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Neo-Fisher Effect or Standard Monetary Stimulus?

日本等において、金融緩和を実施しても、インフレ率は上がらず、景気(GDP)も大きく改善しているようには見えないことから、ネオ・フィッシャー効果を考えるべきではないかと主張している人たちがいる。

今回紹介するペーパーに倣ってちょっと整理をしてみる。

行からみると、1行目は一時的な(名目)政策金利引き上げの効果、2行目は永続的な政策金利引き上げの効果が示されている。列を見ると、1列目は、長期的なインフレ率・GDPへの効果、2列目は、短期的な効果を示している。

青いマスから見てみよう。一時的に政策金利を引き上げても、一時的という性質上、政策金利は元に戻すという想定なので、長期的には何の効果もない。

オレンジのマスは、いわゆるフィッシャー効果を表している。名目の政策金利を永続的に引き上げた場合、長期的には実体経済には影響はないと考えられるので、GDPや実質金利は影響を受けない。よって、長期的には名目金利は高いレベルに維持されるけれども、実質金利は前と同じなので、インフレ率は上昇しなければならない、というのが、フィッシャー方程式の意味するところなので、このような帰結はフィッシャー効果といわれる。

フィッシャー効果が(大まかに言って)成立しているというエビデンスとしてよく見られるのが、以下のようなグラフである。
一つ一つの青い点が国である。左側のグラフはデータがあった99か国すべて、右側のグラフはOECD諸国(いわゆる先進国)26か国を示している。X軸は、1989年から2012年の平均インフレ率、Y軸は同じ期間の名目金利である。どちらのグラフにおいても、青い点は大まかには45度線(グラフの中の斜めの線)に近い。つまり、23年間の平均インフレ率が1%高い国はその期間も名目金利も1%高いということであり、フィッシャー効果と整合的である。

黄色のマスが、いわゆる金融政策の普通の考え方である。一時的に政策金利を引き上げると、インフレ率はすぐには反応しないので(いわゆる価格の粘着性)、実質金利は上昇する。実質金利が上昇すると、企業が借り入れを行って投資するコストが高まるので企業は投資を控え、家計も実質金利が高まるので借り入れを減らしたり貯蓄を増やしたりする。それによって、今現在の消費は減ることになる。どっちの効果が大きいにしても、企業や家計の需要が減少するので、GDPもそれを反映して減少するというロジックだ。

最後に、緑色のマスが、ネオ・フィッシャー効果と呼ばれるものである。これは、政策金利の引き上げが永続的であれば、フィッシャー効果(オレンジのマス)が短期にも有効だという考え方である。フィッシャー効果と同じく、名目の政策金利は永続的に引き上げられ、かつ、実質金利が名目金利ほど大きく反応しないとすると、その差であるインフレ率は短期的であれ上昇するというものである。ただ、GDPにどのような影響を与えるかはよくわからない。

今日軽く紹介するペーパー("The Neo-Fisher Effect: Econometric Evidence from Empirical and Optimizing Models" by Martin Uribe)は、アメリカのデータを使って、ネオ・フィッシャー効果が存在するか、存在するとすればGDPへの影響はどのようなものか、を分析してみたものだ。著者は、VARとシンプルなニューケインジアン(NK)モデルの両方で、一時的な政策金利へのショックと永続な政策金利へのショックが存在するモデルをベイズ推定した。

著者によると、どちらのモデルでも結果は一緒だったので、説明としては簡単なVARを使って説明してみる。子のペーパーで使われたVARのモデルは、GDPとインフレ率と名目金利の3つの変数がVARで決まり、GDPとインフレ率に永続的なショックと一時的なショックがあるというものである。著者が推定したVARモデルが、ショックにどのように反応するかを見てみよう。
左側が永続的な金利へのショック、右が短期的な金利へのショック、上は名目金利とインフレ率の反応、下はGDPの反応を示している。右側からみていこう。名目金利が一時的に1%引き上げたとき(赤の点線を見ればわかるとおり、金利の引き上げは半年で終わって元の金利のレベルに戻る)、インフレ率は低下し、GDPも低下する。これはスタンダードな短期的な金融引き締め効果と同じである。

では、左側のグラフを見てみよう。名目金利ショックが永続的であった場合、名目金利は1%上がり、そのレベルで安定する(赤の点線)。ちょっと驚くべきことに、インフレ率もすぐに1%上のレベルに到達する。つまり、推定されたモデルによると、ネオ・フィッシャー効果が存在している(フィッシャー効果は短期的にも有効)ということになる。しかも、インフレ率の方が名目金利より強く反応している、つまり、実質金利はちょっと下がっているということだ。それと整合的に、名目金利は引き上げられたにもかかわらず、GDPは上がっている。つまり、政策金利を永続的に1%引き上げた場合、インフレ率もすぐに反応して約1%上昇し、GDPは短期的にではあるが0.5%上昇するのである(長期的にはもちろんGDPへの影響はない)。

これまでの分析はアメリカのデータを使ってなされているけれども、ペーパーでは日本のデータの分析も行われている。日本のデータを使った結果を下に示しておく。
短期的な金利引き上げの効果は代替アメリカと同じで、名目利子率はすぐに上がるものの2.5年くらいで元に戻る。インフレ率も2.5年くらい低いレベルになる。GDPも2.5年くらいの間、0.5%程度低いレベルに落ちた後でだんだん元のレベルに戻っていく。

名目金利が1%上昇するショックが永続的なものであった場合、名目金利は1年程度かけて1%上のレベルに到達し、そこにとどまる。インフレ率は2年くらいかけて1%高いレベルに到達する。つまり、ネオ・フィッシャー効果は1年程度で現れるということである。しかも、インフレ率の上昇は名目金利の上昇に比べて遅いので、GDPは大きく上昇する。推定されたモデルによると、GDPは1.5%くらい上昇し、その効果はかなり長く続く。

著者の解釈に従うと、日本で起こっているのは、金融緩和が永続的に続けられることは、永続的な名目金利引き下げのショックであり、上のグラフと逆の効果(名目金利は低位安定、インフレ率も低位安定、GDPは長期的に停滞)が表れていると解釈できる。

もちろん、これらの効果がどのようにidentifyされているかが重要(僕にはよくわからない)なので、モデルの結果はもちろん鵜呑みにはできないんだけれども、ネオ・フィッシャー効果は本当に短期的に表れうるのか、データから支持されるのかという重要な質問に対して、挑発的な答えを提示した論文として、個人的には好みである。

NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (4)

引き続き、NBER Summer InstituteのMicro Data and Macro Modelsで発表されたペーパーのメモ。最後は最終日のペーパー。ほかのセッションも出たが、今回で、NBER Summer Instituteのペーパーについて書くのは終わりになるような気がする。そして余力があれば通常営業に戻る予定である。

Corbae and Glover, "Employer Credit Checks: Poverty Traps versus Matching Efficiency"
アメリカでは、雇用しようか考えている人のクレジットヒストリー(破産したかとか、債務をきちんと返済しているかとかがわかる)をチェックすることが普通に行われている。彼らのペーパーによると、ある人事部の人へのインタビューによると60%の会社でクレジットヒストリーをチェックして採用するか否かを決める材料に使っていた。もし、patientな(将来のことを重視する)労働者とpatientでない労働者がいるとすると、前者の方がクレジットヒストリーはよく、彼らの方が長い目で自分への投資などを行うので、好ましい人材となりうる。ただ、この場合、patientでない労働者は職が見つかりづらくなり、その結果、借金の返済に困ったりして、クレジットヒストリーが下がって、さらに職が見つかりにくくなるという負のスパイラルに陥る状況を生み出してしまう。このような状況を避けるには雇用の決定をする際にクレジットヒストリーを参照するのを禁止すればよいということもできるが、この場合、企業は欲しい人材が採用できなくなるし、クレジットヒストリーが悪くても雇用に影響がないということで期限通りに借金の返済などをするインセンティブが損なわれてしまう。このような複雑な状況を一般均衡モデルで分析した論文である。

Braxton, Herkenhoff, and Phillips, "Can the Unemployed Borrow? Implications for Public Insurance"
行政データ(administrative data)から得られる所得のデータとクレジット関連のデータを組み合わせることで、職を失った人がどのようにクレジットカードなどのクレジットを使っているかをみてみた。すると、職を失った人はクレジットカードでお金を借りることができるし、実際借りていること、および、借り入れしすぎている人は破産することで借金の返済に苦しまずに済んでいることが分かった。(注:理論的には、失業したら破産の可能性が高まるので、クレジットカード会社は借入をできないようにしたくなるはずだけれども、アメリカの場合、クレジットカード保有者の所得のデータは頻繁には得られない(特に失業した人が自発的に所得を報告したりはしない)ので、失業した人もそれ以前に取得したクレジットカードを使い続けることができるということだろう)つまり、クレジットカードは、失業保険のように使えるということである。このことは、クレジットカードが盛んに使われている状況では、最適な失業保険のレベルは低い(クレジットカードが代替してくれるから)ことを示唆している。著者らは、クレジットカードと失業のリスクのあるモデルを構築して、最適な失業保険の金額を計算し、現在のアメリカの水準(彼らによると45%)より低い35%であることがわかった。

どちらのペーパーも個人の異質性のあるマクロモデルの最先端のモデルである。

Argente, Lee, and Moreira, "How Do Firms Grow? The Life-Cycle of Products Matters"
最初に書いておくと、このペーパー、無茶苦茶面白かった。全然知らない分野なんだけど、聞いているだけでわくわくした。ペーパーにはモデルもあった気がするが、モデルはどうでもよくて、データが面白かったので、いくつかデータについて書いておく。

彼らのデータは、2006-2015年の間、全米40,000の小売店で、それぞれの商品のバーコードを使って、何がいくつ売れたかを詳細に記録したものである。さらに、それぞれの商品がどの企業に属しているかもわかる(商品と企業をマッチしている)ので、それぞれの企業がどのような商品に頼っているか、商品の売れ行きは時間とともにどのように変わっていくか、企業は商品をどのように入れ替えていくか、などがわかるというものである。

彼らによると、彼らのサンプルに含まれる企業の売り上げは毎年6%づつ伸びているが、売り上げの増加は新製品によるもの(毎年11%の伸び)である。新製品は、導入された年に売り上げを伸ばすが、その後は、売り上げは普通はコンスタントに落ちていく(既存の製品の売り上げの年平均下落率は6%)からである。

彼らの推定によると、製品の平均的なライフサイクルは以下のようなものである。
売り上げは最初の4年間くらいは増加し、そのあとでは落ちてゆく。但し、このグラフは、売り上げが小さかった商品は早く消えてゆくので、その分ライフサイクルが押し上げられるという影響(composition bias)が入っている。それをコントロールするために、何年売られていたかわかっている商品だけ見て、それぞれの商品を別々に見てみたのが以下のグラフである。
それぞれの線は、その製品が何年売られてたかを示している。どの製品も新製品として導入された後は、売り上げは落ちてゆく。もちろん、息が長かった製品(彼らのデータでは最長は16年)は当初から売り上げが大きい。最初のグラフの当初4年間の上昇は数年しか売られなかった商品がなくなって売り上げの平均が押し上げられたからだとわかる。

では、売り上げを、価格と数量に分解してみると、以下のようになる。
製品のライフサイクルとしては、価格はあまり動かない一方、数量が大きく変わっていく。もちろん、上で上げたようなバイアスが含まれていることは注意してほしい。

次のグラフは、企業が売る商品の数が、企業の年齢とともにどのように変化してゆくかを示している。
予想通り、新しい企業は売っている商品の数も少ないが、企業が年を取るにつれて、打つ商品の数は増えていく。

とりあえずこれくらいにしておくが、とにかく色々なグラフを見ているだけで色々なことを自然と考えてしまう楽しいプレゼンだった。

Krueger and Uhlig, "Neoclassical Growth with Long-Term One-Sided Commitment Contracts"
最後は打って変わって理論系の論文である。いわゆるAiyagariモデルなどは、消費者が締結できる契約を(著しく)制限しているというのが、昔は大きく問題にされてきた。モデルの中の消費者は、所得が高い人が低い人に所得を移転する保険契約(アロー証券でもいい)を取引したいはずなのに、Aiyagariモデルの中では、個々人の直面するショックの結果に依存しない、一定の利子率の債券しか取引できないからである。1990年代には、このようなAiyagariモデルの仮定にミクロ的基礎(micro foundation)を与える研究が流行していたが、最近は、あまり見られなくなった。このペーパーは、最近見られなくなった、そのような流れの論文である。彼らのモデルでは、保険会社が個々の消費者の所得のショックに応じて支払い額が変わる(所得が低かった消費者は高い金額を受け取って所得が高かった消費者は低い金額を受け取る)保険契約を売るんだけれども、消費者の方は後で保険契約から抜けることができる(つまり保険会社の側しか契約にコミットできない)モデルを構築した。この状況では、保険会社も、所得が高かった消費者が保険から抜けてしまうことも考慮して、完全に所得の変動を抑える(保険金支払額の変化で相殺する)契約を売ることができないので、完備契約とはならない(消費は個人のショックに応じて変動する)。つまり、Aiyagariモデルと同じような特徴が導き出せる。このようなモデルは大体複雑になって、いろいろな要素を加えることができないんだけれども、ある仮定の下では、モデルの解が解析的に得られるのが売りである。ただ、このような不完全な保険契約なんて実際に売ってないじゃないか、という質問が出て、皆同意しているように見えたのは感慨深かった。1990年代だったら、逆に、Aiyagariモデルを使うと、外生的にどのような資産が取引されるか仮定してよいのか、という質問がしょっちゅう出たからである。時代の変化を感じさせた。

NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (2)

前回に引き続いて、NBER Summer InstituteのMicro Data and Macro Modelsで発表されたペーパーのついてのメモ。今回は2日目。

Fagereng, Holm, Moll, and Natvik, "Saving Behavior across the Wealth Distribution: Evidence from Norway"
ペーパーやスライドが公開されていないので詳細は覚えていないのだけれども、ノルウェーの1993-2015年の個人の資産と所得のパネルデータを使って、資産の異なる人の貯蓄パターンがどのように異なるかを見てみた論文。横軸に総資産、縦軸に貯蓄率をとると、スゥッシュ型(ナイキのロゴの形)をしているらしい。つまり、資産が最低レベルから増えていくと、貯蓄率は少し低下するが、資産がプラスになるあたりからは貯蓄率は増えている。でも、これは、資産(主に住宅)の価値が上がっているからそう見えるだけであって、資産価格をコントロールすると、資産がゼロより上の人の貯蓄率はフラットで、シンプルなモデルと整合的。多分、ノルウェーのデータの価値で押しまくるペーパーなのだろう。

Bach, Calvet, and Sodini, "From Saving Comes Having? Disentangling the Impact of Saving on Wealth Inequality"
こちらは、スウェーデンの個人の所得と資産のパネルデータのお披露目のような論文だった。同じように、貯蓄率が資産に応じてどのように異なっているかを見ており、確か、上のペーパーと同じように、ある資産レベルを超えるとフラットな貯蓄率(なので理論と整合的)だという結果だったと思う。

上の2つのペーパーで印象的なのは、良質なマイクロデータを提供できる国であれば、その国のデータを使った研究がさかんになるということである。北欧諸国の消費や資産(個人・家計レベルの詳細なパネルデータがある)あるいは労働市場(企業と労働者がマッチされたデータがある)に関する研究が盛り上がっているように見えるのはこのおかげだろう。日本も良質のデータを提供できればよかったのに。良質のマイクロデータがあることで研究が進むという流れからは出遅れた感がある。

Guren, McKay, Nakamura, and Steinsson, "Housing Wealth Effects: The Long View"
アメリカの1975-2017年の都市レベル(380の都市)の住宅価格およびリテール産業の雇用者数のデータを使って、住宅価格の資産効果が最近と過去で異なっていたか、そして、資産効果は住宅価格が上がったときと下がったときで異なっているか(非対称性)を検証した論文。背景としては、アメリカの大不況期において、消費が大きく停滞したのは、住宅価格の下落による負の資産効果が大きかったからだといわれていること、および、住宅を担保にした借り入れが2000年以降特に増加したから大不況期における負の資産効果が大きかったのではないかといわれていることが挙げられる。この大きな負の資産効果は大不況期の住宅価格の大きな下落だけに当てはまるものか、それとももっと一般的なものかを調べてみたといえる。結果としては、資産効果の度合いは2000年より前と後で特に異なってはいない、それに、資産効果の非対称性はみられない、というものであった。彼らによると、住宅価格が1ドル上がったときに消費の増加は3.3セント。

