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Should Day Care be Subsidized?

今回は、Domeij and Kleinによる2013年のREStudペーパー、"Should Day Care be Subsidized?"について簡単に書いておく。

僕は、各国の保育所(Day Careの訳語として使う)の状況がどのように異なるか知らないのだけれども、彼らのペーパーによると、ドイツは、少なくとも2000年代の初めにおいては、保育所の整備という面では他のEU諸国に遅れをとっていたらしい。2006年ごろのOECDのレポートによると、OECD平均では23%の0-3歳児が保育所に入っていたが、ドイツではその数字は9%だった。4-6歳児においては、ドイツの数字は他のEU諸国に大きく劣っていたわけではなかったものの、ドイツの保育所はお昼ご飯なしの半日のものが大半だったらしい。彼らのペーパーによると、16%の子供にしか、全日の保育所の枠がなかったらしい。このような状況下、ドイツでは、保育所の整備が行われてきているようだ。このペーパーが書かれて以来どのように実施されているのかを調べる時間はなかったが、2008年には、全ての1歳以上の子供に保育所の枠があるようにしなければならないという法律が制定されたようだ。それに、今回のペーパーにかかわってくるが、保育所の費用の税控除という政策も議論されている。

なぜ、保育所にかかる費用を国が補助しなければならないか?いろいろな考え方があると思うが、とりあえず、すぐに思いつくのは以下のようなものである。
  • 保育所に子供を入れる費用、あるいは子供の世話を見るために労働時間を減らさなければならないことは、子供ののいる家庭に対する追加的な税金のようなものであり、特に独身の母親の労働供給を妨げる要因となっている。
  • 子供が増えることで、人口構成をバランスのとれたものにすることができ、年金や公的健康保険の運用をしやすくする。
  • 子供が増え、国のサイズを維持することで、大きな経済規模を維持することができ、かつ一般的に国力も維持できる。
ただし、2番目の議論は、一時的に高齢化が進み、人口構成が変化しているときにのみ成り立つ議論であり、人口構成が安定的な状態に落ち着いたあとでは、問題とならない(人口構成が安定すれば、皆働いているときに自分が払った分と同じ金額を(平均的に)受け取れば財政は長期的に安定する)。3番目の議論はちょっと話が大きすぎて、議論が難しい。そもそも、国が大きいことによるメリットはあまり明らかでない。というわけで、このペーパーでは、数字を議論しやすい1番目の議論に焦点を絞って、保育所に関する補助金政策の分析を行っている。またこのペーパーでは、子供を持つことによる幸福度の向上という難しい議論も避けている。

モデルの概要は次のようなものである。経済には、カップルと、独身の男性、独身の女性の家計が存在する。このタイプは生まれたときに決まり一生変わらない。カップルと独身の女性は、小さい子供を0-3人持っている。このタイプも外生的に与えられている。つまり、カップルとなるか、子供を持つか否か、あるいは何人持つかといった決定はモデルの外にあり、モデルの中の家計には外生的に与えられる。言い換えると、このモデルではカップルの割合や人口について議論することはできない。それぞれのタイプの家計の割合はドイツのデータと整合的に決定されている。それぞれの家計は、65歳まで生きる(退職後はモデルの外である)。各期各期、それぞれの家計は、いくら消費して、何時間働くかを決める。借り入れ制約は存在しない。それぞれの家計は1時間働いたときの賃金がデータと整合的なレベルで外生的に与えられている。

(子供のいない)独身の家計(男性の独身の家計は子供はいない)の問題はとても単純な、労働供給が内生化された(しかも、退職後のことを考えなくてよい)ライフサイクルモデルである。子供がいる独身の女性の問題は少し複雑である。小さい子供がいる場合、働いている各時間あたり、保育所に支払いをしなければならない。保育所の金額は、一定(=d)である。子供が複数いる場合には、各子供あたりdを支払うことになる。働いていない場合には、自分で小さい子供の面倒を見るので保育所のコストを支払う必要はない。

子供のいるカップルの家計の問題も似たようなものである。独身の家計との違いは、カップルのうち一人が家に残って子供の世話をすれば、保育所にお金を払う必要がないという点である。二人とも働いている時間は、各子供について、1時間当たりdを支払わなければならない(午前中は、片方が働いて、午後はもう一方が働くというようなことはできないことになっている)。

わかりやすく言うと、このモデルでは、小さな子供の存在というのは、労働時間に対する課税のようなものである。子供がいるメリットはモデル化されていなくて、ある家計は子供がいるのは前提とされている。子供がいると、面倒を見るために労働供給をあきらめるか、労働するため保育所のコストを払わなければならない。このようなモデルの中で、最適な政策を考えてみようというのがこのペーパーのやっていることである。

ちなみに、ちょっとデータを見ておくと、以下のグラフは、各年齢で、子供がいるかいないかで年間の労働時間がどのように異なるかを示している。週休2日で一日8時間働くと2000時間(30代以降のカップルの男性(右上のグラフ)が働いている時間に相当する)
カップルの女性(左上)も独身の女性(左下)も、小さい子供がいる場合(点線)は小さい子供がいない場合(実線)に比べて、労働時間が半分くらいである。独身の男性(右下)で子供がいるケースはとても少ないので無視されている。カップルの男性(右上)は、子供がいてもいなくても労働時間にあまり違いはない。なんとなくドイツというと、そうではないのではないかという印象があったが、日本のような感じだ。

では、モデルに戻る。政府は3つの政策を変更することができる。
  1. 保育所の費用のうち税控除できる割合。
  2. 保育所のコストに対する補助金。
  3. 資本所得に対する税率。
彼らは、簡単なモデルから分析を始める。もし政府が、各タイプの家計に対して、それぞれの政策変数を年齢に応じて変更することができれば、全ての政策を使わずに最適な状態を達成できる。各家計は2つの行動(消費、労働)を毎期決めるので、下記のタイプがNあるとして、各家計がT期生きるとすると、子供の存在によって各家計の行動にゆがみが生じていたとしても、経済の合計で2TNのゆがみが生じていることになる。その一方、動かせる政策変数は3TNあると仮定されているので、保育所の税控除か保育所もコストへの直接の補助金のどちらかを資本所得税と組み合わせれば、2NTの政策変数を使って2NTの意思決定決定に(好きなように)影響を及ぼすことができるので最適な状態が達成できるのである。

こういう話は、ぜんぜん面白くないので、もっと現実的なセットアップで最適な政策を論じているのがこのペーパーの売りのところである。まずは、所得に対する税金は、現在のドイツ経済のものを取り込み、変えられないとする。残りの政策は、保育所の費用の税控除、あるいは、保育所のコストに対する補助金である。政府はどちらか片方のみを実施するとする。税控除の場合は、全額控除とし、追加的な財政支出は、全家計の労働所得への定率課税でまかなうものとする。保育所のコストに対する補助金は、0-100%のどの水準も選べるが、全ての(小さい子供のいる)家計において同じ水準が適用されるものとする。前の例と同じように、追加的な財政支出は、全家計の労働所得への定率課税でまかなわれるものとする。

以下のグラフが保育所に関するそれぞれの政策の幸福度(welfare)への効果を示している。実線は、各家計の幸福度に均等ウェイトをつけて足し合わせた社会全体の幸福度(Utilitarian social welfare)である。点線のほうは、消費(幸福度)が低い家計に大きなウェイトを与えて計算した(具体的にはmarginal utility)社会全体の幸福度を示している。以下では実線の方を見ていく。
まず、左上のグラフは、保育所のコストのどのくらいの割合に補助金を与えるかによって、社会全体の幸福がどのように変化するかを表している。社会全体の幸福度は保育所のコストの50%を補填したときに最大化されることとなっている。50%までは幸福度は安定的に上昇するものの、50%を超えると社会全体の幸福度は減少していく。右上のグラフは、カップルの幸福度の変化である。左下のグラフは独身女性の幸福どの変化である。どちらも、保育所のコストの50%補助までは安定的に幸福度が上昇している。右下は、独身男性の幸福度の変化である。他の例と違って、彼らの幸福度は補助金の割合が上昇しても上昇しない。なぜなら、彼らは子供はいないので、保育所コストへの補助金の増額によってまったく恩恵をこうむらないからである。彼らは、保育所のコストの補填のために必要な労働収入への課税の増額によって、損をすることになる。でも、彼らの損は、保育所のコストの補填が50%を上回るまではぜんぜん大きくない。なぜなら、それまでは、保育所のコストの補助によって、女性の労働供給が上昇(し、課税ベースが拡大)するので、税率を引き上げる必要がないからである。保育所のコストの補助率が50%を超えると、労働供給増加の効果が小さくなるので、追加的な財政支出のコストを補填するために税率を大きく引き上げる必要性が生じ、全てのタイプの家計の幸福度は減少してしまう。つまり、保育所のコストへの補助金はある程度(50%)までは、小さい子供がいる家計の労働供給を引き上げることで社会全体の幸福度を引き上げる効果があるが、ある一定レベルを超えるとその効果は失われてしまう。もちろん、この結果は、(特に子供のいる家計の)労働供給の弾力性に大きく依存するので、たとえば日本にそのまま当てはめることはできない。

次に、保育所のコストを税控除できるようにした場合の幸福度への影響を考えてみよう。その効果は、上のグラフの、Y軸上のダイアモンド型の点で示されている。保育所のコストの税控除は、保育所のコストへの補助金の効果と同じく、子供のいない独身男性家計を除く家計の幸福度を高める効果があるが、その効果は保育所のコストの50%を補助した場合より小さいことがわかる。

日本の労働供給の弾力性や、家計の異質性(学歴の異なる家計)、日本の労働市場の特殊性(フルタイムとパートタイムの違い)、すでに退職した世代(彼らは独身男性家計と同じく、恩恵はこうむらないが、追加的な税制負担を労働収入への課税にすれば負の影響も少なくできる一方、所得全体に課税したり消費税を用いたりすると、彼らの負担も大きくなる)への影響、などを組み込めば(簡単だけれども)面白い分析になると思う。

What Really Really Happened to Income and Consumption Inequality?

