Against Marxist Economics

まだリハビリモードなので、またしても、とりとめのない雑談を。

最近、東大経済学部がマルクス経済学の教員を採用しないという決定をしたという記事が(発言者の意図が正確に伝わっていなかったようだけれども)流れていた。個人的なことを書くと、僕は、楽に卒業できるし、就職がいいだろうなと思ったからとりあえず東大の文IIに入学したんだけれども、必修のうち半分がマルクス経済学(およびマルクス経済学色の濃い経済史)だったこと、あと「近経」の最初の必修の授業であったミクロ経済学も、理論のみの教科書をそのまんま棒読みで進んでいくだけでむちゃくちゃつまんなかったことから、こんな学部で大学時代の貴重な時間を過ごすのは完全に時間の無駄だと思って転部した経験があるので、明示的な決定ではなくてもマルクス経済学の色が弱まっていく方向に向かっているのは好ましく思う。今はわからないけれども、少なくとも僕の分野でいえば、東大のような、アジアでもトップから遠くはなくて、世界的にもまぁまぁ悪くはない大学で、学生にこのような授業を強制するのはまったく理解できない。

アメリカを見てみても、いわゆる世界で高評価を得ている学校で、マルクス経済学の教員が充実しているところなど、寡聞にして聞いたことがない。日本の大学の近い競争相手であるシンガポール、香港、とかの学校でもマルクス経済学が充実している学校なんてあるのかな(韓国の大学はセミナーとかで訪問行ったことがないので知らないけれども)。アメリカの場合は(ほかの国でもそうだろうとは思うのだけれども)いわゆるヘテロ経済学(マルクス経済学とか、世界システム論とかいったやつ。ヘテロマクロではない)を売りにした学校があるけれども、いわゆるトップスクールでヘテロ経済学を売りにしたところはないと思う。

でも、何でマルクス経済学がトップスクールにあってはいけないのかというと、これは別にどの学問が正しいという話ではなくて、世界のトップの学校の大部分は、世界の最先端の経済学を使い、国際的に認められた学会にアクセプトされ、国際的に認められた(英語の)雑誌にパブリッシュしている人を採用しているので、それに従うと、マルクス経済学の人にはそういう人がいないからだということではないかと思う。いわゆる「ケインジアン」(NKではない)でも、ケインズの解釈学のような古めかしいスタイルで研究している人はトップの大学で採用されるべきではないのと同じ理由である。そもそも、マルクスがこう言っているとか、ケインズがこう言っているとかを重視する、属人的な学問(経済学史も含む)をする人や、いちおう「近経」のようなことをやっているとしても国際的な競争に参加せずに本しか書かない人も、同じ理由で、トップの経済学部にいるべきではない。その一方、「ケインジアン」という人でも、Roger Farmerのように、一流のジャーナルにパブリッシュし続けて、一目置かれている人もいる。経済史でも、なんだかなぁという人も多いが、理論をちゃんとわかっていて、一流のジャーナルにパブリッシュする人は話してて面白いが、そうではない人もたくさんいる。マルクス経済学でもケインジアンでも世界的な評価のスタンダードでみて優れた人があれば、色眼鏡で見ずに、何本どこにパブリッシュしたかで採用すればいいだけの話だと思う。マルクス経済学っぽいことをやっていても、トップ5にパブリッシュして、安田さんのリストで星がいくつかついているような人であれば採用すればいい。

多分、学生へのサービスという観点からみても、(今現在)学生の将来に役に立つのは、物事をモデル(理論)を通してみることができるようになること、相関関係と因果関係の違いをちゃんと認識し、データをどのように処理し、解釈するかを学べること、(そのための)コンピューターの使い方を学べること、英語が使えるようになること、とかであろうから、そういう側面が重視される経済学を研究している教員を積極的に採用していると、自然とマルクス経済学の人は採用されません、ということになるんじゃないのかな。今時、学生でマルクス経済学の授業出て役に立ったなんて言う人がいるのだろうか?

もちろん、世界のトップがこうしてますという理由が常に正しいとは限らない。後から考えてみたら、世界のみんなで間違った方向に進んでいて、将来はどのような分野・研究者がトップの大学に採用されるべきかという面で見直しがなされるかもしれない。ただ、それを理由として、世界のトップの大学で採用されている物差しでは採用に値しない人も「多様性」の観点から採用していこうというのは間違っていると思う。そんなことを言い出したら、誰でもいいということになってしまう。

将来、世界のトップの大学が経済学者を見る基準が変われば、その時に、新しい方向に沿うようにシフトすればいい話である。今現在世界で何が評価されているかを評価基準とするのは危険がもちろんあるが、何か客観的な評価基準に従わないと、ろくなことにならない。いろいろなアプローチをバランスよく学べることは重要だと思うのだけれども、そんなことに気を使ってばかりいるとろくなことにならないと思う。

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