Fuster, Kaplan, and Zafar, "What Would You Do with $500? Spending Responses to Gains, Losses, News, and Loans"
NY連銀は、2013年以降、消費者期待調査(Survey of Consumer Expectations)という調査を実施している。全米を代表する1300の家計に、毎月、今後1年のインフレ率、賃金上昇率、所得上昇率を質問している。このペーパーでは、この調査に特別な質問を加えてもらい、架空のシナリオで500ドル(500ドルがベンチマークだけどあるいはそれより大きな金額についても聞いている)を急に得たり失ったりしたときに、消費者がどのように消費・貯蓄パターンを変えるかを調べた。結果は以下の通り。(1) 500ドルを急に得たときの消費の反応は人によって大きく異なる、(2) 500ドルを急に失ったときの反応も人によって大きく異なるが、500ドルを得たときの反応より大きい。(3) 将来500ドルをもらえると聞いたときの反応は小さい。(4) 1年間無利子のローンを与えられても反応は小さい。(5) その一方、将来500ドルを失うと聞いたときは消費を切り下げる(つまり、将来のことを何も考えていない=myopiaわけではない)。

最後のペーパーが象徴的なんだけれども、良質のマイクロデータにアクセスできる人、データを作れるコネやリソースのある人に大きなアドバンテージがあるのだなぁという感じである。

NBER Summer Institute: Micro Data and Macro Models (1)

前回に引き続いて、NBER Summer Instituteで見たペーパーのメモ。今回は、Hurst, Kaplan, Violanteによる新しいグループ"Micro Data and Macro Models"の初日のペーパーについてのメモ。

Ottonello and Winberry, "Financial Heterogeneity and the Investment Channel of Monetary Policy"
最近は、金融政策の効果を、どのような家計にどのような影響があるかをデータで見て、それをもとに異質性の入ったモデルをつくることが行われてきているが、その企業バージョン。自然に思いつく次のステップといえる。アメリカの公開企業のデータ(Compustat)を使って、どのような企業が金融政策に反応して投資を増やしたり減らしたりするかを見てみたところ、借り入れ額が小さくて(レベレッジが効いていなくて)、格付けが高い企業の投資の反応の方が大きかった。借り入れが大きくて格付けが低い企業の方が、金融政策の効果で借り入れ制約が引き締まったりゆるんだりして投資額を大きく変化させると考えることもできるので、ある意味驚くべき結果といえる。この結果をもとに、企業の異質性のあるNK-DSGEモデルを作って、彼らのデータと整合的になる(カリブレーションの仕方によるのかな)ことを示した。金融政策の効果は、企業の格付けや借入度合いの分布によって異なってくるというインプリケーションは面白い。

Bahaj, Foulis, Pinter, and Surico, "The Employment Effects of Monetary Policy: Macro-Evidence from Firm-Level Data"
発表は見逃してしまったので、1月のAEAのスライドを見てみた。上のペーパーと同じように、金融政策の影響が異なる企業に対してどのように異なっているかを、イギリスのデータを見て分析している。また、投資ではなく、それぞれの企業の雇用がどのように金融政策によって影響を受けるかを見ている。金利の引き上げに対して、総雇用者数は当然マイナスに反応するが、若い企業(設立から10年以内)、小さい企業(雇用者数1000人未満)、格付けの低い企業の方がマイナスの影響は大きく、そういう企業の方が金利引き上げで借入制約がよりタイトになって舞いますの影響が大きくなるというチャンネルと整合的上のペーパーと反対に見える結論なので面白かったと皆が言っていた。アメリカとイギリスの違い、Compustatのカバレッジの狭さ、投資と雇用の違い、分析手法の違い、など、いろいろ結果が異なる理由となりうるものはあるが、今後の展開に期待である。

Dupor, Karabarbounis, Kudlyak, and Mehkari, "Regional Consumption Responses and the Aggregate Fiscal Multiplier"
アメリカの大不況の時に実施された大規模な財政拡張政策であるアメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act)のもとで配分された金額が各州で異なることを利用して、州レベルで財政支出を1ドル増やしたときに民間支出がどの程度増えるか(財政乗数の消費バージョンである)を計算したところ$0.18であった。この結果を国全体の乗数に変換するため、州の違いを取り入れたDSGEモデルを作って国レベルの財政消費乗数を計算したところ$0.4であった。つまり、州レベルの(消費)乗数よりも国レベルの乗数は大きかった。これは、州の間の貿易が活発化するからである。

Auclert, Rognile, and Straub, "The Intertemporal Keynesian Cross"
ケインジアンモデルの乗数効果のようなものを、一般的なDSGEモデルの中で再解釈しているといえばいいのかな。よくわからなかった。誰か教えてほしい。例えば金融政策の効果は、静学的なモデルで考えれば、MPC(限界消費性向)が高ければ高いほど大きいと考えられるが、動学的なモデルを考えると、金融政策の「総」効果は、毎期毎期の消費の反応の合計(intertemporal MPC)で測ることができる。これが大きければ大きいほど、昔のケインズ経済学の乗数効果のように、静学的なMPCは一定でも、金融政策の効果は大きくなると言える。

Automatic Stabilizers in DSGE Model

自動安定化装置(オートマティック・スタビライザー)という言葉は聞いたことがあるだろうか?ある経済政策が、景気の変動に伴ってその効果が上下することにより、景気(あるいは税収)を安定させる効果がある場合、その政策は自動安定化装置として機能しているといわれる。

代表的な例は累進所得税である。景気が悪くなると人々の所得は平均的に低下する。累進的な所得税率は所得が高ければ高いほど税率も高く、所得が低ければ低いほど税率も低いので、景気が悪くなって所得が低下すると、所得に適用される税率も平均的に低くなり、税引き後の可処分所得は税引き前の所得ほどは低下しないこととなる。消費は可処分所得に依存する(可処分所得が多ければ多いいほど消費も多い)のが一般的なので、個々人の可処分所得の減少幅が小さければ、個々人の消費の減少幅も小さくなり、総消費額の低下の幅も小さくなるのである。

さらに、消費需要は総需要の一部であり、総需要がGDP・景気に影響を与えるという(ケインジアン的な)立場をとるなら、総消費及び総需要の低下幅を抑えることで、累進所得課税は自動的に景気を安定化させる(不況期にGDPの下落幅を小さくする)効果があるのである。

1980年くらいまでの経済学ではこのような効果がとても重要視されてきたし、現在の経済政策の議論においても、このような需要サイドからの効果は重要視されているが、1980年代以降の経済学では、総需要効果のない(価格の名目硬直性のない)モデルが発展してきたので、このような効果は分析されることが少なくなってきた。

その一方、公共経済学では、累進所得税は、所得が低い人の税率を下げて、所得が高い人の税率を高めることで、税支払い後の所得の再配分を行うことができるが、所得が高い(=生産性が高い)人の労働への意欲をそぐという労働インセンティブへの負の効果があり、再配分(公平)とインセンティブへの悪影響(効率)のトレードオフの文脈で活発に分析されてきた。1980年代以降のマクロモデルでは、このような(総需要を通じた効果と関係ないという意味で)供給側の効果はきちんと取り入れられており、自然に分析できるので、1980年代以降のマクロ経済学では、累進所得税はこのようなトレードオフの文脈で主に分析されてきた。

自動安定化政策のもう一つの代表的な例は公的失業保険である。失業したときに失業手当てを受け取ることができれば、彼らはそこから支出することができる。景気が悪化した際には失業率が上昇するので、景気が悪化したときは、自動的に失業者全体に配分される失業手当ての金額が上昇し、彼らがその手当てを消費することで、(失業手当がなく失業者は借金をして消費を維持することができない時に比べて)総消費の低下を抑えることができる。累進所得税のときと同じく、総需要が景気に影響を与えると考えれば、失業者による消費需要の低下を抑えることで、失業保険は、総需要の低下に自動的に歯止めをかける効果があるのだ。

但し、累進所得税のケースと同じく、このような効果は1980年代以降のマクロ経済学では総需要を通じた効果はあまり活発に分析されてなかった。一方、公共経済学あるいは労働経済学では、公的失業保険は労働者に民間ではあまり提供されていない保険を提供する一方、失業者が職を探すインセンティブに負の影響を与えるというトレードオフの文脈でしばしば分析されてきた。上と同様に、マクロ経済学でも、このような供給側の効果が主に分析されてきた。

前置きが長くなってしまったが、今回簡単に紹介するMcKay and Reisによるワーキングペーパー"Optimal Automatic Stabilizers"は上で挙げた自動安定化装置の効果を総需要効果のあるニューケインジアンDSGEモデルで分析している。彼らは、アメリカの様々な政策がどのくらい自動安定化に役立っているかを分析したペーパーをEconometricaに既に出しているが、今回のペーパーでは、そこから一歩進んで、自動安定化を考慮した際に最適な政策はどのようなものになるかを分析している。

これは簡単なことではない。累進所得税や公的失業保険の自動安定化効果を分析するためには以下のような要素が必須になるからである。
  1. 景気循環のあるDSGEモデルをベースとしなければならない。
  2. 総需要が景気に影響を与えるように、名目価格の硬直性を導入しなければならない。つまり、ニューケインジアンDSGEモデルを使わなければならない。
  3. 失業保険の供給側の効果を分析するためには、失業者が存在しなければならない、つまり異質性が必要である。しかも失業者はどのくらい一生懸命職を探すか決めなければならない。しかも、そのような決定は、失業保険がどのくらい手厚いかによって影響を受けなければならない(失業保険が手厚ければあまり一生懸命仕事を探さなくなる)。
  4. しかも、失業率自体が政策によって影響を受けるモデルを作らなければならない。つまり、サーチモデルをDSGEモデルに組み込まなければならない。
  5. 累進所得税の効果を分析するためには、所得が高い労働者と低い労働者が存在しなければならない。新たな異質性の導入である。しかも、それらの労働者はどのくらい働くか決め、その決定は所得税率に影響を受けなければならない。
  6. 景気循環が幸福度に影響を与える必要がある(そうでないと自動安定化政策の意味がない)ので、モデルは線形近似できない。線形近似をすると、好景気と不景気の時の効果が平均すると完璧に相殺されるので、景気循環の分析が面白くなくなる。
著者らはまさにこれらの要素を組み込んだモデルを作った。そして、消費者の幸福度(厚生)を最大化する失業保険の手厚さ(=b=失業保険が失業前の所得の何%をカバーするかという率)と累進所得税の累進性の度合い(=t)の組み合わせを計算した。上で述べたようなモデルを解くだけでなく、そのモデルの消費者の幸福度を最大化する政策のペア(bとt)を探すためにこのモデルを何度も解けるようにしなければならず、大変なことである。そのために、著者らは、いくつか重要な仮定を置いて、モデルが比較的簡単に解けるようにしているが、それでも大変なことである。彼らが置いた重要な仮定には以下のものがある。このような単純化のための仮定は最近よく使われている。
  1. 労働者は失業した場合借入制約に引っかかり、働いている場合には(将来失業した時に備えて)貯蓄しようにも貯蓄の借り手がいない(借りたい人は借入制約に引っかかっている)ので、結局労働者全員が何の貯蓄も負債も持たない(ので、資産分布を無視できる)。
  2. 政府も負債を発行しない。
  3. 資本のようなその他の貯蓄手段も存在しない。
  4. 失業のリスクはみな同じである。現在失業している労働者も現在働いている労働者も、来期の失業する確率は同じである
では、いくつか彼らの結果を見ていこう。彼らがアメリカの経済に合わせてカリブレートしたモデルによると、消費者の幸福度を最大化する(b,t)の組み合わせはb=0.85、t=0.26であった。bの方は失業者が働いていた時の収入の85%をもらえるという、かなり手厚い失業保険の額である。tの方は簡単な解釈の仕方はないが、アメリカの現在の累進所得税の累進度合いを表すtがt=0.15で、tは0だと累進性がなく(所得にかかわらず税率は同じ)、大きければ累進性が高いので、現在のアメリカより累進性が高い所得税が最適ということになる。

この結果だけだと、この二つの政策の自動安定化効果がどのくらい重要なのかわからないので、他のケースと比較してみよう。まずは、名目価格の硬直性がないモデルで同じ実験をしてみよう。名目価格が伸縮的というのは、いわゆる総需要から景気に与える効果がないケース(RBCモデルといってもよい)である。つまり、このケースでは、失業保険や累進所得税は自動安定化装置としての効果がないケースということになる。このモデルでは、消費者の幸福度を最大化する政策の組み合わせはb=0.77、t=0.27であった。自動安定化装置として役に立たない場合、失業保険は前のケースほど手厚くなくてもよい(失業前の収入の85%でなくて77%)が、望ましい所得税の累進性はあまり変わらないということだ。

では、景気循環が全くない場合はどうか?この場合の最適な政策の組み合わせは、b=0.77、t=0.27であった。つまり、伸縮的な価格のケースと同じである。また、中央銀行が景気循環を抑えるために強力に反応する(例えば失業率が高まりつつある際には金利を大きく切り下げる)ケースでも、最適な政策の組み合わせははb=0.80、t=27で景気循環がないケースと近かった。

これらの結果を理解するために、以下のグラフを見ていこう。
最初にちょっと述べたが、bを高めた際の幸福度への効果としては以下のものがある。
(b-1) 失業しても所得があまり下がらず消費も維持できる。(+)
(b-2) 職を探す努力が低下し失業率が上がる。(ー)
(b-3) 不況時も総需要の低下幅が小さくなる(GDPがあまり下落しない)ので景気循環の幅が小さくなる。(+)

上のグラフの左側は、(b-2)の効果をプロットしたものである。失業保険が手厚くなると(bが上がると)平均的な失業率が上昇し、経済にとってはマイナスの影響となる。景気循環を無視した場合、あるいは価格が伸縮的なので(b-3)の効果がない場合は、(b-1)と(b-2)がバランスするレベルでbが決定される。しかし、(b-3)を考慮に入れるとなると、bを変えることで景気循環の大きさがどのくらい影響を受けるかを見なければならない。それが上のグラフの右側である。具体的には、bを変えたときに、GDPの振れ幅がどのくらい下がるかを示している。このグラフが示しているのは、このモデルにおいては、bを高めることで、マクロ経済の景気の幅を大きく小さくすることができるので、この効果を生かすために、経済全体で最適なbのレベルが高まるのである。

では、tはどうだろうか?
tを高めた際の効果は次のものがある。
(t-1) 所得の不平等を累進所得税で圧縮できる。(+)
(t-2) 生産性の高い人の労働の意欲がそがれてGDPが下がる。(ー)
(t-3) 不況時は税率が下がり、総需要の低下幅が小さくなるので景気循環の幅が小さくなる。(+)
上の左側のグラフは、累進性を高めると平均的なGDPが低下するという(t-2)の効果を示している。bの場合と同じく、景気循環がなかったり、総需要効果が無視できる場合は、基本的に(t-1)と(t-2)のトレードオフから最適なtが決定される。一方、累進税率が不況期には下がって可処分所得の低下を抑えることで景気安定化に資する効果を示したのが上の右のグラフである。このグラフが示しているのは、tが上がっても、景気循環の振れ幅はあまり変わらない、つまり、tを通じた自動安定化効果は小さい、ということである。どうしてか?おしらくは以下のような点が重要なのではと思われる。
  1. このモデルでは(おそらくデータでも)景気は主に失業率の変化を通じて所得に影響を与えるので、失業保険を通じた可処分所得安定化(そして自動安定化効果)は大きいが、所得の格差全体はあんまり景気を通じて変化しない。
  2. 所得税率の累進性を通じて、不況時に所得税率が下がる効果は、所得が高い人にも低い人にも影響を与える。ところで前者は可処分所得が多少上がったところで消費はあまり影響を受けない。このペーパーでは示されていないと思うんだけれども、もしかしたら、累進性を通じた安定化効果は高所得の人の方が強いかもしれない。
結論としては、景気の自動安定化装置というチャンネルを考慮すると、失業保険の手厚さは他のモデルから得られる最適なレベルよりも高いものにするべきである一方、所得税の最適な累進性を考える際には、自動安定化装置というチャンネルはあまり考慮に入れなくてもよいということになる。

こういう、名目価格に硬直性がある(ので総需要を通じた効果や金融政策を分析できる)モデルで、消費者や企業などに異質性があるものは、最先端の分野の一つである。

Are U.S. Mark-ups Really Increasing?

