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On the Model of "420,000 deaths"

 ホリデーシーズンで、かつ、ロックダウン真っ只中で、暇なので、自然とインターネットをみる時間が増えた。全然知らなかったんだけど、日本では、42万人が死ぬのという試算について、ずいぶん議論がなされていたようだ。ものすごく後れを取った話で、すでにいろいろな人が同じことを言っているような気もするけど、一応感想を書いてみる。

関連するツイートとかを見てみると、「予測」ではなくて「プロジェクション」だとかいった説明がなされている。とてもばからしい。こんなのだから、免疫学者は経済学者や非専門家につっこまれるのだろう。

説明を軽く読んでみると、コロナの終息までに日本で42万人の死者が出るというのは、再生産指数(コロナにかかった1人の人が何人にうつすかという数字)とコロナにかかって症状が悪化した人が死ぬ確率をもとに計算されているみたいだ。前者については、パンデミックの初期の推定値がずっと続くと仮定され、後者については、パンデミックの初期の中国の数字がずっと続くと仮定されているようだ。両方ともここで仮定された値より悪化することはないとすると、42万人というのは、「多少は根拠のあるパラーメーターの下での」最悪のシナリオを計算しているということになる。つまり、「政府がいろいろな対策を実施したり、コロナの治療方法が改善したり、人々の行動パターンが変化することを織り込んだうえでの(起こりうる)予測」ではなくて、「政府は何もしないし、人々も行動を変えないし、医療技術も進歩しないという極端な仮定の元での(非現実的な、ワーストケースの)予測」ということだ。そのように計算された数字であるので、実際の数字(厚生労働省によると今の時点で3,932人)が42万よりずっと少ないことは、モデルが間違っているとか、この計算をした人が無能だということを示すわけでは決してない。

そうはいってみたものの、この数字の出し方には問題があると思う。一番深刻なのは、このモデルがどのくらい間違っているかを確かめようがないという点だと思う。今の時点死者の数が4000人未満で済んでいるのを見て、人々はどう考えるだろうか?楽観的に考えるのであれば、「ああ、最悪の結果の死者42万人を避けることができてよかった。政府もみんなもいろいろな対策をしたおかげだろう。これからもいろいろ対策を続けていこう!」と皆考えてくれることであるが、おそらく、多くの人は、「なーんだ。42万人とか言っておいて、実際は4000人も死んでないじゃん。コロナって大したことないな。」と考えるのではないか。

言い方を変えると、モデルの検証のしようがないから、モデルの信頼性がどんどん損なわれていくのである。「42万人という数字は現実的なシナリオに基づく予測ではない」とだけいう代わりに、ある政策を実施した場合に42万人という数字がどのように変わるか、という(policy elasticity)のも計算し、現実的と思われるシナリオでは42万人ではなくてXX人です、というのを強調しなかったから(示していたのかもしれないが、全然広まらなかった)今のような状況になったのだろう。その一方、おそらくは、現実的なシナリオの仮定の下に死者数を予測していたら、大きく外れていた可能性が高いので、そうすると、予測をした人は信用されなくなり、みな彼のいうことを聞かなくなるだろうから、現実的なシナリオの下での死者数予測をしなかった、あるいは強調しなかった、ことは十分理解できる。

経済学的に書くなら、死者数が(一定の再生産指数、一定の死亡率)だけから計算される単純なモデルではなくて、(何もしなかった場合の再生産指数・死亡率、コロナに対処する医療技術、会社に行って仕事する人の割合、レストラン等の稼働率、大規模なイベントの人数の上限)のようないろいろなパラメーターに依存するモデルを作って、広めるべきだったと思う。そうすれば、政府がわけわかんない政策をいろいろ実施した時に、それがどのくらい感染者数や死亡者数を引き上げたかがわかるし、モデルの正しさがが検証可能になった。あるいは、モデルを敬座奥的にアップデートして改善することができた。経済学でよく言われている言葉だけれども、「間違っていることを検証できないモデルは、間違ってるモデルより役に立たない」、という話だ。

この話は、(ゼロ金利制約に引っかかっているときの)金融政策の効果の話と似ている。日本銀行が大規模な非伝統的金融政策を実施しなかったら、日本のGDPは20%下がっていた、みたいな話も(20%という数字は適当だけれども)、威勢はいいけどクリーンには検証のしようがない。

(現実には決して実現しない)シナリオの下での予測というのはとっても簡単で、間違っていることを証明しようもないから本人もリスクを負わずにセンセーショナルな数字を発表できるものであるから、あんまり信用するべきではないと思うし、信用されなくなくなっていくのはまっとうな方向性だと思う。大きな数字だったから人々を怖がらせて、コロナのダメージを小さくすることができたという議論もある。アメリカでもそういう議論がなされているのを聞いたことがあるが、そういうのは政府がすべきことであって、学者のすることではないと思う。

あと、なんだからわからないけど、この話に絡んで「ルーカス批判」に対する批判も目にした。「ルーカス批判」なんてコロナの文脈で経済学者の誰かが口にしたのであろうか。「ルーカス批判」について批判するのはかっこいいかもしれないけれども、ピントがずれていると思う。コロナについてある政策を実施したときに、家計や企業がその政策の効果を打ち消す方向で行う行動が、コロナの文脈で重要だろうか?個人的にはたいして重要ではないと思うし、そんなことを強調しているモデルも見覚えがない。

Neo-Fisher Effect or Standard Monetary Stimulus?

日本等において、金融緩和を実施しても、インフレ率は上がらず、景気(GDP)も大きく改善しているようには見えないことから、ネオ・フィッシャー効果を考えるべきではないかと主張している人たちがいる。

今回紹介するペーパーに倣ってちょっと整理をしてみる。

行からみると、1行目は一時的な(名目)政策金利引き上げの効果、2行目は永続的な政策金利引き上げの効果が示されている。列を見ると、1列目は、長期的なインフレ率・GDPへの効果、2列目は、短期的な効果を示している。

青いマスから見てみよう。一時的に政策金利を引き上げても、一時的という性質上、政策金利は元に戻すという想定なので、長期的には何の効果もない。

オレンジのマスは、いわゆるフィッシャー効果を表している。名目の政策金利を永続的に引き上げた場合、長期的には実体経済には影響はないと考えられるので、GDPや実質金利は影響を受けない。よって、長期的には名目金利は高いレベルに維持されるけれども、実質金利は前と同じなので、インフレ率は上昇しなければならない、というのが、フィッシャー方程式の意味するところなので、このような帰結はフィッシャー効果といわれる。

フィッシャー効果が(大まかに言って)成立しているというエビデンスとしてよく見られるのが、以下のようなグラフである。
一つ一つの青い点が国である。左側のグラフはデータがあった99か国すべて、右側のグラフはOECD諸国(いわゆる先進国)26か国を示している。X軸は、1989年から2012年の平均インフレ率、Y軸は同じ期間の名目金利である。どちらのグラフにおいても、青い点は大まかには45度線(グラフの中の斜めの線)に近い。つまり、23年間の平均インフレ率が1%高い国はその期間も名目金利も1%高いということであり、フィッシャー効果と整合的である。

黄色のマスが、いわゆる金融政策の普通の考え方である。一時的に政策金利を引き上げると、インフレ率はすぐには反応しないので(いわゆる価格の粘着性)、実質金利は上昇する。実質金利が上昇すると、企業が借り入れを行って投資するコストが高まるので企業は投資を控え、家計も実質金利が高まるので借り入れを減らしたり貯蓄を増やしたりする。それによって、今現在の消費は減ることになる。どっちの効果が大きいにしても、企業や家計の需要が減少するので、GDPもそれを反映して減少するというロジックだ。

最後に、緑色のマスが、ネオ・フィッシャー効果と呼ばれるものである。これは、政策金利の引き上げが永続的であれば、フィッシャー効果(オレンジのマス)が短期にも有効だという考え方である。フィッシャー効果と同じく、名目の政策金利は永続的に引き上げられ、かつ、実質金利が名目金利ほど大きく反応しないとすると、その差であるインフレ率は短期的であれ上昇するというものである。ただ、GDPにどのような影響を与えるかはよくわからない。

今日軽く紹介するペーパー("The Neo-Fisher Effect: Econometric Evidence from Empirical and Optimizing Models" by Martin Uribe)は、アメリカのデータを使って、ネオ・フィッシャー効果が存在するか、存在するとすればGDPへの影響はどのようなものか、を分析してみたものだ。著者は、VARとシンプルなニューケインジアン(NK)モデルの両方で、一時的な政策金利へのショックと永続な政策金利へのショックが存在するモデルをベイズ推定した。

著者によると、どちらのモデルでも結果は一緒だったので、説明としては簡単なVARを使って説明してみる。子のペーパーで使われたVARのモデルは、GDPとインフレ率と名目金利の3つの変数がVARで決まり、GDPとインフレ率に永続的なショックと一時的なショックがあるというものである。著者が推定したVARモデルが、ショックにどのように反応するかを見てみよう。
左側が永続的な金利へのショック、右が短期的な金利へのショック、上は名目金利とインフレ率の反応、下はGDPの反応を示している。右側からみていこう。名目金利が一時的に1%引き上げたとき(赤の点線を見ればわかるとおり、金利の引き上げは半年で終わって元の金利のレベルに戻る)、インフレ率は低下し、GDPも低下する。これはスタンダードな短期的な金融引き締め効果と同じである。

では、左側のグラフを見てみよう。名目金利ショックが永続的であった場合、名目金利は1%上がり、そのレベルで安定する(赤の点線)。ちょっと驚くべきことに、インフレ率もすぐに1%上のレベルに到達する。つまり、推定されたモデルによると、ネオ・フィッシャー効果が存在している(フィッシャー効果は短期的にも有効)ということになる。しかも、インフレ率の方が名目金利より強く反応している、つまり、実質金利はちょっと下がっているということだ。それと整合的に、名目金利は引き上げられたにもかかわらず、GDPは上がっている。つまり、政策金利を永続的に1%引き上げた場合、インフレ率もすぐに反応して約1%上昇し、GDPは短期的にではあるが0.5%上昇するのである(長期的にはもちろんGDPへの影響はない)。

これまでの分析はアメリカのデータを使ってなされているけれども、ペーパーでは日本のデータの分析も行われている。日本のデータを使った結果を下に示しておく。
短期的な金利引き上げの効果は代替アメリカと同じで、名目利子率はすぐに上がるものの2.5年くらいで元に戻る。インフレ率も2.5年くらい低いレベルになる。GDPも2.5年くらいの間、0.5%程度低いレベルに落ちた後でだんだん元のレベルに戻っていく。

名目金利が1%上昇するショックが永続的なものであった場合、名目金利は1年程度かけて1%上のレベルに到達し、そこにとどまる。インフレ率は2年くらいかけて1%高いレベルに到達する。つまり、ネオ・フィッシャー効果は1年程度で現れるということである。しかも、インフレ率の上昇は名目金利の上昇に比べて遅いので、GDPは大きく上昇する。推定されたモデルによると、GDPは1.5%くらい上昇し、その効果はかなり長く続く。

著者の解釈に従うと、日本で起こっているのは、金融緩和が永続的に続けられることは、永続的な名目金利引き下げのショックであり、上のグラフと逆の効果(名目金利は低位安定、インフレ率も低位安定、GDPは長期的に停滞)が表れていると解釈できる。

もちろん、これらの効果がどのようにidentifyされているかが重要(僕にはよくわからない)なので、モデルの結果はもちろん鵜呑みにはできないんだけれども、ネオ・フィッシャー効果は本当に短期的に表れうるのか、データから支持されるのかという重要な質問に対して、挑発的な答えを提示した論文として、個人的には好みである。

Comparing Education Spending across OECD Countries

舞田さんという人は、いろいろなデータを簡単にグラフにして示すことをしょっちゅうやっている人らしく、時々、誰かが彼のグラフをリツイートしてるのを見かける。自分の主張に合うものを意図的に選んでいるように思えることと、あまりデータの信用性等について注意を払っているようには見えないので、(人が加工したデータを見る時はいつもそうだけれども)大体のグラフはまずは本当かなぁと思いながら見るのがよいと思うけれども、これだけいろんなデータを見てコンスタントにグラフを作るだけでもすごいなぁと思う。

今回は、教育関連の公的支出の対GDP比率をOECDの国で比較してみたというグラフが流れてきた。「教育に金を使わない国。ここ数年、ずっと最下位だ。」というコメントがついているので、多分、もっと金を使うべきだと思っているのだろう。おそらくは年金を除くと、大体において日本は政府のサイズが他国に比べて小さいのだけれども、いつも最下位というのは面白いので、そのデータの背景を知るべくほかのデータも見てみた。彼のデータソースはOECDのEducation at a Glanceというもので、教育関係の様々なデータを、OECD諸国間で比較したというものである。OECDのデータは使いやすい形で簡単にダウンロードできるので、とても有益である。とはいえ、データの作り方等、各国でいろいろな違いがあるので、あまり真剣に見てよいデータではないような気がするが、まぁ、比較の第一歩としては悪くないだろう。

まずは、舞田さんが作ったグラフを再現してみたのが以下のものである。教育関連の公的支出をGDPで割った比率(パーセンテージ)を、高い国から順に並べてある。
トップのノルウェーは6.3%、OECD平均は4.2%、日本は断トツで最下位の2.9%である。確かに低い。

まず考えたのは、これは、日本は教育関連の私的支出が多いのかなということである。というわけで、私的支出も含めた、教育関連支出の総額のGDP比のグラフを作ってみた。わかりやすいように、国の順番は最初のグラフと同じにしておく。日本は常に一番下、ノルウェーがいつも一番上である。
まぁ、やっぱり、公的支出のGDP比が高い国の比率が高い傾向にあるが、日本は断トツで最下位というわけではない。依然トップはノルウェーで6.4%。ノルウェーは教育関連はほぼすべて税金で賄っているということである。OECD平均は5%、日本は4.1%である。まだまだ低いが、例えば、イタリア(3.9%)より高く、ドイツ(4.2%)並みである。つまり、日本は、他国に比べて私的教育支出の割合が高いようだ。

これは、必ずしも悪いことではない。ある分野に政府が出すお金が少ないというのは、子育てとか、貧困とか、自分が重要だと思う分野に金をもっと出せとばかり主張する人からよく聞かれる文句だけれども、そのことは、税率が低いことの裏返しである。もちろん、税に累進性が高ければ、収入は少ないけれども大学に行きたい人に補助金を回すことと同じになるので、再配分、あるいは能力はあるけどお金がないから大学に行けない人を支援するという意味では恩恵があるけれども、それは、必ずしも、総額のGDP比の高低と一対一で対応しているわけではない。自分でお金を出すことで、インセンティブにはよい効果が生じているという面もある。

というわけで、税の総額を比較してみよう。下のグラフは、税収入をGDPで割ったものである。税収入には年金の貢献額も含まれているが、とりあえず取り除かなかった。
年金などの社会保障制度が弱い中所得国(例えばメキシコ)では低い傾向にあるが、日本はOECD平均(34%)よりちょっと低い31%である。例えば、消費税率を5パーセントくらい上げる(今の8%から13%にする)と、OECD平均に達する(消費はGDPの2/3くらいなので)。また、ノルウェーの公的教育関連支出がGDPの6.3%、日本は2.9%なので、差は3.4%。よって、消費税率を5パーセント上げると、だいたい、OECD最高の公的教育関連支出のGDP比率を達成することができる。10%まではいずれ上がることになっているので、もうちょっと上げて15%にするだけだ。日本の政府の教育支出があまりに少ないという人は消費税率15%を提案してみてはいかがだろうか。

あと、考えたことは、教育のコストってのは、大体どの国でも同じようなものだとすると、(一人当たり)GDPが高い日本のような国は公的教育関連支出のGDP比率は低めに出るんじゃないかということである。経済学の大学教員なんてのは世界のどこでも仕事は見つかるので、クオリティを一定とすると給料はどこで働こうが同じようなものになりうる。それに、日本の教育関連支出の総額が少ないのは子どもが少ないからではないか、とも思った。というわけで、学生一人当たりの支出額を見てみたのが以下のグラフである。もし、今書いた仮説が正しいなら、この数字は日本と他のOECD諸国で大体同じようなものなるはずだけれども...OECDのデータでは小学校から高校まで(primary and secondary education)と大学(tertiary education)で分かれているので、大学のデータだけ示す。
日本は少ない方であった。ルクセンブルグが何でこうなっているのかはよくわからない。舞田さんが示唆しているように、日本の大学は、学生一人当たりにかけているお金が少ないようだ。

