Estate Taxation

2月は低調なまま終わってしまった。一つの理由は、job marketのシーズンなのでconferenceも少なく面白いseminarに出くわす頻度が低かったことだと思う。そうだとすればこれから回復するかもしれない。長期的な下降トレンドだった場合、このままずるずると終わってしまうかもしれない。

現在アメリカでは雇用対策、金融セクター規制、健康保険改革の話が最も盛り上がっているけれども、その影で遺産税(estate tax)の話が密かに盛り上がっている。遺産税というのは、日本で言えば相続税である(もらう方とあげる方のどちらに税金がかかるかという違いがあるが細かいことは気にしなくてよい)。基本的には死んだ人が残した遺産にかけられる税である。現在アメリカで何が起こっているのか。2010年の1年間だけ遺産税が「ゼロ」なのである。そもそもは今は懐かしいG.W.Bushが、遺産税の撤廃の永久化を目指したのだけれども、結局2010年の1年間しか認められなかったのである。2009年までは、雑に言うと、350万ドル(1ドル100円で計算して3.5億円)を超える遺産に対して一律45%の税率がかかっていた(例えば、4.5億円の遺産であれば税金4500万円)。2010年は何もなし。2011年からは100万ドル(1億円)を超える遺産に対して一律55%の税率が適用される予定となっている(4.5億円の遺産に対して1.9億円)。僕のような庶民には何の関係もない話だが(Mankiwによるとアメリカ人の2%だけしか影響を受けないらしい。0.5%という数字もある)、大金持ちの人にとっては重大な話である。2009年の末にも、確か、2010年までなんとか親を生き延びさせるというようなちょっと物騒な話も聞かれた(2010年の頭に亡くなった人の人数が変に多くなっているか気になるところである)。延命というのはまだかわいい方で、2010年の末にはもっと物騒な話が出てくるかもしれない(多分2010年末には駆け込み死亡届が増えると予想される)。

このような問題を背景として、時々、遺産税の話がちらほら出てくる。今回題材とするのは、Wojciech KopczukのNBER WP(2010)である。それに加えて、以前読んだMankiwのメモにも言及する。

大きな問題点は、遺産税は維持すべきか廃止すべきか、維持するとしたらどの程度の税率、累進性にするべきか、である。この問題に答えるために有益な論点を以下に一つずつ挙げていく。

1.なぜ人は遺産を残すのであろう
まずは、遺産という問題を、遺産を残す人(以下、「親」と呼ぶ)と遺産を受け取る人(以下、「子」と呼ぶ)の間の問題として考えてみよう。以下でもう一度触れるけれども、親は遺産をあげること自体に幸福を感じて、子はもちろん遺産を受け取るとうれしいとしよう。この場合、遺産には正の外部性があることが容易にわかるであろう(ある人(親)の行動が意図せずして他の人(子)の幸福度を高める)。この場合、親が自分の幸福度しか考えずに遺産の額を決める場合、子供がいかに喜ぶかを直接的に勘案しないので、遺産の額は社会的に望ましい額より少ないこととなる(公共財を考えればよい)。この場合、遺産に対して税どころか補助金をつけることで遺産の額を社会的に望ましいレベルに引き上げることができるようになる。一般的に、遺産税の問題を親と子の間で受け渡される遺産が社会的に見て多すぎるか(その場合遺産税をかけて減らすインセンティブを与えるのが望ましい)少なすぎるか(この場合補助金をつけて増やすインセンティブを与えるのが望ましい)、という問題から考えるとすると、親が遺産をなぜ残すのかという質問にどのように答えるかが重要だということがわかるであろう。では遺産に関するどのような理論が存在しているのか、以下で見ていこう。

(1)あげる喜び(joy-of-giving)理論
今上であげた理論がこれに相当する。具体的には、親のutility functionに遺産の額が入っている状況を考えればよい。この理論はあまり深い理論ではないが、使い勝手がよいので実際のデータにマッチするモデルを作りたい場合重宝する(money in the utility functionを考えてみればよい)。但し、使い勝手がよい一方、問題も多い。例えば、あげること自体が幸福度を高めるのであれば、あげたお金をまた返して、またあげて…というような無茶なスキームによって幸福度を高めることができてしまう。上で説明したように、この理論に従えば、遺産税率は負(補助金)が望ましいことになる。