ちょっと前に、De LoeckerとEeckhoutによる話題のペーパーを紹介した。基本的な問題意識としては、アメリカ(や他の国)において、経済の「ダイナミズム」が失われつつあるのではないかというものである。例えば、企業の新規参入のペースは以下のグラフで見られるように、下がってきている(出典はここ)。新しい企業が経済成長をけん引するという考え方に基づくと、スタートアップの減少は、経済の「ダイナミズム」を失わせる要因になっているのではないかと考えることもできる。その他にも、別の企業に移る労働者の割合も減少傾向にある。


De LoeckerとEeckhoutは、上場企業のマークアップ率が1980年代ごろまでは18%程度だったのだけれども、2010年以降は60%を超えるレベルに上昇し、67%まで達したというデータを示した。マークアップ率というのは、簡単に言うと、(あるモノの価格)を(そのモノ1単位を追加的に生産するためのコスト)で割ったものである。もしマークアップ率が18%ならば、生産にかかるコストに18%上乗せした価格で商品が売れるということである。単純な経済モデルを考えれば、ある企業が何らかの理由で大きな市場支配力をもっていれば、その企業は生産コストを大幅に上回る価格を付けても競合他社に顧客を奪われる心配はない。よって、高いマークアップ率というのは市場支配力を反映したものだと考えることができる。彼らのペーパーは、アメリカにおいて大企業の市場支配力が高まっていることで、経済の「ダイナミズム」が損なわれているのではないかという議論を巻き起こしている。下のグラフが、De LoeckerとEeckhoutのメインの結果である。



前のポストで紹介したとおり、労働分配率の低下(GDPのうちの労働者の取り分)が低下傾向にあるのも、企業の価格支配力の上昇によって引き起こされているという理論は簡単に構築できる。

ただ、このペーパーに対して、彼らのマークアップ率の計算方法はおかしいんじゃないかという人が結構出てきている。このような主張をしているシカゴのビジネススクールのTrainaによる最新のワーキングペーパーの内容がわかりやすいブログ記事に出ていたのでこれについてメモしておく。彼も、De LoeckerとEeckhoutと同じように、アメリカの上場企業のうち、金融とユーティリティ(電気・水道・通信等)セクターを除いた企業のマークアップ率を計算してみた。大きな違いは、De LoeckerとEeckhoutはモノの生産コストとしてCost of Goods Sold (COGS)というデータを使ったのに対し、TrainaはOperating Expenses (OPEX)というデータを使ったという点である。COGSはモノの生産に直接関連する材料費や労働のコストだけを含んでいる。その一方、OPEXはCOGSに加えて、SGA(Selling, General and Administrative Expenses)も含んでいる。SGAは、英語からわかるように、モノの生産に間接的に必要なマーケティングコストや事務のコストを含んでいる。下のグラフは、De LoeckerとEeckhoutが計算したマークアップ率(赤、生産コストとしてCOGSを使っている)とTrainaが計算したマークアップ率(青、生産コストとしてOPEXを使っている)を比べたものである。

Trianaによると、生産コストとして、より包括的なデータであるOPEXを使うと、マークアップ率は1980年代以降緩やかな上昇傾向にあるものの、最新の水準は1950年代ごろの水準(15%)と変わらないことがわかる。つまり、マークアップ率は過去25年間上昇傾向にあるものの、その上昇の度合いは歴史的に見たことがないレベルでは全くないということである。

では、なぜこのような違いが生み出されているのか?それは、生産のコストにおける、SGA(マーケティングや事務のコスト)の割合がどんどん高まっているからである。上のグラフの緑の線は、OPEX(Trianaがマークアップ率を計算するのに使ったコストデータ)におけるCOGS(De LoeckerとEeckhoutが使ったコストデータ)の割合の変化を示している。1950年には狭義の生産コストであるCOGSは広義のコストであるOPEXの89%程度を占めていたが、その割合はどんどん低下し最新のデータでは78%程度しか占めていない。つまり、広義の生産コストで計算したマークアップ率はあまり大きく変わっていないんだけれども、狭義の生産コストを使うと、その重要性は時とともに低下し続けているので、マークアップ率は大きく上昇したように見えるのである。アップルのような企業を考えると、マーケティングのコストが重要になってきているのは、感覚的にわかりやすいであろう。

では、どちらのコストデータを使うのが正しいのであろうか?マークアップ率の計算に使うのは、固定コストを除いた、追加的な生産に必要なコストなのだけれども、SGAは固定コストも含んでいる可能性が高い。Trianaは固定コストが幾分SGAに含まれていることは問題ではないという証拠を示しているが、ちょっと細かい議論なので省略する。

関連したデータで、もう一つ紹介しておくと、Karl SmithはDe LoeckerとEeckhoutの計算を、マークアップ率の平均を取るときに、企業の大きさでウェイト付けをせずに計算してみた。つまり、彼の平均では、小さい企業のマークアップ率がより大きく平均に反映されているのである。下のグラフがその結果である。
赤の線がDe LoeckerとEeckhoutの結果に対応しており、黒の線が、企業のサイズでウェイト付けしない場合のマークアップ率である。面白いことに黒の方が上である。つまり、一般的な考え方に反して、小さい企業の方がマークアップ率が高いのではないか、と彼は主張している。彼の考えるストーリーは、ウォルマートのような大きな企業は価格を切り下げるのでマークアップ率は小さいけれども、小さい企業はある小さい市場に特化(例えば、クラフトービールのような感じかな)して、高いマークアップを維持できるようになったのではないか、というものである。彼の分析はCOGSによるものなので、COGSとOPEXの違いを考えると解釈も変わってくるかもしれないが、面白いので言及しておく。

今後は、別のやり方で計算したマークアップ率がでてきたり、どちらのコストデータを使うべきなのかについての議論が緻密化されたり、していくのだろう。そして、もし、マークアップ率があまり変わってないという結論に達したならば、なぜそれでも企業の利益が増加しつつあるのかという残された疑問に答える必要性が出てくるのだろう。

De LoeckerとEeckhoutのペーパーはそれでもトップジャーナルに行く可能性が高いらしい。データはちょっと怪しいかもしれないけれども、企業の市場支配力という視点をマクロの分析に持ち込むきっかけを作ったということが大きく評価されるのだろう。実際に、このペーパーはとてもstimulatingだと思う。このことを考えると、「何であれ君の得た結果は将来覆される可能性が高いのだから、正しいペーパーを書こうとするな。間違っているかもしれなくても、おもしろい新しい視点を導入し、その視点をできる限りサポートする方法を考えろ。」とある人に言われたのを思い出した。

Heterogeneity and Aggregate Consumption Dynamics

Amromin, De Nardi, and Schulzeによる最新のNBERワーキングペーパーがよくまとまっていたので紹介する。内容からして、何かの招待論文だと思うんだけど、よくわからない。

このぺーパーで取り扱っているのは、アメリカの2008年の大不況以降の総消費の動きを説明するのに、家計(消費者)の異質性(Heterogeneity)を考えることは役に立つかという問題である。まずは、マクロのデータから。
上のグラフは、一人当たりの実質GDP(青)と消費(赤)が1985年以降どのように変化してきたかを示している。どちらも2007年を100と基準化されている。実線がデータ、点線は2007年までの線形トレンドを示している。GDPも総消費も、2007年以降、平行にシフトダウンしたように見える。平均に回帰するショックによって景気循環が起こる普通のDSGE/RBCモデルからすると、このような動きはとても不思議に見える。普通のRBCモデルであれば、GDPも消費も一時的に落ち込むことは十分ありえるけれども、落ち込んだああとは順調に回復するからである。1991年や2001年にも不況が起こっているがそれらの不況からの回復パターンが(不況からの回復に時間がかかっているという点はあるが)典型的なDSGE/RBCモデルの挙動である。GDPについて言えば、いわゆる大停滞(Great Stagnation、GDPの成長率が歴史的に見て低いレベルに止まり続けていること)の問題と考えることもできるだろう。

このようなGDPあるいは消費の動きを説明するのに、家計(消費者)の異質性を考えることは役に立つだろうか?このデータを見ると、消費の動きはGDPの動きをなぞっているので、どちらかというと重要な問題は、何でGDPが2007年までのトレンドに向けて回復しないかという方なのではないかと思うが、まぁ、この論文では、消費の動きの方に注目しているので、この論文に沿って、消費者たる家計の異質性が上のデータのような総消費の長期的な落ち込みを説明するのに役に立つかについて考えていく。

家計(あるいは一般的に何らかの経済主体)の異質性と景気循環の関係を考えるという場合、金字塔の論文はKrusell and Smith (1998, 以下KSと呼ぶ)である。この論文では、家計の異質性がマクロ変数の動きにどのような影響を与えるかをカリブレートされたモデルを用いて分析した。どちらかというと、この論文は、異質性があるモデルを数値的に計算できる手法を提案したという風に捕らえられているが、その理由を考えれば、異質性がマクロの消費の動きにどのように影響を与えうるかも考えることができる。まずは彼らのモデルのメカニズムを紹介しておこう。彼らのモデルでは、流動性制約に引っかかっていない家計は、貯蓄を使って、代表的家計のように消費と貯蓄を決定する。不況によってちょっとくらい所得が一時的に減少しても消費の動きをスムーズにするために一時的に貯蓄を切り崩して消費の下落を抑えるのである。その一方、資産がまったくなく流動性制約に引っかかっている家計は、その名のとおり、収入の全てを消費に回す。つまり、個人の家計の所得が不況で減少すると、流動性制約に引っかかっている家計は、貯蓄を切り崩して消費を支えることができないので、消費を大きく減らすのである。但し、流動性制約に引っかかっている家計は生産性も総じて低いし、貯蓄もそもそも少ないので、マクロの変数の動きには影響を及ぼさない。よって、経済全体の動きは、流動性制約に引っかかっていない家計の消費・貯蓄行動に大きく左右される。彼らが代表的個人のように振舞えば(基本的なモデルではそうなる)、家計の異質性があっても、マクロの変数は代表的個人のように動くので、家計の異質性があるモデルでもそのマクロ変数の動きは代表的個人モデルで近似できるのである。KSはこのような洞察を元に、異質性があるモデルを近似的に解く手法を開発したことで有名な論文である。

但し、この議論はいろいろ突っ込みどころがある。ここでは消費の動きについて考えてみよう。流動性制約に引っかかっている家計は資産保有や所得という面では経済において小さな役割しか占めていないものの、彼らは所得の全部を消費に回すので、マクロの消費の中に占める割合は高い。よって、マクロの総消費の動きには、流動性制約に引っかかっている家計の消費・貯蓄パターンは大きな影響を与えうる。しかも、流動性制約に引っかかっている家計の行動が重要ということは、モデルの中で流動性制約に引っかかっている、あるいはそれに近い状況にある家計がどのくらいいるか、がモデルにおける総消費の動きに大きな影響を与えうるということである。この点に注意を払ってKSのモデルをより「現実的に」カリブレートしたのがKrueger, Mitman, and Perri (2016, KMP)である。以下のグラフはKSとKMPのモデルの挙動を比較している。
左がKS、右がKMPである。青の棒グラフが資産の分布(左端が流動性制約に引っかかっている家計)を示している。KSでは流動性制約に引っかかっている家計はほとんどいないが、KMPでは引っかかっている家計、およびそれに近い家計がたくさんいることがわかるであろう。つまり、KMPのモデルでは、不況で個々の家計の収入が落ちたときに、貯蓄を使って消費をスムーズにできず、消費がダイレクトに落ち込む家計が多いのである。下のグラフは、同じ大きさの不況が経済を襲ったときに、マクロの総消費がどのくらい動くかをシミュレートしたものである。点線がKS、実線がKMPモデルである。
同じ大きさのショックに対して、KMPモデルの方が、総消費の落ち込みが大きいことがわかるであろう。但し、上で書いたとおり、一時的な不況であれば、消費はすぐもとに戻るので、最初に見たデータのような動きを再現することはできない。では、KMPのようなモデルに、何を加えれば、より大きく継続的な総消費の落ち込みを再現できるであろうか?このぺーパーでは、いろいろなチャンネルを提示するに止まっており、それらのチャンネルが有望であることを示唆するデータを示すに止まっているが、それらを見ていこう。
まずは、所得、消費、資産の分布を確認しておこう。データのソースは2006年のPSID(Panel Study of Income Dynamics、アメリカの家計のパネルデータの代表的なもの)である。最初の列は労働収入、2番目は税引き前の総収入(金利収入や失業保険などの政府からの移転を含む)、3番目の列は消費支出、最後は総資産である。ここで示すデータでは退職している家計は含まない。Q1というのはそれぞれの変数の最も低い20%(Quintile)が占めるシェアである。Q1+Q2はそれぞれの変数の最低の40%の家計がどのくらいのシェアを占めているかを示している。資産をみるとマイナス(-1.5+1.2=-0.3%)である。一方、総資産は、上位5%の家計が約半分の資産を保有している。総収入で見ると下位の40%は15.3%と占めている。もちろん低い(所得に不平等がなけれシェアは40%になる)が、資産のシェアほど低くはない。消費の下位40%のシェアは18.3%である。

上の表では、それぞれの変数について個別にソートして分布を見てみたが、今度は資産の保有額のみでグループわけしてシェアを見てみよう。それが下の表である。
全体に対するシェアをあらわしている表の左側に注目してほしい。全ての列で資産でソートしているので、資産の分布は前の表と同じである。資産保有でみた下位40%の保有資産はマイナスで0.3%ある。つまり、これらの家計が、流動性制約に引っかかっている家計のようなものだと考えればよい。総収入のシェアは25.5%と、前より高い。この数字も資産保有高でソートしているので、前の表の数字より高くても驚くべきことではない。消費のシェアは約30%である。これらの流動性制約に引っかかっている家計は資産保有はゼロ(というかマイナス)で所得のシェアもそんなに大きくないが、消費のシェアはとても大きいので、彼らの消費行動がマクロの総消費の動きに少なからぬ影響を与えうることは容易に見て取れる。
次の表は、大不況前(2004-2006年)と大不況後(2006-2010年)の間で、資産、収入、消費、消費率(消費/所得)の年平均変化率がどのくらい変化したかを示している。最初の行が全家計の合計で、Q1-Q5は2004年の資産保有額でソートしてグループ分けしている。2004年以降は、同じ家計を追っかけている。これはパネルデータだからできることである。全家計では、2004-2006年の間は、資産は年率14%増加し、所得は2.6%上がり、消費は5.5%増加していたが、どの変化率も2006-2010年は2004-2006年に比べて低下している。資産の増加率は年率で17.6%も下がり、収入の増加率は1.8%下がり、消費の増加率も6.4%下がった。2010年は大不況の底なので、この数字がとても大きいことは驚くべきことではない。最近の数字も入れればこの数字は小さくなるはずである。

面白いのは、各資産保有グループの変化率の分布である。特に、消費の変化率の分布を見ると、流動性制約に直接引っかかっており、失業のリスクも高いであろう下位20%の減少率が高い(-5.5%)のはわかるとしても、それ以外の家計の消費の増加率も大きく落ち込んでいる。このことは、マクロの総消費の落ち込みは、不況と流動性制約が合わさった効果だけでは説明できないことを示唆している。では、どのようなチャンネルが考えられるか?著者らは次の4つ(+1つ)のチャンネルを挙げている。

(1) 資産価格の変化。大不況のときには、資産価格、特に住宅価格が大幅に下落した。上の表を見ればわかるとおり、総資産の増加率の落ち込み幅は資産を持っていないQ1(下位20%)を除いて、とても大きい。資産価格が落ち込めば、負の資産効果で消費の減少、特に多く資産を持つ家計の消費の減少が説明できる。但し、個人的には、この効果は一時的なので、消費の長期的な低迷の説明には使えないと思う。

(2) 資産構成の影響。Kaplan and Violante (2014)は、その影響力のある論文で、多くの家計は流動性が小さい資産(家や退職後にしか引き出せない資産)を多く保有しており、総資産は大きくても、その資産の多くが流動性のない資産であれば、その家計の消費パターンは、流動性制約に引っかかっている資産ゼロの家計と似ている(「裕福な流動性制約家計」)と議論した。このようなモデルを組めば、基本的には、流動性制約に引っかかっている家計がデータから直接観察できる数よりずっと多いし、総資産保有からみると裕福な家計も実質的には流動性制約に引っかかっていることとなるので、消費は資産保有高にかかわらず不況の際に大きく落ち込む可能性があり、総消費は総所得(GDP)の動きに大きく反応することとなる。

(3) 貸し出しの引き締め。大不況のときには、金融機関が住宅ローンやクレジットカードによる新規融資を行う際の貸付基準をきつくしたことがいろいろなペーパーによって示されている。つまり、実質的に流動性制約に引っかかっている家計の数は大不況の時には増加しただろうと考えられる。
上のグラフは、流動性制約に引っかかっている家計が大不況のときに増えたであろうといういろいろな状況証拠を示している。左上のグラフは、資産がゼロの家計(オレンジ)と15000ドル(約150万円、緑)以下の家計の割合を示している。どちらも、大不況の時期(2008年)以降上昇し、高いレベルに止まっている。右上のグラフは総資産額の労働収入(赤)あるいは総収入(青)に対する割合が2以下の家計の割合を示している。同じように、2008年以降高いレベルで推移している。下のグラフは、クレジットスコア(これが低いとクレジットカードに応募しても拒否されたり、住宅ローンも借りれなかったり高い金利でしか借りれなかったりする)が低い家計の割合を示している。これも2008年以降高いレベルにある。これらがもし2012年以降も高いレベルに維持され続けているのであれば、総消費が長期間低迷している理由となるかもしれない。

(4) 労働収入リスクの変化。これまでは、不況でも好景気でも、労働所得のリスクは変わらないと仮定して議論を進めてきた。しかし、Guvenen Ozkan, and Song (2014)によるとても影響力の強い最近の研究によると、不況期には職を失うことなどによって所得が大きく減少するリスクが高まる。もし、大不況によって、総所得(GDP)はあまり大きく変わっていないように見えても個々の労働者の労働所得がどのように変化するかが大きく変化したのであれば、総消費が回復しない説明になるかもしれない。