家計レベルの消費を記録しているデータセットで最も広く使われているCEのデータを何も加工せずに使うと、1980年以来、所得の不平等の度合い(不平等の度合いを測る指標として上位10%の所得と下位10%の所得の比を使う)は大きく上昇した(36%)にもかかわらず、消費の不平等の度合いの上昇度は小さい(16%)ことがわかっている。

このような状況下、前回のポストでは、CEのデータを改善すると、消費の不平等の上昇度(30%)は所得の不平等の度合いに比べて上昇度が低いことはないという結論になるというAERのペーパーを紹介した。

ところが、NBERの最新のペーパー("Consumption and Income Inequality in the U.S. since the 1960s")で、MeyerとSullivanは別の方法でCEのデータを改善すると、やっぱり消費の不平等の上昇度は所得の不平等の上昇度に比べて小さいということを報告しているので紹介する。結局、消費の不平等の上昇度合いがどのように変化したかということについては、明確な結論はまだ出ていないのだろう。

いくつかのグラフを彼らのペーパーから転載する。上のグラフは、所得の不平等の変化を示している。不平等の度合いは、上位10%の所得と下位10%の所得の比(90/10比)であらわされている。税引き前の所得(ピンク色)も、税引き後の所得(えんじ色)も、1962年から2014年の間に大きく上昇している。彼らの計算によると、所得の不平等の度合いは29%上昇した。

次は、消費の不平等の度合いの変化を示したグラフである。加工していないデータは茶色、彼らが改善したデータは緑で示されている。レベルは違うものの、どちらも、1960年から2014年の間にあまり上昇していないことがわかるであろう。所得の不平等(紫色)の上昇度に比べたら変化はとても小さい。彼らによると消費の不平等は7%しか上昇していない。

では、前回のペーパーとどのように異なるのか?前回のデーパーでは、エンゲル曲線を使って家計レベルの総消費額のデータを計算した。今回のペーパーでは、常によく把握されているカテゴリーだけに注目し、よいデータであるカテゴリーから各家計の総消費額を逆算して各家計の総消費額を計算している。言い換えると、彼らによると、常によく把握されているカテゴリーの消費額の動きは、加工していない総消費額の動きとあまり変わらないということである。

では、所得の不平等と消費の不平等の動きはどうして連動していないのか?その問いに答えるため、彼らは、所得と消費の不平等の動きを、家計のタイプ別に計算した。上のグラフは、家計のタイプ別の所得の不平等の変化である。見やすくするために、全ての家計タイプの所得の不平等を1980年時点でゼロに基準化している。これを見ると、全ての家計タイプで、所得の不平等は高まっているが、高まり度合いは、独身の家計(濃い青および薄緑)で大きく、結婚している家計(紫および赤)および退職している家計(薄い青)で小さい。

最後に、消費の不平等の動きはこれらの異なる家計のタイプでどう異なるかを示しているグラフである。所得のグラフと同じように、消費の不平等の度合いはグループごとに1980年のレベルをゼロと基準化している。面白いのは、結婚している家計および退職した家計では、消費の不平等は所得の不平等ほどではないもの順調に上昇している一方、独身の家計の消費の不平等は所得の不平等の上昇傾向とは逆に低下傾向にあるという点である。著者らはこのことについて、(消費ではなく!)所得のデータが、独身の家計の所得をうまく把握できていないのではないかと推測している。

上で書いたとおり、消費の不平等がどのように変化したかについてはまだ決着はついていないのかもしれない。今後よりよいデータやよりよいデータの補完方法が出てくるのであろう。

No, Aging Did Not Cause the Secular Stagnation.

今回は、AcemogluとRestrepoによる最新のNBER Working Paper("Secular Stagnation? The Effect of Aging on Economic Growth in the Age of Automation")に触れる。とても短い論文だし、2017年のAEA年次総会で発表したと書いてあるので、おそらくはAER PPに載る論文なんだろう。

まずは、簡単にバックグラウンドから紹介しよう。普通の景気循環であれば、不況期にはGDP(生産活動)の成長率が急に落ち込むものの、その後の回復期にはGDPの成長率が急激に回復するのが常である。しかし、ほぼ全部の先進国では、2000年代後半の不況期以降、GDP成長率の急速な回復が見られない。下のグラフは、Summersが2016年2月に書いた記事と同じように、先進諸国の実質GDPの年間成長率の10年間の平均値の推移を示している(ソースはOECD。2016年以降はOECDの予測値)。
どの国も、1970年代以降、成長率が少しずつ低下し、2000年代初めのドットコムブームの後は、軒並み年率2%を下回っている。OECDの平均成長率も濃い青で示しているが、グラフにあるその他の国の動きと同じようなものである。このような成長率の停滞はSecular Stagnation(長期停滞)と呼ばれている。重要な事実は、この停滞はほぼ全ての先進国で起こっているという点である。よって、ある国に特有の理由によって説明してはならず、各国に同時に起こりうる説明でなければならない。例えば、日本において、生産性の低い企業が淘汰されていないから経済成長率が停滞したと言う議論は、日本の経済成長率が他のOECD諸国に比べて更に低いことの説明にはなるかもしれないけれども、大きな流れの説明にはならない。

このような長期停滞の裏にあるのは何であろうか?いくつもの仮説が提示されている。
  1. Summersは投資の需要の低さを強調している。ひとつ考えられるのは、コンピューター・オンラインサービスなどの重要性が増してくると、昔のように大型の機械に巨額の投資をする事が少なくなり、それが長期的な投資需要の停滞を生み出している。投資需要の停滞が総需要の停滞につながり、成長率を引き下げている。
  2. KrugmanはLiquidity Trap(流動性トラップ)の重要性を強調している。ゼロ金利制約に引っかかっている状況では、金融政策(政策金利の引き下げ)によって消費、投資などの総需要を刺激することが困難なため、総需要が停滞し、成長率の回復を妨げているのではないかというのである。但し、アメリカ・欧州・日本で行われてきている非伝統的金融政策はなんで効いてないのか?もし原因が通常の景気循環に対して金融政策で対処できないということであるならば、日本のように10年以上にわたってそのような不況が続くことが何でありうるのか?といった質問に答えられなければならない。後者の質問に対しては、いい均衡とゼロ金利に引っかかり続ける悪い均衡の二つがあり、悪い均衡にはまってしまうと脱出が難しいというような理論が提示されているが、このようなモデルは、急激な変化(1980年代の急激な地価上昇とその後の急激な低下のような)でも見られない限り、データによる正当化が難しいのではというのが個人的な印象である。
  3. Gordonなどは、そもそも技術革新のスピードが鈍った(インターネット以降、生産技術や生活を劇的に変えるような技術革新が起きていない)ことが長期的な停滞を引き起こしているのではないかという仮説を立てている。この仮説もデータから確かめることは非常に難しい。また、このような悲観論に対しては、1990年代初めにも同じことを言う人が言う人がいたけど、その後何が起こったか知ってるよな、という答えがよく返ってくる。
  4. BernankeはGlobal Saving Glut(世界的な貯蓄過剰)の重要性を強調している。中国やその他の途上国では貯蓄が大幅に増加しており、資源国では近年までは資源価格の上昇によって貯蓄が大幅に増えていた。そのような貯蓄の増加が世界の金利を引き下げ、またそのような貯蓄がドル資産などに向かうことで先進国の貿易赤字に結びつき、先進国のGDPの成長率を鈍化させた、という説である。
  5. 最後の仮説は、社会の高齢化をベースとしている。人口の高齢化に伴って、老後に備えるための貯蓄が増えて消費需要が停滞していること、そして、高齢化すると経済のダイナミズムが失われて技術革新が遅くなることを重視する立場である。
今回のペーパーでは、最後の仮説、つまり高齢化が進むと経済成長率が低下するという仮説をクロスカントリーデータで検証してみた結果、そのような仮説はデータでは支持されなかったということを示している。では、彼らのデータを見てみよう。まずは、高齢化に関するデータを示しているのが以下のグラフである。
緑色の線はOECD諸国における、50歳以上の人の人数の20-49歳の人の人数に対する比率である。しばしば、「依存人口比率」(dependency ratio)と呼ばれている。この数字が高いということは労働世代一人ひとりが養わなければならない高齢世代の人数が多いということである。今のOECD平均は0.9程度であるが、2050年には1.3を超えると予測されている。黒い線は全世界平均で、もちろんOECD平均より低い。日本はもっと高くなっている。

では、この依存人口比率が1990年から2015年の間に高まった国は経済成長率(一人当たりの実質GDP成長率)も低下するはずだという相関関係が、高齢化が長期停滞を引き起こしている場合に成り立っていなければならない。では、この二つをプロットしてみたのが以下のグラフである。
オレンジの点がOECD諸国、水色の点がそれ以外の国である。OECD諸国だけを見ても、全部の国を見ても、強い相関は見られない。それどころか、単純に線形回帰してみると、仮説が正しいときの場合とは逆に、正の相関がある。つまり、1990年から2015年の間に高齢化が進んだ国は経済成長率が低下するという仮説は彼らのデータからは支持されていない。逆に、経済成長率はわずかながら高まっている。

では、どうしてこのようなことが起こりうるか?彼らの仮説は、高齢化が進んだ国は、ロボットなど、労働力を使わない技術にシフトすることにより、生産性の低下を防ぐことができた、あるいは生産性が更に向上できたからだ、というものである。その仮設と整合的なデータとして以下のグラフが示されている。
X軸は前のグラフと同じく、高齢化の進み具合である。Y軸は、ロボットの使われる度合いが1993年から2015年の間にどの程度変化したかを示している。この数字が大きいということは、ロボットがより使われるようになったことを示している。日本がないように見えるのが残念だが、相関は正であり、彼らの仮説と整合的である。個人的には本当かなぁ、とにわかには信じがたい仮説なんだけど、まぁ、ちゃんと読んでいないので、批判のしようがない。簡単なデータ分析で大きなテーマについて直感的でない答えを出している、とてもprovocative(挑発的)な論文である。

Deflation and Economic Growth

しばしばデフレーション(財やサービスの価格の下落)が問題とされる。背後にあるのは、おそらくは以下のような懸念であろう。
  1. デフレーションが起こると名目ベースの債務の実質残高が大きくなり、債務負担が増えた企業の活動が停滞する。
  2. (継続的な)デフレーションは財やサービスの価格の継続的な下落であり、消費者が将来的な価格の下落を見込んで買い控えをし、需要不足の状況を生み出す。
  3. デフレーションによって実質賃金が上昇し、名目賃金の下方硬直性の元では、(実質)賃金の 高止まりが失業の問題を悪化させる。
その一方、デフレーションが必ずしも悪いことではないという言い方もできる。
  1. フリードマンルールの下では、適度で安定したデフレーションは最適な金融政策の結果と捉えることができる。デフレーションの下では貨幣が生み出す非効率は最小化されている。
  2. デフレーションは過剰生産の結果と考えることもできる。
結局のところ、 デフレーション自体は我々の幸福度には直接の関係はない。問題と考えられているのは、デフレーションが生産の停滞や失業問題の悪化を生み出す、あるいは、経済に非効率が生じている時にそのサインと考えられているからである。

では、デフレーションは実際に、データをみると、生産の停滞と関連しているのだろうか?最近VOX-EUで紹介されていたClaudio Borio, Magdalena Erdem, Andrew Filardo, Boris Hofmanによるワーキングペーパー"The Costs of Deflations: A Historical Perspective"では、この質問に答えるべく、38カ国の、通算140年間にわたるデータを使って、生産と財・サービスの価格の相関関係を調べたものだ。彼らの結果は以下のように整理できる。

(1) 財・サービスの価格の下落という意味でのデフレーションは頻繁に起こっている。特に第2次世界大戦前までは非常に多かった。

以下のグラフは、赤い点で、デフレーションが起こった年を示している。
 デフレーションは意外と頻繁に起こっていることと、戦後、特に1960年以降はとてもまれになったことがわかるであろう。日本人には驚くことではないが、日本で近年継続的にデフレーションが発生しているのは、とても目立つ。

(2) 全部のデータをみると、デフレーションの起こっているときの経済成長率は1.5%に対して、インフレーションが起こっているときの経済成長率は2.7%、つまり、デフレーションは経済成長の停滞と相関している。