では、教師の給料はどうだろうか?OECDのデータには、中学校(lower secondary education)の先生の最初の賃金のデータが含まれていたので、それを表したのが以下のグラフである。
日本の中学校の新任の先生の給料は年間30631ドル(340万円)ということだが、この数字がどのくらいあてになるのは感覚がないのでよくわからない。OECD平均は33260ドルなので、OECD平均より10%くらい低い感じであるが、極端に高いスイスやルクセンブルグのような国がある影響もあるので、OECDの多くの国に比べて極端に低いわけではない。日本の数字は、イタリア、韓国、フランス、と同程度である。

結局何が言いたいというわけではなのだけれども、いくつか個人的に重要だと思うポイントを挙げると:
  1. 日本は教育関連支出の公的支出のGDP比は低いが、高めの私的支出が補っている。
  2. 私的支出と公的支出を合計しても、教育関連支出のGDP比はOECD平均より低い。
  3. 消費税率をあと5%(10%→15%)上げれば、OECDトップの公的な教育関連支出水準に追いつく。

Alan Krueger at Jackson Hole

毎年8月の最終週に、FRBの幹部連中(および世界中の中銀のトップ)がジャクソンホールという、ワイオミングの小さな町に集まる。ここは、普通は、登山・ハイキングや(西部スタイルの)乗馬やスキーが楽しいところで、交通の便もとても悪い(多くの都市から直行便がない)ところなんだけれども、夏の終わりにFRBのトップがジャクソンホールに集まって金融政策について、いろいろなスピーカーを呼んで、オープンに議論をするというのが習慣となっている。主催するのはカンサスシティ連銀で、カンサスシティ連銀は毎年ジャクソンホールの前は準備で大変みたいだ。

今年のテーマは、企業の独占の度合いが高まっていることが最近話題になっているが、そのようにマーケットストラクチャーが変化している中で、金融政策はどのように適応していくべきかというものだった。今年の全体のアジェンダはここにある。この中で、アラン・クルーガーのスピーチが良くまとまっていたので簡単に紹介しておきたい。日本も同じ問題に直面しているが、日本の状況について考える際にもとても参考になると思う。

クルーガーは、まず、経済学者はマーケットが競争的である(賃金は生産性と一致するところで決まる)と考えがちだけど、多くのマーケットは実際には競争的ではないと議論する。面白い例として、彼が財務省で働いていたときに、世界のトップのファイナンスの学者達が、LIBORや為替市場に対して誰かが大きな影響力を持ちうることについて懐疑的だったという話を挙げている。その一方、アダム・スミスは国富論において、雇用者は常に賃金を生産性を下回る水準に引きとめようとするものであり、そのことを否定する人は世の中について全然わかっていないと書いていたことを引用している。

経済学において、賃金が競争的に決まらない代表的なフレームワークとしては、(1) ジョーン・ロビンソンに始まる、需要独占(あるいは寡占)のフレームワークと、(2) バーデット・モーテンセン・ピサリデス・ダイアモンドが発展させたサーチモデルのフレームワークがあり、彼のスピーチの背景にあるのはこのようなフレームワークであると述べた上で、近年、失業率はとても低い水準にあるのに、賃金上昇率(インフレ率)は加速しない理由として、以下の6つをあげている。

1.労働市場がタイトになってきた場合、賃金が低いレベルにある労働者の賃金から上がり始めるが普通であるが、同時に、賃金の不平等が拡大しつつあり、低賃金労働者の労働市場が悪化しつつ(後で述べる)ある中では、賃金の上昇プレッシャーが打ち消されている。Katz-Kruegerの研究によると、これらのを考慮に入れた自然失業率は1970年の6.8%から1990年代には5.4%に低下し、2000年代には更に低下したという研究もある。

2.現在の賃金上昇率は賃金フィリップスカーブから得られる賃金上昇率よりも1-1.5pp(パーセンテージポイント)低い。高齢化の進展が0.2-0.3pp引き下げているであろう。生産性の停滞が1pp程度説明できる可能性はあるが、昨年は生産性は回復していた。データではうまく計測されていない労働市場のスラック(緩み)もそのギャップの一部を説明できるかもしれないが、労働者の退職率は不況前の水準まで回復しており、スラックがうまく計測されていないとは考えにくい。

3.各セクターにおいて主要な企業の市場占有率が高まって、それらのトップ企業の重要独占の度合いが高まっているというエビデンスが蓄積されてきている。更に、市場の独占が進んでいるセクターでは賃金上昇率も低めであるり、その相関関係は高まりつつあるというという結果もある。有名なのは各地域の看護師の賃金上昇率と病院の市場独占度合いの相関についての研究である。また、労働強供給の弾力性と賃金の上昇率の相関も発見されている。

4.大きな企業による労働市場の需要独占というのは常に存在していたと思われるが、それに対抗する制度が最近弱まってきている。2つ例を挙げると、(1) 労働組合の組織率・交渉力の低下、(2) 最低賃金の(実質)レベルの低下があげられる。

5.近年アメリカにおいては、企業の需要独占力を高める制度が広まっている。その例を5つ挙げると:(1) 短期(非正規)雇用制度の充実で労働者の交渉力が弱まっている、(2) non-compete制約(競合する企業に移れない契約)の広まり(サンドウィッチ屋の従業員にもnon-compete制約は存在する)、(3) 多くの職種で政府によるライセンスが必要になってきていること、(4) Ashenfelter-Kruegerの研究によると、58%のフランチャイズ制の企業において、他のフランチャイズからの従業員の引き抜きの禁止(no-poaching)規定がある。この数字は1996年には36%だったが上昇しつつある。この問題は特にファーストフードで多い。(5) フランチャイズでなくても、競合企業が談合して、お互いに従業員の引き抜きを避けるような慣習がある。最近までは、毎年、AEAにおいて、トップの大学は新任の助教授の給料やコースロード(何コマ教えるか)について合意をしていた!

これらの制度は、企業の独占力が高まっていると実施しやすいこと、明示的でなくても実施することができること、大不況時に失業を経験して従業員が失業を恐れている時には、労働組合も強気の交渉がしづらいこと、を指摘しておく。その一方、このような制度は、労働市場がタイトになると、維持しづらくなってくる。最近このような制度が問題になってきているのは、労働市場がタイトになってきていることと無関係ではないかもしれない。

6.企業の需要独占力が高まって、賃金の上昇率が抑えられても、雇用者数に大きな影響を与えるとは限らない。つまり、労働供給の弾力性は低く見えるかもしれない

では、労働市場におけるこのような展開に対して、金融政策はどのように対応すればよいだろうか?企業の需要独占力の行使に対する有効な政策は、反トラスト法の行使であり、政府の仕事である。金融政策当局にできることとしては次のことを考慮に入れることかもしれない:(1) このような需要独占力の行使を外生的なショックととらえられる(具体的には自然失業率の低下のショック)、(2) 労働供給の弾力性は低いかもしれない、(3) 労働市場がタイトになることによって、ここで挙げたような需要独占力の行使が有効でなくなってくるかもしれない。

Are We in a Liquidity Trap?

マクロ経済学では、モデルを作るときに、均衡が1つしかないようにすることが重要である。モデルの挙動をデータと近づけるためには、モデルの均衡が常に1つで、その均衡を、パラメータを調整(推定してもカリブレーションしてもよい)することによって、データに近づけることが重要だからだ。データとモデルの挙動を近づけることで、モデルが現実の経済の分析に適していることが確保される。

その一方、このポストなどで触れてきたが、ゼロ金利制約(金融政策で誘導できる名目金利はゼロより(大きくは)下がれないという制約)のもとでは、金融政策の分析に使われる現代の代表的なモデルであるニューケインジアンDSGEモデルには少なくとも2つの均衡があることが知られている。この二つの均衡を「通常」の均衡および「流動性のわな」の均衡と呼ぼう。

なぜ、「流動性のわな」か。流動性のわな(Liquidity Trap)という言葉は、日本の状況を表現する際によく使われる。Wikipediaによると、ケインズがこのような可能性に言及している。どういう状況か、わかりやすく書いてみよう。金利が下がってしまうと、人々は金利を生む金融資産(債券など)よりも(金利を生まないが取引に使えるなど、そのほかの利点がある)貨幣が好むようになってしまう。このような状況下では、中央銀行がいくら貨幣の供給量(マネーサプライ)を増やそうとも、人々は追加的に供給された貨幣を喜んで保有するので、金利に影響を与えないのである(金利が動くまでもなく通貨の供給の多い均衡に経済が到達する)。つまり、中央銀行は金利に影響を与えられないので、金融政策は使い物にならなくなる。金利が低いときに起きる可能性が高いのは、金利が高ければ、誰かしら、金利を生まない貨幣より金利を生む金融資産を好む人がいるはずだからである。

このような定義を、もう少し別の(現代的な)言い方をすると、こうなる。短期の名目金利がゼロに下がると、短期の安全な金融資産(国債と考えればよい)と貨幣(短期で、名目金利ゼロで、インフレ率が安定している限り安全な金融資産と考えられる)はかなり近い代替物(どちらも、国が価値を保障する安全な、かつ金利ゼロの資産)になるので、中央銀行が国債と貨幣を交換することでマネーサプライを増やしても、民間の経済主体にとっては何の影響もない、ということになる。中央銀行が金利を下げて、経済活動を刺激することで景気を刺激したくても、短期の名目金利はゼロ以下に(大きくは)下げられないので、(標準的な)金融政策は無力となってしまうのである。「流動性のわな」の均衡はこのような状況をあらわしていると考えられる。

では、実際の経済はどちらの均衡にあるのだろうか?簡単に考えれば、「流動性のわな」の均衡はゼロ金利制約に引っかかっている(中央銀行がターゲットにする短期名目金利がゼロ)か否かで簡単にわかるはずと考えられるが、経済にさまざまな短期的なショックがある場合、物事はちょっと複雑である。経済は「通常」の均衡にあったとしても、経済に何らかのショックが加わった結果、「流動性のわな」の均衡にはなくても、一時的にゼロ金利制約に引っかかっている可能性も理論的にはありうるからだ。逆のケースもありうる。経済が「流動性のわな」の均衡にあったとしても、一時的に何らかのショックで、ゼロ金利制約から離れているということもありうるかもしれない。

サンフランシスコ連銀の総裁で、時期ニューヨーク連銀の総裁になることが決まっているJohn Williamsはサンフランシスコ連銀のThomas Mertensと書いた最新の論文("What to Expect from the Lower Bound on Interest Rates: Evidence from Derivatives Prices"、ここからダウンロードできる)において、この質問に答えることに挑戦した。

細かいところには立ち入らないが、大まかなロジックはこういうものである。Williamsは2000年以降、自然利子率(経済の平均的な状態で達成される実質金利、r*(アールスター)と呼ばれる)が低下しているという研究を続けている。では、r*がどんどん低下していっている場合、経済が「通常」の均衡にあると、名目金利やインフレ率はどのように変化するだろうか?経済が「通常」の均衡にあって、中央銀行がターゲットのインフレ率(年率2%)を達成できている場合、r*が下がって行っても、名目金利はr*+2%で一緒に下がってゆく。インフレ率は2%で動かないはずである。但し、経済にショックがある場合、時々、r*+2%がゼロ金利制約に引っかかって、下がりきれないことがあるかもしれない。その場合、名目金利はr*+2%よりちょっと上にとどまることになる。更に、金利を下げきれないので、経済が停滞し、インフレ率も2%より低下する可能性がある。r*がどんどん下がっていくと、そのような状況に直面する確率が高まっていくことになるので、将来の名目金利の予測値は、r*が下がっていくと一緒に下がっていきつつも、その差は小さくなることが予想され、予想インフレ率は2%から下がっていくことが予想される。

では経済が「流動性のわな」の均衡にあって、r*が下がっていった場合、名目金利やインフレ率はどのように変化していくことが予想されるだろうか?「流動性のわな」に直面している場合、名目金利は基本的にゼロで動かない。では、均衡において常に成り立っている、以下のフィッシャー均衡式(Fisher Equation)からインフレ率を考えてみよう。

名目金利 = 実質金利 + 期待インフレ率

実質金利r*が下がっていって、名目金利がゼロのままだと、上の式から、期待インフレ率は上がっていくことになる。

つまり、r*が下がっていったときに、名目金利やインフレ率がどのように変化していったかを見ることで、経済が「通常」の均衡にあったのか、「流動性のわな」の均衡になったのかをテストすることができるのである。Williamsは2000年以降のデータは、経済が「通常」の均衡にあったという解釈と整合的であることを発見した。

彼のモデルでは、経済が2つの均衡を行ったり来たりするようなケースを排除している等、改善の余地はあると思うんだけれども、金融政策にとって重要な結果をきれいに導いたペーパーだと思う。

彼の発表を聞いていて考えたのは、FRBと日本銀行の違いである。FRBでは金融政策を決める会合の主要メンバーがこのような論文を書いて経済学会とコミュニケーションを図ることができ、Williams、Evans、Bullard、Mester(それに近々Claridaもなのかな)といった一線級の経済学者がこのようなレベルの考察を元に金融政策の方向性について議論し、金融政策が決められる。一方、日本銀行の金融政策決定会合では、このような論文が書けるメンバーがそもそもいないし、このレベルの議論なんて多分なされない。マクロ経済学者としてはとても残念な状況である。

Research Economists and Policy Discussion

@JS_Ecoha さんが、日本の経済学者の政策論争への関わり方についての日経大機小機を載せてくれていた(リンク)。そこでは、例えば、クルーグマンのような世界的に有名な学者が「消費税増税を急がなくても日本の財政には問題がない」と言った時に、日本(人)の経済学者からの反応がないこと、その理由としては、今の日本の経済学部はアカデミックな業績が重視されており、反論したところでアカデミックな業績にはならないことが挙げられていた。そして、もっと積極的に政策論争に参加するインセンティブを与えるために、アカデミックな論文だけで業績が測られる現状を変更した方がよいのではという提言で結ばれていた。これについていくつか思うところを書いてみる。

アカデミックな業績のある経済学者があまり政策論争に積極的でないとしたらそこにはいくつか根本的な理由があると思う。いくつか挙げておこう。

1つ目は、ある政策に様々な効果があるとすると、その様々な効果は大体において別々の論文で分析される。そうしないと論文はシャープにならないからだ。いろいろな効果があってその効果がいろいろな論文で別々に分析されている場合、それらの別々の効果にどれくらいの重要性を置くかは個人の「感覚」によるところが多い。それに、ある論文で計られた効果は、何かの前提におそらくは大きく依存しており、その前提を(どの程度)受け入れるか否かは、読む人によって異なると思う。加えて、多くの論文はアメリカ経済を前提に書かれているので、アメリカの結果を日本の状況でどのように微調整するかということも考えなければならない。クルーグマンのような人は、そこまで考えているはずである。そこで、クルーグマンのような人が、ある効果がより重要だと考えてある結果にたどり着いた場合、例えば僕のような何でもない人が、彼が重視していない別の効果は実はとても重要だと言いたかったり、日本においてはある結果は当てはまらないと議論したい場合、かなりの研究が必要になる。そして、そんなことやっても大したペーパーにはならないし、頑張ってやったとしても、多分クリアカットな結論が出ない場合も多いので、その場合クルーグマンはあっちの方が重要だと言っているのを信じている人の心を変えるのは本当に難しい。そんなことやってられない。

2つ目は、結局は、どの政策が「正しい」かは、結局どのような社会全体の幸福度を仮定するかによることが多く、その場合は、経済学者が出る幕ではないというのが挙げられる。社会の個々の構成員の幸福度をどのようにウェイト付けするかは第一義的には政治の(政治家が決める)問題である。こういう状況である政策が「正しい」と言っている人がいる場合、それは単に個人(論文を書いた人や意見を表明している人)の嗜好の表明に過ぎないことがほとんどだ。そのような状況で、例えば僕の仮定する社会の幸福度とクルーグマンのものが異なるとしたら、勝ち目があるわけがない。それに、政府とすれば、こういう状況で政府がやりたい政策を「正しい」と言ってくれる学者を重用したくなるはずなので、自分の考えが政府が欲しい結論と異なる場合、時間の無駄である。そんなことやってられない。