(5) 消費者の自信の欠如?最近のPistaferri (2016)の研究によると、総消費の回復が遅いことは、家計がレベレッジのかかった借り入れをしている(多分、多くの住宅ローンを借りて家を買っていることを指す)ので、資産価格の変化が消費に与える影響が大きいこと、および、消費者の景気動向および個々人の将来の所得に対する自信(Consumer confidence)が失われたことによって説明できるそうだ。大恐慌を経験した家計がその後ずっとリスクを避けるようになった(日本のバブル崩壊後の家計の行動もこの影響が強いのではという気がする)ことと同じように、大不況を経験した家計は将来の景気に自信が持てなくなり、消費を控えがちになっているのではというストーリーのようだ。今度機会があったら紹介したい。

Wage Growth and Labor Market Flows

もう少し関連文献をじっくり読んでから書きかたったけれども、そういう時間がないので、かなり大雑把に書いてみる。

賃金が上がるときには失業率が低下するという関係が見られることが多い。フィリップスカーブといわれるものである。賃金(上昇率)と一般的な物価(上昇率)はだいたい一緒に動くことが多いので、失業率と物価の上昇率(インフレ率)の負の関係としてフィリップス曲線を理解している人も多いかもしれない。

ただ、流行の言葉を使うと、この関係は「相関関係」であり、「因果関係」はここからは読み取れない。言い方を変えると、どうしてこのような賃金上昇率と失業率の負の相関関係が見られるかを理解するためには、何かしらの仮説を立てる(モデルを作る)必要がある。この相関関係は比較的簡単な仮説で理解されてきている。何らかの理由(財政・金融政策による刺激も含む)で経済が好調になって、企業がもっと多くの労働者を雇いたいということになれば(労働需要の増加)、労働者の価格である賃金は需要の増加を反映して上昇していくことになる。そして、失業していた人はどんどん企業に雇われてゆき、失業率は低下していく。より多くの人が就職し、賃金も上がるということであれば、物への需要も増加し、物価も上昇していくと考えられる。更に、失業率がある水準より低くなると、景気が改善しても、失業率は下がらず、賃金・インフレ率だけ上昇してしまい、経済に悪影響を与えると理解されている。このような水準は自然失業率といわれる。

このストーリーで問題なのは、では、なぜ、現在の日本やアメリカのように、失業率はとても低いのに賃金上昇率はあまり上がらないのか、ということである。どちらの国も、失業率はかなり下がっているのに、賃金上昇率あるいはインフレ率が加速する気配は見えない。このような状況を鑑みるに、上のような単純なストーリーだけではダメなのではと考えることもできるであろう。

上の問題点を解決することができるかもしれない研究として、Moscarini and Postel-Vinayの一連の研究が挙げられる。彼らは、いくつかのデータに着目した。
  1. ミクロのデータを見ると、労働者の賃金が上がるのは、同じ企業に勤め続けている場合ではなくて、別の企業に移ったときである。つまり、賃金が上昇するには、経済が好調になって、既に働いている労働者がより賃金の高い職を見つけて移ったり、別の企業からより高いオファーをもらって移ったり、あるいは引抜きを防ぐため今働いている企業が賃金を引き上げる、という活動が活発にならなければならないのである。つまり、失業者が職を見つけるということと、賃金の動きは厳密にはリンクしていない。
  2. しかも、絶対的な人数で見ると、ある企業から別の企業に移る人の数の方が、失業している人が職を見つける数よりずっと多い。簡単な数字を示してみると、失業率が5%とすると、働いている人は95%である(働こうとしていない人は含めないでおく)。失業者は平均すると1ヶ月で25%の割合で職を見つける(これをUE率(Unemployment-to-Employment rate)と呼ぶ)ので、毎月職を見つける失業者の人数は5%*25%=1.25%である。就職している人で別の職に移る人の割合は平均して1ヶ月で2.5%くらい(これをEE率(Employment-to-Employment rate)と呼ぶ)であり、失業者が職を見つける割合よりずっと低い。しかし、母数が多いので、転職する人の割合は1ヶ月あたり95%*2.5%=2.4%である。よって、転職する人の数の方が絶対的な数では、職を見つける失業者よりずっと多い。よって、彼らの賃金の変化の方が、新たに職を見つけた失業者の賃金の変化より、全体的な平均賃金に与える影響が大きいと考えられる。
  3. 賃金上昇率とEE率あるいはUE率の相関をとると、EE率と賃金上昇質の相関の方がずっと高い。このことは、賃金上昇率に影響をより強く与えるのは、どのくらい失業者が職を見つけているかというよりは、どのくらい労働者が転職活動しているかであることを示唆している。
Moscarini and Postel-Vinayはこれらの事実に注目して、労働者が、失業しているときは低い賃金でもまずは働きはじめ、そのあとで別の企業から次々とオファーをもらって転職していくことで賃金が上がっていくモデルを構築し、そのモデルを様々な分析に使用している。

最初に述べた、失業率はかなり低いのに賃金上昇率(およびインフレ率)が上がらない状況も、彼らのモデルの枠内では新たな解釈が可能となる。景気が長くにわたって低迷した後の景気回復期では、労働者は低い賃金からまたゆっくり転職活動などをして賃金を上げてゆかなければならないので、失業率が低いとしても、それは、経済が過熱する(そしてインフレ率が上がる)ことを示唆しているわけはなくて、まだ経済がゆっくり回復しているということなのかもしれない。言い換えると、長い景気低迷の後では、低い失業率をもって、財政・金融政策によって更に経済を刺激する余地がないということにはならない、という解釈もできるかもしれない。

特に、最近、アメリカは、EE率が長期的な低下傾向にあるので、彼らのモデルによると失業率と賃金上昇率の負の相関が弱まっているという解釈も可能である。Moscarini and Postel-Vinayが日本について議論しているかわからないし、日本のデータはよく知らないけれども、もし日本で、EE率がかなり低い、あるいは低下しているとすると、日本では更に失業率と賃金上昇率の負の関係が弱まっているといえるかもしれない。労働市場が硬直的で、転職活動が活発でない、あるいは失業や賃金の低下を恐れて労働者が余り活発に転職活動を行わないというような状況であれば、失業率と賃金上昇率(そしてインフレ率)のリンクを弱める効果もあるかもしれない。そういう状況では、もしかしたら、失業率が低いからといって、もう景気を刺激する政策は打ち止めすべきという単純な議論は成り立たないのかもしれない。

How to Think about Optimal Policy in Macro?

今回は、現代のマクロ経済学者が、最適な政策・採るべき政策を考える時にどのような手法を使うのかを紹介してみようと思う。「マクロ」経済学者と書いたのは、おそらくは、このような考え方を受け入れられない、経済学者もいるはずだからだ(後で少し触れる)。ちゃんとした(マクロ)経済学者が、政府が取るべき政策について議論するときにどのように考えているのか、あるいは、ちゃんとしてない人は何がまずい(と少なくとも僕が思っているのか)がわかってもらえれば幸いである。今回はちょっと抽象的に議論して、気が向いたら、次回は、ちょっとしたモデルを組んで具体的な例を示すことをやるかもしれない(こういうことを書いても大体やらずに終わるんだけれども…)。



マクロ経済学者が望ましい政策について考えるときには、モデルをもとに、上のようなグラフを頭に描いている。x軸(Policy variable=政策変数)は政府が選べる政策である。具体的には、消費税率、あるいは最低賃金の水準を頭に思い描いてもらえばよい。今は最低賃金としておこう。y軸(Social welfare)は、大まかに言って「社会全体の幸福度」を示している。具体例で考えてみよう。上のグラフは最低賃金をいろいろな水準に変えたときに、社会全体の幸福度がどのように変化するかを示している。幸福度の変化はは山なりの曲線であらわされ、最低賃金がw1のときに社会全体の幸福度が最大化されている。あるいは、もし現在の最低賃金がw1より低ければ、(w1を超えない程度に)最低賃金を引き上げると社会全体の幸福度が高まるので、この場合は、モデルをもとに、最低賃金を(w1を超えない程度に)引き上げるべきだとマクロ経済学者は主張する。

もちろん、上のような考え方は、様々な仮定の元に成り立っている。まずは「Policy variable=政策変数」についていくつかコメントしておこう。

  1. 上の例は政策変数が一つの場合だが、もちろん政策変数が一つである必要はない。消費税の例で言えば、消費税率と軽減税率(軽減税率=消費税率のケースは軽減税率がないケースと考えられる)の二つが政策変数となってもよい。一般的に、何を政策変数とすべきかについて、いい答えはない。なるべく一般的な議論をするために、政策変数として何でも含める(なんでも政策変数というモデルにおいて最適な政策を考える)という考え方をする人は多いが、この場合、分析が複雑になるし、望ましい政策がとっても複雑で事実上実現不可能かもしれないので、必ずしも一般的であればよいというわけではない。
  2. その一方、まずは消費税率だけ考えて、軽減税率のことは忘れようという考え方もできる。その場合、望ましい消費税率を求めたとしても、その結果はロバスト(頑健)でないことが往々にありうる。消費税の例を使うと、消費税率だけ考えて望ましい消費税率を算出したとしても、軽減税率を導入すると望ましい消費税率は大きく変化するかもしれない。実際に軽減税率は政策変数として使われる(消費税を導入している国の僕が知る限り全てで軽減税率が導入されている)ので、消費税率だけ考えて望ましい政策を考えても事実上役に立たないともいえる。
  3. もっと根本的な話をすると、望ましい政策はモデルの選択に依存する。どんなモデルを元に議論をしているのかを明らかにするのが望ましい。そうすることによって、その経済学者が望ましい政策を考えるに当たって、どういう要素を重視しているか、あるいはどういう要素が考えられていないか、が明らかになるからである。そういう手続きを経ずに、「こういう政策が望ましい」とか「こういう政策が実施されるべきだ」とか言われても信用できない。
  4. 関連した話になるが、ある経済学者がある論文において最適な政策はこれこれだと主張しているとしても、多くの場合、それは、あるモデルの中で最適な政策を分析しているだけであって、通常の場合経済学者自身の価値判断は含まれていない。経済学者でも、あるアジェンダがあってそれに沿う論文ばかり書いている人もいて、その場合は、その論文の結果がその経済学者の主張と一致することが多いが、それは論文の外の情報(その経済学者の評判)からわかることであり、論文自体は、様々な要素が入ったモデルが正しいとすると、モデルの中ではある政策が望ましい、といっているだけである。論文の結果と経済学者の意見をごっちゃにしてはいけないと思う。論文の評価もそれを書いた経済学者の個人的な価値判断とは関係ない。
  5. それと、しばしば、新しいモデルを構築した場合、そのモデルの中で最適な政策を分析することは、実際にそのモデルを使って政策提言する気がなくても面白い分析となる。たとえば、金融政策が入ったモデルで、フリードマンルール(実質金利と同じ率のデフレを起こしつづける経済政策)が最適かどうかを知ることは、そのモデルにおいて貨幣がどのような役割を果たしているかを学ぶのに役立つ。そういった動機で最適政策を分析しているケースも多々あるので、そういう論文を書いている学者がいても、その論文での最適な政策をその経済学者が望ましいと思っていると思わないように注意すべきである。
  6. 上のようなことを書いたのは、結局、各論文は複雑な現実の一部分を切り取ってあるチャンネルを中心に分析したものであり、最終的には、ある国がおかれた経済状況や、その経済状況において重要と思われる様々なチャンネルを比較した結果として、望ましい政策が提案されるはずだからだ。
では、次に、「社会全体の幸福度=Social welfare」についてコメントしておこう。まず、「社会全体の幸福度」というのは何だろう?日本に国民がN人いるとして、わかりやすい例としては、以下のようなものが考えられる。

「社会全体の幸福度」=国民1の幸福度+国民2の幸福度....+国民Nの幸福度

この考え方は広く使われていると思うが、いろいろ問題点があり、リーズナブルではないと思う人も多い。上のような「社会全体の幸福度」の考え方についていくつか注釈を加えておこう。
  1. 最初に言っておかなければならないのは、「社会全体の幸福度」をどう設定するかというのは、経済学の「外」の問題ということである。経済学が得意とするのは、「社会全体の幸福度」が与えられたときに、いろいろな政策を使って、それをどう高めるかを考えることであって、「社会全体の幸福度」をどう選ぶかは、経済学の問題ではないと考える人が多い。極端な話、「正社員として働く人だけの幸福度の合計」と定義しても良いし、「東北地方の農家の幸福度の合計」と定義しても良い。もちろん、こういう定義がリーズナブルだろうという考えはあるけれども(このポストの議論は、一般的にこれがリーズナブルだろうと考えられている手儀に従って進めている)、どの定義を使うべきかというのは狭義の経済学の問題ではない。
  2. では、上の定義に戻ろう。最も大きな問題は国民一人ひとりの幸福度を足し合わせられるのかということである。国民一人ひとりの幸福度を直接比較できないのであれば、足し合わせることはできない。足し合わせる(あるいは幸福度を比較する)ことは不可能だという立場をとるとしたら、上の議論は成り立たない。では、その場合でも、とるべき政策について主張できるのはどのような場合か?全ての国民の幸福度が上昇(あるいは少なくとも同じ)場合である。誰でも、何もせずにお金をもらえれば幸福度がアップすると考えよう(この仮定はそんなにむちゃでないだろう)。その場合、ある政策を実施して、全ての国民が何もせずにお金をもらえる場合、国民1人ひとりの幸福度の直接の比較ができなくても、その政策は望ましいものとなる。これが、大雑把に言うと、「パレート効率性」あるいは「パレート改善」というものである。
  3. 国民一人ひとりの幸福度が比較できたり、足したりできるというのはある意味とても強い仮定なので、それなしに望ましい政策について語れるというのは大きな利点である。しかし、そのような状況でしか政策を語らないということであれば、推薦できる政策はとても限られてくるであろう。例えば、二人しかいない国で、ある政策を実施したときに国民1は100万円得して、国民2は10万円損をするのであれば、うまく国民1から10万円以上とって国民2に上げることができれば、両方とも幸福度が上がる(あるいは最低限幸福度は変らない)政策なので望ましいといえるが、そんな簡単にある国民から別の国民にお金を動かすことはできないかもしれない。そういうことが容易にできるモデルではそのような政策は望ましいものであるが、実際の経済ではお金を容易に移すことができないという制約があれば、そのような政策も実施できない。結局、望ましいとして薦めることのできる政策は、全ての国民が、お金の移転なしに得をする政策でなければならない。これはとてもハードルが高い。こういう政策だけを認めるということにすると、結局、政策について何もいえない状況になることが容易に考えられる。かなりきびしい条件の下で望ましい政策だけ語り、ほとんどのケースにおいて望ましい政策について語ることができないことを選ぶか、もっとルースな条件で望ましい政策を語るけれども、多くのケースにおいて望ましい政策について語ることを選ぶかというのは、とても悩ましい選択だ。ここでは後者の立場をとっている。
  4. それに、もし、本当に、全ての国民が幸せになる政策であれば、なぜそれが実現していないか?という問題も存在する。とても経済学者的な考え方だけれども、誰もが喜ぶような政策であれば、既に実施されているはずだろう、もし、あるモデルに基づいて、全ての国民の幸福度が上昇する政策が存在し、それが実施されていなかったら、そのモデルが間違っているか、そういう政策が実施できない何らかの制約が存在する可能性が高いという考え方もできる。

というわけで、以降は、国民一人ひとりの幸福度は足し合わせられると考えていこう。では、一人ひとりの幸福度はどのような特徴を持っているだろう。おそらくは、(特徴①)持っているお金が多ければより幸福度が高まるというのは、受け入れられるであろう。また、(特徴②)全然お金を持っていない人にとっての1万円は大金持ちにとっての1万円より幸福度を高めるというのも、おそらくは受け入れられる特徴であろう。僕が一万円拾えばとてもうれしいけれども、多分ザッカーバーグはあんまりうれしくないだろう。

この特徴②はとても重要である。特徴②を受け入れる場合、たくさんのお金を持っている人からあまりお金を持っていない人にお金が動く政策は社会全体の幸福度を高める効果がある。ザッカーバーグから1万円余計に徴税し、僕には1万円減税する政策は、僕とザッカーバーグの幸福度の和を大きくするのである。つまり、経済を「公平」に近づける政策は社会全体の幸福度にとって望ましいといえる。

その一方、経済の「効率」を高める政策は、一般的に、平均的に国民の収入を高める効果を持つ。特徴①を受け入れるとすると、経済の効率を高める政策は社会全体の幸福度を高めることとなる。これは良くあることなんだけれども、もし、経済の「効率」を高めようとすると「公平」の面で悪化する場合、どちらかを追求するとその方面から社会全体の幸福度は増加するものの、もう一方の方から社会全体の幸福度が低下することが十分ありうる。この場合、社会全体の幸福度を最大化する政策というのは、「効率」と「公平」のバランスをうまくとる政策ということになる。これが、いわゆる「効率」と「公平」のトレードオフというものである。



