毎年8月の最終週に、FRBの幹部連中(および世界中の中銀のトップ)がジャクソンホールという、ワイオミングの小さな町に集まる。ここは、普通は、登山・ハイキングや(西部スタイルの)乗馬やスキーが楽しいところで、交通の便もとても悪い(多くの都市から直行便がない)ところなんだけれども、夏の終わりにFRBのトップがジャクソンホールに集まって金融政策について、いろいろなスピーカーを呼んで、オープンに議論をするというのが習慣となっている。主催するのはカンサスシティ連銀で、カンサスシティ連銀は毎年ジャクソンホールの前は準備で大変みたいだ。
今年のテーマは、企業の独占の度合いが高まっていることが最近話題になっているが、そのようにマーケットストラクチャーが変化している中で、金融政策はどのように適応していくべきかというものだった。今年の全体のアジェンダはここにある。この中で、アラン・クルーガーのスピーチが良くまとまっていたので簡単に紹介しておきたい。日本も同じ問題に直面しているが、日本の状況について考える際にもとても参考になると思う。
クルーガーは、まず、経済学者はマーケットが競争的である(賃金は生産性と一致するところで決まる)と考えがちだけど、多くのマーケットは実際には競争的ではないと議論する。面白い例として、彼が財務省で働いていたときに、世界のトップのファイナンスの学者達が、LIBORや為替市場に対して誰かが大きな影響力を持ちうることについて懐疑的だったという話を挙げている。その一方、アダム・スミスは国富論において、雇用者は常に賃金を生産性を下回る水準に引きとめようとするものであり、そのことを否定する人は世の中について全然わかっていないと書いていたことを引用している。
経済学において、賃金が競争的に決まらない代表的なフレームワークとしては、(1) ジョーン・ロビンソンに始まる、需要独占(あるいは寡占)のフレームワークと、(2) バーデット・モーテンセン・ピサリデス・ダイアモンドが発展させたサーチモデルのフレームワークがあり、彼のスピーチの背景にあるのはこのようなフレームワークであると述べた上で、近年、失業率はとても低い水準にあるのに、賃金上昇率(インフレ率)は加速しない理由として、以下の6つをあげている。
1.労働市場がタイトになってきた場合、賃金が低いレベルにある労働者の賃金から上がり始めるが普通であるが、同時に、賃金の不平等が拡大しつつあり、低賃金労働者の労働市場が悪化しつつ(後で述べる)ある中では、賃金の上昇プレッシャーが打ち消されている。Katz-Kruegerの研究によると、これらのを考慮に入れた自然失業率は1970年の6.8%から1990年代には5.4%に低下し、2000年代には更に低下したという研究もある。
2.現在の賃金上昇率は賃金フィリップスカーブから得られる賃金上昇率よりも1-1.5pp(パーセンテージポイント)低い。高齢化の進展が0.2-0.3pp引き下げているであろう。生産性の停滞が1pp程度説明できる可能性はあるが、昨年は生産性は回復していた。データではうまく計測されていない労働市場のスラック(緩み)もそのギャップの一部を説明できるかもしれないが、労働者の退職率は不況前の水準まで回復しており、スラックがうまく計測されていないとは考えにくい。
3.各セクターにおいて主要な企業の市場占有率が高まって、それらのトップ企業の重要独占の度合いが高まっているというエビデンスが蓄積されてきている。更に、市場の独占が進んでいるセクターでは賃金上昇率も低めであるり、その相関関係は高まりつつあるというという結果もある。有名なのは各地域の看護師の賃金上昇率と病院の市場独占度合いの相関についての研究である。また、労働強供給の弾力性と賃金の上昇率の相関も発見されている。
4.大きな企業による労働市場の需要独占というのは常に存在していたと思われるが、それに対抗する制度が最近弱まってきている。2つ例を挙げると、(1) 労働組合の組織率・交渉力の低下、(2) 最低賃金の(実質)レベルの低下があげられる。
5.近年アメリカにおいては、企業の需要独占力を高める制度が広まっている。その例を5つ挙げると:(1) 短期(非正規)雇用制度の充実で労働者の交渉力が弱まっている、(2) non-compete制約(競合する企業に移れない契約)の広まり(サンドウィッチ屋の従業員にもnon-compete制約は存在する)、(3) 多くの職種で政府によるライセンスが必要になってきていること、(4) Ashenfelter-Kruegerの研究によると、58%のフランチャイズ制の企業において、他のフランチャイズからの従業員の引き抜きの禁止(no-poaching)規定がある。この数字は1996年には36%だったが上昇しつつある。この問題は特にファーストフードで多い。(5) フランチャイズでなくても、競合企業が談合して、お互いに従業員の引き抜きを避けるような慣習がある。最近までは、毎年、AEAにおいて、トップの大学は新任の助教授の給料やコースロード(何コマ教えるか)について合意をしていた!
これらの制度は、企業の独占力が高まっていると実施しやすいこと、明示的でなくても実施することができること、大不況時に失業を経験して従業員が失業を恐れている時には、労働組合も強気の交渉がしづらいこと、を指摘しておく。その一方、このような制度は、労働市場がタイトになると、維持しづらくなってくる。最近このような制度が問題になってきているのは、労働市場がタイトになってきていることと無関係ではないかもしれない。
6.企業の需要独占力が高まって、賃金の上昇率が抑えられても、雇用者数に大きな影響を与えるとは限らない。つまり、労働供給の弾力性は低く見えるかもしれない
では、労働市場におけるこのような展開に対して、金融政策はどのように対応すればよいだろうか?企業の需要独占力の行使に対する有効な政策は、反トラスト法の行使であり、政府の仕事である。金融政策当局にできることとしては次のことを考慮に入れることかもしれない:(1) このような需要独占力の行使を外生的なショックととらえられる(具体的には自然失業率の低下のショック)、(2) 労働供給の弾力性は低いかもしれない、(3) 労働市場がタイトになることによって、ここで挙げたような需要独占力の行使が有効でなくなってくるかもしれない。
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Alan Krueger at Jackson Hole
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Rising Big Firms and Declining Labor Share
ここ20年程度、日本やアメリカを含む多くの国で、(メディアンという意味での)平均的な家計の所得があまり増えていないというようなことがいわれている。このことが、いわゆる「閉塞感」や「経済状況への不満」につながっているのかもしれない。一方、国の総所得(実質GDP)は過去ほどのスピードではないにしても、トレンドとしては増え続けている。
ではなぜ、国の総所得は増え続けているのに、平均的な家計の所得は増えていないのか?わかりやすくするために、国には生産性の異なる2人の労働者しかいないものとして、国の総所得を以下のように分けてみよう。
(0)国の総所得=(1)資本に配分される所得+(2)企業の利益+(3)生産性の高い労働者に配分される所得+(4)生産性の低い労働者に配分される所得
(1)は機械などを保有している人がその生産の対価として受け取る収入である。(4)が最初に書いた、平均的な家計の所得を捕捉している。また、(3)+(4)が総所得に占める割合は労働分配率(labor share of income)と呼ばれ、(1)が総所得に占める割合は資本分配率(capital share of income)と呼ばれる。このような分解をすると、総所得が増えているのに、平均的な家計の収入が増えていない理由は以下のように考えることができる。(A)労働分配率が低下している、(B)労働分配率は減っていなくても、生産性の高い労働者の取り分が増えている。今回は、なぜ労働分配率が低下しているかについて分析した最新のペーパー2つについて簡単に書いてみる。
Autor, Dorn, Katz, Patterson, Van Reenenは、最近のNBERワーキングパーパーとして出版された論文("The Fall of the Labor Share and the Rise of Superstar Firms")において、多くの先進国で労働分配率に何が起こったかを分析した。彼らによると、1982年から2012年の30年間で、労働分配率は67%から61%に低下した。大体カリブレーションを習うと、労働分配率をあらわすパラメーターは大体2/3と習うが、それが67%という数字に対応している。しかし、彼らによると、今では67%という数字から10%程度低下しているということになる。更に、彼らは、このような労働分配率の低下は全ての産業・企業で起こったのかという疑問に答えるため、企業レベルのマイクロデータを使って、労働分配率の過去30年の変化を分析した。彼らによると、各産業・企業の労働分配率はあまり変っていないけれども、労働分配率の低いスーパースター企業が経済に占めるしシェアが高まったことが、マクロで見た労働分配率の低下に貢献していることがわかった。彼らのスーパースター企業というのは、売り上げに占める利益の割合が高く賃金の割合が低い企業である。アップルのような企業を想像すればよいのかな。彼らによると様々な産業において、アップルのような、相対的に利益が大きく労働分配率の低い企業のマーケットシェアが高まってきたことで、マクロで見た労働分配率は下がってきているということである。
次の疑問は、このような変化はなぜ起きたかということである。彼らによると、このようなスーパースター企業のシェアの高まりは多く国で同時並行的に起きている。各国が同じようにスーパースター企業優遇政策をとってきたとは考えにくいことから、このような労働分配率の低下は政策の結果ではなく、おそらくは、スーパースター企業が1人勝ちすることを容易にした技術革新の結果であろうと分析している。但し、著者らは、このようなスーパースター企業を生じさせた原因が技術革新だとしても、大きなマーケットシェアを持つに至ったスーパースター企業がシェアを生かして競争を阻害することで、労働分配率の回復を妨げたり、あるいは更なる低下を生み出す可能性があることに警鐘を鳴らしている。
De LockerとEeckhoutは最新のNBERワーキングペーパー("The Rise of Market Power and the Macroeconomic Implications")において、アメリカの上場企業におけるマークアップ率(売値と減価の比率、大雑把には利益率と考えてもよい)の平均が1960年から2014年の間にどのように変化したかを計算した。彼らの採用した計算手法にはいろいろイシューがあるんだけれどもここでは割愛する。彼らが計算したマークアップ率の平均は以下のグラフで示される。
1960年から1980年ごろまではマークアップ率は18%程度(グラフでは1.18)程度の水準にあったが、そこから急上昇し、2014年にはマークアップ率は67%に達した。ラフにいうと、100円の原価に対して、1980年までは18円の利益を乗せていたのが、2014年には67円も乗せられるようになったということである。
ところで、マークアップ率というのは、必ずしも利益率と同じように考えることはできないものの、著者らは、このようなマークアップ率の変化は、経済全体で集計された配当の総額の変化と対応していると主張している。以下のグラフは、マークアップ率の動きと配当の総額の動きを重ね合わせている。著者らは、マークアップの上昇は配当の総額の上昇と同時に起こっており、(大)企業の市場支配力が1980年以降上昇した結果マークアップも高まったというストーリーと整合的であると主張している。
更に、著者らは、簡単なモデルを使って、マークアップ率が何らかのショックの結果高まった場合に、マクロ経済に何が起こりうるかという分析を行い、以下のことが起こりうると主張した。これらはいずれもアメリカで近年起こっていることである。もちろん、別のショックが原因でこれらのことが起こった可能性も十分にあるし、そもそも市場支配力が高まったせいでマークアップ率が上昇したのかもわからないけれども、少なくとも、(大)企業の市場支配力が増した結果、高いマークアップをつけることが可能になり、実際にアメリカで起こっている様々なマクロ経済のトレンドが引き起こされたというストーリーと整合的であるといえる。
ではなぜ、国の総所得は増え続けているのに、平均的な家計の所得は増えていないのか?わかりやすくするために、国には生産性の異なる2人の労働者しかいないものとして、国の総所得を以下のように分けてみよう。
(0)国の総所得=(1)資本に配分される所得+(2)企業の利益+(3)生産性の高い労働者に配分される所得+(4)生産性の低い労働者に配分される所得
(1)は機械などを保有している人がその生産の対価として受け取る収入である。(4)が最初に書いた、平均的な家計の所得を捕捉している。また、(3)+(4)が総所得に占める割合は労働分配率(labor share of income)と呼ばれ、(1)が総所得に占める割合は資本分配率(capital share of income)と呼ばれる。このような分解をすると、総所得が増えているのに、平均的な家計の収入が増えていない理由は以下のように考えることができる。(A)労働分配率が低下している、(B)労働分配率は減っていなくても、生産性の高い労働者の取り分が増えている。今回は、なぜ労働分配率が低下しているかについて分析した最新のペーパー2つについて簡単に書いてみる。
Autor, Dorn, Katz, Patterson, Van Reenenは、最近のNBERワーキングパーパーとして出版された論文("The Fall of the Labor Share and the Rise of Superstar Firms")において、多くの先進国で労働分配率に何が起こったかを分析した。彼らによると、1982年から2012年の30年間で、労働分配率は67%から61%に低下した。大体カリブレーションを習うと、労働分配率をあらわすパラメーターは大体2/3と習うが、それが67%という数字に対応している。しかし、彼らによると、今では67%という数字から10%程度低下しているということになる。更に、彼らは、このような労働分配率の低下は全ての産業・企業で起こったのかという疑問に答えるため、企業レベルのマイクロデータを使って、労働分配率の過去30年の変化を分析した。彼らによると、各産業・企業の労働分配率はあまり変っていないけれども、労働分配率の低いスーパースター企業が経済に占めるしシェアが高まったことが、マクロで見た労働分配率の低下に貢献していることがわかった。彼らのスーパースター企業というのは、売り上げに占める利益の割合が高く賃金の割合が低い企業である。アップルのような企業を想像すればよいのかな。彼らによると様々な産業において、アップルのような、相対的に利益が大きく労働分配率の低い企業のマーケットシェアが高まってきたことで、マクロで見た労働分配率は下がってきているということである。
次の疑問は、このような変化はなぜ起きたかということである。彼らによると、このようなスーパースター企業のシェアの高まりは多く国で同時並行的に起きている。各国が同じようにスーパースター企業優遇政策をとってきたとは考えにくいことから、このような労働分配率の低下は政策の結果ではなく、おそらくは、スーパースター企業が1人勝ちすることを容易にした技術革新の結果であろうと分析している。但し、著者らは、このようなスーパースター企業を生じさせた原因が技術革新だとしても、大きなマーケットシェアを持つに至ったスーパースター企業がシェアを生かして競争を阻害することで、労働分配率の回復を妨げたり、あるいは更なる低下を生み出す可能性があることに警鐘を鳴らしている。
De LockerとEeckhoutは最新のNBERワーキングペーパー("The Rise of Market Power and the Macroeconomic Implications")において、アメリカの上場企業におけるマークアップ率(売値と減価の比率、大雑把には利益率と考えてもよい)の平均が1960年から2014年の間にどのように変化したかを計算した。彼らの採用した計算手法にはいろいろイシューがあるんだけれどもここでは割愛する。彼らが計算したマークアップ率の平均は以下のグラフで示される。
1960年から1980年ごろまではマークアップ率は18%程度(グラフでは1.18)程度の水準にあったが、そこから急上昇し、2014年にはマークアップ率は67%に達した。ラフにいうと、100円の原価に対して、1980年までは18円の利益を乗せていたのが、2014年には67円も乗せられるようになったということである。
ところで、マークアップ率というのは、必ずしも利益率と同じように考えることはできないものの、著者らは、このようなマークアップ率の変化は、経済全体で集計された配当の総額の変化と対応していると主張している。以下のグラフは、マークアップ率の動きと配当の総額の動きを重ね合わせている。著者らは、マークアップの上昇は配当の総額の上昇と同時に起こっており、(大)企業の市場支配力が1980年以降上昇した結果マークアップも高まったというストーリーと整合的であると主張している。
更に、著者らは、簡単なモデルを使って、マークアップ率が何らかのショックの結果高まった場合に、マクロ経済に何が起こりうるかという分析を行い、以下のことが起こりうると主張した。これらはいずれもアメリカで近年起こっていることである。もちろん、別のショックが原因でこれらのことが起こった可能性も十分にあるし、そもそも市場支配力が高まったせいでマークアップ率が上昇したのかもわからないけれども、少なくとも、(大)企業の市場支配力が増した結果、高いマークアップをつけることが可能になり、実際にアメリカで起こっている様々なマクロ経済のトレンドが引き起こされたというストーリーと整合的であるといえる。
- 労働分配率の長期的な低下傾向((2)の割合が高まることによる(3)+(4)の割合の低下)
- 資本分配率の長期的な低下傾向((2)の割合が高まることによる(1)の割合の低下)
- 生産性が低い労働者の賃金の低下傾向((4)の低下に対応している)
- 労働参加率の長期的な低下傾向(賃金の低下の結果である)
- 労働市場のフロー(労働者の動き)の長期的な低下傾向(賃金が低下することで労働者が高い賃金を求めて労働市場で動く頻度が低下する)
- 労働者の移住の頻度の長期的な低下傾向(同様に、労働者が高い賃金を求めて移住する頻度が低下する)
- 実質GDP成長率の長期的な低下傾向(労働者がその生産性を生かせる職に移る頻度が下がることで経済全体の生産性が停滞する)
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No, Aging Did Not Cause the Secular Stagnation.