3つ目は、そもそも、経済学者が何か言ったところで、それが実際の政策に影響を与えるかというと、たぶん日本政府はそういう感じではないので、結局、無駄骨になるように感じる。日本銀行の政策委員なり、政府の審議会の委員なりをみれば、まぁ、ちゃんとした議論の結果政策に影響を与えられるような状況ではないような感じがする。そんな状況で政策論争なんかに時間を割いてはいられない。

では、最初に引用した大機小機で言っているように、政策に関与することも業績としてカウントするというアイデアはどうか?個人的にはいいアイデアだとは思えない。この場合、それぞれのジャーナルの価値が国際的に確立されているアカデミックな業績と、政策関連の業績との為替レートを決めなければならないのだけれども、政策関連の業績の価格が高すぎて今のようにアカデミックな業績はいまいちだけど政策について何か書く人が優遇されてしまうリスクが高すぎると思う。特に、政策関連の業績の価格が調整されるマーケットがない場合、政府によってその価格が高めに設定されて、今のように、大した業績はないけど政策について「分析」している人が高めに評価されてしまうリスクを恐れるべきだと思う。

アカデミックな論文だけが業績にカウントされるシステムがだんだん根付いてきているのは素晴らしいと思う(もちろんそういう状況に身を置いているのでポジショントークととってもらってよい)。個人的には、今でも、ちゃんとした業績もないのにいい職を得ている経済学者が多すぎると思う。マスコミに出ている人とか、本ばかり書いている人とか、業績はいまいちだけど政府に重用される人とかがまだまだ多すぎると思う。方向性としてはアカデミックな業績を重視する方向にだんだん向かっているので、そういう人が少なくなっていくのは時間の問題だと思う。日本の政策の議論に関連する研究があまり評価されない結果、その量が過少になるかもしれないという問題はあるものの、きちんとしたアカデミックな業績のある人が評価されるべきだと思う。きちんと国際的に評価される業績があって、説得力を持ってクルーグマンのような人に反論できる人でないと政策関連の議論をしてもしょうがない。

個人的には、政策関連の議論を活発にするためには、回りくどいやり方かもしれないけれども、以下のようなことが重要だと思う。
  1. データの整備。いいデータがあれば自然と論文も出てくる。アメリカやヨーロッパはもとより、例えば、今では、ブラジルとかも日本よりいいデータが誰でも使えるように提供されており、それを使って論文を書いている一線級の学者がいる。政府は、データを使いやすくするとともに、(ちゃんとした)経済学者に、どのようなデータがあれば、政府が必要とするような研究がより活発になるかを聞くべきだと思う。
  2. アメリカのCEA(大統領諮問委員会)のように、いろいろなキャリアのステージの経済学者を2年とかいうタームで雇ってもよい。
  3. マスコミが、ちゃんとした研究に、もっと注意を払うべきだと思う。消費税なり社会保障なりの分野は、今でも新しい論文が書かれているが、そういう新しい論文に注目したような記事はあまり見ない。
  4. 日本の経済学ジャーナルも、あるトピックで特集をしたり、あるトピックの学会を開いてConference Volumeを出したりすれば、政策に貢献できるかもしれない。アメリカでいえばJMEのCarnegie-Rochester(JMEがあるトピックの論文を募集して、学会を開き、その学会で発表された論文とその論文へのコメントがJMEに載る)やBrookingsの出版物(Brookings Institutionによる似たようなシステム)である。JMEとまではいかなくても、論文にできるとなれば、日本の政策論争にちょっとだけでも貢献したいと思っている人もいるのではないかと思うんだけれども。

Should Day Care be Subsidized?

今回は、Domeij and Kleinによる2013年のREStudペーパー、"Should Day Care be Subsidized?"について簡単に書いておく。

僕は、各国の保育所(Day Careの訳語として使う)の状況がどのように異なるか知らないのだけれども、彼らのペーパーによると、ドイツは、少なくとも2000年代の初めにおいては、保育所の整備という面では他のEU諸国に遅れをとっていたらしい。2006年ごろのOECDのレポートによると、OECD平均では23%の0-3歳児が保育所に入っていたが、ドイツではその数字は9%だった。4-6歳児においては、ドイツの数字は他のEU諸国に大きく劣っていたわけではなかったものの、ドイツの保育所はお昼ご飯なしの半日のものが大半だったらしい。彼らのペーパーによると、16%の子供にしか、全日の保育所の枠がなかったらしい。このような状況下、ドイツでは、保育所の整備が行われてきているようだ。このペーパーが書かれて以来どのように実施されているのかを調べる時間はなかったが、2008年には、全ての1歳以上の子供に保育所の枠があるようにしなければならないという法律が制定されたようだ。それに、今回のペーパーにかかわってくるが、保育所の費用の税控除という政策も議論されている。

なぜ、保育所にかかる費用を国が補助しなければならないか?いろいろな考え方があると思うが、とりあえず、すぐに思いつくのは以下のようなものである。
  • 保育所に子供を入れる費用、あるいは子供の世話を見るために労働時間を減らさなければならないことは、子供ののいる家庭に対する追加的な税金のようなものであり、特に独身の母親の労働供給を妨げる要因となっている。
  • 子供が増えることで、人口構成をバランスのとれたものにすることができ、年金や公的健康保険の運用をしやすくする。
  • 子供が増え、国のサイズを維持することで、大きな経済規模を維持することができ、かつ一般的に国力も維持できる。
ただし、2番目の議論は、一時的に高齢化が進み、人口構成が変化しているときにのみ成り立つ議論であり、人口構成が安定的な状態に落ち着いたあとでは、問題とならない(人口構成が安定すれば、皆働いているときに自分が払った分と同じ金額を(平均的に)受け取れば財政は長期的に安定する)。3番目の議論はちょっと話が大きすぎて、議論が難しい。そもそも、国が大きいことによるメリットはあまり明らかでない。というわけで、このペーパーでは、数字を議論しやすい1番目の議論に焦点を絞って、保育所に関する補助金政策の分析を行っている。またこのペーパーでは、子供を持つことによる幸福度の向上という難しい議論も避けている。

モデルの概要は次のようなものである。経済には、カップルと、独身の男性、独身の女性の家計が存在する。このタイプは生まれたときに決まり一生変わらない。カップルと独身の女性は、小さい子供を0-3人持っている。このタイプも外生的に与えられている。つまり、カップルとなるか、子供を持つか否か、あるいは何人持つかといった決定はモデルの外にあり、モデルの中の家計には外生的に与えられる。言い換えると、このモデルではカップルの割合や人口について議論することはできない。それぞれのタイプの家計の割合はドイツのデータと整合的に決定されている。それぞれの家計は、65歳まで生きる(退職後はモデルの外である)。各期各期、それぞれの家計は、いくら消費して、何時間働くかを決める。借り入れ制約は存在しない。それぞれの家計は1時間働いたときの賃金がデータと整合的なレベルで外生的に与えられている。

(子供のいない)独身の家計(男性の独身の家計は子供はいない)の問題はとても単純な、労働供給が内生化された(しかも、退職後のことを考えなくてよい)ライフサイクルモデルである。子供がいる独身の女性の問題は少し複雑である。小さい子供がいる場合、働いている各時間あたり、保育所に支払いをしなければならない。保育所の金額は、一定(=d)である。子供が複数いる場合には、各子供あたりdを支払うことになる。働いていない場合には、自分で小さい子供の面倒を見るので保育所のコストを支払う必要はない。

子供のいるカップルの家計の問題も似たようなものである。独身の家計との違いは、カップルのうち一人が家に残って子供の世話をすれば、保育所にお金を払う必要がないという点である。二人とも働いている時間は、各子供について、1時間当たりdを支払わなければならない(午前中は、片方が働いて、午後はもう一方が働くというようなことはできないことになっている)。

わかりやすく言うと、このモデルでは、小さな子供の存在というのは、労働時間に対する課税のようなものである。子供がいるメリットはモデル化されていなくて、ある家計は子供がいるのは前提とされている。子供がいると、面倒を見るために労働供給をあきらめるか、労働するため保育所のコストを払わなければならない。このようなモデルの中で、最適な政策を考えてみようというのがこのペーパーのやっていることである。

ちなみに、ちょっとデータを見ておくと、以下のグラフは、各年齢で、子供がいるかいないかで年間の労働時間がどのように異なるかを示している。週休2日で一日8時間働くと2000時間(30代以降のカップルの男性(右上のグラフ)が働いている時間に相当する)
カップルの女性(左上)も独身の女性(左下)も、小さい子供がいる場合(点線)は小さい子供がいない場合(実線)に比べて、労働時間が半分くらいである。独身の男性(右下)で子供がいるケースはとても少ないので無視されている。カップルの男性(右上)は、子供がいてもいなくても労働時間にあまり違いはない。なんとなくドイツというと、そうではないのではないかという印象があったが、日本のような感じだ。

では、モデルに戻る。政府は3つの政策を変更することができる。
  1. 保育所の費用のうち税控除できる割合。
  2. 保育所のコストに対する補助金。
  3. 資本所得に対する税率。
彼らは、簡単なモデルから分析を始める。もし政府が、各タイプの家計に対して、それぞれの政策変数を年齢に応じて変更することができれば、全ての政策を使わずに最適な状態を達成できる。各家計は2つの行動(消費、労働)を毎期決めるので、下記のタイプがNあるとして、各家計がT期生きるとすると、子供の存在によって各家計の行動にゆがみが生じていたとしても、経済の合計で2TNのゆがみが生じていることになる。その一方、動かせる政策変数は3TNあると仮定されているので、保育所の税控除か保育所もコストへの直接の補助金のどちらかを資本所得税と組み合わせれば、2NTの政策変数を使って2NTの意思決定決定に(好きなように)影響を及ぼすことができるので最適な状態が達成できるのである。

こういう話は、ぜんぜん面白くないので、もっと現実的なセットアップで最適な政策を論じているのがこのペーパーの売りのところである。まずは、所得に対する税金は、現在のドイツ経済のものを取り込み、変えられないとする。残りの政策は、保育所の費用の税控除、あるいは、保育所のコストに対する補助金である。政府はどちらか片方のみを実施するとする。税控除の場合は、全額控除とし、追加的な財政支出は、全家計の労働所得への定率課税でまかなうものとする。保育所のコストに対する補助金は、0-100%のどの水準も選べるが、全ての(小さい子供のいる)家計において同じ水準が適用されるものとする。前の例と同じように、追加的な財政支出は、全家計の労働所得への定率課税でまかなわれるものとする。

以下のグラフが保育所に関するそれぞれの政策の幸福度(welfare)への効果を示している。実線は、各家計の幸福度に均等ウェイトをつけて足し合わせた社会全体の幸福度(Utilitarian social welfare)である。点線のほうは、消費(幸福度)が低い家計に大きなウェイトを与えて計算した(具体的にはmarginal utility)社会全体の幸福度を示している。以下では実線の方を見ていく。
まず、左上のグラフは、保育所のコストのどのくらいの割合に補助金を与えるかによって、社会全体の幸福がどのように変化するかを表している。社会全体の幸福度は保育所のコストの50%を補填したときに最大化されることとなっている。50%までは幸福度は安定的に上昇するものの、50%を超えると社会全体の幸福度は減少していく。右上のグラフは、カップルの幸福度の変化である。左下のグラフは独身女性の幸福どの変化である。どちらも、保育所のコストの50%補助までは安定的に幸福度が上昇している。右下は、独身男性の幸福度の変化である。他の例と違って、彼らの幸福度は補助金の割合が上昇しても上昇しない。なぜなら、彼らは子供はいないので、保育所コストへの補助金の増額によってまったく恩恵をこうむらないからである。彼らは、保育所のコストの補填のために必要な労働収入への課税の増額によって、損をすることになる。でも、彼らの損は、保育所のコストの補填が50%を上回るまではぜんぜん大きくない。なぜなら、それまでは、保育所のコストの補助によって、女性の労働供給が上昇(し、課税ベースが拡大)するので、税率を引き上げる必要がないからである。保育所のコストの補助率が50%を超えると、労働供給増加の効果が小さくなるので、追加的な財政支出のコストを補填するために税率を大きく引き上げる必要性が生じ、全てのタイプの家計の幸福度は減少してしまう。つまり、保育所のコストへの補助金はある程度(50%)までは、小さい子供がいる家計の労働供給を引き上げることで社会全体の幸福度を引き上げる効果があるが、ある一定レベルを超えるとその効果は失われてしまう。もちろん、この結果は、(特に子供のいる家計の)労働供給の弾力性に大きく依存するので、たとえば日本にそのまま当てはめることはできない。

次に、保育所のコストを税控除できるようにした場合の幸福度への影響を考えてみよう。その効果は、上のグラフの、Y軸上のダイアモンド型の点で示されている。保育所のコストの税控除は、保育所のコストへの補助金の効果と同じく、子供のいない独身男性家計を除く家計の幸福度を高める効果があるが、その効果は保育所のコストの50%を補助した場合より小さいことがわかる。

日本の労働供給の弾力性や、家計の異質性(学歴の異なる家計)、日本の労働市場の特殊性(フルタイムとパートタイムの違い)、すでに退職した世代(彼らは独身男性家計と同じく、恩恵はこうむらないが、追加的な税制負担を労働収入への課税にすれば負の影響も少なくできる一方、所得全体に課税したり消費税を用いたりすると、彼らの負担も大きくなる)への影響、などを組み込めば(簡単だけれども)面白い分析になると思う。

How to Analyze the Current Policy Options in Japan, Part 2

第1回に続いて、政府が提案している経済政策の変更(消費税率を2%上げる際に全部を公的年金に使うのをやめて、1%を幼児教育無償化等に使う)を、簡単なモデルを使って分析するために、一歩一歩進んでいく。

前回は、どのような効果を取り入れたいかを考えてみた。今回は、モデルの構築に入ろうかと思ったが、その前に、データについてちょっと書いてみる。モデルをつかって意味のあるシミュレーションをするためには、モデルが大まかではあっても日本経済の特徴を表現していなければならない。ただ、現実は複雑なので、モデルが表現できる現実の側面は限られている。そこで、まずは、日本経済のデータをちょっと見てみて、どのようにモデルに取り込むかについて考えてみた。主に、政府の活動に関するデータについて書くつもりである。恥ずかしながら、日本政府の活動の大きさについて、あまり知らなかった。まだ、いろいろ間違いがあるかもしれないが、勉強の経過の記録として読んでもらえればうれしい。

今は2017年の途中であるが、2016年のデータはまだああまりきちんと整備されていないようなので、2015年のデータを見ていく。時々、過去はどうであったかについても触れる。

まずはGDP(国内総生産)から。2015年の名目GDPは530兆円であった。数字があまりに大きすぎて、直感的にわかりづらいので、これ以降は対GDP比で示していく。そうすると後でモデルにも対応させやすい。GDPの支出面での内訳を見ると、民間消費(C)は56.6%、政府の消費(G、政府による投資も含む)は19.9%、民間投資(I、在庫調整も含むが小さい)は23.9%、純輸出(NX)は-0%である。閉鎖経済モデルを使う時には、NXをどうするかという問題がいつもあるが、都合のいいことに、2015年は純輸出がほぼゼロなので、調整の必要がない。ラッキーである。もちろん、定義上、これらを合計すると支出面から見たGDP(100%)になる。

時々、日本政府の大きさは経済規模(GDP)の20%という表現を見かけるが、それはこの19.9%から来ているのではと思う。GがGDPに占める比率は年々大きくなってきている。1995年には15.4%、2005年は18.1%であった。ちょっと前のペーパーを見ると、GがGDPの15%としてカリブレートされているケースを見かけるが、ここから来ているのではと推測する。