上のグラフは、「Efficiency=効率」だけ考えた場合、あるいは「Equality=公平」だけ考えた場合、「社会全体の幸福度」がどのように政策変数とともに変化するかを示している。イメージを沸きやすくするために、政策変数を消費税率と考えてみよう。政府はある一定金額を国民から徴税せねばならず、徴税方法として消費税と累進所得税があるとする。消費税率を上げると、消費税から得られる税収が増えるので、所得税率を下げることができる。この場合、累進性の度合いは維持されると仮定する。上のグラフは、「効率」だけ考えると、消費税率を上げればあげるほど社会全体の幸福度は上がることを示している。消費税はモノの税込価格を一律に引き上げるので、モノの相対価格を変えない。よって、消費者は(モノの相対)価格が何も変らなかったように行動する。言い方を変えると、消費税というのは価格のゆがみをもたらさないのである。一方、消費税率を高めると所得税率を下げることができ、所得税引き後の所得を高めるので、労働の意欲を高めることが期待される。つまり、消費税率を上げると、消費税は価格のゆがみをもたらさず、一方所得税率を下げることで賃金のゆがみを是正することができるので、経済の「効率」は改善するのである。

その一方、消費税率を高めると「公平」という面だけ考えると、「社会全体の幸福度」は下がってしまう。よく言われていることであるが、定率の消費税は低所得者、つまり「1万円から得られる幸福度が高い」人の税負担が大きくなり、「1万円から得られる幸福度低い」人の税負担が小さくなるので、「公平」の面だけ考えると望ましくないのである。そういう意味では、軽減税率というのは、このような消費税率の問題点を和らげる政策と考えることもできる(もちろん他の政策、たとえば所得税の累進性の引き上げ、で代替することも十分可能である。何を政策変数とするかによって望ましい政策が変わってくるいい例である)。

最初に示したグラフは、上の二つのグラフ(「効率」だけのものと「公平」だけのもの)を足し合わせた結果、山なりになっているのである。但し、このような山なりの形がいつも得られるわけではない。極端な例として、代表的個人のモデルを考えてみよう。国民が1人しかいない(全員が同じ所得等を持つと)経済では、仮定から既に「公平」は達成されているので、「公平」を改善するとという効果はないのである。言い方を変えると、代表的個人のモデルで考えると、上のグラフで言う「効率」だけ考慮したケースがそのままモデルに当てはまる。つまり、消費税は上げられるだけ上げた方がいいのである。


では、ちょっと違う例を見てみよう。例としてまた最低賃金を使う。上のグラフで言う、Case 1は一番最初のグラフで示した例である。では、Case 2の場合はどうか?Case 2も山なりであり、最低賃金がw2のときに社会全体の幸福度は最大化されるので、マクロ経済学者はCase 1と同じように、最低賃金の引き上げを主張すると考えるかもしれない。しかし、Case 1 との大きな違いは、最低賃金を変えたことによる社会全体の幸福度の上昇幅が小さいことだ。この場合、分析に使われたモデルで捨象された他の要素も考慮した場合、最も望ましい最低賃金のレベルが変る可能性が大いに存在する。このような場合には、マクロ経済学者はあまり強く政策の変更を主張しないであろう。どんなモデルも捨象されたいろいろな要素が存在するし、上のようなグラフを描くために使用したパラメーターにも不確実性がある(あまり自信がない)ケースが多いので、捨象された要素を加えたり、ちょっとパラメーターを変えたら、採るべき政策が大きく変ってくるのであれば、無責任にある政策(w2)を推奨はできない。Case 3は上でもちょっと触れた特殊なケースで、最低賃金が低ければ低いほど、社会全体の幸福度が高まるケースである。言い換えると、このモデルが正しければ、経済学者は最低賃金は廃止すべきだ(廃止したときに社会全体の幸福度が最高となる)と主張することになる。

最後にいくつかコメントを。
  1. 繰り返しになるが、ちゃんとした経済学者であれば、頭の中にモデルがあって、そのモデルの下で、上のグラフのような分析をした上で、望ましい経済政策について議論しているということである。しばしばインターネット上で見かけるが、何のモデル、トレードオフも念頭になく、こういう政策を採るべきだと議論している人がいるが、多くの場合、そんなのは別に望ましい政策を議論していると言うより、個人の嗜好を表明しているに過ぎない。
  2. わかりやすい例としては、ある業界に利益のある人が、少なくともその業界の人は得をする政策を望ましいと議論したところで、それ以外の人たちがどのような影響を受けるか、もしそれ以外の人が負の影響を受けるのであれば、負の影響が、その業界の人が得る恩恵に比べたら小さい、という議論をしないと、(少なくとも僕には)説得力はない。大金持ちではない人が大金持ちに対する課税を強化して、それ以外の人に対しては減税をすべきだと主張するのも似たような話である。もちろん後者の場合、「公平」を改善する効果があるから「社会全体の幸福度」が高まる可能性はあるが、大金持ちの人たちが、投資を控えたり、シンガポールや香港に資産を移したりすることで起こりうる負の効果も冷静に考えた上での議論でなければ、自分が得するからうれしい政策に対する支持を表明しているだけで、あまり説得力はないであろう。
  3. モデルがあった上で議論をしていても、望ましい政策は、結局はどのようなモデルを使っているか、どのようなパラメーターを考えているかに依存することが多い。全てのモデルにおいて成り立つ望ましい政策なんてほぼ存在しないので、望ましい政策を議論する際には、どのようなモデルを考えているか・どのようなチャンネルを考慮しているのかなどを明示した上で議論が行われると建設的な議論になると思う。
かなり、大雑把な議論をしている箇所もあるし、あまり推敲せずに書いたので、おかしいところとかは指摘してもらえるとうれしい。

Unemployment Insurance as Automatic Stabilizer

マクロ経済政策のやり方のひとつとして、自動安定化装置(automatic stabilizerあるいはbuilt-in stabilizerとも呼ばれる)というものがある。不景気のときには政府が支出を自動的に増やし、景気が過熱気味の時には政府が支出を減らようにあらかじめ決めておくことで、自動的に、政府の支出の増減が「総需要」を安定化させ、景気循環の触れ幅を小さくしようというものである。

では、なぜ「あらかじめ決めておく」ことがいいことなのか?3つ理由を挙げてみると、1つ目は、不景気のたびに景気をしたささえするために特別な法律を作る必要が省けるというのがある。不景気の時に景気対策以外のことで国会が忙しい場合、景気対策が後回しになってしまうがリスクあるが、あらかじめ自動的に財政支出を変化させる仕組みを作っておくことでそういうリスクを小さくできる。2つ目は、経済主体の期待に働きかけることができるということがある。普通は、企業が景気が悪くなってきたと感じた場合、従業員を解雇する人数を増やすことが起こりうるが、もし、そうした企業が、自動安定化装置の存在を知っていて、財政支出が増えることが予測できていれば、解雇をしないという結果になるかもしれない。3つ目は、景気がいい時でも、政府支出が削減されることを決定するのは政治的に難しいが、そうすると恒常的に財政赤字がつみあがってしまう。好景気の時には支出を減らすとあらかじめ決めておくことで、財政への長期的な影響を中立的にすることができる。但し、年金支給額のマクロ経済シフトがどうなっているかからわかるとおり、景気がいいときででも財政支出を削減しないのは人気が取れる政策なので、コミットメントの問題がある(日本政府の場合コミットメント能力は無きに等しいと思われる)。

では、実際には自動安定化装置はどのように実施されているのか?もっとも有名な例が「累進所得税」である。累進的であるということは、所得が上がれば上がるほど税率も上がるということをさしている。景気が落ち込んで人々の所得が低くなった場合、累進所得税のものでは、人々の所得に適用される税率が「自動的」に低くなり、可処分所得(税引き後の所得)が増加する。逆に景気がいいときには、所得は高くなるので、それとともに所得に適用される税率も上昇し、可処分所得は税引き前の所得ほど伸びないことになる。このような政策の下では、人々の可処分所得の変動幅が税引き前の所得の変動幅より小さくなり、景気の大きな上下動を抑えられることが期待される。

と、ここまでは前置きだったのだが、もし、失業保険の金額あるいは受け取れる期間が景気とともに自動的に上下すれば、それもautomatic stabilizerとして機能しうることはわかるであろう。景気が落ち込んでいるときには失業率は高い、つまり、失業者も多いし、平均的な失業期間も長くなりがちである。この場合、失業保険の金額あるいは給付期間を自動的に延ばす仕組みがあれば、不況時には失業者が受け取る金額は大きくなり、可処分所得の落ち込みが抑えられるというわけである。実際、アメリカでは、通常時は6ヶ月までしか失業保険を受け取ることができないが、失業率が高くなると給付期間が自動的に延長される仕組みがある。但し、失業保険の金額は州によって異なるものの、不況時に自動的に増額されるような仕組みはない。

では、実際に、失業保険の金額を景気によって変化させればautomatic stabilizerとして機能するのか?という質問に答えようとしたのが、今回紹介するペーパー("The Importance of Unemployment Insurance as an Automatic Stabilizer" by Di Maggio and Kermani, NBER Working Paper No. 22625)である。但し、上に書いたとおり、失業保険の金額は景気によって変わらない。よって、著者らは、州の間の失業保険の金額の違いに注目した。

具体的には、著者らが行ったのは以下の分析である。まずは、アメリカの各市(カウンティ、とりあえず「市」と訳しておく)の失業者の失業保険受取額が失業前の所得のどのくらいの割合か(これを失業前所得比率=RR=Replacement Ratioの訳)を計算し、その平均をとる。これが、各市の失業保険の手厚さの指標となる。著者らのデータによると、RRの平均は23%(普通は40-60%なのでこの数字はとても小さい)で標準偏差は11%なので、市の間の差はとても大きいことがわかる。では、これらの市の経済にショックがある場合、そのショックに対する市の所得や雇用の感応度は、RRによって異なるかを見るというのがメインの分析である。RRが高い市であれば、失業した人はより多くの失業保険をもらえるということなので、市が不況に陥って失業率が上がった時に、失業保険も含む可処分所得の落ち込みは小さいということとなる。もし、総需要への効果が実際にあるのであれば、可処分所得の落ち込みが押さえられることによって、その市の景気の変動の大きさが小さくなるということになる。

では、各市へのショックはどうやって計算するか?著者らはほかのペーパーでも使われている、Bartikショックというものを使っている(Bartikという人のペーパーで提案されたからだ)。Bartikショックというのは、次のように計算される。まずは、全米における、各セクターの雇用の変化を計算する。そして、各市における各セクターの重要度に応じてウェイト付けすることで、その市におけるショックの大きさを計算するのである。具体例を挙げると、例えば、石油関連産業の雇用がアメリカ全体で大きく落ち込んだとする。この場合、テキサスなどの、石油産業が全体の雇用に占める割合の高い市は、大きなショックを受けたことなり、石油産業がぜんぜん雇用に貢献していない市であればショックはないと仮定される。つまり、全米全体における各セクターへの影響が、家訓セクターの雇用における重要度に応じて各市に均等に配分されるというものである。かなり突っ込みどころが多い仮定のような気がするが、最近多くのペーパーで使われている。

著者らの分析の結果を要約すると以下の通りである。

1. RRが高い市のほうがショックに対する雇用の成長率の感応度が小さいことがわかった。RRが10ポイント下がると、ショックに対する雇用の成長率への感応度は9%下がった。

2. RRが高い市の方が、ショックに対する雇用の成長率の感応度は小さいが、この結果は非貿易セクター(サービス、建築等)に於いてのみ有意(しかも16-20%と大きい)であった。逆に、貿易セクター(製造業)においては、RRはショックに対する雇用の成長率の感応度に影響を与えていない。このことは、RRの雇用の感応度への影響が総需要への影響を通じたものであることを示唆している。

3. 各市における自動車販売台数のデータもあるので、自動車販売台数を、総消費の代わりのデータと考えると、RRが高い市の方が、ショックに対する自動車販売台数の伸びの感応度が18%低いことがわかった。

4. RRが高い市のほうが、ショックに対する総賃金収入の増加率の感応度が低いこともわかった。RRが11ポイント下がると感応度は8%減少する。

5. このエントリで扱ったが、Auerbach and Gorodnichenko(2012)は、財政支出のGDPへの影響は不景気の時の方が大きいという実証結果が積み重なってきている。同じロジックによると、RRのショックへの感応度への影響は負のショックのときの方が大きいことが予想される。この予想の通り、RRが、ショックに対する雇用の成長率の感応度に与える影響は、不況期(Bartikショックが悪いとき)には大きく、好況期には小さいことが確認された。

6. 著者らの回帰分析による結果を元に、財政乗数(Fiscal Multiplier)を計算すると、1.9であった。この数字は、失業保険の金額の変化についての財政上数であるという点は留意しておかなければならないが、最近のペーパーで市や州のデータを使って推定された財政乗数の値と整合的である。

これら全ての結果から著者らが主張しているのは、失業保険の金額(あるいは期間)を不況期に上げることによって、不況期における可処分所得の落ち込みを緩和させ、総需要を下支えすることで、雇用や所得、消費に対する影響を緩和することができるということである。まぁ、市の間の失業保険の違いから国レベルの自動安定化政策の効果にもっていくのはいろいろ突っ込みどころがあると思うが、面白い結果であることには変わりない。

理論面でも、失業保険が自動安定化装置として機能することが最新の研究で示されている。McKay and Reis ("The Role of Automatic Stabilizers in the U.S. Business Cycle" Econometrica 2016)では、不完備市場のNKモデルを構築して、失業保険のような、MPC(限界消費性向)の高い家計に不況期により多くの所得を移転する政策が、自動安定化装置として有効であることを示している。automatic stabilizerの分析のためには、総需要がGDPに影響を与えるモデルが必要なので、通常の不完備市場のモデルにNKモデルのような名目価格の硬直性を導入する必要がある。このようなモデルはごく最近開発されたので、automatic stabilizerの役割は最近DSGEモデルを使った分析が可能になった。

Essay on Macro Empirics, Part 1

前回のちゃんとしたポストからすっかりあいてしまった。まぁ、定期的な更新を期待して待っている読者がいるような人気ブログというわけではないのだけれども、やっぱり間が空くと申し訳なくなる。夏は学会や休暇やも多く、かつ、おそらく切りのいい夏前にジャーナルに論文を出す人が多いせいか、夏前に手持ちの論文をレフェリーに送りつけるエディターが多いせいか、夏前にたくさん来るレフェリー依頼をさばいていると、なかなか新しい論文を読んだり、新しいネタを探す時間がなくなってしまう。

というわけで、今回は、(特にマクロ)経済学において、データをどのように使うのかについて簡単なエッセイを書いてみる。あまり考えずにつらつらと書くので後で加筆・修正する可能性も大なことをお許し願いたい。まぁ、自分自身、データに強いわけではまったくない(では何に強いかといわれると困ってしまう)ので、間違っているところとかを指摘してもらえるとそれもうれしい。エッセイのようなものなので、つらつら、構成も考えずに書いていく。

個人的に経済学がほかの社会科学より圧倒的に優れていると思うのは、個人(あるいはその他の意識決定主体)がどのように決定を行うか、そのような個人が集まっている経済(あるいは社会)にどのようにその決定が反映されるかを緻密に分析できる理論体系があるということと、その理論を検証するためにデータを注意深く見るという、両輪だと思う。マクロ経済学についてもそのような経済学の強みは生かされていると思う。では、どのように理論とデータが関連しているかを、例を使ってできるだけわかりやすく書いてみたい。何を例に使うかをちょっと考えてみたのだけれども、ここでは、政府支出乗数(政府支出を1円増やした時にGDPが何円上がるか)の推定を例に使ってみる。

なぜ、政府支出乗数が重要なのか?政府が支出を行う際には、税金や国債の発行(=将来の増税)で原資を調達した後で、何かへの支出を行うので、その支出が本当に経済(=お金を出す人々の)の役に立っているかを測りたい。その指標の一つとして使われるのが、政府支出乗数である。いわゆる、投資のリターンのようなものだと考えればよい。リターンが大きければ実施すればよいわけだし、リターンが小さければ、何でこんなことをするのか考える必要があるだろう。

「政府支出を1円増やした時にGDPが何円上がるか」というのは簡単にデータから計算できるように感じられるかもしれない。毎年、政府がいくら支出して、GDPがどれだけ上がったか、の相関を計算すればいいじゃないか、と考えるのが第一歩である。まずはこの第一歩を行うことは重要なんだけれども(ちょっと前に聞いたPodcastにJoshua Angristが出てたんだけれども、彼も、洗練された識別を行う前にOLSを行うことが第一歩だといっていた)、これじゃあぜんぜんダメと一般的に考えられている。ちなみに、本当にこのように政府支出乗数とかを計算して大丈夫と思っている人もいる。困ったもんだ。では、なぜまずいのか?いろいろあるんだけれども、「いろいろ」というのを以下ランダムに見ていく。