今回は、AcemogluとRestrepoによる最新のNBER Working Paper("Secular Stagnation? The Effect of Aging on Economic Growth in the Age of Automation")に触れる。とても短い論文だし、2017年のAEA年次総会で発表したと書いてあるので、おそらくはAER PPに載る論文なんだろう。
まずは、簡単にバックグラウンドから紹介しよう。普通の景気循環であれば、不況期にはGDP(生産活動)の成長率が急に落ち込むものの、その後の回復期にはGDPの成長率が急激に回復するのが常である。しかし、ほぼ全部の先進国では、2000年代後半の不況期以降、GDP成長率の急速な回復が見られない。下のグラフは、Summersが2016年2月に書いた記事と同じように、先進諸国の実質GDPの年間成長率の10年間の平均値の推移を示している(ソースはOECD。2016年以降はOECDの予測値)。
どの国も、1970年代以降、成長率が少しずつ低下し、2000年代初めのドットコムブームの後は、軒並み年率2%を下回っている。OECDの平均成長率も濃い青で示しているが、グラフにあるその他の国の動きと同じようなものである。このような成長率の停滞はSecular Stagnation(長期停滞)と呼ばれている。重要な事実は、この停滞はほぼ全ての先進国で起こっているという点である。よって、ある国に特有の理由によって説明してはならず、各国に同時に起こりうる説明でなければならない。例えば、日本において、生産性の低い企業が淘汰されていないから経済成長率が停滞したと言う議論は、日本の経済成長率が他のOECD諸国に比べて更に低いことの説明にはなるかもしれないけれども、大きな流れの説明にはならない。
このような長期停滞の裏にあるのは何であろうか?いくつもの仮説が提示されている。
緑色の線はOECD諸国における、50歳以上の人の人数の20-49歳の人の人数に対する比率である。しばしば、「依存人口比率」(dependency ratio)と呼ばれている。この数字が高いということは労働世代一人ひとりが養わなければならない高齢世代の人数が多いということである。今のOECD平均は0.9程度であるが、2050年には1.3を超えると予測されている。黒い線は全世界平均で、もちろんOECD平均より低い。日本はもっと高くなっている。
では、この依存人口比率が1990年から2015年の間に高まった国は経済成長率(一人当たりの実質GDP成長率)も低下するはずだという相関関係が、高齢化が長期停滞を引き起こしている場合に成り立っていなければならない。では、この二つをプロットしてみたのが以下のグラフである。
オレンジの点がOECD諸国、水色の点がそれ以外の国である。OECD諸国だけを見ても、全部の国を見ても、強い相関は見られない。それどころか、単純に線形回帰してみると、仮説が正しいときの場合とは逆に、正の相関がある。つまり、1990年から2015年の間に高齢化が進んだ国は経済成長率が低下するという仮説は彼らのデータからは支持されていない。逆に、経済成長率はわずかながら高まっている。
では、どうしてこのようなことが起こりうるか?彼らの仮説は、高齢化が進んだ国は、ロボットなど、労働力を使わない技術にシフトすることにより、生産性の低下を防ぐことができた、あるいは生産性が更に向上できたからだ、というものである。その仮設と整合的なデータとして以下のグラフが示されている。
X軸は前のグラフと同じく、高齢化の進み具合である。Y軸は、ロボットの使われる度合いが1993年から2015年の間にどの程度変化したかを示している。この数字が大きいということは、ロボットがより使われるようになったことを示している。日本がないように見えるのが残念だが、相関は正であり、彼らの仮説と整合的である。個人的には本当かなぁ、とにわかには信じがたい仮説なんだけど、まぁ、ちゃんと読んでいないので、批判のしようがない。簡単なデータ分析で大きなテーマについて直感的でない答えを出している、とてもprovocative(挑発的)な論文である。
まずは、簡単にバックグラウンドから紹介しよう。普通の景気循環であれば、不況期にはGDP(生産活動)の成長率が急に落ち込むものの、その後の回復期にはGDPの成長率が急激に回復するのが常である。しかし、ほぼ全部の先進国では、2000年代後半の不況期以降、GDP成長率の急速な回復が見られない。下のグラフは、Summersが2016年2月に書いた記事と同じように、先進諸国の実質GDPの年間成長率の10年間の平均値の推移を示している(ソースはOECD。2016年以降はOECDの予測値)。
どの国も、1970年代以降、成長率が少しずつ低下し、2000年代初めのドットコムブームの後は、軒並み年率2%を下回っている。OECDの平均成長率も濃い青で示しているが、グラフにあるその他の国の動きと同じようなものである。このような成長率の停滞はSecular Stagnation(長期停滞)と呼ばれている。重要な事実は、この停滞はほぼ全ての先進国で起こっているという点である。よって、ある国に特有の理由によって説明してはならず、各国に同時に起こりうる説明でなければならない。例えば、日本において、生産性の低い企業が淘汰されていないから経済成長率が停滞したと言う議論は、日本の経済成長率が他のOECD諸国に比べて更に低いことの説明にはなるかもしれないけれども、大きな流れの説明にはならない。
このような長期停滞の裏にあるのは何であろうか?いくつもの仮説が提示されている。
- Summersは投資の需要の低さを強調している。ひとつ考えられるのは、コンピューター・オンラインサービスなどの重要性が増してくると、昔のように大型の機械に巨額の投資をする事が少なくなり、それが長期的な投資需要の停滞を生み出している。投資需要の停滞が総需要の停滞につながり、成長率を引き下げている。
- KrugmanはLiquidity Trap(流動性トラップ)の重要性を強調している。ゼロ金利制約に引っかかっている状況では、金融政策(政策金利の引き下げ)によって消費、投資などの総需要を刺激することが困難なため、総需要が停滞し、成長率の回復を妨げているのではないかというのである。但し、アメリカ・欧州・日本で行われてきている非伝統的金融政策はなんで効いてないのか?もし原因が通常の景気循環に対して金融政策で対処できないということであるならば、日本のように10年以上にわたってそのような不況が続くことが何でありうるのか?といった質問に答えられなければならない。後者の質問に対しては、いい均衡とゼロ金利に引っかかり続ける悪い均衡の二つがあり、悪い均衡にはまってしまうと脱出が難しいというような理論が提示されているが、このようなモデルは、急激な変化(1980年代の急激な地価上昇とその後の急激な低下のような)でも見られない限り、データによる正当化が難しいのではというのが個人的な印象である。
- Gordonなどは、そもそも技術革新のスピードが鈍った(インターネット以降、生産技術や生活を劇的に変えるような技術革新が起きていない)ことが長期的な停滞を引き起こしているのではないかという仮説を立てている。この仮説もデータから確かめることは非常に難しい。また、このような悲観論に対しては、1990年代初めにも同じことを言う人が言う人がいたけど、その後何が起こったか知ってるよな、という答えがよく返ってくる。
- BernankeはGlobal Saving Glut(世界的な貯蓄過剰)の重要性を強調している。中国やその他の途上国では貯蓄が大幅に増加しており、資源国では近年までは資源価格の上昇によって貯蓄が大幅に増えていた。そのような貯蓄の増加が世界の金利を引き下げ、またそのような貯蓄がドル資産などに向かうことで先進国の貿易赤字に結びつき、先進国のGDPの成長率を鈍化させた、という説である。
- 最後の仮説は、社会の高齢化をベースとしている。人口の高齢化に伴って、老後に備えるための貯蓄が増えて消費需要が停滞していること、そして、高齢化すると経済のダイナミズムが失われて技術革新が遅くなることを重視する立場である。
緑色の線はOECD諸国における、50歳以上の人の人数の20-49歳の人の人数に対する比率である。しばしば、「依存人口比率」(dependency ratio)と呼ばれている。この数字が高いということは労働世代一人ひとりが養わなければならない高齢世代の人数が多いということである。今のOECD平均は0.9程度であるが、2050年には1.3を超えると予測されている。黒い線は全世界平均で、もちろんOECD平均より低い。日本はもっと高くなっている。
では、この依存人口比率が1990年から2015年の間に高まった国は経済成長率(一人当たりの実質GDP成長率)も低下するはずだという相関関係が、高齢化が長期停滞を引き起こしている場合に成り立っていなければならない。では、この二つをプロットしてみたのが以下のグラフである。
オレンジの点がOECD諸国、水色の点がそれ以外の国である。OECD諸国だけを見ても、全部の国を見ても、強い相関は見られない。それどころか、単純に線形回帰してみると、仮説が正しいときの場合とは逆に、正の相関がある。つまり、1990年から2015年の間に高齢化が進んだ国は経済成長率が低下するという仮説は彼らのデータからは支持されていない。逆に、経済成長率はわずかながら高まっている。
では、どうしてこのようなことが起こりうるか?彼らの仮説は、高齢化が進んだ国は、ロボットなど、労働力を使わない技術にシフトすることにより、生産性の低下を防ぐことができた、あるいは生産性が更に向上できたからだ、というものである。その仮設と整合的なデータとして以下のグラフが示されている。
X軸は前のグラフと同じく、高齢化の進み具合である。Y軸は、ロボットの使われる度合いが1993年から2015年の間にどの程度変化したかを示している。この数字が大きいということは、ロボットがより使われるようになったことを示している。日本がないように見えるのが残念だが、相関は正であり、彼らの仮説と整合的である。個人的には本当かなぁ、とにわかには信じがたい仮説なんだけど、まぁ、ちゃんと読んでいないので、批判のしようがない。簡単なデータ分析で大きなテーマについて直感的でない答えを出している、とてもprovocative(挑発的)な論文である。
Invitation to Podcast
長くアメリカに住んでいるのだけれども、一向に英語が上達する気配がない。何でだろうと考えてみたのだけれども、理由のひとつは、研究者だと人と話したりすることが少ないからではないかと思うに至った。大体の時間は一人でコンピューターの前に座っているか、論文を読んでいるか、紙に数式を書いているかだ。発表をするのはそれほどしょっちゅうではないし、人の発表を聞くことは多いがそもそもそんなに問題のない経済学しか聞く機会がない。
できるだけあいてる時間に英語に自分をさらす手段の一つとしてとにかくPodcastを聞きまくり始めた。とはいえ、経済がらみのPodcastもとても充実しているので、結構経済関連のものも聞いてしまう。お気に入りはNPR (National Public Radio)のPlanet Moneyだ。経済学というわけではなく、経済関連なら何でもカバーするが、経済学者が出てくることもある。例えば、世界に石油がなかったら世界はどのようになっていただろうという議論をした回では、NorthwesternのJoel Mokyrが出てきた。書いているものから察すると面白い人なんだろうと思っていたが、話しっぷりも面白かった。1エピソードが1時間くらいのPodcastが多い中、1つ20-30分くらいというのも気晴らしや散歩のお供にちょうどよい。
最近のエピソードでは、(僕が聞き始める)昔のエピソードの再放送だったのだけれども、Chris UdryとDean Karlanのイェール大ペア(とガーナの2人の共著者)による、ガーナにおいてランダム化比較試験を行った結果を基にした2014年のQJEのペーパー("Agricultural Decisions after Relaxing Credit and Risk Constraints")について扱った。多分開発を専門とする人には知られた論文なんだろうけど、他分野なので面白かった。この論文では、アフリカの小規模農家がビジネスを拡大できない理由は、投資するお金がないからか(credit constraint)、それとも失敗するリスクを恐れているか(risk constraint)を知るために、ガーナの農家にランダムに以下のものを提供して、農家がどのように反応するかを見た。(1) 250ドル相当の現金。使途は問わない。(2) 天候リスク保険(雨があまり降らないで農業がうまく行かなかった場合には保険金が支払われる)、(3) (1)+(2)。
この回のPlanet Moneyではこの論文を紹介するのだけれども、イントロとして、アフリカ(レソト)でりんご作りをしている農家に話を聞くところから始まっている。この農家は、りんごを作るのがうまく、ビジネスを拡大すれば需要はあると思われるんだけれども、彼はりんご作りビジネスを拡大する代わりに、家畜を飼うことにした。理由は、雨があまり降らなくてりんごがあまり取れなかったときのリスクが怖いので、(天候にあまり左右されない)家畜に分散投資するというものである。資産の半分をある企業の株式に投資して、残りを国債に投資するようなものだ。このような例や、ガーナ人に保険という概念をわからせる苦労話などを挟んでくれるので、気軽に楽しく聞ける。
その他にも、UdryやKarlanが出てきて話したりするのも楽しい。Udryのオフィスがガーナ関連のモノだらけなどというエピソードも語られる。