ただ、GDPのデータをよく見てみると、「修正版」のCとGも記載されている。2015年でいえば、修正されたCはGDPの68.6%、修正されたGは7.8%である。最初にあげた数字とずいぶん違うが、これはなぜか?これは何を政府の消費(G)に含めるかという問題と関連している。修正していないG(GDPの19.9%)には、国防とかインフラ投資といった、まぁ、Gと考えるのがどう考えても適当だろうと思われるものから、教育への支出、医療への支出、社会保障関連費(失業保険、年金、障がい保険等)のように、最終的には個々の消費者が消費するものだから民間消費に入れるのが適切ではと思われるものも含まれているのである。特に、公的年金については、一般予算から公的年金に補填された金額がGに加えられているみたいだ。これらを政府の消費(G)と考えるか、民間の消費(C)と考えるかは、クリアな話ではなくて、何を分析したいかによるのではないかと思う。上で言及した「修正版」では、教育、医療、社会保障関連費をすべて民間の消費に移しかえたものなので、Cがかなり大きくなって、Gがかなり小さくなっているのである。

とりあえず、今回の分析で注目しているのは年金なので、モデルと付き合わせるときには、広義のG(GDPの19.9%)から公的年金に関連する部分だけをCに移そうと思う。Gのうち年金関連はGDPの1.9%なので、この調整後は政府の消費(G)は17.9%となり、民間の消費(C)は58.5%となる。しばしば、民間消費はGDPの60%というが、この数字と整合的だ。

では、一般政府(中央政府と地方政府の和)の支出と収入についてちょっと見ておこう。政府の支出はカレンダーイヤー(1月から12月)ではなくて、4月から3月であるがしょうがない。2015年(度)の予算規模は96.3兆円で、GDPの18.2%である。上で触れたGの数字とちょっと違うが、まぁ、予算だというのと、年度であるのと、いろいろ細かい調整がされているのであろう。財政収入を見ると、消費税からの収入は17.1兆円、財政規模の約18%、GDP比では3.2%である。その他の税収など(個人所得税、法人所得税、酒税など)はGDPの8.0%である。残りのGDP比で7.0%は新規の国債の発行に頼っているようだ。支出面で目に付くのは、既に存在する債務に関する支払いで、23.5兆円、予算規模の約1/4、GDP比では4.4%を占めている。ちなみに、既存の財務の支払いがGDPに占める大きさは2005年は3.5%であり、年々経済規模に比して大きくなっている。

ここまで「政府」としてきたものには、一般予算からの補填分を除いて、厚生年金や国民年金などの公的年金の活動が含まれていない。モデルでは、公的年金が重要な要素なので、公的年金が経済においてどのくらい大きいかを確認しておこう。いろいろな公的年金の年金受給額を合計すると、2015年は51兆円であった。GDPの約9.6%である。ちなみにこの数字は2005年には9.1%であり、高齢化が進み、退職世代の数が増えるにつれ、年金受給額の総額が経済規模に占める割合は大きくなってきている。2008年に世界同時不況が起こった際には、この数字が初めてGDPの10%を超えたことがニュースになったが、それ以降は、年金を受け取る世代の割合は着実に増えているが、再び10%以下のレベルに落ち着いている。

このGDP比9.6%はどのようにファイナンスされているか?働いている世代が払う拠出金の合計は2015年は33.8兆円であり、公的年金総受給額の約2/3、GDP比は6.4%である。年金は、働いている世代が払った拠出金を退職した世代に渡すというシンプルな構造が一番簡単だが、それでは、現在の日本の場合、働いている世代からあと50%多く取るか、あるいは、退職した世代の受け取る受給額を1/3カットしなければ成り立たないので、一般財政(消費税などの普通の税金)から差額が補填されている。まぁ、お金に色はないので、どこから出してもあまり気にすることはない。消費税がこの補填に役立っているが、労働に不のインセンティブを与える労働所得税を消費税に置き換えるのは悪いアイデアではない。

公的年金のサイズ(GDP比で9.6%)を政府の消費(17.9%)に加えると、合計の政府の活動のサイズはGDP比で27.5%となる。更に、モデルと比較するために既存の債務の支払いの分(4.4%)も加えると政府の活動のサイズは32.0%となる。

更に、公的年金と並んで既に大きく、今後高齢化で更に大きくなっていくのは公的医療保険である。今回行おうと思っている分析では医療費・医療保険は捨象するが、簡単にサイズだけ確認しておこう。2015年の医療費の合計は42.4兆円、GDP比で8.0%である。このうち患者の自己負担分は約88%のようだ。この分も加えると、広義の政府の大きさはGDP比で39%となる。時々、日本の政府の財政規模はGDPの約40%という数字を見かけるが、この数字は、このように、公的年金、公的医療保険、その他(失業保険等)も含めたものかと思う。

次回は、モデルを紹介する。モデルのパラメータを設定する際に、ここで見てみた数字とできる限り整合的になるようにするので、ここで見た数字がまた出てくることになる。

How to Analyze the Current Policy Options in Japan, Part 1

日本では衆議院が解散され、総選挙がおこなわれるようだ。今度の選挙の重要な争点のひとつとして挙がっているのは、消費税が2019年10月に現行の8%から10%に引き上げられる際、その使い道として、これまでは社会保障の安定化(政府の借金の返済と読み替えているところも多いがそれでよいのかな)だったものを、その一部を幼児教育無償化などに振り替えることらしい。そもそも消費税率が引き上げられた際の新たな収入の使い道について、国民から了承を得ていたとは考えづらいのだけれども、そういうことらしい。そもそも、僕は日本の細かい政策オプションに通じているわけではないので、間違いも多いと思うので、細かいことなど、いろいろ指摘してもらえるとうれしい。

というわけで、簡単なマクロ経済学のモデルを使って、このような政策変更の効果を分析できないかと考えてみた。とはいえ、今回は、その取っ掛かりの部分を紹介するだけである。まだ、どうすればよいかというのは見えてきていないので、うまく行かないかもしれないけれども、数回にわたって試行錯誤してみる。いつものように途中で投げ出してしまうかもしれない。

まず、どのような政策を分析しようとしているのかについて考えてみよう。国の借金返済というのは、言い換えれば、将来の年金受給の原資として使うともいえるのだろうか。今のままでは大幅に債務の額を増やさずに今計画されている年金受給額を維持できないのであれば、消費税の増税によって将来の年金受給額を(あまり)減らさずに済むようにできるかもしれない。但し、将来のどの時点の年金受給額の補填に使うかははっきりしていない。もしかしたらそういう計画も示されているのかもしれないが、僕はまだ見ていない。もしすぐ近くの将来の年金受給額の補填に使うというのであれば、いわゆる、現在年金に貢献している比較的若い世代からもう退職した世代への所得移転と捉えることができるかもしれないが、もし、かなり先の将来の年金受給額の補填に使うというのであれば、もしかしたら、現在年金に貢献している比較的若い世代も恩恵をこうむるのかもしれない。但し、将来の年金関連政策は、不確実性の高い将来の経済状況に左右されるだろうし、将来誰が政権についているかによって変わりうる物なので、現在の政権が信用できるレベルでコミットできるようなものではないことから、きちんと政策をモデルに取り込むのは難しいなと感じている。

では、幼児教育無償化の方はどうか。こちらの方は、単純化すれば、幼児を持っていて、かつ私立などに入れる予定ではない(慶応の幼稚園とかに子供を通わせる費用が補助されるとは思えない)、おそらくは比較的低所得で中年の家計への補助金と考えればよいであろう。

但し、原資は消費税率の2%引き上げである。消費税は、(累進性の高い)所得税とは違って、誰にでも比較的同じような税率でかかるものなので、多くの家計に比較的「平等に」負担が生じる。結局、増税と、その使い道を同時に考えてみると、以下のように分類できるのではないだろうか。

1. 現在および近い将来退職する世代にとっては、政策変更前は、消費税増税の負の効果と、年金受給額への補填の正の効果のどちらが大きいかというのが問題であった。彼らは幼児を抱えていないとすると、今回の政策変更で、年金受給額への補填が小さくなるので、彼らはおそらく損をすることとなる。

2. 現在幼児を持っていて、比較的低所得の家計にとっては、政策変更前の消費税増税の効果は、消費税増税の負の効果と、将来の年金受給額への補填を通じた正の効果の比較であった。政策変更後は、将来の年金受給額への補填がおそらくは減る一方、幼児教育無償化を通じた補助金が増えることになる。おそらくは後者の効果の方が大きい、つまりプラスであろう。

3. 幼児がいるものの、高所得の家計への効果は、政策変更前は、消費税増税の負の効果と将来の年金受給額への補填を通じた正の効果の比較であった。政策変更に伴って、後者の正の効果が弱まるので、これらの家計は損をすることになる。

4. この政策が続くと仮定すると、現在幼児がいなくても、将来幼児を持つ可能性のある家計についても上の議論が当てはまる。但し、若い家計であれば、年金受給額への補填効果は弱いだろう。

5. まだ退職してなくて、将来にわたって幼児を持たない家計にとっての政策の効果は、退職者のグループと同じである。但し、幼児教育への補助金を通じた正の効果はない一方、若い家計であれば年金受給額補填の効果も弱いと考えられるので、政策変更の効果はあまりないと考えられる。

予想外に長くなってきたので、今日はここでやめておく。次回は分析に使えるかもしれないモデルを組んでみようと思う。

Example of Why You Should Not Trust Evidence-Based Policy

最近は「エビデンス」を基に政策を決めていこうという話がよく出ているが、「エビデンス」を見るたびに、ほんとかなと思って、「エビデンス」のもとになっている論文をチェックしてみると、眉唾なことが多い。それらを全て列挙するのは大変なので、代表的なものをひとつ挙げておこうと思う。他の「エビデンス」もこんな風に突っ込みどころはいろいろある。

受動喫煙を禁止しようという動きの根拠のひとつとなっているのは、受動喫煙が大きな害を生じさせるという「エビデンス」である。最近は赤ちゃんのいる家庭では喫煙を禁止させようという、こんなことどうやって実施するんだというような政策も議論されているようだ。

その中のひとつの「エビデンス」として、受動喫煙をしている赤ちゃんは乳幼児突然死症候群(Sudden infant death syndrome、SIDS(シッズ))にかかる確率が4.7倍になるというものがある。Wikipediaによると、SIDSというのは「何の予兆もないままに、主に1歳未満の健康にみえた乳児に、突然死をもたらす疾患」一般を指すらしい。もちろん、1歳未満の赤ちゃんが突然なくなるというのはとても悲しい話であり、なるべく防ぎたいということについてが多分議論の余地はないだろう。では、この、4.7倍というとても大きな数字はどこから来ているのか?

「4.7倍」の根拠となっている論文は厚生省心身障害研究という、僕にはぜんぜんわからない雑誌に1997年に掲載された、「乳幼児突然死症候群の育児環境因子に関する研究ー保健婦による聞き取り調査結果ー」という論文である。まず、いちゃもんをつけさせてもらうと、喫煙に反対している厚生省が出している雑誌なので利益相反の疑いがあることと、そもそもちゃんと専門家にレビューされているのかよくわからない論文である。政府の債務が大きくなりすぎると経済に悪影響を与えるので増税しましょうという論文が、ぜんぜんちゃんとしたレビューもされず、財務省の雑誌に書かれている様なものである。それを元に増税するのはまずくないか?

では、この論文で何をやったかというと、SIDSで子供を失った両親に聞き取り調査を行い、SIDSに関連のありそうな行動(喫煙やうつ伏せで寝かせていたか等)をとっていたかを記録する。一方、コントロールグループとして、SIDSで亡くなった子供に年齢・地域等の面でマッチした子供を選び、その子達の親にも同様のインタビューをする。それで、この2グループの親の行動にどのような行動の差があるかをもって親のいろいろな行動とSIDSとの相関を分析している。いわゆるケースコントロール(症例対象)研究という手法である。以下に、この2グループの特徴のサマリーの、喫煙に関する部分をコピーする。
この研究で使われた、SIDSで亡くなった子供の数は377人である。そのうち両親ともに喫煙者である割合はSIDSで子供が亡くなった両親の場合は23%(86人)、そうでない両親の場合は8%(30人)である。この差は大きいので、おそらくは、両親が喫煙者であった場合に子供がSIDSにかかる確率は高く出るだろうなと思うだろうが、その通りで、よくマスコミなどで見られる4.7倍というのはこの差を元に計算されている。但し、他にも注目して欲しいのは、片方の親だけが喫煙者である場合の差はそれほど大きくない。SIDSで亡くなった子供がいた家庭で、片方の親だけが喫煙者であった割合は52%であり、そうでない家庭の場合はその割合は58%であった。結局、両親のいずれかあるいは両方が喫煙者であるというように条件を緩和すると、SIDSにかかる確率は1.6倍に大きく下がることになった。

この調査は1997年なので喫煙者が多いが、それでも両方とも喫煙者の家庭の割合は低い(上の表によると両親とも喫煙者の家庭は8%のみの一方、片方だけ吸っている家庭の割合は58%だ)。このことだけ考えても、1.6倍ではなく4.7倍という数字を使うのは誠実ではないと言える。更に、以下のグラフ(データの出典はJT。グラフはここからコピーさせてもらった)に見られるとおり1997年以降、喫煙者は大きく下がってきている。
このことを考えると、両親とも喫煙者というケースはかなり減ってきているのではないか。こういう状況で、1.6倍ではなくて4.7倍を使うのは誠実な態度とは思えない。

しかも、喫煙とSIDSの関係という意味では、ここで取り上げた分析は基本的に何もコントロールせず相関を出しているだけである。この研究では、うつぶせに寝かさせていた子供や、母乳ではなくて人口栄養を与えられていた子供がSIDSにかかる確率も高く出ているが、それらを同時にコントロールしたりももちろんしていない。それに、マッチング(SIDSで亡くなった子供と似た子供の選び方)もかなりいい加減だと思う。年齢と住んでいるところしかマッチングしていないが、おそらくは、SIDSで亡くなった子供の親の学歴や収入は、コントロールグループの親のものより低いのではないか?ふたグループの差はこれで説明できるかもしれない。しかも、片親だけが喫煙者である場合の効果が弱いということは(もちろんいろいろ他の要素との相関も考える必要があるが)、タバコを吸う量(intensive margin)も重要なのかもしれない。その場合、もし近年喫煙者の減少(extensive margin)に加えて、喫煙者であっても吸う量が減っているというのであれば、喫煙がSIDSに与える効果は更に弱くなっているかもしれない。どれもこれも「相関と因果」を重視する人であれば気にしなければならない基本中の基本である。こういうことを気にせずにおそらくは人々を煽る目的で4.7倍なんていう数字を使っていいのか。

受動喫煙の効果に限らず、確固たる「エビデンス」なんて経済学に限らずあまりないのではないか。最近「エビデンス」と叫んでいる人たちの「エビデンス」を注意深く見てみるとその思いがいっそう強くなっている。その場合、「エビデンス」とか叫びつつその背後にあるあいまいなところ・弱いところを隠すような不誠実な態度をとって非専門家を「だます」よりも、「エビデンス」が不十分であることを認めつつも、利用できる中でベストを尽くしているという態度をとる方が、長期的には「エビデンス」ベースの政策決定に対する信頼を高め、それをより広めていく上で役に立つと思う。

Wage Growth and Labor Market Flows

もう少し関連文献をじっくり読んでから書きかたったけれども、そういう時間がないので、かなり大雑把に書いてみる。

賃金が上がるときには失業率が低下するという関係が見られることが多い。フィリップスカーブといわれるものである。賃金(上昇率)と一般的な物価(上昇率)はだいたい一緒に動くことが多いので、失業率と物価の上昇率(インフレ率)の負の関係としてフィリップス曲線を理解している人も多いかもしれない。

ただ、流行の言葉を使うと、この関係は「相関関係」であり、「因果関係」はここからは読み取れない。言い方を変えると、どうしてこのような賃金上昇率と失業率の負の相関関係が見られるかを理解するためには、何かしらの仮説を立てる(モデルを作る)必要がある。この相関関係は比較的簡単な仮説で理解されてきている。何らかの理由(財政・金融政策による刺激も含む)で経済が好調になって、企業がもっと多くの労働者を雇いたいということになれば(労働需要の増加)、労働者の価格である賃金は需要の増加を反映して上昇していくことになる。そして、失業していた人はどんどん企業に雇われてゆき、失業率は低下していく。より多くの人が就職し、賃金も上がるということであれば、物への需要も増加し、物価も上昇していくと考えられる。更に、失業率がある水準より低くなると、景気が改善しても、失業率は下がらず、賃金・インフレ率だけ上昇してしまい、経済に悪影響を与えると理解されている。このような水準は自然失業率といわれる。