まず、「完璧な実験」は何かということから考えてみよう。2016年1月1日の日本をスタート地点として、政府支出を1円上げなかった時のGDPと、政府支出を1円上げた時のGDPを比較できれば完璧なのである。実際は、2016年には1円上げなかったとしよう。この場合、前者のデータは存在している(これが歴史なので)が、後者のデータは存在していない。後者のような状況(実際の歴史と異なる)をcounterfactual(反実仮想)という。この2つのデータがもしあれば、両者でGDPがいくら違うか計算すればこれで終わりである。但し、実際には、反実仮想のデータは存在しないので、どうやってそれに近い状況を作るかというのが経済学者が玉を悩ませるところなのである。それに近い状況を作るのにいくつもの方法はあるが、どれも完璧ではないので、いろんな方法の長所・欠点を比較検討したり、いろいろな方法で計算された結果を比較することで、完璧ではないにしても完璧な状況で得られるであろう数字に近づける努力を僕らは延々と行っているといえるかもしれない。

じゃ、不完全な方法としてどのようなものが考えられるか?例えば、2015年より2016年のほうが政府支出が1円多かったとしよう。じゃあ、2015年のGDPと2016年のGDPを比較すればいいじゃん、と考えるかもしれない。最初にあげた方法(毎年、政府がいくら支出して、GDPがどれだけ上がったか、の相関を計算する)はまさにこれである。では何でダメなのか?2015年と2016年はおそらくいろいろな面でぜんぜん違うからである。2016年はオリンピックがあって盛り上がったので、GDPが多かったかもしれない。それを考慮に入れなければ、政府支出乗数は大きく出てしまう。もちろんそれ以外にも2015年と2016年を単純に比較できない理由は山ほどある。

それらをコントロールする方法として、「たくさんの年のデータ」を使うことが出来る。オリンピックは何回もあったので、オリンピックの時にはどのくらいGDPが上がるかが長い歴史のデータから計算できれば、2015年と2016年のGDPの違いから「オリンピック好景気」分を引いた分が政府支出乗数といえるかもしれない。ちょっとかっこつけた言い方をすれば(計量経済学にはかっこつけた言い方が多くて門外漢には困る…)オリンピックダミーを入れて回帰を行うのがこれである。但し、日本のデータは限られているので、何もかもコントロールすることはできない。例えば、2016年はSMAPが解散したけど、その効果はどうやってコントロールするんだ、とか(まぁ、過去のジャニーズグループの解散を使ってもいいけど、セミナーでは、「SMAPは国民的アイドルだから違う」という人が出てくると思う)。

では、日本のデータは限られた年の分しかないという制約をどうやって乗り越えるか?ひとつの方法が、たくさんの国のデータを使うという方法である。日本で50年分しかデータがなくても、100カ国あれば5000のデータポイントがあることになる。但し、たくさんの大きく異なる国を一緒くたにしていいのかという問題が起こる。そういう問題を不完全ながら回避するためにOECD諸国(いわゆる先進国)のデータだけ使うとかもできるけれども、日本とスウェーデンを一緒くたにしていいの?という疑問は残る。データポイントは多くなったけれども、日本とスウェーデンがいろいろな面で異なるということを考慮しすぎると、日本とスウェーデンで別個の回帰分析を行っているだけで、「多くの国を使うことによるデータの大きさ」が生かせなくなるからだ。

これと関連した方法は、国のデータでなく、例えば県別のデータを使うという方法もある。例えば、神奈川県だけ2016年に他の県より1円多く支出したとしよう。この場合、オリンピックやSMAP解散の効果は考える必要がない(実際は、おそらくセミナーでは、SMAPのファンの数が各県で違うからSMAP効果すら各県で異なるのではと聞かれるだろう)。全ての県で2016年にそれらは起こっているのである。このような状況は、各州が経済政策においてかなりの自由度を持っているアメリカで結構見られる。ある州が他の州とかなり異なる経済政策を実施する(最近の例で言えば、オバマケアの一部の導入を拒否したり)と、経済学者は色めき立つのである。このアプローチの問題点は何か?もし各県がかなり似ているのであれば、最初にあげた「完璧な実験」に近いのではないか、と思うかもしれない。但し、残念ながら、おそらく神奈川県が他県と似ていると考えるのは難しいであろう。それに加え、このようなアプローチにはもっと根本的な問題点がある。もし神奈川県の政府支出が大きかったことによって、神奈川県でビジネスが他県よりしやすくなったのであれば、もしかしたら企業が活動を東京都や千葉県から神奈川県にシフトしたかもしれない。この場合、神奈川県のGDPはより増え、東京都や千葉県のGDPはより下がることになる。但し、これは、ビジネスが移動しただけであり、国レベルで図りたい政府支出の経済効果とは異なった値(神奈川県のGDPの伸びのほうが大きく出てしまう)が求められてしまう。また、国全体でGDPが1円上がった時に日本全体の経済がどのように影響を受けるかというのは、おそらく神奈川県にのみ政府支出が増加した状況と大きく異なる可能性もある。いわゆる、外的妥当性(ある状況で得られた推定結果を他のもの(より広い文脈)に使っていいか)という議論である。

この例と関連した話を挙げておくと、例えば、ある小さい市(熱海市としよう)において政府支出を1円増やすというようなことは「実験」として可能かもしれない。但し、この場合も、熱海市において行われた「実験」から得られた政府支出乗数を日本全体の「完璧な実験」の結果と近いと考えてよいかというと、ここには巨大なギャップがあることがわかるであろう。ここで得られた実験の結果は、熱海であること、と熱海であることに関して目をつぶっても、仮想現実になっていないという問題点を乗り越えなければならない。特に、実験ができるような規模では、日本全体で政府支出が増加したときのマクロ的な効果がいろいろ出てこないことが容易に推測できるので、外的妥当性に大きく問題があると思う。

長くなってきたが、ここまで挙げた話は比較的簡単な話である。もっと重要な話は、これからなのだが、長くなってきたので、導入だけ書いて終わりにする。また、日本のデータに戻る。オリンピックやSMAPの解散が無かったとしても日本のデータをそのまま使うのに問題があるのは、次の理由にもよる。そもそも政府支出が増えるのは不況期である。不況は普通数年で終わる一方、政府支出の実施には時間がかかる。よって、政府支出が実施されるころには、経済が改善しつつあるかもしれない。この場合、政府支出によってGDPが改善されたのではなくても、そのままデータを見ると政府支出が増えたおかげでGDPが上昇したというストーリーと整合的なデータとなってしまう。このような問題を回避するにはどうすればいいのだろうか?とりあえず今日はここまでにしておく。

Inequality and Aggregate Demand

AuclertとRognileの、最近MITから生み出されたマクロのスターが、不平等の拡大が経済停滞を生み出すメカニズムについて分析している("Inequality and Aggregate Demand"、論文自体は公表されていない)。このメカニズムはいろいろな人が言っている(例えば、この記事(日刊ゲンダイなんて引用したくないんだけど)によるとスティグリッツは「格差が拡大していることにより、持てるものは消費を拡大せず、持たないものは消費を控えることにより、『需要』が冷えていることが問題である」と言っているそうである)。

メカニズムは単純である。収入や貯蓄が低い人の消費性向は高く、収入や貯蓄が高い人の消費性向は低いことは知られている。このような状況下で、収入が高い人の収入が更に増え、収入が低い人の収入が更に減ったとしよう。もちろん、この場合、所得の不平等は拡大することになる。総消費はどうなるか?収入が高い人は、そもそも消費性向が低いので消費はあまり増やさない。収入が低い人は、収入が減ると消費は直接減少することとなる。彼らは、貯蓄があまりないので、一時的に収入が減少したとしても、貯蓄を切り崩して一時的に消費を支えることができないからである。結局、総消費は減少することとなる。

このペーパーは、このようはメカニズムが標準的なマクロモデル(労働収入について個人レベルのショックがある不完備市場のマクロモデルに賃金の下方硬直性を加えたもの)においてうまく機能するかを調べたものである。

まずは、彼らは、賃金の下方硬直性がないモデル、つまり、名目摩擦がないモデルから分析を始める。これは、いわゆるAiyagariモデルである。このモデルで、上で書いたような不平等の拡大というショックが起こったとしよう。ショックが起こった時点の貯蓄や、生産性は変わらないので、労働者が同じ時間働く限り、GDPは変わらない。GDPが変わらず消費が減少するとしたら貯蓄=投資が増えることとなる。そして、投資が増えるので将来のGDPは増加する。つまり、短期的には消費が減少するものの、GDPは減少しない、つまり、不況は生み出されない、更に、将来のGDPは増えてしまうのである。このことは、「不平等が不況を生み出す」というような状況とはぜんぜんかけ離れている。

では、Aiyagariモデルに賃金の下方硬直性が入ったモデルを考えてみる。このモデルは、いわゆる「ケインズ的な」挙動を示す。総需要が減少した場合、賃金を切り下げたくても切り下げられないので、失業が生まれるのである。このモデルで、上で説明したような不平等の拡大が起こったと想定してみよう。消費の需要が減少するので総需要が減る。今説明したように、企業は賃金を下げて雇用を減らし、生産を減らしたいんだけれども、賃金は下げられない。よって、レイオフを行うこととなる。GDPは消費と一緒に減少し、上のモデルで起こったような投資の増加は起こらない。逆に、将来にわたって消費需要(そして総需要)が低くなることが予想されるため、投資も抑制され、GDPは長期的に減少することとなる。つまり、よく言われているような「不平等が不況を生み出す」ことが実現されるのである。

このペーパーでは、ここで述べたようなメカニズムの大きさを比較的容易に図ることができるような方法(ケンブリッジ界隈で大流行のsufficient statistics approachだ)を提示したり、それを使って、不平等乗数のようなものを提示したりしていて、いろいろ面白いのだが、その辺は捨象する。

Forward Guidance Puzzle

最初に断っておくと、僕は理論に詳しいわけではないので、今回のエントリは理解が不十分なところがあるので、間違っていたら教えてもらえるとうれしい。

では、いってみる。先進国の多くがゼロ金利制約に引っかかって以来、様々な非伝統的金融政策が試されてているが、次の言葉を初めて聞いた時に面白いと思ったことを覚えている。

「QE(Quantitative Easing)は理論上効かないはずなのに、現実では効果がある。Forward Guidance(以下FGと書く)は理論上とても効果的なはずなのに、現実では効果がないみたいだ。」

理論上~、現実では~、というのは経済学者がよく使うフレーズなんだけれども、このコントラストは面白い思ったことを覚えている。前半のQEのくだりはバーナンキが使ったことで有名になったフレーズであり、後半のFGは、最初に誰が言ったか知らないけれども最近ではセントルイス連銀のブラード総裁が使っていた。

QEについては、QEが始まったころは、短期の国債を新たなマネーで買うという形だったので、金利がゼロ(ゼロ金利制約下だと)だと、金利ゼロで安全な資産を、金利ゼロで安全な資産を使って購入するという、同じものの交換になってしまっており、そんな交換は理論上効果があるはずはないという話であった。もちろん、理論的なモデルを改善して、現実的にQEに効果があるように見える状況に合わせる試みは行われてきており、基本的には、マーケットに参加できない人がいることでマネーの市場と国債の市場の裁定が完全に行われないようなモデルが使われているように思われる。

今回フォーカスするのは、FGの方である。FGは理論上、もっと詳しく言えばニューケインジアンモデル(以下、NKモデルと書く)の中では、とても強い効果があるはずである。これは、簡単にいうと、昔のマクロモデルと違って、NKモデルにおいては、金利やインフレ率などに関する将来の予測に基づいて現在の経済主体の行動が決まるので、将来金利が長期的に低いと知っていれば、現在の行動に大きな影響を与えられるからである。でも、現実においては、FGを実施しても、急に経済主体の行動が変わって、景気に強い影響を与えられているようには見えない。このことは、Forward Guidance Puzzle(FGに関するパズル)と呼ばれてきている。

FGパズルについては、いくつもの解決法が提示されてきている。

1. Del Negro, Giannoni, Patterson("Forward Guidance Puzzle")のNY連銀グループは、NKモデルに、ライフサイクルモデルのような要素を入れると、FGの効果が弱まると主張している。まぁ、当然だけれども、経済内の消費者が、ある確率で死ぬと仮定すると、その分将来のことを気にしなくなるので、FGの効果が弱まるのである。ある意味、NKモデルを期待の役割がない昔のマクロモデルに戻すようなものである。極端に、今日死ぬ確率を100%にすると、期待の果たす役割もなくなって、昔ながらのモデルに逆戻りする(そしてFGの役割もゼロになる)。

2. McKay, Nakamura, Steinsson("The Power of Forward Guidance Revisited")は、普通のNKモデルのように代表的個人を仮定せずに、不完備市場を仮定することで、借り入れ制約に引っかかっているような消費者が存在するモデルを使うと、借り入れ制約に引っかかっている消費者は、FGの結果消費を増やしたいと思っても借り入れ制約のせいで増やせないので、FGの効果は弱くなることを示した。とても面白い(からAERに行くのだろう)アイデアだと思う。

これらの解決方法に共通なのは、中央銀行が将来の制約について約束(コミット)できると仮定していることである。とはいえ、アメリカのFRBは年に8回FOMCを開くので、過去に何か約束したとしても、未来のFOMCでやっぱやめたといって別の政策を選べば終わりである。日本銀行においても、金融政策決定会合は年に8回ある。

ちょっと脱線するが、インフレ率を2年間で2%まで引き上げるとかいう実現できない約束を「コミット」したり、市場を驚かすようなサプライズをちょくちょく実施したりすると、将来の政策に「コミット」したところで、信用されないのが普通のような気がする。

理論上(NKモデルにおいて)FGの効果が強いのは、コミットメント能力がとても強いからだともいえるので、例えば、中央銀行がある政策にコミットしても時々政策を変更できるようなモデルを作れば、FGの効果は弱まる、というような研究もあるようだ。

ここまでが前置きなんだけれども、最近見た、シカゴ連銀のMarco Bassettoの論文"Forward Guidance: Communication, Commitment, or Both?"という論文は、そもそも中央銀行のコミットメント能力を仮定しない時に、FGは効果的となりうるか、というより根本的な質問について分析したものである。彼の分析では、そもそもコミットメントが仮定されず、FGは中央銀行が民間経済主体に対して行うチープトーク(コストなしで民間主体にメッセージを伝達すること)としてモデル化される。FG自体は、実体経済に何の影響も与えない。このような状況下だと、FGの効果は以下のようになる。

(a) 中央銀行と民間経済主体の間に情報の非対称性がない場合は、FGは効果がない。

(b) 情報に非対称性がある場合(現実的には、中央銀行が、実体経済について、民間経済主体が知らない何らかの情報を知っているケース)でも、中央銀行と民間経済主体の選好が同じであれば(いわゆる民間経済主体の厚生を最大化する中央銀行の場合)、中央銀行は、自分が知っている情報を公開すれば、民間経済主体はそれを信用するので、それで終わりである。これは狭い意味でのFG(将来の政策についてメッセージを発する)ではない。

(c) とはいえ、例えば、良い均衡と悪い均衡があって、FGに期待のコーディネーションの役割があれば、FGが経済を良い均衡にとどめるようなモデルもできる。この場合、FGがあることで、均衡の集合が変わるわけではないので、FGの役割は本質的(essential)ではないといえる。コーディネーションを行うために特に将来の政策についてのアナウンスが必要なわけではない。太陽の黒点でもよい。

(d) 彼によると「面白い」ケースは、中央銀行と民間経済主体の選好が異なり(例えば、中央銀行は完全雇用の達成のためにちょっと位インフレ率が高くなって、民間主体が被害をこうむってもよいと考えているようなケースが考えられると思う)、中央銀行のそのような選好について情報の非対称性がある(民間経済主体が中央銀行のそのような選好についてわかっていない)ケースである。この場合、中央銀行は、将来の政策をアナウンスすることで、民間経済主体に、自分の選好に関する情報を伝えることができ、民間経済主体が(将来の金融政策についてよりよい情報を持っているので)よりよい決定を下すのに有効になる。民間経済主体と中央銀行は、経済の状況について同じ情報を持っているので、ある将来の政策がアナウンスされた場合、民間経済主体は、中央銀行の選好について正しく推測することができるのだ。

個人的には、中央銀行が民間経済主体の厚生を最大化していないという仮定がどのくらい妥当なものなのか良くわからないのだけれども、FGについてはそもそも皆良くわかっていないという状況なので、こういう基本的な理解を深めてくれる論文に価値があるのだろう。

また日本に戻ると、日本銀行の場合、傍目には行き当たりばったりにいろいろ(サプライズで)試しているという感じなので、FGのような枠組みできちんと分析するのは難しいのではないかという感じがする。