下の表の1列目がその結果である。

(3) 但し、この負の相関は、大恐慌が起こった、2つの大戦の間のデータによって生み出されている。上の表の3列目が、1920年から1938年の間に絞った相関を示している。インフレーションの時期は成長率が3.5%である一方、デフレーションの時期の経済成長率は0.5%である。逆に、戦後のデータのみを使うと、デフレーションの時期の方が経済成長率は少しだけ高い。最後の行を見ると、デフレーションが起こっているときの経済成長率は3.2%、インフレーションのときの成長率は2.7%である。戦後に限っていえば、、デフレーションと低成長は一般的に一緒に起こっていないようだ。この関係は1913年以前についても成り立つ。1870年から1913年の間は、デフレーションの時期の経済成長率は1.5%、インフレーションの時期は1.6%で、ほとんど同じである。

下のグラフは、デフレーションの際(x軸が価格の下落率を示す)に、 GDP成長率がどのくらいであったか(Y軸)の相関を示している。
 左のグラフが全期間、次は1913年まで、その次は2つの大戦の間の期間、右のグラフは戦後を示している。デフレーションが起こっているときでも経済成長率は高いときもあれば低い時もあること、低い時期の方がちょっと多いのは主に戦間期であることがわかるだろう。

(4) 著者らは1990年以来の日本のデフレーションについて、特別にBoxで論じている。デフレーションが継続的に発生している1990年以降の経済成長率は低いといえるが、大部分は生産人口の減少によって説明できると述べている。いいかえると、日本の労働者一人当たりの経済成長率はそれほど悪くはない、というのが著者らの意見だ。

 上のグラフの左の図はインフレ率(赤)と実質経済成長率(青)が示されている。真ん中のグラフは資産価格だ。株価(赤)も住宅価格(青)もバブルの時期の終わり以降低空飛行を続けている。但し、労働者一人当たりのGDPを日本(赤の点線)とアメリカ(青の点線)で比べた場合、2000年以降は日本のほうがパフォーマンスはずっと良い。2000-2013年を比べると、日本の労働者一人当たりのGDPは20%増加したのに比べてアメリカは11%しか増加しなかった。

GDPだけ見ると1990年以降の日本は戦間期に見られたデフレーションと低成長の共存の例として考えたくなるが、ベビーブーマーの引退・高齢化といった要素を加味すると、そのような解釈は必ずしも正しくないともいえる。(ただ、2000年を基準とするのはどうか?1990年以降で計算すると、数字は出ていないが、日本はアメリカと同じくらいか低いように見える。)

Efficiency vs. Equity?

小塩さんの「効率と公平を問う」という本を読んだ。効率と公平にまつわるいろいろな話を、非専門家向けに書いた本である。よくこんなにカバーしたもんだと思うくらい内容が多岐にわたっているので内容を簡略に整理するのは難しいものの、以下に各章の要点を多少意訳しつつ書いてみる(内容を書いてしまうことに問題があったら教えてほしい)。その後で、ちょっとした感想を書いてみる。

第1章
  1. 経済学は公平性と効率性を同時に扱うことができるという面で他の社会科学より優れている。その一方、残念なことに、他の学問では注目されない効率性を議論するばかりに、人間性の欠ける学問として批判されやすい。
  2. 但し経済学が「公平性」を議論するのは難しい。主観的な基準に基づかざるを得ないからである。
  3. そのこととパラレルであるが、経済学ではしばしば社会的幸福度の最大化を行うにはどうすればよいかを考えるが、「社会的幸福度」の定義の仕方にはいろいろなものがあり、どれが正しいというものはない。「社会に属する全員の幸福度の和」として社会的幸福度を定義することもできるし、「社会に属する人の最低の幸福度」として定義することもできる。後者の意味での社会的幸福度を最大化するということは「公平性」のみ考えるということと同じである。
  4. 通常、経済学では、人々がリスクを嫌うという仮定によって、公平をモデルに取り入れる。まだ生まれていない赤ちゃんを考えてみよう。赤ちゃんの所得は生まれてから高いか低いかランダムに決定されるとする。その場合、リスク回避的な赤ちゃんはなるべく生まれたときに決定される所得の触れ幅が小さいことを望むのである。(所得がリスクの大きさによって影響を受けないとすると)生まれてからの所得のリスクを最小化することが人間が生まれる前の期待幸福度を最大化することにつながるのである。
  5. 但し、公平性と効率性の間にはしばしばトレードオフが存在する。公平性を高めるために所得税の累進性を高めると、生産性の高い人がよりがんばるインセンティブを阻害してしまい、経済全体の生産性が低下してしまう、というのが一例である。 

第2章
  1. 最近の実験経済学は、人間は上で述べたようなリスク回避行動だけで説明できない理由で格差を嫌うことが示されている。言い換えれば、人間は(自分と直接関係がなくても)格差が小さければそれだけで幸福度が高まる可能性示されている。
  2. その一方、最近の神経経済学の結果によると、その反対に、人間はねたみも感じることが示されている。
  3. アンケート結果によると、所得格差について人間がどの程度肯定的に考えるかは、現在の所得、最近の所得の変化率、将来の所得変化への期待によって影響を受ける。

第3章
  1. 日本は近年所得格差が広がったと一般的に思われている。そのことは正しいが、物事はもう少し複雑である。 
  2. 所得格差の度合いを示す所得ジニ係数(0だと格差がまったくない、1だと格差が最も大きい(一人以外はすべて所得ゼロ))は1992年は0.37であったが、2007年は0.45に上がった。一般的に考えられている格差の拡大と整合的である。 
  3. 但し、税金を引いて、年金や生活補助などの補助金を加えた後の、可処分所得で見ると、ジニ係数は19972は0.31、2007年は0.32で、あまり変わっていない。
  4. このことは、日本の所得再配分政策がうまく機能していることを示しているのであろうか?そうではない。所得ジニ係数と可処分所得ジニ係数の差は1997年は0.06であるが、そのうち、0.04は年金で生み出されており、0.02は税等で生み出されている。一方、2007年においては、ジニ係数の差は0.13であるが、年金によって0.12、税等によって0.02が埋められている。年金制度を老後に向けた貯蓄制度、税等を狭義の所得再配分と考えると、狭義の所得再配分はあまり機能していないのである。言い換えると、可処分所得ジニ係数があまり変わっていないのは、主に、年金を受け取っている引退世代が増えているからなのだ。 
  5. 他のOECD諸国と比べると、日本の所得ジニ係数は33か国中17位(順位が高いほうが格差が大きい)であるが、可処分所得ジニ係数は11位であり、日本においては退職世代以外の低所得者への所得再配分があまり働いていないように見える。
  6. 更に、退職世代間の格差も日本は大きいように見える。OECD諸国において、引退世代のジニ係数が労働世代のジニ係数より高い国は9カ国しかなく、日本はそのうちの一つである。
  7. 最後に、子供の貧困問題も日本は深刻である。子供がいる世帯の貧困世帯割合は日本は12.5%で、OECD平均の10.6%より少し高いだけである。しかし、親が一人である世帯に限定して計算すると日本の貧困世帯比率は59%、でOECD諸国平均31%よりずっと高い。

第4章
  1. 教育の格差が所得格差にどのように影響を与えているかの研究が重要であるものの、日本においては、その分析に必要なデータが限られている。
  2. 限られたデータから言えることとしては、まず、学校選択性は教育の格差を拡大しがちである。
  3. 高校卒業時の成績を説明する最も重要な要素は、中学入学時点(この時点のデータしか使っていない)での成績である。つまり、成績のよい生徒を「生み出す」学校は、入学の段階で成績のよい学生を取っているのである。
  4. どのような教育方法が学力向上に役立つかについてはあまりはっきりしたことはデータからわからない。一つ有効なのは、授業時間の長さである。クラスを小さくしたときに学力が上がるかははっきりしたことはいえないが、授業時間を長くすれば学力は上がるようだ。
  5. また、中学2年次における理数系の科目の学力は、どういった家庭に育っているかで多くの部分が決定されるようだ。

第5章
  1. 「世代間格差」という問題が最近日本で注目されている。
  2. どの世代が政府による所得移転(年金、税、生活補助、等を幅広く含む)によってどのくらい得あるいは損をしてるかを計算することができる。これを世代会計と呼ぶ。これによると(結果は計算の背後にあるさまざまな仮定にある程度依存するものの)、(1)退職した世代は政府に支払った金額よりも政府から受け取った金額がずっと多い、(2)現在働いている世代は、政府に支払った金額が政府から受け取る金額と同じくらいかちょっと上回る程度、(3)将来世代は政府に支払わなければならない金額のほうがずっと多い、ことがわかる。
  3. つまり、現在においては、退職世代は政府へ支払った額より多くをもらっているものの、その負担は今働いている世代多めに支払うことで返済されているわけではなく、将来の世代に先送りされているのである。
  4. 「世代間格差」問題があまり活発に語論されない理由は、(今のスキームが維持できる限り)今存在する世代はだれも大損をしないからかもしれない。
  5. このような状況が改善されるとは考えづらい。生まれてきていない、あるいは、まだ政治に参加できない世代の声は政治に反映されないからである。
  6. 但し、将来ある時点で、若年層が「反乱」を起こすことは考えられる。

こんなに書いてしまうと、筆者に怒られるかもしれない(そのときは削除する)。見てのとおり、内容は多岐に渡っているので、感想も取り留めのないものしかかけないが、以下にいくつか箇条書きしてみる。
  • 公平と効率にかかわるさまざまなトピックを一般の人がわかるように平易に説明していてすばらしい。数時間で読めてしまった。
  • 筆者は、最初に書いたとおり、経済学が効率性しか考えないようなレッテルを貼られがちなことを憂いているが、それにしても、(第2章以降)本全体が公平性に偏りすぎに思える。全体のトーンとして、「公平性と効率性のトレードオフを体系的に分析できる」という経済学のすばらしい点を押し出さずに、「経済学者は公平性も考えてるんですよ」といういいわけが過ぎるように思える。これでは逆に経済学の美しい点が台無しに思えてしまう。現在の日本(だけではなく世界)が直面する状況は公平性だけを前面に押し出して解決できるような簡単なものではないように思うのだけれど。
  • 神経経済学のようなトピックは流行りだし、非専門家に売り込みやすいのかもしれないが、第2章の内容は中途半端だと思う。第2章は、それ以降、公平性だけ主に見ていくための理屈付けに使われているように見える。「ねたみ」が分析したければ、external habitを入れればいいわけだ。external habitのものでの政策効果をシリアスに分析した論文もあるはずであるが、habitには触れられていない。第2章で紹介されているアンケート結果が、なぜリスク回避的な消費者と整合的でないのかについても僕は説得されなかった。
  • 僕は、年金制度は所得再配分機能のついた強制貯蓄制度のようなものと考えているので、所得格差を議論するときに、働いている世代だけでなく引退している世代も入れてジニを計算していることにそもそもビックリした。ちゃんとしたパネルデータがあるのなら、年齢別のジニ係数を計算するべきでは。それに、最終的に重要なのは生涯にわたる幸福度であり、生涯消費であり、生涯可処分所得であるにもかかわらず、見ているデータがあまりに限定的に思える。
  • 子供の貧困問題も、もっと詳細なデータがほしい。例えば、日本では、親が一人の世帯が他の国より少なくないのか?親が一人の世帯は一般的に所得が低いのであれば、そういう家計が少なければ自動的にそれらの家計の貧困率は上がる。そういう点を見せずに、大雑把なデータだけ見せられても説得力がない。
  • 世代間格差については、個人的には、現在の「先送り」スキームが(かなり早い)ある段階で維持できなくなり、年金制度(というか国家財政)が危機に陥れば、筆者が論じていたような「危機における助け合いの精神」が発揮されるのではないかと期待している。このことが実際起こるか、起こるとすればいつごろかを予測するのは僕には不可能だけれども、それによって年金制度等が持続可能なものに改革されるというのがありうるシナリオだと思っている。

Intergenerational Redistribution in the Great Recession: Did Anybody Gain?