彼らの実験の結果は、現金を受け取った農家は投資をあまり増やさなかった。その一方、天候リスク保険を(買うチャンスを)与えられた農家は、投資を増やした。その際、追加的な投資に必要なお金はどこかから持ってきた。これらからわかるのは、この実験の対象となったガーナ農家は、リスクを恐れて規模を大きくしていないのであり、お金は必要ならどこかから調達できる、つまり、強い借り入れ制約に直面しているわけではない、ことである。
日本語だと長時間ドライブとかがあまりないからPodcastは流行っていないのだろうか?日本語でも経済学Podcastとかあれば通学・通勤中に聞く人も多いと思うけど。
できるだけあいてる時間に英語に自分をさらす手段の一つとしてとにかくPodcastを聞きまくり始めた。とはいえ、経済がらみのPodcastもとても充実しているので、結構経済関連のものも聞いてしまう。お気に入りはNPR (National Public Radio)のPlanet Moneyだ。経済学というわけではなく、経済関連なら何でもカバーするが、経済学者が出てくることもある。例えば、世界に石油がなかったら世界はどのようになっていただろうという議論をした回では、NorthwesternのJoel Mokyrが出てきた。書いているものから察すると面白い人なんだろうと思っていたが、話しっぷりも面白かった。1エピソードが1時間くらいのPodcastが多い中、1つ20-30分くらいというのも気晴らしや散歩のお供にちょうどよい。
最近のエピソードでは、(僕が聞き始める)昔のエピソードの再放送だったのだけれども、Chris UdryとDean Karlanのイェール大ペア(とガーナの2人の共著者)による、ガーナにおいてランダム化比較試験を行った結果を基にした2014年のQJEのペーパー("Agricultural Decisions after Relaxing Credit and Risk Constraints")について扱った。多分開発を専門とする人には知られた論文なんだろうけど、他分野なので面白かった。この論文では、アフリカの小規模農家がビジネスを拡大できない理由は、投資するお金がないからか(credit constraint)、それとも失敗するリスクを恐れているか(risk constraint)を知るために、ガーナの農家にランダムに以下のものを提供して、農家がどのように反応するかを見た。(1) 250ドル相当の現金。使途は問わない。(2) 天候リスク保険(雨があまり降らないで農業がうまく行かなかった場合には保険金が支払われる)、(3) (1)+(2)。
この回のPlanet Moneyではこの論文を紹介するのだけれども、イントロとして、アフリカ(レソト)でりんご作りをしている農家に話を聞くところから始まっている。この農家は、りんごを作るのがうまく、ビジネスを拡大すれば需要はあると思われるんだけれども、彼はりんご作りビジネスを拡大する代わりに、家畜を飼うことにした。理由は、雨があまり降らなくてりんごがあまり取れなかったときのリスクが怖いので、(天候にあまり左右されない)家畜に分散投資するというものである。資産の半分をある企業の株式に投資して、残りを国債に投資するようなものだ。このような例や、ガーナ人に保険という概念をわからせる苦労話などを挟んでくれるので、気軽に楽しく聞ける。
その他にも、UdryやKarlanが出てきて話したりするのも楽しい。Udryのオフィスがガーナ関連のモノだらけなどというエピソードも語られる。
彼らの実験の結果は、現金を受け取った農家は投資をあまり増やさなかった。その一方、天候リスク保険を(買うチャンスを)与えられた農家は、投資を増やした。その際、追加的な投資に必要なお金はどこかから持ってきた。これらからわかるのは、この実験の対象となったガーナ農家は、リスクを恐れて規模を大きくしていないのであり、お金は必要ならどこかから調達できる、つまり、強い借り入れ制約に直面しているわけではない、ことである。
日本語だと長時間ドライブとかがあまりないからPodcastは流行っていないのだろうか?日本語でも経済学Podcastとかあれば通学・通勤中に聞く人も多いと思うけど。
Self-Control Problem and Poverty Trap
詳細はぜんぜん理解できていないのだけれども、面白いペーパーだったので簡単にメモしておく。Bernheim, Ray, and Yeltekinによる"Poverty and Self-Control"という論文である。
貧困に苦しむ人は自己抑制(Self-Controlの訳語を知らないのでこうしておく。一般的に使われているものがあったら教えて欲しい。)にも欠けるという相関は広く知られている。しかし、これは相関であって、因果(何が何を引き起こしているのか)については教えてくれない。考えられる因果関係としては以下のようなものが考えられてきた。
このペーパーではこのような理論を構築する。キーとなるのは、消費者は自己抑制の問題を持っているということと、(アドホックな)借り入れ制約である。ちょっとテクニカルな点に言及すると、自己抑制の問題(temptation and self-control)を持っている消費者の動的最適化問題を解く際には、しばしばマルコフ均衡に限定して解くことが多い(それでも難しい)が、著者らはsubgame-perfect均衡を解くことで、上に挙げたような効果を得られると主張している。Laibsonや彼の弟子がコンピューターを使って解いているときは基本的にマルコフ均衡にのみ注目しているが、マルコフだと、ここで挙げたようなチャンネルが出てこないというのが面白い。
では、どうしてpoverty trapのようなことが起こるのか?単純なストーリーは以下のようなものだ。著者らはこのような単純なストーリーだけではなくて、もっと深いものがあるといっているが、何回か聞いてみたもののわかりやすく直感的に説明できる気がしないので単純なストーリーだけ紹介する。
消費者が自己抑制をできないということは、資産を多く持っていても浪費してその資産を使い切ってしまうということである。この場合、当初資産を多く持っている人のほうが豪遊してしまったときのダメージが大きい。そもそも10万円しか貯金がなければそれを使い切ったところでそんなにダメージはないかもしれないが、もともと10億円持っていた人が全部使い切ってしまうのは将来へのダメージが大きいというのはなんとなくわかるであろう。だから、もともと資産を多く持っている人のほうが、それを使い切ったときのダメージが大きいので(誘惑に負けたときの罰を強くできるので)、自己を律しやすいのである。
先ほど、アドホックな借り入れ制約が重要だと書いたが、アドホックな借り入れ制約がなければ、もともと10万円しか資産がない人でも、借りれえるだけ借りてしまうと、将来の消費がゼロになってしまう、効果的に自分にダメージを与えることができてしまう。つまり、アドホックな借り入れ制約がないときには、最初に10万円の試算があっても10億円の資産があっても、資産を使い切ったときのダメージが負の無限大となってしまい、両者ともに同じように効果的な自己規律ができてしまうのである(つまりpoverty trapが存在しなくなる)。
著者らはこのようなモデルから以下のような政策含意が得られると述べている。
貧困に苦しむ人は自己抑制(Self-Controlの訳語を知らないのでこうしておく。一般的に使われているものがあったら教えて欲しい。)にも欠けるという相関は広く知られている。しかし、これは相関であって、因果(何が何を引き起こしているのか)については教えてくれない。考えられる因果関係としては以下のようなものが考えられてきた。
- 貧困に苦しんでいると、 自己抑制能力が失われてしまう(貧困→自己抑制の欠如)。
- 世の中には自己抑制が得意な人と得意でない人がいて、得意でない人が結局貧困に陥ってしまう(自己抑制の欠如→貧困、self selection)。
- 人々はそもそも自己抑制能力の欠如に苦しんでいるが、資産が多い人は比較的容易に自己抑制を自分にかけることができる。一方、資産の少ない人は自己抑制を自分にかけることができない。よって、前者は資産をより増やして貧困を脱出し、後者は貧困を脱出できないことになる。
このペーパーではこのような理論を構築する。キーとなるのは、消費者は自己抑制の問題を持っているということと、(アドホックな)借り入れ制約である。ちょっとテクニカルな点に言及すると、自己抑制の問題(temptation and self-control)を持っている消費者の動的最適化問題を解く際には、しばしばマルコフ均衡に限定して解くことが多い(それでも難しい)が、著者らはsubgame-perfect均衡を解くことで、上に挙げたような効果を得られると主張している。Laibsonや彼の弟子がコンピューターを使って解いているときは基本的にマルコフ均衡にのみ注目しているが、マルコフだと、ここで挙げたようなチャンネルが出てこないというのが面白い。
では、どうしてpoverty trapのようなことが起こるのか?単純なストーリーは以下のようなものだ。著者らはこのような単純なストーリーだけではなくて、もっと深いものがあるといっているが、何回か聞いてみたもののわかりやすく直感的に説明できる気がしないので単純なストーリーだけ紹介する。
消費者が自己抑制をできないということは、資産を多く持っていても浪費してその資産を使い切ってしまうということである。この場合、当初資産を多く持っている人のほうが豪遊してしまったときのダメージが大きい。そもそも10万円しか貯金がなければそれを使い切ったところでそんなにダメージはないかもしれないが、もともと10億円持っていた人が全部使い切ってしまうのは将来へのダメージが大きいというのはなんとなくわかるであろう。だから、もともと資産を多く持っている人のほうが、それを使い切ったときのダメージが大きいので(誘惑に負けたときの罰を強くできるので)、自己を律しやすいのである。
先ほど、アドホックな借り入れ制約が重要だと書いたが、アドホックな借り入れ制約がなければ、もともと10万円しか資産がない人でも、借りれえるだけ借りてしまうと、将来の消費がゼロになってしまう、効果的に自分にダメージを与えることができてしまう。つまり、アドホックな借り入れ制約がないときには、最初に10万円の試算があっても10億円の資産があっても、資産を使い切ったときのダメージが負の無限大となってしまい、両者ともに同じように効果的な自己規律ができてしまうのである(つまりpoverty trapが存在しなくなる)。
著者らはこのようなモデルから以下のような政策含意が得られると述べている。
- 貧困の解決のためには資産が少ない人に、 わなを抜け出すのに必要な資産を与えるという政策が効果的である。資産がそもそも多い人にはあげる必要がない。
- 借り入れをしやすくすることは、貧困のわな解消のために効果的だ。上で述べたように、借り入れがしやすいほど、借りれるだけ借りて豪遊したときのダメージが大きくなるので、自己規律が働かせやすくなるからである。
- 自己規律を助けるためのcommitment deviceを与えることは、消費者が自分自身で使っている commitment deviceを弱めることになるかもしれない。commitment deviceのクラウディングアウトのようなものである。言い方を変えると、消費者が自己抑制の問題に直面していると考えた際に問題となるのは、ではなぜ自己抑制を強めることのできるcomitment deviceを人々はもっと積極的に使っていないのか、という疑問である。彼らの理論によると、そもそも多くの人は自分自身でcommitmentをかけることができているので外部のcommitment deviceを必要としていないのだという解釈を与える。
- 貯蓄を促進するために退職貯蓄口座を消費者に与えることは有益かもしれない。その際には、ある一定額(貧困のわなを抜けるのに必要な貯蓄額)以上に貯蓄がたまるまでは貯蓄にタッチできないようにロックされることが望ましい。このような貯蓄口座の提供は実際に発展途上国で試験的に実施されている。
- このペーパーで構築された理論では、限界消費性向が消費者の資産額によって異なることになる。この理論は、データにおいて消費が過度に収入に反応する(excess sensitivity puzzle)ことに説明になるかもしれない。
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What People are Talking about Piketty
もう既に時期を逃したけれども、アメリカ等英語圏において2014年上半期の最大の話題作であったThomas Pikettyの"Capital in the Twenty-First Century"についてメモしておく。断っておくと、僕はこの本を読んでいない。そもそも読むスピードが遅いのに、700ページ近い本を読むほど時間はない。但し、話題の書なのでいろいろな人がコメントしているので、それらのコメントは興味深く読ませてもらった。ここでは、まず、(インターネット上のコメントに基づいているので間違っているかもしれないけれども)、Pikettyの本の概要を書いて、その後に、様々な角度から寄せられたコメントのうちいくつかについて書いてみる。ちなみに、Piketty自身によるスライドはここにある。
まずは本自体であるが、皆が絶賛するデータのパートと、皆が批判している理論のパート、それに政策のパートに分かれているようだ。以下、データのパートは1-x、理論のパートは2-x、最後の政策のパートには3-xという数字をつける。なお、データはPikettyのウェブサイトに公開されているので、そこから取らせてもらった。
(1-1) 資産(Capital)の不平等は19世紀の間、各国で上昇し続けた。しかし、20世紀前半、世界大戦や大恐慌が起こったことで多くの富が失われたため、資産の不平等は大幅に低下した。しかし、20世紀の半ば以降、経済が安定するにつれて、資産の不平等は再び上昇基調にある。