このストーリーで問題なのは、では、なぜ、現在の日本やアメリカのように、失業率はとても低いのに賃金上昇率はあまり上がらないのか、ということである。どちらの国も、失業率はかなり下がっているのに、賃金上昇率あるいはインフレ率が加速する気配は見えない。このような状況を鑑みるに、上のような単純なストーリーだけではダメなのではと考えることもできるであろう。

上の問題点を解決することができるかもしれない研究として、Moscarini and Postel-Vinayの一連の研究が挙げられる。彼らは、いくつかのデータに着目した。
  1. ミクロのデータを見ると、労働者の賃金が上がるのは、同じ企業に勤め続けている場合ではなくて、別の企業に移ったときである。つまり、賃金が上昇するには、経済が好調になって、既に働いている労働者がより賃金の高い職を見つけて移ったり、別の企業からより高いオファーをもらって移ったり、あるいは引抜きを防ぐため今働いている企業が賃金を引き上げる、という活動が活発にならなければならないのである。つまり、失業者が職を見つけるということと、賃金の動きは厳密にはリンクしていない。
  2. しかも、絶対的な人数で見ると、ある企業から別の企業に移る人の数の方が、失業している人が職を見つける数よりずっと多い。簡単な数字を示してみると、失業率が5%とすると、働いている人は95%である(働こうとしていない人は含めないでおく)。失業者は平均すると1ヶ月で25%の割合で職を見つける(これをUE率(Unemployment-to-Employment rate)と呼ぶ)ので、毎月職を見つける失業者の人数は5%*25%=1.25%である。就職している人で別の職に移る人の割合は平均して1ヶ月で2.5%くらい(これをEE率(Employment-to-Employment rate)と呼ぶ)であり、失業者が職を見つける割合よりずっと低い。しかし、母数が多いので、転職する人の割合は1ヶ月あたり95%*2.5%=2.4%である。よって、転職する人の数の方が絶対的な数では、職を見つける失業者よりずっと多い。よって、彼らの賃金の変化の方が、新たに職を見つけた失業者の賃金の変化より、全体的な平均賃金に与える影響が大きいと考えられる。
  3. 賃金上昇率とEE率あるいはUE率の相関をとると、EE率と賃金上昇質の相関の方がずっと高い。このことは、賃金上昇率に影響をより強く与えるのは、どのくらい失業者が職を見つけているかというよりは、どのくらい労働者が転職活動しているかであることを示唆している。
Moscarini and Postel-Vinayはこれらの事実に注目して、労働者が、失業しているときは低い賃金でもまずは働きはじめ、そのあとで別の企業から次々とオファーをもらって転職していくことで賃金が上がっていくモデルを構築し、そのモデルを様々な分析に使用している。

最初に述べた、失業率はかなり低いのに賃金上昇率(およびインフレ率)が上がらない状況も、彼らのモデルの枠内では新たな解釈が可能となる。景気が長くにわたって低迷した後の景気回復期では、労働者は低い賃金からまたゆっくり転職活動などをして賃金を上げてゆかなければならないので、失業率が低いとしても、それは、経済が過熱する(そしてインフレ率が上がる)ことを示唆しているわけはなくて、まだ経済がゆっくり回復しているということなのかもしれない。言い換えると、長い景気低迷の後では、低い失業率をもって、財政・金融政策によって更に経済を刺激する余地がないということにはならない、という解釈もできるかもしれない。

特に、最近、アメリカは、EE率が長期的な低下傾向にあるので、彼らのモデルによると失業率と賃金上昇率の負の相関が弱まっているという解釈も可能である。Moscarini and Postel-Vinayが日本について議論しているかわからないし、日本のデータはよく知らないけれども、もし日本で、EE率がかなり低い、あるいは低下しているとすると、日本では更に失業率と賃金上昇率の負の関係が弱まっているといえるかもしれない。労働市場が硬直的で、転職活動が活発でない、あるいは失業や賃金の低下を恐れて労働者が余り活発に転職活動を行わないというような状況であれば、失業率と賃金上昇率(そしてインフレ率)のリンクを弱める効果もあるかもしれない。そういう状況では、もしかしたら、失業率が低いからといって、もう景気を刺激する政策は打ち止めすべきという単純な議論は成り立たないのかもしれない。

Evidence-Based Policy against Loud Voice

今回は、最近話題になっている、「受動大声規制」について書いてみる。

  • まわりで大声で話されると気分が悪くなるというのは、皆知っていることであるが、最近、大声で話す人が近くにいると子供の健康を害するという確かなエビデンスが蓄積されてきた。これに基づいて、主に公共の場で大声で話すことを禁止する動き(「受動大声規制」)が高まっている。
  • 大声が健康に良くないというエビデンスは、複雑な計量経済学的手法に基づいて得られたものなので、ここでは説明はしないけれども、経済学者がエビデンスがあるといった場合には100%正しいので、信じて欲しい。
  • ちょっと専門的なことに興味のある人のために書いておくと、このエビデンスは、いくつもの最近の実証的な研究に関するメタスタディに基づいている。一個一個の研究では、統計的に有意な結果は得られていないけれども、メタスタディをすることで、有意な結果が得られた。まぁ、細かいところは気にしないで欲しい。
  • より細かいところが気になる人のためにちょっと書いておくと、そのうちの多くの実証研究は、4.5-6畳一間の家庭で、夫が常にものすごい大声で話している状態が20年以上続いた家では、妻がノイローゼになったりして体調を壊すケースが(統計的に有意ではないけれども)多いことに基づいている。これらのエビデンスを元にすると、レストランでおじさんた達が大声で話していると、子供も体調を壊すことは確実である。子供の健康を守るために、大声は禁止しなければならない。
  • 大声で話す人が近くにいると健康に悪影響を与えるというのは、国際的なエビデンスからもはっきりしている。例えば、アメリカ人は大声な人が多いが、アメリカ人は平均寿命が日本人に比べて短い。このエビデンスは、大声が健康に悪影響を与えることを示唆している。
  • ただ、大声で話す人は、年齢が高めの人が多い。政治家も声の大きい人は多い。よって、「受動大声規制」はなかなか、投票する有権者及び、政治家に支持されないことが問題である。レストラン等で大声を規制すれば大声でしゃべりたい彼らは損害をこうむることになるが、受動大声で健康を害する人のほうが重要なのは議論するまでもない。
  • しかも、大声の人が重要な顧客であるレストラン・居酒屋等も、受動大声規制をすると売り上げが落ちてしまうということから、レストラン・居酒屋業界が反対をしている。受動大声規制がレストランや居酒屋の売り上げに影響を与えるか否かというのは、決着がついていない問題である。例えば、レストランや居酒屋の経営者に、受動大声規制が実施されたら売り上げにどう影響を与えるかと聞いてきたところ、売り上げが落ちるという意見が大多数をしめていた。但し、こんなものは、強いエビデンスとは言わない。
  • 逆に、最近は、売り上げに負の影響を与えないという強いエビデンスが出てきている。25年前に富山県滑川市で受動大声規制を導入してみたところ、売り上げは落ちなかったという強いエビデンスが有名なものである。25年前に富山県滑川市で売り上げが落ちなかったというエビデンスがあるんだから、今、全国的に受動大声規制を実施しても100%大丈夫である。
  • ちなみに、大声が禁止されているレストランは既にたくさん存在しているし、インターネットで検索すれば簡単に見つかる。こういう状況で何で全てのレストランで受動大声規制を導入しなければならないかは、受動大声が子供などの健康に悪影響を与えることから明らかである。
  • 加えて、近年の行動経済学の知見によると、大声を出している人は出したくて出しているのではなく、自分をうまくコントロールできていないことがわかってきた。よって、大声が出しづらい環境にすることで、大声を出さなくて良くなった人の幸福度も高まることが期待される。極端な話、公共の場で大声を出した人には罰金を課すという政策も、意思に反して大声を出してしまう人を幸福にするという面で有効な政策であり、今後検討してゆきたい。
  • 今後は、このような、エビデンスに基づいた政策決定がよりいっそう広まって欲しいものである。

Learning Japanese Income Tax

今回は、日本の(個人)所得税についてちょっと見ていくことにする。きっかけとなったのは、twitterで見かけた、以下のグラフである。


出典を探すのに手間取ってしまったが、このグラフは「月刊誌『KOKKO』編集者・井上伸のブログ」というブログの著者が作ったものであるようだ。この手の、金持ちが優遇されている!みたいなキャッチーなメッセージのデータはしばしばtwitterで見かけるが、多くは信頼性にかけるので、あまり真剣に見ないのだけれども、日本の税制およびデータの基礎的なところについてちょっと学んでみるきっかけにしようと思い、ちょっとデータを見てみた。僕自身、ぜんぜん日本の税制なんて素人なので、間違えも多くあるかもしれない。間違えに気づいたら教えてくれるとうれしい。

このグラフは、所得が1億円を超えると、総税負担(所得税+社会保険料+住民税)が所得に占める割合(総税負担率)が低下するというのがメッセージである。平たい言葉で言うと、所得が1億円を超えるような大金持ちは低い税率で優遇されている、ということであろう。ちょっと調べる気になったきっかけは、本当かな、これ、と思ったことである。とりあえず、全てをカバーするのは大変なので、今回は所得税に的を絞る。上のグラフによると、所得税の支払額を所得で割った所得税負担率は所得5000万円~1億円で一番高くなり(28.7%)それ以上の所得の人の場合は所得税率が下がっていく。まぁ、所得が1億円以上のお金持ちは総税負担率が下がっていくという傾向は所得税率の低下から主に生み出されているので、とりあえず所得税に焦点を絞るのは悪くないだろう。

まずは、このデータがどこから来ているかというと、国税庁が出版している「申告所得税標本調査」というものである。今回は、上のグラフと同じ2014年(平成26年)のデータを使うことにした。2015年のデータも公開されているが、あまり変わらなかった。

まず、僕もぜんぜん知らなかったので、基本的なところに戻りたい。日本の税のデータは、源泉徴収された人(サラリーマンの多く)と確定申告をした人(自営業や、資産家、サラリーマンでもいろいろな資産を持つ人が主)で完全に分かれていることだ。タイトルからわかると思うが、上のグラフの元になっている「申告所得税標本調査」というのは、後者(確定申告した人)だけをカバーしている。ただ、日本で働く人の多くは、家を買ったり大金持ちでもない限り、多分、会社が勝手に納税(源泉徴収)してくれて、自分では何もやらない人が多いと思う。つまり前者だ。僕も日本で働いていたときには、若かったせいもあるけれども、税金払ってるなんて考えもしなかった。給料明細の手取り(税引き後の給与)だけしか見てなくて、額面(税引き前の給与)なんて気にもしなかった。こういう人たちの場合は、企業が申告した税のデータがまとめられ、「民間給与実態統計調査」として国税庁から出版されている。僕が簡単に調べた限り、両者を使いやすい形でまとめたデータは存在しないようだ。というわけで、今回のブログポストを書くに当たっては、両方を見てみた。

但し、両者を単純に合体させればよいというものでもなさそうだ。まず第一に、源泉徴収をされていても、確定申告をしている人はたくさんいる。2014年でいうと、確定申告した人は612万人だったが、そのうち源泉徴収されていた人が352万人いた。つまり確定申告した人(「申告所得税標本調査」に含まれる人)の約半分は会社から所得税を天引きされている人(「民間給与実態統計調査」に含まれている人)のようだ。「民間給与実態統計調査」に含まれる労働者は2014年で4756万人いるが、352万人を引くと残りは、4405万人である。つまり、所得のあった人で、確定申告した人(つまり上のグラフでカバーされている人)は612/(612+4405)=12%だけなのである。このことは、上のグラフは、所得があった人のうちたったの12%、しかも特殊な人だけをカバーしているということになる。これは問題だろう。

それ以外で気になったのは、おそらくは、「民間給与実態統計調査」は各企業からの報告を基にしているので、2つ以上の会社から給料をもらっている人はダブルカウンティングされているだろうということである。まぁ、そういう人はおそらく少ないだろうと仮定して、以下の議論を進めていく。

下のグラフは、僕が2014年の「申告所得税標本調査」を使って、各所得レベルの人の(平均)所得税率を再現してみたものである。


全所得階級で、最初に示したグラフの税負担率と同じなので、「申告所得税標本調査」を使って計算されているという僕の推測は多分正しいと思う。最初のグラフと同じく、所得5000万円から1億円で税負担率がピークとなり、それ以上の所得の場合は、所得税負担率は低下している。

これは何でだろう?日本の所得税率は累進的、つまり。所得が高い人ほど税負担率が高くなるようになっている。これは、高所得者の人に、より高い税率を負担してもらおうということである。具体的には、2014年の所得税の税率は以下のようになっている。


(年間)所得195万円までは所得税率は5%だけれども、それを超えた分の所得はだんだん高い税率が課され、1800万円を超える所得には40%の税率がかけられている。2015年からは4000万円以上の所得に対して45%の最高税率が課されることになったので、累進性はより強化されている。もちろん、いろいろな控除があるので、所得に対してそのまま上の表の税率が課されるわけではない(後でこのことについてまた触れる)が、所得税負担率(平均税率)が低下するというのは奇妙である。これは、「申告分離課税」という制度によるもののようだ。申告分離課税というのは、ある種の収入については、通常の所得と分けて、上の表に基づく税率でなく、ある一定の税率を別途課す制度である。対象となるもので、多分わかりやすいものは、株式を売り渡したときの収入、および、家(やゴルフ会員権)を売ったときの収入である。株式を譲渡した際の税率は一律15%(+住民税5%と今は復興特別所得税0.315%が課される)であり、家を売ったときの収入には、所有期間が5年を超える場合は15%(+住民税5%と今は復興特別所得税0.315%)、5年未満の場合は30%(+住民税9%と今は復興特別所得税0.315%)が課される。なぜこれらの資産移転に関する税率が低いかというと、これらの資産の買うためにはまず所得が必要であり、その所得に既に所得税が課されているから、もう一度高率の所得税を課すのを避けるのが目的であろう。

というわけで、最初のグラフで、なぜ所得が1億円を超える人の所得税率が低いかというと、こういう人たちは、主に、家や株式を売ったことで一時的に所得が高かったからだ。実際、2014年に所得が100億円を超えていた人は税率が17%だったが、申告所得税標本調査によると、これらの人の主な収入は株式の譲渡による収入と資産(おそらく家)を長期保有したあとに譲渡したことによる収入であった。通常の税率が課される配当収入と給与収入もあったが、あまり大きな割合ではなかった。つまり、最初に示したグラフで、高所得者の税率が低いのは、過去に既におそらくは高い税率で税金を払った人の資産の移転に伴う税率が低いことによるものであり、金持ち優遇ではない可能性が高い。

最初にあげたグラフのもうひとつ大きな問題点だと思うのは、「高所得者」が誇張されていることである。まずは、既に述べたとおり、最初にあげたグラフは確定申告をした11%の人だけのデータであり、とても少数の人たちのデータである。それに加えて、あのグラフで「高所得者」のカテゴリーに入る人の割合はとても低い。


上のグラフは、各収入カテゴリーに含まれる人の割合を示したものである。1億円を超える人の割合は非常に低い。所得が1億円を超える人たちの総合計はたったの0.25%である。つまり、税負担率が下がっていると指摘されている人の割合は確定申告をした11%の人たちのうちのたったの0.25%なのだ。最初に示したグラフでは低い税率を享受していると強調されている、一番上の所得カテゴリーである100億円以上の所得の人はたったの11人!しかいない。もちろん、少ないから問題ではないっていうことではないが、これらの人にかける税率をちょっと上げたところで、全体の税収に与える影響がかなり小さいと思う(今度ちょっとした計算をしてみる)。しかも、上で議論したように、これらの人は既に一回高率の所得税を払っている可能性が高いので、もう一度高率の所得税をかけるのはアンフェアではないかという議論もできる。同じくらい重要なこととして、これらの人の所得に高率の所得税をかけると、貯蓄のインセンティブを阻害したり、彼らが国外に出てしまったりする可能性もある。