なぜ金融危機が起きたかとか、どのように金融セクターの問題がマクロ経済全体に波及していったかというペーパーではないのだけれど、Great Recessionが異なる世代にどのように異なる影響を与えたかを分析したペーパー("Intergenerational Redistribution in the Great Recession," A. Glover, J. Heathcote, D. Krueger, and J.-V. Rios-Rull)について触れた後、この論文の結果に対して(若干の)異議を唱えた論文(今年のJob market candidateによって書かれた)にも簡単に触れる。

Great Recession(に限らずどの不況でも程度の差こそあれ起こることであるが)においては、GDP(家計の収入と言い換えてもよい)と資産価格(特に住宅価格)が大きく下落した。Great Recessionの底において、GDPは(トレンドと比較して)8.3%下落した。また、彼らの計算によると、資産価格の下落に伴い、家計が保有するリスクの高い資産(株式・持ち家)の資産価値は2007年から2009年にかけて32%も下落した。32%の下落の約半分は持ち家の価格の下落、約半分は株価の下落によるものである。

これらの変化は、異なる世代(年齢の家計)に対して、異なる効果を持つことは簡単に想像できるであろう。異なる世代への異なる効果を、緻密に分析したのがこのペーパーである。ペーパーでなされた緻密な分析を丹念に追ってゆくことはブログでは不可能なので、Great Recessionが異なる世代に異なる効果を与えうるチャンネルを一つずつ見てゆき、コンピューターシミュレーションで計算された、すべてを総合した効果を最後に説明する。

1. 不況に陥った際に資産を多く持つ世代の方が、資産価格の下落によって、より大きな損失を受ける。

上のグラフは、2007年における、異なる年齢の家計の平均の労働収入(実線)と保有する総資産価値(点線)を表している。一目見れば明らかだが、若い世代は資産が少なく、資産はだんだん増えてゆき、60-69歳にピークに達し、その後減少する。このようなパターンは、ライフサイクル仮説と呼ばれる理論によって説明できる。若いときはそもそも資産を持っていないものの、退職後の生活に備えて、働いている間はだんだん資産を増やしていく。60-69歳でピークに達するのは、そのころに大部分の家計が退職するからである。70歳以降はその貯蓄をちょっとづつ使っていくので保有資産額は減少してゆくのである。

それぞれの世代が、一定の割合でリスクの高い資産に投資しているのであれば、金額で見れば、不況が訪れて資産価格が下落した際には、資産残高の多い世代(特に60-69歳)ほどダメージが大きいということになる。

2. その一方、総資産のうちリスクの高い資産に投資されている割合は若い世代ほど高い。
彼らの計算によると、20-29歳は資産のうち135%がリスクの高い資産に投資されている。100%を超えているということは、レベレッジを利かせているということである。言い換えると、総資産の35%に相当する借金を負っているということになる。但し、容易に想像がつくと思うが、この大部分は持ち家である。若い家計は住宅ローンを借りて、資産保有高以上の価値の家を持っているのである。彼らのモデルでは家と株式を区別していないが、若い家計の持ち家を、株式を所有するようにモデル化するのは問題があるように思われる。

この割合は年齢の高い世代ほど下がってゆく。例えば、40-49歳では105%が高リスク資産に投資され、5%の借金を負っている。これが60-69歳になると、総資産のうち85%は高リスク資産、15%は低リスク資産という構成になる。70歳以上の家計では79%が高リスク資産、21%が低リスク資産という構成である。

これらは何を意味するか?1.とは逆に高リスク資産へより多くの資産が配分されている分、高リスク資産の資産価格の下落の影響は、今度は逆に、若い世代のほうが大きくなるのである。

では、これらを組み合わせて、2007-2009年における資産価格の下落が各世代の家計のどのような影響を与えたかをまとめたのが以下の表である。

Total Lossesという列を見ると、金額で、それぞれの年代の家計が資産価格の下落によっていくら損をしたかが計算されている。例えば、20-29歳の家計は平均して3万ドル(1ドル77円換算で230万円)の損失、40-49歳の家計は16万ドル(1250万円)60-69歳の家計は31万ドル(2400万円)の損失を被ったのである。結局、2に挙げたような効果はあるものの、やっぱり総産の多い60-69歳の家計のダメージが最も大きかったことがわかる。

その横の列には、総資産額に対する損失の比率が計算されている。比率で見ると、平均して、20-29歳は総資産の39%を失った一方、40-49歳は35%、60-69歳は29%と、年齢とともに損失が総資産に占める比率は低下している。これはまさに2の効果である。

3. 若い世代は一時的な収入の低下がその後の人生の幸福度に与える影響は比較的小さい。
では、Great Recessionで生じた収入および資産価格の低下が異なる世代の家計の幸福度(welfare)にどのような異なる効果を与えたかを考えてみよう。ここから先の分析にはモデルが必要になってくるが、モデルの詳細には立ち入らない。まずいえるのは、若い家計は、Great Recessionで(おそらく)一時的に収入が下がったとしても、その後に持ち直すことが予想されるので、一時的な収入の低下が一生の平均的な消費量に与える影響は小さいといえる。反対に、退職間近の世代は、収入が一時的に落ちたときにその後の人生の平均的な消費量に与える影響は比較的大きい。収入が落ちてからの平均的な人生の長さが短いからである。極端な話、死ぬ直前の人を考えてみよう。その人は資産を持ってなくて、すべての収入を消費すると仮定しよう。その場合、収入が10%落ちれば消費も10%落ちる。反対に、あと100年生きる人を考えてみよう。その人の最初の1年間だけ収入が10%落ちたところで、その下落分を100年間でならせば(利子とかは無視しておく)、各年の消費の下落はたったの0.1%である。つまり、不況が一時的なものであれば、不況がその後の人生の幸福度に与える効果は、若い世代ほど小さいのである。もちろん、この議論は、高齢の世代の、これまでの人生の幸福度を無視していることには注意が必要である。

4. 資産価格が一時的に低下している場合、これから資産を蓄積する若い世代は得をする。言い換えると、一時的な資産価格の下落は(資産を多く持っていて資産を売ろうとしている)高齢の世代から(資産をこれから買う)若い世代への所得移転の効果がある。
このポイントがこのペーパーの一番の売りである。Great Recessionでは誰もが(程度の差こそあれ)苦しむと考えるのが普通であるが、このチャンネルの強さ次第では、若い世代は「不況で得をする」ことが理論的にはありうるのである。

5. Great RecessionではGDPが8.3%下落したが、労働収入の低下度合いは世代によって異なっている。特に、若い世代の労働収入の低下が大きい。
GDP(彼らのモデルでは総労働収入と同じ)は合計で8.3%下落したものの、各世代を見てみると、労働収入の低下度合いは異なる。

上の表は、それぞれの世代の労働収入が、2008年と2010年の間で平均してどの程度下がったかを整理している。20歳台と30歳台の労働収入は11-12%も下がっている一方、60-69歳の収入は6.2%しか下がっていない。このチャンネルによると、Great Recessionの不の影響は若い世代ほど大きいということになる。ただ、この違いは主に失業率の違いから生み出されているのではないかと思う。そうであれば、「平均的には」若い世代の収入の落ち具合が大きいが、若い世代の中の格差を見なければ厳密な議論はできないと思う。

では、上で述べたような要素をもったモデルで、Great Recessionが与えた各世代の幸福度への影響の違いを計算し、整理したのが以下の2つの表である。一つ目は、5、つまり、年代による収入の低下の違いを考慮しないケースである。幸福度は生涯の消費の何%下落に相当するかというものさしで測られている。例えば、ー3%というのは、Great Recessionによって被った幸福度の下落が、各年の消費をちょうど3%づつ削ったのと等しいことを意味する。

なお、1列目の1-6は20-29歳、30-39歳、…、60-69歳、70歳以上、に相当する。また、結果が3列あるが、左から、Risk Aversionが1,3,5に相当する。彼らは、Risk Aversion=3を最も標準的なケースとして扱っているので、真ん中の列に注目しよう。ちなみに、想像通り、Risk Aversionが高いほど(右へ行くほど)Great Recessionが幸福度に与えた影響は大きく(より深刻に)なっている。なお、このシミュレーションにおいては、Great Recessionは10年続いて、その後は経済は通常の状態に戻ると仮定されている。驚くべきことに、20-29歳の世代は、Great Recessionによって、得をする(0.33%の消費の増加という微々たるものであるが…)のである。若い世代が得をする効果を生み出すチャンネルは3と4、特に4である。若い世代にとっては20歳台のときに一時的に収入が下がっても一生の消費に与える影響は小さい(これは3)。更に、資産を蓄積するときに、高齢の世代から資産を安く買い取ることができるので得をするのである。価格が安いのに何で高齢の世代は資産を売るのかというと、彼らはまもなく死ぬし、子孫に遺産を残すことは仮定されていないので、死ぬ前に消費するためには資産価格が安かろうが売るしかないのである。言い換えれば、もし、子孫兄さんを残すことができて、それによって幸福を得られるのであれば、高齢の世代のダメージは小さくなるはずである。極端な例では、Ricardian Equivalenceのときのように、Dynasty(異なる世代が遺産を通じてつながっていてあたかも一つの永久に生きる消費者のように行動すること)が作れれば、世代による違い自体が消えうせる。

その後は、40-49歳は約2%の損失、60-69歳は6.2%の損失というように(monotoneではないが)大体年齢とともに、Great Recessionによる幸福度への負の影響は増加してゆく。70歳以上にいたっては、9.2%の消費に相当する幸福度の損失を被ることになるのである。

次の表は5、つまり、若い世代の収入の低下幅が大きいという仮定(データに基づく)を入れたものである。

だいたいその前の表と同じだが、若い世代の幸福度が全体的に下がる一方、比較的高齢の世代の幸福度の低下幅が小さくなっている。これは驚くべきことではない。単に、若い世代は収入がより大きく低下し、より高齢の世代の収入の低下幅が小さくなったからである(5で示した表を思い返してほしい)。例えば、20-29歳は、前の表では、Great Recessionによっ幸福度が増加するというちょっと驚くべき結果が出ていたが、その効果は(まだ幸福度の低は幅は小さいものの)消されてしまった。