上のグラフは、アメリカにおいて、資産保有額で見た上位10%と上位1%がどれだけの資産を保有しているかを示している。1810年から1910年の間は上昇し、それ以降、1950年くらいまでは低下し、それ以降間tら上昇しつつあることが見て取れるであろう。
上のグラフは、アメリカとヨーロッパ(イギリス、フランス、スウェーデンの平均)の資産の不平等度合いの時に伴う変化を示している。どちらも、1910年まで上昇、20世紀中ごろまで低下、その後再び上昇というパターンが見て取れる。
(1-2) では、その背後には何があるのか?所得の不平等度合いも同じようなトレンドを示している。所得の不平等が資産の不平等を生み出している面がある。20世紀の初めは所得の不平等は激しかったが、20世紀の中ごろに向かうにつれて、不平等は低下した。しかし、1980年ごろ以降、アングロサクソンの国々では所得の不平等が再び高まっている。大陸ヨーロッパや日本でも所得の不平等は1980年ごろから緩やかな上昇基調にあるがアングロサクソンの国々ほどの所得の不平等の上昇は見られない。以下のグラフは所得の上位1%が国の全所得の何%を得ているかを描いたものである(1%であれば平等なのだがもちろん1%より高い)。
(1-3) では、所得の不平等の上昇の背後にあるものは何か。ひとつの要因は、所得に占める資産収入の割合が高まっていることである。資産はそもそも不平等の度合いが高いので、資産所得の比重が増加すると、資産を多く持つ(比較的少数の)人々の収入が大きく上昇する。
上のグラフは、総所得に占める資産収入の割合の変化を示している。どの国においても、資産収入の割合が1975年以降高まっていることが見て取れる。
(1-4) おそらく本の中では、これらの変化の背後にある経済の変化について丁寧な議論がなされているはずであるが、ここでは立ち入らない。例えば、労働を置き換える機械の発達で、労働者に回る収入が減少傾向にあるというのはよく言われているトレンドである。
(2-1) では、このような変化を理解し、さらに将来何が起こるかを理解するための理論的なフレームワークを紹介しよう。Pikettyが導入するフレームワークは「資本主義に関する3つの法則」から成り立っている。ではその一つ目を。資本主義に関する第1の法則とは、「資本所得が総所得に占める割合(上のグラフで示された割合)はr *(k/y)と表記できる」というものだ。ここでは、rは(実質)利子率。k/yは資本と所得の比率である。r*kが資本所得であることが理解できれば、この法則というのは単に資産所得の定義であることがわかる。この「法則」(法則なんて呼ぶようなものではないけれども)については誰も文句はつけていない。
(2-2) 資本主義に関する第2の法則とは「k/yはs/gと等しくなる」というものである。sというのは(資本減耗の分を差し引いたという意味での)純貯蓄率、gは経済全体の成長率である。貯蓄率が高まれば経済の資本ストックは高まるというのは理解できるであろう。成長率が高まると資本と所得の比率が小さくなるというのは理解しにくいかもしれないが、他を一定とすると、成長の速い経済であればあるほど、その高い成長率を維持するためにより多くの投資を必要とするので、経済の資本ストックの大きさは小さくなるというのが直感的な説明だ。この関係式から、今後経済の成長率(g)が低下していく一方、貯蓄率が変わらないとすると、資産と所得の比率は上がっていくことにある。例えば、s=12%、g=4%であれば資本の所得に対する比率は3倍であるが、将来的に成長率が2%まで低下すると
資本の所得に対する比率は6倍になることがこの関係式からわかる。
(2-3) さらに、これら二つの法則を組み合わせると、 資本所得が総所得に占める割合はrs/gと表記できる。sとrが変わらずにgだけ4%から2%に下がると、資本所得が総所得に占める割合が倍増することになる。
(2-4) 最後に、資本主義に関する第3の法則として「r>g」が挙げられる。利子率は経済の成長率より一般的に高い。労働収入(賃金)がgの率で伸びていくとする一方、資産収入はrの率で増えていくので、資産が経済全体の総収入に比べて速いスピードで膨張してゆき、資産の不平等が加速していくことになる。
(コメント) ここまで書いてきて、自分でもわけがわからなくなってしまった。そもそもPikettyがきちんとしたモデルを使っていないので混乱が生じているように見えるのと、やはり自分で読まないで書くとわけがわからなくなる。一応残してくけれども、またちゃんと理解できたら修正する。ごめんなさい。
(3-1) では、gが低下して、資産の量が増え、かつ資産の不平等が拡大して行くという状況を打破するためには何をしたらよいか。コメントを読む限りでは、資産(収入)に対する高率の課税を行うことで、資産収入が資産の不平等を拡大してゆくことを防ぐことを主張しているようだ。それに、資産が資産課税が低い国に逃げないように、国際的に協調して同時に高率の資産課税を実施することを象徴しているようだ。
では、いろいろな人がいろいろな角度から批判を加えているが、そのうちのいくつかを紹介したい。
(Financial TimesのChris Giles) Chris GilesはPikettyのデータ部分の数字を丹念に検証して、彼の数字に間違いがあることを報告した。 僕の記憶では、以下の4点が主要な批判だったと思う。
(Krusell and Smith) 彼らは、理論のパートにコメントを加えた。彼らの批判の中心は、Pikettyが使っているモデルはマクロ経済学者が通常使うソローあるいは新古典派成長モデルと異なっており、より一般的なモデルを使えば、gの変化が経済にそれほど大きな影響は与えない、というものである。ソローモデルをといたことがある人であれば、資産と所得の比率はs/gではなく、s/(g+d)であることを覚えていると思う。dは資本の減耗率である。Pikettyの場合は、成長の停滞や人口増加率の低下によってgが半分になると資産の所得に対する比率が倍になるけれども、スタンダードな成長モデルではそうではない。例えば、s=0.24(スタンダードな成長モデルでは貯蓄率は資本減耗分を含むので、Pikettyの使うsとは異なる)、d=0.06として、gが4%から2%に下がったとすると、資産と所得の比率は2.4から3に上がる。これももちろん大きな上昇率だけれども、Pikettyのモデルのような倍ということではない。
それに、貯蓄率が消費者によって決定される(Cass-Koopmansモデル)とすると、経済の成長率が下がれば貯蓄率も低下するので、資産と所得の比率の変化はより小さいものと成る。彼らは、アメリカにおいて、経済の成長率と貯蓄率を比べると、実際に負の関係があることを示した。彼らのグラフは以下のものだ。
上の線は(資本減耗も含んだ)貯蓄率(新古典派モデルで使われる)。下の線は(資本減耗を含まない)Pikettyの貯蓄率である。どちらのケースでも、貯蓄率は経済の成長率が低いときには低いという関係が見て取れる。
彼らは、Pikettyがスタンダードな成長モデルを使っていないことから生じてくるスタンダードなモデルとの違いについて細かく議論しているが、ここでは立ち入らない。
(Debraj Ray) Rayも、理論のパートにコメントを加えた。彼の主要な論点は、 資本主義に関する第3の法則(r>g)というのは、不平等とは関係なく多くのモデルで成り立つというものだ。よって、Pikettyが言うように、r>gが成り立つからといって、不平等の度合いが上昇するということは必ずしもないとコメントした。
(Bonnet, Bono, Chapelle, Wasmer) 彼らは、Pikettyの示した資産が所得に比べて急速に増加したという事実と、資産の不平等の度合いが上昇したという事実は、住宅価格の上昇によってかなりの部分を説明できることを、最近のペーパーで示した。住宅を除けば、生産に使われるという意味での資本の蓄積は特に急速に進んでいるわけではないし、資産の不平等が大幅に加速しているわけでもない。
そもそも元の本を読まずに書いている上、いろいろ書くことがありすぎて、 取り留めのないものになってしまった。ちょっとづつ改善していくので、許して欲しい。
まずは本自体であるが、皆が絶賛するデータのパートと、皆が批判している理論のパート、それに政策のパートに分かれているようだ。以下、データのパートは1-x、理論のパートは2-x、最後の政策のパートには3-xという数字をつける。なお、データはPikettyのウェブサイトに公開されているので、そこから取らせてもらった。
(1-1) 資産(Capital)の不平等は19世紀の間、各国で上昇し続けた。しかし、20世紀前半、世界大戦や大恐慌が起こったことで多くの富が失われたため、資産の不平等は大幅に低下した。しかし、20世紀の半ば以降、経済が安定するにつれて、資産の不平等は再び上昇基調にある。
上のグラフは、アメリカにおいて、資産保有額で見た上位10%と上位1%がどれだけの資産を保有しているかを示している。1810年から1910年の間は上昇し、それ以降、1950年くらいまでは低下し、それ以降間tら上昇しつつあることが見て取れるであろう。
上のグラフは、アメリカとヨーロッパ(イギリス、フランス、スウェーデンの平均)の資産の不平等度合いの時に伴う変化を示している。どちらも、1910年まで上昇、20世紀中ごろまで低下、その後再び上昇というパターンが見て取れる。
(1-2) では、その背後には何があるのか?所得の不平等度合いも同じようなトレンドを示している。所得の不平等が資産の不平等を生み出している面がある。20世紀の初めは所得の不平等は激しかったが、20世紀の中ごろに向かうにつれて、不平等は低下した。しかし、1980年ごろ以降、アングロサクソンの国々では所得の不平等が再び高まっている。大陸ヨーロッパや日本でも所得の不平等は1980年ごろから緩やかな上昇基調にあるがアングロサクソンの国々ほどの所得の不平等の上昇は見られない。以下のグラフは所得の上位1%が国の全所得の何%を得ているかを描いたものである(1%であれば平等なのだがもちろん1%より高い)。
(1-3) では、所得の不平等の上昇の背後にあるものは何か。ひとつの要因は、所得に占める資産収入の割合が高まっていることである。資産はそもそも不平等の度合いが高いので、資産所得の比重が増加すると、資産を多く持つ(比較的少数の)人々の収入が大きく上昇する。
上のグラフは、総所得に占める資産収入の割合の変化を示している。どの国においても、資産収入の割合が1975年以降高まっていることが見て取れる。
(1-4) おそらく本の中では、これらの変化の背後にある経済の変化について丁寧な議論がなされているはずであるが、ここでは立ち入らない。例えば、労働を置き換える機械の発達で、労働者に回る収入が減少傾向にあるというのはよく言われているトレンドである。
(2-1) では、このような変化を理解し、さらに将来何が起こるかを理解するための理論的なフレームワークを紹介しよう。Pikettyが導入するフレームワークは「資本主義に関する3つの法則」から成り立っている。ではその一つ目を。資本主義に関する第1の法則とは、「資本所得が総所得に占める割合(上のグラフで示された割合)はr *(k/y)と表記できる」というものだ。ここでは、rは(実質)利子率。k/yは資本と所得の比率である。r*kが資本所得であることが理解できれば、この法則というのは単に資産所得の定義であることがわかる。この「法則」(法則なんて呼ぶようなものではないけれども)については誰も文句はつけていない。
(2-2) 資本主義に関する第2の法則とは「k/yはs/gと等しくなる」というものである。sというのは(資本減耗の分を差し引いたという意味での)純貯蓄率、gは経済全体の成長率である。貯蓄率が高まれば経済の資本ストックは高まるというのは理解できるであろう。成長率が高まると資本と所得の比率が小さくなるというのは理解しにくいかもしれないが、他を一定とすると、成長の速い経済であればあるほど、その高い成長率を維持するためにより多くの投資を必要とするので、経済の資本ストックの大きさは小さくなるというのが直感的な説明だ。この関係式から、今後経済の成長率(g)が低下していく一方、貯蓄率が変わらないとすると、資産と所得の比率は上がっていくことにある。例えば、s=12%、g=4%であれば資本の所得に対する比率は3倍であるが、将来的に成長率が2%まで低下すると
資本の所得に対する比率は6倍になることがこの関係式からわかる。
(2-3) さらに、これら二つの法則を組み合わせると、 資本所得が総所得に占める割合はrs/gと表記できる。sとrが変わらずにgだけ4%から2%に下がると、資本所得が総所得に占める割合が倍増することになる。
(2-4) 最後に、資本主義に関する第3の法則として「r>g」が挙げられる。利子率は経済の成長率より一般的に高い。労働収入(賃金)がgの率で伸びていくとする一方、資産収入はrの率で増えていくので、資産が経済全体の総収入に比べて速いスピードで膨張してゆき、資産の不平等が加速していくことになる。
(コメント) ここまで書いてきて、自分でもわけがわからなくなってしまった。そもそもPikettyがきちんとしたモデルを使っていないので混乱が生じているように見えるのと、やはり自分で読まないで書くとわけがわからなくなる。一応残してくけれども、またちゃんと理解できたら修正する。ごめんなさい。
(3-1) では、gが低下して、資産の量が増え、かつ資産の不平等が拡大して行くという状況を打破するためには何をしたらよいか。コメントを読む限りでは、資産(収入)に対する高率の課税を行うことで、資産収入が資産の不平等を拡大してゆくことを防ぐことを主張しているようだ。それに、資産が資産課税が低い国に逃げないように、国際的に協調して同時に高率の資産課税を実施することを象徴しているようだ。