Credit and Business Cycles

最近のNBER Working Paperで信用(あるいは負債)と景気循環についてのペーパーが2つ見られたのでちょっとまとめておく。ナイーブな理論であれば、信用(あるいは負債)の拡大というのは、金融部門がより有効に機能していることととらえることとできるので、(現在の)経済成長に良い影響を与えると考えることができる。しかし、日本の1980年代後半以降の経験や、アメリカの1980年代後半の経験、及び2000年代後半の経験は、信用・負債の拡大は経済に悪い影響を及ぼしているのではないかという考えを人々の頭に植え付けている。

 Mian, Sufi, Verner (2015)による最新のNBER Working Paper("Household Debt and Business Cycles Worldwide")では、30カ国(主にOECD加盟の「先進国」)の1960年から2012年にわたるデータを使い、債務・GDP比率と、GDP成長率及び失業率の関係を分析した。彼らの主要な発見は以下のとおり。
  1.  ある3年間の間に債務・GDP比率が上昇した場合、その後3年間のGDP成長率は低下し、失業率は上昇することがわかった。つまり、信用ブームは将来の経済成長の停滞を予測するのである。
  2. この結果は、信用ブームが起こった後での景気停滞はより深刻なものになるという既存の結果よりも強いものである。なぜなら、今回の結果はその後経済が景気停滞に陥ったケース以外でも成り立つからである(つまり今回のケースはunconditional result)。
  3. この相関を使うと、IMFおよびOECDが作っている経済予測の精度を高めることができる。なぜなら、これらの予測は信用ブームが後の経済成長に与える不の効果を十分に勘案していないからだ。
  4.  債務・GDP比率の債務を「家計の債務」と「企業の債務」に分類すると、後の経済成長に負の効果を与えているのは家計の債務であることがわかった。企業の債務の拡大が後の経済成長に与える影響は小さい。
  5.  ここまでの結果は国ベースのものだが、世界全体の信用ブームが後の世界全体の経済成長に負の影響を与えることも確認された。この相関関係を用いると、2000年代前半の世界的な信用拡張ブームは2007年以降の世界的な景気停滞が見事に予測される。
上のグラフは、家計の債務と企業の債務の増加がGDP成長率に与える影響を推定したVARの結果を示している。家計の債務の増加は後のGDP成長率を引き下げる一方、企業債務の増加はあまり影響がないことが見て取れる。
上のグラフは、3年間の家計債務・GDP比率の増加率とその後3年間のGDP成長率の相関を見ている。平均的には負の相関が見て取れることがわかるであろう。
上のグラフは、その相関関係を、国別に推定した結果を示している。おもしろいのは、日本が例外的に正の相関関係(家計債務の増加は後のGDP成長率の上昇を予測する)を示しているということである。その上のグラフでは、日本を示す点がグラフの左下の方に見られるので、日本は債務が増加せず、低成長が続いている時代が長かったからかなという風に見える。

このペーパーは面白いのだけれども、相関関係を示しているだけであり、その背後にある因果関係はわからない。どのような因果関係が考えられるだろうか?あまり深く考えていないのだけれども、ふたつの異なる考え方を挙げておこう。
  1. 信用・債務が拡大するときには、オーバーシュートしてしまい、信用・債務の量が多すぎる状態になり、その後に調整期間(GDP成長は停滞する)が必然的におとづれる。バブルもこのストーリーに含めることができる。
  2. 信用・債務の拡大・縮小は自然なサイクルがあり、債務が拡張した後には債務が縮小するのは自然な平均への回帰(mean reversion)である。
上のようなストーリーを信じるのであれば、債務が大きく拡張するときには金融セクターを規制して、ブレーキをかける政策が望ましいということになるであろう。下のようなストーリーでも、一般的に景気循環を小さくするベネフィットはあるので、金融セクターが生み出すサイクルを小さくすることは望ましいだろうが、上のストーリーほどはその必要性がないということになるかもしれない。

ここで、Lopez-Salido, Stein, and Zakrajsek(2016)によるもう一つの最近のNBER Working Paper ("Credit-Market Sentiment and the Business Cycle")にちょっと触れておこう。このペーパーでは、アメリカの1929年から2013年のデータを用いて、市場のセンチメント(他に適切な日本語訳が見つかりらない…)が何らかの理由で改善することで、信用スプレッドが低下する(債務を借りるコストが低下する)とその2-3年後のGDP成長率は低下することを示した。ここまでは、前のペーパーの結果と整合的である。彼らは、更に、この相関がなぜ起こっているかについて仮説を提示した。彼らのストーリーは上で挙げたストーリーのふたつ目のものである。つまり、信用スプレッドは平均に回帰する傾向があるので、信用スプレッドが低下したその2-3年後には、信用スプレッドは上昇し、経済活動の停滞を引き起こすのである。このペーパーは、最近流行の時間とともに変化するリスク(time-varying risk)を景気循環の原因として考える流派をサポートするものである。但し、彼らの結果自体が、上で挙げた第1のストーリーを否定するものではない気がする。最近、また株式市場のボラティリティが高まって、景気停滞を引き起こす可能性も懸念されており、この分野の研究はまだまだ流行するであろう。

Pragmatic Approach to Behavioral Economics

今年のAEA(アメリカ経済学会の年次総会)ではRaj ChettyがRichard Ely Lecture(アメリカ経済学会主催のとても権威のある講演)を行った。その内容は前回もその中のペーパーを紹介したAER P&Pに収録されている。そのメッセージは、「行動経済学を、新古典派経済学と対立するもののように捉えるのではなく、より実践的なものとして捉えましょう」というものだった。Chettyは、行動経済学をより実践的なものとして捉える例として、彼が関与した3つのプロジェクトについて話している。

1つ目は、行動経済学に基づいて、ある目的を達成するための政策をより効果的なものにできるという例である。具体例として挙げられているのは、退職後の生活を支えるための貯蓄が不足している人が多いと考えられる状況下、退職後のための貯蓄を増やさせるためにはどうしたらよいかという問題である。新古典派的な考え方からすると、貯蓄を増やしたければ、貯蓄することの利益を増やせばよい。具体的には退職後のための貯蓄に対して補助金を付けるというのが一般的な政策である。401(k)というのは、そのための目的で実施されている。401(k)というのは、退職後にしか基本的には使えない口座にお金を積み立てる人には、その積立額には所得税をかけないというものである。もちろん引き出すときには所得税が掛かるのだけれども、そのときの限界税率は低い(そのときの年収は働いていたときの年収より低いのが普通なので)のが普通なので、401(k)口座に積み立てをすることで税支払いを少なくすることができる。但し、Chettyらがデンマークにおいて401(k)のような退職用の貯蓄口座について制度変更が行われた時に人々はどのような反応を示したかを調べたペーパーによると、新古典派経済学が想定するような反応を示した人は全体の19%だけであり、残り81%の人は貯蓄行動をぜんぜん変えなかった。

では、行動経済学的にはどのような政策を実施すると退職用の貯蓄口座に積み立てる金額を増やすことができるか?有名な例は「デフォルトの変更」(Madrian and Shea)である。 例えばある会社の社員は自動的に給料の5%が退職用貯蓄口座に振り込まれるというデフォルトを設定したとする。もし、ある人がこの会社に転職してこのデフォルトが実施される前に(新古典派的な意味で)最適な貯蓄計画を立てているとしたら、この人は他の口座において5%に当たる金額だけ貯蓄を減らして、全体の貯蓄額は変化しないようにするはずである。しかし、Chettyも関与した最近のペーパーによると、こういうデフォルトのある会社に転職した人の多くは、特に他の口座に貯蓄する金額を減らしたりはしなかった。つまり、デフォルトで5%の貯蓄を設定するだけで貯蓄率が5%上げられるのである。このような政策は新古典派的なフレームワークからは出てこない。しかし、行動経済的な考え方から、より効果的にある目標を達成できるといういい例である。

2つ目の例は、行動経済学的な考え方を取り入れることで、ある政策を実施したときの政策の効果をより正確に予測できるというものだ。その例として、EITC(Earned Income Tax Credit、日本語では勤労所得税額控除というらしい)についての研究について語られている。EITCというのは簡単に言うと、低所得者の労働を促すために、低所得者には給料の金額が上がれば上がるほど、補助金を多くあげるという制度である。ただ、低所得者のみを対象としているので、所得がある金額を超えると、補助金はなくなり、更に所得が増えると、補助金は少なくなってゆく(もちょろんそれでも補助金込みの収入はだんだん増えてゆくように設定してあるが)。

新古典派経済学的な考え方からすると、補助金がなくなる所得レベルに達した時点で、 それ以上働くのをやめることが予想できる。実際に、補助金がなくなる所得レベルにたくさんの人があつまっている(bunchingという)のがデータでは観察できる。

では、新古典派経済学であまり重視されない考え方というのは、EITCについて知っている人と知らない人がいるだろうということである(個人的にはこれを行動経済学と呼んでいいのか疑問だ…)。EITCを利用している人が周りに多ければ、自然とEITCについて学ぶので、よりEITCの制度に応じた収入を目指すだろう。つまり、bunchingも顕著になることが予想される。実際に、Chettyの最近の研究によると、EITCを利用している人の多い地域のほうが、顕著なbunchingが見られた。更に面白いのは、EITC利用者が多い地域に引っ越した人はよりEITCを使うようになるが、EITC利用者が少ない地域に引っ越した場合はEITC利用率は下がらないということである。解釈としては、一旦EITCについて学んだら、EITCを使う人が周りに少なかろうが自分は使いかたをもう知っているので、周囲の影響を受けないということである。つまり、周囲にEITCを使っている人が多いか少ないかが、どのくらいEITCを使えるかに大きく影響するということをこの研究は示している。

3つ目の例としては、行動経済学を使うと、厚生の分析についても役に立つということである。 一例として、多くの低所得家庭が、なぜ、よい学校のある近くの地域に引っ越さないかという問題を使っている。今住んでいる地域の近くで、学校の質は良いから子供の将来の所得は平均的に高くなるものの、住宅に掛かる費用は今の(質の悪い学校の地域の)家と変わらない地域があるにも関わらず、引っ越さない低所得家庭が多いらしい。新古典派的に説明は、引越しに(目に見えないかもしれない)コストが掛かることである。一方、行動経済学的にはいくつかの説明が考えられる。
  1. Present-Bias。Laibsonの双曲割引モデルのように、将来の利益を大きく割り引いて判断しがちであれば、(高い所得という)子供の将来の利益をうまく考えられていないのかもしれない。
  2. 情報の不足。低所得家庭の親は、近くに同じくらい生活費で、教育の質がいい地域があるということを知らないのかもしれない。
  3. 予測バイアス。子供の将来の所得をバイアス無く予測できないのかもしれない。特に、悲観的過ぎる予測をしてしまうのかもしれない。
  4. 貧困に苦しんでいる家庭は、目の前の利益に目がくらんでしまうのかもしれない。
では、このようないろいろな仮説があって、それらがどれも親が引っ越さないという同じ予測を生み出す(observationally equivalent)時には、どうすればよいであろうか?経済学者のやり方というのは、それぞれの仮説に基づいたモデルを作って、どのモデルが一番データとうまく合致するかを調べて決着を付けるというものである。とはいえ、どのようにデータを使えばよいのか。Chettyは3つのアプローチを挙げている。
  1. 主観的な幸福度を使う。但し、主観的な幸福度をutilityを測る変数として使うことには様々な問題がある。
  2. Sufficient Statisticsを使う。現在の文脈では、行動経済学的な要素が入り込まない状況を見つけ出して、その状況を使って、モデルの重要な一部分だけを推定するというやり方である。
  3. Structural Model全体を推定する。モデル全体の推定は難しいし、モデルのセットアップの仕方によって結果が変わってくるという結果の頑健性という問題もある。
Chettyは最終的にはどのアプローチがいいかはわからないと結論付けているものの、どのモデルが正しいかについて決着を出さなくても、ある目的を達成する政策を実施することはできると述べている。いわゆるHansen and Sargentがマクロの文脈で使ったRobust Control Approachである。これは、正しいモデルがどれかわからない状況下でも、どのモデルでも最適となるような政策を実施しましょうという考え方で、ここでも応用できるとChettyは述べている。彼が挙げた例を使うと、近くにいい学校のある地域がある別の地域に住んでいる低所得者家庭の親に、情報提供するなどして、「Nudge」するというのは、Robust Policyと考えられる。もし、引っ越さない理由が引越しコストなのであれば、Nudgeされても引っ越さないだけだし、そういう機会があることを知らなかった親に対しては、低コストで引越しを促すことができるからである。逆に、新古典派的な政策(引越しに対する補助金)を行うと、本来は引っ越したくない人にも引越しのインセンティブを与えてしまうという点で、Robust Policyではない可能性がある。

かなり詳細をはしょった訳をしてしまった。行動経済学vs新古典派のような争いをせずに、協力して政策を寄りよいものにしましょうというメッセージはいいものだとおもう(さすがナイスガイのChettyだ)が、難しいかなと思う。特に3番目の例においては、厚生分析が絡んでくると「実践的なアプローチ」というものにこだわり続けるのは難しいかなという気がする。最後になるが、何で「行動経済学」の人は何でもかんでも行動経済学にしたがるのか、謎である。

Why Don't Present-Biased Agents Make Commitments?

今年のAERのPP(Papers and Proceedings)にTwenty Years of Present Biasというセッションがあった。LaibsonのペーパーとO'Donoghue and Rabinのペーパーが並ぶという豪華なセッションだ。20年というのが何を意味するのかはっきりとはわからないが、おそらくはLaibsonが有名なQuasi-Hyperbolic Discountingに関する一連のペーパーを書いたのが1990年代半ばなので、それを祝ってという趣旨であろうか...

Laibsonがそこで発表したペーパー("Why Don't Present-Biased Agents Make Commitments?")を簡単に紹介する。Present-Biasというのは、意思決定をするときに、今の利益を将来の利益に比べて過大評価してしまうということである。本来は今勉強しておけば将来役に立つことはわかっているのに勉強することによる今の苦痛を勉強から得られる将来の利益に比べて過大評価することで、結局勉強しないような例がわかりやすいか。あるいは、これも良く使われる例だが、今ポテトチップスを食べ過ぎると太ってしまい、健康を害することはわかっているのに、今ポテトチップスを食べることによる喜びを、今節制することで将来得られる利益に比べて過大評価してしまうので、結局食べ過ぎてしまい、太ってしまうということとらえても良い。

このような話は1990年代からモデル化していることで、2010年代の研究対象ではない。今関心がもたれているのは、こういう状況で、もし個人が将来の利益を過小評価しているなというのを意識しているのであれば(こういう人をSophisticated agent(洗練された個人)と呼ぶ)、自分が長期的に見て最適な行動を取れるように、自分に制約を課す(コミットメントと呼ぶ)のが最適な行動となるのに、なぜ人はそういうことをあまりしないのかということである。Laibsonによると、実験においても、現実世界でコミットメントが容易な状況でも、コミットメントはあまり見られない。

それはなぜだろう。もしかしたら、Present-Biasという仮定が間違っているのかもしれないが、それ以外の別の解釈の仕方はある。 このペーパーでは、コミットメントがあまり使われていないことを正当化する理論をいくつか提示している。

次のような設定を考えてみよう。詳細は実際のモデルと異なるがまぁ、そんなに悪い単純化ではないと思う。夏休みの宿題は終わらせなければならない。遅くすれば遅くするほど大変になる(先送りのコストは毎日「L」かかる)が、宿題をやるとすると苦痛である(宿題をするときの苦しみの度合いは「C」)。夏休みが始まる前に、親に話して(親にこれを頼むコストはとても小さいとする)、宿題をすぐにしなければ夏の間は大好物の冷やし中華が食べられないことにすることができるとする(これがコミットメントを実現するための仕掛け)。このとき、どういう状況で、コミットメント(冷やし中華なしの夏休み)が使われるか、を示しているのが下のグラフである。


Y軸は宿題を先送りすつコスト「L」、X軸は宿題をやる苦痛「C」をあらわしている。宿題を先送りするコストが大きい(Y軸に示された「L」が大きい)ときには、先送りせずに、すぐにやる(「Immediate Action」と示された領域)ことが最適となる。逆に、宿題を実施する苦痛が大きい(X軸に示された「C」が大きい)ときには、先送り(「Procrastination」)することが最適となる。そのどちらのケースでもない中間のケースでは「コミットメント」を使う(親が冷やし中華を作ってくれない事態を避けるためにすぐに宿題をやる)ことが最適な行動となる。