では、この計算はどの程度信用できるであろうか?job marketに出ているので、あまり詳しく書くのは控えるが、あるペーパーでは、3つの問題点が提起されている。
(1) 若い世代は安い価格で資産を買いたくてもたぶん流動性制約に引っかかって買うことができないので、若い世代は結局安い資産価格の恩恵を享受できないのではないか。
(2) 上であげたペーパーは各世代の中の格差を捨象している。若い世代のうち、多くの家計は平均で見る以上に借金をしている。よって、若い世代の中でも、資産価格の下落で大きく損をする家計も存在する。
(3) データで見ると、若い世代の消費量、持ち家の資産価値、その他の資産の保有残高、は2007年と2009年で減少している。このことは、若い世代が得をするという理論と整合的ではない。
どの指摘も最もだと思う。これらを考慮したうえで、このペーパーでは、若い世代の幸福度も消費換算で平均5%下落したと計算している。

細かい点はいろいろ突っ込みどころがあるが、不況が異なる世代に与える異なる影響を綿密に分析したというのはとても面白い。

Rant on "Inter-Generational Inequality"

すっかりご無沙汰になってしまったが、holiday seasonなので最近読んだ論文なり注目しているテーマについて書くのは一休みして、ちょっと別のことについて書いてみたい。最近よく見る、「世代間格差」というテーマについてである。僕がこれから書くことが必ずしも正しいとはいえないが、少なくとも、「世代間格差」の問題は、簡単なものではないような気がする。

最近よく見る論調として次のようなものがある。非常に大雑把に書くので注意してほしい。団塊の世代(1940年代終わりごろに生まれた世代。今は60-65歳あたりで、最近退職したり、もうすぐ退職しようとしている人たちである)は、年金制度において若い世代よりずっといい目を見ることになる。団塊の世代の人たちは死ぬまで(おそらくは大幅な減額なしに)年金を受け取れるけれども、今の若い世代が退職するころには年金制度が維持できるかわからない。おそらくは年金受給額は少なくなり、年金を受け取りはじめることのできる年齢も上がるであろう。これは不公平ではないか、というものである。この論調は本当に正しいか。正しいかもしれないが、そうではないかもしれない。

では、年金制度とはどういうものかを考えてみよう。年金制度というのは、ある意味、子供が親を経済的に支援するということを国が肩代わりしているというようなものである。子供が親に直接お金をあげる代わりに、政府が子供から税金を取って、親に与えているのである。じゃ、政府がやらなくてもいいじゃんということもできるが、子供が多かったり、子供ができなかったりする人がいると不公平になるし、子供が高収入になるか低収入になるかによっても不公平が生じるので、国が平準化(smoothing)してあげているのである。このことの自然な帰結として、この制度は子供がどんどん生まれてくれないと困るということができる。

では、団塊の世代と今の若い世代を比べると、よく言われているとおり、子供の数は今のほうが圧倒的に少ない。これはどこの先進国にも多かれ少なかれ当てはまる。つまり、団塊の世代はちゃんと年金制度を維持するために子供を作ったけれども、それより若い世代は年金制度を維持するために必要な行動をしていないのである。こういう状況で、団塊の世代が年金制度の恩恵をより多く受けることが「不公平」であろうか?子供を作るというのはある意味将来への貯蓄の代わりをしているともいえるので、貯蓄をしないで人の貯蓄に頼っているようなものである。

別の言い方をしてみよう。もし、子供を育てることにより、自分の自由に使える時間が少なくなり、幸福度(utility)が下がるとしてみよう(もちろん子供が幸福度を高めるという仮定も十分真実味がある)。子供の世話に忙しいとハワイに行ったりできないのである。あるいは、自分のために使える時間が多いから、より長く働くこともできるので、収入も多くなり、幸福度も増す。子供を学校や塾に通わせるのに必要なお金を払うと、プラダのバッグとかが買えないのである。こういう要素まで加味するとしたら、年金制度を維持するのに必要な数の子供を育てることによって幸福度を犠牲にした団塊の世代の人たちに、より年金を振り向けることこそ、公平なのではないだろうか。つまり、古いケインズ経済学からそうなのだが、お金(年金の金額)だけ見て公平、不公平、を語るのは、おおむね正しいこともあるが、しばしば浅い議論なのだ。

もうひとつ別の側面を見てみよう。団塊の世代の人たちまでは年金を受け取れるひとつの理由として、経済成長率が高かったことがあげられるだろう。経済成長率が高ければ子供の世代の収入は親の収入よりずっと大きいということなので、親を養うために子供から比較的大きな金額を取っても大丈夫なので、年金制度を維持しやすい。年金制度が維持しづらくなってきた理由のひとつはいわゆる高度経済成長期に比べて経済成長率が停滞したことともいえる。このことを見て、高い経済成長率の時代を生きたラッキーな団塊の世代が年金を「とり逃げ」するのは不公平だといえるだろうか?そうかもしれないし、そうではないともいえる。たとえば、団塊の世代は、今の世代よりずっと長く働いたかもしれない。土曜日も出社し、残業も多かったかもしれない。不満があっても、ひとつの会社で勤め上げた人も多かった。そういう世代は、ひとつの会社にとどまり、長く働いたことで、各社に固有の人的資本をきちんと積み上げたので、結果として経済成長率が高かったという議論もできるかもしれない。今の世代は、昔より好きなことをやっている分幸福度は高いかもしれないが、経済成長への貢献度が低いのかもしれない。こういう状況を考えると、団塊の世代により年金を配分すべきだという議論は正当化できる。

さらに、経済成長という側面もある。異論はあるかもしれないが、一人当たりGDPで幸福度を比べた場合、今の若い世代の幸福度の方が団塊の世代の幸福度より高いはずである。そういう状況下であれば、年金の配分を考える場合に各世代の幸福度を平準化しようとするならば、団塊の世代により手厚くすべきという結果になるはずである。

もう少しメカニカルな言い方でまとめると、年金制度の維持のために重要な指標である、n(人口成長率)やg(一人当たりGDP成長率)を外生変数(誰も変えられない変数)として行われる議論や、c(一人当たり消費)のみを幸福度(utility)の尺度として使っている議論、は危ういところがあるということが言いたかった。政治的要素を加味した実現可能性を無視して書くが(個人的にはIRA(個人年金口座)に早く移行してほしいと思っている)、年金の受給額はその世代の子供の数とその世代が働いていたときの経済成長率と強く連動させるのはどうであろうか?

How to Finance Reconstruction after the Earthquake?

東日本大震災について、何かか書けることはないかと考えつづけていたところ復興のための資金をどのようにファイナンスするかという話をそこかしこで読んだ。特に、小峰さんという方が日経ビジネスに最近書いた記事は(2ページ目以降は登録しなければならないので読んでいない)とてもわかりやすく書かれていた。今回のエントリーはこの記事(の1ページ目)に触発されたものである。小峰さんの議論とぶつかる書き方をしているが、総論として反対しているわけではないと最初に書いておきたい。

まずは、恥ずかしながら、日本の財政状況についての知識があまりに乏しいので、データを眺めてみた。そのままの専門用語を使って整理するとわかりにくいので、普通の家庭に置き換えて財政状況を把握するところからはじめてみる。金額もそのまま書くと大きすぎて僕のような頭ではうまく把握できないので、一般家庭の数字に近くなるように適当な数(1千万)で割っておく。

日本政府を一家庭と考えてみよう。2011年度の収入(税収が主である)は480万円である。利払いとかを除いた支出は710万円を予定している。710万年の支出とはいえ、そのうち290万円は同居する親の世話(社会保障費)に使うことになっている。その分を差し引くと自分の家族に使う支出(支出ー社会保障費)は420万円しかない。それに加えて今借りているローンの利払いが100万円、借り替えなければならないローンが110万円ある。合計すると総支出は920万円(710+100+110)である。とてもじゃないけど、480万円の収入ではどうしようもないので440万円を新たに借り入れる予定にしている。収入と同じ額を借りるなんてものは通常の家庭じゃあ考えられない。政府でも考えられない状況ともいえるが、このことは今回の趣旨ではないので特にこれ以上掘り下げない。

これまで借り入ればかりしていたので、ローンの残高が8920万円(長期債務残高)も残っている。今年の収入の大体20倍である。この数字も一般家庭ではありえないとんでもない数字である。一方、日本の場合、この債務のかなり多くが国内で保有されているという側面もあって、この数字をどのように解釈してよいかという問題点もあるのだが、今回のエントリーの趣旨ではないのでこれ以上は深入りしない。借金が大量にある一方、将来子供を大学に通わせるための資金(College Fund)として1270万円を貯金してある(厚生・国民年金積立金残高)。

このような状況下、急に大怪我をした(東関東大震災)としよう。治療のためには今年と来年で200万円は必要とのことである(20兆円という数字は小峰さんの記事から借用させてもらった)。とはいえ、とりあえずの応急措置として、40万円が必要とのことなので、急いでお金を工面することにした。とりあえずは、15万円は支出の切りつめ(無駄に高いハワイ旅行を計画していたがあきらめた)で、残りの25万円は、子供の大学用の資金を取り崩してまかなうことにした(40兆円の第1次補正予算)。

これが、東日本大震災後の状況を一般家庭に置き換えて表現してみたものである。では、2011年度の収入の約半分にも上る200万円をどうやってファイナンスすればよいであろう。一般論として、以下の4つのオプションがある。

(1)支出を切り詰める
(2)収入を増やす(増税。一般家庭では増やそうと思っても簡単に増やせるわけではないので、一般家庭に置き換えるとちょっと無理があるかもしれないが政府には可能である)
(3)借り入れを増やす
(4)子供の大学用の資金をさらに切り崩す

実際、大学用の資金(年金積立金残高)の約1/6を使うだけで復興用の資金(200万円)はファイナンスできることに僕は驚いた。おそらくは年金基金は少なくない割合を国債で運用しているであろうから、年金基金の取り崩しは市中に出回る国債を増やすという意味で、国債の増発と変わらないような気がする。メリットは、たいした話ではないが、「国債増発」に比べて、見た目があまり悪くないということだろうか。

借り入れの残高に比べると、復興用に必要な資金はたったの0.4%である。だからといって国債を増発して全然問題ないという議論につなげる気はないが、現時点での借り入れ残高に比べればとても小さいし、社会保障費のような長期的に続く支出ではなくて、1回きりの特別なケースであるということを書いておきたい。

デメリットはなんだろう。せっかく子供の大学のためにためておいたお金(将来の年金支払いのための資金)がなくなってしまうということもできるが、お金に色はない。所詮は貯蓄を切り崩すかローンを増やすかという違いなので根本的には違いはないといえる。「子供の大学用」とちゃんと用途を決めてお金を別にしておくことで、そのお金を通常の支出には使えなくし、無駄使いを抑制する規律になるという議論もできると思う。年金のために取っておいたお金を使うなんてとんでもない、と感じたり、主張したりする人の頭にあるのはこの議論だと思う。このような議論に対しては、日本政府の規律をそんなに信用できるか、と問いたい。

それに、ちょっと逆説的な議論に聞こえるかもしれないが、年金基金の残高なんてものは早くなくなるに越したことはないとも言える。年金基金の残高がどのように推移するかの予測は最近見たことはないが(「信用できる」数字はどこをさがせばよいのか誰か教えてほしい)例えば現時点で40歳より若いような人が年金を受け取るときには、この積立金はおそらくなくなっている。どうせ若い人は手にできないんだから、早めに問題を顕在化させて、なるべく「受け逃げ」できる世代を減らして、多くの世代で問題を共有させた方がよいとも言えるのではないか。

とても大雑把な議論で、かつデータにも詳しくない身なので、コメント等大歓迎したい。

Japan slapped with D grade

MercerというシンクタンクがオーストラリアのAustralian Centre for Financial Studiesという組織と組んで、さまざまな国の年金制度をランク付けしている。各国の年金制度をさまざまな点から評価して0-100点に換算し、80以上はA、65点以上はB、50点以上はC、35点以上はD、それ以下はEというレーティングをつけている。予想通り日本は先進国中最下位で評価は先進国中唯一のD、中国とほぼ同レベルである。一覧表をコピーしておこう。



ソースは少し前のEconomistの年金特集である。将来の年金の支払いのために積み立てたはずのお金を復興のために使ってしまうというニュースも最近聞いたが、この調子が続くと、いつまでまともに年金を支払えるのであろうか?