ちなみに、「民間給与実態統計調査」に含まれる、「普通のサラリーマン」の税率は所得とともにどのように変化しているであろうか?以下のグラフがそれを示している。


所得ともに、平均所得税率は上がり続けている。2500万円以上のカテゴリーの中の内訳がないので「申告所得税標本調査」から得られたこぶ型の形と比べることはできないが、「申告分離課税」をしていない人たちに限定すれば、給料の水準とともに税率はきれいに40%まで上がっているのではと推測する。

ちなみに、二つの調査から得られる平均所得税率、および、(控除とかを無視した場合の)法律で定められている税率を比べたのが以下のグラフである。


一番上のオレンジの線が限界税率(上の表で示した税率)である。もちろん、累進性があるので、平均税率(薄青)は限界税率より低い。確定申告した人たちの平均税率は青緑である。彼らの平均税率は源泉徴収の平均税率(赤)より高い。他の資産からの収入の申告分離課税の税率の方が高いからだろう。2000万円を超える収入カテゴリーで平均税率が25%程度でほぼ同じなのは、申告分離課税による税率と普通の所得税率が同じくらいになるからだろう。確定申告した人の平均所得税率(青緑)も源泉徴収の平均所得税率(赤)も、法律上の平均税率(薄青)より低い。これは、さっき書いたが、様々な控除があって、実際の課税対象所得はもともとの(額面)所得よりずっと低いからである。

つらつらと学んだことを書いていったので、とりとめがない書き方になってしまったが、日本の所得税の基礎について学ぶことができて、個人的には満足している。多分いろいろ見落としていたり、間違っているところもあると思うので、教えてくれるとてもうれしい。

Modeling Premium Friday, Part 2

前回のポストに引き続いて、プレミアムフライデーがマクロ経済に与える影響を、シンプルな新古典派成長モデルを使って分析してみる。

モデルは前回に紹介したものを引き続き使う。前回書いたとおり、プレミアムフライデーをどのようにとらえるか(どのようにモデル化するのが適切か)について、僕はまだはっきりとわかっていないけれども、まずは、2つの異なる考え方を基に分析してみることにした。前回紹介した考え方は、プレミアムフライデーは、強制的に月末の金曜日の午後に労働者を帰らせることで、オフィスで無駄に過ごしている時間を余暇(あるいは生産的な労働)に開放するというものである。言い方を変えると、プレミアムフライデーは、労働者が自由に利用できる時間(disposable time)を増やすという考え方だ。簡単に想像はつくと思うが、基本的には1日に使える時間が増えるということは、生産に使える投入要素が増えるということなので、前回見たとおり基本的には経済にポジティブな影響を与える。

総需要効果を考慮しない場合、GDP、消費、投資は長期的には約1%増加する。自由に使える時間が増えた時に全てを余暇には回さないので、1週間あたりの労働時間は1時間は減らないものの約0.6時間(36分)減少し、余暇に使われる時間は1週間当たり約0.4時間(24分)増加する。1時間当たりの賃金は長期的にはプレミアムフライデー実施前と同じ水準に戻るけれども、労働時間が長くなるので、所得は増加する(長期的には所得が増加しないと消費は増加できない)。総需要効果を考慮すると、プレミアムフライデーの効果はより大きいものとなる。GDPや消費は1.9%増加し、消費(総需要)の増加がGDPを更に引き上げるので、賃金も長期的には0.9%上昇する。

では、今回は、別の考え方をしてみよう。プレミアムフライデーというのは、月末の金曜日の午後には働くことを禁止することで、労働供給を強制的に削減するものととらえることもできる。もちろん、別の日により長く働くことによって、月末の金曜の午後に働けない代わりをすることができるが、その場合プレミアムフライデーの効果というものはゼロなので、今回は労働時間が強制的に削減され、別の日の残業とかパートタイムを増やすとかで穴埋めができないものと仮定する。具体的には、週当たりの最大労働時間が、プレミアムフライデー実施前は40時間だったものが、39時間に削減されたと仮定する。加えて、プレミアムフライデー実施前は、労働者は週40時間ちょうど働いていたと仮定する。つまり、労働時間の制限がなくても労働者は週40時間喜んで働いていたのだけれども、プレミアムフライデー実施によって39時間までしか働けないこととなったと考える。このような政策の効果は以下に示される。



前回のケースと異なり、プレミアムフライデーの効果は総じてネガティブである。一段目のGDP(左)と消費(右)から見ていこう。総需要効果を考慮しなければGDPや消費は約2.5%減少する。総需要効果を考慮すると、GDPや消費の落ち込みは長期的には4.6%と、非常に大きなものとなる。

2段目の左には投資の動きが示されている。長期的には投資の変化はGDPや消費と同じく、総需要効果を考慮すると2.5%のマイナス、総需要効果もあった場合は4.6%のマイナスである。右には1週間あたりの労働時間が示されている。2017年以降、プレミアムフライデーが実施されたことで、労働時間は上限きっかりの39時間となっている。39時間という労働供給のアドホックな制約に引っかかっている。

賃金は一時的に上昇する。これは、労働時間に制限が加わって急に引き下げられることで労働供給が資本に比べて過少になるからである。しかし、長期的には資本が蓄積されることで、総需要効果がない場合にはプレミアムフライデー実施前のレベルに戻っていく。総需要効果がある場合は、総需要(消費)の落ち込みにともなって、賃金も下降し、長期的には、2.2%低下することとなる。実質利子率は、同様に資本の過剰供給を反映して一時期低下するものの、長期的にはプレミアムフライデー実施前のレベル(あるいは総需要効果がある場合はその近く)に戻っていく。

基本的には、プレミアムフライデーを労働供給に制限を加えるものとしてとらえた場合、そのマクロ経済に与える効果は総じてマイナスであることが見て取れる。

では、前回見た「需要側」のモデルと今回見た「供給側」のモデルのどちらが現実的だろうか?何度かちょっと議論したけれども、無駄な時間(モデルでいえばラムダ)を強制的に減らす効果が、小さいとはいえ労働供給を制限するネガティブな効果よりは比較として大きいのではないかなという気がする。でも、効果はかなり小さいだろう。見えないくらいかもしれない。月末の金曜午後の労働時間が減る分は、他の日に長く働いてもらったりする可能性が高いと思われるからだ。それに、プレミアムフライデーの対象となる労働者はモデルの仮定(労働者全員)よりおそらくはかなり少ない。

モデルでは直接扱えない話だけれども、もしかすると、フルタイムの人の労働時間が少し減少することで、パートタイムの人の労働時間が増えたり、主にパートタイムの人の雇用が(ほんの少し)増えるというような効果もあるかもしれない。

あとは、プレミアムフライデーの趣旨の一つとして、月末の金曜日に早く退社できることで、週末の旅行を促進するというようなことが書いてあった。これによって特に恩恵を受ける業界の業績がどう変わるかなどを見るのは今後の楽しみである。

最後になるが、フランスでは、2000年に労働時間の上限を週39時間から35時間に削減したことが話題になった。このときにこの政策のマクロ経済や労働市場にに与える効果についていろいろな研究がなされたことを覚えている。プレミアムフライデーとはちょっと違うが、35時間労働が実施された後でフランスに何が起こったか、この効果だけを見るのは難しいだろうが、面白い研究を思い出したら触れようかと思う。

Modeling Premium Friday, Part 1

前回のポストで、リバイズを進めるために新しい論文をほとんど読まないようにしているといってみたものの、ちょっと時間を食うことをやってしまった。

今回は、簡単なモデルで、プレミアムフライデーの効果を見てみたい。プレミアムフライデーというのは、毎月の最終金曜日に、皆がちょっと早く帰れる(例えば午後3時退社と書いてある)ように推奨することによって、余暇に使う時間を増やし、消費も刺激できるのではというアイデアである。

今回のポストを書くきっかけとなったのは、江口さんのこのようなtwitterでの発言である。

「プレミアムフライデーでGDPがどうなるかで、日本の低成長の原因が需要要因か供給要因かが分かるかも。供給要因なら労働時間減少でGDP下がるし、需要要因なら消費拡大(消費と余暇が補完的なら)してGDPが上がるはず。逆に言えば需要要因かつ消費と余暇が補完的でない限り景気拡大効果はない。」

とても面白い視点だと思ったんだけど、まずは、プレミアムフライデーのマクロ経済への効果をどういう風に考えたらいいのかな、と考え込んでしまったので、まずは、とても簡単なモデルからはじめてみようと思い立った。とりあえずは、「日本の低成長の原因が需要側なのか供給側なのか」という質問にどうリンクさせるかまでは思いつかなかったのだけれども、手始めとして、「需要側」を重視したメカニズムと「供給側」を重視したメカニズムで、どのようにプレミアムフライデーの効果が異なるかを考えて見たい。

では、どうやってプレミアムフライデーをモデルに取り込むかであるが、次のような入れ方を考えてみた。

  1. 「需要側」:これまでは、月末の金曜日の午後には皆オフィスにいつつも何も生み出していなかったと仮定する。もちろんこれはかなり単純化した非現実的な仮定なんだけれども、ちょっとくらい労働時間が減少しても(生産に役立つ)労働供給は変らないというアイデアを簡単に取り込むにはこういう仮定でいいのかなと思い立った。もし、これはおかしいとか、もっと良い入れ方があるという方がいたら、教えて欲しい。下のモデルでは、ラムダが無駄な時間を示す。このような状況では、プレミアムフライデーというのは、そもそも浪費されていた時間を余暇(あるいは労働)に開放すると考えられる。
  2. 「供給側」:プレミアムフライデーは、労働時間に関する制約と考える。これも、かなり単純化した仮定である。極端ではあるが、プレミアムフライデーは労働者が働く時間を強制的に減らすものと考える。

「供給側」についてちょっとコメントしておくと、もし労働者が月末の金曜日の午後に長く働けない分他の日により長く働くことができれば、プレミアムフライデーの効果は単に、働く時間が月末金曜の午後から他の日にシフトするだけである。残業代がかかるから雇用する企業にとってはコストが高まると考える人もいるだろうが、それは、単に、(残業時でない)平時の給料を下げることで対応できる。つまり、この考え方をとると、月ごとの総労働時間は変らず、平時の給料は下がる(が賃金収入の合計は変らない)と考えられる。マクロ経済(GDP、消費、投資等)への効果はない。これではあまり面白くないので、「供給側」チャンネルはもっと強いものとしてモデル化してみることにした。

基本モデルは成長のトレンドを除去した新古典派成長モデル(Neoclassical Growth Model)である。このモデルでは、定常状態であれば、GDP、消費、投資、資本は、一定のレベルで変らない。この状態は、これらのマクロ変数が一定の成長率(例えば年率2%)で成長していることを意味する(けどモデルでは定率の経済成長を単純化のために除去している)ので勘違いしないで欲しい。新古典派成長モデルという名前は、内生的成長モデルと対応しており、定常状態での成長率が外生的に決まってくるモデルをさす。

では、モデルを構成する式を挙げておく。並べただけで、あまり厳密にモデルを書いていない(例えば、代表的個人に関する変数とマクロの変数を区別していない)が、許して欲しい。
式(1)は、効用関数である。消費と余暇から効用が得られ、log-logの形式をとっているので、余暇が増えれば消費も増える。Lは最大労働時間、ラムダは上で書いた、「オフィスで過ごす無駄な時間」である。「供給側」のモデルの場合、ラムダはゼロにする(このチャンネルは使わない)。

式(2)は労働時間に関する制約である。「供給側」モデルでは、プレミアムフライデーはこの上限値が引き下げられると仮定する。

式(3)は消費者の予算制約である。消費者は労働時間あたりwの賃金を受け取る。貯蓄に対しては年率rの利子が得られる。

式(4)は資本の蓄積がどのように起こるかを示している。資本は年率デルタの割合で磨耗し、投資iをすることで増やすことができる。

式(5)は生産が消費あるいは投資に使われるという、マクロレベルの資源制約を示している。

最後に、式(6)は、生産関数である。上に書いたとおり、簡略化のため生産性(z = TFP)は一定としておくが、一定の率で成長すると仮定してもモデルの挙動は基本的には変らない。生産には資本(k)と労働(l)が用いられる。また、これも通常の仮定であるが、コブ・ダグラス型の一次同次の生産関数である。

ちょっと特別な仮定は、生産関数にcが入っていることである。通常のモデルであればこれはない(オメガ=0)。この仮定は、総消費が増加すると生産活動が刺激されるという、需要側のチャンネルを簡単に(ニューケインジアンモデルのように名目価格の硬直性を入れずに)入れるためのトリックで、最近のDirk KruegerのHandbook Chapterで使われていた。但し、この仮定はあまり標準的ではないので、以下では、オメガがゼロのケースも示す。オメガがゼロでないケースをオメガがゼロのケースと比べると、総需要チャンネルも考慮するとプレミアムフライデーの効果がどのように変ってくるかを見ることができる。

以下の表に、パラメーターの値を示す。1期間は1年で、全てのパラメーターはとても標準的なものである。
ベータの値は最初の定常状態で実質金利が年率4%になるように選んだ。資本の減耗率は年率8%、生産における資本の重要度は0.36、この辺はスタンダードな値である。オメガは、上に書いたとおり、総需要効果を考慮しないケースではゼロ、考慮したケースではKrudgerが使った数字(0.3)にしてみた。労働、あるいは余暇に使える時間の合計は1週間に98時間とした。1日あたり14時間である。ミューは、週当たりの労働時間が、プレミアムフライデー実施前に40時間(一日8時間)となるようにセットした。異なるモデルに同じターゲットを適用しているので、2つのモデルではミューの値が多少ではあるが異なっている。

「需要側」のモデルでは、プレミアムフライデー実施前(2016年まで)はラムダが1(1週間当たり1時間は無駄になっている)であるのが、プレミアムフライデー実施(2017年以降)によってゼロになると仮定する。週当たり1時間というのは、1ヶ月で4時間、つまり、月末の金曜日は午後に完全に休めるという仮定である。実際の時間(午後3時帰宅)よりはちょっと大きいが、金曜に残業している人とかを考えれば、それほど悪くない数字かと思う。もちろん、現実は全ての人がプレミアムフライデーの対象になるわけではないので、その意味では、このモデルでは、プレミアムフライデーの効果がかなり大きめ目に設定されている。

「供給側」のモデルでは、プレミアムフライデー実施前の週当たりの労働時間の上限は40時間であったものが、プレミアムフライデー実施によって39時間に引き下げられると仮定する。そもそもプレミアムフライデー実施前は、労働者は最適に40時間働いていると仮定しているので、この制約には引っかかっていない。そういう意味でも、プレミアムフライデーの影響が過大にモデル化されていると考えて欲しい。

では、今回は需要側のモデルの結果を示す。2016年まではプレミアムフライデーはなくて、経済は定常状態にあったものの、2017年に、急にプレミアムフライデーが実施され、プレミアムフライデーは永久に続くとする。期待は(2017年のプレミアムフライデー実施以外は)完全予見とする。ちょっとナーディーなコメントだが、モデルは、シューティング・アルゴリズムでもポリシー・イテレイションでも、価値関数イレテーションでも解けるが、労働が内生化されていて、消費が生産性に影響を与えるので、シューティング・アルゴリズムはちょっと難しかった。

上段のグラフはGDPと総消費、中断のグラフは総投資と週当たりの労働時間、下段のグラフは時間当たりの賃金と実質利子率を示している。2016年までは定常状態で、2017年以降は、プレミアムフライデーのある経済の定常状態にゆっくり収束していく。青い実線が、総需要チャンネルのないモデル、緑の点線が、総需要チャンネルのあるモデルである。GDP、総消費、総投資、賃金は、効果の大きさを見やすくするために最初の定常状態を1をしている。