では、いろいろな人がいろいろな角度から批判を加えているが、そのうちのいくつかを紹介したい。
(Financial TimesのChris Giles) Chris GilesはPikettyのデータ部分の数字を丹念に検証して、彼の数字に間違いがあることを報告した。 僕の記憶では、以下の4点が主要な批判だったと思う。
- アメリカとイギリスの資産の不平等に関しては、別のデータを使うと、1970年ごろからの不平等の上昇については上昇度がPikettyが示したものに比べて緩やかである。
- Pikettyは「ヨーロッパ」として、イギリス、フランス、スウェーデンの3カ国の単純平均を取っている。そもそもこの3カ国の平均をヨーロッパと読んでいいのかというコメントもあるが、スウェーデンの不平等の度合いの上昇が高めなので、人口でウェイト付けをすると、「ヨーロッパ」の資産の不平等の上昇のスピードはPikettyが示したものより緩やかになる。
- 元データからグラフに数字を移す時に単純な間違いが散見された。
- また、理解できない調整が数字になされているときがある。
(Krusell and Smith) 彼らは、理論のパートにコメントを加えた。彼らの批判の中心は、Pikettyが使っているモデルはマクロ経済学者が通常使うソローあるいは新古典派成長モデルと異なっており、より一般的なモデルを使えば、gの変化が経済にそれほど大きな影響は与えない、というものである。ソローモデルをといたことがある人であれば、資産と所得の比率はs/gではなく、s/(g+d)であることを覚えていると思う。dは資本の減耗率である。Pikettyの場合は、成長の停滞や人口増加率の低下によってgが半分になると資産の所得に対する比率が倍になるけれども、スタンダードな成長モデルではそうではない。例えば、s=0.24(スタンダードな成長モデルでは貯蓄率は資本減耗分を含むので、Pikettyの使うsとは異なる)、d=0.06として、gが4%から2%に下がったとすると、資産と所得の比率は2.4から3に上がる。これももちろん大きな上昇率だけれども、Pikettyのモデルのような倍ということではない。
それに、貯蓄率が消費者によって決定される(Cass-Koopmansモデル)とすると、経済の成長率が下がれば貯蓄率も低下するので、資産と所得の比率の変化はより小さいものと成る。彼らは、アメリカにおいて、経済の成長率と貯蓄率を比べると、実際に負の関係があることを示した。彼らのグラフは以下のものだ。
上の線は(資本減耗も含んだ)貯蓄率(新古典派モデルで使われる)。下の線は(資本減耗を含まない)Pikettyの貯蓄率である。どちらのケースでも、貯蓄率は経済の成長率が低いときには低いという関係が見て取れる。
彼らは、Pikettyがスタンダードな成長モデルを使っていないことから生じてくるスタンダードなモデルとの違いについて細かく議論しているが、ここでは立ち入らない。
(Debraj Ray) Rayも、理論のパートにコメントを加えた。彼の主要な論点は、 資本主義に関する第3の法則(r>g)というのは、不平等とは関係なく多くのモデルで成り立つというものだ。よって、Pikettyが言うように、r>gが成り立つからといって、不平等の度合いが上昇するということは必ずしもないとコメントした。
(Bonnet, Bono, Chapelle, Wasmer) 彼らは、Pikettyの示した資産が所得に比べて急速に増加したという事実と、資産の不平等の度合いが上昇したという事実は、住宅価格の上昇によってかなりの部分を説明できることを、最近のペーパーで示した。住宅を除けば、生産に使われるという意味での資本の蓄積は特に急速に進んでいるわけではないし、資産の不平等が大幅に加速しているわけでもない。
そもそも元の本を読まずに書いている上、いろいろ書くことがありすぎて、 取り留めのないものになってしまった。ちょっとづつ改善していくので、許して欲しい。
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This Time is the Same.
流行に乗り遅れないうちに簡単にメモをしておく。ReinhartとRogoffが2010年に書いた”Growth in a Time of Debt”という論文がある。この論文のパンチラインは公的(つまり政府の)債務残高が大きい国は経済成長率が低いというものである。具体的には、先進国では、公的債務のGDPに占める割合が90%を超えている国の成長率は中央値(median)で年率1.6%、平均値(mean)では-0.1%である一方、 債務が90%未満の国は経済成長率が中央値で2.9-4.2%、平均値で2.8-4.1%と、ぜんぜん高いというものである。
もちろんこれは相関を述べているだけで、まともな学者であればそれをそのまま因果関係がある(特に債務が増えると経済成長率が低下する)ように解釈はしないのだが、センセーショナルな相関関係が常にそうであるように因果関係のように引用されてきた。
この研究に対してHerndon, Ash, and Pollinがこの結果は(1)なぜかいくつかの国が抜けていること、(2)ちょっと怪しいウェイト付け、(3)エクセルの表計算における式の間違い、に依存するものであり、これらの点を修正するとその結果は大きく変わることを示した。ペーパーのタイトルは "Does High Public Debt Consistently Stifle Economic Growth? A Critique of Reinhart and Rogoff,"である 。彼らがこのペーパーを書くきっかけになったのはReinhartとRogoffのペーパーの結果がうまく再現できないことに気づいたことらしい。
英語のブログ記事を基にもう少しだけ書くと、ReinhartとRogoffの研究の問題点として次の3点が挙げられている。
(1) ReinhartとRogoffはなぜかAustralia (1946-1950), New Zealand (1946-1949), およびCanada (1946-1950)を除いて各種の計算を行っている。これらの国は公的債務が大きいにもかかわらずGDP成長率は特に低くなかったので、これらの国を計算に含めると債務が大きい国と小さい国の成長率の差は小さくなる。ブログの記事によると、ReinhartとRogoffはいくつかの国が計算に含まれていないことを述べているだけでどの国がなぜ抜けているかについての説明はないらしい。特にNew Zealandのケースでは、GDP成長率が-7.6%である1950-1951年は含まれているのに関わらず、成長率が高かった1946-1949年は計算に含まれていない(これらの年を含めるとNew Zealandの経済成長率は2.6%になる)。
(2) ReinhartとRogoffは各国の平均成長率の更に平均を取っている。ブログに書いてあった例を挙げると、イギリスは1946-1964年の19年間で平均2.4%のGDP成長率を記録しているが、2年間で-7.6%の経済成長率だったNew Zealandとの平均を取る際に、何年経済成長が低かったかを考慮せずに2.4%と-7.6%の平均がとられている。
(3)エクセルで平均を計算する際に表の最初の5カ国であるAustralia, Austria, Belgium, Canada, および Denmarkが抜けていた。これらの国を含めても経済成長率の平均は大きく変わらなかったものの、この結果は、(2)で挙げたウェイト付けに依存している。ベルギーは公的債務がGDPの90%以上であった年が26年もあり、その間の平均の経済成長率は2.6%であるが、前で上げたようなNew Zealandの1年間の経済成長率(-7.6%)との単純平均がとられている。下の画像は、ReinhartとRogoffが使ったエクセルシートの合計の間違いを示している。
このペーパーの著者らは、これらの点を修正すると、公的債務がGDP比で90%以上の国の成長率は平均2.2%(-0.1%ではない!)で、債務比率が90%未満の国の成長率3.1-4.2%との差はずいぶん小さくなることを示した。
前にも書いたが、おそらくレフェリーもエディターももちろん計算を再現していないであろう、というのが大きな問題である。それに、このペーパーはAERに出たのだが、AERは誰でも結果を再現できるようにデータセットとコードの公開を義務付けているはずであるなのに、著者らはReinhartとRogoffに頼まなければエクセルシートが入手できなかったというのが悲しい。
ReinhartとRogoffの反論もすでに公開されているようだがまた今度にする。 おそらくは債務が大きい国の成長率はやはり低いから問題ないと主張するのだろうか。彼らの反論を読む前に、自分だったらどうやって反論するかを考えてみるのも面白いかも。
(追記、April 17)
yirwkさんが、この論文はいわゆるPP(Papers and Proceedings)なので レフェリーはついていないと指摘してくれた。ありがとう。PPは普通のペーパーとは扱いがぜんぜん違うことは知っているものの、ぜんぜんレフェリーがつかないことは知らなかった。データとコードに関する規定も適用されないのだろう(これを機に厳しくなるといいのだが)。急いで書くとこういうへまを犯してしまうのだ。申し訳ない。
もちろんこれは相関を述べているだけで、まともな学者であればそれをそのまま因果関係がある(特に債務が増えると経済成長率が低下する)ように解釈はしないのだが、センセーショナルな相関関係が常にそうであるように因果関係のように引用されてきた。
この研究に対してHerndon, Ash, and Pollinがこの結果は(1)なぜかいくつかの国が抜けていること、(2)ちょっと怪しいウェイト付け、(3)エクセルの表計算における式の間違い、に依存するものであり、これらの点を修正するとその結果は大きく変わることを示した。ペーパーのタイトルは "Does High Public Debt Consistently Stifle Economic Growth? A Critique of Reinhart and Rogoff,"である 。彼らがこのペーパーを書くきっかけになったのはReinhartとRogoffのペーパーの結果がうまく再現できないことに気づいたことらしい。
英語のブログ記事を基にもう少しだけ書くと、ReinhartとRogoffの研究の問題点として次の3点が挙げられている。
(1) ReinhartとRogoffはなぜかAustralia (1946-1950), New Zealand (1946-1949), およびCanada (1946-1950)を除いて各種の計算を行っている。これらの国は公的債務が大きいにもかかわらずGDP成長率は特に低くなかったので、これらの国を計算に含めると債務が大きい国と小さい国の成長率の差は小さくなる。ブログの記事によると、ReinhartとRogoffはいくつかの国が計算に含まれていないことを述べているだけでどの国がなぜ抜けているかについての説明はないらしい。特にNew Zealandのケースでは、GDP成長率が-7.6%である1950-1951年は含まれているのに関わらず、成長率が高かった1946-1949年は計算に含まれていない(これらの年を含めるとNew Zealandの経済成長率は2.6%になる)。
(2) ReinhartとRogoffは各国の平均成長率の更に平均を取っている。ブログに書いてあった例を挙げると、イギリスは1946-1964年の19年間で平均2.4%のGDP成長率を記録しているが、2年間で-7.6%の経済成長率だったNew Zealandとの平均を取る際に、何年経済成長が低かったかを考慮せずに2.4%と-7.6%の平均がとられている。
(3)エクセルで平均を計算する際に表の最初の5カ国であるAustralia, Austria, Belgium, Canada, および Denmarkが抜けていた。これらの国を含めても経済成長率の平均は大きく変わらなかったものの、この結果は、(2)で挙げたウェイト付けに依存している。ベルギーは公的債務がGDPの90%以上であった年が26年もあり、その間の平均の経済成長率は2.6%であるが、前で上げたようなNew Zealandの1年間の経済成長率(-7.6%)との単純平均がとられている。下の画像は、ReinhartとRogoffが使ったエクセルシートの合計の間違いを示している。
このペーパーの著者らは、これらの点を修正すると、公的債務がGDP比で90%以上の国の成長率は平均2.2%(-0.1%ではない!)で、債務比率が90%未満の国の成長率3.1-4.2%との差はずいぶん小さくなることを示した。
前にも書いたが、おそらくレフェリーもエディターももちろん計算を再現していないであろう、というのが大きな問題である。それに、このペーパーはAERに出たのだが、AERは誰でも結果を再現できるようにデータセットとコードの公開を義務付けているはずであるなのに、著者らはReinhartとRogoffに頼まなければエクセルシートが入手できなかったというのが悲しい。
ReinhartとRogoffの反論もすでに公開されているようだがまた今度にする。 おそらくは債務が大きい国の成長率はやはり低いから問題ないと主張するのだろうか。彼らの反論を読む前に、自分だったらどうやって反論するかを考えてみるのも面白いかも。
(追記、April 17)
yirwkさんが、この論文はいわゆるPP(Papers and Proceedings)なので レフェリーはついていないと指摘してくれた。ありがとう。PPは普通のペーパーとは扱いがぜんぜん違うことは知っているものの、ぜんぜんレフェリーがつかないことは知らなかった。データとコードに関する規定も適用されないのだろう(これを機に厳しくなるといいのだが)。急いで書くとこういうへまを犯してしまうのだ。申し訳ない。