Macroeconomic Effects of the Child Subsidy Revisited

宇南山さんが子供手当てなどの補助金政策が景気に与える影響について書いている。僕が以前書いたエントリとも関連しているので興味深く読んだ。日本で人気のあるケインズ的な政策が、最先端の研究動向から見て1周ではなく2周遅れであるために、偶然にも最新の研究結果と整合的である、という指摘はうまい書き方である。とはいえ、結びにおいて、「最新の研究の政策的インプリケーションは、新しいマクロ経済学より教科書的なケインズ経済学に近い」と書いているが、僕はこの認識を共有しない。まずは、なぜ違和感を感じるかを書いてから、子供手当てがマクロ経済に与える影響について、再度もう少し丁寧に書いてみる。考えながら書いているので、後であわてて直すかもしれない。

まずは、彼の結論に対して以下の3点を指摘したい。

(1)彼が引用しているShapiro and Slemrod(AER2009)は、2008年のTax Rebateによって総消費が増えたという結果を示している。Tax Rebateなり子供手当てなりが、borrowing constraintに引っかかっている消費者に行きわたる限りは、消費が増えるのは当然である。消費の反応の程度がどのくらい大きいかという点については、まだ、現在存在する推定値をさらに精緻なものにする余地はあると思うが、子供手当てが消費を刺激するという点については理論的にも経験的にも異論はないと思う。この認識は特別「ケインズ的」「行動経済学的」なものではないし、特段新しくもない。Borrowing constraintなどのRicardian Equivalenceが成り立たない例は普通の教科書でもカバーされている。

(2)ただし、総消費が増えることは、必ずしもGDPを増やすことと一致しない。
GDP = 消費 + 投資 + 政府支出 + 純輸出
という関係を思い浮かべて、消費が増えれば左辺のGDPは自動的に増えるように考えている人が多いように思われる(僕でも見たことのある古典的なケインズ経済学はもう少し複雑だが捨象する)。こういう考え方はケインズ的だ。子供手当てを推し進める背景にはこういう考え方があるのかもしれない。

(3)一方、ケインズ的でない普通の経済学においては、単純化すると、GDPを増やすには技術革新(A)が進むか、資本投入量(K)が増えるか、平均的な教育水準(H)が上がるか、労働投入量(L)が増えなければならないが、子供手当てのような補助金がGDPを増やす役割があるかはまだはっきりした結論が出ていないと思う。「景気対策」という言葉を使うと、いかにもGDPが増えそうであるが、子供手当てのような補助金で確実に期待できるのは、他の条件を一定のものとすると、補助金を受け取った一部人の消費が増えて効用が高まる(お金をもらえば効用は高まると仮定している)、ことだけである。あえて言えば、補助金は(GDPを増やさないという意味で)後ろ向きの景気対策でしかないかもしれない。

では、子供手当てからはどのようなマクロ経済効果が期待できるか。以下に列挙していく(以前書いたこととほとんど変わらない)。

1.所得移転効果
該当する子供のいる人は可処分所得が増えて効用が上がる。該当しない人は影響を受けない。

2.Borrowing constraintの緩和
ラフな言い方をすると、お金に困っていた人は、買いたかったけど買えなかった物が買えるので消費が増えて効用が大きく改善する。お金に困っていなかった人の短期的な消費にはあまり影響は与えない(consumption smoothingが働くので)。

3.直接的な所得効果
可処分所得が増えた人は、労働時間を減らす可能性がある。特に、Borrowing constraintに引っかかっていた人に顕著に出る可能性がある。但し、このような人は平均的に生産性が低かったり労働時間が高くなかったりするかもしれない。その場合、労働時間の減少が与えるマクロ的効果は小さい。

4.間接的な所得効果(消費)
国の債務の増加は将来の増税である。子供手当ての対象外の人は生涯所得が減少するので消費を減らし、貯蓄を増やす。子供手当てを受けとった人は貯蓄はかわらない(全部使ってしまった場合)か増加(全額を使わなかった場合)する。

5.間接的な所得効果(労働)
生涯所得が減少した人は、労働時間を増やす可能性がある。そうであれば、GDPは増加する。

6.資本減少
GDPが大きく増加しないとすると、総消費が増えるということは総貯蓄が減少するということである。closed economyであれば、将来使用可能な資本が減少し、将来のGDPを減少させる効果があるかもしれない。但し、small open economyであれば、この効果はない。どちらがよりよい近似なのかよくわからないが、いずれにしてもこの効果は大きくないのかもしれない。

7.人的資本蓄積
子供手当てによって子供の教育にかけるリソースが増えれば、子供に蓄えられる人的資本が増加する。但し、この効果は長期的、かつ測るのが難しい。

8.少子化対策?
お金がないので子供の人数を抑制していた人がいたとすれば、子供手当ての存在によって、子供の人数が将来的に増える。子供が増えれば将来のGDPは増える。但し、この効果は長期的なもので測るのが難しい上、子供の平均的な能力が下降すれば一人当たりのGDPは減少するかもしれない。

9.政府支出代替
他の目的で使う予定であった予算が子供手当てに振り向けられた場合、その支出によって得られたであろう効果が失われる。

要約すると
(1)子供手当てによって対象となる人の可処分所得が増える(所得再配分)。
(2)民間総消費はおそらく増える。
(3)GDPへの影響は、生涯所得が減少した人の所得効果の強さ次第(未決着)。

Baby Boom and Baby Bust

前回、労働者の年齢構成がどの程度GDPの振れの大きさに影響を与えるかというトピックを扱ったが、年齢構成がマクロ経済に与える影響というトピックを語る上ではずせない(と僕は思う)論文、Mankiw and Weil (RSUE1989)を簡単に扱ってみたい。これは、Mankiwの論文の中で、僕が好きな2つのうちの一つである。

古い論文だけれどもなぜこの論文を取り上げるのか?
1.経済の年齢構成がどのように住宅価格に影響を与えるかという重要なトピックを、シンプルかつ明快なストーリーを使って分析している。
2.主要な結果がセンセーショナルであったことから、物議をかもした。なぜ彼らの結果が間違っているか、という論文がたくさん書かれた。
3.結果がものの見事に大外しだった。僕はあまりいろいろな分野の論文を知っているわけではないけれども、ここまで有名な大外しは他に見たことがない。しかし、外れ方があまりに見事だったことから、何でおかしいかを考えることでとても勉強になる。実際、何で間違ったかという論文も書かれている。

では、内容を軽くまとめてみよう。住宅需要(大雑把には住む家のサイズと考えればよい)を縦軸、年齢を横軸にとると、そのグラフはこぶ型(hump-shape)になる。多くの人は20-30歳に親元を離れて自分の家を借りるなり買うなりし、その頃結婚したり子供ができたりすると家のサイズも大きくなる。30-40歳ごろをピークに、住宅需要はなだらかに減少していく。子供が家を出たり、退職後の生活資金の足しにするため小さい家に移ったりするからだ。

一方、アメリカでは、ベビーブームが1950年代後半に起こった。ベビーブームの影響がどのくらい大きかったかというと、1960年には20-30歳(住宅需要が激しく増加する年代である)が総人口に占める割合は13%だったのが、1980年には20%まで上昇した。1980年以降、ベビーブーマーの年齢が上がっていくと、この割合は減少していくと予想されていた(実際、2008年の20-29歳の割合は14%程度である)。

この二つの事実を組み合わせればどういうimplicationが出てくるか容易に想像できると思うが、住宅需要と年齢の関係が安定的だと仮定すると、べビーブーマーが20-30歳になるにつれて、総住宅需要は増加し、べビーブーマーの年齢が30歳を過ぎてゆくにつれて総住宅需要は減少すると予想される。

さらに、彼らは、上の議論から導き出された総住宅需要が、住宅価格と密接に動いていることを示した。例えば、ベビーブーマーが20-30代になる前の1950年から1970年ごろの間は、彼らが分析に使った住宅価格は下落している。逆に、1970年から1980年の間、ちょうどベビーブーマーが住宅需要を増加させる時期には住宅価格は大幅に上昇した。この総住宅需要と住宅価格の関係が将来にわたっても安定的であれば、1980年代以降、総住宅需要が減少していくにつれて、住宅価格も下がっていくことが予想される。

彼らの結果でもっとも脚光を浴びたのはその数字の大きさであった。彼らは、将来の人口構成についての現実的な見通しを彼らのモデルに入れてみることで、1987年から2007年の20年間の間に、実質住宅価格は47%下落するという結果を得たのである。では、実際は何が起こったか?2007年は住宅価格の最近のピークだったので結果が少し誇張されると思うが、ある住宅価格指数によると(とりあえずFHFAのHPIをCPIでデフレートしてある)、1987年から2007年の間に実質住宅価格は48%増加したのである。彼らは論文の中で、彼らの数字はいろいろな仮定に強く依存しており、-47%という数字を額面通りにとってはいけないと再三論じているけれども、効果なしであった。-47%という数字は一人歩きしてとても有名になったのである。

ただ、2007年までは間違ったとはいえ、経済学者にありがちな詭弁ととられるかもしれないが、完全に間違ったわけではない。彼らの主張するロジックは有効なんだけれども、何かの理由でその発現が遅れているのかもしれないし、彼らが考えなかった他の要素の力があまりに強すぎて彼らの主張するメカニズムはかき消されたのかもしれない。日本の住宅価格の低迷は、2次にわたるベビーブームの後の総住宅需要の下落に伴う必然の結果だと考えることはできないであろうか?