(2)利他主義(altruism)
(1)と似ているがちょっと違う。この理論のもとでは、親の幸福度に子の幸福度も含まれるのである。この場合、(1)であげたようなあげて返してあげて返してというようなマッチポンプ型のスキームは幸福度を高めない。但し、この理論のもとでも、子の幸福度が2回計上されるので(親も子も子の幸福度が高まるとうれしい)負の遺産税が望ましいことになる。この理論が現実をうまく説明できているかというと、必ずしもそうではない。わかりやすい例として、子供が2人いる状況を考えてみよう。兄はぜんぜんお金がない一方、弟は高収入を得ているとしよう。altruismのもとでは、親は子供の幸福度(より正確にはmarginal utility)を平準化したいので、兄に多めに遺産を割り振りたいはずである。しかし、現実では、兄弟には2等分というのがよく見られる。子供がいようがいまいが貯蓄行動は大きく異ならないという結果も利他主義(およびその他多くの遺産に関する理論)と整合的ではない。

(3)見返り(exchange)
親は子から便益を受ける(老後の面倒を見てもらうのが一例)見返りに遺産を残すという理論である。この理論に基づくとどのような遺産税が望ましいかを考えるのは難しい。親と子の間の戦略的行動を考えなければならないからである。この理論のもとでは、望ましい遺産税はどのような戦略的関係を仮定するか、その結果としてどのような非効率な結果が現れるかによって異なるので、一般的な話をするのは難しい。

(4)意図しない遺産(accidental bequest)
いつ死ぬかわからない以上、長生きしたときに備えて、貯蓄は多めに持っておきたいのが一般的な心理である。この話はもっともらしく聞こえるが、優れた年金市場(annuity market)が存在しないことから生じている。もし、自分が来年50%の確率で死ぬとわかっているとしよう。この場合、同じ死亡確率を持つ人をたくさん集めて皆でinsurance contractを結ぶことにより、長生きするリスクをヘッジできるのである。具体的には、来年生きてたら100万円持っておきたいならば、来年50%の確率で死ぬ人全員が50万円づつ出して、生き残った人が100万受け取るという契約を結べばよい。この契約のもとでは死ぬときには財産はきっかりゼロで、生き残った場合には望ましい貯蓄レベルきっかり(100万円)が残ることになる。このような契約が何かしらの理由で結べない場合(何でこのような契約が存在しないかは、「annuity puzzle」と呼ばれている。モデルに従わないものはとりあえず「puzzle」と呼ぶいつもの慣習である)、念のために皆が100万円持っておくだろう。その場合、死んでしまったら、意図せずして100万円の遺産を残すことになるのである。この理論は、おそらくは他の理論と一緒に、観察される遺産を説明できる理論として注目されている。但し、この理論の元で望ましい遺産税率は何かという質問に答えるのは難しい。この理論によれば、遺産が生じているのは市場が不完備だからなので、税云々よりも、市場の失敗を是正する方が重要だということになるからである。

(5)資本家的精神に基づく遺産(capitalistic spirit)
名前は仰々しいが、要は、死ぬときに資産が多ければ多いいほどうれしいという仮定である。これは「あげる喜び理論」と似ているが、この理論に基づく最適な遺産税は「あげる喜び理論」に基づくものと大きく異なる。それはなぜか?この理論によると、遺産税は遺産の量にまったく影響を与えないからである。言い方を変えれば、死ぬときの財産が重要なのであって、死んでからいくら持ってかれるかはこの理論では親の幸福度にまったく影響を与えない。多分非常にフレキシブルな理論だからであろうが、この理論が現実を説明するのに適していると主張する研究者も多いようである。