では、コミットメントが使われにくいケースとして、自分にPresent-Biasがあることをあまり強く認識していない(ナイーブな個人という)場合はどうなるであろうか?その場合、コミットメントが必要な場合でも、その必要性自体が認識できないので、コミットメントを使う領域が小さくなる。下の図がそのような状況を表している。
更に、親に、コミットメントを頼む(夏休み中すぐに宿題をやらなければに冷やし中華を作らないように頼む)際にコストがかかる場合(夏休みに入る前に親の肩を1週間毎日もまなければならない)はどうなるか?コミットメントを実現するためのコストが大きければコミットメントはもちろん使われなくなる。グラフとしては、下のような形になる。
コミットメントが使われるケースがとても小さくなることがわかるであろう。Laibsonは、比較的小さいコストでも、コミットメントが使われる領域がかなり小さくなることを示した。これはなぜか?コミットメントを実現するためのコストは前倒しで払う(夏休みの前に行う)のに比べて、宿題を先送りするコストや宿題をやる苦痛は将来の話なので、(将来のコストや苦痛を割引する限り)、コミットメントのコストに比べて(現時点での評価が)小さいからである。言い換えれば、コミットメントのコストが低ければコミットメントは使われる可能性はあるのだけれども、小さいコストがあると、Present-Biasがあっても、コミットメントが使われない可能性は十分にある。

多分、次のステップは、Present-Biasの観点から実際にコミットメントが有効だと思われる状況で、コストがどの位大きいのか、そのコストはここで挙げたモデルと整合的(コミットメントを使わせないくらいコストが大きい)か、と検証することだと思う。

Macro Perspective of the Optimal Tax for Top 1%

所得の不平等が拡大するにつれ、高額所得者の所得にどの位課税すべきかという問題がアカデミアの内外で議論されてるようになってきた。このポストでは、Diamond-Saezが静的なモデルを使って導出した結果を紹介した。彼らのモデルによると、アメリカにとって最適な、高額所得者に適用する最高税率は現行の43%よりずっと高い73%ということだった。

但し、彼らがその結果を導くにあたって使用されたモデルはかなりシンプルなものであった。もちろん、シンプルだから結果がシャープでわかりやすいというメリットは大きい。彼らのような、最適な政策などを観察できるいくつかの統計量の関数として表現することで、それらの統計量と最適な政策とのリンクを明示化するアプローチは「Sufficient Statistics Approach」とよばれて、最近流行りまくっている。

但し、その一方、彼らの結果を導出するのに使われた仮定を緩めるとどうなるか、というのも面白い問題として残っている。この問題に答えたいくつかのペーパーが出てきているので、紹介しておこう。どちらのペーパーも、マクロ経済学で一般的に使われる不完備市場OLGモデルをベースにしているという意味で、カリブレートされた動的なモデルを使う、マクロ公共経済学の観点からDiamond-Saezの質問を再考しているととらえることができるだろう。

まず、Diamond-Saezのモデルの大きな仮定は、静的なモデルということである。つまり、税率が上げられた場合、労働者にできるのは労働時間を短くすることだけであり、消費するか貯蓄するかというチャンネルは考慮されていない。それに、貯蓄が存在しないということは、高額所得者の収入の大きな部分を占める金利・配当・キャピタルゲインに対する課税が無視されているということである。これらを考慮するために動的なモデルにするとDiamond-Saezの結果はどう変わってくるか、について研究したのがKindermann and Kruegerによるペーパー"High Marginal Tax Rates on the Top 1%?"である。

彼らは労働者にライフサイクルが存在するOLG(Overlapping Generations Model)を使って、Diamond-Saezと同じ質問に答えてみた。彼らのモデルは不完備市場モデル(いわゆるBewley-Aitagari-Huggettモデル)で、個人の生産性にショックがあり、そのショックが大きいので、アメリカ並みに大きい所得の不平等、及び(モデルの中の個々人が行う最適な貯蓄行動の結果)資産保有の不平等が再現されている。労働者は、生産性が高いときには、生産性が低くなったときに消費を減らさずにすむように(precautionary saving motive)、あるいは退職後の消費を補完するため(life-cycle saving motive)に、貯蓄を行う。

著者らは、彼らのモデルを使って、トップ1%の高額所得者に適用する最適な税率を計算したところ、最適な税率は73%よりさらに高い89%であることがわかった。社会的効用を最大化せず、トップ1%から得られる税収を最大化すると、税率はさらに高い95%であることがわかった。なぜこんなに高いのか?彼らのモデルでは、収入でトップ1%に入るような人はとんでもなく高い生産性を運よく(ショックによって)手に入れた人である。彼らはしばらくすると生産性が落ちてしまうので、生産性が高いうちにはできるだけ働いて、生産性が低くなってからも高い消費が確保できるように働きまくるのである。このようなインセンティブが存在する場合、トップ1%に適用される税率をかなり引き上げても、彼らの労働意欲は減退しない(つまり、労働供給の課税に対する弾力性が低い)ので、効率の税率をかけてもそれによって労働時間が減って税収が下がるような負の効果はあまり強くないのである。重要なのは、トップ1%に入るような生産性の劇的な向上が運によってもたらされること、さらに、その幸運は長続きしないということである。

ただ、トップ1%に入るような劇的な生産性の向上を得ることは、何らかのスキル(人的資本)の蓄積があって初めて可能となるのではないかと考えることもできるであろう。最近の研究では、トップ1%にはいるような人は、大学(院)を出て、いろいろなスキルを身につけた人が多いという研究結果もある。では、上で挙げたモデルに、人的資本の蓄積を組み込んだら結果はどう変わるであろうか?もし、トップ1%に入るような高い生産性を獲得するためにはスキル(人的資本)を蓄積しなければならないのであれば、静的なモデルあるいは動的だけれどもスキルの自発的な蓄積というチャンネルのないモデルよりも、トップ1%に対する税率を上げたときの経済全体のスキルの蓄積に対する負の効果が大きいことが考えられる。この場合、そのような効果を勘案すると、トップ1%に適用される最適な税率はDiamond-SaezあるいはKindermann-Kruegerの結果よりずっと低いこともありうるだろう。

Badel and Huggettのペーパー("Taxing Top Earners: A Human Capital Perspective")はこの質問に答えたペーパーである。セットアップはKindermann and Kruegerと同じく、不完備市場のOLGモデルであるが、今回は、人的資本の蓄積が自発的に行われると仮定されている。もちろん人的資本の蓄積が速いか遅いかはショックによるのであるが、税率を上げると、人的資本の蓄積に負のインセンティブを与えるというチャンネルはきちんと取り入れられている。著者らは、このモデルを使ってトップ1%からの税収を最大化する税率を計算し、52%という結果を得た。更に重要なことに、人的資本の蓄積というチャンネルをはずすと、最適な税率は66%と高めに出ることがわかった。つまり、人的資本の蓄積というチャンネルを考慮しないと、最適な税率は高く(ここでは14pp)計算されすぎるということである。更に、著者らのモデルから得られるデータに、Diamond-Saezのモデルの結果を当てはめてみると、最適な税率は本来の52%よりかなり高くなることもわかった。

ここで紹介した結果は、単純なモデルから得られる結果は、単純化のための仮定に大きく左右される可能性があることを示している。高額所得者にどの位の税率を課すべきかという重要な問題に対して、経済学者が合意できるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

What is Price Theory?

Glen WeylがPrice TheoryについてJELのために書いたようだ。ペーパーはSSRNにポストされているが、Marginal Revolutionに本人がハイライトを書いているのでそれをベースに書いておく。Price Theoryというと、シカゴ出身の友達が「Price Theoryの授業で…」みたいなことをいっているのを聞くと、それにしてもPrice Theoryってのは何なんだと思いつつ、恥ずかしくて聞けないような気がしていたので、誰かが説明してくれるのはとてもうれしい。

Price Theoryを「プライステイカーを仮定した部分均衡分析」のように狭く定義すると、若い経済学者でPrice Theoryの研究をしている人達を含むことができず、古いもののようにとらえられてしまうので、ふさわしい定義にたどり着くまで苦労したと述べている。

Weylが満足するPrice Theoryの定義は以下のものである。

"Analysis that reduces rich (e.g. high-dimensional heterogeneity, many individuals) and often incompletely specified models into ‘prices’ sufficient to characterize approximate solutions to simple (e.g. one-dimensional policy) allocative problems"

意訳してみると「(様々な種類の異質性や多くの経済主体と含むという意味で)複雑でしばしば不完全にしか示されないモデルを(一次元という意味で)簡単な分配問題の解として近似するために十分な「価格」に落とし込む分析」となるだろうか。 かなり硬い訳をしてしまった。もっと自然な訳し方があれば教えて欲しい。

Weylは、彼なりの定義の理解を助けるために、Price Theoryの4つの特徴を挙げている。
  1. 需要と供給の図のようなわかりやすい図によって、複雑なモデルの(近似)解がわかりやすく示される。
  2. Price Theoryの宿題(Problem Sets)においては、単純だけれども厳密なモデルを解いたりデータを分析したりはせずに、大まかに定義されたモデルにおいて分配や政策について問うものが多い。例として、需要独占がある場合、最低賃金引き上げは常に雇用を増やすか?という質問を挙げている。
  3. Price Theoryにおいては、複雑な構造モデルをそのまま解いて推定したりせずに、関心のある問題に対する答えを特徴付ける簡単だけれども十分な統計量(Sufficient Statistics)を得ることに注力する。Raj Chettyがこのアプローチで有名だ。
  4. この意味で、Price Theoryは社会学や熱力学と共通点が多い。これらの分野では、複雑な分析対象を単純なものに落としこむ。これらの分野と対照的なのは、複雑な分析対象に対して、それをそのまま解いたり(数学)、個々の例に焦点を当てたり(心理学)、帰納的なアプローチをとる(臨床疫学や歴史学)分野だ。
1980-2000年にかけて、経済学では、複雑なモデルをそのまま解く(ゲーム理論、一般均衡理理論、メカニズムデザイン)ことが主流となってきたが、Emmanuel SaezをはじめとするPrice TheoristがSufficient Statistics Approachを使って最適課税問題について、シンプルでかつ有用な解を提示したことよって、再び脚光を浴びるようになった。同様な変化は、ミクロ経済学のいたるところで起きている。その一つの証拠として、最近の7人のJohn Bates Clark Medalの受賞者のうち5人はこのようなアプローチをとっていることが挙げられる。

Price Theoryといううものをよくわかっていない僕にはとても面白い文章だった。ただ、広義すぎるというか、Sufficient Statistics Approachというか、最近の公共経済学についての解説を書いて、それをPrice Theoryと呼んでいるといえなくもない。

Consumer Credit: Too much or Too Little?

アメリカでは消費者向けローンの残高が1980年ごろから急速に上昇した。消費者向けローンの中で大きな割合を占めるものは、住宅ローン、クレジットカードローン、カレッジローン、などがあるが、どれも過去30年くらいで急拡大した。最近の景気後退の原因のひとつとして、住宅価格に関する過度に楽観的な期待に基づく住宅ローンの借りすぎがあげられていることから、現在見られる住宅ローンの市場の大きさは大きすぎるのか、あるいは小さすぎるのか、というのは重要な質問である。

Jonathen Zinmanの"Consumer Credit: Too Much or Too Little (or Just Right)?"はこの質問に答えようとするペーパーを概観している。最終的には、消費者ローンの市場規模が大きすぎるか小さすぎるかについて確信を持って答えるためのデータ(あるいはデータを解釈する理論)は存在していないと結論付けている。ただ、その答えに至る過程で、消費者ローンの市場規模が大きすぎるあるいは小さすぎると考える根拠となる8つの理論についてふれているので、それらを列挙してみる。

1.金融機関による市場の独占(Market power)。これが起こると、消費者ローンの市場規模は最適な規模より小さくなると考えられる。

2.規制の失敗。例として、クレジットカードローン(金利は年率10-30%程度)とペイデイローン(短期の小口ローン、金利は年率で100%を超えることが多い)の間の市場が存在していないことを上げている。これも、消費者ローンの市場規模を最適なものより小さくしてしまうと考えられる。

3.情報の非対称性。これも、消費者ローンの市場規模を最適なものより小さくすると考えられる。もっとも有名な理論としてStiglitz and Weissの信用割当の理論がある。

4.情報の非対称性は、消費者ローンの市場規模を最適規模より大きくする可能性もある。ひとつの理論はAdvantageous Selection (日本語はわからない)である。例えば、将来所得が大きく増加すると期待する人は、多少条件が悪くても、借りるかもしれないという話のようだ。

5.もし、景気が後で悪化した時に担保として取っている資産の投売りが起こって担保価値が大きく下がってしまうような場合、景気が悪化する前には貸しすぎていると考えることもできる。最近の景気後退における住宅価格の大きな下落を考えてみるとよい。

6.Deleveraging(レバレッジ解消)が起こる時に、消費が停滞することで景気が悪化する、あるいは景気の悪化が長引くのであれば、レバレッジ解消の前に、消費者ローンを貸しすぎていると考えることもできるかもしれない。

7.システミックリスク。 同様に、消費者に貸しすぎていることでシステミックリスクを引き起こす確率が高まるのであれば、消費者ローンの市場規模は大きすぎるといえるかもしれない。

8.行動経済学的説明。有名なのはDavid Laibsonの双曲割引である。消費者は本当はあまり借りたくないのに、借りることができれば借りずに入られない場合、消費者ローンを貸し出す金融機関は、消費者が本当に借りたい金額より多くの金額を貸し付けることができる。

筆者が述べている通り、これら一つ一つの理論をデータで検証することの難しさもさることながら、これらのチャンネルが同時に起こっている場合、別々のチャンネルのどれが強いかがわからないと、総合的に、消費者ローンの市場規模が大きすぎるか小さすぎるかいえないというのが難しいところである。僕がこれといって役に立つ意見を持っているわけではないが、重要でかつ難しい質問に関する有益なまとめだと思う。

Hayek vs Keynes on the Recovery Path

個人的にはKeynesがどういったとか、Hayekがどういったとか言う話には興味がない。もちろん彼らのような偉大なthinkerが考えてたことから学ぶことはとても多いのだけれども、経済学ではなく、解釈学のようになっているケースを良くみるので、KeynesとかHayekとかいう言葉をタイトルで見るとそれだけで引いてしまうのだけれども、きちんとした経済学者のペーパーならまぁしょうがない。

最近聞いた、Beaudry, Galizia, and Portierの"Reconciling Hayek's and Keynes' View of Recessions"についてちょっとメモしておく。Beaudry and PortierといえばNews Shockの先駆けとなったペアで、ちょっと人と違うモデルを使っておもしろいメカニズムを提案するのがうまい人たちである。

詳細は込み入っているので立ち入らないが、大まかなところは目新しいものではない。何らかの理由で家や生産のための資本が過剰に蓄積されてしまった状況を考えてみよう。不況というのは、このような状況で過剰に積み上げられてしまった資本を減らすために、生産が減速している状況であることも多い。アメリカで2007年末から起こったGreat Recessionは住宅ブームで過剰に家が蓄積されてしまったと考えることもできるだろう。このような状況で政府(あるいは中央銀行)は何をすべきか?

Hayekの見方というのは、過剰な資本が蓄積されてしまって非効率な状況が生まれているのだから、早く過剰な資本という状況を脱して通常の状況に戻るのが好ましいというものである。よって、政府は、資本の過剰蓄積を解消する民間の活動をそのままにしておいて、不況に対して介入すべきではない。逆に、Keynesの見方というのは、不況というのは需要が縮小している状況なのだから、政府が積極的に需給ギャップを埋める政策を取るべきだというというものである。これらの見方はしばしば対立するが、果たしてこれらは常に対立しているのであろうか?このペーパーは、これら二つの見方を包摂するモデルを作り、これら二つの見方の間のトレードオフを明示的に分析したというのが売りである。

非常に簡単にモデルの特徴を説明すると以下のようなものである。経済が資本を蓄積しすぎた状況を想定してみよう。ここでは、どうしてこのような状況にいってしまったかは問題としない。資本の過剰蓄積を解消するために、生産を低下させ、経済を効率的な状況(資本の過剰が存在しない状況)に早く戻すということのメリットは明らかに存在する。その一方、生産が低下するためには、企業は雇用を縮小しなければならない。すると、個々の労働者にとっては、働いている企業から解雇されるリスクが上昇し、あるいは失業した時に新しい職を見つけられる確率が低下する。このような状況で労働者は何を行うか?できることの一つは、消費を控え、貯蓄を増やして、失業に備えるということである。いわゆるPrecautionary savingだ。もし、このような行動による消費の減少が、企業の生産を更に減速させ、失業のリスクを更に高め、再就職を更に難しいものにすると、経済は負のスパイラルに陥ることになる。いわゆる「Paradox of Thrift」である。このような状況では、経済は最適な資本の水準に戻るために生産を低下させているものの、生産の低下が逆に別の面の非効率(非効率なレベルの失業)を生み出してしまうのである。このような状況では、政府による望ましい政策はどのようなものとなるだろうか?「Paradox of Thrift」が存在するゆえに、政府はいわゆる拡張的な財政政策(あるいは拡張的な金融政策)を行って経済が効率的な資本蓄積のレベルに達するのを遅らせることが、望ましい政策となりうるのである。

このようなストーリーは特に新しいものではないが、このペーパーの売りは、このような2つの対立した見方をひとつのきれいなフレームワークに落とし込んだところにある(その美しさはこのようなブログでは説明できるレベルを超えている、というか僕の力ではブログでは説明できない)。