Heterogeneous Policy Distortions and TFP
大学院生のときに、マクロの先生が、「これまでは家計側の異質性に焦点を当てた研究が多かったがこれからは企業の異質性に焦点を当てた研究が盛んになるはずなので、そちらの方に注力するのを薦める」といっていた。そのときにはあまり真剣に考えなかったのだが、今考えてみると、その予言は正しかったと思う。とはいえ、大学院生のころは、そのころ流行っていた研究についていくのに精一杯で、その先を見越すだけの視点がなかったのは残念だ。
最近、これとこれで、 企業の異質性に焦点を当てたペーパーを扱ったが、そのおおもとになっているペーパーはHopenhayn (ECO1992)とHopenhayn and Rogerson (JPE1993)である。今回軽く触れるのはHopenhayn and Rogersonのモデルをベースに、生産性が異なるたくさんの企業がいる経済で、ある企業を補助金で優遇して他の企業を税金によって罰するような政策を実施したときに、TFP(全企業の平均の生産性)やGDPがどのように影響を受けるかを分析したRestuccia and Rogerson (RED2008)である。最近扱ったBueraの一連の研究はこのモデルを簡略化する(企業の参入と退出を捨象した)一方で、企業の借り入れ制約を加えただけである。順番が逆になってしまったが、企業に異質性のあるモデルで政策の効果を分析するペーパーの基礎となっているペーパーなので簡単に紹介しておく。
モデルは最近扱ったモデルととても似ている。基本的には新古典派成長モデルなのだが、生産性の異なるたくさんの企業が存在しているとする。それぞれの企業は競争的価格で取引される資本と労働を投入して生産を行う。ただし、企業が存続し続けるためには毎期毎期ある一定のコストを支払わなければならない。生産性が低すぎて、そのコストに見合わない生産しかできない企業は生産をやめて市場から退出することになる。一方、市場にまだ参入していない企業もたくさんいて、ある一定のスタートアップコストを支払えば生産性がランダムに与えられて、生産を開始できる(最初に引いた生産性が低ければ生産を開始せずに退出する)。但し、あまりにたくさんの企業が参入すると、賃金等のコストが上昇してしまうので、参入する企業の数は内生的に制限される。このペーパーでは静学的均衡(steady-stateの訳はこれでいいのであろうか)のみを見ているので、退出する企業と参入する企業の数が一定で、生産している企業の数が変わらない状態のみを見ている。「静学的均衡」という言葉を使ったが、個々の企業レベルでは企業の生産量が変化したり企業が参入や退出をしたりしているので、経済全体で見た状態(生産している企業の数や総労働投入量、GDPなど)は一定であるが、その背後では個々の企業にいろいろなことが起こっていることに注意してほしい。ここがこれらの異質性のあるモデルの面白いところである。
では、このような経済があるときに、政府がそれぞれの企業にランダムに補助金を与えたり、税を課したりするとしよう。まったく同じ生産性の2つの企業A、Bがいれば、 AとB企業は同じ量を生産するのが効率的なはずだが、Aは税金を課され、一方Bには補助金を与えられるとするとAの生産量は減少し、Bの生産量は増えることになる。他におかしな要素がなければ、このような状態は、経済にとって非効率となる。例えば、半分の企業はランダムに(生産に対して)40%の税金がかかり、残り半分の企業には11%の補助金がかけられるとすると(11%という数字は経済全体の資本量が変わらないように選ばれている)、経済全体のTFPは8%低下し、(経済の総資本が変わらないように政策を選んでおり、経済全体の労働供給量は一定なので)、GDPも8%低下することがわかった。
では、生産性の低い企業に補助金を与えて、生産性の高い企業に(40%の)税金をかける政策を実施するとしよう。これがしばしば多くの政府が実施していると考えられる政策である。この場合、TFPとGDPは31%も減少することがわかった。では、政府は生産性の高い企業を助けるためにそういう企業に補助金を出し、生産性の低い企業に税金をかけるとしよう。それでも経済にとっては非効率になる。生産性が高い企業は政策の後押しがなくても最適なレベルまで生産を拡大しているはずなので、補助金を使ってそれ以上に生産をあげることは、無理をさせすぎている状態を生み出しているからである。例えば、生産性の高い10%の企業にのみ補助金を与え、残りの企業には40%の税金を課した場合、経済全体のTFPは5%低下することがわかった。
もし政府が補助金をどの企業にもあげなければ経済全体の資本蓄積量が低下するので、GDPは更に低下することになる。例えば、ランダムに半分の企業に40%の税金を課し、底利の半分には税金も補助金もつけないとすると、TFPは22%、GDPは35%も低下することになる。
このペーパーは、実際に各国で実施されている政策をモデル化しているわけではなく、いわばフレームワークを提供しているだけである。世界中で実施されている、企業レベルで影響を与えるさまざまな政策がマクロのレベルでどのような影響を与えているかを分析することは現在も行われている最先端の研究分野である。最近出た2013年1月号のREDはさまざまな具体的な例を分析したペーパーを集めた特集号であり、Restuccia and Rogersonが監修者となっている。Buera, Moll and Shinもペーパーを載せている。
個人的には、生産資源の分配を非効率にして平均的なTFPを引き下げる具体的な政策の分析を進める一方で、こういう政策がTFPの水準や成長率を高めるような理論・モデルにも興味がある。いわゆる「役に立つ産業政策」的な視点だ。ここで扱ったようなモデルは、政府は何もしないほうがよいという新古典派的なモデルなので、政策がTFPを引き下げるというのはすでに仮定されているようなものだ。インドのように一貫してTFPも経済成長率も低い国の政策を分析する際にはこれでいいかもしれないが、政府の行う政策は全て悪かというとそんなことはないはずで、そういうケースも分析できればなお面白いと思う。
最近、これとこれで、 企業の異質性に焦点を当てたペーパーを扱ったが、そのおおもとになっているペーパーはHopenhayn (ECO1992)とHopenhayn and Rogerson (JPE1993)である。今回軽く触れるのはHopenhayn and Rogersonのモデルをベースに、生産性が異なるたくさんの企業がいる経済で、ある企業を補助金で優遇して他の企業を税金によって罰するような政策を実施したときに、TFP(全企業の平均の生産性)やGDPがどのように影響を受けるかを分析したRestuccia and Rogerson (RED2008)である。最近扱ったBueraの一連の研究はこのモデルを簡略化する(企業の参入と退出を捨象した)一方で、企業の借り入れ制約を加えただけである。順番が逆になってしまったが、企業に異質性のあるモデルで政策の効果を分析するペーパーの基礎となっているペーパーなので簡単に紹介しておく。
モデルは最近扱ったモデルととても似ている。基本的には新古典派成長モデルなのだが、生産性の異なるたくさんの企業が存在しているとする。それぞれの企業は競争的価格で取引される資本と労働を投入して生産を行う。ただし、企業が存続し続けるためには毎期毎期ある一定のコストを支払わなければならない。生産性が低すぎて、そのコストに見合わない生産しかできない企業は生産をやめて市場から退出することになる。一方、市場にまだ参入していない企業もたくさんいて、ある一定のスタートアップコストを支払えば生産性がランダムに与えられて、生産を開始できる(最初に引いた生産性が低ければ生産を開始せずに退出する)。但し、あまりにたくさんの企業が参入すると、賃金等のコストが上昇してしまうので、参入する企業の数は内生的に制限される。このペーパーでは静学的均衡(steady-stateの訳はこれでいいのであろうか)のみを見ているので、退出する企業と参入する企業の数が一定で、生産している企業の数が変わらない状態のみを見ている。「静学的均衡」という言葉を使ったが、個々の企業レベルでは企業の生産量が変化したり企業が参入や退出をしたりしているので、経済全体で見た状態(生産している企業の数や総労働投入量、GDPなど)は一定であるが、その背後では個々の企業にいろいろなことが起こっていることに注意してほしい。ここがこれらの異質性のあるモデルの面白いところである。
では、このような経済があるときに、政府がそれぞれの企業にランダムに補助金を与えたり、税を課したりするとしよう。まったく同じ生産性の2つの企業A、Bがいれば、 AとB企業は同じ量を生産するのが効率的なはずだが、Aは税金を課され、一方Bには補助金を与えられるとするとAの生産量は減少し、Bの生産量は増えることになる。他におかしな要素がなければ、このような状態は、経済にとって非効率となる。例えば、半分の企業はランダムに(生産に対して)40%の税金がかかり、残り半分の企業には11%の補助金がかけられるとすると(11%という数字は経済全体の資本量が変わらないように選ばれている)、経済全体のTFPは8%低下し、(経済の総資本が変わらないように政策を選んでおり、経済全体の労働供給量は一定なので)、GDPも8%低下することがわかった。
では、生産性の低い企業に補助金を与えて、生産性の高い企業に(40%の)税金をかける政策を実施するとしよう。これがしばしば多くの政府が実施していると考えられる政策である。この場合、TFPとGDPは31%も減少することがわかった。では、政府は生産性の高い企業を助けるためにそういう企業に補助金を出し、生産性の低い企業に税金をかけるとしよう。それでも経済にとっては非効率になる。生産性が高い企業は政策の後押しがなくても最適なレベルまで生産を拡大しているはずなので、補助金を使ってそれ以上に生産をあげることは、無理をさせすぎている状態を生み出しているからである。例えば、生産性の高い10%の企業にのみ補助金を与え、残りの企業には40%の税金を課した場合、経済全体のTFPは5%低下することがわかった。
もし政府が補助金をどの企業にもあげなければ経済全体の資本蓄積量が低下するので、GDPは更に低下することになる。例えば、ランダムに半分の企業に40%の税金を課し、底利の半分には税金も補助金もつけないとすると、TFPは22%、GDPは35%も低下することになる。
このペーパーは、実際に各国で実施されている政策をモデル化しているわけではなく、いわばフレームワークを提供しているだけである。世界中で実施されている、企業レベルで影響を与えるさまざまな政策がマクロのレベルでどのような影響を与えているかを分析することは現在も行われている最先端の研究分野である。最近出た2013年1月号のREDはさまざまな具体的な例を分析したペーパーを集めた特集号であり、Restuccia and Rogersonが監修者となっている。Buera, Moll and Shinもペーパーを載せている。
個人的には、生産資源の分配を非効率にして平均的なTFPを引き下げる具体的な政策の分析を進める一方で、こういう政策がTFPの水準や成長率を高めるような理論・モデルにも興味がある。いわゆる「役に立つ産業政策」的な視点だ。ここで扱ったようなモデルは、政府は何もしないほうがよいという新古典派的なモデルなので、政策がTFPを引き下げるというのはすでに仮定されているようなものだ。インドのように一貫してTFPも経済成長率も低い国の政策を分析する際にはこれでいいかもしれないが、政府の行う政策は全て悪かというとそんなことはないはずで、そういうケースも分析できればなお面白いと思う。
Heterogeneous Firms and "Economic Miracles"
前回に続けて、BueraがShinと書いた最近のペーパー(”Financial Frictions and the Persitence of History: A Quantitative Exploration,” JPE forthcoming)にも触れてみることにする。モデルは前回のモデルと非常に似ている。生産性の異なる企業家がたくさんいる経済を考えてみよう。借り入れ制約があるせいで最適な生産水準を達成できない企業家がいると考える。今回のペーパーでは、同じようなモデルをつかって、いろいろな企業家がいる経済で金融摩擦(借り入れ制約)が経済成長にどのような影響を与えるかを分析している。
まずは、ペーパーのモチベーションとなる事実から見ていこう。著者らは、いわゆる「成長の奇跡(growth miracles)」と呼ばれるエピソードをいくつも取り出し、それらに共通する特徴を整理した。それらは以下の通りだ(ペーパーからグラフも転載しておく)。
1.大体のケースにおいて、経済成長は、大規模な改革ときっかけとして始まった。 彼らが分析した「成長の奇跡」には日本も含まれるので日本について彼らが書いていることをまとめると、日本では第2次大戦後(著者らは1949年が分岐点だと主張している)、補助金や価格統制を使った統制経済を自由化し、民間企業の効率的な運営に基づく経済に転換した。
2. 「成長の奇跡」とはいいつつも、経済成長は急激なものではなく、先進国にキャッチアップするには数十年の年月を要した。上のグラフでは、横軸は改革が始まった年からの年数(改革が始まった年が0)となっている。著者らのサンプルに含まれる国の平均が黒の太線、日本は赤の線だ。左上の労働者一人当たりのGDP(対US比)をみると、平均的な「奇跡」においては経済成長は少なくとも30年の間継続的に続いたことがわかる。
3.「成長の奇跡」における経済成長は、TFPの上昇で説明できる。左下のグラフがそれぞれの「奇跡」におけるTFPの動き(対US比)である。