Demography, Life-Cycle, and Business Cycles

今回はJaimovich and Siu (AER2009)について書いてみる。多くの国で、過去50年の間に、労働者の年齢構成は大きく変化した。ベービーブーム、出生率の低下(少子化)、平均寿命の上昇(高齢化)、(主に結婚している)女性の労働時間の増加、早期退職、などの要因が複雑に絡まりあっていることから、各国で労働者の年齢構成の変化の仕方は大きく異なっている。

労働力は生産にとって(最も)重要な要素であることから、労働力の量・構成が変化すると、マクロ経済に大きな影響を与えると考えられる。個人的にはこのような理論はスケールが大きくて好きだ。簡単な例としては、シンプルな成長論で使われる成長会計(growth accounting)だ。労働力が大幅に増えれば、GDP(一人あたりGDPではない)は大幅に増加する。日本だって女性が皆子供を8人生むようになれば、GDPはあっという間に上昇する(おそらく一人当たりGDPは(最低短期的には)低下するけれども)。

Jaimovich and Siuが注目したのは、労働力の年齢構成がGDPの振れ具合(volatility)にどのように影響を与えるかである。多分この研究を始めるきっかけになったのは、The Great Moderation(アメリカにおいて景気循環の振れ具合が1984年以降大幅に低下した事)の背後に、労働力の年齢構成の変化があったのではないかという推論だ。現在のrecessionの真っ只中で、The Great Moderationについて語るのはちょっと場違いな感じもあるが、この論文が注目されいた頃は、The Great Moderationの背後にある要因の分析(主な対立軸は「金融政策がよくなったからだ」というグループと、「運がよかっただけだ」というグループ、「金融セクターの発達によるものだ」というグループの三つ巴であった)が盛んであった。まぁ、今回のrecessionが終わって再び景気循環によるGDPの振れ具合が小さくなれば、この研究プログラムも再び活性化すると思う。

横道にそれてしまったが、どういう経路で、労働力の年齢構成がGDPの振れ具合に影響を与えることができるであろう。Jaimovich and Siuが注目したのは、平均労働時間がどのように景気に影響を受けるかは各年齢層によって大きく異なるという事実である。特に、若い労働者(彼らの分類では15-29歳)と、退職間近の労働者(60-64歳)の平均労働時間は景気に大きく影響される(景気と強い負の相関を示す)一方、中間の労働者(30-59歳)の平均労働時間は比較的景気に影響を受けない。なんでだろう。若い労働者については、景気が悪いと職が見つけにくいので学校にとどまることもある(MBAの願書の数は典型的なcountercyclical variable(景気と逆相関する変数)とよく聞く)。退職間近の労働者は、景気が悪いと退職を早めるのかもしれない。数字を見てみると、15-19歳の平均労働時間は40-49歳の労働者に比べて約5倍景気に対して強く反応する。65歳以上の労働者の労働時間は40-49歳のグループに比べて約2倍強く反応する。縦軸に景気への反応性、横軸に年齢をとると、労働時間の景気への反応の強さは、U字型になるのである。

彼らは日本のデータも使っている。日本のデータでは、15-19歳の労働者の反応度は40-49歳のグループに比べて約4倍、65歳以上のグループは40-49歳に比べて約1.5倍となっている。程度は少し異なるが、基本的な構図(U字型)はアメリカと同じである。

彼らの計算によると、OECD諸国の平均では、30歳以下のグループは、労働力の30%しか占めていないけれども、総労働力の振れ(volatility)の50%を生み出している。

少し寄り道すると、このU時型は、この事実とよく似た別のU字型と違うことに注意しよう。同じ年齢層の労働者の労働時間のばらつきを縦軸、年齢を横軸にとると、同じくU字型になることが知られている。若い労働者は進学していたりする人も多いため、同じ年齢層の労働者の間での労働時間のばらつきが大きい。65歳以上も、退職している人やしていない人がいるので、ばらつきが激しい。この事実は、Jaimovich and Siuがこの論文で注目している事実と異なる(こっちの方が有名である)。

話を進めよう。各年齢層で労働時間の景気への反応度が異なるとすると、労働力の年齢構成によって、トータルの労働力が景気にどう反応するかは大きく異なることになる。極端な例を挙げよう。労働力がすべて30-59歳の人で構成されていたとしたら、経済全体の労働時間は景気に対してあまり反応しないことになる。反対に、労働力がすべて10代あるいは20代であれば、景気に応じて、経済全体の労働時間が大きく反応することになる。もちろん、各年齢層が景気に対してどう反応するかは、年齢構成がどのようになっているか、そして他の年齢層がどのように反応するかによって影響を受けるはずである(equilibrium feedback)が、この論文では、そのような経路は無視している(無視しても大きな問題ではないという議論をしているがここでは触れない)。

では、結果を見ていこう。まずはアメリカである。わかりやすくするために15-29歳と60-64歳の労働者が15-64歳の全労働者の中に占める割合を、「振れの激しい年齢比」(もう少しこなれた用語にしたいのだけど今のところは許してほしい)と呼ぼう。アメリカの振れの激しい年齢比は、1963年には36%、1970年代にはベービーブーマーが労働力に加わったことで大幅に上昇し1977年には44%、その後は低下し1999年には32%となっている。この比率が高いほど、総労働時間が景気の上下によって大きく反応することになるので、この比率が高い時期は景気循環が増幅され(amplify)てGDPの触れが大きくなるはずである。実際、彼らの実験によると、GDPの振れの大きさは振れの激しい年齢比とほぼ一緒に上下している。

ちなみに、「ある四半期におけるGDPの振れの大きさ」はその4半期の前後20四半期(5年)の(HPフィルターをかけた)GDPのstandard deviationとして計算されている。彼らは「ある四半期におけるGDPの振れの大きさ」を測る方法としていろいろな方法を試しているが、結果は変わらないと報告している。

次はドイツを見てみよう。ドイツでは、ベービーブームのようなものはなく、出生率の低下によって1970年以降、振れの激しい年齢比は緩やかに低下している。1970年の39%から1996年には26%にまで低下した。彼らの理論によると、ドイツのGDPの振れの大きさは緩やかに低下していくはずである。実際、その通りとなっている。

大体OECD諸国を比べると日本はいつもおかしな挙動を示しがちなのであるが、今回もその通りである。日本の振れの激しい年齢比は1963年には43%だったものが、出生率の低下と、ベービーブーマーが30代に入っていったことによって1983年の29%まで急速に低下した。しかしその後、60年代の労働者の増加によって、振れの激しい年齢比は増加に転じ、1999年には32%になっている。この振れの激しい年齢比の変化を彼らの理論と組み合わせると、GDPの振れの大きさは1963年から1980年頃にかけて低下し、それから再び上昇することになる。実際データはその通りの動きを示しているのである。

ここまでの結果を整理すると、振れの激しい年齢比がどのように変化していったかは各国において大きく異なる。彼らの理論によると、この違いによって、GDPの振れの大きさがどのように変化していくかは各国によって大きく異なるはずである。データによると、実際、GDPの振れの大きさがどのように変化していったかは、彼らの理論と調和的に、各国において異なっているのである。

最後に、彼らは、1980年代以降のアメリカにおけるGDPの振れの大きさの低下(The Great Moderation)のどのくらいの割合が労働力の年齢構成の変化によってもたらされたかを計算している。基本的には、1980年代以降の年齢構成に変化がなかったと仮定すると、GDPの振れの大きさの低下はどのように現実と異なるかを計算するだけだ。彼らのもっとも基本的な計算によると、1980年代以降のGDPの振れの低下のうち1/3は労働力の年齢構成の変化(より正確には振れの激しい年齢比の低下)によってもたらされた。

かなり早い段階のドラフトを見たときには、各年齢グループの分け方(age threshold)をずらすとずいぶん結果が違ってくるのではないかなどと思っていたのだけれども、AERに出たということはそういうことではなかったのだろう。それに、日本の景気変動の大きさが1990年代に上昇した一因は、60代の労働者の割合が増加したものだというimplicationもちょっと信じがたい。とはいえ、いろいろな国の景気変動の振れ幅の変化と整合的だという結果は、驚きである。

Mortality Inequality

勢いがあるうちに書き続けてみよう。Mankiw et alの論文も収録されていたJEPは、久しぶりに興味の沸く論文が多数収録されていた。今回のエントリーも同じ号のJEPに収録された論文のまとめのようなものである。Sam PeltzmanのMortality Inequalityという論文である。このPeltzmanはあのPeltzman effectで有名なPeltzmanである。この論文は、「寿命の格差」についてのデータを整理したものである。

経済学者が「格差」について考えるときに、まず考えるのは消費の格差、およびそのproxyとしての収入格差である。消費の格差を考えるのは、消費は毎期毎期のutilityに影響する重要な要素なので、消費の格差はutility(いい加減な言い方をすると幸福度)の格差のproxyとなっていると考えられるからである。

ただ、utilityの格差に影響を与えるのはもちろん収入の格差だけではない。最近、余暇の時間の格差がどう変わっていったかに関する面白い研究がなされているが、それについてはまた今度。Peltzmanがこの論文で注目しているのは寿命の格差である。普通は長く生きた方が一生で得られる幸福度も高いので、幸福度の格差を小さくするためには寿命の格差は小さいほうが普通望ましい。では、寿命の格差はどの程度で、どのように変わってきているのであろうか。この論文はこの質問に対する答えを整理したものである。

Peltzmanは格差を測るのにジニ係数(Gini index)を使っているので、簡単にジニ係数について書いておこう。ジニ係数は、格差を測る指標の一つで、0から1の値をとる。0は格差がない状態、1は格差が最も大きい状態である。国の中の収入格差で考えてみよう。国民が全員同じ収入の場合はジニ係数は0になる。国民の一人(Bill Gatesのような人を考えればよい)だけが国の全収入を得ている状態ではジニ係数は1になる。感覚をつかむために収入のジニ係数のデータを紹介すると、OECDによると、アメリカの収入ジニ係数は0.4、日本のジニ係数は0.32、スウェーデンは0.23である。日本の収入格差はアメリカよりは小さくて、ヨーロッパ(特に北欧諸国)より大きいという、よく耳にする話である。また、アメリカの総資産のジニ係数は0.8程度という、とてつもなく高い値をとる。0.8という値がどのくらい高いかというと、もっとも資産の多い家計上位20%がアメリカの総資産の80%以上を保有しているといえば感覚がつかめるであろうか。

ではPeltzmanのは論文に戻ろう。以下、論文の主要な発見を箇条書き形式で書いていく。

1. まず、寿命の格差について考えるとき、まず経済学者が考えるのは、寿命と収入のcorrelationである。これは、一般的に、Preston curve(プレストン曲線)という形で示される。国別で比較すると、Preston curveには2つの重要な特徴がある。(1)平均収入の高い国ほど平均寿命も高い。(2)収入の低い国では収入が上がるにつれて寿命も大幅に伸びるけれども、収入が高い国では、収入が上がっても寿命の延びは小さい。許可を得ず転載していいのかわからないけれど、WikiにあったPreston curveを転載しておく。



2. Becker et alの研究によると、先進国(収入の高い国)と途上国(収入の低い国)の平均寿命格差は年を追うごとに縮小している。

3.アメリカ国内における寿命の格差は大幅に縮小した。ジニ係数で測ると、1852年のジニ係数は0.476 だったのが2002年には0.108にまで下がっている。

4.より長いスパンで寿命格差をみてみよう。スウェーデン、イングランド/ウェールズ、フランス、ドイツ、アメリカ、のデータを見てみると、平均寿命(より性格にはlife expectancy)は1750年には35歳程度だったのが、1850年頃から急速に伸び始め、2000年には80歳程度まで達した。寿命のジニ係数も、1750年には0.5程度だったのが、1850年ごろから急速に減少し、2000年には0.1程度になっている。寿命が上がることが幸福度を高めるのであれば、1850年以降の変化は、平均的な幸福度を高めただけではなく、幸福度の格差も縮小させたのである。