「需要側」のモデルでは、プレミアムフライデーの効果は、余暇(あるいは労働)に使える時間が週当たり1時間増えた考えられる。それを反映して、労働時間は2017年に急に減少するが、39時間までは低下しない。それは、経済が刺激されて、生産を増やすために、労働時間も(39時間から)増えるからである。一つの解釈としては、オフィスの人の余暇が1時間増えた分、より多くの人がレストランに行くので、レストランは人を増やさなければならないというものだ(もちろんモデルは代表的個人を仮定しているので実際にはそういうことは起こっていない)。

GDPや総消費は順調に増加し、新しい定常状態では、総需要効果を考慮しなければ1%、総需要効果も考慮すると1.9%増加する。総需要効果がなければ2017年に経済成長率が押し上げられた後はほぼ経済成長へのの効果はないんだけれども、総需要効果を加味すると、成長率の押し上げは(低減していくけれども)30年程度続く。このパラメーター設定では総需要効果はかなり大きいことがわかる。新しい生産量を維持するために投資も同じ割合で増加する。

プレミアムフライデー実施当初は、労働供給に対して相対的に資本が不足するので、金利が0.1%程度上昇するが、新しい定常状態ではまた4%に戻る。賃金は、総需要チャンネルのないスタンダードなモデルであれば、資本の不足を反映して最初は下がるものの、定常状態では元のレベルに戻る。面白いのは総需要チャンネルがあるモデルの場合で、新しい定常状態では消費のレベルが高いので、賃金は前のモデルと同じく当初は一旦低下した後で、高い水準に収束していく。最終的には賃金は0.9%高いレベルに収束することとなる。

というわけで、「需要側」を重視したモデルでは、賃金は一時的に低下するものの、プレミアムフライデーの効果は総じて景気刺激的である。次回は、「供給側」を重視したモデルではどうなるか、を見ていくことにする。

Teach Me! BOJ


金融政策は、伝統的には、短期金利を操作し、それが長期金利にも波及することを通じて、実体経済に影響を及ぼしてきました。短期金利を操作していたのは、短期金利が一番確実にコントロールできるからです。以前に「教えて!にちぎん」に書いていた通り、長期金利は、通常、実体経済の状況や民間の経済主体がどのように将来の景気について考えるかで決まってくるものであり、日本銀行が直接コントロールすることは難しく、かつ、すべきではないという立場でした。 

ところが、リーマン・ショック以降、まず米・英などの中央銀行が長期金利に働きかける政策を実施しました。短期の政策金利がゼロ%に達し、いわゆる「ゼロ制約」に直面していたので、これ以上長期金利を引き下げることが不可能な状況下、更なる金融緩和効果を実現するために、長期国債等の買入れを通じて、長期金利を引き下げる政策を始めたわけです。日本銀行も2010年10月に「包括的な金融緩和政策」を導入し、やや長めの金利に働きかけました。また、2013年(平成25年)4月に導入した「量的・質的金融緩和」では、イールドカーブ全体の金利低下を促す観点から、大規模な国債の買入れを開始しました。長期国債等の買い入れや将来の金融政策についてコミットする、いわゆるフォワード・ガイダンスによって、長期国債の利回り等、名目の長期金利に影響を与えることができることはわかっていますが、それが実体経済にどのような影響を与えるかはわかっていません。アメリカの中央銀行である連邦準備銀行は、既に、長期国債等の買い入れを段階的に終了し、リーマン・ショック以前の金融政策に戻す方向に動き始めています。 

その一方、日本銀行は、2016年(平成28年)1月以降、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を実施し、理論的にも実証的にも効果が確認されていない政策を次々と実施しています。効果が確認されていないものの、なにかやらないと、最近数年の日本銀行の金融政策フレームワークが批判されるおそれがあるので、次々と新しい政策を目くらましのように実施して、あまり過去の政策に注意が向かないようになるというよい効果も期待されています。但し、効果がまったく確認されていないと認めてしまうと批判が強まるリスクがあるので、日本銀行は、マイナス金利と大規模な国債買入れの組み合わせが、長短金利全体に影響を与えるうえで、有効であるという研究結果をあわせて発表します。(詳しくは『量的・質的金融緩和』導入以降の経済・物価動向と政策効果についての総括的な検証」をご覧ください)。ここでは、非常に古くて今では経済学者には使われていないモデルに基づく理論的分析、および、識別問題について突っ込みどころ満載の実証的分析によって、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」が非常に効果的であることを示しています。これは素人の方がぱっと見ればこれはよくわからない、すごいと思われるでしょうが、それが狙いです。日本の経済学者の方々は、今や日本銀行が発表することについてまじめに批判・検証することは諦めているので、彼らにも突っ込まれない、しかも、このペーパーは日本語なので外国の経済学者にも突っ込まれない、という好ましい状況になっております。というわけで、事情を察して大人の対応をお願いします。 

こうした研究結果も踏まえ、2016年(平成28年)9月に日本銀行は、「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)」を導入しました。具体的には、日本銀行当座預金の「政策金利残高」に適用する金利を短期の政策金利とするとともに、長期金利については、10年物国債金利の操作目標を示して、これを実現するように国債の買入れオペを実施しています(詳しくは、「金融緩和強化のための新しい枠組み:『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』」をご覧ください)。最初に述べましたとおり、実質長期金利をコントロールすることは、まず不可能、かつ、望ましいかもわからないものですが、ここで参照しましたペーパーでは、がんばって正当化のように見えることを書いてみました。但し、理論的にも実証的にもきちんとした分析はありません。再びですが、事情を察して、大人の対応をお願いします。 

(注1) オリジナルはここ
(注2) インスピレーションは@JS_Ecohaさんのツイートだったと記憶しております。

Does When and How to do Fiscal Adjustments Matter?

Alesina, Azzalini, Favero, Giavazziによる最新のNBER Working Paper ("Is it the "How" or the "When" That Matters in Fiscal Adjustments?" No. 22863)を簡単に紹介する。

多くの先進国で、政府債務が膨らんでおり、財政再建が大きな課題の一つとなっている。ユーロ圏ではギリシャの政府債務返済への懸念が生じたことがきっかけとなって経済危機が生じ、それがその他の政府債務が大きい国(ポルトガル、スペイン、イタリア)にも飛び火したことで、ユーロ圏経済に深刻な影響を与えたことは記憶に新しい。日本においても、消費税率引き上げの背景にあるのは財政再建への取り組みである。

では、財政再建を行うに当たって、どの方法(税率引き上げか支出削減か)あるいはいつ行うか(好況の時か不況のときか、あるいはゼロ金利制約に引っかかっているときか)によって財政再建の効果は異なってくるか、という問題は常に重要であり続けている。長期的には財政再建をしたいとしても、財政再建は緊縮的政策であり、一時的には経済活動(GDP)が低下することとなる。そうであれば、できるだけ経済活動への悪影響が小さい手段、時期を選びたいからだ。

今回簡単に紹介する彼らのペーパーは、クロスカントリーデータ(たくさんの国の時系列データ)を用いて、財政再建がGDPに与える効果をVARを使って分析したものである。具体的には、彼らは、16のOECD諸国(オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、日本、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、UK、US)の1981-2014年のデータを使って、財政再建のGDPに与える効果を、手段別(増税か支出削減か)および時期別(不況期か好況期か)に推定した。また、ゼロ金利制約の時期でその推定値が異なるかも検討してみた。また、ちょっとテクニカルになるが、彼らは、政府による政策の発表を持って「財政再建」が行われたとした。その結果は以下のグラフにまとめられる。

  1. GDPの1%に相当する財政再建を行った場合、増税によって行うか、支出削減によって行うかによって、GDPへの影響は大きく異なる。支出の切り下げで財政再建を行った場合のGDPへの影響は小さい(青い線、0.5%以下)一方、増税によって財政再建を行うとGDPへの影響は大きい(黒い線、1%以上)。
  2. 財政再建をいつ行うかは財政再建がGDPに与える影響に大きく影響しない。上のグラフでは、濃い線が好況期に財政再建を行った場合、薄い戦が不況期に財政再建を行った場合であるが、両者は近い。
  3. ちょっと驚くべきことかもしれないが、不況期に財政再建を行った方が、GDPに対する負の影響は小さい。但し、この点に関して、著者らは、GDPへの影響と厚生(幸福度)への影響をごっちゃにしないようにと言っている。GDPへの影響は小さくても、経済厚生をみると、不況期の財政再建のほうが負の影響が大きいことは十分に考えられる。
  4. ゼロ金利制約が財政再建のGDPへの効果に影響を与えるかについては、ゼロ金利の期間が短いので、綿密な分析はできないが、上の分析において、ゼロ金利制約に引っかかっていた国・期間をはずして推定を行っても、結果は大きく変らない。このことは、ゼロ金利であるか否かは、財政再建のGDPへの効果に大きな影響を与えないことを示唆している。
一つ注意書きを書いておくと、これをみて、やっぱり消費税増税による財政再建は間違っているんだ、と短絡的に考えないようにして欲しい(そう考える人は多い)。日本の場合、そもそも、支出削減による財政再建をしようとしても削るところがないかもしれないからだ。最近は特に、社会保障制度(生活保護等)をより充実させるべきとか、子供に関する政府の支出(保育所、学校等)を拡大するべきとかいう考えが広まっているようなので、支出を減らそうと言う方向にはないようにみえる。そういう中で財政再建も行っていこうとすると、GDPへの影響は比較的大きいかもしれないが、増税に頼るしかないともいえる。著者らの議論とも重なるが、GDPへの影響と経済厚生への影響はまったく異なっている。必要なのは、直近のGDPへの影響だけ見て騒ぐことではなく、長期的に支出と課税をどのようなバランスで、長期的に実行可能なプランで行うかという大枠の議論だと思う。

Why the Median Professor at Tokyo University is not Publishing?

河野議員は、最近、日本のグラントのおかしな申請フォーム、あるいはグラントの使用におけるおかしな習慣について意見をTwitterで募り、いろいろ改善策を実施してくれたようで、日本の研究者の間で彼の仕事が賞賛され、話題になっていた。その一方、グラントの使いやすさを改善するなんてことをするんだから、グラントを受ける研究者側のパフォーマンスも注目するだろうなと思っていたら、やっぱりそういうことになりそうだ。

以前のポストで触れた阪大社研DP(ディスカッションペーパー)についてTwitterで意見を求めている。注目しているのは、日本のトップの国立大学の経済学部において、所属する教員の2005-2015年の10年間にトップ200のジャーナルにパブリッシュされた論文数の中間値をとるとゼロである、つまり半分以上の教員は過去10年にトップ200のジャーナルにひとつもパブリッシュできていないという事実である。ブログ記事でも触れたが、半分以上の人が過去10年に1本はパブリッシュしている機関は大阪大学の社会経済研究所(このDPを書いたところ)と京都大学の経済研究所だけである。トップ200のほとんどはかなり細分化された分野のジャーナルを含むのであまり知識が広くない僕なんて多分聞いたことないジャーナルがほとんどだと思う。

この理由については、いくつか考えられる。いくつかを挙げてみよう。

  1. 昔は英文のジャーナルへのパブリケーションが求められていなかったので、昔の人はあまりそういう業績を出そうとしてこなかった。
  2. アジアも含む海外の方が研究環境が圧倒的によいので、欧米のトップスクールでPh.D.をとった場合、若くて生産的な時期は海外で過ごして、生産性が衰えてきたころに日本に戻るパターンが多い。
  3. 従来の日本では、(国際)ジャーナルにパブリッシュせず、政策に直結する仕事をする人が出世してきた。
  4. 日本の研究環境が劣悪なので、海外であればパブリッシュできる生産的な人も日本ではパブリッシュできていない。
  5. 経済学部にはマルクス経済学(あるいは経済史)の人が多く在籍しており、そういう人たちは英語のジャーナルに載せる文化ではない。
  6. 経済学部に在籍する経営学(マーケティング、会計等も含む)の人も(日本では)国際ジャーナルにパブリッシュする文化ではない。

経済学部(あるいは他の学部)を改革するか、そしてどのように改革するかを考える際には、パブリッシュされていない理由は何か、そして、実際パブリケーションを重視する方向に移行するのか、などを考えなければならないが、これ自体も難しい問題である。

日本の経済学部で何が起こっているかを知るひとつの材料として、東京大学の経済学部がどのような構成になっているかを見てみた。何で東大を選んだかというと、日本のトップの大学であること、そして、日本の大学の特徴を考える上で典型的な学部かなと思ったからである。それに、分析というほどのことはしていないにしても、HPに載ってる人をひとりづつ見ていくのは東大だけでも大変であった。社研DPの作成に携わった人々の労力に敬意を表したい。

まずは、誰を含むかだけれども、そもそものモチベーションが社研DPなので社研DPにあわせることにした。社研DPでは、研究に特化できる環境にあるかもしれない助教ははずしているので、ここでもはずすことにした。経済学部がメインの所属ではない(と思われる)人も社研DPにあわせてはずしてある。社研DPでは、専任講師以上を含むとあるが、東京大学のHPでは「講師」と「特任講師」がある。この二つの役職が何を意味しているのか僕にはよくわかんないのだけれども、「講師」は含めて、「特任講師」は外すことにしてみた。その結果、経済学部の人数は64人であった。社研DPでは60人となっているので、もしかしたら講師とかをどうするかの判断が間違っているのかもしれない。もしそうだったら誰か教えて欲しい。

更に、社研DPではトップ200のジャーナルに過去10年にいくつパブリッシュしたかをみているが、そんなの見るのは時間がないので、とりあえずは、国際ジャーナルに載せているかは安田さんのリストに載っているかで判断した。

では、ちょっと数字を見ていこう。まずは64人の分野および役職による内訳。分野は教員一覧に記載されていればそれを、そうでない場合はgoogleで検索して出てきたページを元に決めた。その上で、分野は「近経」、「経営」、「歴史」、の3つに分類した。「経営」は、経営学、ファイナンス、会計学を含む。アメリカであればいわゆるビジネススクールに所属する分野である。「歴史」は分野の名前に歴史が含まれるもの、およびマルクス経済学はここに入れた。「近経」はそれ以外である。財政学(僕の印象では、自分の分野を「財政学」と呼ぶ人は、アカデミックなジャーナルにパブリッシュするよりも政策に直結した研究を行っている人が多いように思われる)はここに含まれる。ちなみに、教員のリストはこのポストの最後に載せてある。名前は書いていないけれども、基本的に教員一覧と同じあいうえお順なので、その気になればすぐに誰が誰かわかるようにしてある。間違い等があったら教えてくれるとうれしい。
64人のうち、近経は38人、経営系は15人、歴史系は11人である。役職別に見ると、教授は41人、准教授は11人、講師は12人である。パーセンテージでみると以下のようになっている。

では、上の表のそれぞれのセルにおいて、国際ジャーナルにそれなりにパブリッシュしている人の割合はどのくらいかを見たのが以下の表である。上で書いたとおり、国際ジャーナルにパブリッシュしているかどうかの判断は安田さんのリストに全面的に依存した。以前のポストで触れたが、安田さんのリストに載る規準は彼の判断した「一流誌」35誌に2本以上載せていることである。彼の「一流誌」35誌は、社研DPのトップ20の25誌とは異なるが、オーバーラップも多い。また、河野議員が注目した論文の出版数の中間値では、トップ200のジャーナルにパブリッシュした本数であるが、東大のようなトップの学校の研究者であれば、基本的に安田さんの「一流誌」35誌位にしか載せないのではないかと思う。更に、安田さんのリストは過去10年ではなく、キャリアを通した数字なので、過去に多くパブリッシュしても過去10年にはパブリッシュしてないケースはここでは把握できない。もちろん、キャリアの浅い若手についてはあまり違いは生み出されない。この3つが安田さんのリストと社研DPのリストとの主な違いである。
全体では、64人中、安田さんのリストに載った人(安田さんの「一流誌」に過去2本以上乗せた人)は26人、つまり、全体でみると、キャリアを通じて「一流誌」に2本以上載せた人はトップの東京大学でも半分もいないということである。この数字がキャリアを通じたものであることを考えると、河野議員が注目した事実(過去10年にトップ200誌に載せた本数の中央値はゼロ)も驚くべきことではない。上で書いたように、東大クラスの研究者であれば、主に「一流誌」に載せるので、論文の範囲をトップ35誌からトップ200誌に変えたところで結果はそんなに変わらないのではないかと推測される。