4.投資のGDP比率は「成長の奇跡」の期間中、最初は上昇したがその後低下した。 このことは右上のグラフに示されている。と著者らは述べているものの、モデルでは低下するとはいえ、データも「低下した」というのはちょっと無理がある。データは、「安定化した」くらいが妥当であろう。
5.「成長の奇跡」の期間の大部分においては、金融セクターはあまり発展しないままだった。右下のグラフを見ると、「奇跡」の過程で民間の貸し出し額がGDPに占める比率はだんだん上昇していったものの、アメリカの水準(1990-2005年の平均)である1.75(黒の点線で示されている)には及んでいないことがわかる。この点も少し問題があると思う。アメリカにおいても、貸出額はだんだん増えていっているので、アメリカの最近の平均をみて「それより少ない」と述べるのはちょっと強引な気がする。
国の成長を見るためのレンズとして最も一般的に用いられているのは新古典派成長理論であるが、なぜそれでは満足いかないのであろうか?著者らは、もし上に挙げたようなエピソードを資本蓄積として理解しようとするのは無理があると主張する。理由は次の通りである。その場合は、経済成長(キャッチアップ)はとても急激に起こるはずであり、上の2.と反する。もちろんTFPは一定であり、3.に反する。投資のGDP比率は経済成長とともに低下するはずであり、4。に反する。では、TFPの上昇が「奇跡」を生み出したとしたらどうだろう。その場合、上で挙げた事実と整合的になる。但し、TFPの上昇はなぜ起こったのかは新古典派成長理論では説明することができない。つまり、このペーパーは、TFPの上昇の背後にあるものをモデル化したものだといえる。そしてモデル化の鍵となるのが、上で挙げた1.の事実なのである。
では、モデルを簡単に見ていこう。経済の中にたくさんの人がいる。それぞれの人は企業家としての能力 が異なっている。企業家になって自分のビジネスを立ち上げればとても生産性の高い人もいれば、企業家になっても大して生産性の高くない人もいる。それぞれの人は、各年のはじめに、企業家になるか労働者となって企業家が起こした企業で働くかを選ぶことができる。容易に想像ができるだろうが、企業家としての能力が低い人は労働者に成ることを選び、企業家としての能力の高い人が企業家になることを選ぶ。企業家になった場合、労働と機械(資本)を使って生産をすることになる。機械は、自分で持っている自己資本と金融セクターからの融資を使って毎年調達しなければならない。ここで一つ問題が生じる。機械を調達するために金融セクターから借りられる金額は自分が持っている自己資本の一定割合までという制約がある(借り入れ制約)。前回と同じ記号を用いると、自己資本額をK、借入額をDとすると、DはdKより小さくなければならない(dは定数とする)。前回と同じ例を用いると、ある企業家のKが1億円で、たとえばd=0.35であればこの人は3500万円までしか借りられないのである。何でもっと借りられないか、ということを説明する理論はいろいろあるが、最もわかりやすいものは破産である。破産の恐れがあると、あまり身の丈を超えた金額は貸すことができないというものである。しかし、モデルの中においては、単にdはあらかじめ定められた数となっている。この場合、とても生産性は高いので大きな企業を運営したい人がいたとしても、その人の自己資本がとても少なければ、たくさんの機械を借りることができない。自己資本が極端に少ない人は、生産性が高くても企業家になることすらあきらめて労働者になってしまっているかもしれない。一方、生産性の高い人に貸すことのできなかったお金がどこに行くかというと、企業家としての生産性はあまり高くない(労働者になるほどは低くはない)けれどもたくさん自己資本を持っているのでたくさん借りることのできる企業家に行ってしまうのである。この状態は非効率だ。なぜなら、生産性の高い人にお金を貸すことができれば、経済全体の生産性は高まるからである。そういう意味で、この経済では、金融摩擦(financial friction、ここでは借り入れ制約)が経済全体の生産性、および生産量を下げてしまっている。
著者らは、更に、改革が始まる前の状態(日本では1949年以前)では政府が生産性の低い企業家に補助金を出して彼らの生産量を更に引き上げ、生産性が高い企業家に高い税金を課して生産性の高い企業の成長を阻んでいると仮定する。個人的には、あまりに大雑把過ぎるに思えるが、政府が資源配分をゆがめているときの影響を分析した多くのペーパーで用いられているので、まぁ、いいのであろう。このような状態では、生産性の低い(高い)企業の生産がより大きく(小さく)なってしまっている。
では、この状態から、日本で言えば1949年に、突然大規模な改革が起こり、上で説明したような補助金および税金が撤廃されたとしよう。この経済に何が起こるかを分析したのがこのペーパーの主要な実験である。彼らのモデルにおいては大規模な改革後は次のようなことが起こる。
最後に、著者らは、このモデルと整合的な事実として、以下の3つを挙げている。
モデル自体は、こういうモデルが好きな学校(Rochester、Minnesota、Penn、NYU...)でマクロを勉強している2年生であれば解ける程度の簡単なモデルであるが、こういうモデルがまだ使われていない成長論のような分野でうまく使えばトップジャーナルに行くというお手本のようなペーパーだと思う。
まずは、ペーパーのモチベーションとなる事実から見ていこう。著者らは、いわゆる「成長の奇跡(growth miracles)」と呼ばれるエピソードをいくつも取り出し、それらに共通する特徴を整理した。それらは以下の通りだ(ペーパーからグラフも転載しておく)。
1.大体のケースにおいて、経済成長は、大規模な改革ときっかけとして始まった。 彼らが分析した「成長の奇跡」には日本も含まれるので日本について彼らが書いていることをまとめると、日本では第2次大戦後(著者らは1949年が分岐点だと主張している)、補助金や価格統制を使った統制経済を自由化し、民間企業の効率的な運営に基づく経済に転換した。
2. 「成長の奇跡」とはいいつつも、経済成長は急激なものではなく、先進国にキャッチアップするには数十年の年月を要した。上のグラフでは、横軸は改革が始まった年からの年数(改革が始まった年が0)となっている。著者らのサンプルに含まれる国の平均が黒の太線、日本は赤の線だ。左上の労働者一人当たりのGDP(対US比)をみると、平均的な「奇跡」においては経済成長は少なくとも30年の間継続的に続いたことがわかる。
3.「成長の奇跡」における経済成長は、TFPの上昇で説明できる。左下のグラフがそれぞれの「奇跡」におけるTFPの動き(対US比)である。
4.投資のGDP比率は「成長の奇跡」の期間中、最初は上昇したがその後低下した。 このことは右上のグラフに示されている。と著者らは述べているものの、モデルでは低下するとはいえ、データも「低下した」というのはちょっと無理がある。データは、「安定化した」くらいが妥当であろう。
5.「成長の奇跡」の期間の大部分においては、金融セクターはあまり発展しないままだった。右下のグラフを見ると、「奇跡」の過程で民間の貸し出し額がGDPに占める比率はだんだん上昇していったものの、アメリカの水準(1990-2005年の平均)である1.75(黒の点線で示されている)には及んでいないことがわかる。この点も少し問題があると思う。アメリカにおいても、貸出額はだんだん増えていっているので、アメリカの最近の平均をみて「それより少ない」と述べるのはちょっと強引な気がする。
国の成長を見るためのレンズとして最も一般的に用いられているのは新古典派成長理論であるが、なぜそれでは満足いかないのであろうか?著者らは、もし上に挙げたようなエピソードを資本蓄積として理解しようとするのは無理があると主張する。理由は次の通りである。その場合は、経済成長(キャッチアップ)はとても急激に起こるはずであり、上の2.と反する。もちろんTFPは一定であり、3.に反する。投資のGDP比率は経済成長とともに低下するはずであり、4。に反する。では、TFPの上昇が「奇跡」を生み出したとしたらどうだろう。その場合、上で挙げた事実と整合的になる。但し、TFPの上昇はなぜ起こったのかは新古典派成長理論では説明することができない。つまり、このペーパーは、TFPの上昇の背後にあるものをモデル化したものだといえる。そしてモデル化の鍵となるのが、上で挙げた1.の事実なのである。
では、モデルを簡単に見ていこう。経済の中にたくさんの人がいる。それぞれの人は企業家としての能力 が異なっている。企業家になって自分のビジネスを立ち上げればとても生産性の高い人もいれば、企業家になっても大して生産性の高くない人もいる。それぞれの人は、各年のはじめに、企業家になるか労働者となって企業家が起こした企業で働くかを選ぶことができる。容易に想像ができるだろうが、企業家としての能力が低い人は労働者に成ることを選び、企業家としての能力の高い人が企業家になることを選ぶ。企業家になった場合、労働と機械(資本)を使って生産をすることになる。機械は、自分で持っている自己資本と金融セクターからの融資を使って毎年調達しなければならない。ここで一つ問題が生じる。機械を調達するために金融セクターから借りられる金額は自分が持っている自己資本の一定割合までという制約がある(借り入れ制約)。前回と同じ記号を用いると、自己資本額をK、借入額をDとすると、DはdKより小さくなければならない(dは定数とする)。前回と同じ例を用いると、ある企業家のKが1億円で、たとえばd=0.35であればこの人は3500万円までしか借りられないのである。何でもっと借りられないか、ということを説明する理論はいろいろあるが、最もわかりやすいものは破産である。破産の恐れがあると、あまり身の丈を超えた金額は貸すことができないというものである。しかし、モデルの中においては、単にdはあらかじめ定められた数となっている。この場合、とても生産性は高いので大きな企業を運営したい人がいたとしても、その人の自己資本がとても少なければ、たくさんの機械を借りることができない。自己資本が極端に少ない人は、生産性が高くても企業家になることすらあきらめて労働者になってしまっているかもしれない。一方、生産性の高い人に貸すことのできなかったお金がどこに行くかというと、企業家としての生産性はあまり高くない(労働者になるほどは低くはない)けれどもたくさん自己資本を持っているのでたくさん借りることのできる企業家に行ってしまうのである。この状態は非効率だ。なぜなら、生産性の高い人にお金を貸すことができれば、経済全体の生産性は高まるからである。そういう意味で、この経済では、金融摩擦(financial friction、ここでは借り入れ制約)が経済全体の生産性、および生産量を下げてしまっている。
著者らは、更に、改革が始まる前の状態(日本では1949年以前)では政府が生産性の低い企業家に補助金を出して彼らの生産量を更に引き上げ、生産性が高い企業家に高い税金を課して生産性の高い企業の成長を阻んでいると仮定する。個人的には、あまりに大雑把過ぎるに思えるが、政府が資源配分をゆがめているときの影響を分析した多くのペーパーで用いられているので、まぁ、いいのであろう。このような状態では、生産性の低い(高い)企業の生産がより大きく(小さく)なってしまっている。
では、この状態から、日本で言えば1949年に、突然大規模な改革が起こり、上で説明したような補助金および税金が撤廃されたとしよう。この経済に何が起こるかを分析したのがこのペーパーの主要な実験である。彼らのモデルにおいては大規模な改革後は次のようなことが起こる。
- 補助金を受け取っていた生産性の低い企業は補助金の撤廃に伴って、生産を縮小する。
- 税金が撤廃された企業は生産を拡大する。税金が撤廃されたことで、これまでは企業家になることをあきらめていた労働者も企業家としての生産性が高ければ企業家になる。
- 但し、生産性の高い企業家による生産の拡大は緩やかなものとなる。なぜなら、借り入れ制約によって、生産をすぐに拡大できないからだ。
- 生産性が高い企業の生産が増加し、生産性の低い企業の生産が縮小するにつれ、経済全体で見た生産性(TFPとして測ることができる)は上昇してゆく。
- 生産性の高い起業はより多く借りるために自己資本を増やさなければならない。よって、彼らの貯蓄率は高くなる。一方、生産性の低い企業は緩やかに貯蓄を減らしてゆく(消費の平準化)。よって、経済全体で見れば貯蓄率(閉鎖経済なので投資のGDP比に等しい)は上昇する。生産性の高い企業が十分自己資本を蓄積した後は、経済全体の貯蓄率は低下する。
- dが動かなければ、貸出額はあまり大幅には増加しない。
最後に、著者らは、このモデルと整合的な事実として、以下の3つを挙げている。
- 中国と台湾においては、改革後、民間セクターが国全体の生産に占める比率が一貫して上昇していった。 民間セクターを「生産性の高い企業家」のようなものとして捕らえればこの事実はモデルと整合的である。
- 「奇跡」が起こった多くの国において、改革の直後には、産業間を移動する労働者の数が上昇し、その数字はだんだん低下していった。産業間を移動する労働者の数が、生産性の低い企業から高い企業への資源移転の程度を表していると考えれば、この事実はモデルと整合的である。
- 日本、シンガポール、韓国においては、平均的な企業の大きさが上昇した。モデルの中では、補助金や税金の撤廃されると、生産性の高い企業に生産がだんだん集中していくので、この事実もモデルのダイナミクスと整合的である。
モデル自体は、こういうモデルが好きな学校(Rochester、Minnesota、Penn、NYU...)でマクロを勉強している2年生であれば解ける程度の簡単なモデルであるが、こういうモデルがまだ使われていない成長論のような分野でうまく使えばトップジャーナルに行くというお手本のようなペーパーだと思う。
Rising Asia or European/American Blip?