5. このような変化の背景にあるのはどのような変化か。寿命の格差が縮小した理由の50%は幼児死亡率の低下によるものである。例えば、19世紀半ばのアメリカでは、30%の新生児が5歳の誕生日の前に死亡した。2002年においてはこの割合は0.8%である。残りの50%は若くして死ぬ大人の数が減ったことである。100歳まで生きる確率はあまり上昇していないけれども、80歳まで生きる確率は大幅に上昇した。

6.20世紀において国家間の平均寿命の格差および寿命格差の格差(わかりにくい)も継続的に縮小した。アメリカ、スペイン、日本、ブラジル、インド、ロシア、を比べると、1900年においては、アメリカの平均寿命が最も高く、寿命格差も最も小さかったが、2000年においては、すべての国がアメリカにキャッチアップしている。日本とスペインは平均寿命においても寿命格差(ジニ係数で測っている)もアメリカを追い越した。

最後に、著者は、寿命の上限(100歳を少し超える程度)は過去250年の間にほとんど変化していないことに言及している。もし、寿命の上限をあげる技術が開発されれば、クズネッツ曲線のように、寿命の格差はいったん広がって(一部の人しか新しい技術の恩恵にあずかれないかもしれないので)、その後縮小するかもしれないという面白い仮説で締めくくっている。

アメリカの平均寿命がなぜ他の先進国より低いのか、自殺率が国によって異なるのはなぜか、といった、僕が興味のあるトピックに関連した重要なデータをわかりやすく整理してくれた論文である。

Mass Lay-offs and Endogenous Sex Selection

The Economistの記事より。元になっている論文は多分読んでもわからないだろうから読んでいない。

飢餓など、自分の子孫の存続が危ぶまれる状況下では、女の赤ちゃんが生まれやすいことが知られている。男に比べて女を産んだほうが将来に子孫を残せる確率が高いので、母親の体が、女の赤ちゃんを産みやすいように自動的に調整されるという仮説が立てられている。特に、受胎の段階で飢餓などの状況に直面するとストレスに関連したホルモンが自動的に多く分泌され、このホルモンは男の赤ちゃんが発生する確率を低めるというのがそのメカニズムではないかと推測されていた。

UC BerkeleyのRalph Catalanoによる研究によると、必ずしもそのメカニズムだけが働いているわけではないようだ。彼は、データのそろった先進国では稀になった飢餓の代わりに、大量解雇(mass lay-off)を見ることにした。大量解雇によって生じるストレスは飢餓に匹敵するというのが彼の議論である。大量解雇に巻き込まれた(大量解雇に巻き込まれて失業保険給付(Unemployment Insurance Benefit)を申請した)女性が男の赤ちゃんを産む確率を、母親全体で男の赤ちゃんを産む確率とくらべると、前者の方が明らかに低いことを彼は発見した。極端な例では、母親全体では52.4%の赤ちゃんが男である一方(普通男の子の赤ちゃんの方が生まれる確率が高い)、大量解雇が多かった月は男の赤ちゃんの割合が51.2%まで下がった月も見られた。

彼の発見でもうひとつ面白いのは、男の赤ちゃんが生まれる確率の自動調整は、受胎のずっと後でも起こるということである。従来の理論に従えば、受胎から大幅に時間のたった母親は、大量解雇に巻き込まれようが男の赤ちゃんを産む確率が下がることはありえないのだけれども、データでは受胎から大幅に時間のたった母親でも同じ傾向が見られるのである。

では、どういうメカニズムが働いているのだろう。考えられるのは、性の自動調整を実現するためのメカニズムはひとつではないということである。ストレスに直面している母親は、女より男を流産する確率が高まるということが考えられる(女の胎児の方が母親にかかるストレスに強いとも解釈できるだろう)。彼の次の研究のステップは、流産に関連すると見られるホルモンがストレスの変化によってどのように変化するかを計測することのようだ。

過去10年程の日本では女の赤ちゃんが増えているだろうか?

Daycare Center rather than Direct Subsidy

またしても大竹さんのブログから。色が変わって多少読みやすくなった。

日経新聞の「経済教室」というコーナーで、宇南山さんと言う学者が、少子化対策としては児童手当よりも保育所の整備の方が効果が高いと論じていたそうだ。「経済教室」のelectric copyが手に入らないものかと検索を続けていたところ(存在していないのなら日経新聞はアーカイブを作ってくれるとうれしい)、mk-kotaさんが、元になっている論文を紹介してくれていたのでそれをぱらぱらと眺めてみた。

宇南山さんの基本的なロジックは以下の通り。

1. 出生率(正確には合計特殊出生率。大雑把に言うと、一人の女性が一生のうちに生む子供の数。wikipediaによると2.08以上(以下)であれば人口は増加(減少)するとのこと。)は1970年の2.13から2005年には1.26まで低下した。

2. その主な要因について考えてみると、結婚している女性に限ると出生率はむしろ上昇している。その一方、生涯未婚率(50歳の時点で結婚していない人の割合)は女性で1950年の1.3%から2005年の7.2%に、男性では1950年の1.4%から15.6%まで上昇している。

3. よって、結婚数の減少が少子化(出生率の低下)の主な要因である。結婚すれば子供は作るのだが結婚が減少してしまっているのである。

4. 結婚している女性が平均的に生む子供の数は同じだと仮定すると、結婚数を増やせば子供が増えることになる。

5. 以前より結婚の数が減少したのは女性の収入が増加したからである。結婚および出産をすると、仕事を休まなければならなかったり、キャリアをあきらめなければならないことが多いが、収入が増えたことによって仕事をやめたくない女性が増えたのだ。

6. よって、特に潜在的に結婚したいけれども上記の理由で結婚していない女性が多くいる地域に、育児所を充実させたり、企業が内部に育児施設を作ることに対して国が補助をすることで、結婚および子供の数を増やすことができる。

7. この政策は、出生率の上昇と、労働力の増加(より多くの女性が働き続けることになるので)が同時に達成できるという一石二鳥の政策である。労働力の増加によって税収も増える。

このような議論が活発に行われるのはとてもうれしいが、上のロジックにはいくつか気になる点がある。基本的には上でも参照させてもらったmk-kotaさんの意見に賛成である。

まず、4の仮定は非現実的だ。少し無茶なたとえを使うと、自殺者の多くは橋から飛び降りるから橋を減らせば自殺が減るというのと同じ議論である。おそらくは無視できない数の人はそもそも子供を持つことあるいは結婚にに対するutilityが低いのであろう。そういう人の多くが、保育所の充実によって結婚するか、結婚したとしても、今結婚している人たちと同じように子供を作るか、大いに疑問がある。そもそも、出産のdecisionを明示的に取り込んでいないモデルを使って議論するのは乱暴すぎると思う。

5にも議論の飛躍がある。政策の効果を真剣に測りたいのであれば結婚が減少した理由についてより精密な議論が必要だと思う。

6の議論の際に使われた数字もあやうい。大都市圏の未婚率が育児所の充実によって全国平均にまで下げられることを前提にしているが、上の議論に加えて、大都市圏に住む人のバイアス(大都市に育った人は全国平均の人と考え方が違ってもおかしくないし、大都市に移住してきた人も全国平均の人と考え方が違うから引っ越してきたと考えてもおかしくない)を考慮する必要があると思う。

最後に、育児所の受け入れ人数を増やせばその分だけ結婚および出産が増加すると仮定して政策の効果を計算しているが、既に子供がいて育児所に入れたいけど入れられない人が多くいるだろうから、少なくとも短期的には、育児所の受け入れ人数増加が出生率を1対1で増やすことはないと思う。

全体的に、基本的なロジックは有効だと思うが、政策の効果という面では筆者にとって都合のいい仮定が多すぎるというのが感想である。

個人的には、育児所は、(i) 育児所は使途を限定した子供手当てのようなもの、(ii)育児所の質が十分高いとすると、収入が高い女性ほどこの制度によって得をする、という点で子供手当より優れていると思う。

More Kids Wanted!!

週1-2回が目標といいつつ既に最初のポストから1週間以上経過してしまった。難しい。

選挙の頃、義務教育の無償化とか、児童手当といった政策が新聞をにぎわしていた。その後これらの政策がどうなったかを追ってはいないのだが、これらの政策について思うところを書いてみる。まだ頭の中が整理されたわけではないので、後で直すかもしれない。
  1. こ れらの政策はしばしば子供がいる家庭への支援という切り口で語られることが多いが、おそらくは真の目的は少子化対策である。公平性とか政策への支持といっ た話を無視すれば、既に生まれた子供のいる家庭に支援をしても意味がない。既に子供を生むという決定はなされている(sunk)からだ。これらの政策は、 子供のいる家庭の支援という一見わかりやすい視点よりも、いかに出生率上昇に貢献するかといった視点から評価されるべきであろう。
  2. その意味では、政策の効果をどのように計算しているのか、時間があったら調べてみたい。
  3. こ れら政策を経済学的に議論するのが難しい理由のひとつとして、普通の経済学のモデルでは人口の大きさは重要ではないということが挙げられる。重要なのは welfare、あるいはそのproxyとして、一人当たりのGDPなのである。inequalityという話をとりあえず無視すると、シンガポールより 中国を目指す根拠を普通の(特にマクロの)モデルで得ることは難しい。
  4. おそらく、少子化対策といった場合、国は大きいほうがいいとい う、おそらくは政治的な考え方が背後にあるのであろう。他にすぐに考え付く目的として2つある。1つ目は、社会保障制度を維持するために人口を維持すると いうものである。ただし、社会保障制度維持が目的であれば方法は他にもあるので、必ずしも少子化対策に頼る必要はない。2つ目としては、国内市場が大きい ことによるbenefitがあるモデルを念頭におけばもちろん人口を増やすことのメリットを正当化できる。
  5. 決められた予算で子供を作る インセンティブを最大限に高めるにはどのようにお金を使ったらよいか、という視点でこれらの政策は評価されるべきである。児童手当に所得制限を設けるとい う考え方の背後にあるのは、高収入の人に月2-3万円あげても子供を作る気にはならないであろうという考えがあるのであろう。
  6. ただし、 所得制限のある少子化対策で注意しなければならないと思うのは、composition effectだ。僕の周りにいる、年1000万円以上稼いでいるような女性は、2-3万円をもらおうが公立高校が無料になろうが、子供を生むか生まないか の決定を変えることはほとんどないと思う。子供の数をただ増やしたいという目的のためには、こういう女性に補助金を回しても効果は小さいだろう。一方、こ のような政策の帰結として、低収入の親を持つ子供の割合が増えることがあげられる。これらの政策は、基本的には高収入の人から低収入の人へ所得を再配分し て子育てを委託することと似ているからだ。もしも、高収入の親から生まれる子供の「能力」が高いということであれば(もしも、の話である。そもそも「能 力」を図ることは難しい。)、所得制限付の児童手当を実施することで、平均的な子供の「能力」が下がる、あるいは「能力」のinequalityが上昇す るであろう。
  7. composition effectに中立的な少子化対策を実施するためには、大雑把に言えば児童手当は所得に比例させればいい。高収入の女性が育児のために仕事を休むopportunity costは低収入の女性より高いからだ。
  8. ただし、こうした政策は政治的に実施が難しいであろう。他国を見ても、今の日本で検討されている政策と似たようなインセンティブ構造の国が多いようだ。他国の状況も今後調べてみたい。