では、内訳を見てみると、教授では41人中21人が安田さんのリストに載っている。つまり、約半分の人が国際ジャーナルに2本以上載せている。更に、国際ジャーナルにパブリッシュことが(最近は)重要である「近経」に限ると、その割合は26人中20人(77%)まで上がる。逆に経営系では8人の教授で安田さんのリストに載っている人はゼロ、歴史系では7人中1人である。安田さんのリストは経済学のジャーナルに基づいているので、経営系については驚くべきことではないだろう(とはいえJournal of FinanceとJournal of Financial Economicsは含まれている)。准教授では、全体で11人中4人が安田さんのリストに載っている。教授の割合(約半分)よりちょっと低めである。分野別に見ても「近経」が6人中4人、その他の分野はゼロ人である。講師で見ると、12人中リストに載っているのは1人だけ。これは、講師の人たちはまだキャリアの序盤なので論文がたまっていないことが主要な理由であると考えられるだろう。特に、経済学の論文はレビューに時間がかかることが指摘されているので、(最初からパブリッシュしまくるスーパースターを除けば)論文が最初たまってくるまでにちょっと時間がかかることも影響しているかもしれない。

ちなみに、安田さんのリストでは、2本以上載せた人、5本以上載せた人、10本以上載せた人が区別できる。その区別をしたのが以下の表である。
「0」はリストに載っていないこと、「1」は2-4本パブリッシュしたこと、「2」は5-9本パブリッシュしたこと、「3」は10本以上パブリッシュしたことを示している。教授では、41人中、20人はリスト外、12人が2-4本、9人がそれ以上である。准教授では、11人中、7人がリスト外、2人が2-4本、2人がそれ以上パブリッシュしている。講師では12人中11人はリスト外であり、1人が2-4本パブリッシュしている。

以下が元データ(名前は載せていない)である。参考まで。
(追記1:2017年1月16日)@D_A_worksさんから数字が少し間違っていることを指摘され、修正。ありがとうございます!それに幾分加筆した。とはいえ、全体的なメッセージには影響はない。
(追記2:2017年1月16日)@nii_tsukuさんより、リストの20の方は既に東大から移動しているとの指摘を受けた。ありがとうございます!但し、一人ひとりチェックするのは大変なので、東大経済学部がホームページに記載している教員一覧に基づくこととており、おそらくはそのリストがアップデートされていなかったことによると思われる。

Essay on Macro Empirics, Part 1

前回のちゃんとしたポストからすっかりあいてしまった。まぁ、定期的な更新を期待して待っている読者がいるような人気ブログというわけではないのだけれども、やっぱり間が空くと申し訳なくなる。夏は学会や休暇やも多く、かつ、おそらく切りのいい夏前にジャーナルに論文を出す人が多いせいか、夏前に手持ちの論文をレフェリーに送りつけるエディターが多いせいか、夏前にたくさん来るレフェリー依頼をさばいていると、なかなか新しい論文を読んだり、新しいネタを探す時間がなくなってしまう。

というわけで、今回は、(特にマクロ)経済学において、データをどのように使うのかについて簡単なエッセイを書いてみる。あまり考えずにつらつらと書くので後で加筆・修正する可能性も大なことをお許し願いたい。まぁ、自分自身、データに強いわけではまったくない(では何に強いかといわれると困ってしまう)ので、間違っているところとかを指摘してもらえるとそれもうれしい。エッセイのようなものなので、つらつら、構成も考えずに書いていく。

個人的に経済学がほかの社会科学より圧倒的に優れていると思うのは、個人(あるいはその他の意識決定主体)がどのように決定を行うか、そのような個人が集まっている経済(あるいは社会)にどのようにその決定が反映されるかを緻密に分析できる理論体系があるということと、その理論を検証するためにデータを注意深く見るという、両輪だと思う。マクロ経済学についてもそのような経済学の強みは生かされていると思う。では、どのように理論とデータが関連しているかを、例を使ってできるだけわかりやすく書いてみたい。何を例に使うかをちょっと考えてみたのだけれども、ここでは、政府支出乗数(政府支出を1円増やした時にGDPが何円上がるか)の推定を例に使ってみる。

なぜ、政府支出乗数が重要なのか?政府が支出を行う際には、税金や国債の発行(=将来の増税)で原資を調達した後で、何かへの支出を行うので、その支出が本当に経済(=お金を出す人々の)の役に立っているかを測りたい。その指標の一つとして使われるのが、政府支出乗数である。いわゆる、投資のリターンのようなものだと考えればよい。リターンが大きければ実施すればよいわけだし、リターンが小さければ、何でこんなことをするのか考える必要があるだろう。

「政府支出を1円増やした時にGDPが何円上がるか」というのは簡単にデータから計算できるように感じられるかもしれない。毎年、政府がいくら支出して、GDPがどれだけ上がったか、の相関を計算すればいいじゃないか、と考えるのが第一歩である。まずはこの第一歩を行うことは重要なんだけれども(ちょっと前に聞いたPodcastにJoshua Angristが出てたんだけれども、彼も、洗練された識別を行う前にOLSを行うことが第一歩だといっていた)、これじゃあぜんぜんダメと一般的に考えられている。ちなみに、本当にこのように政府支出乗数とかを計算して大丈夫と思っている人もいる。困ったもんだ。では、なぜまずいのか?いろいろあるんだけれども、「いろいろ」というのを以下ランダムに見ていく。

まず、「完璧な実験」は何かということから考えてみよう。2016年1月1日の日本をスタート地点として、政府支出を1円上げなかった時のGDPと、政府支出を1円上げた時のGDPを比較できれば完璧なのである。実際は、2016年には1円上げなかったとしよう。この場合、前者のデータは存在している(これが歴史なので)が、後者のデータは存在していない。後者のような状況(実際の歴史と異なる)をcounterfactual(反実仮想)という。この2つのデータがもしあれば、両者でGDPがいくら違うか計算すればこれで終わりである。但し、実際には、反実仮想のデータは存在しないので、どうやってそれに近い状況を作るかというのが経済学者が玉を悩ませるところなのである。それに近い状況を作るのにいくつもの方法はあるが、どれも完璧ではないので、いろんな方法の長所・欠点を比較検討したり、いろいろな方法で計算された結果を比較することで、完璧ではないにしても完璧な状況で得られるであろう数字に近づける努力を僕らは延々と行っているといえるかもしれない。

じゃ、不完全な方法としてどのようなものが考えられるか?例えば、2015年より2016年のほうが政府支出が1円多かったとしよう。じゃあ、2015年のGDPと2016年のGDPを比較すればいいじゃん、と考えるかもしれない。最初にあげた方法(毎年、政府がいくら支出して、GDPがどれだけ上がったか、の相関を計算する)はまさにこれである。では何でダメなのか?2015年と2016年はおそらくいろいろな面でぜんぜん違うからである。2016年はオリンピックがあって盛り上がったので、GDPが多かったかもしれない。それを考慮に入れなければ、政府支出乗数は大きく出てしまう。もちろんそれ以外にも2015年と2016年を単純に比較できない理由は山ほどある。

それらをコントロールする方法として、「たくさんの年のデータ」を使うことが出来る。オリンピックは何回もあったので、オリンピックの時にはどのくらいGDPが上がるかが長い歴史のデータから計算できれば、2015年と2016年のGDPの違いから「オリンピック好景気」分を引いた分が政府支出乗数といえるかもしれない。ちょっとかっこつけた言い方をすれば(計量経済学にはかっこつけた言い方が多くて門外漢には困る…)オリンピックダミーを入れて回帰を行うのがこれである。但し、日本のデータは限られているので、何もかもコントロールすることはできない。例えば、2016年はSMAPが解散したけど、その効果はどうやってコントロールするんだ、とか(まぁ、過去のジャニーズグループの解散を使ってもいいけど、セミナーでは、「SMAPは国民的アイドルだから違う」という人が出てくると思う)。

では、日本のデータは限られた年の分しかないという制約をどうやって乗り越えるか?ひとつの方法が、たくさんの国のデータを使うという方法である。日本で50年分しかデータがなくても、100カ国あれば5000のデータポイントがあることになる。但し、たくさんの大きく異なる国を一緒くたにしていいのかという問題が起こる。そういう問題を不完全ながら回避するためにOECD諸国(いわゆる先進国)のデータだけ使うとかもできるけれども、日本とスウェーデンを一緒くたにしていいの?という疑問は残る。データポイントは多くなったけれども、日本とスウェーデンがいろいろな面で異なるということを考慮しすぎると、日本とスウェーデンで別個の回帰分析を行っているだけで、「多くの国を使うことによるデータの大きさ」が生かせなくなるからだ。

これと関連した方法は、国のデータでなく、例えば県別のデータを使うという方法もある。例えば、神奈川県だけ2016年に他の県より1円多く支出したとしよう。この場合、オリンピックやSMAP解散の効果は考える必要がない(実際は、おそらくセミナーでは、SMAPのファンの数が各県で違うからSMAP効果すら各県で異なるのではと聞かれるだろう)。全ての県で2016年にそれらは起こっているのである。このような状況は、各州が経済政策においてかなりの自由度を持っているアメリカで結構見られる。ある州が他の州とかなり異なる経済政策を実施する(最近の例で言えば、オバマケアの一部の導入を拒否したり)と、経済学者は色めき立つのである。このアプローチの問題点は何か?もし各県がかなり似ているのであれば、最初にあげた「完璧な実験」に近いのではないか、と思うかもしれない。但し、残念ながら、おそらく神奈川県が他県と似ていると考えるのは難しいであろう。それに加え、このようなアプローチにはもっと根本的な問題点がある。もし神奈川県の政府支出が大きかったことによって、神奈川県でビジネスが他県よりしやすくなったのであれば、もしかしたら企業が活動を東京都や千葉県から神奈川県にシフトしたかもしれない。この場合、神奈川県のGDPはより増え、東京都や千葉県のGDPはより下がることになる。但し、これは、ビジネスが移動しただけであり、国レベルで図りたい政府支出の経済効果とは異なった値(神奈川県のGDPの伸びのほうが大きく出てしまう)が求められてしまう。また、国全体でGDPが1円上がった時に日本全体の経済がどのように影響を受けるかというのは、おそらく神奈川県にのみ政府支出が増加した状況と大きく異なる可能性もある。いわゆる、外的妥当性(ある状況で得られた推定結果を他のもの(より広い文脈)に使っていいか)という議論である。

この例と関連した話を挙げておくと、例えば、ある小さい市(熱海市としよう)において政府支出を1円増やすというようなことは「実験」として可能かもしれない。但し、この場合も、熱海市において行われた「実験」から得られた政府支出乗数を日本全体の「完璧な実験」の結果と近いと考えてよいかというと、ここには巨大なギャップがあることがわかるであろう。ここで得られた実験の結果は、熱海であること、と熱海であることに関して目をつぶっても、仮想現実になっていないという問題点を乗り越えなければならない。特に、実験ができるような規模では、日本全体で政府支出が増加したときのマクロ的な効果がいろいろ出てこないことが容易に推測できるので、外的妥当性に大きく問題があると思う。

長くなってきたが、ここまで挙げた話は比較的簡単な話である。もっと重要な話は、これからなのだが、長くなってきたので、導入だけ書いて終わりにする。また、日本のデータに戻る。オリンピックやSMAPの解散が無かったとしても日本のデータをそのまま使うのに問題があるのは、次の理由にもよる。そもそも政府支出が増えるのは不況期である。不況は普通数年で終わる一方、政府支出の実施には時間がかかる。よって、政府支出が実施されるころには、経済が改善しつつあるかもしれない。この場合、政府支出によってGDPが改善されたのではなくても、そのままデータを見ると政府支出が増えたおかげでGDPが上昇したというストーリーと整合的なデータとなってしまう。このような問題を回避するにはどうすればいいのだろうか?とりあえず今日はここまでにしておく。

Random Thoughts on a Model by Tokyo Foundation

東京財団というところが、将来の消費税の税率を変えることによって、国の財政状況がどのように変わるかシミュレートできるモデルを公開していることを知った。簡単ながらいくつか感想を…

1. アメリカだとこういうことはよくCBO (Congressional Budget Office)がやっている印象がある。CBOは政府機関ではあるが、政府(の意向)とは独立して(ありえそうないくつかのシナリオに基づいて)このような試算をよく行っている。日本では政府の中に、このようなことを独立して実施する機関はないようなので、すばらしい試みだと思う。

2. Rで書かれているスタンドアローンのバージョンと、ブラウザ上で走らせることのできるバージョンがあるみたいだ。Rなんて使う気はしないし、複雑な計算をしているは思えないので、Excelで書いてくれるとうれしい。IMFだって複雑なシミュレーションをExcelでやっているんだから、Behavioral responseのない均衡を解かないモデルである限りできないわけはないと思う。

3. 将来の消費税率を変更した時に、経済成長率が影響を受けないことが、「非現実的」だと批判する人もいるらしいが、この仮定は中立的だという意味でリーズナブルだと思う。消費税率(あるいは一般的に経済政策)を変えた時に経済の動きがどのように変わるかということを考え出すと、どうしてもモデルの結果が恣意的になるので、経済政策が経済のパフォーマンスに影響を及ぼさないという仮定をきちんと明示した上で使う限り、この仮定でいいと思う。

4. 例えば、himaginaryさんがこのエントリで、消費税が引き上げられた時に経済成長率が下がる方が「現実的」(ブログのエントリのタイトルでは「もっともらしい」といっている)だと主張して、そのような要素を加えたモデルを考察しているが、こんなもん、現実的でもなんてもない、(もっともらしく見せた)恣意的な議論の好例である。消費税(あるいはVAT)が高い国は経済成長率が長期的に低いというような証拠は見たことがない(あったら教えて欲しい)。いわゆる(経済の構造が比較的似通っている)「先進国」の歴史を見ると、消費税の税率は国ごとに異なっているし、税率も時とともに変化しているけれども、経済成長率が消費税率と強く相関しているような話は聞いたことがない。(長期的な経済成長率が外生の)普通のモデルで考えても、消費税率を上げるとGDPの(成長率ではなく)「レベル」が下がることは考えられるけれども、その効果は一時的であり、成長率は長期的には元の外生的に設定されたものに戻るだけである。日本のデータにおいてこのようなモデルのインプリケーションが正しいかどうかは、期間が短い上に様々な要素をコントロールしなければならないので、良くわからないというのが正直なところだが、消費税率を上げると必ず経済が(長期的に)停滞するような証拠も乏しいと思う。

5. 消費税率が引き上げられると景気に悪影響を及ぼすと考える人たちでおもしろいのは、彼らはそういう意味でのラッファー効果(税率を上げると経済活動が停滞して税収が減少する効果)を強調しておきながら、個人あるいは法人所得税率の引き下げによる正のラッファー効果にはあまり興味がないように見えることである。消費税引き上げの効果のように需要サイドへの効果を経由するものは短期的な効果で、所得税のように供給サイドへの効果を経由するもの方が長期的な効果があると考えるのが普通だと思うのだが。

6. とはいえ、このような、経済主体が行動を変えないモデルは、普通は微々たる政策の変更の効果を見るためには近似として有効だけれども、(経済主体が行動を変えるに違いない)大きな政策の変化に対する効果を分析するモデルとしては不完全であることは、モデルの信用を維持するためにも、強調し過ぎてし過ぎることはないだろう。消費税率を1000%に引き上げた時のモデルの予測はおそらくいろいろな意味で非現実的なはずだ。そうであれば、モデルの生み出す予測の連続性から(by continuity)、ある程度大きな政策変化に関するモデルの予測も眉唾である可能性があるということができる。

7. 例えば、モデルの中で消費税率を大きく引き下げれば、おそらくは将来的な公的債務残高が大きく増加するだろう。この場合、さすがに国債の大部分を国内で買い支え続けることは現実的ではなくなってくるだろう。そういう状況で、海外の投資家が買う国債の量が増えていけば、今のように、公的債務拡大を続けても国債の金利が反応しない状況はいつか終わり、海外の投資家からはそれなりのリスクスプレッドを要求されるようになるんじゃないかと思う。このような変化はモデルに取り込まれているのか?