(6)近視眼的あるいは行動経済学的な理論
非常に大雑把な言い方をすると、遺産があるのは、人々が合理的に行動していないからだという立場である。一般的に行動経済学的な理論すべてに当てはまるが、現実と整合的な理論は提示できても、同じ現実を説明できる理論が山ほどあるので、どれが正しい理論かを述べるのが難しいという欠点がある。他の行動経済学的な理論と同じく最近活発な分野である。

(7)いかにも経済学的な結論だけれども…
Kopczukは上であげたさまざまな理論の組み合わせが、なぜ遺産を残すのかという質問に対する回答だろうとの述べている。特に、なぜ遺産を残すのかという質問に対する答えは人によって異なる(heterogeneity)であろうから、どれが正しいかを考えるのは正しい質問の仕方ではないのではないかというような結び方をしている。このような状況であるから、遺産税の問題を、親と子の間の問題をどのように改善するかという問題に置き換えると、なぜ遺産を残すのかについて明確な答えが出ていない以上、明確な答えは今のところないというのがしまりはないが結論である。

2.再配分(redistribution)
遺産税の問題は、ある少ない人数に集中した「遺産」をどのように社会に再配分するか、という問題として捉えることもできる。この場合、遺産税は再配分を達成するための手段の一つでしかなく、他の再配分も含めて考えなければならない。例えば、累進的な所得税も再配分を達成する手段である。累進的な所得税が存在する場合、なぜ、それに加えて遺産税による所得再配分が必要なのか。この問いに対する答えはモデルの仮定によってことなり、一般的な答えは得られていないように思われる。Mankiwはそもそも遺産税と贈与税が税収に占める割合は1.4%と非常に小さい(ので遺産税の再配分機能はあまり重要ではない)と指摘している。

3.富の集中による外部性
遺産税を正当化する議論の一つとして、富が過度に集中している国はろくな国がないというのがあげられる。但し、これはcorrelationであって、causalityではない。まともな経済学者であればこれをもとに遺産税を正当化することはできない。富が集中することによる負の外部性が存在するモデルを作ることは特に難しくはないが、このようなモデルで広く受け入れられているものはないようだ。

4.資本には課税するな
前にも書いたが、資本に課税しないというのは、最も有名な教訓の一つである。遺産税は死ぬときにかかる税ではあるものの、幅広い仮定の下では、結局、資本(貯蓄)に対する課税である。よって、長期的には、資本が課税されていると、資本蓄積が進まず、経済の生産性は低下する(労働者一人当たりの資本の量が低下するので)。Kopczukによると、遺産税を1%上げたときに遺産に与える影響は0.1-0.2%程度というのがいくつかの実証的な研究による結果のようだ。

5.遺産税を逃れるのは簡単
遺産税を逃れるのは簡単(特に大金持ちであれば優秀な税理士を抱えているはずなのでいっそう簡単)なので、遺産税をどうすべきかという議論をしてもしょうがないという考えも根強く存在する。

6.遺産と富の集中
遺産税は本当に富の集中を是正するのに役に立つのであろうか?2つの論点を挙げる。1つ目としては、現在は、昔に比べて、収入の大部分は労働収入である。つまり、親の資産に頼っている大金持ち(パリス・ヒルトンを考えてみればよい)は意外と少ないのである。つまり、遺産税がないことが、代々続く大金持ちの家系を支えているかというと必ずしもそうではない。2つ目は、親の能力と子の能力(収入で測ってみる)の相関はそれほど高くはないのである。マニングや室伏親子、アンジェリーナ・ジョリーのようなのはまれで、大体は、テッド・ウィリアムスとか長島一茂とか、三田佳子のようなのが多いのである。そうであれば、遺産税がなかったとしても、資産が少数に集中するのを助けているというような側面はそれほど強くはないといえる。

Kopczukは望ましい遺産税について明確に結論を出すことは現時点では難しいといった結び方をしている一方、Mankiwは主に4と6を元に、遺産税は恒久的に撤廃すべきだと主張している。

日本の相続税についてはよく知らないのだけれども、これから勉強してみて何か学ぶところがあったらまた書こうと思う。

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