どうでもいいといえばどうでもいい話なのだけれども、前回紹介したDe Nardi et al.の論文が最新のJPEに出ていた。重要な質問に説得力のある新しい答えを出せばトップジャーナルにいくのだ。
しばらく前のEconomistで、アジアが急に躍進という考え方は間違っていて、産業革命以来しばらくの間欧米の経済規模が相対的に拡大してきたのが、元に戻りつつあるだけである、というような話が書いてあった。そこで引用されているデータは西暦1000年から始まっているが、データソースを見てみたところ西暦1年からのデータが整備されていたので(どうやって作られたかは聞かないでほしい)、グラフを作成してみた。このデータを整備しているのはAngus Maddisonである。IMFなども彼のデータを使っているので、恥ずかしながら、僕は聞いたことがなかったけれども、この分野では有名な人なのかもしれない。
では、まずはEconomistにはなかったが、人口の比率のグラフから。アジア対欧米という切り口だけではもったいないので、Economistに掲載されたグラフより分類が細かいものを作ってみた。産業革命の時期に欧米の人口比率が急増したものの、アジアの比率が再び巻き返してきている。欧米、日本などのいわゆる「先進国」は人成長率が鈍化あるいはマイナスになっている国が多いので、しばらくは現在の傾向が続くのだろう。ちなみに、グラフは2030年まで描かれているが、2030年の予測がどのように作られたかは聞かないでほしい。

では、Economistでも使われていたGDP比率のグラフを以下に示す。

「その他アジア」の比率が1940年だけ急増しているが、これは、中国のGDPがゼロであった一方、現在の中国にあたる地域の生産が「アジア全体」にカウントされているからだと思う。これをみると、Economistの言っていた、アジアの躍進という考え方は間違い、というのもうなずける。国のサイズを考えれば日本だってまだまだ捨てたものではない。とはいえ、最近の相対的な成長率の鈍化も明確に見て取れる。
しばらく前のEconomistで、アジアが急に躍進という考え方は間違っていて、産業革命以来しばらくの間欧米の経済規模が相対的に拡大してきたのが、元に戻りつつあるだけである、というような話が書いてあった。そこで引用されているデータは西暦1000年から始まっているが、データソースを見てみたところ西暦1年からのデータが整備されていたので(どうやって作られたかは聞かないでほしい)、グラフを作成してみた。このデータを整備しているのはAngus Maddisonである。IMFなども彼のデータを使っているので、恥ずかしながら、僕は聞いたことがなかったけれども、この分野では有名な人なのかもしれない。
では、まずはEconomistにはなかったが、人口の比率のグラフから。アジア対欧米という切り口だけではもったいないので、Economistに掲載されたグラフより分類が細かいものを作ってみた。産業革命の時期に欧米の人口比率が急増したものの、アジアの比率が再び巻き返してきている。欧米、日本などのいわゆる「先進国」は人成長率が鈍化あるいはマイナスになっている国が多いので、しばらくは現在の傾向が続くのだろう。ちなみに、グラフは2030年まで描かれているが、2030年の予測がどのように作られたかは聞かないでほしい。

では、Economistでも使われていたGDP比率のグラフを以下に示す。

「その他アジア」の比率が1940年だけ急増しているが、これは、中国のGDPがゼロであった一方、現在の中国にあたる地域の生産が「アジア全体」にカウントされているからだと思う。これをみると、Economistの言っていた、アジアの躍進という考え方は間違い、というのもうなずける。国のサイズを考えれば日本だってまだまだ捨てたものではない。とはいえ、最近の相対的な成長率の鈍化も明確に見て取れる。
New Kaldor Facts
AEJ Macroを眺めていたときに見つけた、Jones and P.Romer(2010)を簡単に整理する。この論文はいわゆる「カルドア事実(Kaldor facts)」をアップデートしたものである。カルドア事実とは何か。それは、1961年にカルドアが提示した、growth modelが満たすべき6つのstylized factsである。Kaldor factsをどのように訳すのかと思って検索してみたら、himaginaryさんという人が既にかなり前にこのことを書いていたのがわかったんだけれども、まぁ、自分のために書いているようなものなので気にせず書くことにする。訳し方とかはhimaginaryさんの方が正確かもしれない。
オリジナルのカルドア事実は20世紀の経済成長において観察された以下の6つのstylized factsである。
1.労働生産性は安定的に成長した。
2.労働者一人当たりの資本も安定的に成長した。
3.実質金利(=資本のリターン)は安定していた。
4.資産と産出量の比率(Capital output ratio)は安定していた。
5.資本収入と労働収入が総収入に占める割合は安定していた。
6.高成長した国においてかなりの(2-5%程度の)成長率の格差があった。
なぜこれらが有名になったかというと、これら(正確には最初の5つ)を満たすモデルとして、ソローモデルが作られ、かつ、ソローモデルを発展させることで作られてきた近年の主要なマクロモデルは基本的にまずこれらを満たすように作られているからである。例えば、RBCモデルも成長理論で使われるモデルと景気循環のモデルの統合を目指していたので、トレンドが除去されていないスタンダードなRBCモデルもカルドア事実を(平均的に)満たしている。
では、Jones and Romerが提示した、新しいカルドア事実を順に見ていく。成長理論が専門ではないことを断った上で書くが、これらがオリジナルのカルドア事実のような地位を占めるとはとても考えにくい。これらの事実がすべてのマクロモデルに必要な要素にはとても見えないからだ。とはいえ、成長論の第1人者が作ったリストであるから50年後にはオリジナルのカルドア事実のような地位を占めているのかもしれない。
1.グローバル化、都市化に伴い、モノ、アイデア、金融、人々の動きが活発になった(かなりの意訳である。もとの文章の意味は恥ずかしながらいまひとつよくわからない)。その例として、世界全体の貿易が世界全体のGDPに占める割合が1960年には25%程度だったのが、2000年には45%ほどまで上昇したこと、及び、FDI(直接投資)のGDPに占める割合が1965年の0.1%程度から2006年には2.8%まで、およそ30倍になった、ことを挙げている。
2.人口成長率と国民一人当たりGDPの成長率は過去数千年は0%であったのが直近の100年でかなり高いものになった。アメリカと欧州12カ国のデータによると、人口成長率は、西暦0年から約1000年の間はほぼゼロ、1000年から1750年あたり(産業革命)の間は0.3%、1750年から2000年の間は約1%であった。一人当たりGDPの成長率は西暦0年から約1000年の間は人口成長率と同様にほぼゼロ、1000年から1750年あたり(産業革命)の間は0.2%、1750年から2000年の間は約2%であった。
3.一人当たりGDPの成長率のばらつき度合いは一人当たりGDPが高いグループほど小さい。これは、OECD諸国の成長率の差と、途上国の成長率の差を考えれば容易に理解できるだろう。
4.一人当たりGDPの国による格差のうち、労働と資本の投入量の格差によって説明できる部分は半分以下である。シンプルなモデルだと残りの部分(Solow residuals)はTFPの格差で「説明」することになる。このTFPの格差をいかにより深い理論で「説明」するかという研究がParente and Prescottなどによってなされている。
5.労働者一人当たりの人的資本(Human capital)は世界中で上昇している。その証拠として、アメリカにおける平均教育年数が、1880年(生まれの世代)の7.5年から1980年には14年まで安定的に上昇したことが挙げられている。
6.人的資本の供給量の増加は、人的資本の価格の下落を招いていない。もう少し噛み砕いた言い方をすると、大学卒の労働者(のsupply)が世界中で増えているのに、大学卒の労働者の賃金が下がらないのは、puzzleとして知られている。一番受け入れられている理論は、skill-biased technological changeというものである。この理論によると、人的資本を多く持つ労働者が増えれば、人的資本の生産性をより高める技術(skill-biased technology)が発展することで、人的資本を持つ労働者の需要も合わせて増加するので、人的資本の価格が下がらない。
最後に、著者らは、これらの新しいカルドア事実をモデル化するに当たって重要な要素として、(非競合的な)アイデア、組織、人口、人的資本、を挙げている。
オリジナルのカルドア事実は20世紀の経済成長において観察された以下の6つのstylized factsである。
1.労働生産性は安定的に成長した。
2.労働者一人当たりの資本も安定的に成長した。
3.実質金利(=資本のリターン)は安定していた。
4.資産と産出量の比率(Capital output ratio)は安定していた。
5.資本収入と労働収入が総収入に占める割合は安定していた。
6.高成長した国においてかなりの(2-5%程度の)成長率の格差があった。
なぜこれらが有名になったかというと、これら(正確には最初の5つ)を満たすモデルとして、ソローモデルが作られ、かつ、ソローモデルを発展させることで作られてきた近年の主要なマクロモデルは基本的にまずこれらを満たすように作られているからである。例えば、RBCモデルも成長理論で使われるモデルと景気循環のモデルの統合を目指していたので、トレンドが除去されていないスタンダードなRBCモデルもカルドア事実を(平均的に)満たしている。
では、Jones and Romerが提示した、新しいカルドア事実を順に見ていく。成長理論が専門ではないことを断った上で書くが、これらがオリジナルのカルドア事実のような地位を占めるとはとても考えにくい。これらの事実がすべてのマクロモデルに必要な要素にはとても見えないからだ。とはいえ、成長論の第1人者が作ったリストであるから50年後にはオリジナルのカルドア事実のような地位を占めているのかもしれない。
1.グローバル化、都市化に伴い、モノ、アイデア、金融、人々の動きが活発になった(かなりの意訳である。もとの文章の意味は恥ずかしながらいまひとつよくわからない)。その例として、世界全体の貿易が世界全体のGDPに占める割合が1960年には25%程度だったのが、2000年には45%ほどまで上昇したこと、及び、FDI(直接投資)のGDPに占める割合が1965年の0.1%程度から2006年には2.8%まで、およそ30倍になった、ことを挙げている。
2.人口成長率と国民一人当たりGDPの成長率は過去数千年は0%であったのが直近の100年でかなり高いものになった。アメリカと欧州12カ国のデータによると、人口成長率は、西暦0年から約1000年の間はほぼゼロ、1000年から1750年あたり(産業革命)の間は0.3%、1750年から2000年の間は約1%であった。一人当たりGDPの成長率は西暦0年から約1000年の間は人口成長率と同様にほぼゼロ、1000年から1750年あたり(産業革命)の間は0.2%、1750年から2000年の間は約2%であった。
3.一人当たりGDPの成長率のばらつき度合いは一人当たりGDPが高いグループほど小さい。これは、OECD諸国の成長率の差と、途上国の成長率の差を考えれば容易に理解できるだろう。
4.一人当たりGDPの国による格差のうち、労働と資本の投入量の格差によって説明できる部分は半分以下である。シンプルなモデルだと残りの部分(Solow residuals)はTFPの格差で「説明」することになる。このTFPの格差をいかにより深い理論で「説明」するかという研究がParente and Prescottなどによってなされている。
5.労働者一人当たりの人的資本(Human capital)は世界中で上昇している。その証拠として、アメリカにおける平均教育年数が、1880年(生まれの世代)の7.5年から1980年には14年まで安定的に上昇したことが挙げられている。
6.人的資本の供給量の増加は、人的資本の価格の下落を招いていない。もう少し噛み砕いた言い方をすると、大学卒の労働者(のsupply)が世界中で増えているのに、大学卒の労働者の賃金が下がらないのは、puzzleとして知られている。一番受け入れられている理論は、skill-biased technological changeというものである。この理論によると、人的資本を多く持つ労働者が増えれば、人的資本の生産性をより高める技術(skill-biased technology)が発展することで、人的資本を持つ労働者の需要も合わせて増加するので、人的資本の価格が下がらない。
最後に、著者らは、これらの新しいカルドア事実をモデル化するに当たって重要な要素として、(非競合的な)アイデア、組織、人口、人的資本、を挙げている。














