマクロモデルに戻すようなものである。極端に、今日死ぬ確率を100%にすると、期待の果たす役割もなくなって、昔ながらのモデルに逆戻りする(そしてFGの役割もゼロになる)。

2. McKay, Nakamura, Steinsson("The Power of Forward Guidance Revisited")は、普通のNKモデルのように代表的個人を仮定せずに、不完備市場を仮定することで、借り入れ制約に引っかかっているような消費者が存在するモデルを使うと、借り入れ制約に引っかかっている消費者は、FGの結果消費を増やしたいと思っても借り入れ制約のせいで増やせないので、FGの効果は弱くなることを示した。とても面白い(からAERに行くのだろう)アイデアだと思う。

これらの解決方法に共通なのは、中央銀行が将来の制約について約束(コミット)できると仮定していることである。とはいえ、アメリカのFRBは年に8回FOMCを開くので、過去に何か約束したとしても、未来のFOMCでやっぱやめたといって別の政策を選べば終わりである。日本銀行においても、金融政策決定会合は年に8回ある。

ちょっと脱線するが、インフレ率を2年間で2%まで引き上げるとかいう実現できない約束を「コミット」したり、市場を驚かすようなサプライズをちょくちょく実施したりすると、将来の政策に「コミット」したところで、信用されないのが普通のような気がする。

理論上(NKモデルにおいて)FGの効果が強いのは、コミットメント能力がとても強いからだともいえるので、例えば、中央銀行がある政策にコミットしても時々政策を変更できるようなモデルを作れば、FGの効果は弱まる、というような研究もあるようだ。

ここまでが前置きなんだけれども、最近見た、シカゴ連銀のMarco Bassettoの論文"Forward Guidance: Communication, Commitment, or Both?"という論文は、そもそも中央銀行のコミットメント能力を仮定しない時に、FGは効果的となりうるか、というより根本的な質問について分析したものである。彼の分析では、そもそもコミットメントが仮定されず、FGは中央銀行が民間経済主体に対して行うチープトーク(コストなしで民間主体にメッセージを伝達すること)としてモデル化される。FG自体は、実体経済に何の影響も与えない。このような状況下だと、FGの効果は以下のようになる。

(a) 中央銀行と民間経済主体の間に情報の非対称性がない場合は、FGは効果がない。

(b) 情報に非対称性がある場合(現実的には、中央銀行が、実体経済について、民間経済主体が知らない何らかの情報を知っているケース)でも、中央銀行と民間経済主体の選好が同じであれば(いわゆる民間経済主体の厚生を最大化する中央銀行の場合)、中央銀行は、自分が知っている情報を公開すれば、民間経済主体はそれを信用するので、それで終わりである。これは狭い意味でのFG(将来の政策についてメッセージを発する)ではない。

(c) とはいえ、例えば、良い均衡と悪い均衡があって、FGに期待のコーディネーションの役割があれば、FGが経済を良い均衡にとどめるようなモデルもできる。この場合、FGがあることで、均衡の集合が変わるわけではないので、FGの役割は本質的(essential)ではないといえる。コーディネーションを行うために特に将来の政策についてのアナウンスが必要なわけではない。太陽の黒点でもよい。

(d) 彼によると「面白い」ケースは、中央銀行と民間経済主体の選好が異なり(例えば、中央銀行は完全雇用の達成のためにちょっと位インフレ率が高くなって、民間主体が被害をこうむってもよいと考えているようなケースが考えられると思う)、中央銀行のそのような選好について情報の非対称性がある(民間経済主体が中央銀行のそのような選好についてわかっていない)ケースである。この場合、中央銀行は、将来の政策をアナウンスすることで、民間経済主体に、自分の選好に関する情報を伝えることができ、民間経済主体が(将来の金融政策についてよりよい情報を持っているので)よりよい決定を下すのに有効になる。民間経済主体と中央銀行は、経済の状況について同じ情報を持っているので、ある将来の政策がアナウンスされた場合、民間経済主体は、中央銀行の選好について正しく推測することができるのだ。

個人的には、中央銀行が民間経済主体の厚生を最大化していないという仮定がどのくらい妥当なものなのか良くわからないのだけれども、FGについてはそもそも皆良くわかっていないという状況なので、こういう基本的な理解を深めてくれる論文に価値があるのだろう。

また日本に戻ると、日本銀行の場合、傍目には行き当たりばったりにいろいろ(サプライズで)試しているという感じなので、FGのような枠組みできちんと分析するのは難しいのではないかという感じがする。